涼宮ハルヒの遡及ⅩⅠ
終った……のか……?
俺は茫然と呟いていた。なぜならとても凌ぎきれそうにないと想像せざる得なかったあの怪鳥の集団が完全に消滅したのだから。
それも長門とアクリルさんが二人で放った、たった二発の融合魔法――フュージョンマジックによって。
「終わり? 何言ってんの?」
が、俺をあっという間に現実に引き戻したのは、肩越しに振り返ったアクリルさんの不敵な笑みである。
……その頬には嫌な汗を一滴浮かばせていたからな。
ついでに言うなら隣に肩を並べて佇んでいる長門は振り返ることすらしていない。
そうだな。おそらくそれはその視線の先に在る者のためだろう。
ああそうだ。さっきと同じくらいの大群がまた、俺たちに迫って来てやがるんだよ。悪いか。
「嘘よ……」
ん?
「こんなの嘘よ……」
心細く呟いているのは俺の腕の中にいるハルヒじゃないか。それも前髪で瞳を隠して全身が震えてやがる。
どうしたんだ?
「だって……この世界は、あたしの想像が現実化している世界なんでしょ……?」
まあな。俺と古泉がそれを教えたもんな。
「だったら!」
ハルヒがどこか涙を浮かべた瞳で睨みつけてきた。
「何でみんなを危ない目に遭わせなきゃいけないのよ! あたしはみんなで面白おかしく過ごせることを望んでいるわ! なのに何でみんなを苦しませてるの!?」
ハルヒが慟哭の叫びをあげている。
確かにそうだな。お前は無理難題を吹っ掛けることは多いが、それでも俺たちを苦しめてやろう、などと思ったことは一度もなかったよな。
「蒼葉さんの時もそうだった……あたしは、ただ面白い世界であってほしいだけなのに何で……」
その通りだ。お前は誰も不幸にしたいと思っちゃいない。少し方向性はズレているがそれは間違いないだろうぜ。
だからさ、
「誰もあなたと一緒に居て不幸だと思ったことはない」
え? 俺のセリフを取ったのは長門。お前なのか?
「その通りです。僕も涼宮さんに出会って不幸だなんて感じたことはありません」
「あたしもです。あ、でもあんまり恥ずかしい格好させられるのは……」
「みんな……」
「だとよハルヒ。てことは今、この状況でさえもお前のことを恨んでる奴なんかいないってことだ。SOS団にはな」
俺はこの場に似つかわしくないであろうとびっきりの笑顔を浮かべている。
「キョン……」
「だからさ気にするな。必ずこの世界から脱出できるさ」
「で、でも……あの怪鳥の数とか世界の異常気象とかは……」
「何か勘違いしているようだけど、あたしたちに襲ってくるこの世界はハルヒさんの意思じゃないわよ」
割ってきたのは唯一SOS団とは無関係の異世界人さんである。
「だって、もうこの世界は『一つの世界』として定着してしまっている。それは異世界という意味。つまり、ハルヒさんの力はもうこの世界に及んでいない。なぜならハルヒさんも元の世界の一部だから。世界を越えてまでその力が作用されることはないの。
要するに今、この世界はあたしたちを完全に敵とみなしたってことよ。当然よね。だって、あたしたちはこの世界を滅亡させようとしているんだから」
……なんつう説明だ……いいのか……?
「ついでに言うなら、アサヒナさんの……えっと、ミクルミサイルだっけ? アレが確実にこの世界を滅亡できるってことを意味していることでもあるわ。だからこそあたしたちを、正確にはアサヒナさんを排斥しようと躍起になってるわけだしね」
「え? じゃあ世界を滅亡させよう、なんて考えなければ攻撃されないってこと?」
「……元の世界に戻るにはこの世界を崩壊させるしかない、って言ったはずだけど」
戸惑いながら問うハルヒに、苦笑を浮かべて応えるアクリルさん。
が、次の句は再び襲いかかって来た怪鳥の大群によって阻まれてしまったのである。
再び、大激闘が始まる。長門とアクリルさんと古泉の。
長門とアクリルさんは怪鳥の群れに突っ込み、なんとヒットアンドアウェイ作戦で一羽一羽を各個撃破していくんだ!
確かに作戦としては間違いじゃない。
集団に突っ込んでしまえば向こうの同士討ちも誘発できる。ただし、それは長門とアクリルさんが相手よりも素早く動き回れる、ってことが絶対条件だ。
空を飛ぶ怪鳥相手に、魔法で飛ぶ二人が動きで負けないのだからとんでもない話だ。
んでもって、古泉は古泉で、俺たちを守るこの赤い球を消すわけにはいかず、笑みが消えた必死の形相で現状維持を図っているんだ。
くそ……また見ているだけなのかよ……俺にも何かできることはないのか……
「キョン見て……」
俺にどこか愕然とした声をかけてきたのはハルヒだ。
「何だ?」
「よく見てよ……さくらさんと有希を……」
ん~~~正直言って、あまりに動きが早いんでなかなか細かく見ることが難儀なんだが……
目を細めてみる。
!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!?!
俺もまた驚嘆した。
「嘘だろ……まさか……」
「そうよ……これじゃあの時とまったく同じよ……」
俺とハルヒの震える声が響く。
そう……長門とアクリルさんが肩で息をし始めているんだ……しかも動き回っているわけだからその度に小さな光が点々と反射してやがる……
つまりそれは疲労が蓄積し始めてるってことだ。
無理もない。さっきから怪鳥の大群を相手しているだけじゃなく、大地がもうないわけだからずっと『飛んだ』まま戦い続けているってことになるからな。
それは魔力とやらを放出し続けているって意味だ。
体力と同じで魔力だって器量を越えれば必ず尽きるときがくる。
そしてそれが意味することは――
「じょ……冗談じゃねえぞ……今、ここにいる古泉も含めてこのままじゃ……」
「分かってるわよ! だから、あたしたちにも何かできないことはないの!?」
ハルヒが叫ぶ。
その気持ちは痛いほど解るさ。俺だってあんなことは二度とごめんだ。
だが俺たちに何ができるというのか。
確かに今の俺は、ゲーム作りした時に創り上げた数多くの中の一つのゲームの時の妙な力は使えるが空を飛べるわけじゃないんで役には立てない。
さっきも言ったが、ハルヒの大技は朝比奈さんが戦列に加わることができない以上、使えない。
いったいどうしろと……って、いや待てよ!
「ハルヒ、お前だ! お前が呼ぶんだよ!」
それは俺の思いつき。しかし、確実に来るだろうと予感できるもの。
「って、何をよ!?」
「前にゲーム作りした時にお前が宇宙戦艦を呼べたじゃないか! アレを呼べ! おそらく、いや絶対に来る! だって、俺にだって妙な力があったんだ! だったら!」
「そっか!」
ハルヒが満面に勝気な笑みを浮かべて、しかし、即座に瞳を伏せてマジ顔に変化!
「来なさい――」
静かに呟き、そして『かっ』という効果音が聞こえてきそうな勢いで瞳を開き、
「ザ・デイオブサジタリアス!」
ハルヒが吠えると同時に空が割れ、その暗闇の空間から、深紅に輝く、とあるトレーディングカードをテーマにした物語に出てきた天空を大いなる翼で羽ばたく神の竜を彷彿とさせるデザインの、一機だけではあったが、戦艦が現れたのである。
「行くわよ! キョン!」
「もちろんだ!」
戦艦に乗り込むべく、ハルヒは俺に手を差し出し、迷わず俺はその手を取った。
「あ、あの?」
古泉が戸惑いの声を漏らして、
「古泉! お前は朝比奈さんを守っていろ! 俺とハルヒが抜ければその赤玉も小さくより強固にできるだろ! なんせ守る人数が減る訳だからな!」
俺は勝気っぱいの笑顔で吠える。
もっとも俺がこう言っている時でもハルヒと俺は深紅の戦艦にトラストされている。
完全に中に入ったとき、俺が最後に見ていたのは古泉と朝比奈さんの戸惑っている表情だった。
が、それでいい。
頼むぜ古泉。
そう心の中で呟き、俺とハルヒはコクピットへと駆ける。ま、入った順番の関係で俺が後ろ、ハルヒが前ではあったがな。
…… …… ……
…… ……
……
古泉一樹は感慨深げに上空を眺めていた。
深紅の戦艦がゆったりと動き始めた様を、今、自身は親友という念を抱いている少年を見送るが如く眺めていた。
もし、自分自身が創り出した赤い結界球の中にいなければ、その風圧で古泉一樹の柔らかな髪は揺れていたかもしれない。
「まったく、あなたという人は……」
ひとつ、ため息交じりの呟き。しかし、その表情には自嘲気味ではあったが笑顔が浮かんでいる。
おそらくは彼の親友は見たことがない笑顔。
そこには仮面ではない本当の本物の素直な古泉一樹の笑顔があった。
もっとも、たった一人だけ、その笑顔を見止めた者もいる。
「くすっ、古泉くんってそんな風に笑うこともできるんですね」
「朝比奈さん……」
無邪気な笑顔を向ける朝比奈みくるに、古泉一樹が苦笑を浮かべる。
どことなく照れくさかったから。
「しかしまあ」
が、もう一度、上空へと視線を移し、
「確かに、彼の言うとおり、これで僕は結界球を縮小させ、強化することができます。あなただけを守ることに専念できるということです」
「よろしくお願いしますよ。もう少しですから」
「はい」
などと会話しつつ、しかし、古泉一樹はとある提案を思いつく。
むろん、それは嘘ではないのだが、受け入れてもらえる提案かどうかが判らなかったので、
「ところで僕があなたに近づけば近づくほど、もっとより強固にできるのですが? なぜなら、結界球は範囲が小さければ小さいほどより強固になるものですから」
「どういう意味でしょう?」
もちろん、朝比奈みくるはキョトンと問う。もっともみくるミサイル発射態勢のままではあるが。
「つまり、僕があなたを抱きしめられるくらい近づけば、という意味ですよ。そうすれば、ほとんど一人分の範囲しか必要ありませんし、今、僕が創りだせる一番強固な状態にできることでしょう」
しかし、朝比奈みくるの反応は顔を赤らめるわけでもなく、また慌てふためくわけでもなく、
「ふふっ、ゴメンだけどそれはいいです。だって意識してしまってミサイル充電に支障を来たしそうですから。そうなってしまえば、キョンくん、涼宮さん、長門さん、さくらさん、そして古泉くんに迷惑かけちゃいますから」
それだけを笑顔で言うと、再び瞳を伏せ、精神を集中させる。
ふぅ……やっぱりですか……
そんな彼女を見たあと、古泉一樹は再び視線を上空へと、正確には涼宮ハルヒが呼び、今は自分たちのやや前にある深紅の戦艦を、どこか残念な諦観の笑顔を浮かべて眺めていた。
古泉一樹には解っていた。
朝比奈みくるが一番最初に呟いた名前、正確にはあだ名を聞いて、それを確信させられてしまったから。
彼女にとって誰が一番大切なのかを。
なんとなく辛いことでもあったのだが、古泉一樹はそれをどういう訳かすんなり受け入れている自分に気がつき、どこか吹き出したくなってしまったのである。
……
…… ……
…… …… ……
「キョン、あんたが操縦して! あたしは砲撃するからちゃんと当たるように動かすのよ! あと、絶対に有希とさくらさんを巻き込まないようにね!」
「言われんでも分かっている!」
ハルヒが一段高い、コントロールパネルに、ブラインドタッチでいうホームポジションで指を置き、俺はその下で四つに分かれたレバーを軽やかな手つきでさばいていた。
もちろん、二人とも勝気な笑顔を浮かべたままだ。
そりゃそうだろう。
前回と違い、今度は見ているだけじゃない。俺たちだって長門やアクリルさんのために、朝比奈さんや古泉のために戦うことができるんだ。
以前の蒼葉さんのことを思い出せば、どんなに危険なことだろうと、このやる気全開の高揚感がそれを地平線の彼方へと追いやれるってもんさ。
「行くわよ! 連続発射! 撃て撃て撃て撃て撃て撃て撃て撃て!」
おいおい本当に楽しそうな声だな、つか撃つのはお前だ。
などと心の中でツッコミを入れる俺の表情も笑顔が途切れていない。
眼前では、ハルヒの狙撃が怪鳥を確実にヒットする光景が映し出されている。
まあ数は半端なく多い訳で、しかも、この怪鳥もその嘴の奥から怪光線を発射できるんだ。当然、戦艦を衝撃が襲うことだってある、というか襲いまくってきている。
俺の目の前のパネルには、戦艦の破損情報が逐一送られてきており、いくらこの船が強固なものだろうと、相手の数が数である。
当然受け続ければいずれは沈むことだろう。
もっとも、俺とハルヒにとってはそんなことはどうでもよかった。
「こらキョン! ちゃんと操縦しなさい! 一匹外しちゃったじゃない!」
叱咤してくるハルヒの声は妙に明るいしな。
などと、どこか場違いなくらい無邪気な俺たちの耳が軽い金属音を二つ捉えた。幻聴じゃない。確実に聞こえたんだ。
何だ?
――外部回線ONを申請する。互いの声が聞こえるように。可能なはず――
「んな!?」
「ちょっと! 今の声、有希!?」
――そう。わたしは今、精神感応魔法、テレパシーであなたたち二人に声を届けている。彼女の使用する魔法をプログラム化しインプットした今の私はこれが可能。しかし彼女はこの戦艦の機能を知らない。だから声をかけるのわたしの役割――
きちんと説明してくれた長門に、ハルヒがやや戸惑いながら外部回線をONに切り替える。
「聞こえる? 有希」
『聞こえる。そちらは』
「こっちも大丈夫よ」
『あなたの方は?』
ん? 俺に聞いているのか? というか、ハルヒが聞こえているなら俺にも当然聞こえていることくらい長門にも解かっているはずだが?
『ええ、あたしの方も大丈夫よ。これで、もっと連携しやすくなるわね』
って、何だアクリルさんに確認していたのか。
俺は思わず苦笑を浮かべてしまったね。
『それにしても助かったわ。空飛ぶ魔法を使いながら攻撃をしてたからちょっと疲れてきてたのよ。でも、この艦隊のおかげで足場ができたわけだし、かなり楽に魔法を使えるようになるわ。あたしも、んで勿論、ナガトさんもね』
外部モニターに映るアクリルさんが俺たちの方を、正確にはコクピットに向けてウインクをしてくれている。
どうやら本当に俺たちは役に立っているようだ。こんな嬉しいことはない。
『そう。そしてこれで大技を使いやすくなる』
長門?
などという疑問はアクリルさんが放った魔法によって、驚嘆と供に解明された。
『スターダストエクスプロージョン!』
そう! あの銀河を駆ける数多の流星群を彷彿とさせる魔法が放たれたんだ!
撃ったのは勿論アクリルさんだ!
怪鳥群の一角に確実に大きな風穴を空ける! って、どうして今の今までこの魔法を使わなかったんですか!?
『簡単に言わないでよ。この魔法って三つの魔法を同時に使うようなものなんだから。空を飛んで、防御魔法を使って、コイズミくんの防御結界の威力を高める魔法を使ってたらこの魔法は使えないの。だって、あたしは複数魔法同時使用は五つだから』
『わたしにとってはあなたが五つの魔法を同時使用できることの方が信じられない。どうやっても、わたしは三つまでしか使えなかった』
『それも凄いわね。あたしたちの世界で複数魔法を同時使用できるのは、あたしを含めてたった四人よ。しかも三つ以上となるとあたしと蒼葉の二人だけね。魔法を使い始めてすぐのナガトさんが三つ使えることが驚き。ひょっとして魔法使いの才能あるんじゃない?』
『そう』
ううむ。思いっきり雲の上の会話だな。見ろよ。ハルヒだって目が点になってるぜ。
『それはともかく、じゃあナガトさんも当然いけるわよね?』
『もちろん』
どういう意味だ?
『スターダストエクスプロージョン』
んな!
長門が棒読みに呟くのが聞こえてきたと思ったら、またもや流星が放たれたんだ!
もちろん、怪鳥群の一角が完全に吹き飛ぶ!
って、凄すぎるから!
『キョンくんとハルヒさんのおかげよ。この戦艦が足場になってくれているおかげで、あたしたちは空飛ぶ魔法を使うことなく、攻撃に専念できるから』
『そう』
二人の満足げな声が聞こえて、
「よぉし! なら、あたしたちも負けてらんないわよ!」
「ああ!」
ハルヒと俺もまた、いつまでも傍観者でいるつもりはなく、長門とアクリルさんを乗せたまま、再び怪鳥の群へと攻撃を再開する。
そうだな、こう表現しても間違いないだろう。
俺たちの快進撃が始まった、と。