涼宮ハルヒの遡及Ⅲ

 

 

「え……? この世界に来るまでにいくつかこの世界のパラレルワールドに行ってたって……?」
「そういうこと。まあ、あたしはキョンくんとあんまり関わりがなかったんで別の世界に着いて、あたしの知ってるキョンくんじゃないって判断できたらさっさと戻ったんだけどね。蒼葉の方は少し関わってきたみたい」
「パラレルワールドって実際にあるんですか!?」
「だって、ここに行き来したあたしがいるし。なんならどんな世界だったか教えてもいいわよ。あ、先に言っとくけど、基本的にはこの世界とほとんど変わんないからね」
「ふわぁ……でも、パラレルワールドってどうやってできるんですか?」
「ううん……これはあたしたちの世界の並行世界の論理に基づいた考え方になるんだけど……そうね。あなたたちにとって時間は可逆? それとも不可逆?」
 難しい話じゃないな。だいたいここにいる人間の内に一人、未来人さんがいらっしゃるし、それをハルヒも知っている。てことは不可逆なんて誰も思っていない。
「もっちろん! 可逆ですよ!」
 ほらな。ハルヒならこう答えるさ。
「なら話は早いわ。あたしたちの世界でも時間遡行は可能だと考えられている。でないと並行世界の根源の理論が成り立たないからよ。たとえば、キョンくん。あなたが時間遡行できるとする」
 どき。
 な、なんか見透かされているような気がしたんですけど……
「そんなあなたがある日、ケーキを食べたとするわよ。ただ、そのケーキが痛んでて翌日、腹痛を起こした。でも、その歴史は嫌なんで時間を遡って今度はケーキを食べないことにした。当然、翌日は腹痛を起こさない」
 だろうな。てことは歴史は変換され上書きされたってことだ。前に古泉の言っていた理論と言うよりもちゃちな推論と同じだな。
「ここで質問」
 ん?
「じゃあキョンくんが腹痛を起こした世界はどうなったと思う?」
 どう……って……歴史が変わったんだから無くなっちゃうんじゃね……?
「どうして消えてなくなるのかしら? ひょっとして一個人の力ってそんなに大きなものだと思ってる? 変えられたのは『キョンくんに関わった歴史』だけなのよ。それなのにこの世界――全宇宙を含めた想像もできないような広大な世界が上書きできるとでも? こう言っちゃなんだけどあたしも含めて『人間一人の歴史』なんて大宇宙から見ればチリの一つにすらならないわ」
「あ……それは確かに……」
 ハルヒが驚嘆のため息を漏らし、俺もまた愕然とした。
「そういうこと。この時間遡行ができる人が分岐点を創り上げて、そこから木の枝分かれのように、本当にほんの少しずつだけど新しい世界を形成していってる、これがパラレルワールド=並行世界の起源、って考えられているのよ。もちろん、分岐した側の世界は分岐前の世界よりも進んでいるし、これは時間が可逆じゃないと説明できない」
 てことはつまり、俺が腹痛を起こした方の世界も存在するってことになるんだ。いや待て、それじゃその世界の俺は? 居なくなるのか?
「さて、それはなんとも言えないわね。実際に、あたしは時間遡行、タイムテレポテーションの魔法は持ってないし結論付けることはできないんだけど、いちおーあたしたちの世界だと二つの考え方が存在しているわ」
「あ、それはなんとなく解ります! 別のパラレルワールドの本人が移動してくるか、それとも神隠し扱いにするか!」
 ハルヒの奴、即答しやがった。本当にこういう話になると目ざとい奴だ。
「大正解♪ まあ、これは本当に仮説の域を出ないんだけどね。だってどっちにも確証って論理が存在しないから」
 しかし、これはなかなか俺も興味深い話だ。
 去年の十二月に長門が改変した世界、あれは今でも並行世界として存在し続けているってことになるんだからな。今の話が事実だとすれば。
「そろそろ、その世界はどんな世界だったのか、を差支えなければ教えていただけないでしょうか」
 だろうぜ。この話は古泉の興味も引くだろう。
 こいつはなんだかんだ言っても『未知』が『現実』になったときにかなりの興味を示す。
 ある意味、こいつが所属する機関と敵対関係にあるはずの未来側のタイムトラベルに対してでさえ並々ならない関心を持っているからな。
「そうね……あたしが見てきた世界だと――まあ大抵はキョンくんとハルヒさんが付き合ってる世界が多かったかな? 毎回毎回キスしているようなのやら、それよりも深い関係になってあんなことやこんなことをしてるのもあったし、と言うか、バカップル化してんのが異様に多かった。んで、それに共通して言えるのはまったく人目を憚ってなかったってことね――って、どうしたのよ? キョンくん、アサヒナさん、ハルヒさん、顔を真っ赤にして俯いて」
 そ、そんな話されたら誰だって……! 見ろよ、古泉だって汗を滴らせながら苦笑を浮かべてるじゃないか。唯一、平然としているように見えるのは長門だけだ。
 もっとも、俺にしか分からんだろうが、その長門も少し困惑しているみたいなんだがな。
「な、なんであたしがあんたなんかとそんな関係になってるのが多いのよ……」
「俺が知るか」
 ハルヒの完全に意識してしまった強気なのにちらちら横見視線に俺も返す言葉がない。
「初々しいわねぇ」
「俺たちはまだ十代半ばなんです! そんな話に免疫があるわけないじゃないですか!」
 にこにこ笑顔のアクリルさんに俺は思いっきりツッコミを入れるしかできなかった。
 が、それでもその空気を読んでいるのかいないのかさっぱり分からん問いかけは意外な人物から発せられた。
「あなたが見てきた世界は理解した。では、あなたが先ほど言ったアオバなる人物が見てきた世界についての情報は?」
 そう、発信源はなんと普段は我関せず無関心を貫きまくる長門なのである。
 ん? 何でそんなことが気になるんだ?
「蒼葉が見てきた世界、ね……もしかして、あなたは何かに気づいているのかな?」
「そう。あなたからはわたしの匂いがする。理由を知りたい」
 匂いだと?
「彼女からはわたしの存在形態パターンの残留痕跡を感じる。それは端的に表現すると『匂い』。しかし、語弊があるが、わたしは今日初めて直接、彼女と出会った。と言うことは、可能性としては彼女は別の並行世界のわたしと遭遇したと予測できる」
 なるほど。
「その通りよ。別の並行世界のあなたがあたしたちの世界に迷い込んだの。まあ世界が違っても本人は本人だからね。自分自身をあなたがあたしから感じても不思議はないわ。あーでもその因果は言わない方がいいのかな?」
 ええっと、その言い方は余計気になるんですが?
「本当に知りたい? さっきの話でさえキョンくんたちは付いてこれなかったのに?」
「……と言うことは、その世界では有希がキョンとただならない関係にあるってことなんですね?」
 って、おい! そりゃここにいる俺じゃないんだから、百獣の王・ライオンですらビビって逃げ出しそうな視線で俺を睨むなっての!

 


 とまあ結局、午前中はこうやって異世界の話と理論で盛り上がり、歌を一曲も歌うことなく過ぎ去っていった。
 ……なんか勿体なくないか?
 しかし……歌以上に貴重な話を聞けたと思えばそれはそれで得した言えないことも……
 で、なぜかは分からん。
 いや、分からんことはないわな。ハルヒがいれば厄介事というものはどんな状況からでも、あたかも餌に群がる鳩のようにどこかしらから集まってくるわけで、しかも、そいつらはまるで猿山のボス決めのように競い合い、勝ち残った『一番強力』な厄介事だけが俺たちの前に現れることを許されるという決まり事が存在するんだ。
 いいか。ハルヒの前に、じゃない。あくまで俺たちの前に、だ。
 つーわけで、いつも通り、もはや日常と化していると言っても過言ではない『厄介な』出来事が俺たちの目の前に現れたのである。
 UMAとか心霊現象とか言った特殊なプロフィールを持つ『者』なら話してみれば案外友好的かつ平和的に接することが可能なのかもしれんが、特殊なプロフィールを持つ『事柄』はどうやら勝手が違うようだ。
 しかも、今回はなんとハルヒも巻き込まれたんだ。
 いったい何がきっかけだったんだろう。
 もしかしたらこの会話がネタフリだったのかもしれない。

 


「……クリエイター?」
「そうよ。それだけ想像を強く望むなら紙上に表現すればいいじゃない。そうすればあなたの『想像』は文字通り、『現実』で見られるわ。頭の中に置いてたって誰の目にも――そしてそれを一番望むあなたの目にも留まらないわよ」
 不思議探索パトロール午後の部。
 今回はアクリルさんも含めて班分けしたのだが……アクリルさんもよく付き合ってくれるな。こんなことに。
 てことで、班分けは俺、ハルヒ、アクリルさんと古泉、長門、朝比奈さんになったんだ。
 まあそれはいい。それはいいのだが……「何か不思議なものを見つければいいんでしょ。で、それはどんなふうに不思議だったらいいの?」とアクリルさんが言ったことが問題だった。もちろん、ハルヒは自信満々にUMAとか心霊現象とか言い出したんだが……
 そう……あろうことか、アクリルさんは本当にソレ系を見つけてしまったのである……
 いや、見つけた、というのは表現が違うな。
 何と言うか……『出現』させやがったんだ……
「もうキョンくんも機嫌直してよ。反省してるから。あたしだってあんな騒ぎになるなんて思わなかったんだし」
 苦笑満面に俺に語りかけてきてくれたのはたぶん、俺の不機嫌極まりない表情が目に入ったからだろう。
 実は、俺とアクリルさんがハルヒの両端を固めているので、当然、ハルヒに話しかけていれば、何かの拍子がなくても俺が目に入る。
「そうですね。お願いですからもう二度とやらないでください。召喚魔法なんて」
「あははははははは。いやぁ、この子が『正体不明の生き物を探す』って言ったもんだからさ。なら、見つかればそれで目的達成できて、後の時間を遊べると思ったからよ。そっちの方がキョンくんも嬉しいんじゃない?」
 そりゃ否定はしませんが。
「いいじゃない。さくらさんはあたしのためにやってくれたんだから。それに、あの場にいた人たちの記憶って消したんでしょ。なら問題ないじゃない」
 ハルヒは思いっきり満足げな笑顔を浮かべている。
 問題とかそういうことじゃなくて、お前がこういう存在がいるってことを認識することの方が怖いんだから仕方ないだろ。
「それにしても、ああいう人に見えない霊とか妖怪って本当にいるのね。こういうのもなかなか面白いじゃない」
 ……こういうの“も”か。
 お前の口からこの助詞が聞けるなんてな。入学したての頃のお前はこういうもの“しか”追いかけてなかったってのに。
 俺はふっと自嘲のため息をついていた。
 ――心配いらないわよ。ちゃんとフォローしてあげる。教えてもらった手前、確かにキョンくんが恐れる気持ちも解るから――
 え?
 ――今、あたしはキョンくんにテレパシーで話しかけてる――
 そ、そうか……俺の頭の中に声を響かせたのはアクリルさんか……つか、こんな真似ができる俺の知り合いなんざ、ここにはこの人しかおらん。
 ふと、アクリルさんに目をやると彼女はウインクしてくれていた。
「でもハルヒさん。あくまであれはあたしがいたから出来たこと。要するにあれができるのは特殊な『眼』がいるってことね。見るためにそういう『眼』にできるのはあたしのような魔法使いだけよ。たまに『霊感が強い』って人がいるのも事実だけど、その人たちは自分の本当の『力』を自覚してないってことなのよね」
「そうなんですか? じゃあ、霊感が強い人って本当は魔法使い?」
「まあそうね。でも、それはそういう方面の魔法。ただ本人が自覚しないと自由自在に使えないし、ついでに自覚してもそれを自由自在に使えるようになるまでには相当の年月を必要とするわよ。なんせ色んな魔力の構成を理解しないとできないから」
「はぅむ……」
「あたしたちの世界でも『魔法』が認知され本当に使えるようになるまでに数百年の時間が必要だったもの」
「そっか。じゃあ、仮に今、発見できたとしてもあたしの生きている間はほぼ不可能に近いですね」
「そういうこと。もっとも遠い未来は分かんないけどね」
「そっかそっか、じゃあみくるちゃんに聞いてみようかな? 未来の世界に『魔法』があるのかどうか」
 やめとけ。というか時間遡行自体が魔法みたいなもんだろうが。高度に発達した科学は魔法と見分けがつかないって警句を聞いたことがある。
「確かにね。どっちも『人の力』が作り上げるものだから」
 アクリルさんが同意してくれますか。なんか違和感を感じるな。
「そういうものなんですか?」
「そういうものよ。だからね、さっきの話に戻るけど、本当にまったく白紙の状態から想像を短時間で現実化できるのはクリエイターくらいなもんね。なら即座に現実化を求めるハルヒさんはクリエイターに向いている気がする」
 ……それは色々な意味でヤバい表現なんですが……
「クリエイター、か……」
「小説でも漫画でも構わないわよ」
 つうか……ハルヒは文字通り『創造主』なのだが……
 いや待てよ。ひょっとしてアクリルさんの考え方はある意味、俺たちに平穏をもたらすんじゃないか? なんたってどんなにトンチキな妄想だろうと、それはすべて紙の上でしか起こらん訳だからな。しかも、『作家』ならまさに文芸部の通常業務だ。
「そうですね。やってみようかしら。何か面白そう。小説とか漫画を創作することが自分の想像を現実にする、なんて考え方、思いもよらなかった」
 おぉ! これは長門はハルヒの情報奔流の理屈を大好きな読書で堪能できるし、古泉は『役割』なんて(たまにバイトはあるかもしれんが)ウザったい使命からも解放されるし、朝比奈さんの未来に影響するものだけを労せず自分の意志で選べるじゃないか。んで、これでようやく何の特殊な肩書を持たない俺も単なる一高校生としてようやく一歩目を踏み出せるってもんだ。誰にとってもいいこと尽くめって気がするぜ!
「ん! じゃあ、まずは道具をそろえないとね! そうね、パソコンは部室にあるから、小説は差し障りないけど、マンガとなると絵を描く周辺設備が必要になるわね。スキャナとかペンタブとかソフトとか買いに行きましょう!」
 とびっきりの笑顔を浮かべたハルヒが俺の手を引っ張って量販店へと舵を切った。
 おう、俺ももちろん付き合うぞ。なんたってこれはこれまでとは違う、そして誰もが望む世界への第一歩なんだからな。

 


 結局、この日はお絵かきソフトを一通りそろえて終わった。
「あたしは何かプロットを考えてくるわ! 明日見せてあげる! てことで明日もここに朝9時集合よ! あ、さくらさんもいいですか?」
「まあ、構わないわ。じゃあ明日までこの世界にいてあげる」
「ありがとうございます!」
 そう言って、ハルヒは輝く笑顔を見せて帰宅の途に付いたのである。しかし、今からどこかに遊びに行くような軽やかな足取りだったな。
 んで、ハルヒが去ってすぐ、
「どうされたんです? 涼宮さん、いたくご機嫌のようですが。おまけに何かイベントを思いついたようですけど」
 などと爽やかスマイル超能力者が話しかけてきた。
 ええい! だから顔を近づけるな! 息を吹きかけるな! 気持ち悪いんだよお前は!
「そりゃお前、異世界人とのひとときを心ゆくまで堪能したし、UMAも心霊現象も見つけられたし、ついでにやってみたいことが見つかったからだろ。三つもあいつにとっての『楽しいこと』が見つかればそりゃ、あいつじゃなくても上機嫌になるもんだ」
 と答えて俺はさりげなく離れる。
「やりたいこと?」
「ああ。さくらさんがな、うまくハルヒの力をある意味、封じ込める提案をしたんだ。それをハルヒがえらく気に入ってな。もしかしたらこれからは異常現象が起きんかもしれん提案だったぜ」
「そうなんですか? でしたら僕もこれからは普通の一男子高校生として友との青春を謳歌できる日が来るかもしれないんですね」
 うぉ! お前! なんだその希望に満ち溢れた笑顔は!
「僕らの望みは現状維持、しかも涼宮さんが世界を揺るがすことのない無茶以上をしないとなれば、こんな嬉しいことはありませんから」
「具体的には何を涼宮ハルヒに吹き込んだ?」
 とと、長門がアクリルさんに聞いている。ああ、心配するな。ハルヒの情報奔流メカニズムの研究もできる提案さ。
「ん? 単にクリエイターになってみたら? って言っただけよ。そうすれば即座にあの子の想像が現実化するじゃない。無理に探さなくてもそこに現れるしね」
「なるほど」
 な、いいアイディアだろ?
「ええ、それは確かにすばらしいアイディアです! 紙の上で起こる超常現象であれば現実世界には何の影響も及ぼしません!」
 って、おーい古泉? 何かいつものお前と違うぞ?
「それじゃあとりあえずまた明日、ですね?」
 そうですね朝比奈さん。じゃあまた明日。
 そう言って、俺たちもそれぞれの帰宅の途に付くことにした。
 ちなみに俺は今回は自転車で来てない訳だから……
「そ、そんなにスピード出さなくてもよろしいですよぉ! あ、あと、絶対に手を離さないで下さいね!」
 ……再びアクリルさんと供に空中遊泳を満喫したのである……ああ、俺はぜっんぜん楽しくなかったがな……

 


 と、このときは本気で思っていたんだが……どうも俺はハルヒの力とやらをまだまだ過小評価していたらしい。
 それはアクリルさんも同じで、後々、自分の発言を激しく後悔したのではなかろうか。
 いや推測じゃなくて確信だな。アクリルさんも間違いなく後悔した。
 だからこそ、少し見落としがあったんだろう。
 それは突然訪れた。

 

 

涼宮ハルヒの遡及Ⅳ

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最終更新:2020年11月27日 22:27