涼宮ハルヒの遡及Ⅱ

 

 

 …… …… ……
 ああ、なんだ集合時間より一時間は早く着いたぞ。
 いつもは二十分近くかかる駅前までだが、空から一直線に来ればこんなに早いんだな。なんせ五分とかからなかった。
 と言うかアクリルさんの飛ぶスピードが速いんだろう。
 などと諦観している俺がいる。
「ふうん。あの時計で短針が九、長針が十二になるまでにハルヒって子が来るのね」
「ええまあ……」
「とりあえず待ちましょう」
「それはいいんですけど、『さくら』さん……」
「何?」
「俺たち、注目を集めてるんですが……」
 そう。うんざりしている俺とあくまであっけらかんとしているアクリルさんの周りには得体の知れないものを見る目をした人だかりができているのである。
「何で?」
「……ここはさくらさんが本来住む世界じゃありませんからね……『魔法』は認知されていないんです……」
「あ、そう言えばそうだったわね。でも安心して。それじゃ――」
 ん? 何だ? アクリルさん、左手を開いて翳しているし……って!
 その手から強烈な光が発せられる!
 うぉい! ただでさえパニック寸前の雰囲気満々なざわめきが沸き起こっているのに追い打ちかけますか!?
「心配いらないわよ。この魔法はメモリーリウィンド、簡単に言えば記憶を除去する魔法……じゃないか、記憶を巻き戻す魔法、の方が適切かな?」
 アクリルさんが説明を終えると同時に光が止む。
 刹那、人だかりは、「あれ? 何してたんだっけ?」「わたしは……」と呟きながら、まるで何事もなかったかのように四散していった。
 って、これは……?
「んまあ、さすがに人の記憶を操作する、なんて真似はそうそうできるもんじゃないからね。一応、そういう魔法がないわけでもないけどそれは催眠術や傀儡術に近いものがあって『覚める』と何の意味もなさないのよ。だから今のは記憶を前の記憶まで戻す魔法だったの。とりあえず、あたしたちが現れた時間前まで、ね」
 な、なるほど……あれ? でも、同じ光を見ていた俺はどうして記憶がなくならなかったんです?
「ふふっ。今の人たちはあたしだけを見たのかしら?」
 あ、そうですね。俺も見てますよね。
「そういうこと。記憶巻き戻し対象はあくまで『あたしとキョンくんを見た人』。なら、キョンくんが影響を受けないのは当然でしょ」
 相変わらず魔法ってのは凄い力だ。できることとできないことがあるのは仕方ないとしても通常、普通の人が持つ能力からすれば格段にできることが多いんだからな。

 


 はてさて、そんなちょっとした異常事態も文字通り、何事もなかったことにしたアクリルさんと俺は、ただただ待ちぼうけである。
 そりゃまあ仕方ないことで集合時間よりも一時間早く着けば当然の成り行きとしか言いようがない。
「ん~~~まだ二十分はあるわね」
 背伸びしながらアクリルさんが呟いております。
 ううむ……やっぱ背伸びをするとさらにその豊満な丸みを帯びたものが強調されますな……
 しかも山吹色のノースリーブシャツの脇からなかなか素晴らしい光景が垣間見えて目のやり場に困りますがな。うぉ? ひょっとしてノーブラってやつか? あ、臍も見えている。なるほど、胸が大きいと下に生地が収まり切らないってことか。
 ヘアカラーが黒になっているとまったく違う印象を受けるもんだ。と言うか、あのヘアカラーが異質過ぎるんだろう。
 などとアクリルさんは全く気付かないのだが、劣情に浸っていた俺の至福のひとときを吹き飛ばす音響が響いたのはこの時だった。
 着信、古泉一樹。
 ん? 何だ? どうした?
「もしもし?」
『おはようございます。古泉です』
 お前はどこぞのニュースキャスターか?
『いえ、まずは挨拶を、と思ったものですから。それよりもお聞きしたいことがあります』
 何だ?
『あなたの隣におられる方はどちら様ですか? 確認したところ、朝比奈さんも長門さんもご存知ない方ですし、佐々木さんでもありませんよね?』
 ん? ああ、この人は……って、お前らもう来てるのか? 集合時間までまだ二十分はあるぞ? いつもこんなに早いのか?
『そんなことはどうでもいいです。それよりもあなたの隣の人の方が問題です』
 は? 何でだ?
『……涼宮さんももうこちらにいらっしゃってるのですが……』
 古泉の声はなんとも触らぬ神に祟りなしっぽい口調だな。
 あーてことは……
 俺はこめかみにでっかい困った汗を浮かべて、
 ううむ……確かに背後からなんだか無言のプレッシャーに等しいどす黒いオーラを感じているような気がする……
「えっとだな古泉……ハルヒにこう言ってくれないか……?」
『僕の声が届くと思えないのですが?』
 まるっきり暗君の弑逆を決意した冷徹な奸臣のような声だぞ、おい。
『で?』
「分かった分かった。じゃあハルヒに替ってくれ。俺から話す」
『……分かりました』
 古泉の返事を聞いて待つことしばし。
『……ふーん……あんたなんかでもナンパが成功するのね……』
 第一声が思いっきり嵐の前の静けさなのですが? 五分後に雷付き暴風雨が来るのが解っていながら家に居ればいいのに血迷って雨具を持たずに外出した三分後の心境とはこのことだ。
 しかしまあ今回は後ろめたくなる理由はどこにもない。あるはずがない。
 って、今回“は”って何だ。俺は一度たりともそんな後ろめたいことをした覚えはない、はずだ。
「あー勘違いするなハルヒ。別にこの人はナンパした人じゃない。それよりも早くこっちに来いよ。この人はお前にも会いたいって言ってるんだ」
『あたしは別に会いたいと思わないわ』
 だから違うって。何、勘違いしてやがる。
 って、待て待てツッコミを入れるのは後にしておかないと、向こうがぶつ切りするかもしれないんだ。その前に用件を伝えないと。
 つーわけで俺は捲し立てるように言った。
「違うって。この人は蒼葉さんの友達だ」
『――!!』
 受話器の向こうかでもはっきり分かった。ハルヒの奴、驚嘆に絶句しやがったな。

 


「そう言えば、あの時はお互いによく顔は見えなかったっけ」
「うん。それに今日は髪の色も違ってたから本当に分からなかったんです」
 アクリルさんの涼やかな笑顔の感想にハルヒがはしゃぐ笑顔で相槌をうっている。
 場所はいつもの喫茶店、ではなく、駅前にあるカラオケボックスの一室。
 なぜこんな場所に居るかと言うと、ハルヒが異世界人とじっくり話をしたい、と言うのが一番の理由だからだ。宇宙人、未来人、超能力者に関して言えば、んなもん、部室でできるし、部室にはよほどのことがない限り、俺たち以外はいない訳だから他人の目を気にする必要はどこにもない。
 しかし、異世界人であるアクリルさんはそうはいかないんだ。学校に行く、という手もないこともないがそれではここから到着までの時間が馬鹿にならん。
 となれば少しでも早くハルヒの望みを叶えてやろうと思えば、周囲に気遣いのいらない俺たち以外は誰も来ない防音設備の整った場所が必要となる。
 それがこのカラオケボックスってことさ。
「あと蒼葉さんとはゆっくり話す機会はありませんでしたし、今回のチャンスは逃すわけにはいきません」
 ううむ。ハルヒの丁寧語というものはなんとも新鮮でかつ、どことなく違和感が溢れまくっている。
 まあ仕方ないよな。普段のこいつは遠慮という言葉からは一番遠いところに居る奴だ。生徒会長は勿論、軽音楽部の諸先輩方々にさえ無遠慮な言葉遣いなんだからな。
 だいたい、先輩の朝比奈さんに対して『みくるちゃん』なんて言ってる時点で常識に照らし合わせて論外としか言いようがない。
「ん~~~別にそんな大したことでもないと思うんだけど……」
「そんなことないです! だって異世界ですよ異世界! あたしたちはどうやったって今現在は異世界に行く手段がないし、来てもらわない限り会えないんですから! それに今回はさくらさんは時間制限がありそうなトラブルでこっちに来たわけじゃないんでしょ? だったら、ゆっくり話したいんです!」
 ふむ。異世界に行く手段がない、という常識をわきまえていることはどこかホッとするぞ。
「分かったわ。別に時間制限がないわけでもないけど慌てるほどでもないし。で、あたしに異世界……というか、あたしが住んでる世界の何を聞きたいの?」
 アクリルさんが降参を表現した笑みを浮かべてハルヒの提案を受けて入れている。
「ありがとうございます! それじゃ――」
 300W増しの輝く笑顔でハルヒは取材を始めた。

 

 

涼宮ハルヒの遡及Ⅲ


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