絶対にあそこにはあいつの家族がいなければならなかったんだ!。
誰だって、明日世界が終わると知っていたら、
それでいて自分が助ける手段を持っていたとしたら、
何はともあれ家族を逃がそうとするに決まってるじゃねえか!
「あなたは、涼宮さんが虐待を受けていたとかそういう…、」
「そんなわけがあるか!」
「やめましょう! これは我々が踏み込んでいいことじゃありません!」
かなりぼかした表現をしていたはずだったが、古泉が「虐待」という言葉を使ったせいで一気に露骨なものになってしまった。
今、不特定多数の人が聞いている。
店内の女どもが居心地悪そうにこちらを見ている。
あとでなんとかしなきゃならんな。
「わかった。」
あいつは宇宙人、未来人、超能力者、異世界人に会いたがっていた。
なぜ?
本来あいつはガチガチの不思議マニアというわけではない。
その証拠に今は不思議探索も当初の目的とは違い、なんだかリクリェーションじみたものになっている。
あいつが超自然のものに遭遇したがったのは、自分がそんな特別な体験をしたかったからだ。
自分だけが特別でありたい?
ふざけるんじゃねえ。
 
誰だってそうだ!
 
誰が五万人の中の一人でいたがる?
誰がちっぽけな存在で満足したがる?
誰だって特別な存在になりたいに決まってるじゃねえか!
おまえの言う通りだ。
誰であっても自分と等価交換できるモノなんか、この世のどこを探しても見つかったりしない。
それはいい。
問題なのはあいつが、自分の父親が隣にいるのにああ考えてしまったことだ。
あいつがまだ小学生、少女っていうより子供と言った方がいいような年齢だぞ!
父親にとって幼い自分の娘が特別な存在じゃなくてなんなんだ!
両親にとって特別な存在、それが全ての人間のスタートのはずだ。
だから他の49999人と自分は違うと信じることができる。
俺は左腕の時計をちらりと見た。
あいつが虐待を受けていたなんてことはありえない。
両親にとってあいつが特別な存在なのは確かだ。
しかし娘に自分が特別なんだと思わせることには失敗した!
俺達がやっていることは結局のところ、あいつの育て直しのプロジェクトでしかない。
まさしくあいつからの救難信号……、SOSだ。
「結局あいつの孤独っていうのは……、誰かに自分だけを認めてもらいたい、誰かに自分だけを見てもらいたいっていうあがきなんだ。」
だからジョン・スミスに、他の誰も考えそうにない特別な自分の思いを認められたと思えれば、孤独だったと信じないですむ。
「誰かに…?」
店長さんがこっちを見てつぶやいた。
「そう、誰かにです。」
俺でもいいのだろうか。
「だからもしその時がきたら、あいつの十二年間をとりもどしてやるつもりです。
生まれてからずっと孤独だったことなどないと信じさせます。
俺には切り札があるんです。
もしそれが俺でもいいのだとしたら切り札として生きます。」
「『好き』っていうの? それともキス?」
何を言っているんだろうか。この人は真面目なのか?
「切り札は一度返してしまえば終わりです。」
「まあ、何十回でも使えるカードは『切り札』じゃないわね。」
「俺が持っている唯一最強のカード…それは」
 
「おれの死体ですよ。」
 
「君、なんてこと言うの!」
 
沖縄に派遣された陸軍第三十二軍司令官牛島満は「おれが死んでも最後まで戦え」と言って自決した。
海軍沖縄根拠地隊司令官太田實は「沖縄県民の今後を頼む」と言って自決した。
牛島司令官の遺言のせいで生き残った兵士や民間人は降伏することができなくなった。
両者の違いは沖縄を本土防衛の捨て石とするという陸軍の方針と、沖縄決戦に全てを賭けて後のことは考えないという海軍の方針を反映させたものであり、単なるパーソナリティーの違いだとは言えない。
そして二人とも自分の死体を目的のために使ったことは同じだ。
 
「死体の持つカリスマを甘く見ちゃいけません。これほどあいつに影響を与えるものは無いと言っていいでしょう。」
 
朝倉が言っていたやり方だ。
情報爆発を起こさせる。
時間を巻き戻させるか。存在そのものを消させるか……。
 
「方法は言えませんがね。もしおれがあいつより先に死ぬはめになったら、あいつの無意識に対する俺たちからの影響、つまり自分は孤独ではないという思いはそのままにして、あいつの意識からおれのことをきれいに忘れさせます。
大丈夫です。うまくやります。
そうすればあいつは生まれてから今まで決して孤独ではなかった、そしてこれからも孤独ではないと信じることができます。」
 
「………やらないわよ、君は。」
 
「どういうことでしょうか。」
「君みたいなやさしい子が、あの子から君との思い出を取り上げたりはしないわ。」
「もしあいつが突然いなくなったら、おれはそんなことを信じず、みっともなく捜しまわるでしょうね。」
というより、やった。
鶴屋さんに腕をねじり上げられた。
朝比奈さんに殴られた。
長門を壁に押し付けてしまった。
谷口の胸倉をつかんだ。これはいいか。
「だから、それよりは……。」
あいつがそこまで無様なことになるとは思えないが。
「その時になったらわかるわ。」
その時か…。
そうだ、来るか来ないかわからないその時のことを考えている場合じゃなかった。
今やらなくちゃならないことがある。
「古泉、180度反転して新正面に正対する。」
電話の「切」ボタンに指を当てた。
「作戦行動に入る。」
ブツッという音がしたと同時に声がした。
 
「聞こえてる?」
 
びっくりするじゃねえか。
電話っていうのは着信音がして、受話器を取って(スピーカーボタンを押して)はじめてつながるものだ。
「あなたが古泉一樹と急を要しない問題についていつまでも話しているから。
シュリ―フェン作戦はスピードが命のはず。
涼宮ハルヒを落とした以上はさっさとわたしを攻略するべき。」
落としたとか攻略とか言うんじゃねえ。
「あなたに聞きたいことがある。」
何でも聞け。どうせ俺はここから逃げられないんだ。
「あなたが涼宮ハルヒに与えたもの。」
「世界がどうとかそういうことか。」
「違う。」
「俺は形に残るものをあいつにやったことなんかないぞ。」
「あなたは食べてなくなってしまうものしか彼女に与えていない。
涼宮ハルヒはそれを不満に思っている。」
俺にさんざん飯をおごらせても喜んでいないということか。
「だいたいあいつがモノなんかもらってよろこぶか?」
「喜ぶ。あなたから貰えたものならなんでも喜ぶ。
本当はあなた自身を部屋に置いておきたい。」
やっぱり俺は所有物か。
「しかし現状では不可能。
だから会えない時、あなたを思い出すきっかけがほしい。
人は何のきっかけもなく思いを呼び起こすことは難しい。
それは見て触れることができるものでなければならない。
ちょうどあなたが彼女の水着姿の写真を大切にしているように…。」
「………。」
「少しニュアンスが違った。あなたは写真を見て彼女を思い出しているだけではない。
彼女の代用品にしている。」
「そんなことを言いたくて電話してきたのか?」
「ジョーク。」
「おまえな…。」
「わたしはあなたからもらった物が一つだけある。
会えない時にあなたを思い出させてくれるもの。
キリスト教徒が十字架を見て神をイメージするように。
仏教徒が仏像を見て浄土に居るような気持ちになるように。」
…なんだか偶像崇拝じみた話になってきたな。
「遺族が遺影や位牌を見てその人を思い起こすように。
これはわたしにとって、あなたの魂を呼び出すための憑代。」
………おれ、生きてるんだけど。
「あなたが作ってくれた図書カード。
これだけは涼宮ハルヒにはまだ与えられていないわたしだけの特権。」
「ずいぶんつまらんもんだな。
タダだし。」
左腕の時計を見たくなったが我慢した。
「おれが作ってやっただけでおれからもらったものとは言えないかもしれんし。」
「もう一つあったことを思い出した。」
「おまえに何かやったか?」
「あのルーズリーフ。」
「………。」
「その物にその人がどんな形であれかかわっていればそれでいい。
ドラマがあればいい。
高価なものである必要はないか、高価なものならそれはそれでいい。
それを手に入れるために努力したこと自体がドラマになる。」
店長さんが大きく頷いた。
こういう思想が男に金を使わせているんだぞ……。
「おまえ、何かほしいのか?」
カレーと図書館ではダメなのか?
「そうではない。
あなたに聞きたいとことがあると言ったはず。
あなたが涼宮ハルヒだけに与えたものがある。」
モノなんかやってないってさっきおまえが言ったろ。
「目に見える物体ではない。
あなたに必要とされるということ。
あなたに求められるということ。
誰よりも一緒にいたい、と思われること。
有機生命体の男性から女性への最大の贈り物。
この星の弓状列島の住民が千年以上かけて作った言葉を借りるなら……」
 
「恋。」
 
「なぜあなたが彼女にだけそれを与えたのか、それを聞きたい……。」
「そんなこと聞いてどうするんだよ。」
「ただ、聞きたいだけ。
なぜあなたはわたしにはそれを与えてくれないのか。
わたしはあなたに心を与えた。
心を与えられたら次にそれがほしくなるのは自明の理。」
店長さんの方をちらりと見てみた。
困ったような表情をしている。
「だいたいあいつはそんなもの欲しがってないぞ。」
「彼女は関係ない。これはあなたとわたしの問題。」
おまえ一人の問題だろ。
とはもちろん言えない。
「それはわたしが……、人間ではないから?」
「おまえは人間にしか見えないぞ。」
「わたしの今の姿は仮のものでしかない。本来わたしは思念体の一部。概念だけの存在。」
「おまえは、俺が朝倉みたいな奴にまた襲われることがあるのかと聞いた時、なんと答えたか覚えているか。」
「あたしがさせない。」
「おまえは思念体の意思ではなく自分がやると言った。
自分というものがあると宣言した。
親の一部ではないと自覚していた。
すでにおまえにはあの時自我があった。
おまえはあの時、まぎれもなく感情を持っていた。
だからあの時すでに、おまえはまぎれもなく人間だった。
読書好きのおまえだったら知っているだろう。
人間たちのあいだで使い古された言葉だ。」
 
「我思う、ゆえに我あり。」
 
「わたしが人間……。」
「そうだ。」
 
「では……、わたしの胸が小さいから?」
 
……シリアスからいきなり脱力させるんじゃねえ。
「ふざけてるんだったら切るぞ。」
「ふざけてなどいない。わたしにとっては大きな問題。」
店員どもが大きく頷いた。店長がそれをあきれたように見ている。
「先々週の水曜日の団活のことを覚えている?」
「いきなり立ち上がってこっちに来たから何だと思ったら、本のカドで殴りやがって…。」
「あなたはあの時、いつものように朝比奈みくるの胸をぼうっと見ていた。
それに気づいた彼女は照れてうつむいた。
あわてて視線をそらしたあなたは涼宮ハルヒの方を見た。
涼宮ハルヒはあなたを睨み付けながら胸をぐっと突き出した。
あなたはそれを見てニヤリと笑った。
涼宮ハルヒはフンと鼻を鳴らしてそっぽを向いた。
次にあなたはわたしの胸を見て小さくため息をついた。
ぶっ叩きたくなった。」
よく見てるな。おまえの観察対象はハルヒじゃなかったか。
店の中のある傾向の人たちがこっちをにらんでるぞ…。
「あのな、こういう言い方をすると語弊があるかもしれんが、俺はおまえら三人の中でいちばん朝比奈さんに女を感じていない。」
比較の問題ではないかもしれんが。
「あなたはわたしたちに隠れて朝比奈みくるとデートをしていた。」
結局そこにもどってくるのか?
「だから! デートじゃねえって! 何回言えばわかるんだ! おまえもハルヒも!」
「何十回言われても納得できない…。」
「結局君のその軽率な行動が全ての引き金になったってわかってる?」
わかってますよ。
「逆説的な言い方になるかも知れんが、朝比奈さんに女性を感じていないからそんなことができた。」
「説明を。」
「朝比奈さんっていう人はなんていうか…、生きた女性っていう感じがあまりしない。
少なくともおれはそう感じている。
俺にとって…天使というか美の女神というか…、ボッティチェリのビーナスというか…。
文字通りの高嶺の花というか…。」
「ここにいない人だからって好き勝手に言うのは感心しないわね…。」
悪く言ってはいないぞ。
「もしあの人に『汗を拭いて下さい』ってハンカチを差し出されたとしても、決して受け取ったりしないだろう。
なんていうか……、絶対に汚したくないというか……、そんなことはできないというか……。」
ハルヒとは違うな。
あいつはいつか自分の手で汚したいと思っている。
「できもしないくせに……。」
いつか、ですよ。
「俗っぽい言い方をすればだ。おれはあの人のことをテレビに出ているアイドルのように感じている。
あの人に毎日のように会っているということがなんだか信じられない。
サインを貰って床の間にでも飾っているのがおれにふさわしいような気がする。
だから一緒に待ち合わせをして出掛けたとしても、デートだとは思えない。
なんだかアイドルの追っかけをしているか、親衛隊みたいにくっついているだけのような気がする。
おまえは違う。」
あの閉ざされた空間でのたった一つの外とのつながり。
ディスプレーの黒い画面に浮き出された白い文字。
「おまえに『あたしがさせない』と言われた時まず思い出したのはそれだった。
だからこそその話はしないことにした。
………裏切りのような気がしたから。」
「朝比奈みくるとの逢い引きは涼宮ハルヒへの裏切りではなく、わたしと図書館に行くのは裏切り?」
「やっぱり……、おまえを女だと意識していたんだろう。」
「アメフトの試合にはわたしだけを連れて行けば用がすんだのに、あなたはわざわざ涼宮ハルヒと朝比奈みくるを連れて行った。」
「古泉も連れてったな。」
「彼はオマケ。オマケ以下。」
あいつは副団長だぞ。
「あなたが彼を邪険にあつかっているため、いつの間にか全員が彼を軽んじている。それでも涼宮ハルヒは彼が部室にいることを望んでいる。わたしたち三人とあなただけではみな緊張感に耐えられない。そういう意味で彼は必要。」
ひどい扱われようだ。
「あなたのせい。涼宮ハルヒはそれを憐れんで彼に副団長の地位を与えた。」
「そんなことはどうでもいい。アメフトに全員連れて行ったのは同じ理由だ。」
「ならばもう一度問いたい。あなたはわたしを人間だと認めてくれた。女だと扱ってくれている。胸が小さいからでもない。なのになぜ私には『恋』が与えられない?」
「どうしても言わなくちゃならんのか。」
「聞きたい。」
「おれはおまえには嘘をつかないぜ。」
「承知している。」
「これを聞いても傷つくなよ……。」
「了解した。」
 
「おまえがハルヒじゃないからだよ。」
 
「…………。」
「長門、『傷つくな』という命令を解除する…。」
立ち上がって電話をプツッと切り、しゃがんでコードを引き抜いた。
コード先の接続部品をかかとで踏みつぶした。
「君、なんてことするのよ!」
椅子にどっかりと座った。
「固定電話の通信回線の連結を解除しました。」
「自分が何をやったかわかってるの? 器物破損よ! 学校に連絡して処分してもらうわよ!」
「今はあいつの声を聴きたくないんです。」
あいつにこんなことをしても無駄だとはわかっているが…。
ハルヒじゃないからハルヒにしかやったものはやれない。
完璧なトートロジーだ。
雨が降るから天気が悪いと言ってるのと同じだ。
こんなことであの長門が納得するはずがない。
どこまでも論理的な奴だからな。
「いっそ警察の方がいいかもしれないわね!」
突然後ろからザワザワっていう声が聞こえた。
「い、いらっしゃいませ…。」
俺はそいつに背を向けたまま言った。
「おまえにもプライバシーっていう概念はないようだな……。」
電話じゃなく、この空間そのものに干渉しやがったな。
「迷惑だった……?」
右腕の肘から上を机の上に乗せて足を組む。
ボールペンが転がっているな。
だらしなく椅子に背をもたれかからせた。
自然に半身になる。
顔だけはまっすぐなままだ。
死んだままの電話を見つめながら言った。
 
「いいぜ、長門。おれとおまえの仲だ。」

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