「おいっ受話器を叩き切るな。それは長門ん家の電」
ガシャーン!
「話だ…。」
俺は小さくため息をついた。
「やれやれ。」
「君……、本当にあの子が君のことを忘れたかもしれないと思ってたの…?」
「あいつがさっきそう言っていたのを聞いていたでしょう? ずっと不安でした。」
「わたしたちは君があの子を一方的に突き放してからいきなり引き寄せるのは機嫌を取るためのテクニックなのかと思ったけど、本当はただのバカだったのね…。」
うわ、初対面の人にもバカって言われた!
「ちょっとくらい女が拗ねたからって、そのまま受け取ってどうするのよ…。
きっとあの子、自分の名前を忘れたとしても、君との思い出を捨てたりはしないわ。」
電話が鳴った。
通話ボタンを押した。
つい自分でやってしまった。
「あなたの勝ちです。」
おまえか、古泉。
「なんでおまえまでここに電話してくる。」
「携帯には出てもらえないと思いましたから。」
「スピーカーになってるんだ。話せないことはしゃべるな。」
「心得ました。」
「まだ半分だがな。おまえがのんきに電話をかけていられるっていうことは…おさまったのか。」
「見事なものです。一日に二度も涼宮さんを救うとは。」
「俺があいつを救ったんじゃない。」
「どういうことです?」
「あいつが祈ればおれを守れる。」
「当然です。」
「あいつはおれのことを忘れていなかった。」
「当然です。」
「あいつが俺を救ったんだよ。」
「涼宮さんがあなたのことを決して忘れたくなかった、というだけのことじゃないんですか?」
「あいつはそう信じてくれた。」
「あなたが信じさせたんじゃないですか?」
めんどくせえな、おまえも。
「今のおまえにいちばん必要なものは何だかわかるか?」
「うかがいましょう。」
「『割り切り』だ。」
「便利な言葉ですね。」
もともとおまえが言ったんだろうが……。
「しかし、あなたが今日負けてしまえば良かったとも思います。」
「何を言ってるんだ。」
「あなたはこの後、長門さんのバグをきれいに消去してしまうでしょう。つまりいつもの通り、涼宮さんと長門さんの両方を、最後まで守りきってしまうのでしょう。」
「文句があるのか。」
「あなたは今日、さっき自分で言った通り、涼宮さんか長門さんか、どちらかを決定的に傷つけてしまえばよかった。」
頭に血が上った。
「てめえ……。」
「どちらにしろあなたは、いつかはそれをやらなければならないのですから。」
店長さんがコクリと頷いた。
「なんでもかんでもおれにやらせやがって……、おまえがやれ!」
「あなただから許されるんですよ……。あの二人はあなたには何をされても、最後には許さないわけにはいかない。そういうさだめなんです。」
そんなことはない。
あいつはさっき「たとえおれでも許さない」と言った。
……おかしい。
何かが足りない。
さっきあいつの言葉をそのまま受け取ってはならないと言われた。
あいつの言葉を受け取るためには、もう一段階が必要な気がする。
まあいい。
「あいつはさっき、『誰かを傷つけたら自分が痛い』と言った。」
「なるほど、他人の痛みを自分の痛みとして引き受けるとは、さすが涼宮さんです。」
「おまえはもっと嘘が上手い奴だと思っていたがな……。」
「………。」
「本音を言え。」
「……涼宮さんらしくない、平凡な思想ですね。」
「そうだ。ものすごくチンプな言葉だ。そんなことはなぁ………」
 
「誰だって知ってる!」
 
「他人を傷つければ自分が傷つけられる。当たり前だろうが! 
生きているだけで誰かに傷つけられる。
生きているだけで誰かを傷つける。
だけど死ねばさらに誰かを傷つけることになる!」
 
朝倉のあの言葉を思い出していた。
 
「他人とまったく触れあわずに生きていくことなんかできない。
自分が傷つくことによって初めて他人を傷つけていたことを知る。
傷つけたり傷つけられたりしながら、のたうちまわりながら生きていくしかない。
のたうちまわりながら、他人との距離を測るようになる。
どこまで踏み込んでいけば人を傷つけるのか。
どこで踏みとどまったら、傷つけずにすむのか。
お互いに間合いを測りながら生きていく。
誰でも他人との折り合いをつけて生きていく。
なんであいつはおれと出会うまでそんなことさえ知らなかったんだ!」
「…………。」
「誰のせいだ…。」
「…………。」
「おまえらのせいじゃねえのか!」
「…………。」
「あいつのあの容姿で、あんな調子のことを続けていたら、ひどいいじめを受けていてもおかしくない。
しかしあいつの性格にはそんな陰が一切ない。
あいつがいじめられれば良かったとか、陰があったほうがいいとか言ってるわけじゃねえ。
問題なのは、あいつには被害者意識も加害者意識も全くないってことだ。
少なくともあの五月まではそうだった!
何故だ?
おまえらがガードしたな。
それもあいつのストレスになりそうなものを排除しただけだ。
ただ物理的にあいつから遠ざけただけだ!
あいつの目から、嫌なものが見えないように隠しただけだ!
あいつは、どんなに他人を傷つけていても、傷つけていることさえ知らされなかったんだ!
何がナントカ空間だ!
ストレスなんてものはなぁ、誰にだってあるんだ!
何であいつだけが特別なんだ!」
「しかし…、我々はそうするしか…。」
「あいつが『やる』前になんでアレが発生すると思う?」
「それは、そういうものだとしか……。」
「バカ言え。長門は何の前触れもなくやったぞ! 
おまえも言っていただろう。
いきなり改変してしまえばみんな最初からそうだったと思う。
誰も今の世界に疑問を持たない。
だったらそれはそれでいいじゃねえか。
本気でやるつもりだったら長門みたいにやっちまえばいい。
要するに、おまえらを脅かしてるんだ。
どうにかしろって脅してるんだ。
拗ねてるだけだ!」
「言い過ぎです! あなたがそんなことを言ったと知れば、涼宮さんが悲しみます!」
「俺には言う資格があるはずだぜ。
だけど拗ねてることが悪いわけじゃない。
誰にだってそんな気分の時がある。
問題なのはおまえらのやり方だ。
さんざん甘やかしやがって…。」
「あなたに言われたくありません!
結局今日も、あなたがどうにかしたじゃないですか!」
「だからやり方の問題なんだよ。
ニトログリセリンみたいな扱いをしやがって…
本当にそうなっちまったじゃねえか!
人間はな、ニトロみたいな扱いをされればニトロになるしかないんだよ。
おまえら、あのままでいいと思ってたのか?
あの映画撮影の時でさえ、
おまえが俺にあいつを許すべきだと言ったとき、
世界だの神だのそんなことしか言わなかった。
あいつの行動そのものの正当性について何も言わなかった。
純粋に一人の人間としての行為として見たとき、
先輩と友達を池に放り投げた、
純真な少女に酒を飲ませて濡れ場を演じさせようとした、
人間をオモチャ扱いした、
これがなぜ正しいのか言ってみろ!
得意の嘘で言いくるめてみろ!
おれを納得させてみろ!
今言ってみろ!
さっさとやれ!
言え!」
「あなたをだますなんてことができるわけがないでしょう!
あなたはその人の本質を一目で見抜いてしまいます。
だから夏合宿ではあなたに見破られているとも知らずに我々は茶番劇を続けていました。
あなたはベトンの要塞みたいな涼宮さんの精神の遮蔽物をわずか数週間で粉々に突き崩してしまいました。
三勢力ともあなたと接触したときは一切の嘘をまじえずに手の内をさらすしかありませんでした。」
「おれを持ち上げてごまかそうって言うのか?
そういうのが卑怯だっていうんだ。
だいたい嘘をまじえずにってなんだ!
朝比奈さんのことをフリだとかいいやがって…。」
「冗談だって言ったでしょう!
調子に乗って口が滑っただけです!
直前に言った涼宮さんをめぐる闘争については全て事実です。
そこまではあなたは黙って聞いていました。
だけど朝比奈さんの様子を演技だと言った時あなたはすぐに顔色を変えました。」
「結局あいつのあの時の行動の正しさについては何も言えないんだな。
おれがあいつを許す気になったのはおまえの下らない講釈を聞いたからじゃねえ。
谷口のおかげだ。
本当におまえらは何の役にも立たねえ。
だいたい朝比奈さんが好んであんなことをしていたと思っているのか?
仕事だからあそこにいただけだ!
ましてSOS団がなかった中学時代、あいつの周りから誰もいなくなっても当たり前じゃねえか!」
「仕方がなかったんです!
涼宮さんが今のようになるには、その人を傷つけることがすなわち自分が傷つくことなんだと思える人が必要でした。
あのころはあなたに頼るわけにはいかなかったんです!
中学時代の涼宮さんにとって、あなたはただの…。」
「アカの他人だな。」
 
「ただの初恋の人でしかありませんでした……。」
 
「そういうのをアカの他人っていうんだ!
いっぺん会ってあいつの言うことを聞いただけで、なんか責任取らされてたまるか!」
「あの、お話の途中で悪いんだけど…。」
店長さんが話に割り込んできた。
「君が笹の葉の季節に出会った女の子って……。」
「中学一年のころのハルヒですよ。
あの状況でわざわざ他の女の話をすると思いますか?」
「君ならやりかねないと思ったけど…。」
この人とは初対面のはずだけど、何でこんなことを言われるんだろう。
まあ、誤解を解いておこう。古泉は別にほったらかしにしておいてもいいだろうし。
「あいつが失った十五年のうち、三年間だけをとりもどしてやりました。」
「どういうこと?」
「そうは言っても、あいつの過去そのものに干渉したり、記憶をいじったりしたわけではありません。」
それはやったらいけないことだ。
「おれがやったことは、おれと出会う前の三年間がさびしくなんかなかったんだと、現在のあいつに信じさせただけです。」
ジョン・スミスに出会ったことで、自分には味方がいたんだと信じさせた。
まあ、おまえがあの時のことを覚えていたらの話だが。
おまえは忘れてはいないのか? あいつはおぼえていたぞ。
「フン、君はまだそんなことを言ってるの?
何をえらそうに『さんざん甘やかしやがって』よ…。」
店長さんが小さくため息をついた。
 
「君がいちばんあの子を甘やかしてるじゃないの!」
 
あ、古泉と同じことを言われた。
長門にも言われたか?
「あの子があんなに繊細で傷つきやすくなったのはね、君があの子をガラス細工みたいにバカ丁寧に扱ってるからよ!」
「それは……、大切なものだから…。」
「限度があるわよ! 女の子はね、ガラス細工みたいに扱われれば本当にガラス細工になっちゃうのよ! 
本当に男って女を無責任に甘やかすのね。君も、この古泉君も…。」
あ、古泉と同じに扱われた。なんかイヤだ。
……今まで完全に「俺対店じゅうの女ども」だった空気に微妙な変化が生まれた。
店長以外の店員たちがなんだか複雑な表情をしている。
「あんたたちもあの子みたいに丁寧に扱われたい? やめときなさい。あとがつらいわよ。」
「まあ、今日は特別サービスです。あいつを怒らせちゃいましたからね。俺としてはあいつが俺に出会うまではひとりぼっちだったと思わせておいた方が都合がよかったんです。」
「そこまで突き放すことなんかできないくせに…。どうせここまで甘やかしたんだったら、残りの十二年間も取り戻してあげたら?」
「…………。」
「まあ、いくら君でもそこまではできないか。」
「できますよ。」
古泉はハルヒからいきなりいらん力を与えられた。
長門も朝比奈さんも命令によってハルヒに接触した。
おれは違う。
「おれは自分からあいつに声をかけました。おれは自分の意思であいつに近づきました。
ここまで関わってしまった以上、ほったらかしにするわけにはいきません。」
俺は振り返って電話のマイクにしゃべった。
「なぁ、古泉。」
「なんです?」
「おまえは、完全におれに下駄を預けてしまえばいいと今でも思っているか?」
「もちろん。」
「本来こんなことはおれたちの仕事じゃないと思わないか?」
「何を言いたいのかわかりませんね。」
「あの五月、なぜあそこに呼び出されたのがおれだけだったんだ?」
「あなたが涼宮さんに唯一選ばれた人だからですよ。」
「だから、なぜおれだけが選ばれたんだ?」
「珍しいですね、惚気るおつもりですか?」
「おまえはもっと嘘が上手いはずだ。嘘をつくなら本気でだませ。」
「あなたは何を言いたいんですか?」
「もう八ヶ月も前だ。機関でもあの事件のことを細かく分析しているはずだ。俺もあの時のことについてずっと考え続けてきた。俺が気付くようなことだ。おまえらなら他のデータとも照合して分析することが可能だ。」
「あなたが何を言いたいのか、僕にはさっぱりわかりません!」
「答えろ、古泉! なんでおれだけが呼び出されたんだ!」
「………。」
「どうしても俺の口から言わせたいらしいな……。」
「………。」
「やっぱり卑怯者だよ、おまえらは…。」
「………。」
 
「なんであそこに、あいつの両親がいなかったんだ!」
 

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