「ええと、本気ですか? ただでさえあいつの買い物は長いのに、今日は量販店に行った時より、デパートの婦人服売り場に行った時よりも長い…。」
「当たり前よ。ウチの店をナメないでね!」
店長さんが人差し指を突きつけた。
だから、誰かを思い出させないでほしいんだが。
店長に従えられた店員どもがうなずいている。
客の回転が遅いのが自慢なんだろうか。
ソバ屋とは違うな。
俺は事務所から店舗に連れ出されていた。
店の電話から、あいつを呼び出せということだ。
結局今日も俺は流されているな。
いつもと同じだ。
やれやれ。
店員どもがいるのは当たり前だが、客たちもいる。
さっきからいた客なのかどうか俺にはもちろんわからない。
しかし、全員女性客なのは同じだ。
俺の味方はいないだろうな。
電話がスピーカーモードになっているのは規定事項なんだろうか。
「長門、俺だ。ハルヒに代われ。」
「もう一度、有希と呼んでほしい…。」
「一回しか言わないって言ったろ。」
店長さんが話に割り込んできた。
「ああ、聞くのを忘れてたけど、君、長門さんの髪型は変えてないわよね。」
いきなり何を言い出すんだろう。この人は。
「変えてませんよ。こいつはずっとショートカットのままです。」
あれは変えようがないな。長門をポニーテールにしたいと思ったことはない。
というか、こいつは生まれた時からずっとあの髪型なんだろう。
「そう…よかった。」
何が良かったんだろう。不思議な人だ。
「眼鏡は外させましたけどね。」
急に店長さんの顔が安堵から怒りに変化した。
「外させたというか…、俺は『してないほうがかわいいと思うぞ』と言っただけで…。」
眼鏡属性という言葉を出すのはやめておいた。
「次の日からコンタクトにしてきたわけ?」
「いえ、次の瞬間から眼鏡をかけるのをやめました。」
こう言えば長門がわざわざコンタクトを作りに行ったわけではないということが伝わるはずだ。
「君…、自分の好きな子の髪型を変えさせていながら、他の女の子の眼鏡を外させたわけだ…。」
「なんか俺、悪いことでもしたんでしょうか。」
「思いっきり悪いことだわよ!」
眼鏡を外させるというのはそんなに悪いことなのだろうか?
長門にとってはそんなに面倒なことではないんだが、それを説明することは難しい。
しょうがない。ちょっと惜しいが…。
「長門。」
「なに。」
「おまえ、やっぱり眼鏡をかけろ。」
「了解した。」
バンッという音がした。店長さんがこっちをにらみながら電話が置かれた机を叩いている。目が怖い。
「やっぱり外せ!」
またバンッという音がした。どっちも駄目なのか? どうしたらいいんだ。
「了解した。」
スピーカーから、ガチャッ、という音と続いてグシャッという音が聞こえた。
「なにやってんだおまえ…。」
「眼鏡の部品構成の連結を解除した。」
「眼鏡を床に叩き付けて踏みつぶすのはやめろ。」
「だいじょうぶ。床の損傷はたいしたことはない。無視できるレベル。」
無視するな。
「壊す必要はないだろ。」
「あなたは眼鏡を外せと言った。ならばわたしにとって必要ないもの。自分にとって必要ないものを手元に置いておく意味がわたしには理解できない。」
「おまえには日本が世界に誇るMOTTAINAI精神を教えてやろう。」
普通、物っていうのは簡単に再構成できるものじゃないんだぞ。
だから日本人は昔から物を大切に扱えって言い伝えてきてだな…。
こいつは日本人ではないんだろうけどな。外国人でもないが。
しかし書類上一応国籍は日本国民になっているんだろうし。
「君が、さっきのハルヒちゃんと長門さんの両方にいい顔をしているのもMOTTAINAI精神なわけ?」
この人は俺には聞こえるがスピーカーには声が入らない微妙な位置をキープしているな。
スピーカー?
なんだか激しく嫌な予感がした。
「長門、おまえまさか、固定電話をスピーカーのままにしてないだろうな…。」
「あなたの命令が解除されていないため、スピーカーモードも解除していない。」
店長さんがまた話に割り込んだ。
「命令って…。」
「護衛だと言ったはずです。」
「護衛としてではなく、女として扱ってもらってもかまわない。」
「女って…。おまえいくつだよ。」
「三歳。あるいは五百九十七歳。」
そうだったな。
「おまえは十六歳だ。」
そういうことにしといてもらわないと困るんだが。
「あなたが決めたのならそう。わたしは十六歳。」
「なんていうか…簡単な奴だな、おまえは。」
「失礼なこと言うんじゃないわよ。素直って言いなさい。」
いや、ものすごく面倒くさい奴がそばにいるもんですから。
「それから『命令』って言うな。なんだか誤解される。」
「あなたとわたしの関係を考えるとこの言葉が一番しっくりする。」
「要するに護衛っていうことでいいんだな。」
「むしろ女として扱ってほしい。」
「おまえ、なんか変なスイッチが入ってないか?」
いつもと違って饒舌だし。
「あなたがあたしの名前を呼んでくれたから。」
あたしって……。
こういう会話を聞かれるとまずい奴がいるんだが。
「……そこに、ハルヒはいるか。」
「いる。」
「おまえさっきの、眼鏡をかける、外す、床に叩き付ける、踏みつぶすという一連の動作をハルヒの目の前でしたのか?」
「した。」
……まずい。
理由は自分でもわからないが、なんだかとてつもなくまずい気がする。
「長門、さっきの命令を上書きする。スピーカーモードを解除しろ。」
今さら遅いが。
「キョンー。有希の眼鏡外させたのは、やっぱりあんただったのね……。」
やっぱり。
「ハルヒ、おまえ眼鏡属性があったのか。すぐにかけさせるから…。おい長門、聞いてるか?」
「あんたねえ…。」
それでも怒るのかおまえは。
店長さんがまた机を叩いている。
「おまえがいやならすぐに外させるぞ。」
「……………。」
だから、おまえはめんどくさすぎるんだよ…。
ああもう、机をバンバン叩くな、うるさい。
「おまえは俺に何をさせたいんだ!」
「なんにもするな!」
おれはおまえの雑用係じゃなかったのか?
「もう一つあんたに言いたいことがあるわ。あんた有希に電話をスピーカーモードにさせる時、どうやってやらせたの?」
「カレーで買収した。」
図書館の話はしないことにした。
「それだけじゃないわよね。君はあの時、切り札だって言ってたわよ。」
また口から洩れてたか。
「あれは切り札っていうより諸刃の剣です。」
「あんたさっき、有希に下の名前で呼び捨てにしてあげたでしょ…。」
やっぱり。
さっきの長門の「もう一度有希と呼んで…」っていう発言を聞いてたな、こいつ。
「だれにでもいい顔をすれば自分が困ることになるのよ。この子がやきもち焼きなのは知っているはずよ。」
「ハルヒ、誤解だ。おれがユキっていう単語を口に出したのは事実だが、それは長門の名前じゃない。」
「だったら何よ!」
「窓の外見てみろ。」
店長さんが俺の背後を見て小さく叫んだ。
「うそ……。」
スピーカーから声が漏れてきた。
「雪…。」
おまえが降らせたんだけどな。
振り向いてウィンドーの外を見た。
粉雪が風に吹かれて静かに舞い散っている。
どこかの建物の屋上がふいに浮かんできた。
何かのフラッシュバックだろうか。
こんなことが以前にもあったような気がする。
無かったような気もする。
「君、この子に嘘をついたわね。事務所から外が見えたはずがないし、さっきの文脈では絶対に雪のことじゃないでしょ。」
「あいつは雪が降ってきたんだと信じました。」
ハルヒが信じたからこそ本当に雪が降った。
「さっきも言ったはずです。あいつがそう信じたからには、おれにとってはそれが事実です。」
「君だったら石でも卵だとあの子に信じさせられるんじゃないの?」
否定するのも面倒なのでこう言っておいた。
「褒めているわけではなさそうですね。」
「もちろん。」
「あいつは俺を信じざるをえないんですよ。」
おまえがおれを鍵に選んだのは「誰でもよかった」からだ。
しかし一度俺を鍵として設定してしまったからには、それを信じないわけにはいかないだろう。
人間は何かを信じなければ生きていけない。
全てを疑ったまま生きていくことはできない。
おまえは、自分の「鍵」を信じるしかない。
誰だってそうだ。
自分が手にしている鍵を疑ってしまえば安心ができなくなる。
「この子が君を『鍵』にしているのは信頼のあらわれなんかじゃなくて、覚悟のあらわれなのかもしれないわね…。」
よくわからないことを言う人だ。
それじゃあまるでハルヒが、俺になら裏切られてもいいと、覚悟を決めているみたいじゃないか。
「キョン…、有希の眼鏡を外させた件がまだ残ってたわね…。」
そっちもあったな。
やっぱり執念深いよ、おまえは。
「ハルヒ。俺、実はポニーテール萌えなんだ。」
「な、なによ急に。」
「いつだったかのおまえのポニーテールは反則的なまでに似合ってたぜ。」
「あんたそのセリフは…。」
「だからあの時のようにまた髪を伸ばしてほしい。出会ったころのようにな。」
今のおまえのアレはただのチョンマゲだ。
ヒソヒソ声が聞こえる。
「この子はもしかして、長門さんの眼鏡を外させたのを聞いてハルヒちゃんが拗ねているのを見て、ハルヒちゃんにもこの子のために何かできるようなチャンスを与えているわけ?」
「この子、本当に高校生? まったくずるい大人のやり方だわ。」
「しかも、眼鏡を外すよりもずっと面倒なことを要求しているあたり、相当な手管ね。」
うるさいぞ。おまえらいい加減仕事をしろ。
客は買い物をしろ。何しに来たんだ。
大体髪を伸ばすのがなんで面倒なんだ。
タダで伸びてくるものを金を出して切っているのをやめさせるだけだろうが。
だいたい髪型変えさせたことにしても、眼鏡を外させたことにしても、ほんの少し自分の好みに外見をいじっただけだ。
あんたらは知らないだろうが、こいつらはほとんど自分の外見にこだわってないんだぞ。
なんて口にしたらさらにヒンシュクを買いそうな予感がしたので黙っていた。
問題はハルヒがどう出るかだ。
髪を伸ばせと言って、涼宮ハルヒの出方を見る。
語呂が悪いな。
まあ、これは断られてもかまわないわけだが。
「そうね。まあ…、考えておくわ。」
「いや、今すぐにとは言わないよ。」
明日の朝になっていきなり髪が腰まで伸びていても困るしな。
「なるほど。たとえ断ってしまっても要求されただけでうれしいもんね。それで機嫌を取ろうとしているわけか。」
またよくわからないことを言っているな。
俺はあんたらよりハルヒの扱いに慣れているだけだ。
いきなり頼んでも却下されるだけだから、とりあえず過大な要求をして、その後にハードルを下ろす。
それだけだ。
「まあ、そんなことはいいんだ。それよりもう一度さっきのブティックに来てくれないか?」
「え? 嫌よそんなの。」
「なんでだ。」
「なんででも!」
なんでだ? ハードルを下げたらきっぱり断られたぞ!
またひそひそ声が聞こえる。
「やっぱりあんなことがあったんだから来にくいわね。」
「さて、どういうやり方をするのかしら、この子。」
どういうやり方も何も、ただ頼むだけなんだけどな。
「ハルヒ、頼む。俺を助けると思って助けてくれ。」
言い方が変になってるな。どうでもいいが。
「いや。」
「おい、ハルヒ。」
「絶対いや!」
「やっぱりおまえはめんどくさいな。長門だったら簡単なのに。」
「悪かったわね! 有希みたいに素直じゃなくて。だいたいなんであたしがあんたなんかの言うことを聞かなきゃならないのよ!」
「俺は今監禁されている。おまえが来ないとどうにもならない。」
「どういうことよ。」
「店長さんがおまえをここに来させない限り俺を説教し続けると言っている。」
「説教されればいいじゃないの。」
説教されればいいって…。
「おまえはおれが嫌いか?」
「………。」
急に黙りこむな。
「そういう卑怯な質問をするような奴は、大っ嫌い!」
いきなりしゃべりだしたと思ったら大っ嫌いって……。
傷ついたぞ……。
まあ、好かれているわけじゃないだろうとは思っていたが、大嫌いはないだろ…。
俺が左胸のあたりを撫でていたら店長さんが言った。
「なんでいまのやりとりで君が傷つくわけ? さっきの髪を伸ばせっていう話から君は完璧にわかっててやっているのかと思ったけど、そうでもないようね。」
無視しよう。今はハルヒだ。
「そうか。おまえは俺が嫌いなわけだな。」
「………。」
またしても黙りこむな。
「嫌いな人間がいるところには来たくないわけだ。」
「………。」
しかしどうしたもんかね、これは。
流れにまかせるしかないのか。
ほんと、ここまでこいつに流される人生ってのはどうかと思うが。
「だったら来なくていいぞ。」
「えっ…………。」
「来るな。」
「………。」
「来るな、涼宮。」
「………。」
「絶対に来るなよ、涼宮。」
「………。」
「どうした? おまえの望み通りのことを言っているはずだぜ。す・ず・み・や。」
「………。」
おまえは長門か?
「涼宮、長門に代われ。」
「スピーカーモードに…。」
「とっくにスピーカーをカットして長門から受話器を奪い取っているんだろうが。」
「ぐ………。」
「長門に代われ。」
「いやよ! あたしは団長であんたは雑用係なのよ! なんであんたがあたしに命令すんのよ!」
「そうだな。おまえが俺の言うことなんか聞くわきゃないもんな。たとえどんなことであろうとも。」
「………。」
その通りなんだが、言っててみじめになるな。
「長門、おまえがやれ。受話器は取り返さなくていいぞ。スピーカーのボタンを押せ。」
受話器なんかを通さなくても長門には聞こえているはずだ。
…ちょっと有希、なんでいきなりスピーカーを押すのよ…
という声が聞こえてきた。
スピーカーモードになったな。
この時のハルヒの姿がありありと見えてきた。
「おい。震えながらスピーカーを涙目でにらむんじゃねえ。………かわいいじゃねえか。」
しまった。つい本音が……。なんだかスピーカーから変な声が聞こえたな。
「うわあ、また不意打ち。今日二度目ね。」
「三度目よ。」
「どういうことですか、店長。」
「さっきハルヒちゃんが、『あんたのことなんか忘れたわよ』って拗ねたのね。
それでこの子はさんざん『おまえはおれのことなんか忘れていい』って言った後で、いきなり
『おれが覚えているから』って言って、ブツッって電話切っちゃったのよ。」
「思いっきり突き放した後でいきなり引き寄せるんですね。
どこで覚えたんでしょうか、この子は…。」
勝手なことを言ってるのが聞こえるな。
そんなことはどうでもいい。
っていうか、めんどくせえ!
「おいっ、やっぱり来い!
何でもいいから来い!
今すぐに来い!
とにかく早く来い!
早く来ないと俺は帰るぞ!」
机をバンッと叩いた。よく叩かれる机だな。
「急げ! 30秒以内だ!」
まずい。いつものハルヒのマネをしているうちに余計なことまで言ってしまった。
「ハルヒ…」
「なに!」
名前を呼ばれたぐらいでそんなにうれしそうな声を出すな。
 
「走れ!」
 
スピーカーからドタドタドタっていう音が聞こえた。
ガッ……バン……「いだぁっ……。」
ドアに頭をぶつけたな…。
「ドアを開ける前にチェーンを外せ。それからそこのドアは絶対に蹴飛ばして開けるなよ。」
店長がいきなり受話器を取った。
「あ、涼宮様でございますか。店長の神原でございます。先ほどはご来店ありがとうございました。彼はしっかり我々の方で引き留めておきますから、どうぞ涼宮様はごゆっくりおいで下さいませ。」
この「彼」というのが単なる三人称なのかそれ以外の意味を持っているのか…。
確認しないほうが良さそうだな。
「あのー。あいつに考える時間を与えるのはマズイんですが…。」
店長さんは受話器を握ったまま俺の方をにらみつけた。
「君ねえ、いい加減にしなさい!」
「我々の目的はあいつをここに来させることだったはずです。作戦目的は完全に達成しているわけですから、なんの問題もないと思いますが…。」
「やり方がひどいわ。何よ、『涼宮』って!」
「今、あなたも苗字で呼んでましたね。」
あいつは「涼宮様」で俺は「君」か。えらい待遇の差だな。まあ、あいつより下に見られるのはいつものことだが。
「わたしに苗字で呼ばれるのと君に呼ばれるのとでは、あの子にとって全く意味が違うわ!」
「こういうことですかね。俺の『作戦行動が不健全』だと。」
「不健全ね…。いい得て妙だわ。まさしく君の行動は不健全ね。君、やっぱりわかっててやってるんじゃないの?」
ナ・トラン将軍がカーツ大佐の作戦行動を評した台詞を引用しただけなんだけどな。
こういう人たちは戦争映画なんか見ないんだろう、きっと。
しかしあれはただの戦争映画じゃないんだが。
「いきなり『来るな』って言ってみたり…。」
「あいつが俺の言うことなんか聞くわけないでしょ。だから『来てくれ、頼む』って言って来ないわけだから、逆に『来るな』って言ってみたら来るんじゃないかと思っただけです。」
「だけど『かわいい』って言った後に『やっぱり来い』って言ったわね。」
「あれは落とし所というか、アウンの呼吸っていうか…。」
「結局最後には、あの子は君の言うことを聞いたわ。」
「違います。最終的にあいつは俺の言うことではなくあなたの言葉に従いました。」
「君が言ったからあの子がここに来る気になったのは誰でもわかるわ。結局君の言うことなら聞くっていうことじゃないの!」
「違いますよ。あいつは絶対、30秒以内にここに来たりはしません。」
「あのねえ…。」
本当に30秒以内に来られたら困るんだが。
「それで最後の『走れ』っていうのはなんなの!」
「あいつにうっかり『急げ』って言ってしまいました。そこで無茶をしないように、『急ぐためには人間は走らなくてはならない』っていう常識を思い出させただけです。」
いきなりテレポートでもされたらたまらん。
だからあいつの常識フィルターを発動させるために『走れ』と言った。
「まあ、走れっていうのは余計だったかもしれませんね。あいつが無茶をしてまで俺に会いに来ようだなんて思うわけがありません。」
「あんなに急がせて。あの子が事故にでも遭ったらどうするの!」
「あいつは事故に遭いません。」
そう望まない限りは。
ドアに頭をぶつけるぐらいのことはするだろうけど。
「あのね、君にあの子を呼び出すように言ったのは、君にあの子の機嫌をとってもらって、あの子に気持ちよくここに来てもらうのが目的なのよ。やっぱり君にはお説教が必要ね!」
戦術目的は達成されたけど戦略目的は達成していないということか。
戦術目的があいつをここに来させることであり、戦略目的があいつを気持ちよくさせること。
なんかちょっと違うような気がする。
「あれじゃあまるで脅迫じゃない。30秒以内に来なければ帰るぞって…。あの子に『俺が会いたいから来い』って言えばすむことじゃないの!」
「そんなやり方をしてたら十年ぐらいかかりますよ。」
「それでもあの子はそう言われたら気持ちいいはずよ!」
なるほど…そうか。
「フェチズムですね。」
まわりの女性陣が一斉に引いた。もう慣れた。
「あのさ、君があの子にさせたい服装って、何なの?」
なんで服装の話になるんだ?
「水着だって言いかけたでしょう?」
水着が嫌いな男はいません。
「それは服装が大事なわけじゃないわね。」
「ぐ……。」
「制服?」
「違います。」
制服マニアって、俺はそんなおっさんじゃねえ!
「体操着?」
閉鎖空間でのアレの前に、長髪のあいつがポニーテールにしていた体操着姿が浮かんだことを思い出した。
「………違います!」
「へえ、君って体操着フェチだったんだ。」
だから女どもめ、虫を見るような目で俺を見るなぁ!
「あの、あいつには言わないで下さいね…。」
あの時のおまえが浮かんできたのはポニテだったからだ。だんじて体操着のせいじゃねえ。
変態扱いされてたまるか。
「自分で言ってみたらどう?」
「殴られますよ…。」
「きっと殴った後に体操着に着替え始めるわよ。」
…やってみるか。
「だけどやっぱりあの子に言うのはやめなさい。営業妨害だわ。」
なんで俺の趣味がブティックの営業と関係あるんだろうか。
フェチズムというのは本来、「手段と目的が逆転すること」を指す。
たとえば女性を裸体にして性行為を行うことが目的のはずなのに、その手段であるはずの下着(を脱がす)が目的になってしまうことなどを言う。
確かに俺は体操着を着ているあいつは……好きだが、あいつの体操着そのものが好きなわけじゃねえ!
手段と目的の逆転といえば、日本海軍の大型駆逐艦の建造が挙げられる。
ワシントン軍縮条約の制限の中でアメリカ海軍と戦うために漸減作戦が生まれた。
その中で水雷戦隊における夜襲構想が生まれた。
しかし駆逐艦には外洋行動能力がない。
本来外洋に出ることができる船というのは、文字通り巡洋艦以上の艦種だ。
それでも日本海軍は外洋行動力のある駆逐艦を作ろうとした。
そのためにワシントン条約から脱退した。
本来漸減作戦はワシントン条約を遵守して戦うことが目的のはずなのに、その手段のはずの漸減作戦が目的と化し、本来の目的のワシントン条約が捨て去られた。
つまりこの場合で言えばあいつをここに来させるというのは手段に過ぎず、その過程において俺が機嫌を取ってあいつを気持ちよくさせるというのが目的だったわけだ。
しかしおれは「あいつをここに来させる」という手段を目的化してしまい、そのために「あいつを気持ちよくさせる」という目的を無視したことになるわけか。
まさにフェチズムだ。
と、いうことを言おうとしたんだが完全に誤解されている。
この店長さんも頭の良さそうな人だとは思うが、こういうことを知らないということは相当知識が偏ってるな。
なんだか今度は長門を思い出した。
まあ、そんなことはいいか。
電話は…つながったままか(電話料、いくらかかるんだろう?)。
「ハルヒ、まだそこにいるか?」
「………。」
もう出掛けたのか? そんなはずはないよな。
「事故に遭うなよ。ゆっくり来い。」
一応こう言っておこう。事故に遭ったらいやだと意識させておけば完璧だ。
「………。」
返事がないな。
「おい、ハルヒ。」
「もう一回『ハルヒ』って呼べ…。」
「ハルヒ?」
「もう一回だ…。」
「あのーハルヒさん?」
「『さん』はいらない。ちゃんと呼び捨てにしろ…。」
「あーもう。ハルヒハルヒハルヒ! これでいいだろ!」
まずいな。こいつに「考える時間」を与えてしまった。
「おまえはさっき、あたしのことを四回『涼宮』って呼んだ! 『涼宮』一回につき十回、合計四十回『ハルヒ』って呼べ!」
律儀に数えてたのか。
「ハルヒハルヒハルヒハルヒハルヒハルヒハルヒハルヒハルヒハルヒハルヒハルヒハルヒ……。おいっ、いい加減にしろ!」
「まだ十三回…。」
しゃべり方が長門みたいになってるぞ…。
「ほんと、めんどくさいやつだな、おまえは。」
「悪かったわね! 有希みたいに簡単じゃなくて!」
「いや、簡単なのがいいとか思ってるわけじゃないし。それに長門みたいなおまえなんてちょっと嫌だぞ。」
「それはあたしのような女が嫌だということなのか。」
長門、拗ねるな。あといきなり会話に入ってくるな。
「俺がそんなことを言うと思うか。それ以前に俺がそんなことを考えると思うか。」
「……思わない。」
「だったらそんな下らないことを言うな。」
「了解した…。」
「あんた、あっさりと有希の機嫌は取るのね。」
「おまえの機嫌を取るのは難しいんだよ。」
「悪かったわね。有希みたいじゃな……。」
さっきと同じだ。エンドレスが好きなのか? 
「ハルヒ。なぁハルヒ。いいから聞けよハルヒ。」
「ひとの名前を連呼すんな。」
さっきと言ってることが違うぞ。
「うれしいくせに……。」
あのー、長門さん…。
「だからだな、ハルヒ。」
「うれしくてたまらないくせに…。」
「有希ぃ? あんた、うらやましいんでしょ。」
「涼宮ハルヒ、調子に乗ると…。」
「なによ、やる気?」
「おいっ、おまえら…、そういう話は…」
「何よ!」
「なに…。」
「俺に聞こえないところでやれ!」
「あんたは黙ってなさい!」
「命令?」
二人して物凄い目でスピーカーを睨みつけている姿が幻視できた。
「か、かいじょ……。」
「だめよー。修羅場っていうのはね、男がいないと成立しないの。男の前でケンカすることに意味があるのよ。なんとか君がこの場をおさめなさい。」
おさめろって言われてもな…。
「長門、おまえにはあとで話す。ハルヒ、スピーカーをカットしろ。」
「なんであんたの言うことを聞かなきゃならないのよ!」
「おまえだけに話したいことがあるからだ。」
ちらりと店長さんの方を見た。受話器をこっちに貸してくれるつもりはないようだ。予想はしてたが。
「なんであんたが命令するのよ! まあ、電話に向かって土下座して懇願するのならば考えてやらないこともないけど…。」
「やりたかったらやれ。やりたくないんだったらやるな。どうせおまえは俺が命令しようが懇願しようが土下座しようが、自分がやりたいことはやるし、やりたくないことはやらない奴だ。」
おれとしてはどちらでもいい。
長門は電話の設定がどうであれ聞こうと思えば何でも聞くことができる。
おれとしてはおまえがその方が話しやすいと思っただけだ。
「あんたさあ……、そういう言い方ってずるいと思わない?」
それを聞いていた店内の女どもが全員首肯した。意味がわからん。
「あんたはあたしにやれって言ってるの? やるなって言ってるの? どっち?」
「………………………………………………………………さっさとやれ。」
「聞こえないわよ!」
「やれ!」
「わかった。ただし条件があるわ。そうしてほしいんだったら、あたしの質問に答えなさい!」
「なんだいきなり。」
「あんたさっき、大事なものだから守るって言ってたでしょ。だったらあんたにとっていちばん大切なものが何なのかを教えなさい!」
「なんでおまえにそんなことを言わなきゃならんのだ…。」
「あたしが知りたいから。」
あいかわらず唯我独尊な奴だな。
「そうだな。水と空気と食料だ。」
「それは無いと死ぬものでしょ。そういう意味じゃなく、あんたが大事だと思うものよ。」
「勉強道具。」
「ウソね。」
「パソコンとゲーム。」
それとパソコンに入っている、あのフォルダと…。
「あんたの部屋に隠してあるいやらしいDVDね。それ以上に大切にしているものって何なの?」
部屋を荒らしやがったな…。
「おまえ、これを聞くとドン引きするぞ。」
「あたしは今、ドン引きしたい気分なの。」
どんな気分だよ…。
そのまんま言うわけにはいかないな。ちょっとオブラートに包むか。
「おまえさっきハンドバック持ってたな。その中に入っている。」
「あんた、あたしのバックの中になんか入れたわけ?!」
「バカ言え。おれがおまえのバックに自分の物なんか入れるか。」
自動的に所有権が移ってしまう。
「あんたのモノなんかないのよ。あんたのモノはあたしのモノ。」
「……たしかに、それはおれのものなんかじゃないな。」
「あんた、自分の物でもないものが大切なわけ?」
「その通りだ。」
「意味がわからないわ。」
「とりあえず、バックの中に入っているものを一つずつあげていってみろ。」
「あんたさあ…、女の子のバックの中身が知りたいの?」
「おまえが言いにくい物はとばせ。その中にはない。」
「リップクリーム」
「おまえ、おれがおまえのリップクリームを大事に思ってるって言ったらドン引きするだろうが。」
「さっきそう言ったじゃないの!」
「もっと引くようなものだ。」
「歯ブラシ」
「リップクリーム以上に引くだろうが…。」
「そう言ったわよ、あんた。」
「化粧品?」
「俺がそんなものを大事にしてると思うか?」
「思わないわよ。…あんたが化粧してる姿を想像しちゃったじゃないの!責任取りなさい!」
勝手にそんなものを想像するな。
「他には?」
「携帯電話」
「おまえ、俺の携帯は平気で開いて見るくせに、絶対に自分の携帯は触らせないだろうが。」
「あたりまえよ。あたしが恥ずかし…くはないけど、団長様の私物は尊いのよ!」
「俺の受信メールと送信メールから始まって着信履歴とリダイアル、保存してある写真まで毎日チェックするのはよせ。」
「団員の素行を知っておくのは当然のことよ。」
「……それについてはおまえとは、後でじっくり話し合う必要がありそうだな。それはともかく他には何が入っている?」
「まさか……、お財布?」
「……………。」
「ちょっとキョン、なんで黙り込むのよ!」
「……………。」
「ああもう、わかってるわよ! あたしの財布があんたの役に立ってないってことぐらいはね!」
「大体おまえ、俺と出かける時財布なんか持ってたのか? 俺はおまえが財布をバックから取り出すところを一度も見たことがないぞ。」
「言い過ぎよ、バカ!」
「逆ギレするな。そうか、今日はブティックの支払いをしなきゃならないから珍しく持って来たのか。」
「あんたねえ……。」
「他には何かないか?」
「まさか…これ?」
「これって何だよ。」
「みくるちゃんの悩殺ブロマイド。手作り。」
「おまえ……、そんなもの持ち歩いてるのか?」
「悪い?」
「悪いわ! うっかり落として誰かに拾われたらどうする!」
「そうねえ、あんたのベッドの下に隠してあったDVDみたいな使われ方をすると困るわね。」
てめえ…。
「まさか…、この写真?」
「なんだ、長門のブロマイドか?」
古泉の写真じゃねえよな…。
「違うわよ! 他人のプライバシーにズカズカ入りこむんじゃないわよ!」
「おまえがいつ俺のプライバシーを尊重した?」
「あたしは団長で、あんたは雑用。団長のプライバシーは尊重されるべきなのよ!」
「俺はおまえにプライバシーという概念があったこと自体が驚きだ。」
「あんた、またケンカ売ってんの?」
「おまえが言いにくいような物の中には無いって言ったはずだが…。」
「あとは…、鏡ぐらいしかないわよ。」
「…そうか、やっぱりあったか。」
「何よあんた、鏡なんか大事にしてるの?」
「…………。」
「古泉君ならともかく、あんたがこういうものを大事にしてても笑えるだけだわ。」
「そうだな、その通りだ。」
「…………。」
たいそうな勢いでしゃべっていたくせに急に黙り込むな。
「おれもそう思う。」
「…………。」
「笑いたかったら笑えばいいさ。」
「…………。」
「だからこの話はこれで終わりだ。」
「…………。」
おまえはこの意味に気づく時が来るんだろうか。別に気づかなくてもいいが。
「あんた、何かごまかしてるでしょ!」
「いや、俺は本気だ。」
「あんたが鏡なんか大事にしてるわけないでしょ。本当のことを言いなさい!」
「なんていうか、頑固な奴だな。だいたいこんなことを聞いたって何にもならんぞ。」
「それはあたしが決めるわ。」
やっぱり独裁者だな。
「そこに何がある?」
「だから、鏡しかないわよ!」
「何が見える?」
「鏡しかないんだから鏡しか見えないわよ!」
「その無駄にでっかい目を見開いてよーく見てみろ。何が見えてる!」
数十秒の沈黙のあと「ひっ」という声がした。
さらにしばらくしてから小さな声が聞こえた。
 
「あっ、あんた…、こんなものが大切なの?」
 
「こんなものって言うんじゃねえ……。おれにとっては大事なものだ…。」
 
これを悪く言う奴は許さん。
……たとえおまえでもな。
だから俺は戦艦を守る駆逐艦なんだよ。
「不意打ち……じゃあないわね、これは。」
「むしろあの子が鈍すぎるんじゃないの?」
「さっきの試着室の会話からして、他のモノなんてありえないのに…。」
すっかりハルヒとのやりとりに夢中になって外野の存在を忘れていた。
そのまま忘れていられれば良かったんだが……。
と思った時。
 
「あんた……、これ、ほしいと思わないの?」
 
なななな、何を言い出すんだ、こいつは!

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