うららかな春の日。辺りが一気に色付き始めるこの季節。気温による激しい眠気を纏いながら俺は桜の木の下で芝生に寝転がっていた。
 近くでは大学生のサークルか何かが花見をしながら騒いでいる声が聞こえてくる。そんな喧騒を遮るように耳に声が降りかかってくる。
「あなたは相変わらずマイペースですね。冬眠から醒める動物達のようにもう少し活動的になられてはどうですか?」
 やかましい。俺にはこの緩やかで普通で平凡な日常が一番求めている物なんだよ。
 仕方ないだろ? 今、俺と話しているのは超能力者。少し離れて本を読んでいるのが宇宙人。半ベソかきながら走って逃げ回るのが未来人だ。その中でただ唯一凡人で普通人な俺。そんな緩やかな環境を求めるくらい罰は当たらないだろう。
 目を瞑る俺の側に喧しい足音が近づいてきて止まる。来たよ。こんな非常識な集団を作り出し、まとめている元凶の人間が。
「せっかく花見に来たのに何寝てんのよ。あんたもそろそろ走りなさい!」
 意味も無く走り回り、止まった挙げ句に吐いたのがその台詞か。全く自己中極まりない。しかし次の一言で俺も走り回ることになった。基本的にまだまだ俺もガキってこと何だろうな。やれやれ。
「鬼ごっこ開始! 一時間後に鬼だった人が晩ご飯奢りね!」
 透き通るような声でそう叫んだ女はしゃがみ込み、俺の頭を軽く叩いた。目を開けると色々と眩しい物が目に入り込み、眠気を軽く吹き飛ばしていく。
「キョンが鬼! 捕まったら襲われるわよっ!」
 ……どんだけ俺は変態扱いされてんだ。いい加減に泣くぞ。か弱い俺は。

 なんてことを心で呟き、跳ね起きる。そして走り出す連中を追いかけるために俺も走り始めた。明るく元気に咲く、桜の木を背にして……。


葉桜の季節


「毎日花見ってのもつまんないわね。どこに行っても大して変わり無いし」
 もはや定番の席となってしまった文芸部室の一番奥の席でハルヒが呟く。そりゃこの辺に咲く桜なんてほとんど同じ種類なんだから当たり前だろうな。
 ここ二週間くらいか。春休みを使い毎日のように桜の咲く場所を五人で回っていた。ある日は鬼ごっこ、ある日はケイドロ。またある日はフリスビーなんかもしたはずだ。
 春休みに俺が期待したことは睡眠そして平穏であったが、そんな物は我が団長は一切与えてくれず、真逆のことばかりを沢山押し付けてくれやがった。おかげさまで春休みの大半を消費してしまっている。
 休息の欲しい俺としては今日のようにボードゲームをしながらこの部屋にいる時間というのは非常に助かる日、ってことだ。
「それにしては物足りなさそうな顔をしてますね?」
 うるさいぞ古泉。人の心を勝手に読むな。そんなことは無い。物足りないのはお前のゲームの実力だけだ。
「これはこれは。手厳しいですね」
 苦笑する色男をあしらい、外を見て呆けるハルヒに目をやる。久々に見る憂鬱そうな表情は俺の視線を釘付けにするに足る代物だった。
 ……って何を俺はハルヒに見とれてるんだ。いや、見とれてる訳ではない。きっと心配しているんだろう。
 いつもあいつは何かやらかすから今回も暴走を止めなきゃいかんと思ってるんだ。そうに違いない。
 そんな俺の視線にでも気付いたのだろうか。ハルヒはこっちを一瞥して今度はパソコンの画面に目を移し、マウスをクリックし始めた。
 やはりまた変な思い付きを始めたのではないかと嫌な予感が胸をよぎる。
 

「あなたが涼宮さんに見とれてる間に残念ながら王手です。あなたらしくないですね。久し振りに僕の勝ちでしょうか」
 ふと左から聞こえる上機嫌そうな古泉の声で我に返る。たしかに板上で俺の王は銀色の何かに追い詰められていた。
 しかしもう一度だけ言おう。変な目でハルヒを見ていたわけでも見とれていた訳でもないということを把握してくれ。
 さて、問題はここからだ。あのバカ野郎は何を思ったのか。実は俺もわからん。ただ、アイツの発言だけは聞き取れたわけだ。しかも部室にいる全員がな。
「……キョン。デートに行くわよ。二時間後にいつもの集合場所ね」
 困るだろ? わかってくれ。しかもだ。言い放った直後に鞄を持って部室を出やがった。これは変な事が起こったと考えるのが妥当だろう。どういう訳だ。長門、古泉。
「……」
 相変わらず沈黙の宇宙人。
「今のは僕等でも解りませんよ。監視する立場としてもイレギュラー過ぎて対応策が出ません」
 やれやれと言わんばかりのジェスチャーを見た直後に俺は鞄を持って部室を後にしていた。何故かって? 決まってるだろ。うちの団長様を一秒でも待たせる訳にはいかないからだ。
 どんな理由であろうが待ち合わせになった以上、遅れたら待ち受けているのは死刑だからな。
 急いで帰宅し、着替えて待ち合わせ場所に急ぐ。二時間という時間を設定したということはハルヒも着替えているだろう。俺だけ制服だとカッコつかないじゃねーか。なんだよ。俺だって一応男だ。異論は認めん。
 結局待ち合わせ場所には30分前に着いた。もちろんハルヒが居るわけもない。缶コーヒーを買いベンチに腰掛けて待つ間、物思いに耽ってみた。
 やはり解らん。デートをすると言った理由。古泉でなく俺を選んだ理由。全く意味不明なままだ。
 何を考えてる。ハルヒ。
「別に。あんたにしては珍しいわね、あたしより早いなんてさ。デートには大事なことよ」
 忍者かお前は。全く気付かない内にハルヒは目の前にいた。私服で。
 

 薄暗くなりつつある中で、春っぽい暖色でまとめているハルヒは異常なまでに可愛く見えた。そもそも、美少女であるという事を忘れていた今までを恥ずかしく思うくらいにな。
「ほら。早く立ちなさい。行くわよ」
 ハルヒに手を掴まれて立ち上がると無理矢理に引っ張られる。行きたい所があるとは思っていたから抵抗は全くないが。


 春色のハルヒに連れられて着いた場所は見覚えのある場所だった。むしろ最近見た景色だと言い換えた方がいいか。明るさは全く違うが記憶は強い場所だ。
 最初の花見。鬼ごっこで倒れるまで走ったあの公園の、しかもあの時の桜の下だ。大きな違いは桜は綺麗なピンクではなく、緑の混じった俗に言う葉桜になっていることだろうか。
 徐にハルヒは地面に座り込んだ。それについて俺も隣に腰掛ける。闇の中で葉桜の下に座り花見か。悪くないな。良さはまだわからんが。
「……あたしね。夜桜とか葉桜とか好きなのよ。デートとはちょっと違うかもしんないけど、なんとなくあんたに見せたかったの」

 ハルヒは俺の心を読んだかのようにそう話し出した。ていうかだ、欲張りだなお前。葉桜と夜桜を同時に見ようなんてこと考えるとか。
「何笑ってんのよ。良いじゃない、手間が省けて」
「まあな」
 桜を見ながら適当な返事をするとハルヒはさらに言葉を継いできた。
「みんなが見る満開の桜より、誰も見なくなる葉桜の方がなんか新鮮でしょ? 夜桜もそう。たくさんあったら見るけどこんな一本だけなんて見ない。そんなの可哀想じゃない。見てれば綺麗なのに」
 確かにライトアップもされてない夜の葉桜は見れば見るほど綺麗に見えてくる。ハルヒの言葉に影響されたせいなのか、真面目に桜を見ているせいなのかは解らん。しかし目の前にあるこの景色は非常に心地よい。
「みんなは知ってるかもしれないけどあんたバカだからこんなに良いもんだって知らなかったでしょ? いつもは一人で来るんだけどしょうがなく教えてあげたんだからね。感謝なさい?」
 指一本で俺の頬をつつくハルヒは微笑んでいた。それはいつものシャーペン攻撃とは違う、寧ろ全てを包むような優しさすら感じる行為だった。
 ああ。そうか。こいつは共感して貰えたことに喜びを感じているんだな。他のメンバーは基本的にイエスしか言わない。唯一、ハルヒにノーを言う俺に共感されたのが嬉しいんだ。
 それと同時に誰かに自分の気持ちを伝えたかったというのもあるんだろう。こんなに良い物を知ってんだぞ、ってな具合にな。
「な、何ニヤニヤしてんのよ。あんたマゾ?」
 どうやら俺は知らない内に笑っていたようだ。よく解らないコイツを少し理解出来たのが嬉しかったのかもしれないな。上機嫌らしい俺は少し狂ったのだと思う。

 気が付いたらハルヒの顔はあの時の閉鎖空間を出る直前の位置にあった。フラッシュバックする記憶。感触。殴られないのは受け入れてるのか。それとも面食らっているのか。
 ……知らん。別に良いんじゃないか? どっちでも。しかも二回目にしてようやく気付いたようだ、俺は。自分が何を思って生活していたのかに。
 本当に不思議だの非日常だのはどうでもよかったらしい。ただ、その条件としてコイツが居なきゃダメだってだけで。
 ハルヒと居る延長線上に非日常があったってだけなんだな。気付くのに時間が掛かりすぎた。俺はどうやらハルヒを好きだったらしい。きっとかなり前からだ。
 顔を遠ざける。平手が来るのか? それともパンチか?
 予想していた幾つもの反応。そのどれにも当てはまらない、不思議な反応が俺の眼球に入り込んできた。
 苦しそうに息を荒くしていて、ボーっとするハルヒの顔。どうした?
「ど、どうしたじゃないわよ。長い。苦しい。ってか今の何よ。訳わかんないわよ……」
 お前はキスを知らないのか。俺の意識の中では人間の愛情表現の一つだと把握しているんだが。訂正はあるか?
 大きな溜め息が一つ。勿論、俺の身体から出た二酸化炭素ではない。
「そうじゃないでしょ、バカ。何のつもりよ。今のは。返答によってはあんたの子孫は残らなくなるわよ、エロキョン」
 こいつは解って聞いているのか。それとも俺が言うのもなんだが只の鈍感な女なのか。返事に詰まる事もなく俺の返した答えはこうだった。
「どうやら俺はお前を好きだったらしいぞ」

 人間、気付く瞬間なんて一瞬だな。そして気付いたら何だって出来るようだ。思春期における最大イベントの告白とやらは何の感慨もなく、勝手に口から出ていた。
 改めて思うと、もう少し雰囲気や言い方なんて良い物があったはずだろう。しかしボキャブラリーに欠ける俺にはこれが一番言いやすかったらしい。
「好きとか解んない。あたしにはさ。でも別に嫌じゃなかった。あんたにその……キ、キスされたのは」
 ほう。それで?
「多分、他の男だったら殴り飛ばしてると思うのよ。いつも通りのあたしなら」
 よく解ってるじゃねーか。正直俺も殴り飛ばされるんじゃないかと思っていたけどな。
「えっとさ、さっきあんた好きって言ったわよね? でもあたしはキョンを好きなのか全く解んないの。これってどうしたら良いのよ。教えなさい、バカキョン」
 おかしい話だ。好きだと告白した俺が相手のこれからの行動を尋ねられてるなんて前代未聞の出来事過ぎる。
 確かにハルヒの過去の話を聞く限りだと恋愛経験なぞ皆無に等しい。付き合ってすぐに振られたような奴もいるくらいだ。きっとまともに恋愛をしたことは無いのだろう。
 だからハルヒは迷っているのだと思う。ハルヒの視点から見た俺は恋愛の好きなのか、友情の好きなのか、はたまた嫌いなのか。何でも無い道端の石ころのような存在なのか。
 しかしだな。俺にだってハルヒとずっと一緒に居た男としての自負は有る訳だ。嫌われてはいないし、どうでも良い存在でも無いという自負がな。そんなの自意識過剰だって? うるさい。そう思うのは勝手だろ。
 だからな、俺はハルヒにこう言う訳だ。俺がこれから時間をかけてお前が俺を好きだって事に気づかせてやる。ってな。
 暗闇で見難いハルヒの表情はきっと赤くなっていたんじゃないかと思う。
「あたしがあんたを好き? そうなのかしら……。あんたが言うならそうかも」
 非常に素直だな。らしくない。そんなに信用に足る人間だったか? 俺は。
 なんて野暮ったいことは言わん。今考えたそんな思いの代わりにハルヒにさらに言葉を投げかける。
 ついでにだ。普通に恋愛を楽しむ事は普通じゃなくて面白いって事にも気付かせてやるよ。だから付き合え。ハルヒ。

 いつになく饒舌な俺。いつになく静かなハルヒ。そんな構図が崩れたのも俺がたった今吐いた恐ろしくクサい台詞が引き金となった。
「う、えぇっ!?」
 ハルヒは慌てふためきジタバタしている。そして俺はと言うとだ。すぐさま頭を抱えて絶賛自己嫌悪中だ。何故こんな台詞を吐きやがった。口が勝手に動いた。ハズい。死にてぇ。
 それから五分くらいだろうか。お互いに正気に戻った頃には肩がくっつくくらいの位置に座り直していた。
「意外に男らしい所あるわね。あんた」
 うるさい。ぶり返すな。ハズくて死にそうなんだよ。
「……信じてみるわ。あんたを。あたしはキョンを好き。だから付き合ってあげる」
 これはハルヒなりの照れ隠しなんだろうな。いつも通りの不機嫌トーンでそっぽを向きながら返ってきた返事はこれだった。
「ただしっ!」
 顔が角度を変えて隙間5センチくらいに近付いてきた。近いぞ。唾を飛ばすな。
「あたしに気付かせられなかったら死刑だからね!」
 静寂な公園にこの声は響きすぎる。さっきまでのトーンとは180度違う明るい声と共に唾と死刑宣告が飛んできた。
 はいはい。解ってるよ。どうせ拒否権なんて無いんだ。トコトンまでやってやるさ。
 ハルヒを捕まえて一緒に後ろに倒れ込む。目の前に広がるのは夜の葉桜だ。でもな、少し違うだろ。今までとは。頭の下には俺の腕があるからな。
「……そうね。むしろ全然違うかも。一人で見てきた葉桜は寒かったけど今は暖かい。不思議だわ」
 よかったなハルヒ。不思議なもん見つけられたじゃねーか。俺のおかげだ。
 なんて言いながら顔を傾けるとハルヒも同じようにこっちを向いていた。

「ほんとに。あんたのおかげかもね。キョンって魔法使いの素質あるわ。これからちゃんと訓練しなさいよ」
 言い終わった直後にハルヒは魔法を使ってきた。敢えてそれが何とは言わん。ただし、それは俺を幸せな気持ちにするのに十分な効果を持った魔法だということだけは教えといてやるよ。


 そのままハルヒと俺は気が付いたら寝ていたようだ。寒さで目を覚まし、遅い時間に女を連れてきた俺は親に怒られ、挙げ句の果てには二人して風邪をひいた。
 ちなみにハルヒは風邪が治った後に自宅へ帰宅していった。そりゃフラフラなままで一日家を黙って空けて帰れる訳ないよな。
 そして久し振りのこの部室に今俺はいるわけだ。もちろん俺が来る前に宇宙人、未来人、超能力者の三人は来ていた。
「おはようございます。涼宮さんとのデートは楽しかったでしょうか?」
 朝から爽やかすぎる笑顔を向けて開口一番それか。どうせ解ってんだろ。その顔が物語ってるだろうが。
 古泉は長門を一瞥し、軽く演技風に語り出した。
「『どうやら俺はお前を好きだったらしいぞ』」
 ……おい。
「……『好きとか解んない』」 乗っかるな、長門。そこまで知ってるとはお前ら盗聴でもしてたのか? 趣味が悪すぎる。つーか俺の恥ずかしい言葉を真似するな。
「盗聴でも趣味でもありませんよ。あなたには言ってあるはずです。僕達は涼宮さんを監視しなければならないことを」
 確かに冷静に考えるとその通りだ。監視が付いてるってことは間違いなく筒抜けだと言うことだ。そうか。解った。頼む、誰か俺を殺してくれ。

 

「正直な所、僕はあなたを見直しましたよ。男らしかったじゃないですか。おや? いつもの足音が聞こえてきたようなのでこの話はお開きにしましょうか」
 漫画のような擬音表現が出そうな音が近付いてくる。ようやく来たか。この様子だと風邪はしっかり治ったのだろう。結局帰ってからは連絡なぞ寄越さなかったからな。扉の外にいる奴は。
 何を愚痴っているのかって? 決まってんだろ。早く顔を見たいだけだ。だから扉の前で1分も止まってないで早く空けやがれ。
「おはよっ!」
 相変わらずの喧しい声。いつも通りだ。しかしだ、その後にとったコイツの行動はいつも通りではなかった。
 指定席に行き鞄を下ろす。そして何故か俺の後ろに来る。いきなり顔を近付けては耳元で囁いてきた。
「携帯取り上げられてただけなんだからね、連絡しなかったのは。一つだけ良い事教えてあげるわ。あたしね、ほんの少しだけ寂しかったわよ」
 それだけ言うとハルヒは俺にスリーパーホールドをかけ、みんなに向けて大声で話し始めた。
「お腹空いたわね。昼ご飯行くわよ! キョンの奢りで!」
 入ってきて一番目の指示がそれかよ。まあ許してやろうじゃないか。今日は周りが明るい分だけ照れ隠しというのがしっかりと解るからな。
 学校から出て昼飯を食べに行く為に坂を下る途中だ。ハルヒは急に何を思ったか手を握ってきた。
「……サービスよ」
 はいはい。そうですか。ありがとさん。ハルヒ。
 特に拒否もせずそのままで歩く俺は少し春の心地よさにあてられたのだろう。暖かさに浸ってたいみたいだ。
「あ、葉桜ね」
「そうだな」
 ハルヒと一緒に居るがゆったりとしたこの空間。これからはこれを失わないように訓練しなきゃいかん。魔法のな。
 そう思いながら坂を先に下る奴らが見えなくなったのを確認してハルヒに口付けをした。うむ。やはり甘いもんだ。


おわり


|