涼宮ハルヒの切望Ⅶ―side H―


 だ、だめなの……!?
 あたしたちの中心で光の靄がうねっているんだけどあたしの顔くらいまでの大きさで、これ以上は全然膨れ上がらないし……
「迂闊……」
 有希?
「わたしの判断ミス……こちらからだけでは扉は開かない……向こうから開く必要があった……この異次元穴(ディメンジョン・ホール)はこちらの世界の空間断層は突破したが向こうの世界にまで届いていない……しかしこちらの世界からではここまでが限界……なぜなら、わたしたちはこちらの世界の存在だから……」
 そんな……!
「な、長門さん! じゃあキョンくんはこの光の綿雲さんに気付いていないってことですか!?」
「おそらく……」
 みくるちゃんの悲痛の叫びに有希が鎮痛の表情で答えている。その視線もふさぎこんでいる。
「どいうことです? まさか、僕たちだけでは力が足りなかったということですか?」
「その認識は正しい。ただし『力量不足』と言う意味ではなく、『力の要因』が足りないということ」
 古泉くんもまた悲壮感を如実に表情に現わしていた。
「力はもう二つ必要だった……道筋を創造する者、空間を飛び越えられる者、異空間に侵入する者……そして……『道を拡大する者』、『扉を開く者』……この二つは向こうの世界からでないと不可能……わたしは能力を連結するしかできない……」
 有希が、あの有希が歯噛みしてる……
 てことはもう本当にどうしようもないってこと……?
 再び、あたしに喪失感による絶望が石を投げ入れた川面の波紋のように心の中で広がっていく。
 世界が色彩を失い……揺らぐ……
「す、涼宮さん!」
 みくるちゃんの泣き叫ぶ声の表情が見えた気もするけど周りの風景が遠くなっていくあたしにはそれを確認することができない……
 しかし――


 ――聞こえるか、ハルヒ!――


 突然、あたしの頭の中に声が響いてきた気がした。
 ははっ……あたしも末期症状ね……あいつの……キョンの幻聴が聞こえるなんて……
 ――こら! 誰が幻聴だ! しっかりしやがれ!――
「って、キョン! ひょっとして幻聴じゃないの!?」
 二度目に聞こえてきた声にあたしの意識は一気に覚醒した。
 あたしは気付けなかったけど、有希、みくるちゃん、古泉くんがあたしの反応に素っ頓狂に驚いた表情を見せていたらしい。
 ――そうだ俺だ。まさかそっちから俺に連絡を入れてくれるとは思わなかった! いや、これは誤解を招く言葉の使い方だな……よく連絡を入れてくれた!――
 キョンの声に如実に歓喜と安堵感が交錯しているのを感じ取れて、
「キョン! あんた今どこにいるのよ!? あたしが……あたしがどれだけ心配してんのか分かってんの!? ううん、あたしだけじゃない! 有希もみくるちゃんも古泉くんも鶴屋さんも妹ちゃんも……みんな心配してんだよ!」
 あたしは思わず涙を振り飛ばしながら叫んでいた。
 ――それについてはマジで悪い――けどな、俺もこっちでなんとかしようとしていたことだけは信じてほしい――
    まあ……結局何もできなかったんだがな……――
「す、涼宮さん、もしかして彼の声が聞こえるんですか……?」
 古泉くんが恐る恐る聞いてきた。よく見れば有希もみくるちゃんもなんだかあたしを異様なものを見る目で見てるし……
 ん? てことは今、キョンの声が聞こえるのはあたしだけ?
「みんなにはキョンの声が聞こえないの?」
 キョンは幻聴じゃない、って言ってたはずだけど……
 三者三様にかぶりを振ってるし。
「キョン! 確認するけど、今、あんたの声が聞こえるのは幻聴じゃないわよね!?」
 ――もちろんだ。と言うか、もう一回確認するような聞き方をしてきたってことはそこにみんないるってことか?――
「うん。有希もみくるちゃんも古泉くんもいるわ」
 あたしが答えて、なぜかしばし沈黙。
 キョン……?
 再び、今度は自信無げに問いかける。
 ――ああ悪い。どうやら俺の声がお前だけに聞こえるのは前に俺たちがもらったあの石のおかげのようだ――
 あの石!?
 キョンのセリフが生涯忘れることのできない小柄な左右で瞳の色が違う魔法使いを思い出させる。
 確かにあのとき、あの人からあたしとキョンは一つずつ不思議な小石を受け取っていた。
 ふと懐をまさぐり、それを取り出す。
 これはあたしとキョンが常に持っていることにしたもの。あの人のことを二度と忘れないために、と二人で決めたから。
 ――ハルヒ、覚えているか? あの石がテレパシーを可能にするものだということを。向こうの世界で俺たちは結局使わずじまいだったが、元に戻ったときに、あの石を介して俺たちの世界に別世界からの声が届いたことを――
 確かに、あの時はびっくりしたけど、確かにあの人から声が届いた。
 と言うことはまさか!
 ――その通りだ。あの石を通じて俺の声がお前に、お前の声が俺に届いているんだ。もっとも一つずつだから俺たち以外には俺たちの声は聞こえていないみたいだがな――
 どうしてだろう? 声しか届いていないのにあたしにはキョンがどことなく苦笑を浮かべているような気がする。
 ――ええっと……だな、ハルヒ! この石を介して今からこっちから道を広げてそっちに扉を開く……! って、あ、はい……?――
 ん? 何か急に歯切れが悪くなったわね?
 って、ちょっと待って。今、キョンの奴、何て言った? こっちの世界への扉を開く?
「ちょっと! どうしたのよ!?」
 あたしの声がどこか焦燥感を含んでいることは自覚していた。期待と不安が交錯しているといった感じのもので。
 ――いやすまん。ところでだなハルヒ、お前の前に長門と朝比奈さんと古泉がいるはずだ。その立ち位置はどうなってる?――
 立ち位置?
 ――そうだ。言っておくが俺の言葉を理解しようなんて思わなくていい。とにかく三人の立ち位置を教えてくれ――
 何それ?
 などと少々憮然としながら教えるあたし。
 ――だそうです。え? 俺はこの位置に? は、はい――
 ん~~~~~どうやら向こうでキョンは何かを指示されているみたいね。
 いったい周りに誰がいるんだろ? あ、ううん。居るのが『人』とは限らないか。んじゃ言い方変えて『何が』居るんだろう?
 ――ハルヒ! 立ち位置を少しだけ変えてくれ! 四人を結ぶ中心の位置から距離は同じで、だが、古泉と朝比奈さんの立ち位置は長門寄りに長門から60度ズラして、だ! それでもう一度、俺に声を届けたときのをやってくれ!
    たぶん、いや間違いなく、お前たちは異次元穴(ディメンジョン・ホール)を開けようとしたはずだ! それをもう一度やってほしい!――
 ――!!
 キョンが有希の言った『異次元穴(ディメンジョン・ホール)』という言葉を知っている!?
「有希! みくるちゃん! 古泉くん! さっきのをもう一度やるわよ! キョンが向こうから『道を広げて扉を開く』とかなんとか言ってるから!」
 あたしが手を振りかざして声を張り上げると当然、三人は戸惑いの表情を浮かべた。
 が、それは一瞬。
 有希が即座に真剣なマジ顔で、
「了解した」
 と首肯する。
「な、長門さん!?」「どういうことで!?」
 まあみくるちゃんと古泉くんは当然、そんな反応になるわよね。
「今、向こうの世界でもこちらと同じことを遂行していた。これがこちらの世界と向こうの世界が、端的に表現するなら、一本の細い道で繋がっている理由。しかしその確率は数的根拠で決して計ることができないレベル。なぜなら連絡手段のない天文学的な広大さと数を誇る異世界間で同時に同じことをやっていることは誰にも想像すらできないこと。そして今、涼宮ハルヒの言った言葉が意味するところは、向こうの世界に我々では足りず、故に我々が向こうの世界でのみ作用する望んだ『力』の要因――『道を拡大する者』、『扉を開く者』が居るということ。
 この機会は絶対に逃せない。次に同じことが起こ得る可能性ですら限りなく皆無に等しい」
 有希が毅然と告げると同時に、その断固たる決意を感じ取ったのか、古泉くんからもみくるちゃんからも戸惑いの感情を無理やり押し込めたのを感じ取れたわ。
 んで、あたしの指示に従って、古泉くんとみくるちゃんが少し立ち位置を変えた。
 そして、
「いいわよ! キョン!」
 ――おし! OKだそうです! いくぞハルヒ!――
 あたしの張り上げた声にキョンが応えると同時に、と言うか向こうでも周りにいる何かに促したみたいだけど……
 でもまあ今はいいわ。
 だって、またあたしたちから光が立ち上ったんだから!
 って、あたしからも!?
「ほ、ほえ!? 何これ!?」
「いったい何が!? これは先ほど以上の輝きと勢いが――!」
 と同時にみくるちゃんと古泉くんが今度は驚嘆の声をあげてるし!
 そして!


 あたしたちの中心でくすぶっていた光が輝きと大きさを増していく!


「う……!」
 思わずあたしは手を翳してしまう。だって、それだけ眩しいんだもん!
 って、これだけ眩しいってことはみんなはどうなってるの!? と言うか光で周りが全然見えないし!
 ――ハルヒ!――
「キョン!?」
 ――今から俺はそっちに手を伸ばす! んで、お前が俺を引っ張り出してくれ! 何、心配するな! こっちにお前が引きずり込まれることはない! 理由は俺にも説明できないが、とにかくお前は俺を引っ張ってくれればいい!――
「わ、分かったわ!」
 あたしは眩しすぎる光に抵抗するかのように、しかし手は翳し、瞼は半閉じのままで光の靄に正対する。
 既視感(デジャ・ヴ)――
 なんだか頭の中で鐘の音が聞こえた気がしたと思ったら、その光の中から確かにあたしにもはっきり認識できる!
 まるであたしを誘うような手が見て取れる!
 キョン――!
 さっきまでの眩しさもどこへやら、と言うか、その光を心地よく浴びながら、あたしは迷わず最高の笑顔で、光から差し出されたその手を取った――

 

 

 

涼宮ハルヒの切望Ⅷ

涼宮ハルヒの切望Ⅶ―side K―


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