涼宮ハルヒの切望Ⅳ―side K―


 確か、アクリルさんが来たところまでは覚えている。もちろんその後ろにネフィノスさんがいたことも。
 んで、アクリルさんから聞いたところによるとネフィノスさんはアクリルさんのアシスタント魔道士とかいう志願奴隷に等しい職に付いているらしく、蒼葉さんから見ればネフィノスさんは弟子とのこと。
 とどのつまり、蒼葉さんとアクリルさんがネフィノスさんに絶大な信頼を置いているのは、ネフィノスさんが二人にまったく逆らえないからだそうだ。
 ん? ちょっと待て。

 今、このネフィノスさんが俺っぽくて、加えて俺とハルヒの関係に似てないか、とか思わなかったか?
 言っておくが全然違うぞ。

 ネフィノスさんは無条件降伏だが俺はちゃんと異論反論を挟む。聞いてもらえた試しはないとしてもだ。
 何? それでも最終的にはハルヒの言いなりになってるから同じじゃないかって?
 いやまあ……それは否定できないが……あと、アクリルさんはハルヒと違って、ネフィノスさんにわがまま言ったり、こき使っているってわけではないようだし……
 って、そうじゃなくて!
 俺はまた、記憶が飛んで気が付けば朝になっていたんだ。
 いったいこれはどういうことなんだ?
 言っておくがこれで三日連続だ。
 最初はリラさんが酔った勢いで俺に酒を勧めているのかと思っていたがどうやら何か別の意図があると考える方が当然だろう。
 俺の記憶を消し飛ばす理由――
 別段、変な改造手術も施されていないようだし妙なチップも埋め込まれているとは思えないから今は浮かばないな。
 まあそれよりも、
「あの蒼葉さん……ここはいったい……」
「ん~~~ちょっと試してみようと思ってね。前回はここに来たのよ。でも、あの時は恋人や夫婦という関係を持つ男女三人以上だと危険って言われてたから私たちならどうかな、とか考えて」
 蒼葉さんがちょっと困った顔で説明してくれる俺たちの眼前には真っ白い霧に包まれて頂上は霞んでしか見えないが、それほど標高は高くなさそうな山が見えていた。
 んで蒼葉さんの隣にはリラさんがいる。
 つまり、俺、蒼葉さん、リラさんの三人の関係は男女ではないということになる。ま、当然だがな。
「んじゃ行くわよ」
 言って蒼葉さんが歩き始める。
「って、あの? 飛んで行けば早いんじゃ?」
「うん、それ無理」
 どこかで聞いたような言い回しのような……気の所為か? なんとなく変になった教室の中で場に似つかわしくないとびっきりの笑顔の同級生の顔が浮かんだんだが……
 いやいやそれよりも蒼葉さん、今、無理って言いました?
「理由はさっぱり不明だけど、ここで飛翔魔法=レビテーションは使用不能なの。だから自分の足で登っていくしかないって訳」
 そうですか。なら仕方ないですね。
 しかしまあ、まさかこんなところで毎日、北高強制ハイキングコースを歩いていることが活かせるとはね。
 人間、何事もやっていることに無駄なことはないんだな。


「どうやら正解だったみたいだけど……駄目か……」
 さしたる時間もかからず頂上に着いたのだが、蒼葉さんは悔恨の表情を浮かべるしかできなかったのである。
 確かに頂上に何事もなく着いたのである。そして今、俺の足元には異世界を繋ぐ扉、『ディメンジョンサークルポイント』が見えているのだがうまく発動しなかったのだ。
 理由は蒼葉さんが話してくれた。
「異世界に飛ばすにはやっぱ私とアクリルでのフュージョンマジック・テレポテーションが必要みたい……リラさんの力は小さくないんだけどそれでも私とアクリルに及ばないことが災いした、か……」
「申し訳ございません……」
「仕方ないわ。また別の方法を探しましょう」
 歯噛みして伏せ目になっているリラさんに元気づけるような声をかける蒼葉さん。
 って、そんなに難しいことでもないでしょ? 明日にでも今度は蒼葉さんとアクリルさんで来ればいいじゃないですか。
「悪いけど、私はここにアクリルを連れてきたくない」
 あっけらかんと提案する俺の言葉を、蒼葉さんは強い意志を持って拒否した。
「どうして?」
「万が一の危険性を考えて、よ。さっきは『恋人や夫婦という関係を持つ男女三人以上』って言ったけど、もし、そうじゃないとしたら怖いからよ。アクリルが一番恐れている存在を考えるとね。
 さっき、中腹でくぐってきた洞窟なんだけど、入口が一つしかなかったでしょ。けど、場合によっては分断魔力によって二つにされて二組に強制的に分けさせられる。んで分けられた二組はそれぞれ分かれた側の誰かが一番畏怖する相手が幻影となって先の道を阻まれる。
 もちろん、倒せればそれで進めるわ。でもね、アクリルが畏怖する相手は半端じゃないの。前回はあなたとは別の異世界人が恐れている対象が現れたみたいだけど、それはその異世界人の畏怖の心がアクリルの畏怖の心を上回っていたから、と受け取れないこともないからね。
 だとすればアクリルの畏怖する相手は正直言って、私も怖い。キョンくんを守れなくなる可能性があるほどよ」
 あ、蒼葉さんやアクリルさんが怖がっている存在!?
 な、なるほど……確かにそんなものが出てくるよりは別の方法を探す方がいいですね……
「そういうこと。んじゃあ今日はもう戻りましょう。あ、と……リラさん、今日は大丈夫? 私もアクリルもちょっと行けそうにないんだけど……」
「……なんとかします」
「そう……んじゃあ任せるからね……」
「はい」
 ん? 何の話だ? なんだか今日のディメンジョンサークルポイント使用不可能よりもやけに深刻そうな会話じゃないか。


 などという風にいぶかしげに思った俺なのだが、それは他人事ではなかった。
 蒼葉さんが行けないと言ったときの、リラさんがなんとかすると言ったときの深刻な表情を浮かべた意味。
 それを悟った時、俺はおそらく生涯忘れることのない、あの十二月十九日の夜のことを思い出したのである。


 俺は猛烈に襲ってきた恐怖で意識が覚醒した。
「理解した?」
 抑揚のない棒読み口調。しかしそこには如実に同情感がにじみ出ている俺への呼びかけ。
 場所は昨日までも寝泊まりしていたホテルの寝室。
 しかし今日は、宣言通り、蒼葉さんが現れることもなく、むろん酒盛りがない状況で静かに寝床に就いたのである。
 ところがだ。
 俺は、これほどまでに俺の記憶を吹っ飛ばすほどの蒼葉さんが持ってきていた酒にありがたさを感じたことはない。
 絶望の地獄の淵から帰還したあの十二月二十一日。
 目を覚ました時に、いつもの古泉がそこにいて、ハルヒが俺の傍に眠ってて、朝比奈さんが涙ながらに病室に来てくれたあの日でさえ、これほどのありがたさは感じなかった。
 いや、ひょっとしたらこれは表現が違うかもしれないな。
 あの時は安堵したという気持ちの方が強かったんだ。
 だが今は違う。明らかにこの気持ちは『感謝』だ。
 こんな思いを抱くなら毎日でも俺の記憶を吹き飛ばしてほしいくらいだ。
「まあな……そうか……だから蒼葉さんは毎晩宴会して、アクリルさんはきみを俺の傍に置いたんだ……」
「そう。アクリル様も蒼葉様もこのことは知っておいででした。また私に説明してくれました」
「なるほど……きみが言った『体験して知るしかない』とはこのことだったんだな……確かにこれは聞かされたところで理解できないだろうぜ……」
 暗がりの部屋の中、俺は前を見据えたまま、冷たい汗を全身から噴出させてただただ荒い息を吐いている。
 正直、これは想像すらしていなかった。
 考えてみれば当然なのだが、俺にとってこの世界は俺の在るべき世界ではないまったくの異世界。しかも無事元の世界に戻れるかどうかすら今の段階ではひたすら怪しいんだ。
 つまりそれは言い換えれば、俺以外は知り合いもいなければ安住を約束してくれる帰る場所もない世界。
 就寝のため、目をつむり、すべてが闇の中に包まれたとき、こんな世界に俺はたった一人なんだと今更ながら実感した途端、とてつもなく怖くなった。
 もし、俺の傍にリラさんがいなかったら、いや、飛び起きた途端、リラさんが声をかけてくれなかったら俺はどうなっていただろう。
 気が狂ったように喚き散らし、泣き叫びながら、理解不能の行動をとったかもしれない。
 いや、『かもしれない』なんて生温い。
 間違いなくそれをやっていただろうぜ。
「対処は可能」
 何!?
 俺は即座にリラさんへと視線を向ける。
「今、あなたは孤独感に恐怖した。ならば孤独感を和らげることができれば恐怖は和らぐ」
 で?
「孤独とは仲間や身寄りがなく、ひとりぼっちであること。思うことを語ったり、心を通い合わせたりする人が一人もなく寂しいことであり、つまり、あなたの傍に向こうの世界のあなたの知る誰かがいればいい」
「そりゃそうだな……けど、ここに呼び出すなんてできないんだろ……?」
「本人はできない。しかし、あなたの心の内からイリュージョンとして呼び出すことはできる」
「イリュージョン?」
「幻影召喚。ただし、その幻影はただの幻影ではない。日が昇るまで消えることなく触れることもできるし、匂いと体温を感じることもできる。またその幻影は、あなたの知っている誰かの通りの性格を持って現れる」
 んな!?
「今、あなたが一番逢いたいと願望する人物をあなたの内に一人浮かべて。私はそれを具現化する」
「お、俺が今、一番逢いたい人物?」
「そう。その者でなければあなたの恐怖は和らがないから。なぜなら一番逢いたい人物はあなたの心の拠り所だから。それだけはこの世界でも創造可能」
 なんてこった。
「アクリル様曰く、以前、あなたと同じように迷い込んだ異世界人二人はそうやって今、あなたが体験した危機を乗り切ったとのこと」
 つまりだ。
 リラさんは俺のために俺の一番傍にいてほしい人物を幻影として作り出してくれるってことだ。
 ふっ……なんか小さい子供が母親が傍にいないと眠れないようなもんかよ……情けない……
 かと言って強がれるほど、あの恐怖は耐えられるものじゃない。
 となれば答えは一つだ。
「……誰でもいいのか?」
「違う。誰でもいいのではなくあなたが一番逢いたい人」
 どう違う?
「誰でも良ければ別に私でもいいことになる。しかしあなたは私が傍にいても恐怖した。なら恐怖を和らげるにはあなたが一番逢いたい人が望ましい」
 なるほどだな。
 確かに会ってみたいとは言え有名芸能人やスポーツ選手を出してもらったところで一時はともかく、寝れるまでには至らないことだろう。眠るためには安心感をくれる人物じゃないといけないってわけか。
 すっとリラさんが手を広げ幽霊のように腕を上げながら俺へと向ける。
 なあ? 本当にきみと長門は関係ないんだよな?
「ない」
 シンプルな答えだなおい。
「それよりも早く心に浮かべて」
「あ……そ、そうか?」
 真剣な瞳に促されて俺は瞳を伏せ、逢いたい人物を――
 って、こう言うときってどうして人間というのは欲張りなんだろうな。
 俺の心の内には好戦的なハルヒの笑顔と、朝比奈さんの柔らかい微笑と、長門の無表情ながらも俺に視線を向けている顔と、ボードゲーム片手に俺にさわやかなニヤケスマイルを浮かべている古泉と、馬鹿な妄想話を自慢げに繰り広げる谷口と、国木田が冷静な笑顔を浮かべながらノート片手の姿と、無邪気な妹の笑い声と、なんとなくいたずらっぽいしてやったりの含み笑いに近いものがある佐々木の顔が浮かんで……
 なんか逆に泣きそうになっちまうぞ。これは。
 そうだよ。俺はみんなに逢いたいんだよ。まだ話すことだってたくさん残っている。こんなところにいつまでも居ちゃいけないんだ。
「ムーンライトイリュージョン――」
 リラさんの呟く声が聞こえる。
 と、同時になんだか俺の額が何かに射抜かれたような感覚。痛みは全くないが違和感があった。
 てことで俺は何気に目を開けた。
 そこにはリラさんの手のひらから放たれたような気がする光がどこか人の形を取っていく。
 その人物が何者かを視覚できた途端、おれは茫然自失と固まった。
 しばしの沈黙。
 が、その沈黙を打ち破ったのは目の前の人物だった。


「こらぁ! 何であんたはこんなところにいるのよ! ヒラ団員のあんたが団長のあたしの許可なしにどこでも行っていいなんて認めないんだからね!」


 ……ええっと……だな……確かこいつは幻影なんだよな?
 つーことは、なんだって俺は幻影にまでこんな風に言われなきゃならんのだ?
 というか、よりによって、何でこいつなんだ!?
 さすがに俺は少し嫌な顔をした。
 そこにはいつものように勝気満面の笑顔でどういう訳か北高のセーラー服に身を包んだ――リラさんの言葉を信じるなら幻影の――涼宮ハルヒが俺を指差して居るのである。
 ふと、ハルヒ(幻影)の後ろに視線を移せば、どういう訳かリラさんが茫然としているのである。
 おーい、どうした?
「あの……この人がナガトさん……?」
 はい? 何でそこで長門の名前が出ますか?
「だって、あなたは何かにつけて私にナガトって人を見ている。だから、私はナガトさんが呼び出されたと思った。違う?」
 いやまあ確かにそうなんだが……
「あれ? 何キョン、ひょっとして一人で寝れないの?」
 おや? このハルヒ(幻影)はリラさんの言葉が聞こえていないのか?
「んじゃあ仕方ないわね。今日だけはあたしが添い寝してあげる」
 言ってハルヒ(幻影)は俺の手を取りベッドの方へ。
 ちょ、ちょっと待て! マジで触れるのか!? 確かにリラさんはそう言ったが……
 てことはちょっと待った!
 じゃあまずいじゃないか! 今、こいつは添い寝っていたぞ!
 確かに俺は寝れそうにないからリラさんに幻影召喚をしてもらったわけだが、これじゃ別の意味で眠れんぞ!
 俺は肩越しにどこかすがるような視線をリラさんへと向ける。
 が、どうやら彼女はすでに平静を取り戻したらしい。
「良かった。あなたの精神状態は平静に戻った。これで大丈夫」
 いや大丈夫じゃないから! たぶん、俺はもっと寝られん!
「問題ない」
「どこが!? 大問題だろう! 仮にも男と女が同禽なんて……」
「眠れるように、本能からくる性的行動をやってしまえばいい。それで解決する。ちなみにあなたが昇天した際に放出されるせ……白濁液は幻影により処理される。だから着衣の汚れは気にしなくていい」
 うぉい! まさかそれが狙いだったんじゃないだろうな!?
「違う。これは偶然。単にあなたがその女性に逢いたいと思ったから現れた」
 リラさんのなんとなく勝ち誇ったような気がする朗らかな笑顔は、ハルヒ(幻影)が無理矢理かぶせたシーツによって消え去った。


 そして、いつしか気が付けばこっちの世界に来て四度目の朝、日数に直して五度目の日を迎えたのであった。

 

 

 

 

涼宮ハルヒの切望Ⅴ―side K―

涼宮ハルヒの切望Ⅳ―side H―

タグ:

+ タグ編集
  • タグ:

このサイトはreCAPTCHAによって保護されており、Googleの プライバシーポリシー利用規約 が適用されます。

最終更新:2011年05月03日 09:15