涼宮ハルヒの切望Ⅴ―side H―


 昨日から始まった二年五組大捜査網。
 でも結局、今日もあたしは……ううん、あたしたちはキョンを見つけることは出来なかった。
 昨日、国木田の提案で二年五組全員が手伝ってくれて、今日も町内くまなく探したのに見つけることが出来なかった。
 ほんとにどこにいるのよ……この町内は全部探し尽くしちゃったんだから……もう探す場所なんてないわよ……
 あたしは公園のブランコに座って、少し揺らしながら伏せ目で心の中で呟いていた。
 どうしてなのよ……何なのよ……もう訳わかんない……
 空が朱色から藍色に変わりつつある時間の境界線。
 夜が来れば寂しさがより一層助長されてしまうことが解っているのに……
 それでもあたしはキョンの家に戻らなければいけない。
 だって、妹ちゃんとキョンの両親がそれを望むから。
 だけど本音は戻りたいけど戻りたくない矛盾した気持ちが心の中を渦巻いちゃってる。
 たぶん、それは夕べ見た夢が原因。
 あんなリアルで、でも現実じゃなかった夢想。
 あれをキョンの部屋にいると今日も見てしまうんじゃないかと思うと怖かった。
 どうすればいいの……?
 あたしは空が漆黒の闇に包まれるまでブランコに座ってそれを眺めるしかできなかった。


 それでもあたしはキョンの部屋に戻ってきた。
 残念だけど、不意にキョンがあたしを迎えてくれるんじゃないかという期待は見事に裏切られたけどね。
 え? どうしてそんな風に思ったかって?
 それはね、キョンの部屋に電気が点いていたからよ。
 ――すまんハルヒ、お前にでかい迷惑かけちまったみたいだな――
 そう言って苦笑で迎えてくれるのかと思っていた。
 でも現実は違った。
 あたしを出迎えてくれたのはみくるちゃんと妹ちゃん。
 なんだか二人とも、あたしを同情と憐みの瞳で見つめている。
「涼宮さん……こんな遅くまで心配しましたよ……」
 遅く……?
 言われて、部屋の時計に視線を移せば、時刻は午後十時を回ってしまっていた。
 そうね……寝る時間にはまだ少し早いけど、平日の夜に帰ってくる時間からすれば遅いわね……
「ううん……違うの……ハルにゃんがどこにいたかは知ってるの……」
 え?
 妹ちゃんの消え入りそうな声に虚を付かれるあたし。
「そうですよ、涼宮さん。でもあたしたち、涼宮さんに声をかけることができなかったんです。ですから、もしかしたら涼宮さん、今日は戻ってこないんじゃないかと心配したんです」
 そっか……あたし、そんなに落ち込んでちゃってたか……
 思わず寂しげな自嘲の笑みを浮かべる。
「ね、ハルにゃん、今日はみくるちゃんも一緒に三人でキョンくんのベッドで寝よ」
「わたしもそれがいいと思います。もちろん、わたしたちではキョンくんの代わりにはなれませんが、一人より二人、二人より三人の方が心強いですし」
 あ~あ……小学生にまで心配されるあたしって……
 最初は妹ちゃんのためにここに泊まっていたはずなのに、なんだかたった三日であたしのためにみんながここにいるみたい……
 でも、いいか。
「分かったわ。じゃあ今日はみんなで川の字になろうね」
 ちょっと無理した笑顔であたしは了承した。
 すると、妹ちゃんにもみくるちゃんにも笑顔が戻ってきたんだよね。


 ……なんて思ったけど一睡もできなかった。
 あたしが真中で両脇にみくるちゃんと妹ちゃん。
 二人とも寝返りはうつけど基本的にはあたしに寝顔を向けてくれていた。
 え? なんでそれを知っているのかって?
 そりゃそうでしょ。
 だって『一睡もできなかった』んだから。
 暗い部屋の中、あたしはただ天井をずっと眺めていた。
 昨日見た夢をまた見るかもしれないと思うとやっぱり怖かったんだよね。
 本当は夢の中でもいいからキョンに逢えたら、という心も芽生えたんだけど、目を瞑った瞬間にだめだった。
 逢いたい……
 顔を見なくなってたった四日なのに……
 恋愛感情なんて精神病の一種、一過性のものだと思っていたのに……
 部屋の中が白みがかったころ、あたしは腕で目を覆っていた。
 その脇から、隠すことも堪えることもできなかった光のしずくが頬を滑り落ちていったけど……




 だけどね。
 一睡もしていないあたしなんだけど、その日の朝、目はばっちり冴えていた。
「行くわよ! みくるちゃん!」
「ま、待ってくださぁ~い!」
 あたしはどこか思いつめた表情だったかもしれないけど鼓舞するように声をあげてみくるちゃんを呼んだ。
 そう、今日は有希が報告を持ってきて来るんだから。
 理想はキョンを見つけて一緒に連れてきてくれること。
 でもこれは無いことは分かっている。
 もしキョンを見つけたなら学校じゃなくて、キョンの家であり、あたしたちが居ることを知っているここに来てくれるはずだから。
 だからと言って悲観する必要はないもんね。
 あたしたち二年五組の大包囲網と古泉くんの知り合いのプロの探偵事務所の探索と(まあいちおーは素人じゃない)警察の捜査網をもってしてもキョンを見つけられなかったとなると、あとは有希に頼るだけ。
 でもって有希は普通の人間じゃない。
 捜索範囲だってあたしたちなんかじゃ足元にすら及ばないほどの広大さを誇るんだから、せめてどこにいるかくらいは見当をつけてくれていればいい。
 そうすれば後はみんなで探しに行く。
 ただそれだけよ!


 朝は早くまだ七時半なんだけど。
 北高は七時には開くからもう校門も学校の玄関も開いていた。
 あたしとみくるちゃんが向かう先は通称旧館・部室棟の一角に位置するSOS団本拠地。
 たぶん、だけど、でもなんとなく確信を持っちゃってる。
 これだけ早くても古泉くんと有希がそこにいるってことを。
「お待ちしていましたよ。涼宮さん」
 やっぱりね。
「ご無沙汰」
「ふ、二人とも早すぎますぅ~~~あ、今、お茶入れますね!」
 古泉くんと有希を見とめたみくるちゃんが少しびっくりした表情を見せた後、即座にいつもの給湯ポイントへと向かう。
 メイド服には着替えなくてもいいわよ。
「あ、はぁ~い」
 みくるちゃんの明るい返事を聞いてあたしは古泉くんと有希に向きなおった。


「申し訳ございません。残念ながら僕の方では彼の消息はつかめませんでした」
 別に構わないわ。あたしたちだって見つけられなかったんだから古泉くんを責めるつもりなんてないし。
 それに何より、
「で、有希は?」
 あたしは喉をごくりと鳴らしてから切羽詰まった表情で問いかける。
 しばしの沈黙。
 というか、有希が珍しく、わずかだけどどこか困った風な表情を浮かべている。
 どういうこと?
 やがて有希は、これまた意を決したような色彩が少しだけ浮かんでいる声色で、


「……うまく言語化できない。情報の伝達に齟齬が生じるかもしれない。でも聞いて」


 そして有希は語り始めた。
「その前に、今日、一つ情報操作を敢行したことを言っておく。それは涼宮ハルヒが所属するクラス。古泉一樹が所属するクラス、朝比奈みくるが所属するクラス、そした私が所属するクラスの一時間目の授業を自習にしたこと」
 いいわよ。つまらない授業よりもキョンの消息の方が何百万倍も重要なんだから。

 で?
「まず結論から言えば、彼の現在の所在地は解明した」
 ほんと! どこにいるの?
「分からない」
 がくっ
「あの……長門さん、今の彼の所在地が解明しているのに、どこにいるのか分からないって……」
「言ったはず。うまく言語化できない、情報の伝達に齟齬が生じるかもしれない、と」
 古泉くんの苦笑のツッコミに、しかし有希は淡々とまったく焦ることなく対応している。
 ん? てことはどういうこと?
「現在の彼の所在はこの時空ではない、という意味。わたしに解明できたのはここまで」
「ええっと……長門さん……それは長門さんにもキョンくんがどこにいるのか分からない、と言っているのと同じだと思うんですけど……」
 みくるちゃんも苦笑を浮かべているわね。
 まあ、正直言ってあたしも有希の言っている意味が分かんない。
 しかし有希は、
「その認識は半分正しく、半分間違い。わたしは彼の現在の居場所は特定できないが、どこにいるのかは分かっている」
 ふむ。つまり、これが有希の言う『うまく言語化できない』ってことなのね。
 てことは、あたしたちなりの言葉に直すしかないんだけど……
 有希が言った言葉で重要なキーワードがあったはずよ。
 というか、それはこれね。

 『キョンの居場所がこの時空ではない』

 ……随分と飛躍しているし。
 これじゃあ未来か異世界か、って言っているようなもので……
 あ、違うな。
 未来は省けるわ。だって有希は宇宙人であって未来人じゃないし、それに未来に行っているなら未来人のみくるちゃんが何かを知っていても不思議じゃなくなる。
 でも、みくるちゃんも今回のキョンが消えた理由は知ってなさそうだった。
 てことは……


 え!? 今、キョンが居るのは異世界ってこと!? なんで!?


 思わずあたしは声をあげていた。
「そう……これがわたしが言った『彼の所在地は解明できているけどどこにいるのかが分からない』ということ……」
 ――!!
 そうか……有希はそれを言いたくなかったから回りくどく言ったんだ……
 でもちょっと待って。
 何で有希はキョンが異世界に飛ばされたことは解明できたの?
「それは、あなたに許可を取り、SOS団活動休止の許可をもらったその日の夜、探索中に彼の痕跡を次元断層の狭間で見つけたから」
 次元断層?
「次元断層とは空間と空間の狭間にある断絶。限りなくゼロに近いものであってもそこには確実に存在する。よって空間には連続性がなく、異世界に移動するのは、積み重なった空間平面を三次元方向に移動することで可能になる。そしてそれは偶然という未確定の事態によって意図的でないにしろ、起こり得ることもある」
 なるほど。確かに世の中、偶発的にとんでもない体験することもあるし。
 というか今、あたしの目の前に宇宙人と未来人が居るし、異世界人にも逢ったことあるわけだから何かの拍子にキョンが異世界に飛ばされたのだとしても不思議はないのかもしれない。
 んまあ、その『何かの拍子』が解明されない限り、自由気ままに異世界に行ったりなんて不可能なんだろうけどね。
 ふと古泉くんとみくるちゃんに視線を移せば、二人とも茫然としているし。
 そりゃそうよね。完全に一足どころかとんでもない方向に飛躍した話になったんだから。
 って……ということは……
「ま、まさか……有希……あんたには異世界に移動する力はない……って、こと……?」
 だって、もし有希が異世界に移動する力があるならとっくにキョンを探しに行っているだろうし、というかあたしたちにも声をかけているはずだし……
 重く沈黙するこの場。
 どれだけ沈黙していたかは分からない。永遠のような刹那の時間。
 そして……有希が口を開く……
「あなたの見解は正しい……異世界探索はわたしの器量と能力をはるかに越える事象……この三日間、ずっと試みてみたが次元断層を越えることはできなかった……」
 いつもの淡々とした平坦な声じゃないあまりに重々しい呟き。
 有希のセリフに今、この部屋が暗転して衝撃の戦慄に支配された……

 

 

 

涼宮ハルヒの切望Ⅵ―side H―

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最終更新:2011年05月03日 09:56