涼宮ハルヒの切望Ⅳ―side H―
翌日、水曜日――
あたしとみくるちゃんは一緒に登校している。
理由は簡単。
昨日、あたしたちはキョンの家に寝泊まりしたから。
でもあたしたちは何も会話を交わさずに学校にたどり着いてしまった。
共通の話題がなかったから?
もちろん違うわ。あたしもみくるちゃんも何も話せなかったからよ。
だって話は絶対にキョンのことになる。
そうなったら、あ……じゃなくて、みくるちゃんが泣き出しちゃう。それを見てしまうとあたしももらい泣きしてしまう。
なら、口に出さなければいい。
お互い、お互いが筆舌しがたない不安を抱えていることは理解してしまってるわ。
だからと言って一人でいればもっと怖くなる。
なら二人でいれば、沈黙していたって、多少は気がまぎれるってもんよ。
玄関で分かれて、あたしは二年五組の教室に向かう。
みくるちゃんは幸い、たまたま玄関にいた鶴屋さんが付き添ってくれたからたぶん大丈夫。
最初はみくるちゃんをあたしが教室まで送ろうとしたんだけど、鶴屋さんの笑顔に任せることにした。
そうだよね。
みくるちゃんと鶴屋さんは親友同士なんだから。
あたしよりもみくるちゃんを元気づけるなら鶴屋さんの方が適任よね。
…… …… ……
違うな。鶴屋さんには見抜かれちゃったんだ。
みくるちゃん以上に落ち込んでしまっているのがあたしだってことを。
あの人、とんでもないところで鋭いところがあるしね。隠せるもんじゃないわよ。
などと自嘲とも自虐とも言えない笑みを浮かべながらあたしは二年五組の教室の入り口をくぐる。
また、目の前の空白に耐えなきゃならない一日が始まるのか……
そう思うとどこか気分が重たくなってくるんだけど。
って、あれ?
なぜか今日は、一箇所、クラスメイトが集まっている場所があった。
あの場所は……
「国木田だよ」
すぐそばから声をかけてきたのは、珍しくどこか神妙な面持ちで声にも少し焦燥感が漂っていた谷口だったり。
けど、
「何であんたがあたしの横にいるのよ?」
あたしにとってはそっちの方が気に入らない。頼みもしないのにこれで中学時代から五年連続で同じクラスでお調子者のアホに声をかけられたと思うとむしゃくしゃする。
「随分な言い草だな。しかしまあ今日はいいさ。俺がお前を待っている係だった、って、だけだ。こっち来いよ」
ん? あたしは相当険悪な視線をぶつけたはずだけど谷口の奴、気にしなかったわね? どういうこと?
「何で、あたしがあんたの命令に従わなきゃなんないのよ」
でも口から飛び出した言葉は悪態だったり。
「俺の指示じゃない。この二年五組全員の総意だ」
は?
「仕方ないだろ。俺はこのクラス一、じゃねえな。二番目のキョンの友人だ。で、お前は同じ東中出身。キョンとお前、両方に接点がある俺以外、誰がお前に声をかけられる? それにこれは俺の話じゃない。キョンについての話だ。だからこっちに来いよ」
む……確かにそういう言い方をされれば行かざる得ないわね……
「で、何なのよ?」
あたしはクラスのみんなが集まっているところにたどり着いたところで、一応はあたしを連れてきた形になっている谷口に問いかける。
「国木田、連れてきたぜ」
が、谷口はあたしの質問に答えない。
ほほぉ。あたしを無視するとはいい度胸ね。なら、あたしもあんたを相手にするつもりないから自分の席に戻らせてもらうわ。
そう心の中でつぶやき、踵を返したところで、
「涼宮さん!」
「え?」
あたしに、どこか悲壮感が漂っている静かな声をかけてきたのは、クラスメイト達が集まっている中心に座していた国木田だった。
「キョンのこと、知っているんだろ?」
「まあね」
なぜかあたしは国木田の正面に引っ張り出されている。
と言うか、みんな道を開けたのよ。みんなして無言だけど「とりあえず国木田の話を涼宮さんが聞いてあげて」という瞳で訴えて。
「心配かい?」
「何で、あんたにそんなこと聞かれなきゃいけないのよ。あたしとキョンの関係をどう思っているのか知らないけどまあいいわ。心配しているのは確かよ。あんなのでも一応SOS団団員その一だからね。団長として団員の心配するのは当然でしょ」
「ふふっ、相変わらずだね。キョンと一緒にいるときに見せる表情とは全然違うよ」
……ひょっとしてからかっているつもりかしら?
「そんな話ならどうでもいいわよ。で、要件は何なの?」
わざと高圧的に言うあたし。
が、その瞬間、国木田の表情が曇ったし。
変ね。そんな落ち込むような言葉はなかったはずなんだけど。
しばし沈黙。
その沈黙を破ったのは、どこか思いつめているような表情で切り出してきた国木田の方。
「ねえ涼宮さん。僕たちにも何かできることはないかい?」
「何のことよ?」
「キョンのことに決まってるだろ。警察が動いているってことは知っている。でもだからと言ってただ待っているだけなんて耐えられないだろ? キミも、そして僕もさ」
あ……!
そいうことか。確か、国木田はキョンと小中と同じ期間を過ごしてきたし、高校でも同じクラスになっているんだよね。
しかもキョン曰く、国木田とは中学時代から仲が良かったとか。
なるほど。谷口が「クラス二番目のキョンの友人」と言うはずね。
「でも、あたしたちには何もできないわよ。ここはおとなしくキョンが見つかるのを待つしかないわ」
あたしは極力、自分の気持ちを押し殺してそう返す。
「本当にそれでいいのかい?」
……どういう意味よ?
「単刀直入に聞くけど、涼宮さんはキョンが居なくなったてのに平気なのかい?」
「……」
「僕は平気じゃないね。居ても立ってもいられない。できるなら今すぐでも僕一人でも探しに行きたいさ」
「そうすればいいじゃない」
あたしがそう答えた瞬間、なぜか国木田はあたしを非難するような視線を向けてきた。
「涼宮さんは?」
「あたし?」
「そうさ。涼宮さんはどう思っているんだい? キョンを探しに行こうとか思わないのかい?」
そ、それは……
「僕は今からでも探しに行きたいし、二年五組のみんなも協力してくれるって言ってくれた。
でもね……僕以上に涼宮さんがそういう気持ちなんじゃないかと思うと、涼宮さん抜きにキョン捜索に踏み切れなかったんだ……
なぜかって?
それはね……キョンが一番、自分を見つけてほしいのは僕じゃなくて涼宮さんだと思っているからさ……僕にはそれが解る……それなのに……」
国木田が伏せ目で震えている。いつの間にか、クラス中が重い沈黙に包まれている。
う……なんか自己嫌悪……
変にあたしが自分を取り繕ったものだから国木田の奴……
「わ、解ったわよ! あたしもキョンを探すの手伝うから! それでいいんでしょ!? 今日の放課後からでいいのかしら?」
腕を組み、国木田を見ずにちょっと上を向いて瞳を閉じて言いつのるあたし。
「照れ隠し……」
って、何か聞こえてきたし。
「ちょっと阪中!」
「あっ、ごめ~~~ん! 聞こえちゃった!?」
怒鳴るあたしが向けた視線の先には、阪中がしてやったりともイタズラがばれた子供とも言えない笑みを浮かべていて、あたしにつられてそれを認めたクラス中から笑いが沸き起こる。
その瞬間、重苦しい空気は霧散した。
なんか、あたしが笑い者になったみたいで気に入らないけどね。
だから、こう言ってやる。
「なら、この二年五組全員が臨時SOS団団員だからね! 団長のあたしの命令には絶対に従うこと! いいわね!」
手を翳して宣言するあたし。
んで、なぜかクラス中が勇ましい笑顔にシフトチェンジして頷いてくれた。
「よろしく、団長さん」
とびっきりの笑顔を国木田が見せてくれる。
なんだか、あたしも嬉しかった。
そうよね。みんながキョンを探してくれる。みくるちゃん、古泉くん、有希も同じことを感じるはずよ。
頼もしい仲間が増えた、ってさ。
で、その日の放課後。
あたしたち二年五組プラスみくるちゃん、鶴屋さんは、いつものSOS団御用達の待ち合わせ場所、光陽園駅北口に全員集まっていた。
ちなみに古泉くんは、昨日、依頼した探偵事務所の人たちに捜索を手伝わされることになり、こっちに来れないとのこと。
ま、仕方ないわね。あっちはあっちで頑張ってもらうことにしましょう。
でも有希が来る金曜日には放課後、近況報告がてらに部室に来てもらうことを承諾してもらったし。
あたしはいつもの場所に立ち、その周りにはみんなが人の輪を作っている。
警察の捜査網や有希の捜索範囲、古泉くんの知り合いの探偵事務所の洞察力には勝てないかもしれないけれど、信頼感と言う点なら警察よりはるかに上だし、有希や古泉くんの知り合いにも勝るとも劣らないはずの連中よ。
指揮官は当然、あたし!
だって今、二年五組は臨時SOS団なんだから団長のあたしが指揮するのは当然!
「クジ分けして二人一組でキョンを探すわよ。あ、でもみくるちゃんと鶴屋さんは一緒で決定。とりあえず日が暮れるまでね。何かあったら、あたしに連絡を入れること。と言うことでよろしく!」
あたしの掛け声とともに、おぉっ、という声が上がる。
かくして、班分け大抽選会の後、あたしたちは町のあらゆる場所へと繰り出すのであった。
……残念ながら今日はキョンを見つけ出すことはできなかったけどね……ホント、どこにいるんだろ……?
単なる行方不明じゃないの?
もしかして有希が危惧していたことが現実になっているの?
けど、それはちょっと考えられないわよ。だって、こう言っちゃなんだけど、宇宙規模に照らし合わせてみれば、あいつにどんな価値があるってのよ。
単なる雑用以外に使い道がないんだから宇宙人の奴隷商人が連れて行ったとかそんなのなの?
ううん。それもあり得ない。それだったら有希が見つけているはずだし、とっくに連れ戻していなきゃ変よ。
などと考えながら、あたしは妹ちゃんを抱きかかえて、キョンのベッドのシーツを深くかぶっていた。
明日こそ絶対に見つけるんだから……
強い決意が心を支配して、
いつしかあたしは眠りについていた――
……なんだろう……?
誰かがあたしを呼んでいる……誰? いったい誰なの……
というか、声は聞こえない……何て言うか、あたしを望んでいる、祈祷しているような心を感じる……
ふと気が付けばどこか柔らかい光があたしを包んでいる。その光のためか、あたしは周りを見渡せない。
――……ジョン――
ん……? なんだか頭の中で声が響いたような気がしたような……
とと、光が収まってきて……やっぱ暗いし――って、え!?
あたしは眼前の人物を見とめて思わず心の中で絶叫した。
周りの風景も目に入らない。目の前にベッドがあって、でもって、その前にそいつが立ち尽くしていることしか目に入らない。はっきり言って、あたしはいつ、ベッドから自分が出ていたかの記憶もないってのに。
にも関わらずよ。
いつの間にかベッドから離れていているなんてどういうこと?
という思考と供に、もう一つの疑問も浮かんでいる。
嘘でしょ? 何でこんなところにいるのよ?
なんて思うのは無理もない話よ。
だって、まさかキョンがいきなり戻ってきていたなんて――
でも、どうにも冷や汗をかいてるっぽいし。
てことは何? 周りに多大な迷惑かけてちょっとは反省してるってこと? まあそうよね。あたしだけじゃなくて家族にクラスのみんな、鶴屋さんにSOS団、全員に迷惑をかけたんだから。
黙って帰ってきて寝てやり過ごそうとしたかったんでしょうけどそうはいかないわよ。
なんて考えた瞬間、どうやらあたしの心が安堵したらしい。
だからこう言ってやる。
「こらぁ! 何であんたはこんなところにいるのよ! ヒラ団員のあんたが団長のあたしの許可なしにどこでも行っていいなんて認めないんだからね!」
ふふっ。あたしも現金ね。口ではこんなことを言ってるくせに顔は思いっきりにやけていることが自覚できるわ。
とと、こいついったい何を呆気に取られているのよ。
ふぅん。あたしに見つかって気まずいってこと? まあいいけどね。
って、おや? キョンの奴、何か挙動不審だし。
はっはあん。なるほど。戻って来たはいいけど、あたしに見つかっちゃってびくびくしてるってことね。
でもまあ明日も学校があるわけだし、いつまでも起きているわけにはいかないし。
だったら、
「あれ? 何キョン、ひょっとして一人で寝れないの?」
嫌味を一つかましてやる。
「んじゃあ仕方ないわね。今日だけはあたしが添い寝してあげる」
言いながらあたしはキョンの手を取って再びベッドへ。
何かを忘れているような気がしないでもないけどどうでもいいわ。
今、ここにキョンが居る。それだけで充分よ。
ん? 何よ、キョン、何か焦っているみたいだけどどうしたのよ?
心配いらないわ。明日はあたしも一緒にみんなに謝ってあげるから。
だからおとなしく寝ろー!
という勢いで、あたしはキョンをベッドに引きずり込んで思いっきりシーツをかぶせてやった。
……夢……だったの……?
あたしは目を覚まし、茫然自失とベッドに座りこんでいた。
カーテン越しに感じる朝日の光が今、あたしがいるこの場が現実であることをシビアに告げている。
あたしの後ろでは妹ちゃんが、あたしの目の前ではみくるちゃんがまだ寝息を立てているんだけど……
でも、その中にキョンはいない。
もし夢じゃないならここにいてもおかしくないはずなのに今、この場にはいない……
妙にリアルな夢……
どういう訳か忘れることのできない、去年の五月の時に見た夢に匹敵するくらい信じられないくらい現実味のある夢……
だって、キョンの手を握ったときの暖かい感触が残っているし、あいつの寝息であたしの頬にも少し温かみが残っているのに……
それも、あの後のこともはっきり記憶しているのに……
ベッドに引っ張り込んでからのキョンはやっぱり贖罪の気持ちで怖くて眠れないのか、すぐ目を覚ましていた。
もっとも、そのたびにあたしがいろいろ言ったり叱咤激励したりして無理矢理寝るよう促したけど。
ちなみに、あたしは夢だってことを知らされるのが怖くて一晩中、キョンの横であいつの寝顔を見つめていたけどね。
だから確かにそこにいたと思っていたのに……
明け方、空が白みがかったと思って一瞬、窓の方に視線を移し、振り返ったら、もうそこにはキョンが居なかった。
……なんて残酷な夢なのよ……
だいたいキョンもキョンよ……普段、あたしに愚痴愚痴文句を言ってるくせに、いつも一緒にいるんだから、あんたもあたしと一緒にいたいんでしょ……
なら、どうしてこういうあたしが寂しい思いをしているときは姿を見せないのよ……
――!!
なんてこと……
あたしは今、自分の気持ちをはっきり自覚して愕然とカーテン越しの朝日を見つめた。
実のところ、このとき見た夢が後々の展開に大きく関わってくるんだけど、今はとてもそれに気づく余裕なんてなかった。
だって、心がこのフレーズ一色に染まってしまっていたから。
あたしはキョンに逢いたかった……