涼宮ハルヒの切望Ⅲ―side H―
「ありがと……ハルにゃん……みくるちゃん……」
今日もどっぷりと日が暮れている。
あの後、妹ちゃんが起きるまで部室に残っていたあたしとみくるちゃんは妹ちゃんをキョンの家まで連れて行ってあげたんだけど、なんとも妹ちゃんが「今日は泊まっていってほしい」とフリじゃない涙で型崩れしているうるうる瞳で訴えてきたものだからあたしたちも断るなんて真似は出来なかった。
そりゃそうよね。妹ちゃんは標準的な小学六年生と比べるなら明らかに幼く、まだ年齢が二桁に達していないみたいな容姿なんだから。
そんな女の子の泣き顔を無碍にできる人間がいるとしたらその人は即座に鬼畜認定よ。
とと、今、この場にはいない古泉くんのことを少し話しておかなきゃね。じゃないとまるで彼が妹ちゃんをないがしろにしたと思われちゃうし。
…… …… ……
…… ……
……
妹ちゃんがあたしの腕の中で寝息を立てている。
あたしは彼女を起こさないように、いつもはキョンが座っているパイプ椅子に腰かけていた。
普段なら、その正面にはキョンとボードゲームを勤しんでいる古泉くんがいるんだけれど。
「涼宮さん、少しよろしいでしょうか?」
今日はあたしの横に、いつもの爽やかな笑顔が消えたなんとも思いつめたような表情で佇んでいる。
「何?」
「僕の知り合いに探偵事務所を営む方がおりますので、その方にも彼の捜索をお願いしようかと思うのですが」
……妹ちゃんがここに来て、岡部が知っているっぽいところをみるともう警察も探しているでしょうね……でも日本の警察って、ネズミ取りには並々ならぬ使命感を持って励むけど、もっと重大で危険な仕事になればなるほど疎かにする傾向があるし、特に行方不明者捜索となるとあまり役に立っているイメージもないわね……
遭難者捜索なんかいい例だわ。
見つかる時は不明者当人が自力で脱出するか遺体になってからだもん。
それなら私立探偵の方がまだ信用できるわね。だって民間なら業績を上げることに必死になるわけだから。
「ん。分かった。古泉くんはそれでお願い。実はさっき、有希も自分の知り合いに頼んでみる、って言ってたのよ」
いちおー古泉くんには有希が宇宙人だってことを今はまだ伏せておく。
だって信じられないだろうし。
「そうですか。では僕もその探偵事務所に今から、お伺いします。電話で話すよりも直に話す方が信憑性があるでしょうし、我々の必死さも伝わるでしょうからね」
「お願いよ」
「むろんです。僕も彼がいないと寂しいですから。皆さんと同じで」
言って、爽やかな笑顔が戻った古泉くんも部室を後にした。
もっとも、その笑顔には並々ならぬ決意を感じたけどね。
……
…… ……
…… …… ……
キョンの両親に挨拶して今日の宿泊を、あたしとキョンの両親両方に承認してもらった後、あたしたち三人はキョンの部屋への扉を開けた。
相変わらず平凡な机とベッドとほとんど漫画かラノベの本棚と洋服ダンスしかないあまり広くない飾りっけない部屋なんだけど何でだろう。どういう訳か、あたしの胸も苦しくなる。この部屋も主を失って寂しくなっているんじゃないかと錯覚を受けるから?
「じゃ、じゃあ中に入りましょう。妹ちゃん、今日もみくるちゃんと一緒に寝る?」
てことで、あたしは自分の気持ちを押し殺して努めて笑顔で問いかける。
妹ちゃんはなぜかみくるちゃんがお気に入り。
この辺りは普段エロい目でみくるちゃんをデレデレ眺めているキョンの血縁者なのかと勘繰ってしまうんだけれど。
隣でもみくるちゃんが宥めるような温かい笑顔を浮かべているんだけれど。
今日の妹ちゃんの反応はまったく違っていた。
「ハルにゃんと……ひっく……一緒がいい……」
御指名はあたしだったり。って、どうして? いつもはみくるちゃんって言うのに?
「だって……キョンくんが好きなのはハルにゃん……だから……キョンくんが好きなものと一緒にいたいし……それならキョンくんが傍にいるみたいだし……」
あの……何かサラリと重要なこと言わなかった……?
標準よりも明らかに幼いこの少女は男女と経験の違いはあれど同じ両親から生まれた云わば、同じ血肉で構成されているもう一人のキョンな訳で、言いかえればこの子はキョンの気持ちを誰よりも察してやれるってことだから……
いやまあ……妹ちゃんのことだから自覚ないんだろうけど……
って、どうしてあたしの顔が熱いのよ!
だいたい今はそんなことを呑気に考えていられる状況じゃないんだから!
…… …… ……
う……文字通り天国から地獄って感じね……
妹ちゃんからキョンの気持ちを聞いて一瞬、舞い上がったのに、今、現実はキョンが居ないってことを再認識した途端、テンションが180度降下したし……
その日、妹ちゃんはあたしから片時も離れることはなかった。
御呼ばれした夕飯はあたしの隣、お風呂も一緒に入ったし、今、キョンの部屋に戻ってきたときもベッドに腰掛けるあたしの膝の上に座っているし、みくるちゃんはキョンの母親が用意してくれたお客用布団の上にちょこんと可愛らしく座ってこちらを見つめている。
ちなみにみくるちゃんはキョンのほとんど使っていないことが一目瞭然の新品に限りなく近いパジャマを勝手に拝借して着ていたり。胸のサイズはともかく全体像は小柄なみくるちゃんだけに男物のだぶだぶパジャマがなんとも萌え。
え? あたしは何を着ているかって?
いやその……妹ちゃんは気を使ってくれて妹ちゃんの同級生から桃色のパジャマを借りてきてくれてそれを着てるの。
ちょっと……じゃないか……結構ショックだったけどね……さすがに胸元のボタンを全部止めると苦しいんで三つある内の二つは外しているけどサイズが思った以上に合うし……
ううん……キョンの言葉に嘘はなかったか……
もうすぐ十二歳の十一歳小学六年生ってことで、他人の家に一人にさせるわけにもいかないってのも本当だった。
もうお分かりよね。
そう、あたしが着ている妹ちゃんの友達のパジャマは、先週土曜日、キョンが連れてきていたあの女の子のものなの。
名前は吉村美代子で、キョンが言った通称はミヨキチ。前にSOS団で機関誌を発行した時のキョンが自分の書いた小説に登場させた子よ。
だ、だって仕方ないじゃない……まさか制服で寝るわけにもいかないし、妹ちゃんの服は着れないし……それにYシャツ一枚は妹ちゃんの教育上、よろしくないんだもん!
って、あたしは何で言い訳してるのかしら?
「ホントはね……キョンくんも一緒に行く予定だったの……」
ん?
「土曜日……おばあちゃんの家……」
ああ、それ。
「うん……だけどね……キョンくん……SOS団の活動を優先させたの……おばあちゃんの家に行くのって……一ヶ月前から決まってたのに……」
あ……!
あたしが先週の土曜日に市内パトロールを開催することを決めたのは前日の金曜日。
筋としては先に約束した方に優先権があるのが当然なんだけどキョンはそれでもあたし……もとい、あたしたちの活動を優先してくれたんだ……
なんだか罪悪感が胸の内を広がっていく。
もし、キョンが家族の予定通り、土曜日に親せきの家に行く方を選んでいたとしたら?
そうすればキョンが土曜日から日曜日にかけて一人になる時間はなかったわけで消息不明になるような何かが起こらなかったかもしれない……
「ご、ごめん……」
あたしは妹ちゃんに陳謝するしかなかった。
「ううん……ハルにゃんの所為じゃないよ……それにキョンくん……ハルにゃんと話してるときとか一緒に遊んでるときって、すごく嬉しそうだし楽しそうだし……」
「そう……」
妹ちゃんの無理に繕った笑顔にますます落ち込んでいくあたし。
そんなあたしの表情をみくるちゃんはどこか物哀しげに見つめていた。
その後も妹ちゃんはキョンのことを喋り続けた。
キョンがどれだけあたしとSOS団のことを好きなのかを――
眠気に支配されるまでずっと……