涼宮ハルヒの異界Ⅱ

 

 

 さて、俺がハルヒから教えてもらった、この異世界人の名前は蒼葉(あおば)さん、と言うことだった。
 俺たちとはまた違う別の世界からやってきた、その世界のとある機関のエージェントということらしい。
 もっともこれ以上、詳しい説明は目の前の彼女もハルヒからもしてもらえなかった。
 ハルヒは何でも知りたがる小学生に上がったばかりの子供のように詳しく聞いていたが蒼葉さんははぐらかすのみである。
「この厄介事が片付いたらもう会えることは0に限りなく近い確率でほとんどなくなるから知る必要もないわよ」
 これが蒼葉さんの答えだった。
 なるほど確かに理にかなっている。
 異世界に行くにはどうすればいいか。
 それはもう空間を越えるしかなくて、また異世界の数も天文学的な数であるから、万が一、他の異世界とやらに行けたとしても、そこが蒼葉さんの住む世界とは限らないのである。
 なぜなら異世界に通じる扉というものは存在しない。つまり奇跡に近い偶然を通り抜ける必要がある訳で、それにプラス異世界の数を思えば確かに蒼葉さんの言うとおり、俺たちが再会する可能性は限りなく0に等しいものとなる。
 いくらハルヒに確率論が通用しないと言っても天文学的数字の天文学的数字乗をひっくり返すなんて無茶なことはさすがにできないことだろう。
 だから彼女のことを詳しく知る必要もないし、また蒼葉さんも俺たちについては何も聞いてこないのである。
「そう言えば、蒼葉さんはどうしてこの世界に?」
 ハルヒのパパラッチ並のしつこい尋問を冷静な表情で涼やかにさらりと流し続けていた蒼葉さんに俺は尋ねた。
 彼女の視線がこちらを向く。
「私たちの世界を救うために来た」
 笑顔の彼女の答えは簡潔だったがその瞳には決意めいた固い意志の光が灯っていた。
「世界を救うため?」
「そうよ。んまあこれは話してもいいわね。今、私たちの世界は存続の危機に立たされたの」
 何でまた?
「時空にこの新しい世界が生まれつつあるからよ。それが今回はたまたま私たちの世界と隣接してた。んで.、この世界が誕生すると私たちの世界はその余波で吹っ飛んでしまうってわけね。正直危なかった。もう少し遅れてたらアウトだったわ」
「この世界が生まれる? この世界はまだ誕生してないってこと?」
 ハルヒが尋ねる。
「そうよ。この世界にはまだ『壁』があったからね。半径およそ2キロメートル。ちょうどこの建物が経っている敷地全体を覆ってるって感じね。それさえ破壊されない限りはまだ時間は残されてる」
 なるほど、あの見えない壁のことか。ハルヒの精神状態不安定から来る閉鎖空間は半径5キロとか古泉は言っていたが、新しい現実世界の誕生は半分以下くらいに縮まるのだろうか。そう言えば前にハルヒがいた時も学校の敷地に沿って見えない壁があったか。
 ん? ちょっと待て。あれは誰が壊せるんだ?
「さっきいた、あの青白い巨人が壊せるのよ。あんたたちの世界だとあいつらのことを何て言うか知らないけど、私たちの世界の言葉で言えば『境界を破壊する者』かな?」
 ……んなマンガみたいなカタストロフネタがあるもんなんだな……まあこの世界に来ている時点で俺の常識論も通用しないのだろうか。思わず蒼葉さんの言葉に納得してしまったね。
 そう言えば、どうして俺たちにあなたの言葉を理解できるんです? まさかあなたが日本語を知っているとは思えないのですが。
「ニホンゴというのが何の言語を指しているのか分かんないけど、まあお互いの言葉が分かることに関して言えば大した理由はないわ。補正ってやつよ。確か何かの娯楽読み物(ペーパーバック)で、別の国の人同士の会話で通じてるの見たことあったし、それと同じなんでしょ」
 ……納得できないけど納得するしかないのだろうか?
 気がつけば、俺たちは再び校庭に辿り着いた。


「ねね、蒼葉さん! これからどうするの?」
 蒼葉さんに嬉々として問いかけるハルヒ。
 そう言えば、あの《神人》たちは消し飛ばしたわけだが、それでもこの世界が消えたわけじゃない。
 つまり、蒼葉さんの住む世界の危機が過ぎ去ったわけじゃないということと同意語なんだよな。
 いや待てよ? あの《神人》たちが消え去ったら、この世界の閉鎖は解かれて通常に戻るんじゃなかったか?
 マジで古泉か長門が説明しに来てほしいのだが……

 長門……か……

 俺は何気なく校舎を見上げる。思い出すのは去年の5月のこと。あの向こうの世界とこっちの世界でのチャットである。
 新校舎の方は半分以上が破壊されているので、ここからでも旧館がよく見える。もちろん、その一角に位置する明かりの灯った文芸部室の窓もだ。
 そう言えば電気を付けっ放しで来たな。
「そうね。まずはこの世界の『創造主』を見つけたいところね」
「創造主?」
 蒼葉さんとハルヒが話し合いをしている姿を横目に捉えて――
 しかし、俺の方も旧館・文芸部室に行く訳には行かなかった。
 こんな場所で単独行動をハルヒは勿論、雰囲気から察するに百戦錬磨っぽい蒼葉さんが許してくれるとは思えない。
「そ。人どころか生命体が何一ついなくても、創造主は必ずこの世界にいるはずなのよ。でないと世界ができるわけがない。だから創造主を見つけて、出来れば話し合いで解決したいところね。この世界の誕生は勘弁してください、って」
「なるほど。でも話し合いで解決しないときは――って、考えるまでもないですね」
「を? 分かるの?」
「そりゃまあ力づくしかありませんから」
「まあね。穏便に済ませたいけど、そうもいかないときは――ね。その創造主がどんな姿してるか分かんないけど、どんな姿かたちだろうと躊躇する気はないわ。さすがに創造主がいなくなればこの世界は消失してくれるからね。この世界にまだ息吹は感じないから罪悪感も湧かないし」
 蒼葉さんの殺意さえ漂わせた真剣は眼差しは俺の背中に冷たい汗を浮かばせるには充分だった。
 い、今……さらっととんでもないことを言ったよな……本気か……?
 むろん怖くて聞けないが。
「だったらさ!」
 ハルヒが勢い込んで蒼葉さんに言い寄り、
「あたしたちも手伝います! 何かの役に立てるかもしれないじゃないですか!」
「……遊びじゃないのよ?」
「もちろん解ってますって! その『創造主』とやらを探すだけです! 見つけたら即座に蒼葉さんを呼びます! 危ないことはしません!」
 おいおい。んな好奇心いっぱいの今からどこか楽しいところに遊びに行くような笑顔で提案したって蒼葉さんがげんなりした視線を向けるだけだろが。もっと深刻そうな雰囲気で言えよ!
 などと心の中でツッコミを入れる俺なのだが。
「……そうね……私も背に腹は変えらんないし……」
 って、承諾ですか!?
 しかもハルヒはご丁寧に『あたしたち』と言ったのである。当然、俺も協力せざる得ない。
 しかしまあ、正直なところハルヒを蒼葉さんに付き出すだけでいいのだが……
 いかんせん、それが正しいことなのかどうかが分からん。
 なんせ、それを蒼葉さんに言うということは、ハルヒに自身の不思議パワーを自覚させることでもあるんだからな。
 ましてや蒼葉さんは相当物騒なことを言った。
 仮に自分の能力を自覚してもハルヒがこの世界を消す方法を知ることができるとは限らん。もしこの世界の消失方法をハルヒが思い浮かばなかったときは蒼葉さんはまず間違いなく躊躇わない。
 異世界のまったく知らん一人の命より、自分の世界すべての命を取ることだろう。もしハルヒが蒼葉さんの命を救った恩人ならともかく、さっきの対《神人》戦のときは俺たちは何の役にも立っていないし、蒼葉さんは、ハルヒ曰く《神人》全てを殲滅させたのち、ハルヒに声をかけられてやっと俺たちに気付いたほどだったらしいからな。
「じゃ、これをそれぞれ持ってくれる?」
 蒼葉さんはハルヒと俺にそれぞれ何か小石くらいの大きさのしかし滑らかで厳かな光を放つ宝石のような水晶を手渡してくれた。
「それを肌身離さず持っててね。何か見つければその魔石――石に念波を送って頂戴。それで私は感知できる。すぐそっちにテレポートするから」
 きゃっ! すご! そんなアイテムがあるんですか!? ていうか、これ貰ってもいいの!?
 と、ハルヒが満面の笑みでそんなことを口走るんじゃないかと思ったがどうやらそれは杞憂に終わったらしい。
「分かりました。何か見つけたら必ず蒼葉さんに知らせます」
 随分と真面目な声で返している。もっともその表情には好戦的な笑みが浮かんではいたが。
「キョン、あんたもいいわね?」
「あ、ああ」
 いきなり俺に振るハルヒに、少しどもって首肯する俺。
 そんな俺たちの様子に蒼葉さんはどこか微笑ましいものを見る笑顔を浮かべていた。
 む……なんか恥ずいぞ……
 しかし即座に蒼葉さんは気を取り直し、
「んじゃあ、あなたたちはそこの建物の中をまずは探してみて。あのボーダーラインがこの建物を中心に半径2キロくらいであるし、核ってものは力場のほぼ中心にあるものなの。おそらくこの建物の近くに創造主がいるはずよ」
「はい! よしキョン! あんたは旧館を探しなさい! あたしはまずこっちの新館を見て回るから。んでこっちに何にもなかった時は、一度中庭で合流! んで今度はあたしが旧館で、キョンが新館をくまなく探す! それの繰り返しよ! いいわね!」
 それでいい。
 というかハルヒにしては珍しく理にかなった合理的な考え方だ。人によって視点が違う訳だから二つの視点で探せば、同じ場所だろうと一方が見落としたことでももう一方が見つけられるかもしれんからな。しかも二手に分かれて俺はまず旧館なんだ。これは願ったり叶ったりというやつだ。
 言うと同時にハルヒは半壊状態の新館へと駆け出した。
 つられて俺も旧館へ向かおうとするが――
「そう言えば、蒼葉さんはどうするんです?」
 肩越しに振り返り問う俺に、しかし蒼葉さんは背中を向けたまま校舎の反対側。グランドの方を見つめて、
「私は――こいつらの相手をする――」

 ――!!

 緊張感あふれる声で答えてくれた蒼葉さんの眼前では、再び、二体の青白く輝く《神人》がせりあがってきたのであった。


 ハルヒがこの世界にいる限り、あの《神人》は意地でも世界を誕生させようと破壊工作に勤しむのかもしれん。
 だからまた出てきたのだろう。
 まあ、蒼葉さんの強さはハルヒの話からすれば古泉が集団でかからないと歯が立たないアレをたった一人で七体一度に消滅させるほどだから心配はいらないだろうが。
 それよりも俺はやらなきゃいけないことがある。
 向かう先は旧館三階・正式名称・文芸部室にしてSOS団の寄生部屋だ。そこのパソコンに用がある。
 ほどなく到着。即座に電源スイッチオン。
 ジジジ……と静かな音が流れフェーズアウトした画面に見つけた!
 懐かしいこのメッセージ

 YUKI.N>みえてる?

 予想通りだったぜ。長門なら必ず連絡を入れてくれると思っていたよ。ただ古泉が現れたなかったことが少々気になるところなのだが、今はとりあえず置いておこう。

 『ああ』

 俺はあの時と同じやり取りを始める。

 YUKI.N>今回はこっちの世界とそっちの世界の連結が断たれる気配はない。おそらく涼宮ハルヒは二つの世界の誕生と存続を望んだ。
『なんだそりゃ?』
 YUKI.N>今日、あなたも感じたはず。涼宮ハルヒの精神状態は最高レベルで維持されていたことを。ゆえに新世界を形成した。
『待て待て待て待て待て。てことは何か? ハルヒは「もう一つこういう楽しい世界がほしい」とか思って、こっちの世界を創り出したってことか?』
 YUKI.N>その認識は正しい。そしてそっちの世界が誕生と同時にこっちの世界と連結される。世界が面積ではなく概念量質的に広がることを意味する。これが古泉一樹がそっちの世界に現れない理由。彼――正確には彼の所属する機関が「今回は世界崩壊の危機ではない」と判断しているため、古泉一樹はそっちの世界に行くことへの協力を拒まれている。涼宮ハルヒがこっちの世界から消える意思がない以上、情報統合思念体も気にしていない。むしろ観察対象である涼宮ハルヒの新しい情報奔流能力を見るいい機会ということで注視しているほど。
『この世界を消失させるにはどうすればいい? こっちにはそっちの世界とはまた別の世界から来た人がいる。この世界の誕生で、その世界が滅ぶと教えられた』
 YUKI.N>どうにもならない。世界誕生は涼宮ハルヒの意志。涼宮ハルヒが望まない限り、その世界が消失することはない。ゆえに青白い巨人は涼宮ハルヒがそっちにいる限り無限に生まれる。
『それでも何とかしようとするには?』
 YUKI.N>涼宮ハルヒをそっちの世界から消失させること。手段は問わない。

 ……やっぱり、そういう結論なのか……
 俺はそれ以上、カーソルを進めることなく、がっくりと椅子の背もたれに背中を預けた。


 さらにしばらく時間を置いてから、俺は中庭に降りて行った。
 そこにはすでにハルヒが腕を組み、仁王立ちで俺を出迎えてくれていた。
「首尾は?」
「何も」
「なら次はあんたが新館。あたしが旧館よ」
 言ってハルヒが旧館に向かおうとした矢先、


 天地がひっくり返ったかと思うほどの突き上げるような地響きが俺たちを襲ったのであった。


 まあ無理もない。ふと横を見てみれば、これまた突然わいてきたとしか思えない《神人》が一体、新館を後ろから破壊し始めたのである。
 って、おい! こんなところまで発生してるってことは……
 いやな予感を胸に、俺は新館ではなく校庭へと駆け出した!
「ちょっとキョン!」
 ハルヒも付いてくる。
 そして新館脇を抜け、いきなり青白い光が視界いっぱいに開けたと思った時、俺は信じられない光景を目にすることとなった。
 いったいどれだけ長門とやり取りしていたかは分からない。
 それほど長い時間でもなかったと思っていたのだが――
 校庭では、打ち倒された《神人》たちが校庭を埋め尽くすほど累々と横たわり、その全てが透明感をさらに薄くさせて消滅しかかっていたのである。
 が、そんなものは大したことじゃない。いや、大したことではあるのだがすでに倒された分は本当に大したことじゃない!
 さらにその向こうにまだ数体いるのである!
「蒼葉さんは!?」
 ハルヒの声で俺は周囲を見渡す。しかし彼女の姿はどこにもない!
 どこだ? まさか押しつぶされたとか言うんじゃないだろうな?
 悲観的な想像がわき起こったりもしたのだが、
「キョン! 上よ!」
 叫ぶハルヒが両手で俺を無理やり上に向かせる!
 んな!?
 そこに蒼葉さんが飛んでいた! 宙に浮いているのだ!
 初めて見たが、これが魔法!? マジで使えるのか!?
 信じられないのも無理ないってもんだぜ。
 確かにハルヒは蒼葉さんが超能力=(表現はされていなかったが)蒼葉さんの言葉を借りるなら『魔法』を行使すると言っていたが今、目の当たりにしてもまだ信じられん!
 まるで漫画かゲームの世界にいるみたいだ!
「ライツオブグローリー!」
 そんな俺の心の葛藤を余所に、蒼葉さんの右手から放たれた眩いばかりの光の――もうレーザー砲と言っていいだろう!
 とにかく光の巨大な光線が新館と旧館の間に現れた、俺とハルヒが見たあの《神人》を呑みこむ!
 立て続けざまに宙に浮いたまま振り返り、
「ダイヤモンドダストスパイラル!」
 ロッドを振り降ろし、放たれたのは雪の結晶が竜巻に撒き散らされている、見た目で判断させてもらうが、吹雪以上の凍てつく暴風!
 《神人》数体の緩慢な動きがさらに緩慢になっていき――やがて完全に凍りつく。
 そこへもう一発!
「ブレイズトルネード!」
 もう一度、勢いよく振りかざしたマジックロッドから、今度は業火を渦巻く竜巻が《神人》の氷彫刻を破壊した!
 再び、世界に闇と静寂が訪れて、蒼葉さんが着地する。
 もうすでに校庭に倒された《神人》の屍は消滅していた。
 あまりの奇想天外な出来事に俺は半ば茫然としていて、蒼葉さんの首筋に汗が滴っていることに気づきもできなかったのだが――

 !!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!

 どうやら世界の沈黙は一瞬だったらしい……
 再び、校庭の向こう側に《神人》が一体、浮腫み上がってきたのである。

 

 

涼宮ハルヒの異界Ⅲ


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