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 部室に帰還したのは、出発の約一分ごでした。時間酔いを起こすだろうからということで、なるべくはやくにもどってきたのです。
 といっても、むこうでは、あのあと一時間以上も、お話をしたり散歩をしたりしてすごしたんですけどね。おかげで、古泉くんのさまざまな面をしることができました。
「ありがとうございました、朝比奈さん。今日のことは、一生わすれないと思います」
 時間酔いから回復したあとすぐ、彼はそういって、部室を去っていきました。
 つぎの長門さんを待つまでのあいだ、ぼんやりと古泉くんのことを考えました。
 いうまでもなく、古泉くんのトレードマークは笑顔です。だけど、それは同時に、彼が本心をかくすためにかぶった仮面のようなものでもあった気がします。
 今日、わたしは、古泉くんの仮面のしたの素顔にふれることができました。彼も、こちらが本気でふみこんだことで、心をひらいてくれました。
 でも、わたしは、これでいなくなる人間です。せっかく心をひらいてもらっても、こんご、古泉くんを慰めてあげられる機会はありません。
 願わくは、素顔の彼とむきあい、癒してあげられるひとがあらわれることを。わたしはそう思いました。
 音もなく、部室の戸が開きました。長門さんでした。
 はじめてあった二年まえから、まったくかわらない外見の彼女が、まるですべるような足どりで、わたしのそばまで寄ってきました。
 そして、じっとわたしを見つめました。
 穴のあくような見つめかたでした。無言で、ただひたすら凝視されました。
 え、ええと、どうしたのでしょう。彼女に、このようにじっくりと見つめられたのは、ついぞ記憶にありません。そんなつもりはないのでしょうが、なんだか、にらまれているようです。
「説明を要求する」
「ひゃ、ひゃい? 」
 いきなりの言葉に、わたしは思わずへどもどしてしまいました。
「朝比奈みくる、あなたと古泉一樹がさきの会合の途中で、六十三秒間この世界から存在を消失していたことは把握している」
 まばたきひとつせず、長門さんは早口でまくしたてました。
「おそらくは、なんらかの事情により時間移動をおこなっていたと推測する。わたしには、SOS団メンバーの観測と保護のために、正確な状況をしる必要がある」
 ずいと、長門さんがまえに出てきました。あまりのいきおいに、わたしは思わずあとずさってしまいました。
「かりに、今回のことが未来人勢力および超能力者勢力による独自の連携行動だったとしても、情報統合思念体には、あなたの依頼でこの部室に情報操作をほどこした対価として、理由をしる権利がある。朝比奈みくる、ただちに説明して」
 もしかしたら、長門さんはすこし怒っているのかもしれません。なんとなく、そんな気がしました。
 いえ、わたしはキョンくんとちがい、彼女のちょっとしたしぐさや雰囲気から、感情を読みとってしまうというようなスキルは持ちあわせていませんので、あくまでもなんとなくなのですが。
 たしかに、考えてみると、長門さんが怒る理由には、いくつか心当たりがありました。
 たとえば、これまでつねに規定事項の中心であったキョンくんではなく、古泉くんを連れだしたことで、意外さから混乱をさせてしまったとか。ほかにも、くわしい説明をしていないので、利用された、あるいは出しぬかれたと感じた可能性もあります。
 とくに後者は、うかつでした。長門さんなら、説明しなくても気にしないと、いつのまにかかってに考えてしまっていたようです。わたしはあわてて、任務の概要についてお話することにしました。
 もっとも、わたし自身にも、今回の任務がもっている意味はつかみきれていないので、古泉くんにした説明と大差ないことしかいえませんでしたけど。
 それと、古泉くんの過去については、くわしく語ることは避けました。SOS団の仲間として、友人として、重要なことではありますが、かといってわたしの口から明かすようなことでもありません。
 こちらの説明を、長門さんはだまって聞いてくれました。
「というわけだったんです。お話をするのがおくれて、すみませんでした」
「いい」
 どうやら、長門さんは、納得してくださったようです。わたしはほっと息をつきました。
「ま、まずは、これをどうぞ、長門さん」
 話に一段落ついたので、とりあえず、例のぬいぐるみをわたすことにしました。
 彼女のぬいぐるみは、カーディガンをはおっているデザインでした。長門さんの儚げなイメージにあわせるため、髪色をうすいグレーっぽくしました。
「これは、わたしの姿をかたどったもの? 」
「はい、そのつもりです。鶴屋さんがデザインして、わたしが縫いました」
 すると、長門さんはぬいぐるみを手にもったまま、彫像のようにかたまってしまいました。目のたかさをあわせ、見つめあっているような雰囲気でした。
「あの、長門さん? 」
 長門さんが、ぬいぐるみを抱きしめました。そうして、わたしのほうに目をやったかと思うと、なぜかすぐにうつむきました。
「わたしという個体は、この贈りものにたいして、喜ばしいと感じている。しかし……」
 ぽつりとつぶやくように、長門さんがいいました。
「もうしわけない。こういうとき、どのように表現すればいいのか、よくわからない」
 なにか、そのしぐさが悲しげに感じられ、わたしは思わずいってしまっていました。
「わ、笑うとか? 」
 すると、長門さんは顔をあげ、恨めしそうな表情をうかべました。
「このインターフェースに、そのような機能はない」
 どこか拗ねたようにそういって、だけど長門さんは、すぐにとてもうれしそうな顔をしました。
 ほとんど顔面の筋肉はうごいていませんでしたが、彼女は笑おうと努力しているようでし……あれ? 
 ど、どうしちゃったのかな、わたし。
 なんだか、さっきから長門さんの表情というか、感情が読めているような気がします。勘違いでしょうか?
 確認のため、わたしは彼女に顔をよせ、視線をあわせてみました。長門さんは、わずかに小首をかしげ、こちらを見かえしてきました。
 やっぱり、わかります。長門さんは、いま顔を近づけられて、はっきりととまどっています。
 もちろん、正確にいえば、そのように感じるというていどのことでしたが、すくなくとも、いままで彼女を無表情だと思っていたのにくらべると、雲泥の差でした。
「なに? 」
「いえ、その、なんでもありません」
 さすがに、あなたの感情がいきなり読めるようになりましたなどとはいえないので、ごまかすことにしました。
 それにしても、これはどうしたことでしょう。ここにきて突然、長門さんの表情が読みとれるようになったなんて。前触れのようなものはなにもなかったため、わたしはかなりふしぎに感じました。
 うーん、いまのわたしは、任務のために、思考規制が大幅にゆるんでいるけど、それが関係あるのかなあ。でも、こんなことが禁則に該当していたとも思えないから、脳の機能が活性化しているせいで、いままで見逃していたことに気づけているだけなのかも。
 つかのま、あれこれと理由を考えていると、長門さんは、放置されたパソコンが、スクリーンセーバーを起動するみたいに、どこからともなく電話帳のような厚さの本を取りだして、読みはじめました。
 い、いけません、せっかくこのような場をもうけてもらったのに、時間をむだにするところでした。
「まってください、長門さん。すみません、もうひとつ用事があるんです」
 本から顔をあげ、彼女がこちらを見かえしてきました。
「さっき、古泉くんとの時間遡行の説明をするときにも触れましたが、今日のわたしは任務の遂行のために、いくつか規制がゆるめられ、権限も増やされています。それを利用して、あなたとの最後の思い出と、つながりをつくりたいと考えています」
「そう」
 いうがはやいか、長門さんはいとも無造作に、人間の頭よりもおおきな本を制服のポケットにしまいこみ――四次元空間にでもつながっているのでしょうか? ――居ずまいをただしました。直立不動の姿勢でした。
 じっと、わたしの目を見ることで、長門さんは話のつづきをうながしてきました。
「じつは、歌をおぼえてほしいんです。未来の子守歌で、わたしにとってはお母さんから教えてもらったものになるのですが」
 今朝、鶴屋さん相手にうたってしまいそうになったあの子守歌を、わたしは思い浮かべていました。
 たかが子守歌ではあっても、後世のものである以上『未来知識の伝達』という禁則にあたることにちがいはありません。
 ただ、今回ゆるめられたいくつかの規制のなかに存在していたところを考えると、たぶん任務のなかでなら、他人に明かしてもいいのだろうと判断したのです。
 ちなみに、なぜそれが長門さん相手なのかといいますと、消去法的思考の結果によります。
 まず、涼宮さんやキョンくんには、それぞれやりたいことをすぐに思いつきました。また、古泉くんは、時間旅行を体験してみたいという本人の願望がありました。いっぽう、長門さんだけは、わたしの能力で楽しませてあげられそうなことが、なにもありませんでした。
 したがって、時間遡行を古泉くんに、未来知識の伝達を長門さんのために行使することにしたのです。
「よろしいでしょうか、長門さん? 」
「了解した」
 かすかな首肯ののち、長門さんはそのままだまりこんでしまいました。こちらがなにかするのを、ただ待っている様子でした。
 正直にいって、彼女はすてきなひとだとは思いますが、こういうところは苦手でした。この無口さ、ぶっきらぼうさのせいで、相対していると、意味もなく緊張してしまうのです。
 とはいえ、長門さんがそういう性格になったのは、あくまで彼女の上司的存在である情報統合思念体がそのように作ったからであって、本人がのぞんだ結果ではないのもわかっています。だから、わたしは極力、苦手意識を出さないようつとめました。
 ふと、ある考えがひらめきました。
「歌をおしえるまえに、お願いがあります。長門さん、このことを、情報統合思念体に報告しないでいただけますか?」
 その申し出に、長門さんは怪訝そうな顔をしました。
「理由を」
 悪い意味で疑われたり、警戒されているという感じではありませんでした。長門さんは、単純に、わたしのお願いの意図するところがわからないようでした。
「ふたりだけのつながりをつくるためです。いまからおしえるのは、すくなくともこの時代には存在しない歌です。ほかのだれも、情報統合思念体さえもしらなければ、わたしたちの共通の秘密になりえます」
 実際には、それはただの気分の問題でした。なんとなく、わたしたちの秘密を、いまの情報統合思念体にはしってほしくなかったのです。
 なお、わたしの上司は、この歌のことをたぶん把握しているはずですが、彼もしくは彼女は未来の人間なので、最低でもその時代までは秘密が守られることになります。建前のようなものではありますけどね。
「すこしまって」
 くちびるをわずかに動かして、長門さんはなにか呪文をとなえたようでした。
「完了した。この会合の内容は、情報統合思念体によるあなたの時代での未来人組織への情報開示要求というかたちで伝達されることになった。緊急性のある案件ではないと報告したので、異時間同期をおこなってまで知識共有をはかろうとはしないと思われる」
「どうもありがとうございます、長門さん。では、うたいます」
 おほんとひとつ咳払いをして、あらためてわたしは彼女にむきなおりました。そうして、音程をはずさないように気をつけながら、ゆっくりめのテンポで子守歌をうたいました。
 子守歌の歌詞は、母親が子供のために、神さまにいくつかのお願いをするというものです。
 ひとつ願いがかなうなら、百まで生きて、この子の将来を見とどけたい。
 ふたつ願いがかなうなら、声の綺麗な鳥になって、この子のためにずっと子守歌をうたってあげたい。
 みっつ願いがかなうなら、わたぼうしをとばす春風になって、さむい日にこの子をつつんであげたい。
 すべてをかなえて、最後にまだ願うことがゆるされるなら、もういちど生まれかわって、この子の母親になりたい。
 そんな内容の歌詞でした。
 目をとじて、長門さんはじっと聞きいってくれているようでした。歌いおわると、わたしは彼女に話しかけました。
「こんな感じです、長門さん」
「おぼえた。いまから確認をとる。聞いて」
 こんどは、長門さんが歌いはじめました。
 あまり抑揚のない歌いかたでした。卒業式のライブでは、叙情的なギター演奏を披露してくれた長門さんでしたが、この歌いかたは、どちらかというとボーカロイドのようです。
 だけど、それにもかかわらず、わたしの心は波立っていました。
 なにしろ、わたしにとっては幼いころの思い出がつまった子守歌であるため、家族の顔や、子供のころのことが、脳裏に鮮明にうかんでしまったのです。
 だからでしょうか。歌がおわったとき、わたしは長門さんの顔をまっすぐに見ることができませんでした。彼女のふしぎそうな声が、部室にひびきました。
「なぜ、泣いているの? 」

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