お茶を買いなおす気にはならなかったので、そのまま歩くことにしました。
橘さんたちの姿は、もう見かけませんでした。ひとにぶつかったせいで、鬼ごっこに興ざめしてしまったのかもしれません。
歩いているうちに、バスケットボールのコートが近づいてきました。
小学生ぐらいの男の子たちが、三対三のバスケットボールをしています。まわりには、応援をしている子供たちや、彼らの保護者とおぼしき数人のおとなたちの姿もありました。
「朝比奈さん」
そっと、古泉くんがわたしの耳もとに顔をよせてきました。
「いまから、ちょっと僕にあわせてもらえませんか? こんどは、突き飛ばしたりしないでくださいね」
「ふぇ? 」
言葉の意味を理解するまえに、古泉くんが、わたしの手をにぎってきました。
指が、からまってきました。
あ、あの?
これ、恋人同士がする手の握りかたのような……。
あわてるこちらを尻目に、古泉くんはあたりまえのような顔で、わたしの手を引いてきました。
強気で、大胆な行動でした。彼のような美形の男性に、このようなことをされたら、惹かれてしまう女の子はおおいのではないかと思わせるやりかたでした。
手をつないだまま、バスケットボール見物の輪のなかにはいっていきました。
見ると、ふたりの男の子が、おたがいにボールをパスしながら、相手チームの隙をねらっているところでした。
「おい、こっちだ」
はなれた場所にいた子が、ボールをもっていた子に声をかけました。
声に反応して、その子が相手にパスをまわそうとした瞬間でした。
ひとりの少年が、さっと走りよったかと思うと、よこからボールを奪ってしまいました。すぐに距離をとり、その場でドリブルをはじめました。
「いいぞ、イツキ」
チームメイトの子たちが、その少年にかけた声を聞いて、わたしは思わず古泉くんのほうにむきなおりました。
とくに反応はせず、古泉くんは笑顔でバスケ観戦をしているだけでした。
イツキと呼びかけられた少年が、ドリブルしたまま、走りはじめました。するどい動きで、そばによってきた相手チームの子たちを、またたくまに抜きさります。
三人めの子が、イツキ少年に張りついてきました。
この子は、なかなか運動神経があるようです。イツキ少年は彼を抜くことができず、膠着状態におちいりました。
相手チームの子たちがイツキ少年を囲みはじめました。
じっと、イツキ少年はゴールを見すえています。
すると、視線はまったく動かさないのに、イツキ少年は突然、ボールをよこに投げてしまいました。
なにがおこったのかと思うまえに、チームメイトの子がそのボールを受けとり、ゴールめがけて突進していきました。
またたくまに、相手チームの子たちが散開し、連携してボールをもった子にまとわりついていきました。
さすがに、うまく身動きがとれないのか、ボールをもった子はだんだんとゴールからはなされていきました。
ふたたび、膠着にはいるかと思われました。ところが、ボールをもった子は、いきなりロングシュートを敢行しました。
そこからでは、遠すぎなのでは。そう心のなかでつぶやきつつ、ボールの動きを目でおっていたわたしの視界に、ひとりの少年の姿がはいってきました。
「いけえっ、イツキぃ! 」
まだ空中にあるボールを、イツキ少年がもぎとり、体勢もととのえずに、そのままシュートをはなちました。
狙いはあやまたず、ボールはゴールのネットに吸いこまれていきました。
「よっしゃあ! 」
勝ったほうの子たちが、よろこびをわかちあいはじめました。イツキ少年も、ガッツポーズをとって、叫び声をあげていました。さらに、パスをわたした子から、抱きつかれたりしていました。
「白熱した試合でしたね。見応えがありました」
ややおおきめの声――まわりに聞こえることを意識しているような――で、古泉くんがいいました。
「そうですね」
なにを意図して、古泉くんがそのようなことをしているのか、いまいちつかめませんでした。こちらの困惑をしってかしらずか、彼は、やはり微妙におおきめの声で、バスケットボールの歴史にかんする薀蓄を語りはじめました。わたしはそれにたいして、あいまいな相槌をうつことしかできませんでした。
「君は、バスケが好きなのかね? 」
よこから、だれかに話しかけられました。
背が高く、痩せていて、白髪のおおい男性でした。
「バスケだけでなく、野球やサッカーなど、球技全般が好きですね」
笑顔で、古泉くんが返事をしました。
はじめ、バスケットボールをしていた子たちのだれかのおじいさんかと思いました。でも、よく見ると、そこまで年をとっているわけではなさそうです。あるいは、お父さんなのかもしれません。老け顔の中年という感じがしました。
「そちらの子は、彼女かな? 」
しばらく古泉くんと球技談義をしていた男性が、こちらに話をふってきました。わたしは、だまって会釈をしました。
知らないひとに、そう勘違いされてしまうのは当然だろうと思いました。なぜなら、古泉くんは、さきほどからずっと、わたしの手を恋人つなぎで握っていたからです。
だけど、なぜでしょうか。
けっして痛くはありませんでしたが、それでも、古泉くんはかなり強い力で、わたしの手を握っていました。まるで、ひどく緊張していて、すこしでも平常心をたもつために、すがりついているかのようでした。
「いや、おはずかしい。じつはつい最近、つきあいはじめたばかりでして」
照れたように、古泉くんがいいました。わたしは、できるだけ気持ちをおちつけるようつとめました。
それから、なるべく不自然な態度にならないように気をつけて、彼の横顔をながめてみたりしました。
「若者らしくないな。そのようなことをいってはいけないよ。こんなにかわいい彼女がいるなら、むしろ誇ったほうがいい」
男性が、楽しそうに笑っていました。
「父さん」
ふいに、子供の声がしました。男性のそばに、ひとりの男の子がたっています。
見覚えのある子でした。
「おお、イツキか。どうした」
「いっぱいうごいたから、喉がかわいたんだ。ジュースかってきてもいい? 」
ちょっとまてと返事をして、男性はサイフから小銭をとりだし、少年に手わたしました。
それから、少年の頭をぽんぽんと軽くたたきました。
少年は、くすぐったそうな顔でそれを受けながすと、自動販売機があったほうにむかって駆けだしました。
「お子さんでしょうか? 」
「ああ、俺の自慢の息子だ。運動神経がいいし、学校の成績だって悪くない。まあ、親馬鹿だがね。……あとは、そうだな。君のように、かわいい彼女でもつくってくれたら、いうことなしだよ」
もういちど、わたしは古泉くんの顔を見つめました。彼は、ただほほえんでいるだけでした。
長門さんの表情を読みとれるキョンくんだったら、古泉くんがいまなにを考えているのかもわかるのかしら。なんとなく、わたしはそんなことを考えました。
古泉くんと男性は、そのごもあたりさわりのない世間話をつづけました。ほどなく、イツキ少年がもどってきました。
「そろそろ帰ろう、父さん」
「うん? そうか、もう時間か。それじゃあ、君たち、元気でね」
ふたりが、連れだって去っていきました。そのうしろ姿を見おくるあいだ、古泉くんはずっと無言でした。
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最終更新:2020年03月15日 16:48