そのご、わたしと鶴屋さんは、すこし気持ちを落ちつかせてから、寝室を出ました。
 客間のひとつで、使用人のかたに絞りたてのグレープフルーツ・ジュースを一杯ふるまっていただいたあと、武道場にむかいました。武術の鍛錬のためです。
 というのも、この一週間は毎朝、鶴屋さんにつきあって武術を習っていたのです。彼女とのつながりにしたかったので、ひとつでも技を教えてもらおうと思って、こちらからお願いしたことでした。
 ずいぶんと飲みこみの悪い弟子になってしまいましたが、鶴屋さんはいやな顔ひとつせずに教えてくれました。
「おおっ、今日はどうしたんだい? 動きが昨日までとちがうよ! 」
「そ、そうですかぁ? 」
 おそらく、思考規制がゆるまっている効果でしょう。わたしの運動能力も、たぶん以前とくらべて三割ぐらいよくなっている気がします。
 とはいえ、もとがたいしたことないので、そこまでいうほどかわりませんが。げんに、鶴屋さんはちょっと汗をかいたぐらいなのに、わたしはぜいぜいと息をきらしていました。
「よっしゃ、ここまで! さあ、シャワーを浴びるよ! 」
「ふぇええ、まってくださいよう」
 汗を流しおえると、あさげの時間です。メニューは、グリンピース入り玄米ごはんに、さよりの一夜干しを焼いたものと、野菜料理のお皿がふたつ、さらにお椀がひとつでした。香の物として、オクラの浅漬けもあります。
 野菜料理は、ほうれん草をゆでてすりゴマとあえたものと、ニンジンとゴボウのきんぴらです。お椀は……ええと、タケノコとワカメのおみそ汁ですね。
 名家の朝食にしては、ふつうだと思いますか? でも、さよりは旬のお魚ですし、タケノコも新物だそうで、やわらかくてとてもおいしいんですよ? 
 それに、彼女は、鶴屋流古武術の継承者で、つまりアスリートとしての顔も持っているので、あんまり体に悪そうなもの――脂っこかったり、ジャンクだったり――は食べなかったりします。
 もちろん、まったくそういうのを口にしないわけでもありませんが、せいぜいのところ、おつきあいに必要なときぐらいですね。すくなくとも、わたしが泊まっているあいだの食事は、毎回このような感じでした。
 デザートには、キウイフルーツをいただきました。鶴屋さんは、スモークチーズをかじっていました。最近のお気に入りみたいです。
 食事をおえると、卒業式の時間までは暇なものでした。
 鶴屋さんは、新聞に目をとおしていました。ただ見ているのではなく、複数社の朝刊を読み比べているようです。
 いっぽうのわたしはといえば、テレビのニュースを見ながら、ぼんやりと考えごとをしていました。今回のわたしの任務『帰還の時刻まで、あなたは自身のとりたい行動をとれ』についてです。
 そんなことをいわれても、なにをすればいいのかさっぱり思いつきませんでした。
 うーん……。とりたい行動……やりたいこと……。
 ふと、鶴屋さんのほうに目をむけました。あいかわらず、真剣な顔で、新聞を見つめています。家の次期当主として、社会情勢にも精通している必要があるからなのでしょう。複数社を見比べるのは、ひとつの考えに凝り固まらないようにということかもしれません。
「あたしの顔になんかついてるかい? 」
 ふいに、鶴屋さんが顔をあげました。
「いえ……。なんだかちょっと、時間があいちゃったから」
「なら、ハルにゃんたちに電話でもかけたら? キョンくんだけは寝坊してそうだけど、ほかの子たちは、きっともうみんな起きてるにょろ」
 そういって、鶴屋さんは屈託のなさそうな笑みをうかべました。
「いやぁ、じつはねえ。あたしがずっとみくるを独占してたから、ちっと気になってたっさ。みんなも、よろっとあんたの声を聞きたがってるんじゃないかい? 」
「独占だなんて。むしろ、いままでは鶴屋さんと過ごす時間のほうがすくなかったぐらいですし」
 実際、三年生になってからの鶴屋さんは、かなりいそがしくなっていました。学校こそ皆勤だったものの、放課後と土日祝日はほぼ全滅です。ときには、暇をみつけて遊んでくれたりといったこともありましたが、卒業が近づくにつれ、その頻度は激減していきました。
 だから、この一週間は、鶴屋さんにとっては高校時代、いえ、少女時代最後の休日のようなものなのです。それを、わたしとふたりですごしたいといってくれた以上、友人として、優先しようと思うのはあたりまえのことです。
 さいわいなことに、涼宮さんも、このお泊りは認めてくれたし、未来からも『涼宮ハルヒの意向にしたがえ』との連絡がきていたので、わたしは団活には出席せず、ずっと鶴屋さんのそばにいたのでした。
「でも、あたしもそろそろ『お休み鶴屋さんモード』から『次期当主モード』に切り替えなきゃなんないから、もうみくるの相手ができなくなるっさ……。退屈させてごめんね、こっちから誘ったのに」
 新聞をめくりかけたまま、鶴屋さんが悲しげに目をふせました。
「あ、そ、そんな。気にしないでください。わたしは、鶴屋さんの顔を見ているだけで、充分たのしいですから」
「ぬぁにぃ? それって、あたしの顔がおもしろいってことかい? 」
 一転、鶴屋さんの表情がかわりました。眉をつりあげ、ぷくぷくとほっぺをふくらませて、ほんとうにおもしろい顔……じゃありません、ち、ちがいますってば。
「あっはっはっはっは、みくる、本気であわててるっさぁ」
 ふくれっ面のつぎは、破顔一笑です。まるで百面相ですね、鶴屋さん。
「もう、からかわないでくださいよう」
「ごめんごめん、悪かったっさ。……けど、さっきいったのもマジなんだよねえ。なんなら本か、ひとりで遊べるゲームでも用意させるけど」
 そこまでお世話になるわけにもいきません。わたしは彼女の申し出を辞して、テレビに視線をもどしました。
 もっとも、テレビの内容は、まったく頭にはいっていませんでした。じつは、いまの鶴屋さんとのやりとりから、あるアイディアをひらめいていたのです。
 わたし自身のやりたいこと。あたえられたいくつかの条件。そして、それらとこのアイディアを結びつけたうえでとるべき行動はなにか。
 以降は、暇を感じるまもなく、考えに没頭してしまいました。計画を練るのに夢中になりすぎて、いつのまにか式の時間が近づいてしまい、鶴屋さんに準備をせかされたり、またしてもからかわれたりしたほどでした。

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最終更新:2020年03月15日 16:32