ここは、どこだろう?
五月に見た夢と似ているような気がする。
だけど、違う。
あそこは邪悪な世界じゃなかった気がする。
あの建物をぶち壊していた巨人もあたしの味方だったような気がする。
だけどここは…。
決してあたしの味方じゃあない。
巨大な洞窟の中のようにも見える。
ただっぴろい、大きくくりぬかれたような空間。
それでも中の様子はよく見える。
岩壁には、鍾乳石のように垂れ下がった岩のようなもの。
それが天井だけじゃなく、ウニのトゲのようにすべての壁に生えている。
きっと太陽の光など絶対に入ってこない、地中の奥深く。
早くここから逃げ出さなきゃいけない。
そう思った途端、まわりの細長い岩が生き物のようにするする伸びて、あたしの両腕にからみついた。
「放しなさいよ、バカッ!」
あたしの叫び声にもかかわらず、そのからみついたモノはみるみるあたしの体を持ち上げ、洞窟の中央にぶら下げてしまった。
「何する気?! ヘンなことをしたら承知しないわよ!」
すると目に見える限りの鍾乳石みたいなものがうねうね動き出した。気持ち悪いわね…。
と思った途端、そのイソギンチャクの触手のようなものが、突然槍みたいに鋭く尖った!
その矛先は全てあたしの方を向いている…。
磔にされたあたしには、逃れるすべはない。
無数の槍がいっせいにあたしに向かって伸びてきた!
「くっ…。」
目をつぶった時、ものすごい大音響と、瞼の内側からでもわかるような閃光があたしの耳と目を貫いた。
おそるおそる目を開ける。
大爆発が起きている。あたしを襲おうとした触手たちが、ぶすぶすという音を立てて焼け焦げている。
「涼宮さん…、大丈夫ですかあ?」
下を見た。あたしから見て右側の岩壁の近く。栗色のウェーブのかかった長髪。あどけない声。どでかい胸。
みくるちゃん?
みくるちゃんはレザーのような質感の、ライダースーツのようなものを着て、ゴーグルをかけている。手には流線形の、SFマンガに出てくるような銃を手にしていた。
「光線銃です。ビルの一つや二つふっとびますよ! それより、わかりますよね。こいつらは鈴宮さんの敵。SOS団の敵です! あたしだって団員です。鈴宮さんを守りますよ!」
みくるちゃんは銃を乱射し始めた。狙う必要はないらしい。そこら中が敵だから必ず当たる。
音響と閃光で何がなにやらわからなくなった。煙がもうもうとたちこめる。みくるちゃんが撃つのをやめた。と同時にさっきの無数の槍が、今度はみくるちゃんに狙いを定めている。
いっせいにみくるちゃんの小さな体に向かってそいつらが突進する!
そいつらが体に突き刺さる一瞬前に、みくるちゃんの姿が消えた。
どういうこと?
と思う前にみくるちゃんがそこから三メートルくらい左側に突然姿を現した。
ほっとしたのもつかの間、やっぱりみくるちゃんはみくるちゃんだった。
バランスを崩したのか、何かにつまずいたのか、ころんでしまった。
こんな時にドジッ子属性を発揮しなくてもいいじゃない!
ってあんた、銃を落としてどうするのよ!
「みくるちゃん、うしろ!」
「きゃあああっ!」
みくるちゃんが口をおさえる。くそ、あたしの体さえ動けば、あんな奴ギッタンギッタンにしてやるのに!
そいつが体を貫く前に、みくるちゃんの姿が消えた。
「みくるちゃん……?」
今度はみくるちゃんは姿を現さなかった。
敵によって消されてしまったのだろうか。それともさっきのように姿を消して逃げることができたのだろうか……。そうであると信じたい。
さっきの触手たちが再び針のように尖る。
確実にあたしに狙いをつけている。
今度こそ最期だ。
もう目をつぶらない。
そんなのはあたしらしくない。
しっかりと見てやる。
いっせいにそれが飛びかかってきた時、空中に二メートル位の紅い玉がぼうっと現れた。
あたしの体の前にある紅い玉にあたって、無数の槍がべきべきと音を立てて折れる。
「味方……なの?」
「当たり前じゃないですか。」
紅い玉は声が出せるらしい。
「誰……?」
「おやおやひどいですね……。副団長をお忘れですか、団長殿?」
「まさか……あなたは……。」
「僕です。古泉一樹ですよ。」
まさか…、紅い玉になって空を飛べるなんて…。だけど、さっきみくるちゃんは光線銃を持っていたし、どういうことなの?
「申し訳ないですが、今は説明している暇がありません。忙しくなりそうだ…。」
無数の槍があたしたちを襲う。だけど古泉君の戦いぶりには危なげがなかった。
火の玉のようなものを次々と発射し、槍を確実に撃ち落とす。それでいて本体はあたしの前から微動だにしない。
さすが副団長、頼りになるわ。みくるちゃんとは違うわね。
助けてもらってあんまりだけど、さっきはあたしの方がハラハラさせられたし。
と、一本の槍が古泉君の火の玉をくぐり抜けて迂回し、あたしの背後に回った!
「古泉君!」
「大丈夫です!」
後ろを振り返ると左側から槍があたしに迫ってくる。それを紅い玉が右上方から二倍以上のスピードでぶちあたり、殴り飛ばすように撃ち落とした。
「ふう……。」
「驚かせてしまってすみません。以後気をつけます。」
こういう所が紳士なんだわ、古泉君は…。どっかの誰かに見習わせたいわね…。
だけど槍は何本でも伸びてくる。キリがない。それになんだか紅い玉の光がだんだん弱くなってきているような気がする。
「古泉君、このままじゃ…。」
「わかってます。僕は時間稼ぎにしかすぎません。バトンは渡しましたよ、長門さん!」
紅い玉がぼうっと消えた。
代わりに空中に浮かんでいるのは、セーラー服に小柄な体、見慣れたショートヘア…。
後ろ姿だけど見間違えようもない。
「有希なの……?」
「話しかけないで。気が散る。」
何よあんた、愛想がないわね…。キョンの前ではけっこうしゃべるくせに…。
妬いてる場合じゃないけど。
だけどあたしがいちばん不安なんだから、話し相手になってくれてもいいじゃない…。
その点古泉君は偉いわね。あたしを守るだけじゃなく、不安にさせないようにしてくれたみたいだし。
無数の槍は相変わらずこちらに伸びてくる。ワンパターンの攻撃ね。つまんないわ。
有希が手をかざすと、槍が次々に消えていく。古泉君はいちいち撃ち落としてたけど、こっちの方がスゴイ。
三人ともすごいけど、有希がいちばん強いんじゃないかしら…。
ついに有希は全ての槍を消してしまった。
岩壁は尖った岩も触手もなにもないのっぺらぼうになっている。
急に静かになった。
「やったの…?」
「だいじょうぶ…。」
あたしはやっと安堵のため息をついた。どうにかなったらしい。
だけどみくるちゃんと古泉君は大丈夫だろうか…。
「ねえ有希、みくるちゃんと古泉君は…。」
「来る。」
来るって、何が来るのよ…。
するとさっきまでのっぺらぼうだった全ての岩壁に、にょっきりと無数の槍がいっせいに生えてきた!
「何よ! ずるいじゃない!」
今度は伸びてくるんじゃなくて、弓矢のように飛んできた!
「うかつ。」
有希が手をかざす暇もなかったらしい。
ドスッ、ドスッ、ドスッ、ドスッ、ドスッ…。
いやな音がする。
有希の体に無数の槍が突き刺さっている。
一本は肩から脇腹にかけて、一本は胸から背中にかけて、一本はお腹から肩にかけて、一本はお腹から背中にかけて、もう一本は脇腹から背中にかけて…、小さな体を貫いていた。
空中に浮いていた有希がゆっくりと下降していく。
「有希! 有希! ゆきぃ……。返事をしなさい! ゆきいっ!」
下を向いて大声で叫ぶ。
何も聞こえない。
有希は大丈夫だろうか。
あんなことになったんだ。大丈夫なはずがない。
不安と焦燥と恐怖がたちまちあたしを包み込む。
もう、あたしを守ってくれるひとは誰もいない。
みんなが守ってくれたのにこんなことを考えるのは利己主義的だとは思うけど、やっぱり死ぬのは怖い。
岩壁にあった無数の槍がつぎつぎに収斂して一本の巨大な棒になっていく。
完成したそれはあまりにも禍々しく、気持ち悪かった。
そしてそれはなんのためらいもなく、あたしに向かって飛んできた!
今度こそ本当に最期なのだろう。
と思った時、下降していった有希が岩の床を蹴って、天井に向かってジャンプした。
有希は天井近くでトンボを切ると、そのまま下降してあたしの前にふさがった!
ドスッ。
のあとに、
メキッ。
という音がした。
ビシャッという音がして、あたしの体になにかがかかる。
ひいっ…血?
有希は自分の体の幅の七割くらいある太いものに貫かれている。
さっきまで体を貫いていた五本の槍は、これに押し出されてしまったらしい。
どこかから声がする。きっと敵の声だ。
「有機結合情報連結解除。」
何のことだかわからないけど、有希にとってよくないことをしようとしているのは気配でわかる。
「情報連結、解除開始……。」
声がやむと、有希を貫いている太い棒と、有希の体が棒のそばから光っていく。
光は粒子となる。光の粒がまるで砂粒のように崩れ落ちていく。
みるみるうちに有希の全身が崩れていく…。
「ゆ…有希…。」
もう有希の体は首から上しかない。
ヨカナーンの首のように空中に浮いている。
有希が首だけであたしの方に振り返った。
「へいき。」
「へいきって…。」
「まだ彼がいる。」
「彼って…アイツのこと…?」
「そう。わたしも時間稼ぎ。もうすぐ彼が来る。あなたを守る、最後の砦…。」
「ちょっと待ってよ!」
有希はそれだけ言うと、結晶となって消えていった。
呆然とした。
有希が消えて、やっぱり古泉君とみくるちゃんも逃れたのではなく、どこにもいなくなってしまったのではないかという気がしてきた。
「ハルヒ、大丈夫か?」
「大丈夫なわけないじゃないの、バカ!」
姿を捜す前に怒鳴りつけてしまった。
下を見るとアイツが制服のポケットに手をつっこんだまま、やる気のなさそうな顔をしてこっちを見上げていた。
けっこう遠くにいるようにも見えるけれど、声ははっきり聞こえる。
「なあ、おまえ、けっこう子供っぽいところがあるんだな。」
「なに言ってんのよ!」
「おまえは上にいて、おれは下にいるわけだ。」
「だから何よ!」
「それで、おまえは制服の、わりと短いスカートをはいているわけだ。」
ま、まさかこいつ……。あわててスカートを押さえ…たかったんだけど両手が動かない。
足をぶらんと垂れさせていたのを、無理に空中で閉じた。多分こんなことをしても無駄だろう。なんかこんなことをすること自体が屈辱的。
「かわいいと思うぞ、俺には紐属性は無いし。」
「この、えろっきょおおおおおおん!」
い、いつもはそんなこと絶対言ってくれないくせに、こんな時に「かわいい」って…。
ちっとも嬉しくないわよ! 大体その「かわいい」っていうのはあたしじゃなくて、あたしのパンツのことなの?
その上「子供っぽい」って最初に言われたら、「かわいい」って言われても素直に受け取れないわよ!
あんたに見られると知ってたら、あたしだって、少しは気を使ったわよ!
って、何考えてるのよ、あたしは。
そうじゃなくて、あんたに「かわいい」なんて言われても嬉しくないわよ!
それに、たとえ見えてしまったとしても、それを言わないのがマナーでしょ!
その点古泉君は紳士だわ。
絶対に下に回ろうとしなかったし、紅い玉になってたからよくわからないけど、あたしの背後に危険が迫っていてさえ後ろを振り向かなかったみたいだもの。
だけどしまりのない表情をしていたキョンが、急に真顔になった。
「ハルヒ……。」
あの三人に関する大事な話かもしれない。
「なに。」
「似合ってるぞ。」
最っ低! 最っ低! 最っ低!
あ、あたしがいちばん大切にしている思い出を、本人のあんたがよごすなぁぁぁぁぁっ!
これから先、あの時のことを思い出すたびに「子供っぽいパンツが似合ってる」って言われたことも思い出さなきゃならなくなるじゃない!
「あ、あんた、あたしを怒らせたいの?」
「そうだ。」
そうだって…。
「どういうことよ!」
「だけどこれくらいじゃあ、どうにもならないようだなあ。」
「あんたねえ、みくるちゃんと古泉君と有希が…。」
「今は敵側の攻撃も止んでるな。それには理由があるんだ。だからおまえのパンツの話もできる。
そしてあの三人は……おまえ次第だ。」
「だから、どういうことよ…。」
「前にも言ったが、長門は宇宙人で、朝比奈さんは未来人で、古泉は超能力者だ。今なら信じられるな。」
「信じるわ。それぞれが何なのかはよくわからないけど、三人とも普通じゃなかった。」
「いちばん普通でないのはおまえだ。」
「どういうことよ。」
「自律進化の可能性、時空の歪み、神様、SOS団団長。」
「最後の以外はよくわからないわ。」
SOS団団長が普通だとは思わないけど。
「要するに、おまえは何もないところから情報を生み出すことができる。」
「どういうことよ。」
さっきからあたし、「どういうことよ」ばかり言っているわね。それほどコイツの話はワケがわからないわ。
「ここでおまえが捕らわれの身となり、あの三人が消えてしまったという情報を上書きすることができる。つまり、なかったことにできるわけだ。」
「あたしにそんなことができるわけがないでしょ。」
「おまえはその力があるが、制御することができない。そこで外部から情報爆発を起こす必要がある。」
「どうするのよ。」
「『あるモノ』をおまえに見せれば、おまえは情報爆発を起こす。おまえはここから脱出することができる。」
「その『あるモノ』ってここにあるわけ?」
「ねえな。」
「あんたねえ……。」
「どこぞの神様が言ってたな。ないモノは作ればいいんだよ。」
「あんたが今から、ここで作るわけ?」
「そうだ。朝倉がそう言っていた。
俺にはそれだけの影響力があるとは思えないが、試してみる価値はある。というより俺にはそれしか方法がない。
それを見ればおまえは完全に心のタガが外れる…らしい。」
「らしいって何よ…。」
「俺は普通の男子高校生だ。
朝比奈さんのように未来の道具を使えるわけじゃない。
古泉のように超能力が使えるわけじゃない。
長門のように宇宙的パワーを使えるわけじゃない。
それでも、おまえを守るすべを何も持たないとは思わないでくれ。
俺はただの男だが、おまえの鍵だ。『鈴宮ハルヒの鍵』だ。」
「だから、『あるモノ』って何よ!」
「それはな、ハルヒ…。」
こんなに遠いのにアイツがニヤリと笑うのがわかった。
 
「おれの死体だ。」
 
こ、こ、こ、このバカ、何を言い出すのよ!
「今までおまえがこれだけのことをされながら情報爆発を起こさなかったのは、怒りより恐怖を感じているからだ。しかしこれを見れば、おまえは怒りのあまり恐怖を忘れる…、俺がおまえの能力を開く鍵となる。」
「あ、あんた…自分が何言ってるか、わかってんの?」
「わかってるぞ。うまくいけばあの三人は帰ってこれるし、おまえも脱出することができる。」
「あんたは?」
「おまえはあの三人が消えたところを見ただけだから、あの三人は帰ってくる可能性はあるが、死体を見てしまえば俺の死を受け入れざるを得ないだろうな。まあ、死にっぱなしだ。」
「自惚れないことね。あんたが死んだくらいであたしがそんなにショックを受けるわけが…。」
「さっきも言っただろう。俺には他の方法なんかないんだよ。」
「あんた……、怖くないの?」
「バカ言え。これから死ぬんだ。怖え。今にもゲロが出そうなほど怖え!」
「だったらやめなさい!」
「ハルヒ、俺はおまえを三日間だけ永遠に失ったことがある。だから今の俺は、おまえを失うくらいならどんなことでもするんだよ。」
「団長命令よ! 今すぐここから逃げなさい!」
「抗命する。俺が本当は頑固なことをおまえは知っているだろう? 
それにおまえにはさんざんバカにされてきたが、やっぱりおまえに軽蔑だけはされたくない。臆病者だと思われたくない。」
「ふざけるんじゃないわよ! あたしはあんたを軽蔑したことなんか一度もないわ!」
さっきの…、のぞき行為は…、許してあげるわよ!
「なぜこんな話をおまえにしたかわかるか? 
これは情報爆発を起こすことが目的なんだ。死ぬのが目的じゃあない。
だからおまえには、俺が死んでいくところをしっかり見てもらわなきゃならない。
さらに、何で敵側の攻撃がさっきから止んでいるかわかるか?」
「あたしにわかるわけがないでしょ!」
「この敵っていうのは…。まあ、おまえに説明しても無意味だから『敵』ですませるが、あいつらの目的も、おまえに情報爆発を起こさせることなんだ。それを観測したいらしい。
だからさんざんおまえの肉体を、損傷させることまで見切って攻撃してきた。
その直後におまえが死んでもかまわなかったようだ。
しかしあの三人がそれを邪魔した。
そこでこいつらは俺を使うことを考えたんだ。俺がおまえに説明する猶予を与えたのもそのせいだ。
おまえが俺の死体を見て、あいつらの情報を上書きするほどの、つまりあいつらを消すほどの情報爆発を起こせば俺の勝ち。
ただのサンプルデータになってしまえば俺の負け。
つまり……。」
 
「おまえに賭ける。」
 
「トークタイムは終わりだ。
今、おまえの体のそばには敵によって結界のようなものが張られている。
だから古泉や長門は近くに寄ることができたが、普通の肉体を持った俺や朝比奈さんは異物として排除される。
まあ、俺の場合は排除されるというより攻撃されるわけだが、それを利用する。
今からそこに突っ込む!
それに俺は……、死ぬんなら1センチでもおまえの近くがいい…。」
あいつは、本当にこっちに走ってきた!
「来るな、バカァ!」
触手の一本があいつの体に向かって伸びる。左腕を取られてあいつの体が宙に浮く。そのまま岩の床に叩き付けられようとした時、あいつは右腕を伸ばして受け身を取ろうとした。
その瞬間、別の触手が右腕にからみついた。あいつはバランスを崩して受け身を取れず、尖った岩が脇腹にぶつかる。
な、なんて陰険な……。
「ぐえええっ!」
あいつは四つんばいになってゲエゲエやっている。
「キョン、もう一回命令するわ。いますぐ逃げなさい!」
「くそ。簡単には死なせないってことだな。わかってるな、あいつらも。
俺の死に方がみじめならみじめなほど、おまえが怒ることがわかってるんだ。
だから、ハルヒ。
ちゃんと見てろよ。
おれの死体を見ておまえが何のリアクションも取らなかったら、
俺は死に損だ!」
からみついていた触手があいつの体をほどいた。あいつが立ち上がる。また走り出した。
今度は足に触手がからみつく。勢いよく転んだ。顔面から血が出ている。
よつんばいになったあいつの体のそばに、触手がゆっくりと移動する。
触手は槍ではなく、ドリルのような形状になった。
ドリルの先端があいつの右肩の、腕の付け根に触れる。
きりを揉み込むように、ぐいっ、ぐいっと回転しながらあいつの体に入っていく。
「ぐっ、ぐっ、ぐっ、ぐっ……。」
ドリルが停止した。
あいつは肩で息をしている。
と、いきなりドリルがズボッと抜かれた!
「ぎゃああああっ!」
傷口からあいつの血と、なんだかわからないものが一気に噴き出した。
「はあっ、はあっ、はぁっ、はあっ…………。」
それでもあいつは立ち上がろうとする。
左手を肩の傷口に添え、片膝立ちになって右手を膝に添えると、勢いをつけて立ち上がった。
よろよろ歩きながらこっちに来ようとする。
……見ていられない。
胸が痛い。心が痛い。ぎりぎり痛い。
涙がボロボロこぼれる。
「キョン、お願いよお……。
お願いだから逃げてよお………。
今ならまだ逃げられるでしょ……。
あんた、あたしの命令に従わなかったことはたくさんあったけど、
あたしのお願いを無視したことだけは一度もなかったじゃない…。
あの時も、あたしがいっしょうけんめいお願いしたら、ちゃんと目を覚ましてくれたじゃない……。」
「……ハルヒ、忘れないでいてくれ……、おれがここにいたことを。」
「何言ってんのよ、バカ!
あんたはなんにもわかってない! 
あの時あたしがどんなに怖かったかわかってない!
あの時あたしがどんなに嬉しかったかわかってない!」
触手があいつの背中に回る。あいつは気がついているのだろう。
それでもあいつはこちらに向かって歩いてくる。
槍があいつの背中を串刺しにした。
いやな音を立てて槍が抜かれる。
あいつが口から血を吐いて倒れる。
あいつが倒れたのは何回目だろう。
「急所は……、外したようだな……。わざとか……。」
あいつはそれでも、立ち上が……れない。
あいつは這ったままこちらに来ようとする。
触手があいつの前方に回り込んで待ちかまえている。
「来……来ちゃだめ。」
表情がはっきりと見えるところまであいつは来ている。
さっきは不思議とあいつがニヤリと笑ったのがわかったけど、
あいつがどんな顔をしているかわかっても不思議じゃないところまで来ている。
あいつの顔を……見るのが怖い。
「見ろよ、ハルヒ。
おまえが見てなきゃ意味がねえんだ。」
悔し涙がボロボロこぼれる。
みくるちゃんも古泉君も有希も、そしてキョンも、あたしを守ろうとする。
あたしはただ守られるだけの存在なんだろうか。
みんなを守ることなんてできないのだろうか。
なにが団長だ。
あたしにものすごいパワーがあるとあいつは言ってたけど、あいつを守ることができない力なんて、あったってしょうがないじゃない!
前方にあった触手はフェイントだったらしい。
あいつの背後から触手が伸び、あいつの首にからみついた!
あいつは……、首にそれを巻き付けたまま、前に出ようとしている!
そんなことをしたら……。
あいつが前に出ようとするたびに、気管がぎりぎりしめつけられているのがわかる。
あいつの顔を見てしまった。
顔色は土のようだったが、なんだか笑っているようにも見える。
「こ、こないで……。」
「ハ、ハルヒ……、すこしでも……おまえのそばで……。」
 
……こいつはあたしのお願いを聞いてくれない!
こいつはあたしのお願いを無視しようとしている!
猛烈に腹が立った。
ちっくしょぉぉぉぉぉぉ!
 
「こっち来んなあ! バカキョン!」
 
叫ぶと同時にあたしは立ち上がった。
立ち上がった?
みくるちゃんが口に手を当ててあわあわしているのが見える。
有希が本から視線を上げて、こちらをじっと見ているのが見える。
古泉君があっけにとられたような顔をしているのが見える。
部室?
「なんだよ、うなされてるから起こしてやろうと思ったのに…、こっち来んなって……。」
こいつは根本的な勘違いをしているみたいね。
「なんだ、おまえ泣いてるのか? そーかそーか。泣くほど俺がいやか。」
キョンが背中を向けて団長席から遠ざかろうとしている。
あんたが拗ねてもかわいくないわ。
「待ちなさい。」
あんたが誤解しているのはわかっているけど、解いてやらないわよ。
そんな気分じゃないし。
あたしは涙を拭いて鼻をかんだ。
「その椅子をこっちに持ってきてここに座りなさい。」
「なんだよ、来るなって言ったり、来いって言ったり……。」
「いいから早く!」
キョンはいつもの「やれやれ」の表情を浮かべてあたしの前に座った。
「キョン、あたしは真面目に聞くから、あんたも真面目に答えなさい。」
「いきなり何を言い出すんだ? 俺が真面目に答えたらからかおうっていう魂胆か?
 まあ、いつものことだからいいけど。」
なんかムカツクわね。だけどこれは聞かなきゃならない。
「あんたさあ……、あたしを失うくらいならなんでもするとか考えてる?」
いつものキョンだったらここで皮肉か何かで返すだろう。それならそれでいい。
キョンがため息をひとつついた。
「やれやれ……何で知ってる? おまえにはそれを言ったことはないはずだが。
まあ、これはおれの勝手な思いだから、おまえには関係ないことだ。
真面目に答えたぞ。からかいたかったらからかえばいいさ。おまえにバカにされるのは慣れてるんだ。」
「余計なことまで言わなくていいわよ。それで、『なんでもする』っていうのは、命を失うようなことでもするっていうことなの?」
「ああ、多分な。
もちろんその場面になってみなければわからないが、今のおれはおまえを失わないためなら死ぬことだってできるような気がする。
それは嘘じゃない。」
キョンの顔は真剣で、嘘を言っているようには見えなかった。
「ただ……その時は、死ぬ瞬間には、おまえの笑顔が見たいな。」
「キョン……、あんたって……」
 
「最低ね。」
 
夢でも現実でも。
五月の悪夢の行為は許してあげるけど、今日のはどうしたって許せないわよ!
「あたしを失うくらいなら死ぬって、結局自分のことしか考えてないってことじゃないの!」
渾身のビンタをかましてやった。
「痛ってえ、なにしやが……。」
「あんたはそれでいいかもしれないけどね、あたしはどうなるのよ!」
今度は左手で思いっきりひっぱたく。往復ビンタだ。
「しかもあたしの目の前で死ぬって……、あんた、あたしを殺す気?!」
最後はグーで締めた。完璧だ。いや、もう一つ残っていたわね。
「最後にもう一つ……おまえが死んで、あたしが笑うかぁぁぁぁぁぁぁっ!」
キョンの顔をおもいっきりひっつかむと、渾身の頭突きを叩き込んでやった。
「脳震盪が……、おまえ、世界を狙えるぞ。今からでもジムに通ったらどうだ?」
何わけのわからないこと言ってるのよ。
あたしは椅子にすわったままのキョンの頭を、思いっきり抱え込んだ。
まだ言うことが残っている。こうしていれば逃げられないはず。
こいつの体温をじかに感じる。
あたしの胸の鼓動がこいつの頭に当たって、トクトクいっているのがわかる。
それがこいつの鼓動のようにも感じる。
まぎれもない、こいつは生きている!
「だから……、どんなことがあったって死なないって言ってよぉ……。あたしのお願いを聞いてよぉ……。」
 
「おやおや、今日の鈴宮さんはずいぶん素直ですね。
思いのたけをすべてぶちまけていらっしゃいます。」
「………まさに、情報爆発。」
「ふええ、長門さん、上手いですねえ……。」
 
外野がなんか言ってるわ。うるさいわね。
「ハルヒ、あたってるから放せ。」
あたしは飛び退いた。
「あててるわけじゃないわよ、バカ!」
「あのなハルヒ、さっき『こっち来んな』とか言ってたけど、夢の中のおれがおかしなことでもしたのか?」
「した。最低の行為をした。」
あたしの目の前で死のうとした。
あたしを殺そうとした!
「だから、責任取りなさい!」
「いや、おまえの夢の中のおれの行為に全て責任取るのはな。まだ覚悟ができてないっていうか。心の準備ができてないっていうか……。」
 
「だけどキョン君はいつものようにヘタレですね……。
『おまえを失うくらいだったらなんでもする』って言えたのに……。」
「彼自身は言っていない。鈴宮ハルヒの質問に肯定の返事を与えただけ。」
「心の準備をするのに百年以上かかりそうですね。」
 
だから外野、うるさいわよ!
「今までのことはいいの。そっちはまあ、今はまだ許してあげるから。だけど、今日のことは許せないわ!」
あたしはビシッと指を突きつけた。
「今からあんたの家に連れて行きなさい! 駐輪場まで腕にぶら下がらせなさい! 自転車の後ろに乗せなさい! あんたのご家族と晩ご飯をご一緒させなさい! その時はあんたの隣に座らせなさい!」
「ああわかった、わかった……。いま家に連絡するからちょっと待ってろ。」
「それだけじゃないわよ……。今夜はあんたの部屋に泊めなさい!」
「なんだ、泊まるつもりか? しょうがねえな……って、俺の部屋って、ええええ?」
あたしのパンツ見たんだからね! 当然その責任も取らせるわよ!

           


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