反転世界の運命恋歌Ⅲ



 で、ようやく俺と古泉一姫のデートの話になる訳だが、まあ別段、大したことはやっていない。
 おっと、ここで言う『大したことはやっていない』と言う意味は、男女が遊びに行く昼間の健全なデートとしては当たり前で当たり障りのないことしかやっていないという意味だ。
 だからと言って楽しくなかったかと言えば、むろん、そんな訳がなくて思いっきり楽しんでいた。
 スタートは小物雑貨屋のウィンドウショッピングから始まって、彼女が「ふわぁ」という風船が膨らんで来たような笑顔は可愛かったし、「どれもいいですね」と同意を求められた時は、それとなく相槌をうってやった。
 それから少し喉が渇いたんで二人で喫茶店入って、さすがにここでは、情けない話ではあるが奢ってもらった。なんせ財布を持たずにこっちの世界に飛ばされたわけだから一文なしだったしな。
 つか、彼女の出した千円札を見て、仮に俺が財布を持ってきていたとしても硬貨以外は使えないことを思いっきり悟れたわけだからどうにもならん。
 誰だよ。野口英子に与謝野秋朗、福沢輸香理て。
 その後は電車で一時間ほどの小さな湖に来た。二つの湖を八の字に周回する散策にはもってこいのピクニックコースだ。
 去年の文化祭の後、ハルヒが映画撮影の慰労として俺たちを案内してくれた場所で、俺もここは結構気に入っている。景色もいいし空気もうまいしな。団体だろうとカップルだろうと家族連れだろうとどんな組み合わせでものんびり過ごすには適しているぜ。
 んで、ここではボートも借りれるんだ。
 前の時は、行方知れずになった男の子を探すのに夢中になってしまっていたが、後々、ここで誰かのんびり遊覧するのはどうだろうか、なんて考えたものだから今回、実行させてもらったってわけさ。
 何? こういう場所ってあったかだと?
 そうだな。原作の方にはなかったかもしれないが、コミックには出てきたんだぜ。
 って、俺は誰に何を言っているんだ?
「素敵な場所ですね」
「だろ?」
 もちろん俺がオールを漕いでいる。古泉一姫は上品に座りながら湖面をなでる優しい風に自身の頭髪を委ねていた。
「向こうの世界にもここはあるんですか?」
「そういうこった。じゃないと来れるわけないしな。それにここならのんびりと時間をつぶせるし、何より、一度、誰かと二人だけでここに来れたらな、と思っててね」
「くす。その相手に私が選ばれたなんて本当に光栄です」
「そうかい」
 俺も彼女も屈託のない微笑みを浮かべている。
 男女が二人ボートでのんびりしている。こういうシチュエーションも夢見ていたさ。もっとも、向こうの世界でこれはおそらくなかなか実現できないだろうが。
 理由か?
 考えるまでもない。長門や朝比奈さんを誘えば、後からハルヒにどんな罰ゲームを喰らわされるか分かったもんじゃないし、かと言って、将来、万が一にも普通の女の子とやらになった後ならともかく、今のハルヒは絶対にこういう誘いに乗らないだろう。
 んで、むろん向こうの世界の古泉じゃ論外だ。
 しかし、まさかこういう形で夢を叶えられるとはね。ひょっとしてここは両涼宮様に感謝すべきなのかもな。
「私も同じです」
 って、うぉ!? ひょっとして君はテレパシーでも持っているのかい?
「いえ、そのような力はございません。ただ単に貴方は声に出していましたから」
 そうか。まあ心で独り言を呟いていてもいつの間にか、声になってしまっていることが多々あるからな。俺は。
「彼女も同じようなものです」
「こっちの俺もかよ……ったく、どこまで似てるんだか……」
「そうですね。ですが、そんな彼女ですから私も彼女に魅かれる一人なのかもしれません。ましてや貴方は彼女。同じ気持ちを貴方に抱くのは当然と言えば当然でしょうか」
「向こうの世界の君もそう言ってたぜ。もっとも、そいつは男だから気持ち悪いだけだったがな。しかし、君にそう言ってもらえるのは素直に嬉しいもんだ」
「まあ酷い、でもありがとう」
 どういう意味だよ。
「酷いは向こうの私に対して、ありがとう、は今の私の気持ち」
「そっか。同一人物だもんな」
 ボートはゆらゆらとのんびり水面を滑っていく。
 閑話休題。
 もっとも、この沈黙は気まずいからじゃない。二人とも風景の静けさに浸っていたからだ。


 さて、もちろん、この楽しい一時には当然、時間制限があり、しかし俺たちは集合時間より三十分ほど早く、駅前に着いていた。
 まあ、あまり広くない湖だからな。三十分もあれば十分回れる。往復二時間はどうしても見なきゃいかんから、今回の集合時間が六時であったとは言え、それでも滞在できるのは一時間ほどだ。
「まだ、皆さん戻ってきてませんね」
「だな。つーことはまだ、その辺りをうろついているのかね」
 きょろきょろ周りを見渡す彼女に、これまた首を左右に振りながら周りを見渡す俺は相槌をうつ。
「と言っても、もう出かけるにはちと中途半端な時間だよな」
「ですよね」
 これが俺たちの見解だ。さてどうしよう。
「とと」「あ」
 二人して今更ながら思い出したようにそれに気がついた。つか、それに気付かないくらい当り前にでもなっていたのか?
 そう言えばボート以外はずっと手を繋いでいたな。
 ……てことは電車の中でもか? ううむ……全然気にしてなかったが周りの視線はどうだったんだろう……なんだか考えるだけで頭部の血液の温度がどんどん上昇していくぞ。
「あ、あの……」
「な、何だ?」
 い、いかん! これは突然の展開ではあるのだが非常に気まずい! 声も勝手に上ずりやがる! つか、今更ながら俺たち二人に集まる視線がなんとも生暖かいぜ!
「手……」
「あ、ああ、そうだなっ! うん! 君も俺も相当汗でべとべとになってるし、もう離した方がいいよな!」
 俺としては最高の提案をしたつもりだった。顔には思いっきり乾いた笑いが浮かんでいただろうが。
 ついでに言えば、おそらく彼女もそれに同意してくれるものばかりだと思っていた。
 しかしだな。
「いえ……その……できればこのままで……」
 と言われてしまえば、俺も虚を突かれるってもんだ。
 って、今何て?
「もし、よろしければ……涼宮さんたちが戻ってくるまでこのままで……」
 ――!!
「だって……貴方は今日が終われば向こうの世界に戻ってしまいます……だから一分でも一秒でも私は貴方のぬくもりを感じていたい……」
「古泉……」
 どこか今にも泣き出しそうな嗚咽の漏れるような声。
「分かっています……貴方には向こうの世界に涼宮さんがいます……ですからこれ以上は求めません……だからせめて……」
 その肩も震えている。
 そっか……そうだよな……古泉一姫はこっちの世界の俺に魅かれているって言ってたよな。でも彼女にだって同性愛趣味はないんだろうぜ。なら、せっかく叶った希望だ。しかもそれはもうすぐ終わってしまうことでもあるんだ。だったら彼女の願いは聞いてやるべきだし、聞いてやらなきゃならんことだ。女の子のささやかな願いさえ聞いてやれない野郎は今すぐ、男だけでなく人間も辞めるべきと思えるぜ。
「分かったよ。涼宮ハルヒコたちが戻ってくるまでこうしていような」
「え……!」
 古泉一姫が驚いた表情を見せるが、それは一瞬。
「ありがとうございます」
 そう呟いた頬がほんのり上気した彼女の表情は幸せいっぱいの笑みが浮かんでいた。


 それからしばらくして、と言うか、とても同一人物とは思えないくらい、思いっきり時間にルーズで涼宮ハルヒコたちは集合時間から一時間ほど遅れて、駅前に戻ってきたんだ。
 いつもこうなのか?
「まさか、だろ。時間厳守が団の方針だ。今回は特別だったってことだ」
 涼宮ハルヒコが、まったく悪びれもせずに自信満々の笑顔で、両手を腰に当てて、胸を張ってまで言ってくれる。
「せっかく、キョン子によく似たお前が居るんだ。なら団長として、副団長への贈り物だってことさ」
「昨日、そういう話になりましたからね」
「古泉一姫も満足している」
「な、長門さん……!」
 長門の淡々としたもの言いに、再び古泉一姫の顔が紅に染まる。
 なんとも微笑ましいんだよな。
「で、どうだった?」
「いや、俺ごときで彼女が満足できるならそれに越したことはないんだが……」
「おいおい、せっかく二人きりになったのに手繋いだくらいで終わったわけじゃねえんだろうな?」
「な、何言ってやがる! 言っておくが、俺は彼女と初めて会ったんだぜ! 手を繋ぐだけでも緊張ものなのにそれ以上なんてあるわけねえだろ!」
「とと、それもそうか」
 言って、涼宮ハルヒコは爆笑し、朝比奈みつるさんも吹いている。長門の表情はまったく変わらんかったがな。ついでに古泉一姫も笑っていた。
 だったら俺も笑うしかないわな。
 んでその帰り道だ。
 古泉一姫を自宅に送った後、俺と長門と朝比奈さんと涼宮ハルヒコは男四人で夜道を歩いていた。
 んで、しばらくしてから涼宮ハルヒコは俺の肩に手を回し、なんだか悪だくみっぽい笑顔で聞いてきたのだが。
「本当に何もなかったのか?」
「……無かったって言ってんだろ……だいたい、そんなに知りたいくらい興味があるなら付いてくればいいじゃねえか」
 憮然と反論してやると、
「見損なうなよ。俺だって男なんだぜ。女の子の方が繊細で傷つきやすいんだ。だったら尾行なんてえげつない真似なんざできるわけないだろ。いくら大事な団員でもな」
 何でもないように、当然と言った表情で、しかし何かを悟っているような落ち着き払った笑顔で涼宮ハルヒコが応えてくれた。
「しかしまあ、さっきの古泉の顔見りゃ相当嬉しかったことだけは確かだ。本当に感謝するぜキョン」
「ハルヒコ……」
 このとき、俺はどういう表情をしていただろう。自分でも、そしてハルヒコたちも気づかなかっただろうが、俺は自然とあいつを下の名前で呼んでいた。
 もしかしたら、こいつならいい友達になれるかもな。
 本気でそう思ったいた自分が居た気がした。




 気が付けば、見慣れた自室の天井が見えた。




 今回は別に髪を掻き毟ったり、のたうち回ったりはしなかったぞ。
 なぜなら、あの出来事が夢でないことを俺は分かっているからだ。
 なんたって、確かめたからな。携帯で今日の日付を。
 もちろん、そこには俺の記憶と一日違う日が刻まれていた訳だ。とすれば、昨日の出来事は現実にあったことだ。
 念のため、長門にも電話した。
 かなり、朝早かった感は否めなかったが、それでもあいつはいつも通り、淡々と教えてくれた。
『昨日のことは夢ではない。あなたは並行世界に移動し、そこで一日を過ごした。ちなみにわたしには向こうの世界であなたがどう過ごしていたのかは知る術もないし知る由もない』
 そうか。
『そして、こちらの世界にもあなたの異世界同位体が来ていた。これが昨日のことが夢ではない理由』
 で、そいつは?
『無事、帰還したと推測できる。なぜならあなたが無事に戻ってきているから』
「なあ、ひょっとして向こうの世界の俺を昨日の市内パトロールに巻き込んだのか?」
 俺がこう聞くと、どういう訳か長門が沈黙した。
 しかし、なんと言うか、この沈黙が、受話器の向こうであるにも関わらず、俺には長門が、まるこれから発するジョークに対して、微笑みを堪えているんじゃないかと感じられたんだ。
『それは、禁則事項』
 予想通りの答えを長門は言ってくれた。


 ところで何で禁則にする必要があるのだろう?
 これじゃ、俺にも「向こうの世界の俺が一緒に行動していた」という風にしか聞こえないのだが。


 週が明けた月曜日。
 掃除当番を終え、俺が部室に着くとドアの向こうからでも分かる。なんだか少し騒がしかった。
 しかしまあ一応ノックはして入ろう。
「あ、キョン? 入っていいわよ!」
 中からハルヒの妙に楽しげな声が聞こえてきた。
 ちなみにこの部室のドアをノックする人間は、よっぽどのことがない限り、団長を除くSOS団員だけであると断言できるぜ。待てよ? ひょっとして長門も怪しいか?
 それはさておき、ノックをしかねないイレギュラー因子を無理矢理にでも挙げるなら、性懲りもなく対戦を挑んでくるお隣さんか、古泉が口添えした時の生徒会長くらいなもんだろう。
 んで、ハルヒが俺を名指ししたってことは俺以外全員揃っているってことだな。
 と言う訳でドアを開けて入ると、ハルヒがいきなり俺に詰め寄って、
「ほら見てキョン! 古泉くんもスミに置けないわよ!」
 いきなり俺に一枚の写真を突き付けてきた。
「涼宮さん、勘弁してくださいよ」
「だーめ! 副団長たるもの、こういうものを団に秘密にしてはダメなのよ! こういうことはちゃんとみんなと共有にしないとね! それがたとえ、ヒラで雑用のキョンであっても!」
 珍しく古泉が苦笑を浮かべて、ハルヒが本当に嬉しそうな笑顔を古泉に送る。
 へぇ、でも珍しいな。俺にも共有しろってかい? 普段なら俺なんぞどちらかと言えばハバにするくせに、って、そうか。それはハルヒに対しての時か。
 などと軽く考えて、ハルヒの突き出したままにしている写真を受け取る。
 それを見て、
「あんたが気を利かせてあたしの言うとおり、まあパラレルワールドじゃないけど、あんたに良く似た従姉妹の子を代役に立てるなんてやるじゃない! これなら土曜日の不思議発見パトロール欠席は不問にしてあげるわ!」
「従姉妹……って、ああそうか。うん。そうだな」
 俺の表情にもやや苦笑が浮かぶ。
 ふと周りを見回すと、ハルヒの後ろに陣取る長門はいつも通り、窓際でハードカバーを眺めていて、朝比奈さんもなんだか上機嫌にお茶の用意をされています。
 で、古泉はと言うと、鼻頭をポリポリ掻いていた。
 もっともその表情は珍しく、いつもの似非じゃない、やや苦笑っぽいが本音の笑顔が浮かんでいた。
 そしてこの部室の雰囲気が何とも言えず和んでいて温かく感じたんだ。なるほど、ハルヒが言った『共有』と言うのこういうことか。
 つまりは、団員の幸福は団の幸福。
 それをみんなで共有しようって意味だ。ましてや俺は土曜日を『休んだ』ことになっているんだからな。それでハルヒが本当に珍しく俺に気を使ったんだ。
「参りましたよ。まさか僕の後をみんなで付けてきているなんて思ってもみませんでした。それでその写真を撮られてしまったんです。彼女には悪いことしましたかね?」
「その割にはお前もまんざらじゃない顔してるじゃねえか。というか、これ、あいつがこの写真を撮るのOKしたんだろ? 撮られたって何だよ。どう見たって隠し取りに見えんぜ」
「分かりますか?」
「当たり前だ。思いっきりカメラ目線じゃねえか。大方、ハルヒが記念に一枚とか言ったんだろ」
「ご推察の通りです」
「あ~あ、キョンにも見せたかったわ。あの日の古泉くんはいつもと全然違う古泉くんだったのよ。何て言うか、すっごく自然で自分を偽っていないって感じだった。でも、あれが本当の古泉くんなのかもね。ああいう風にしていれば女の子も寄ってくると思えるくらいだったわ!」
 ハルヒの笑顔がいつもの悪だくみを思いついたときとは違うが、それでも300W増しになっている。
 こいつにとっては団員の幸せは自分の幸せとでも思っているのだろう。
 もっとも俺も朝比奈さんも長門もおそらくは同じ気持ちさ。


 何? どんな写真だったか、だと?
 それはだな。
 あの湖をバックに、おそらくは俺の妹が高校生になればこういう風になるんじゃないか、って感じのポニーテールが結構似合っている、カーディガンを羽織った北高制服姿の、とびっきりの笑顔の女の子が古泉の左腕に自分の右腕をからめて左手でピースサインをしている写真だったんだ。
 んで、古泉の体の向きが少し右を向いているってことは写真を撮る直前に逃げ出そうとしたところを彼女に捕まったって感じだな。
 ったく、古泉よ。素のお前は結構照れ屋さんなのかい?
 なんたって、この写真のお前は恥ずかしがりながら、しかし、今まで俺が見たこともない本物の嬉しそうな笑顔なんだぜ。

 

 

反転世界の運命恋歌(完)

キョン子編


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