反転世界の運命恋歌Ⅰ

 


 女子と肩を並べて休日ののどかなひと時、河原を散歩する、なんてのは実に学生青春ドラマ的で、俺だってそういう生活を夢に見なかったかと言うと嘘になる。
 俺は現在、その夢を実現させているわけだが、なんだか嬉しいというよりも複雑な気分になっているのはどうしたことだろう。
「何か言いました?」
 涼やかな笑顔で問う彼女。
「いや何も」
 返す俺だが、ちょっとは笑い返してやった方がいいんだろうか、などと考えたりもしたのだが現時点ではどうにも行動には移せなかった。
 理由か?
 そうだな、おそらくそれは、今、俺の置かれた立場が不条理極まりないからだろう。
 なんたって、今日、目が覚めたらいきなり世界が変わっていたんだ。
 誰が改変させたか、なんて問われても答えられないぜ。なぜなら、世界自体は何も変わっていないからだ。
 そうさ。俺が言った『世界が変わった』というのは文字通りの意味で、俺の目に映る世界が普段と違う世界になってしまったって意味だ。
「それにしても貴方を見ていますと達観してしまいます。今、ご自分が置かれた状況を理解なされて、しかもまるで焦燥感を感じません。もし私が貴方と同じ立場に置かれたら取り乱していますよ。普段の仮面を捨て去って、本来のあさましいかもしれない素の自分で」
「そうかい」
 彼女の屈託のない笑顔に俺は今度はどこか自嘲の笑みを浮かべる。
 この女が俺の知っている奴と同一人物とはとても信じられん。それくらいこの笑顔は魅力的なんだ。
 彼女は仮面と言ったが、おそらく、それは普段の彼女のことを言っているんだろうな。俺の目には今の彼女は心から幸福そうな笑顔を浮かべているようにしか見えないんだ。長い付き合いの俺を欺くなんて真似はそうはできないぜ。なんたって一年以上の付き合いだ。と言うと、これは語弊を招くだろうが敢えて表現するぜ。
 俺がこの女をよく知っている。


 そう――この古泉一姫のことを――


 つまりだ。
 俺は今、普段、自分が在る本来の世界ではなく、並行世界と言われるパラレルワールドに迷い込んでしまっているんだ。
 にしても不思議な世界だぜ、ここは。
 おっと、まず順を追って話さなくてはな。
 ということで、最初は何故、俺がこの世界に来てしまったかだが、きっかけは何て事はない。
 と言うか、こんな面倒事を起こす人物など俺の脳内には一人しか浮かばん。
 ところがだ。
 今回は二人がかりだったようなんだな、これが。


 …… …… ……
 …… ……
 ……


「ねえ、キョン、古泉くん。二人とも自分の性別が逆転したらどう思う?」
 金曜日の放課後、俺たちはいつも通り正式名称文芸部室で、実質・SOS団本拠地と化している部室棟の一角に集まり、怠惰な時間を過ごしているところでハルヒがなにやら、いつもの悪だくみっぽいキラキラした笑顔ではなく、本当に井戸端会議の立ち話のような軽い笑顔を浮かべて俺たちに突然問いかけてきたのである。
 何だ? その質問は?
「ちょっとね。最近、懐かしのコミックって言うのかな? それを見てたんだけど、その中に水をかぶったら女の子になる男の子の漫画があったんだ。それであなたたちに聞いてみたってわけ」
「なかなか興味深い質問ですね」
「でしょ? 解っているじゃない古泉くん!」
 ハルヒがしてやったりの笑顔を浮かべている。まあ、普段の思いつきに比べれば数百倍マシだな。ただ、はたしてその話題は高校生がする話題かどうかと言うと疑問も残る訳だが。
「で、どう? キョンは自分が女の子になったらどう思う? まあ、あんたが女の子になっても可愛いかどうかはなんとも言えないけどね」
 最後の一言は余計だが、正直言って同意できるところでもある。なんせ、この部室にいる女子はミス北高コンテストなんてものがあれば、表彰台を独占しかねない面子が集まっているんだ。どんなに贔屓目に見たところで仮に俺が女だとしてもこの三人に太刀打ちできるとはとても思えん。
「僕は結構、魅力的になると思いますよ。あなたが女生徒になれば」
「おいおい。女になった俺を褒められても嬉しくないぞ。なんたって、今現在の俺は健全な男子だからな」
「ごもっとも。ですが、僕はたまに、あなたが女性だったらな、とか思うことはありますね」
 言いながら俺を見る目はなんとも気色悪いものがある。かすかに微笑んでいるようなそれでいてなんとも少し思うところのある真剣な眼差しだからだ。
 いや、あくまで『男』として俺が見ているから気持ち悪く感じるんだがな。
「どうしてですかぁ?」
 おっと珍しく朝比奈さんが割ってきたな。その眩しい笑顔が何とも言えずいいですね。
「古泉一樹には同性愛疑惑が絶えない。しかし彼自身は同性愛者に見られるのは好まない」
「その通りです。僕も健全な一男子ですからね。男性よりも女性の方が好きですよ。ありがとうございます長門さん」
「そう」
 そりゃあ、そういう噂は絶えないだろうな。いつも処構わず俺に顔を近づけて話す訳だから。変な趣味があるんじゃないかと勘繰られるのは栓無きことだ。
「そうなの? でも、ホモ疑惑なんてモテない男か腐女子が言ってるだけじゃないの? それに古泉くんくらいのイケメンになると逆に女の子の方が近寄り辛いのかもしんないわよ。あまりに完璧すぎて。もう少し柔らかくしていれば言い寄る女の子多いと思うけど」
「そう言えば、あんまり古泉くんにそういう噂聞きませんねぇ」
 ハルヒがキョトンとした表情で感想を述べれば、朝比奈さんも少しだけ意外そうな顔をして私見を述べられております。
 ちなみに俺もこれにはマジで同意する。そして同時に同情する。
 ハルヒや朝比奈さんは何も分かっていないのかもしれないが、古泉に浮いた噂がないのはこの非公式クラブ活動に参加しているからとしか思えん。
 と言うか、古泉にそういう評価をするお前自身があんまり興味なさそうだな?
「あたし? まあ、あたしは何と言うか、古泉くんには悪いけど、友達以上の感情は湧かないわね。そもそも恋愛感情なんて精神病の一種なんだからそんなものにあたしがかかるわけないじゃない」
「それに、あたしには古泉くんとは別に興味を惹かれる男子生徒がいるから」
「そうそう。ってちょっと有希! 何よ、そのアテレコは!」
「妄言」
 どこで覚えた単語だ?
 それにしても長門が珍しく絶妙のタイミングで合いの手を入れたな。こいつも随分と変わったもんだ。
 ところでハルヒが妙に頷いたところはスルーでいいだろう。問い詰めると逆に面倒で厄介な反撃をされそうだからな。
「朝比奈さんはどうです?」
 と言う訳で、軽く振ってみる俺。まあ、答えは分かっているから振れる訳だが。
「へ? あ、あたしですか!?」
 なぜ、おっかなびっくりなので? と言っても顔がまったく上気していません。これでは答えはもう聞いたようなもので、俺の想像通りとしか言いようがないですよ。
「ご、ごめんなさい……あたしも古泉くんはお友達としてでしか……」
「いえ、いいんです。分かってますから」
 応える古泉にも特に落胆した様子は見られない。まあ当然だな。古泉と長門と朝比奈さんはそれぞれ目的があってここにいるし、ハルヒを特別視しているんだ。となれば古泉自身も、ここの連中に友達以上の感情を抱いていないのだろう。
「と言う訳で、あなたが女性でしたら僕は口説くかもしれませんね。涼宮さん、朝比奈さん、長門さんからは僕は友達としてしか見られてませんし、僕自身も御三方には友達以上の感情を抱いていませんから。でも、あなたが女性になったなら解りませんね。ここにおられる皆さん同様、僕もあなたに魅かれている一人ですし、となれば涼宮さん、長門さん、朝比奈さんにも同性趣味はないでしょうから、男の僕が女性のあなたを口説いても何の不思議もありません。それに皆さんが応援してくれるかも」
 それは本音か?
「さて、どうでしょう?」
 やっぱりバッくれやがったな。まったく核心に迫る話はいつもはぐらかす野郎だ。ちょっとは本音を見せろっての。まあ、こいつの芝居がかった口調にはもう慣れたがな。
 などと心の中でツッコミを入れる俺にハルヒが割ってきた。
「よしキョン! 明日のパトロールでは女になりなさい! いつも団に貢献している古泉くんに労をねぎらってあんたからあんたとの一日デートをプレゼントするのよ!」
 などと嬉々とした笑顔で言ってきたのである。
 待て待て待て。お前には世界を都合よく改変できるハタ迷惑な力があるんだ。お前がそう言ったら本当にそうなっちまうじゃねえか。
 と言えれば楽なのだが、これは長門、古泉、朝比奈さんに口止めされているので、
「冗談ぬかせ。俺は『男』だ。男が男に言い寄られて嬉しい訳ねえだろが」
 という反論をかます俺。
 むろん、これは本音だ。『男』の自我を持つ俺が、仮に『女』になったところで心が男なのだから、到底受け入れられるものではない。
「むぅ。それもそうね。一日だけなら我慢できるかと思ったけど言われてみれば我慢できるわけないわね」
 おや珍しい。あっさり納得してくれるのかい? 団長さん。
「仕方ないでしょ。あたしだって『お姉さま~~~』って寄ってくる女の子が居たら気持ち悪いもの。それと同じなんでしょ?」
 その割にはいつも朝比奈さんにセクハラを敢行するというのはどういう訳なんだ?
「そっかぁ。残念だけど仕方ないわね。となるとあんたによく似た『女子』を連れてくるしかないかぁ。でも、そんなのいないわよねぇ」
 相変わらず自分の都合の悪いことは聞こえない奴である。
「あ~あ、異世界と言うか並行世界、パラレルワールドが見つかればいいのに。そうすればその中に性別逆転の世界もあるかもしれないもんね。あたしとみくるちゃんと有希が男でキョンと古泉くんが女って世界が」
 そりゃまたぶっとんだ発想だな。で、もしそんな世界があれば、そっちの世界の俺とここにいる俺を一日だけ入れ替えるってことか?
「うん。そういうこと。あ、そうだ!」
 ハルヒの笑顔が300ワット増した。やれやれ、てことは碌でもないことを思いついたってことだな。
 俺の嘆息を裏付けるように、
「みんな! 明日の市内パトロールだけど、今回はパラレルワールドへの入り口探しに限定するわよ!」
 ハルヒは俺の予想通りのセリフを、さらりと吐くのであった。


 で、このセリフを単なるいつもの世迷い戯言と片付けてしまった俺が浅はかだったのである。
 と言うか、ハルヒの奇想天外な発言に俺も慣れ過ぎてしまっていたのだろうか。
 はっきり言って完全に油断した。
 しかもだ。こんな馬鹿なことを考えた奴がもう一人いたなんて、その時は知る由もなかったんだ。
 いや、どうやったって知ることなんてできっこなかったんだ。


 …… 
 …… ……
 …… …… ……


 何の因果か。というか、因果ははっきりしている。単に起こった出来事が理不尽極まりないだけだ。
 と言う訳で俺は、ハルヒが望んだがためにこの世界に居るのである。つまりは俺たちの性別が逆転した並行世界、パラレルワールドに。
 この世界では、ハルヒは涼宮ハルヒコという名前の自分勝手な性格はそのままの男子であり、朝比奈さんも朝比奈みつるという小柄で、そうだな、朝比奈さんがそのまんま男になったと思えば一番しっくりする、どこか内気で恥ずかしがり屋な男の子で、一番、驚いたのは長門が長門(ながと)有希(ゆうき)と読み方はともかく漢字も雰囲気も裏設定も全然変わらないというのに無茶苦茶でかい男だったってことだろうか。
 んで、当然、俺に該当する人物は今いない。そいつも俺と同じで、おそらくは普段俺が居る世界へと行っていることだろう。
 なぜこんな推測ができるかだと?
 別段、難しい話じゃない。
 どうもこっちの世界でも昨日、あっちのハルヒに当たるこっちではハルヒコが向こうの世界のハルヒと同じことを望んだらしいからだ。
 すなわち。
 『俺』が男になって『古泉一姫』に一日デートをプレゼントするよう、こっちの『俺』に詰め寄ったらしいが、んなもん、こっちの『俺』も承諾できるはずもなく、ならパラレルワールドから、という話になって、結果、同じことを望む同じ力を持つ二人によって、俺はこっちの世界に、そしておそらくはこっちの『俺』は向こうの世界に行ってしまったのだろう。
 まあ別段、俺は不安を感じていないがな。なんたってハルヒが俺の『一日だけ』と言うところに頷いたからだ。
 要するに、『今日』が終われば俺は元の世界に戻れるってことだ。なら、特に焦る必要もないだろう。
 焦るなら、明日、まだ、この世界から元の世界に戻れなかったときでいい。


 てことで冒頭に戻る訳だが、今、俺は古泉一姫と肩を並べて歩いている。
 まあ、あいつが女になればこうなるだろうな、というくらい容姿端麗でプロポーション抜群なんだ。今着ている服もなんとも淑女を思わせる上品なもので、それを何の違和感もなく着こなしをしている。
 非の打ちどころがないあいつそのものとしか言いようがない。性別が逆転しているという点を除けばだ。
 しかし何だ。それでも、あいつとは違うところがあって、彼女はためらいがちに俺と並んで歩いているわけだが、何かの拍子に肩が触れ合ったりすると慌てて離れる仕草がなんとも初々しいんだ。この河原を向こうの世界で朝比奈さんと初めて二人で歩いた日を思い出してしまうぞ。これは。
「私、こういう風に出歩くの初めてなんです」
 既視感を感じる仕草があった後、しばしあって古泉一姫が突然切り出してきた。
 どこかで聞いたセリフだな。
「こんな風にとは?」
「……男の人と、二人で……」
 まったく同じかよ。なら、俺の次の句は決まったも同然だ。ま、同級だから丁寧語は必要ないだろう。
「甚だしく意外だね。今まで誰かと付き合ったことはないのか?」
「ないんです」
「ううん。でも、君なら付き合ってくれ、とかしょっちゅう言われるんじゃない?」
「ええまあ……」
 恥ずかしそうに俯いてるし。
「でもダメなんです。私、誰とも付き合う訳にはいかないんです。少なくとも……」
「……今の役目がある以上は、か?」
 と、聞いた途端、彼女はハッとして俺の方を振り向いた。
「どこまで私のことをご存知なのですか?」
「そうだな。向こうの世界と性別が逆転している以外はまったく同じなら、君が超能力者で涼宮ハルヒコの精神状態を安定させるために動いている、ってことくらいまでか」
「それで充分ですよ。と言うより完璧な答えです」
 古泉一姫が苦笑を浮かべている。
「でも、本当にそれでいいのか?」
「え?」
「君に役目があったとしても四六時中、そんなことに縛られても構わないなんて結論に達する必要はないと思うぜ、俺は」
「ですが……」
「たまには息抜きも必要だって。いつもそんな風に緊張していたら潰れちまうぞ。だいたい、今日の……こっちだとハルヒコか。あいつだって『君の労をねぎらうため』に俺と君がペアになるよう、無意識に情報操作したはずだ。なら、それに甘えりゃいいじゃねえか。俺だって今日一日だけしかこっちにいられないんだ。なら、せっかくの異世界トラベルだ。楽しみたいと思っても仕方ないだろ。それが女の子と一緒に楽しめるならその方が嬉しいに決まっている」
 俺の目の前に居るのが向こうの世界の似非ハンサム野郎と同一人物だとしても、こいつは女だ。だったら別人として見てやったって構やしないね。
「そうですか……」
「ああ。だから君が案内してくれ。なんなら君の行きたい所へ連れて行ってくれたって構わんぞ」
 いくらなんでもハルヒみたいに俺を引き摺る勢いで走り回ることはないだろう。
「あ、はい解りました……あ、でも……」
 なんだい?
 古泉一姫が少し上気した顔で、胸で手を合わせて、どこか躊躇いがちに、
「て……」
 て?
「……手、繋いでもいいですか……?」
 恐る恐る左手を腰の所へと持ってくる。うん、いいね、その仕草。そんな表情と声をされたら無碍に断る男なんて居やしないぞ。
 少しだけ自嘲の笑みを浮かべた俺は、彼女の傍に近づき、まだ俺の方へ視線を移さない彼女の左手を、そっと指をからめて握ってやる。
 瞬間、彼女は顔を上気させて電流が走ったかのように一瞬体が硬直した。
「じゃ、行こうか」
「はい……」
 これくらいはいいだろう。ハルヒだって許してくれるさ。なんたって元々は涼宮ハルヒコ=涼宮ハルヒが望んだことでもあるしな。
 などと心の中で呟きながら、俺は古泉一姫と供に街へと繰り出した。

 

 

反転世界の運命恋歌Ⅱ

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最終更新:2020年09月16日 00:16