涼宮ハルヒという正体不明の謎にまみれた不思議な存在に出会ってしまった俺はたいてのことでは驚かない。
たとえ、目の前に宇宙人、未来人、超能力者が現れようとも奴らとの接触にあっさり順応できる自信はある。
と言うか、現実に順応してしまっているわけだが。
妙な空間に放り込まれようが終わりが来ない夏休みに突入しようが人の目からレーザーや超振動砲が発射されようが朝、目が覚めたらいきなり世界が変わっていようが気がついたら雪山に遭難していようがもう俺はパニックになることはないだろうぜ。
あとはそうだな。
異世界人と出会ったとしても大丈夫なような気は漠然としてる。
いったいこいつにできないことは何なんだ?と思ってしまう長門が俺に相談を持ちかけて来たとしても応じてやれることだろう。と言うか是が非でも応じてやりたい気分だ。
また、ハルヒが妙にしおらしく内気な女の子になったところで何か悪巧しているか、タチの悪い冗談かのどちらかであることを見破れるであろうことは間違いなしだ。
まあ、とどのつまり、今の俺はちょっとやそっとのことで動じてしまうほど軟じゃないってことさ。
しかしだな。
じゃあその未知との遭遇が三ついっぺんに俺に降りかかってしまったら?
さすがにそんなことに対する耐性は持ち合わせてなかったね――
涼宮ハルヒの遭遇Ⅰ
「ええっと……長門さん、もう一度言ってくれますか……?」
もうすぐ初夏の香りがしてきそうなとある日の昼休み。
午前最後の授業の終業チャイムと同時にいきなり長門からの携帯メールで呼び出されて、後ろにいたハルヒには家から電話がかかってきたと嘘をついて文芸部室にやってきたわけだが、俺はまったく想像していなかった出来事から現実逃避したくなったのか、おどおどしながら俺にくっついているそいつから目を逸らして問いかける。
対する長門は淡々と、
「ここにいる涼宮ハルヒは異次元同位体。我々とはまた別の並行世界から迷い込んでしまった存在。よって、あなたの力を借りたい。なぜならあなたは何度か別世界からこの世界への帰還を果たしている。その時の経験をわたしは望んでいる」
面倒くさがることなく、まったく同じ説明をしてくれました。
と言う訳だ。
異世界人と遭遇しようが長門に相談を持ちかけられようがハルヒが急に内気になろうが一つ一つであれば対応できる自信はあっても三つ同時に起こってしまったんで頭の中が固まってしまったんだ。冒頭のように今一度自分のことを見つめ直してしまうほどな。
で、今、長門が言ったハルヒなんだが……
最初は長門の腕に縋っていたってのに、俺がこの文芸部室の扉を開けて俺を見止めた途端、去年の五月、俺とハルヒが元の世界に戻ってきたときに再会した朝比奈さんよろしく泣きながら俺にしがみついてきたのである。
んで俺を未だに離そうともしない。
これはいったいどういう冗談なんだ?
しかし長門が冗談を言うはずもなく、とすれば間違いなく今、俺にしがみついているのは、いつか来るだろうと思っていた異世界人の登場で並行異世界(パラレルワールド)の涼宮ハルヒってことになる。
何なんだこれは?
もうちょっと何つうか……
長門や朝比奈さんや古泉のように、ハルヒが引き摺りこんだ奴にいきなり呼び出されて正体を告白されて知ることになるってことくらいは予想していたのだが、ハルヒが連れてきたわけでもなく、誰よりも我関せず無関心を貫く長門から紹介されて遭遇するなんて一番想像できないことであるし、正直言ってハルヒと長門が結託して俺をからかっている、と考えるならまだあり得るかも、と思ってしまう展開だぞ。これは。
で、そのパラレルワールドという異世界から来た俺にしがみついて離そうともしないハルヒなんだが……
いやこれはもう俺が目を逸らしたくなったってのも仕方がないことなんだ。
なんたってこのハルヒ。
目鼻立ちやスタイルはまったくこっちのハルヒと同じでおまけに北高の制服のデザインも同じ。性格は正反対っぽいのだがもう一つ、外見上、決定的に違うところが一つある。
もうお分かりだよな?
このハルヒの容姿に言及した俺が目を逸らしたくなった理由が分からないとは言わせないぜ。
もし本当に分からないならまず、『涼宮ハルヒの憂鬱』の原作かアニメを見てからこの先に進むことをお勧めする。
って、いったい俺は誰に何を言っているんだ?
そう、このハルヒは非の打ちどころがない反則的なまでに無茶苦茶似合っているポニーテール姿なのである――
仕方ないだろ? 外見的にはハルヒとまったく同じでそんな奴がしおらしく俺にしがみつき、加えてポニーテールなんだ。
もし彼女をまともに直視してしまったら俺がどうにかなってしまいそうだ。
なんせ、このハルヒも間違いなく涼宮ハルヒだ。この世界のじゃないってことを除けば本人なんだ。
俺はハルヒ以上にポニーテールが似合う女子を知らないし、知っている女子や有名なアイドル、女優の誰を脳内モンタージュでポニーテールにさせたところでハルヒ以上になることは決してない。
ポニーテールに目がない俺だ。それもハルヒで俺にしがみついているとなれば当然、その感触も匂いも直に感じることができるわけで、これで理性を保てという方が無理である。
以前、とある事情で現在の俺より一週間先から来た朝比奈さんに抱きつかれたときでさえ危うく自分を見失いかけたってのに、朝比奈さんのような性格のポニーテールハルヒが抱きついてきているとなればそりゃもう現実逃避でもしてなけりゃ人目を憚らず絶対に間違いを犯す。
「ところで長門、このハルヒとはどこで会ったんだ? 誰かに見られたりしなかったのか?」
と言う訳で俺は長門に問いかける。
まずは経緯を知っておこうという訳だ。話を逸らしたと思われても否定はせんぞ。
「この涼宮ハルヒが現れたのはこの文芸部室。わたしは涼宮ハルヒの存在が突然、ここで現れたので確かめに来た。むろん、あなたの所属するクラスからも涼宮ハルヒの存在を感知している。つまり、現在この時空には二人の涼宮ハルヒが存在していることになる。誰にも見られていないと思う。ただし――」
ん? 何だ? どうして言葉を切る必要がある?
「少なくとも僕は気づくことができました、ってことですよ」
なるほどな。
確かにお前は気づくかもしれんな、やれやれ……
嘆息してややげんなりした視線を肩越しに向ければ、そこにはSOS団副団長、ハルヒの精神鑑定にかけては俺とタメを張るくらい精通している相変わらず無意味に爽やかな笑顔を浮かべる古泉一樹がそこにいた。
「それにしても何と言いましょうか――と言うか、僕はいったいどう言えばいいのでしょうか?」
それは俺が聞きたいことだ。
頭に手を乗せ、一応珍しく困った笑顔を浮かべてかぶりを振る古泉を正面に捉えて俺は思わずツッコミを入れた。
「いや失礼。しかし、この事態は僕も正直言って困惑しております」
さらに珍しく、爽やかなハンサムスマイルはそのままなのだが口調には明らかに苦悩が満ちていた。
今、俺はいつも古泉とボードゲームを勤しんでいるときのように机を挟んでこいつと向き合っている。
もちろん、俺の左腕にはポニーテールハルヒがしがみついているし、なんだかおどおどした表情で古泉を見ては俺に縋るような視線を向けてくるのである。
まあ何を言いたいかは分かるがな。
「心配いらんさ。こいつは俺の友人だ。別にキミに危害を加える真似なんてする訳がない」
「う、うん……」
俺の答えに、ハルヒがそれでもまだ不承不承に戸惑うように首肯する。
んで、それで納得したのかと思えば全然納得はしていないみたいで、さらに俺の腕により強く深くしがみついてくるのだ。
だから待てって。このままじゃ俺がどうにかなってしまいそうで、いやキミが嫌って訳じゃない。むしろこうしていてほしいのだが……って、そうじゃなくて!
なんてツッコミを入れるわけにもいかんし、無碍に振り払うこともできんがな。
そりゃそうだろ。捨てられた子猫が雨の中で懇願しているような庇護欲を激しく揺さぶるつぶらな瞳でポニーテールハルヒは俺を見つめているんだ。これをないがしろにできる奴がいるとすればそいつは人間を辞めることを勧めるね。
「とりあえず、どうしてこの世界に出現したのか詳細を教えていただけないでしょうか? そこにあなたを元の世界に戻せるヒントが隠されているかもしれませんからね」
が、古泉はさして気分を害した風もなく、学校の先生が優しく生徒に質問するような穏やかな笑顔で問いかける。
「そ、それは……」
しばし躊躇うような沈黙が訪れて、
それでもポニーテールハルヒは俯いたまま、語り始めようとする。
しかし、その瞬間、古泉が現われてから今の今まで黙りこんでいた長門が動き出す。
と、同時に古泉の表情も変化した。
先ほどの穏やかな笑みが、今は緊張感を漲らせた鋭い視線でドアの方を睨みつけている。
「隠れて」
呟くと同時に長門は俺とポニーテールハルヒの手を取り即座に、部室にある掃除用具入れたるスチールロッカーの中へと、俺たちを押し込める。
ちょっと待て。何が起こったんだ? 見ろよ。ポニーテールハルヒだって情緒不安定を如実に表した困惑の表情を浮かべているじゃないか。
と言うか、長門と古泉がここまでの緊張感を持たなければならない相手とは何なんだ?
新手の急進派か? それとも古泉の機関と対立する刺客か?
「ここはわたしたちでやり過ごす。あなたと涼宮ハルヒは物音を立てず、じっとしていればいい」
む……この無為無表情のはずの長門の瞳が警戒心に染まっていることを俺は見逃さない。
そうだな。長門がここまで言うのであれば従うしあるまい。
俺が真剣な表情でうなずくと、長門は静かにスチール製の扉を閉める。
そして――
「キョンいるー? って、あれ? 有希と古泉くん? どうしたの二人してこんなところで」
勢いよく扉が開けられると同時に、入ってきたのは急進派でも刺客でもなかった。
つか、こいつが来るならまだ急進派とか刺客の方がマシだと思ったのは俺の気のせいだろうか。
そう――
あろうことか、文芸部室に現れた声の主は、是が非でもここにいる異世界人の存在を知られてはいけない我らがSOS団団長、こっちの世界のセミロングヘア涼宮ハルヒだったのである。
パラレルワールドと聞いて思い出すのは去年の冬、三日ほど季節以上に寒気と絶望を味わいつつも、なんとか事態打開にこぎつけた俺なのだが、その三日の内の一日、俺以外に忘れ去られた十二月二十日に光陽園学院の古泉一樹がこんなことを言っていた。
――あなたの言葉を信じるならば、聞いた限りにおいてあなたが陥った状況を説明するには二通りの解釈が挙げられます。
一つは、あなたがパラレルワールドに移動してしまった、というものです。元の世界からこの世界へ。
二つ目の解釈は世界があなたを除いてまるごと変化してしまったということですね。しかし、どちらにも謎は残ります。
前者の場合ですと、ではこの世界にいたあなたはどこに行ったのか謎ですし――
まあ、あのときは後者だったわけだが、昔、何かの本で見たような見ないようなという曖昧さ抜群のパラレルワールドの説明の中に、元の世界から別のパラレルワールドに一人の人間が迷い込めば、同時にその世界の当人ははじき出されて別のパラレルワールドへ移動してしまうと書かれていたような気がする。
が、どうやらこの仮説は誤りだったようだ。
確かに『自分』という存在は一人しかいない訳で、世界に『自分』は二人以上存在しないとなれば、別世界から『自分』が迷いこめば、元の世界の『自分』も別世界に行かないと『自分』という定義に辻褄が合わなくなるという理屈なのである。
ところが今、この薄っぺらいスチール製の扉を隔てて向こうにも俺の目の前にも涼宮ハルヒがいるのだ。
この本の著者はいかに想像でもっともらしいことを書いていたかがよく分かる。
「ふうん。機関誌ね」
「そうです。冬に我々が一冊作り上げましたところ学校内でも結構な評判となりましたから季節ごとに出版するのもよろしいかと思い、長門さんと話し合いをしていたんですよ。長門さんはSOS団団員であると同時に文芸部の部長さんでもありますからね。我々が協力して文芸部を盛り立てていけば、あの生徒会長も何も言えなくなるでしょうし、他のクラブに献身的に協力する姿を見ればSOS団を学校公認の同好会にせざる得なくなるやもしれませんから悪い話ではないかと。もちろん、長門さんの承諾が前提でしたのでその後、涼宮さんにお話ししようと考えていたんです」
さすがは古泉だ。
よくもまあ、思いつきでここまで流暢にでたらめを話せるものだと感心してしまったね。それも俺たちのことを少しも表情に出さないんだからなおさらだ。
しかし今はその騙りに縋るしかないからな。
頼むぜ古泉、長門。できるだけ早めにハルヒを追い出してくれよ。でないと絶対にまずい。この状況で俺はいつまで理性を保てるものか分かったもんじゃない。
なんたって、別世界のポニーテールハルヒと俺は、この狭い掃除用具入れロッカーに収まっているんだ。もちろん、このロッカーは人一人入るのさえやっとなのに二人で入るとなれば当然、密着状態にならざるを得ず、事実俺たちは密着しているし、朝比奈さんほどでないにしろ、ハルヒだってスタイルは抜群なんだ。俺の胸辺りは温かく柔らかい丸びを帯びた最高の感触を味わっているし、しかも前回の朝比奈さんの時と違って今は初夏の息吹がもうそこまで迫ってきている季節なんだ。ポニーテールとハルヒのスタイルと中の熱気が相俟って、もはや真田幸村がいない大阪夏の陣よろしく、外堀と内堀を完全に埋められてしまい、なおかつ天井裏にも刺客が侵入してしまっていてもうどうしようもないくらいの状況に陥っているんだ。スチール扉のスリットから向こう側を見て、目の前のハルヒから視線を逸らしておかなければ絶対にやばい。
「まあ別にあたしはあのいけすかない生徒会長のご機嫌取りなんてするつもりは全くないけど、そうね。久しぶりに機関誌を作ってみるのもいいかもしれないわね。あの時の盛況ぶりは今でも覚えてるし、キョンに今度こそまともな小説を書かせるのも悪くないわ」
って、何でそこで俺の名前が出るんだ?
だいたいあの話だって、お前、結構満足してたじゃねえか。最後のオチだけは必死に死守したがそれでもアレは一発OKをお前が出したんだぜ。俺にアレ以上の話が書けると本当に思っているのか?
と言うか、今度は恋愛小説なんてクジを引かんようにしなければならん。
「有希もそれでいい?」
「いい」
「よし。今日の放課後の活動はそのミーティングで決まりね! キョンとみくるちゃんにも言っておくわ。それじゃ!」
ちょっと待て。これじゃ文字どおり嘘から出た真ってやつじゃないか。
そもそも古泉と長門はなんとかなるかもしれんが俺と朝比奈さんはまた苦しむlこと間違いなしだ。
などと俺は思っていたわけだが、よく考えたら仕方がないことだよな。
否定せず、論議もせず、ただ肯定すればそれでハルヒは満足して立ち去って行くだろうから。現にハルヒはおそらく上機嫌に足に羽根が生えてるんじゃねえかという浮かれっぷりで文芸部室を後にしたはずだ。
文芸部室の扉が閉められる音を聞いて、
「ぷはぁ……」「ふひぃ……」
思いっきり息をついて俺とポニーテールハルヒは掃除用具入れから脱出した。
いや熱かった。それも別の熱気も混ざり合っていたから正直のぼせてしまうギリギリだったぞ。
「助かったぜ古泉、長門」
「どういたしまして」
「いい。わたしも同じ」
俺の素直な感謝に古泉も安堵と脱力を足したような笑みを浮かべ、長門もまたそっけないその返事の中に安心感が現われていたような気がする。
「あの……キョンくん……今のがこっちの世界のあたしなの……?」
「ああそうだ……って、そっちの世界でも俺はキョンなんてあだ名で呼ばれてるのか!?」
「あ……うん……」
俺の詰め寄りにポニーテールハルヒがちょっと困った笑みを浮かべて首肯している。
ん? しかしこの表情は『気まずい』よりもなんか『照れてる』っぽいよな? どういうことだ?
「あ、ごっめ~~~ん、ここに来た本来の目的を忘れちゃってたわ♡」
って、なんですと!?
とっても明朗活発な声とともにいきなりドアを開けたのは、先ほど立ち去ったと思われたこっちの涼宮ハルヒその人であった。