第十三章


 
 ベッドでウトウトしかけた頃、晩飯の完成を告げる妹がやって来た。
 気分の悪い俺はシャミセンを振り回してはしゃぐ妹をろくに構ってやらずに階下へと降りた。俺はただ黙々とメシをかき込み、作ってくれたオフクロには申し訳ないが、味はあまり解らなかった。
 飯を食い終わると、ごちそうさまもそこそこに俺は即行で風呂場へと向かう。そこで意味もなく長風呂し、のぼせて風呂場の天井を見上げているときに思い出した。
 今日はなんと、肝試しがある日だったのだ。
 ……完全に忘れていた。そんなもの(と言ったらハルヒに怒られそうであるが)を気にしている余裕もなかったのである。風呂から上がったら即就寝すると決め込んでいた俺はすっかり気落ちした。とっとと今日を終わらせちまいたかったのだが。
 正直、面倒くさいとも思った。こんな気分で連中と顔を合わせたくもなかった。が、思い出してしまったからには仕方がない。
 街のはずれの墓地に深夜一時半集合。来なかったら呪う。
 俺はさしあたり、風呂を出てからの時間をどう潰すか考え始めた。

  


 で、深夜。午前一時。
 風呂から出てから一旦は寝ようと決めたものの、どうせまた夜中に起きなければならんと思うと横になっても眠れなくて、結局、ずっと起きていた。何をしていたかといえばこれ、気が狂っているように思われるかもしれないが勉強である。なにしろ他にすることもない。何もしないでいるとどんどんウツな気分になってしまうので、俺は長門に借りたSF長篇を読みかじりつつ夏の課題に取り組んでいた。勉強に疲れたら本を読み、区切りがついたらまた勉強。そんなことを繰り返しているうちに午前一時になってしまった。本気で気が狂っていたのかもしれないな。少なくとも否定はできない。
 家から出るのには厳重な警戒を要した。オフクロにはあらかじめ肝試しをするという旨を伝え、くれぐれも妹には言わないようにと口止めしておいたが、あの妹のことである。何かの手違いで真夜中に出かける俺とばったり、なんてことも有り得なくはなかったが、どうやら杞憂だったようだ。俺は無事に家を脱出してから胸をなで下ろした。さすがに深夜一時に小学生の妹を連れて出歩いていたら警察かあるいはそれに近い何かに職務質問を受けるだろう。
 すっかり寝静まった街を自転車で飛ばすこと数十分、俺は指定された墓地にたどり着いた。 墓地と言ってもそんなに変哲なやつじゃない。山の中腹をちょっと切り開いて霊園にしただけの、超普遍的などこにでもある墓地である。幽霊を見たとかいう話も小学生の頃まではあったが、デマであるのは間違いないだろう。その証拠にここは心霊スポットとなっていることもなく、こんなところで、しかも夜中に肝試しをやろうなんてバカは俺たちくらいなものだ。遊園地のお化け屋敷の方がよっぽど怖い。
 そんなことを考えつつ自転車を路上に違法駐輪して敷地内に足を踏み入れた俺は、急にまぶしい光を食らって心臓が口から飛び出そうなくらいびっくりした。
「うぎゃ」    
「やっと来たわね」
 暗がりから声がしたかと思ったら、木の陰から懐中電灯を握ったハルヒが姿を現しやがる。てめえ、目が見えなくなったらどうしてくれるんだよこの野郎。
「心の眼を使えばいいわ」
「使えん」
 真夜中によくもまあこんなテンションを維持できるものだ、と俺は半分感心しつつ、もう半分であきれた。俺はもう疲れたよ。
 天を仰ぐと、月のない、新月の夜である。それゆえ辺りは真っ暗で、気をつけていないと草むらに足をつっこみかねない。草むらだけならいいのだが、このあたりは湿気が多くじめじめしているために、あまり踏みたくないような生き物がそこかしこで蠢いているのである。背後のうっそうとした林を抜けて吹いてくる風は冷え冷えとしていて、俺は夏だってのに身震いした。
「こんばんは」
 またしても暗がりから、ぬっという効果音とともに誰かが姿を現した。さわやかな腹の立つ声で古泉だとすぐに解る。それに続いて朝比奈さんと長門もひょっこり姿を現した。朝比奈さんはファンシーでオシャレな服をまとっていらっしゃるようだが、肝試しには場違いのような気もするね。都会のデパートとかに似合いそうである。
 長門は長門で制服姿だった。まあこいつに関しては、今さら驚くほどのことでもない。ところでこいつ、寝るときはいったい何を着てるんだろう。実はピンク色のパジャマとか持ってたりするのだろうか。まさか。      
 そんなわけで夜中の大集合を終えた五人組であったが、このメンツでこの服装で墓場にいるのでは警察に捕まっても反論はしがたく、幽霊なんぞ気味悪がって先方から逃げていきそうなものである。
 が、ハルヒはそんなことをちっとも気にしないようであった。
「じゃあ、みんな揃ったことだし、そろそろ始めましょうか。肝試し」
 そう言ってハルヒが説明したルールは実に簡単であった。ようは、ここの一番奥の墓に置いてあるおフダを取ってくればいいのだ。それで全員無事に帰ってきたら、もう一度墓場の中を五人で探索して幽霊がいないか確かめて肝試しは終了。ただし、おフダを取りに行く途中に幽霊を見つけた場合には即座に捕獲すること。逃したら死刑。
 ……という計画らしかった。
「そのおフダってのは、お前が用意したのか?」
「そうよ。家にあったやつを昼間に持ってきて置いといたわ。たぶん盗まれてないと思うけど」
 その心配は無用であろう。というか、そのおフダはアレか、お前の私物なのか?
「あたりまえじゃないの」
 当然のように言うハルヒ。なんかこいつの部屋が見てみたくなってきた。呪術関連のアイテムを片っ端から買い込んでるんだろう、どうせ。
 朝比奈さんはそんな俺を尻目に、薄暗く伸びる砂利道に目を落としていた。
「なんだか怖いですねぇ」
 そう言ってブルブルと身体を震わせる朝比奈さん。怖がる様子もいちいち可愛らしい。
「幽霊さんに乗り移られたらどうしよう……」
「うーん、そうよね。みくるちゃんは気をつけた方がいいわ。だって、あたしが幽霊だったら真っ先にみくるちゃんに乗り移ろうとするもの」
「そんなぁ」
 朝比奈さんは助けを求めるように俺に視線を送ってきたが、すみません、俺も真っ先に朝比奈さんに乗り移ります。 
「…………」
 なんだか背後に気配を感じる。寒気というか何というか。振り返ったら長門が直立していた。
「…………」
 いつもにも増して石像化しているような気がするが、普通の人間になると眠いのだろうか。こいつも。
「長門、お前よもや乗り移られてないだろうな?」
「大丈夫」
 と、長門は顔をちょっと上げて俺と目を合わせてから、またすぐに下げた。まあ大丈夫か。宇宙人の長門ならまだしも、ノーマルな人間の長門が謎的なものに取り憑かれるということはまずあるまい。現実は予想してる以上に日常的だ。  
「涼宮さん、ところでこれってペアになって行くのでしょうか? それとも一人で?」
 暇を持て余した古泉が横から質問した。
「なーに古泉くん、あなた誰かと二人で行きたいわけ?」 
「いえ、そういうわけでは決してありませんが」
「一人だけよ。残念だけど。だって五人でペアをつくると一人余っちゃうし、せっかくの肝試しがすぐ終わっちゃってもつまんないしね。ねえキョン、あんたも残念でしょう。みくるちゃんと二人で行けなくて」
 そりゃ否定するわけにはいかないが、別に一人で行くなら一人でも構やしないさ。古泉と男二人でおフダを取りに行くリスクを抱えるよりは、はるかにマシである。
「僕は別に構いませんけどね」
「俺が構うんだよ。そして気味の悪い発言は慎め。特に夜の間はな」 
 古泉は肩をすくめた。あっちの古泉とまったく同じように。 
 


 肝試しの順番が決まっていなかったので、靴で地面に線を引き、即席のアミダをつくって決めた。
 もったいぶる必要もないのでさっさと結果を明かしちまおう。朝比奈さん、長門、俺、古泉、ハルヒという順番になった。
 このアミダの後、俺はなんだかいたたまれない気持ちになっちまったね。なんでも一番乗りのハルヒが五番目にいるのを見ると、ああやっぱりこれは何のごまかしもない、正当なクジ引きだったんだなあと思ってしまう。いつもだったら絶対、ハルヒが変な力を使って一番になるに決まっているのだが。ハルヒが五番なんて、しっくりこないというか、落ち着かないというか。 
 アミダクジひとつに哀愁を感じている俺に引き替え、一番なんぞを引いてしまった朝比奈さんはすっかり怯えていた。
「ああ、途中で気絶したらどうしよう……」
 そんなことを呟きながら本気で落ち込んでいる。
 大丈夫ですよ朝比奈さん。こんな平凡で何の特徴もない墓地に幽霊なんか出るわけがありません。出たとすればそいつは酔っぱらってあの世への道が解らなくなってるオヤジの幽霊か何かでしょう。害はありません。
「それじゃあ早速だけど、スタートするとしましょう。じゃあ一番のみくるちゃん!」
「はい……」
 ハルヒの呼びかけに朝比奈さんは蚊の鳴くような声で答える。
「なによみくるちゃん、元気出しなさいよ。せっかくの一番じゃないの」
「出ませんよう」
 ご愁傷様です。
 ハルヒは「道はなんとなく歩いていけば、だいたいわかると思うから」というアバウトな説明を朝比奈さんに施すと、手持ちのバッグから何やら取り出した。またこいつは変なもんを。
「な、なんですかぁ、これ」
 朝比奈さんがたじろぐのも無理はない。腐ってもハルヒである、こんなもんまで準備してあるとは。
「死装束よ、死装束。あとそれから……こっちは三角頭巾ね。それにろうそく。みんなにはフル装備で行ってもらうからね」 
「さすがは涼宮さんです。用意周到ですね」
「当然よ古泉くん。だってSOS団の肝試しだもん。そんじょそこらの肝試しとは格が違うのよ」
 ところで肝試しにおける格ってなんなんだろうな。
 とか思いつつ、俺はハルヒが持ち出したアイテムに目をくれた。暗闇の白色はやけに目立つ。これ着て墓場を徘徊していたら幽霊そのものであり、きっと長門あたりが着ればそのまま三途の川を渡って行けるだろう。まさか生きた人間だとは誰も思わないに違いない。
 嬉々とした表情のハルヒ、一方で朝比奈さんはどんどん暗くなっていた。朝比奈さん、お気持ちは解ります。まさか墓場まで来てコスプレをさせられるとはね。
「コスプレじゃないわよ。あたしは本気よ」
 とハルヒは無駄に主張する。ああそうかい。ならそれでいい。こんな夜中じゃあ、こいつとの無意味な言い争いに参加する気も起きないね。
 ハルヒは朝比奈さんの頭に三角頭巾を巻いてやりながら、
「一応ろうそくは人数分持ってきたけど、衣装は一着しかないから使い回しね。だから途中で転んだりして汚さないように。みくるちゃん、特にあなたは足もとが危なっかしいから気をつけなさい。この衣装、高かったんだから」
「はぃ……」
 泣く泣く死装束を身につけた朝比奈さんは、幽霊にしてはなんだか不釣り合いで、どっかのお化け屋敷のキャンペーンガールに見えなくもない。三角頭巾も冗談みたいにしか見えなくて、ああ何でこの人が着ると何でもコスプレみたいになっちまうんだろうな。不思議である。 
「じゃあみくるちゃん、これね」
 とハルヒはマッチを擦って燭台付きろうそくに火をともし、朝比奈さんに手渡した。  
  それを受け取ると朝比奈さんはもう完璧に幽霊であって、しかもこんな衣装でさえも可愛らしく見えるのが朝比奈さんのすごいところなんだろうね。呪っちゃいますよー、とか言いそうである。きっと呪われたい男どもが世界中から押し寄せるだろう。
「じゃあみくるちゃん、がんばっていってらっしゃい!」
 ハルヒに無理やり背中を押されて、朝比奈さんは墓場の中へおずおずと歩き出した。




 朝比奈さんが出発してから完全にやることをなくして暇になった俺たちは、朝比奈さんが戻ってくるまでハルヒが持ってきた花火で遊んでいた。ホントにあきれるほど用意のいい奴である。
「俺は線香花火でいい。真夜中にはしゃぐ気も起きんからな」
 墓場でロケット花火なんぞを振り回したらそれこそ罰が当たりそうな気もするしな。僕もそうしましょうかね、と古泉が俺に同調して花火セットに手を伸ばす横で、制服姿の長門もひっそりと線香花火を選んでいた。
「なによみんな、元気がないのねえ」
 とか言いつつ、ハルヒも線香花火を手にとっている。結局四人でしゃがんで線香花火をやるという珍妙な図式ができあがってしまった。
 パチパチとかすかな音を立てて散る火花をじっと眺めている長門や、ずっとしゃがんでいるのに飽きてきて花火を振り回し始めたハルヒを観察しているうちに俺の線香花火も消えてしまい、水くみがかりの古泉がそこらへんの水道から汲んできた水に花火を落とした。
「お前もご苦労さんだな、毎度毎度」
「おかげさまで」
 もっとも、地がこの性格だったらそれほど苦労とは思わないのかもしれんが。
 くたくたに疲れ果てた様子で朝比奈さんが帰ってきたのは、俺たちがそろそろ花火にも飽きてきた頃合いであった。
 左手におフダらしきものを握った朝比奈さんはげっそりとやつれており、そのまま昇天してしまいそうである。途中に何か恐ろしいものでも目にしたのか。
「みくるちゃん、よくがんばったわ! あなたはやればできる娘だと思っていたもの」
 ハルヒはそんなことを言っているが、慰めになってるかどうか微妙だぜ。 
  次は誰だっけと考えていると、朝比奈さんが脱いだ死装束と三角頭巾を、長門がひっそりと身につけているところだった。
「…………」
 


 幽霊のコスプレを身につけた長門はやはりというか、とてもよく似合っていた。北高のセーラー服と同じくらいによく似合う。朝比奈幽霊よりもこっちの方がいいという奴が、半分はいる。絶対に。
 長門の幽霊姿はハルヒも絶賛であった。「来年の文化祭はこれで決まりね」とか「将来これで食っていけるわよ」とかいうベタ褒めの言葉のすべてを長門は涼しい顔をして聞き流し、最終的に手渡されたろうそくを手にすると、ふわふわと幽霊みたいな足取りで墓場の中へと消えていった。本物の幽霊に出くわして、あの世へ案内されなければいいのだが。
 


  心配は無用であった。長門は朝比奈さんの半分以下の時間で顔色一つ変えずに戻ってきて、手にはしっかりおフダが握られていたし、様子を見る限りでは何事も起こらなかったようであった。もっとも、長門なら幽霊に会っても平気な顔をしていそうではある。
「大丈夫だったか?」
 長門はまったく大丈夫そうだったが、せっかくなので声をかけてやった。
「大丈夫」
「そうか。……おかしなことは何も起こらなかったか?」
「起こらなかった」
 そうか、とまた言って長門から衣装と三角頭巾を受け取る。かすかに長門の体温が残っていて、うあ生々しいとか思っていると長門が独り言を呟くようにして俺に言った。
「あなたも気をつけて」 
 わざとらしいことを言ってくれるじゃねえか。そりゃなんだ、伏線か何かのつもりか?
 長門は肯定も否定もせず、静かに元の場所へ戻った。ううむ、相変わらずよく解らん奴である。
「ほらキョン、もたもたしてないでさっさと着なさい」
「ん……あ、ああ」
 ハルヒにせかされながら服の上にそのまま死装束を羽織る。まさかこの歳でこんなもんを着るとはね。まったく縁起でもない。
「キョン、頭巾よこしなさい。つけてあげるわ」
 言われたとおりに手渡すと、頭が割れるくらい思いっきり締められた。いてーよ。ハチマキじゃねーんだよ。
「なんかキョン、幽霊みたいね」
「そりゃ幽霊のコスプレしてるしな」
 ハルヒないかにも残念そうな顔をして、
「あーあ。カメラ持ってくればよかったわ。有希のやつも撮っときたかったし」
 持ってなくて助かったよ。長門のはともかく、俺の幽霊姿なんか笑いのネタにされるのが目に見えてるからな。
 長門の幽霊姿の写真を谷口に売ったらどのくらいになるだろうかと考えていると、ハルヒにろうそくを渡された。
「はい、じゃあキョン、スタート」 
 古泉の「せいぜいがんばってくださいね」とでも言いたげな苦笑がシャクにさわる。言われなくてもがんばるよ。せいぜい。 




 そんなわけで俺は一人、墓場へと繰り出したということになる。
 隣に朝比奈さんでもいれば雰囲気を満喫する気にもなったかもしれないが、まさか男一人で肝試しを楽しむ気にもなれず、俺はさっさとおフダを手に入れて戻ろうと心に決めていた。しばらく道なりに進んでから、立ち止まって来た道を振り返ってみると、人の姿は遠のいてもうほとんど見えない。花火のぼんやりと明るい光が見えるだけだ。また前を向いて歩き出す。
 何やってんだろうな。俺は一体。
 薄闇の中に立ち並ぶ無数の墓石を眺めていたら、急に虚しい気分になった。
 幽霊のコスプレをして墓場で肝試し中である。SOS団の仲間うちで夏休みの暇つぶしに――。と、考えたところで俺は背筋が寒くなるのを感じた。別に幽霊の気配を感じ取ったとか、そういうのではない。
 あやうく持っていたろうそくを落とすところだった。
 俺は、ここが平行世界で、ここに閉じこめられているということを忘れかけていたのだった。
 ハルヒやその他のメンバーの様子が、あまりにも普段と変わらなかったからだ。確かに長門は宇宙人という肩書きがなくてもどこからどう見ても長門だったし、朝比奈さんは未来人でなくても可愛らしくて、古泉は超能力者でなくてもハンサムスマイル男だった。もちろんハルヒだって他の誰でもなくハルヒである。
 妙なプロフィールがなくなっただけで、誰もが元の世界の連中とまったく同じだった。実際、俺は今の今までここが平行世界であることを忘れかけていた。宇宙人かどうかなんてのは、日常を生活する上でたいした違いにはならない。
 そう気づいたとき、もしかしたら俺はこの世界でも普通にやっていけるんじゃないかと、ふと思った。SOS団がただのヒマな高校生の集まりだったとしても、今までとさほど違うところなんかない。非日常的事件があるかないかだけで。
 別に元の世界に未練がなかったわけじゃないんだ。
 正直言って、確かに俺は非日常的事件を楽しみにしていた。平凡な日常を吹き飛ばすような「何か」を望んでいたし、その「何か」が立て続けに起こったこの一年は、俺の人生の中で一番楽しい一年だったと言っても過言ではない。
 しかし、そういうものがなくなったとしても生きていけないということはない、と俺は思うのである。現に他の高校生は宇宙人や未来人や超能力者とはまったく無縁な生活を送っているわけだし、俺だって一年前まではそんな生活を送っていたのだ。
 それに失うものだって、そんなに多くはない。いつかの世界改変のときとは違って、SOS団の五人がまったくの他人になっちまったわけではなく、誰かの性格が変わったというわけでもない。そして何より――ハルヒが望んだらしいように――卒業してからだってこの五人で集まることができるのだ。長門が宇宙に帰ることはないし、朝比奈さんが未来に戻ることもない保証された未来。。そう考えれば、この世界にだってメリットはある。
 …………。
 一人頭の中でそんなことをうだうだと考えながら、俺はしかし、やはりこれも言い訳だなとか思った。現状をあきらめて、自分の都合のいいように解釈しようとしているだけだ。
「ちくしょう……」
 未練だと? あるに決まってるだろ。そうじゃなけりゃ、この一年間つきあってきた、あっちの世界のあっちの連中に申し訳が立たねえよ。十二月の世界改変のときの長門の苦悩と決断は、いったい何だったんだって話だ。長門に借りを返せていないまま迷惑だけかけて、しかもこのまま凍結されたままで終わりなんて許されるわけがない。
 このままで終わりなんて、どうしても納得できないんだ。




 どのくらい歩いたのか、スタート地点の花火の明かりも見えなくなり、そろそろある種の心細さを感じ始めていた頃だった。ろうそくは出発したときより明らかに短くなっている。
 やっと、というべきか、どうやら一番奥までたどり着いたようだった。
 というのも、ハルヒの説明通り、おフダらしきものが置かれた墓があったからだ。近づいてみてみると、どうやら朝比奈さんや長門が持って帰ってきたそれと同じものであるらしい。
「これか」
 特に長居をする理由もなかったので、俺はいったん鬱々とした思考を断ち切り、三枚残っているおフダのうち一枚を手にすると、くるりと背を向けた。
 さっさと帰ろう。
 そうでもしないと、一人でどんどん暗くなってしまいそうだった。今ばかりは何もかもを吹き飛ばすハルヒの明るさがうらやましいね。
 ところが、俺が急ぎ足で第一歩を踏み出した、まさにそのときだった。
「キョンくん」
 そう呼ばれた。



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