俺は目を覚ました。

「朝か…。」

船上へと上がった。あまり塩水である海水で顔を洗いたくはなかったが…かといって、
船内に貯蓄されている真水を使うのは言語道断である。家族や動物たちが飲む貴重な水なのであるから。

顔を洗っていると…すでにみんなも起きたのだろう。何やら話し声が聞こえた。

「…放した鴉は帰ってきたか?」
「ああ、昨日の晩こっそりと戻ってきたようだぞ。」
「…未だとまれるところがないんだな…。」
「らしい。陸地という陸地は完全に海に呑まれてしまっている。」
「本当に第三世界は滅びてしまったのか?」
「それは神の知るところだろう…我々にできるのは祈ることだけだ。」

いい加減船上生活にも飽きてきたところなのだが…どうやら、そうは問屋が卸さないらしい。

一昨日くらいであったろうか、洪水が完全に収まったのは。それも、ただの局地的な洪水などではない…
40日40夜に亘って全世界を呑み込んでしまうほどの…史上稀に見ない地球規模の大洪水だったのである。
無論そういうわけで、生きとし生ける全ての物は滅ぼされた。

「お前たち、決して絶望してはならないぞ。神はきっと我々をお導きになる…それまでの辛抱だ。」

先ほど俺が聞いていたみんなの会話に一人の男が割って入る。俺の伯父にあたるノアさんだ。

……

俺が今、こうやって生きていられるのは彼のおかげと言っても過言じゃないと思う。
実際俺たち一族が洪水から救われたのも、長であるノアの信心深さや善行ゆえにと言われている。
まあ、俺自身はそこまで敬虔だったわけでもなかったのだが…。








特にすることもない俺は船上をウロウロしていた。ふと、見晴らし台近くの階段にて座っている
一人の少女を見かける。非常に美しく上品な顔立ち…気のせいか光り輝いているようにも見える。
…見かけない顔だ。彼女は一体何者なのだろう?好奇心ゆえか、ついつい話しかけてしまった。

「ええっと…こんなところで何を?」

何言ってんだ俺は。『あなたは誰ですか』と問うのが普通だろうに。

「……」

彼女はこちらを見たまま何も答えない。それにしても透き通った綺麗な目をしている…まるで吸い込まれそうな

「お前、こんな所で何してる!?」

見つかってしまったのか、ノアさんに怒鳴られる。

「神は今思考中であるぞ!無礼なこと極まりない!!」

…神?神なんて一体どこに

……

まさかとは思うが、この少女が神だとでも言うのか…??

「別によい。たまにはこうして下界の人間と話してみるのも悪くない」

少女は答える。

……

一瞬、なんてシュールな光景なんだとも思ったが、その違和感もすぐに消しとんだ。

姿形こそ少女。しかし、なぜだかはわからないが直感的にこの少女は神、少なくとも
普通の人間あらざる生き物なのだということを本能は告げていた。神秘的容貌をまとった視覚的効果か、
それとも得体の知れない神々しいオーラのせいなのか、原因はわからない。

…なぜ彼女(神)が人間ごときが作った我々の船に乗っているのか…そして、なぜ姿が人間の少女なのか
聞きたいことは山ほどあったのだが、とりあえず自重しておくとする。本当に少女が神だったとして、
その者はつい最近世界を滅ぼしになった張本人だ。何気ない一言が逆鱗に触れてしまう可能性もある。
せっかく救われた命なのだ…慎重に事を運びたい。などと思考している内にノアさんは去り、
いつのまにかデッキには俺と少女の二人だけとなっていた。

…俺も去ったほうが良いのだろうか?いや、話しかけておいて
勝手に去るのはそれはそれでやばい気がする。一体どうすれば…

「…今、何をしているのかと尋ねたな?」
「あ、はい。」

急に話しかけられ、つい間抜けな返事をしてしまう。こればかりはどうしようもない…なんせ相手は神なので
あるから。しかし、臆していても仕方がない。あらゆる知識と知恵を振り絞り、会話を穏便に続けようと思う。

「行く先の見えないこの世界のことを思案していた。」

この世界とは…おおよそ第三世界のことだろう。

「…それで、神様はこれからどうなさるおつもりで?」
「……」

急に溜息をつく少女。そして、二言目にはこうだった

「息苦しい。」

…待て、何が起こった…?!?何か琴線に触れるようなことでも言ってしまったのか俺は??

「どうせこの場には二人しかいないんだからさ、もっと肩の力を抜いてしゃべりましょ?あたしも自然体で話すから。」

俺は混乱していた。

「だからさ、あんたあたしのこと神だと思ってるから硬直してまともにしゃべれないんでしょ?
そういうわけだから、別に普通に話しかけてくれて構わないわよ。あたしもいい加減神のフリするの疲れたし。」

…事態が把握できていなかった。ただ言えることは、先ほどまで神々しい雰囲気を醸し出していたはずの
その人が、今俺の目の前にいる彼女は嘘だったかのごとく人間らしい様子で、そして砕けた口調で
話し始めたということである。これは…俺も軽いノリで話してもOKってことなのか?いや、それでも万が一にも
相手は神。そんなことをしたら…ん?今しがた彼女は神のフリと言ったか??俺の聴覚がいかれていなければ、
確かに彼女はそう発言したはず。じゃあ彼女は神ではないのか?いや、なら何でさっきノアさんは
この少女を神だと…まずい、頭がぐるぐるしてきた。

「神のフリとは一体…??」

気付いたときには尋ねていた。

「…そもそも神っていうのは姿形っていう概念が存在しないから、あんたたち人間が
実際に目にすることはできないわ。もちろん他動物にもね。だからさ、あんた違和感覚えなかった?」
「違和感?」
「あたしが神って言われたとき【何でこんな少女が??】とか心の中で思ってたでしょ?別に正直に言っていいのよ。」
「…確かにそう思った。」
「当然よ、だって神じゃないんだもの。」

「じゃあ一体何者…」
「わかりやすく言えば、神の代行者ってところかしら。
神の声を聞き届け、それを人間たちに伝える。あたしの役割ね。」
「…どうやって神の声を聞くんだ?」
「聞くんじゃなくて【わかる】のよ。勝手にね。」
「?それはどういう…」
「だってあたしは神の分身だもの。つまり、神が考えてることが同時に今あたしが考えていること。
何て言ったら良いかしら…神の人間バージョンって感じ?」

つまりこの少女は神が人間に化けたものってことか。道理で神の考えが…

?待てよ…?

「じゃあ、やっぱりあんたは神なんじゃないか!」
「いや、だから神じゃないって。現にこうして人間の体をしているわけだし。」

わけがわからないが…まあ、本人が言うんならそういうことなんだろう。

「それにしても…あんた何者?なんかすっごく話しやすい気がする。珍しい人間もいたものね。」

いやいやいや、何者とか、むしろこっちが聞きたいくらいだ!

「どいつもこいつもあたしがいくら言ったって謙った言い方するヤツばっかでさ。
ホント、どれだけ窮屈な思いをしてきたか。」

ある意味それはどうしようもないんじゃないかと…仮にも神の代行者にタメ口で話すほうがおかしいぞ。

…あれ?

そういえば…いつのまにか俺は彼女に対してほとんど丁寧語を使っていない。熱心な信者からすれば、
今の俺は極刑もいいところだな。…けど、本人曰く厳密には神ではないらしいから、それならこれはこれで
別にアリなんじゃないか?と不思議にも俺はそう割り切っていた。向こうから軽い感じでしゃべってくれてる
のもあるが、何より緊迫した空気を彼女自身が嫌ってるのであれば尚更だ。敬虔な信者たる人間でない
俺みたいなヤツだからこそ、できる芸当なのかもしれん。もっとも、それはそれで問題ある気がするが…

……

「これも何かの巡り合わせね。せっかく気が合ったんだし、もっとしゃべってても良い?」

「…別に構わないぞ。」

とりあえず少女の横に腰掛けて座る俺。…間近で見て気付いたが、よくよく見てみるとこの少女、
俺と同年齢っぽい外見をしている。話しやすいってのはこのへんにも要因があるのかもしれない。

「あたしね…さっきこの世界を思案してるだの何だのカッコつけたようなこと言ってたけど、
実際は何も考えてなかったのよ。ただ疲れてボーっとしてただけ…。」

……

「いわゆるアレか、頭ではわかっていても体がついていかないっていう感覚か?
そりゃ、いくら脳内が神と同一だからといって、体は生身の人間なんだ。
いろんな意味で相当な負荷がかかってんじゃないか?正直しんどいと思うぜ。」

またまた何を言ってんだ俺は?自分で勝手に想像して勝手に納得する…俺の悪い癖だ。

「っ!」

驚いたかと思えば急に黙る少女。ほれ、言わんこっちゃない。機嫌を損ねてしまったみたいじゃないか。

「…あんたさ、ホント何者?会ったばっかでよくそこまでわかるわね。」

なんとまあ、どうやら俺の読みは当たっていたらしい。
なかなか捨てたもんじゃないぜ俺  と、慢心してる場合でもねえっつうの。

「じゃあ、しんどいってのは本当なのか?」
「ええ…身体的にも精神的にもね。あたしが人間の姿をしていなかった時、即ちまだ地球が誕生していなかった頃
なんだけど、あのときは想像もしてなかったなぁ。人間っていうのがこんなに大変で忙しい生き物だったなんて。」
「そもそも何で人間の姿になろうと思ったんだ?」
「…人の話を聞かないのね。だからさ、それは最初にも言ったでしょ?神の声を人間たちに伝える役割が
あたしにはあるんだって。なら、言語機能を全く同じとした人間に化けるのは当然じゃない?
じゃないと伝えることも表すこともできないってのは…わかるわよね?」
「ああ、そういやそうだったな。」
「そうだった、ってあのねぇ…」
「ええっと、それでだ。つまりお前は代行者としての務めを果たしていたんだが、
いつのまにか人間たちからは【神】そのものだと思われるようになっていたと…そういうわけだな?」

「…ご明察よ、その通り。それはあたしの意図したものではなく単なる成り行きだったんだけど…
結果的に、【神】だという認識による好転はあったわ。ダイレクトに物事を伝えることができる分、
迅速に物事に対応できたっていう点とかね。でも、それはあくまで一つの側面でしかない。」
「…もしかして、神であることに疲れたのか?」
「まあ…そんなところね。有機生命体という体に身を投じてしまったことで全ての事が
思惑通りにいかないことがわかった。何より人間である以上限界というものがあるもの。」

ここで俺は一つの疑問にたどりつく。

「そういえば神はこれまで地球を滅ぼしたりとか…とんでもないことをやっちゃってるみたいだが、
それは一体どうやって?人間一人じゃあんなことできねーぞ。」
「何か凄い勘違いしてるみたいね…あたしはあくまで神の化身でしかないの。
確かに人間の身に投じてはいるけど、だからといって本来の神が消えてしまったわけじゃない。
本当の神はあたしとは別に宇宙のどこかで存在してるわよ。
で、その存在が地球規模の天変地異を引き起こしてるわけ。」

なるほどな…そういうことか。

「でも、本来の神はとても考えが物質的で無機的で…そして冷酷。実際、感情というものを初めて感知したのは
この身に投じてからかしらね。その後は辛かったわ…例えば世界が滅びるったって神はそれを傍観するだけ。
でも、地上にいるあたしは知っている…それによって多くの尊い命が奪われ…また、彼らの悲鳴も聞こえた。
考えようによっては単なる殺戮ね。そして、その張本人が自身であることを自覚した直後、これまで何度あたしは
発狂しそうになったことか。人間である以上、最低限の理性はもつもの。…当然の帰結よ。」

…この少女はそこまで苦しみながらも、これまで神の代行として奔走してきたってのか。

「しかしだな、お前が嫌だと思っているのなら、それを止めることはできるんじゃないのか?
だって自身の考え=神の考えだとさっき言ってたじゃないか。それなら神も同様に嫌だと思うもんじゃないのか。」
「…=で結びつけられるほど簡単な関係じゃないわ、あたしと神はね。
確かに、あたしには神の考えは全てわかる。でも逆は成り立たないの。」
「神にはお前の思いは届かないのか??」
「まあ、当然といえば当然ね。人間が抱く感情的、感傷的、理性的、倫理的な思考など
実体をもたない神には理解し得ない物だもの。」

「だが自身が神の化身である以上世界を滅ぼす理由や大義は理解できる…しかし同時に
人間的な感情がそれを拒否する…お前はずっとそういう板挟みな状況で生きてきたんだな。」
「……」 

ん?

「…くっ、あっはっはっは!!」

少女は急に笑い始めた。

「あ、いや、なんかおかしくなっちゃって。だってそうでしょ?仮にも、あんたとあたしは初めて会ったのよね。
で、どうしてここまで会話が成立してんのよ?それも結構ハードな話題、にもかかわらずよ。」
「ま、まあ、言われてみれば…。」

…客観的に考えればそうなのかもしれない。いや、そうなんだろう。これまで
想像もできないような長い年月を生きてきた神の化身。片方はどこにでもいそうな凡人たる一人間、
つまり俺。そんな両者が、一体どうやってその価値観を共有できるというのか。

「ふっ…く…くっく…」

そう考えたら俺まで笑いがこみあげてきてしまう。まさか成功?するなんて誰が考えようか。

俺たちは、そんな感じでしばらく互いに笑い合っていた。
先ほどまでこいつを神だと思い委縮していた自分は、さて、どこへ行ってしまったんだろうね。







「さてと、長い間話を聞いてくれてありがとう。なんかすっきりしたわ!」

…いきなり満面の笑みで話しかけられたせいか、つい照れちまった。

「そういえば本当の意味で笑えたのって一体いつ以来かしら…それだけあんたは衝撃的だったわ。
神に届くなら伝えたいものね、地上にはこんな凄い人もいますよ!って。」

それはやめてくれ…照れるどころか逆に恥ずかしい。

「そんなわけで、そろそろ作業に戻るとするわ。」
「作業?」
「これから創っていく…第四世界をどうしていこうかなって。」

ああ、そうか…そういや第三世界は滅びたんだよな。

「もうね…あたしはこれ以上人々の痛みは見たくない。だから、今度こそ次の世界は完全なものにしたい…
争いのない、全ての生き物が平和に共存して生きていけるような世界にしたい…切実にそう願うの。」

言いたいことは痛いほどわかる。が…何やら心の奥底で引っかかる感があるのは気のせいではないはず。



……



生身は人間…

ならば思考も人間…

それならば、一人間として願うべき最低限の、自分自身のための願い事とかいうのが
普通はあるんじゃないのか??それは…誰しもが思うことだよな??

「お前は…神をやめて一人の少女、普通の人間として生きたいと思ったことはないのか?いや…あるはずだ。」
「!」

意表を突かれたのか、きょとんとする少女。

「…バカなことを。仮にも神の化身であるあたしが、そんな考えをすることは許されないわ…。」
「誰が許さないって決めたんだよ?」
「え?」
「確かにお前自身は神の意志で生まれてきたのかもしれない。でもな、
別個体で生まれたって時点でもう神だの何だの関係ねーんだよ!!好きに生きりゃいい。」
「あんたは何を言って…それはね、無責任というものよ!?第一、化身である以上
これからもずっと神の意志に束縛されて生きていくのは自明で…。」
「単にお前が勝手に束縛されてると思ってるだけなんじゃねーのか。
自分の意志で生きることを諦めてるようにしか、俺には思えない。」
「……っ!」

「自分がしたいと思えばそれをすればいい、やろうと思えばやれる…お前は十分そういう立場にあるんだからな。
それを忘れるなよ…俺という人間が世界中で俺一人しかいないようにお前もお前でしかねえんだからな。
なら、束縛だの何だの難しいことは忘れて胸張って好きなように生きりゃいいんだよ。」
「ちょっと待ってよ…じゃあ何?あんたからすれば、これまであたしがやってきたことは全部無意味だったって、
そう言いたいわけ!?神の代行者そのものを今更全否定しろって、つまりはそういうことよね!?
そんなにも、あたしには似ても似つかないほど不釣り合いな役職だった、だからやめろと言いたいの??」
「…お前が神の代行という仕事に誇りや楽しみを見出して精一杯生きてんのなら、
それはそれで別にアリだと思うんだぜ。けどな、今のお前は明らかに違う。
負荷や重圧のみがかかる人生に一体どんな意義があるってんだ…?俺はそれを言いたかった。」
「……」

……

しばらくして考えが落ち着いたのか、少女は静かに口を開いた。

「じゃあさ…もしあたしが自分の意志で、一人の人間として生きたいと願ったとして、
もしそれを神が妨害してきたら…そのときはどうすんのよ…??」
「そんときは…俺がお前を助けてやる。」

……

…今、何と言った?

少女の境遇に熱く見入って冷静さを欠いていたせいか、俺はとんでもないことを口にしてしまったんじゃないか?
一人間である俺が神に反逆?一体どうやって?何を根拠に?可能性は?どうやっ…

…狂ってる

……

いや、待て…それこそ何を言ってるんだ俺は??可能性とか以前に、
単に自分が臆してるってだけなんじゃないのか?それにだ 一人間が神に抗うことを否定してしまえば、
それこそ俺が少女に説いた理屈自体が何の意味も持たなくなっちまうだろうが!
一応俺だってな、自分の言葉一つ一つに責任は感じてんだ。それに…

俺はこの少女を助けてやりたいと思った。その思いには何ら偽りはないはず。
ならば、仮にそれで死んだとしても悔いはない…そうだろう?

俺は覚悟を決めた。そして少女の顔を見た。

……

目に涙を浮かべてるように見えるのは気のせいか?

「どうして…?」
「…え?」
「答えて!どうしてあんたは…そこまでしてあたしを助けようと思うのよ!?
だっておかしいでしょ!?初めて会ったばかりなのよ!?そんな…そんなすぐ出会ったような相手に
優しい言葉なんてかけられるはずない!!一体何を考えて…。だから、だから答えて!
どうしてあたしを助けるのか… そうじゃなきゃあたし、納得できない…!」
「……」

今のこいつを見ていてわかったことがある。

【自由に生きたい】

おそらく、これは俺が言わずともこいつ自身ずっと以前から抱いていたことには違いない。
されど自分は神の代行者…たったそれだけの感情が、今日にいたるまでの彼女をここまで
束縛し続けてきたんだ。確かに、始めのうちはそういう感情というのは崇高なる使命感と呼ぶこともできたろう。
しかし、人類への殺戮ともいえる天変地異を繰り返すうちに彼女の中で何かが変わった…
そう、気付いたときには使命感なるものはすでになかったんだ。代わりにあったのは、
莫大な年月を神の代行者として遂行してきた、そんな自分自身への屈服と、神への恐怖。
彼女は既成事実への屈服と自らの保身がためだけに代行者を務め、いや、演じざるを得なかったのだ。

それが…俺の一言で息を吹き返し、そんな偽りの自分をようやく発見するにいたった。なれば、崩壊は早い。
一度溢れ出た感情は止められない。…この涙が、その証拠のはずだ。

……

…さて、とりあえずは

今は彼女の問いに答えなければならない。さて、どうしてだ?
単なる同情…ではないだろう。同情程度で命など懸けるものか。
気になったから…というのも違うだろう。そんな柔な好奇心から発した言葉じゃない。

……

そもそも理由を考えるって時点ですでにおかしくないか?
あのとき俺は何を思って口にした?いちいちそんなことを考えた上で発言したのか?

…違う!!

「人を助けるのに理由がいるか?」
「!!」

彼女が驚くのも無理はない。実際、俺が少女の立場だったとしてもこんな
単純ストレートな言い草には唖然とするに決まってる。しかし、事実そうなのだからどうしようもない。
例えば川で溺れている人、熱中症で倒れている人、飢餓で今にも死にそうな人etc…
そんな緊迫した状況下の中で彼ら彼女らを助けようとした人たちは、果たして行動を起こす前に
何か理路整然とした理由を考えていたであろうか?おそらく、答えはNoだ。結局は人を助けるという、
その行為自体が理由になってしまっている。生物学で言うところの反射に近い行動原理、といえるだろうか?
いずれにせよ、原因がはっきりしてる以上わざわざ取り立て、美辞麗句を並べる必要はないと思った。

「…予想外…、まさか、そんなわかりやすい答えが…返ってくるなんてね。
そりゃあね、言いたいことはわかるわ…けど、あたしはあんたのいう普通の人じゃぁ…」

予想外なのはこっちだ…何だその切り返しは??っていうか全然わかってねえじゃねえか。
俺が使った【人】という言葉に、そんな定義付けがされてるなんて考えてもみなかったぞ…?

「…人に普通も特殊もねえよ!人間は等しく人間だ!もちろん、それはお前も含むんだぜ。
誰が何と言おうとお前はれっきとした人間だよ。心に温かみをもつ人だ。」

そうだろう?これに異議を唱えるやつは今すぐ俺のトコに来い。力一杯ぶん殴ってやる。たとえそれが神でもな。

……

「呆れ…た…よく、そこまで堂々と言えたものね…。でも…あれ?どうして…?涙が…止まらない、涙がっ」

考えるまでもなかった。気付いたときには、俺は少女を抱きしめていた。

「っ!」

一瞬驚いたようだったが…すぐに少女も俺にうずくまる体勢をとってきた。

……

抱きしめていてわかるが、彼女の体はこんなにも華奢だったのかと…改めて認識させられる。
いくら神の代行者と言えど、体は生身の人間…それも少女なのは紛れもない事実なんだ。
こんな体にこれ以上無理をさせたくはない これ以上苦しめたくはない
俺は抱擁を交わしながら…強くそれを心に誓っていた。









しばらくして俺は少女と離れる。顔が赤らんではいるが…すっかり泣き止んでいる様子だ。

「…あんたからは勇気をもらったわ!あたし…頑張ってみる… 人間体であるあたしがどこまで神の能力に
干渉できるかはわからないけど…でも、それは今まで諦観してやっていなかったってだけで、
まだ不可能だと決まったわけじゃないもんね。仮にも化身なら…万一にも神に通じる
何らかの力があるのかもしれないし… できる限るやってみる!」

どうやら元気を取り戻したらしい。その様子を見て俺も嬉しくなる。

「これから来たる第四世界の創造…とりあえず、それまでは神の意志には従おうと思うけど、
それ以降はあたしは自分の意志で生きようと思う。一人の人間として…ね。それにしたって、
あたしがここまで決心できたのはあなたのおかげ…本当に感謝してる…。」
「よせよ。俺は感謝されるようなことは何一つしてない。そう決めたのは他の誰でもない、
お前自身なんだからよ。俺はただ、その背中を押してやっただけだ。」
「…強情ね。こういうときくらい素直に受け取っとけばいいのに。」

すまんな、そういうのができん性分なんだ。

……

「それでね…そのときは、これまで自分が神の代行者だったって記憶を、消したいと思ってる。
だって、そんな記憶があったら一人間として楽しく生きられないもんね。」

確かに…そうだな。

「ただ…」
「ん?どうした?」
「あたしは…あんたのことは決して忘れたくない。でも、記憶を消してしまえばあんたのことも…」

ああ…そういうことか。

「いいんだよ俺なんかのことは。まあ、正直言えば忘れられるのはちと悲しいがな…そうだ、いっそのこと
神に頼んで俺をお前の側に召喚させるってのはどうだ?忘れていても何となく面影が残っていて
万一にも思いだすかもしれないぞ?はははっ。」

もちろん二言目の発言は俺の冗談だ。…面白くもない冗談かもしれんがな。

「…それいいわね!!ぜひ神に懇願…いや、干渉してみせるわ!
あんたと一緒なら何か楽しい感じがするし…!」

どうやらこの少女は冗談を真に受けてしまったようである。

…仕方ねえ、乗りかかった船だ。最後までこのテンションで持ち込んでやろう。

「だがなー、そうなった場合お前だけじゃなく俺も…お前のことを忘れていそうだな。そんときはどうすりゃいい?」
「そんときは無理にでもあたしが思い出させてあげるわ!」
「お前、さっき記憶無くしてるって言ってたじゃねーか!」
「あ、そっか!」
「「あははははははは!!!!」」

ははは…何をやってるんだろうね俺たちは。とりあえず、彼女が楽しそうで何よりだ。

「おい、みんな!陸地が見えてきたぞ!」
「何、陸地!?いよいよ海水も引いてきたって感じか!」
「これでようやく船上生活ともお別れだ…。」

何やらみんな騒ぎ始めた。って、陸地だと!?

…第四世界の始まりってか。

「さて…みんなに【神】として最後の演説をしてこようと思うわ。
これからの世界のことを人間たちに伝えてこなきゃ…第一、第二、第三世界時同様にね。
それが終われば…あたしは普通の人間として生きようと思う。」
「そうか…まあ、何かあったら俺を呼べよな。
力になれるかどうかはわからんが…できる限り頑張ってみるからさ。」
「ありがと…そういやまだあんたの名前聞いてなかったわね。何ていうの?」
「キョンって言うんだ。まあ、改まって言う名前でもない気がするがな…。」

もう少しいい名前を親はつけてはくれなかったのかと
自虐的になる時期もあったが…今ではもう慣れてしまった。

「キョン……」

再び目には涙を浮かべた様子が見えるが…どうしたのだろうか。

「あたし…わかるの。もしこの第四世界であたしが一人の人間として生きられるには、
少なくとも数千年のブランクは空くわ…転生にはそれくらい時間がかかるの。
でもね、でもそうしたらあんたは…あんたはもう…!!」

なるほど、少女の言わんとしていることはわかる。それだけの年月が空けば…俺はそのときにはもういない。
当たり前だが俺も人間だ、寿命が尽きてそんときゃおそらく土の中。数千年…骨でも見つかりゃマシなほうかもな。

…まあ、残念っちゃ残念だ。こいつが普通に暮らしている姿を生きてる内に見られないってのはな…。

「俺もお前みたいに転生できりゃいいのにな。」
「!!」
「ど、どうした??」
「それよ!!」

…またしても、何気ない一言が少女の導火線に火をつけてしまった。
って、それよって一体どういうことだ??

「言葉通りの意味よ。あんたも転生できれば…!」
「ちょ…ちょっと待て。それは神と縁あるお前だから成せる技であって俺みたいな人間なんか…」
「そうね…でも、やってみる価値はあると思うの。…まあ、どれほど無謀な行いかってのはわかってる。
仮にあんたをあたしと同時代に転生できたとしても世界は広い…会えなきゃそれで終わりよ…だから、
そういった意味では可能性はゼロに近いのかもしれない。でも、あたしは諦めない。神の束縛に甘んじて
自身の意志で生きることを諦めていたあたしに…勇気をくれたキョンのことを、あたしは絶対諦めたくない!」
「気持ちは凄く嬉しい…だがな、俺のことにこだわりすぎるのもそれはそれでどうかと思うぜ。
それにだ、俺もお前も転生できたとしても、互いに記憶はないんだ。だからさ、まあ…
俺の転生とやらがダメでもお前はお前で楽しく生きろよな。」

「…キョンの気持ち受け取っとくわ。でも諦めない。それだけは伝えとくね。」
「まあ、好きにすりゃいいさ。」

……

「さて、ここのあんたとはもうお別れね…
遠い未来の第四世界で、またキョンと会えることを祈ってるわ!」
「俺もだ。会えたらいいな。」

あ、そうだ。

「そういやまだお前の名前聞いてなかったな。何て言うんだ?」
「あー…あたしには名前なんか無いのよ…あるのは【神の代行者】という肩書きだけ…。」
「…そうなのか。なら、今すぐ作りゃいいじゃねえか!」
「い、今すぐ?」
「ああ。お前はこれから人間として生きていくんだろ?
その上で自分の名前ってのは…命の次に大事なもんだぜ?」

ってのは嘘だ。実際確固とした名前なんか無くとも人は生きていける。例えば同じ自分という人間に対してでも
親、兄弟、友人、先生、恋人等ではそれぞれ呼び方は違うものだ。特に、友人に限ってはいわゆる【あだ名】を
使用することがある。場合にもよるが、それが自分の名前とは全く関係のないケースだってたびたびあるもの。
ま、そんなわけだから命の次に大事なもんってのは、過剰表現にもほどがあるわけだがな。

では、なぜ俺はこんなことを言ったのか?言うまでもない、単に私的な理由によるものである。もしかしたら
遠い未来、【俺】とこいつは出会えるのかもしれない…だが、その【俺】は【俺】であって俺ではない。
記憶を無くしてるとか様々な理由はあるが…とにかく違う世界の【俺】だ。つまり、今ここに生きている
俺自身とこいつは…おそらく二度と会うことはない。ならば、せめて最後の土産としてこいつの名前を
教えてほしい…そう切実に思った。

「うーむ…そうね……」

……

しばらく悩んだ後、少女は叫ぶのであった。

「あたしの名前はたった今よりハルヒよ!!」

……

なぜ『ハルヒ』なのか理由を聞きたかったが…なんとなく雰囲気を壊したくなかったんで、それはやめといた。

俺とハルヒが出会った瞬間だった。

















陸地についた俺たち一族は【神】としてハルヒの言葉を拝聴する。
本人も言っていたが、おそらくこれがハルヒの…最後の『神のフリ』となるのだろう。

……

「この第四の世界は完全な世界である。その理由はいずれわかるだろう。かつての世界ほど美しくも、楽でもない。
高いところや低いところ、熱と寒さ、美しいところや荒れたところがある。あなた方に選びとれる全てのものが
ここにある。あなた方が何を選ぶかが、創造の計画を今度こそ遂行できるか、あるいはいつの日か再び世界を
滅ぼすかを決定するのだ。さあ、あなた方は分かれて違った道を進み、地のすべてを創造主のために所有せよ。
あなた方のどの集団も星の明かりに従うように。星が停止した場所があなた方の定住する場所である。
行きなさい。あなた方は善霊から助けを得るために、頭頂の扉を開けたままにして、
私が語ったことをいつも覚えておくようにしなさい。」

……

【誰だお前は…】

真っ先に思い浮かんだ言葉がこれだ。口調はもちろんだが、声色も俺と話したときとは全く異なるものだった。

…さすがというか何というか、これまでやってきただけあって神(の代行者)としての貫録は半端なかった。
言ってる内容も意味不明であまり理解はできなかったが…なるほど、たった一回のこの演説だけで、
なぜ人々がハルヒを神そのものとして崇めだすようになったのか、その理由がわかったような気がする。




……




その日の夜、みんなが寝しづまった後も俺は起きていた。もうハルヒは行ってしまったのだろうか…

ふと外に出てみる。

……

海岸にて何か人影が見える。いや、人影などではない。
きちんと…目で人だと判別ができる。なぜなら、その人物は光り輝いていたからだ。

そういや初めてあったときから輝いているようには思っていたんだっけか。太陽が落ちて日の光が無くなった
夜となった今、それは一層際立って確認できる。ああ…やはりこいつは神の化身なんだなと…
つくづく痛感させられる。そんな彼女もじきに『神の化身だった』と過去形になってしまうのであろう。

「よお、まだココにいたのか。」
「キョン!もう寝ちゃったのかと思ってたけど。最後にまた会えて良かった。
なんていうか、いざ転生するとなると、この世界の景観が名残惜しくなってきちゃってね…。」
「まあ、気持ちはわかるぜ。ずっといた世界とおさらばするってのは結構きついもんだ。」

しばらく二人して…海を見ながら夜風にあたっていた。

「そういえば…お前、転生はできる…みたいな流れだな。結局神には抗えたってことか?」
「やっぱり物事ってのはやってみるに越したことはないと思ったわ…あたしの潜在能力って案外凄かったみたい。」

…だとは思ってたぜ。何かしら神々しいオーラは発してたからな。それに…仮にも神の分身でもあるわけだし。

「だけどね、あくまであたしの体は人間。だから力的には
本体である神を超えることなんて絶対に不可能なの…当たり前だけど。」
「……」
「転生はできそうなの。でも完全には…いかないみたい、残念だけどね。
今あたしがもってる人間らしからぬ能力も…おそらく一部は受け継がれることになると思う。
それどころか神の操作で、今以上により強大になっている恐れだってある。」
「……」

「だから」
「言わんとしていることはわかるさ、そこまで俺も鈍くない。それでもし
何か悪いことが起こったって…そんときはその世界の俺がきっとハルヒを助けに来るはずだ…
だからさ、お前は安心して転生に専念してりゃいいんだよ。」
「キョン…ありがとう。」

……

「神の代行者としての最期に、あなたのような人間に出会えて
あたしは幸せだったわ…!次の世界でも会えるといいわね…いや、会いましょう!」
「ああ、そんときはよろしく頼むぜハルヒよ。」
「ふふふ…こき使ってやるから覚悟しなさい!」
「ははは、まあのーんびり構えとくぜ。」

その瞬間だったろうか、ハルヒの体が下から…足元から消えていってるのが
見てとれた。まるで光の粒子となって空気中に分散していく様に…

「そうか、いよいよ転生か。」
「みたいね。」
「痛くはないのか?」
「全然。」
「そっか…」

……

「ハルヒ、どうか楽しく生きろよな。」
「キョン、いろいろと…ありがとう。」

それがハルヒの最後の言葉となった。彼女は消滅した。

その様はまるで幻想的だった。【神の代行者ハルヒ】…彼女の最期に値する光景だったのかもしれない。


















俺は寝床へと戻る。

……

なかなか眠れない…まあ、さっきあんなことがあったばかりだからな…無理もないさ。

…そういえばハルヒに『どうしてあたしを助けるの!?』と問い詰められた際、俺はハルヒに
『人を助けるのに理由がいるか?』と答えた。あの答え自体は間違ってはいなかったように思える。
しかし…本当に今更だな。理由はあれだけじゃなかったことに気づく。

……

もしかしたら、俺はハルヒのことが……

好きだったのかもしれない

……

あれ…どうして俺は泣いてるんだ?確証はないが…遠い未来再びハルヒと会えるかもしれないじゃないか。
ああ、わかってはいるさ。会えるのは【未来の俺】であって今の俺じゃない。問題は会えるかどうかじゃない。
今の俺が…ハルヒに『この思い』を伝えられなかったこと…それが悔やんでも悔やみきれない。

そうか、だから俺は泣いているのか。ようやく理解した。

……

「ハルヒ……ハル…ヒ………」

いくら叫んだってもう伝わりはしない。聞こえもしない。見ることも、触れることもできない。



……



遠い未来の俺よ… 一つ頼みごとを聞いてはくれねえか。

もしお前がハルヒと出会うようなときが来れば…
そんときは俺の代わりに『この思い』  ハルヒに伝えてはくれねえかな?

俺は第四世界の出発点とも言えるこの時代で精一杯生き抜いて…そして寿命を終える。
だから…遠い未来の俺よ、お前もお前でその時代を全うして生きろよな。

ハルヒと一緒に。




俺は目を閉じた。何か…良い夢でも見られるといいな。


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