プロローグ

 いまから話すのは、俺が高校二年の秋のできごとになる。
 ま、時期にはたいした意味はない。ようするに、これまで語られてきたことのあとに起こった事件だとでも思ってもらえればそれでいい。
 春に発生した世界の分裂と、それにともなう驚愕のできごとをへて、俺たちの現状はとりあえずの平穏を保っていた。
 あいもかわらず団長は無茶をいっては団員を振りまわし、古泉はボードゲームで連敗街道をまっしぐら、朝比奈さんはお茶をいれ、長門は窓辺で本を読んでいるといったぐあいだった。
 そうだな、この話にはほとんど関係しないが、佐々木たちの現状も、ほんのさわりだけ触れておこう。
 佐々木は、世界の分裂のあと、いろいろあって異世界人の属性を手にいれた。最近はSOS団の準団員として、毎回ではないが不思議探索に参加したりしている。ハルヒとの関係は、同性の親友ってところか。
 橘は、その組織とともに古泉の機関と和解した。このところ、エスパー同士でなにかコソコソしているようだ。純粋に、超能力者として親睦を深めているだけだと、あのクールなニヤケ面にしてはみょうに必死になって弁解していたな。ま、詮索はしないがね。あいつらにも青春は必要だ。
 藤原とかいういけすかない未来人は、くわしくは禁則事項ながら、朝比奈さんの親族であるらしいことが判明した。それ以上どうということはない。べつに、わが麗しの天使の縁者だからといって、仲良くしなきゃならん道理もないのさ。あいつとは、ウマがあわないんだ。
 ただ、個人的にむかつくというだけで、立場上は敵ではなくなったことだけははっきりさせておこう。
 周防九曜に関しては、たまに喜緑さんとつるんでいるのを見かけるようになった。よくわからんが、長門に聞いたところによると、宇宙的な外交交渉の結果、おたがいを穏健に観察しあうことにきまったんだそうだ。
 ちなみに、長門自身は周防にたいしては、好ましい感情をいだいていないらしい。俺はおどろいたね。なんせ、感情があるにしても、微量にしかおもてに出さないあの対有機生命体用ヒューマノイド・インターフェースが、明確に顔をしかめたんだからな。
 もっとも、はじめてみる長門の人間らしい表情が、嫌悪のものだったってのは、残念がるところかもしれん。できることなら笑顔が見たかったと、あんたもおなじ立場ならそう思うはずだぜ。
 とまあ、ここまでが現状の説明だ。なにがいいたかったかというと、つまり、このあとに語られる事件は、敵の陰謀なんかによるものではないということだ。
 もちろん、ハルヒのせいでもないぜ? あいつが団員の不幸を願うはずがないし、不思議なパワーがあるといったところで、それは予想外の災難を事前に遠ざけることができるような性質のものじゃない。
 だから、これは運が悪かったとしかいいようのないできごとだったと考えてもらっていい。ギリシャのモイラとかローマのパルカエ、北欧のノルニルなどといった神話世界の住人たちに憤慨したくなるような、あんまりにもあんまりなぐらいの不運さだがな。
 ああ、そうそう。もうひとつつけくわえておこう。残念ながら、俺は途中で退場することになる。だが、語りべはちゃんといるから心配しなくてもいいぞ。
 じゃあ、はじめようか。



 秋晴れの、気分のいい夕方だった。俺と古泉は、部室でその日なんどめかのオセロに興じていた。盤上は白に、勝敗表は黒にそまっていた。 もちろん白が俺で、黒は古泉だ。いわずもがなだな。
 ハルヒはどこぞをほっつき歩いているらしく、いまだ部室には現れていなかった。長門は一定の間隔で本のページをめくる音を奏でており、朝比奈さんは健気にも、メイド服姿で受験勉強にいそしんでおられた。
 ふだんとかわらぬ退屈な日常というやつである。だが、それを乱したのは意外にも、われらが団長閣下ではなかった。
「おや、どうされました? 長門さん」
 古泉がそう声をかける直前に、俺も長門の異変に気づいていた。
 というのも、長門が読書をやめ、俺の座るパイプ椅子のそばまで歩いてきていたんだ。それだけなら、オセロの見物でもするつもりかと思うところだが、その場で床に正座したとなると、事情がかわってくるってもんだ。
 そりゃもちろん、部室の床自体は、朝比奈さんが頻繁に掃除をされていることもあって、清潔そのものだと太鼓判を押せるさ。だが、そうかといって、椅子もあるのに床に正座はしないだろう? 
 長門がおかしな行動をとったら、大事件の前触れだ。だから、俺も古泉の質問のあとをつぐ形で、確認をとったんだ。
「また、ハルヒがらみでなんかあったのか? 」
 テーブルのむこうで、朝比奈さんが参考書から顔をあげる気配があった。
 部室中の視線を、長門は受けとめている。当の本人は、無言のままじっと俺の顔を見つめているだけだったがな。
 すると、ふいに長門の口が開いた。
「朝比奈みくる」
 ひゃいっと、朝比奈さんが悲鳴にも似たかわいらしいお声をはっされた。長門は俺の顔を注視したまま、かなりの早口で指示――たぶん要請のつもりだと思うが、指示にしか聞こえなかった――を出した。
「いますぐ、名誉顧問に電話をかけて」
 名誉顧問、すなわち鶴屋さんである。いわずとしれた朝比奈さんの大親友だ。しかし、へんな言いかただな。そういえば、長門が鶴屋さんの名前をよんだことって、あったっけか? 
「でで、電話ですかぁ? ど、どんな用件で? 」
「かけさえすればそれでいい。いそいで」
 せかされるまま、朝比奈さんがいそいそと携帯をいじりはじめた。しかし、長門はそれに一瞥もくれず、俺の顔を凝視したまま、こんどは古泉に声をかけた。
「古泉一樹」
「なんでしょう? 」
 いくぶん緊張したような声で、古泉が聞きかえした。さすがのこいつも、長門の常にない態度に、なにか感じるものがあったのだろう。
「救急車の手配を要請する」
「搬送先は、機関の経営する病院でかまいませんね? 」
 余計な口はさしはさまず、古泉はただ必要なことだけを確認したようだった。
「かまわない。むしろ推奨する。一刻をあらそう。いそいで」
「おい長門。マジでどうしたってんだ。ハルヒがケガでもしたのか? 」
 さっきから無視されている形だったが、それはどうでもよかった。このなんとも不安な状況を、きっちり説明してほしかった。
「心配しないで」 そういって、長門はなぜかすこし悲しげな表情をうかべた。俺だけにわかる微量のゆらぎのようなものではなく、かなり明確な表情だった。
「あなたは、わたしがかならず助ける」
 まるで決意でも表明するかのようにそういったあと、長門はいきなり、俺に飛び膝蹴りをかましてきた。
 いや、飛び膝蹴りなのである。
 まあ、そういわれても、想像するのはちとむずかしいかもしれんな。つまり、長門は床に正座をしていて、そのままの状態で跳躍したんだ。どこぞの漫画のようにな。そして、俺の顔に膝、正確には太もものあたりが激突したってわけだ。痛くはなかったが、かなりおどろいたぜ。
 座った状態から俺の顔のところまでジャンプするなんて、さすがは宇宙人だが、まったくもって意味がわからん。
 それに、なんでだろうな。長門の太ももが、俺の頬のあたりに張りついたまま離れないぞ。どうなってるんだよ、いったい。
 みょうに、さわがしいな。
 女の、絶叫のような声が聞こえる。朝比奈さんだろうか。そりゃそうだ。長門がこんな異常な行動をとったら、この気の弱い先輩でなくともびっくりするだろうさ。おい、古泉。なにをしているんだ。彼女をはやく落ち着かせてやってくれよ。
 うごけない。そして、なにか硬いものが、俺の体に押しつけられている。なんだこれ。
 男の、怒鳴るような声が聞こえる。古泉だろうか。いっていることはよくわからないが、そうとう動揺したような口調だ。めずらしい。
 どんな顔をしているか、じっくり観察してやりたいところだが、床のうえの靴しか見えないな。もったいない。
 ……床? 俺は部室の床を見ているのか? 
 ということは、いま体に押しつけられているこの硬いものも、床か? もしかして、俺は倒れているのか?
 さっきのも、長門が跳んだんじゃなくて、俺の体がかたむいて……。
 あれ、なんだろう。どうしたんだ、わけがわからないぞ。いま、おれ、どうなってる? 
 あ、そうか、わかった。たおれたとき、ながとが、おれの、あたまを、きずつけ、ないよう、ふと、もも、で、うけ、と、め……。
 そして俺の意識は消失した。



 わたしが、かろうじて冷静さを失わずにすんだのは、鶴屋さんが、電話口から大声で励ましてくれたおかげでした。
 長門さんは、きっとそれを見こして、わたしに電話をかけるようにいってくれたんだと思います。
 さもなければ、わたしはまた、みっともなく取り乱して、ほかのひとたちに迷惑をかけていたのでしょうから。
 キョンくんが、意識をうしなってから、すこし時間がたちました。ここは、古泉くんの機関が経営する病院です。
 まだ、涼宮さんは到着していません。キョンくんは、精密検査――長門さんが原因を把握しているようなので、形ばかりのものです――を受けている真っ最中でした。
「くわしいことを、お聞かせ願えませんでしょうか」
 いくぶん青ざめた表情で、古泉くんが長門さんにたずねました。
「彼は現在、ウィルスに似た性質の異次元生命体によって肉体を蝕まれている。他者への感染の心配はないが、毒性が極めて強力なため、放置すれば確実に死にいたる。わたしがそばにいながら、症状が発現する直前まで事態の把握ができなかった。うかつ」
 彼女の説明によると、ごく低い確率で起こりえる時空の揺らぎにより、異次元のどこかに住んでいた名称すらさだかでないウィルスのようなものが、付着した塵とともに、地球上の、よりにもよってキョンくんのそばに転移し、呼吸で体内に取りこまれてしまったとのことでした。
 ふつうに道を歩いていて、隕石に額を打ちぬかれるよりも低い確率の事故と聞いて、わたしも古泉くんも、絶句するしかありませんでした。
「可及的速やかに、彼の治療をおこなう必要がある。あなたたちには、協力を要請する」
 協力ときいて、わたしは古泉くんと顔を見あわせてしまいました。
「かまいませんが……。いったい、なにをすればいいのでしょうか? 」
「古泉一樹。あなたには、機関における超能力者としての仕事、すなわち閉鎖空間と呼称される異次元空間での涼宮ハルヒの精神の安定化のほかに、彼の病室の絶対的な面会謝絶を取りはからってほしい。とくに、彼女を部屋に入れないよう注意して。治療に支障をきたす可能性がある」
 つづいて、長門さんはわたしにむきなおると、いいました。
「朝比奈みくる。あなたは名誉顧問とともに、涼宮ハルヒの平常空間での感情を安定化させてほしい。彼が難病に罹患したと聞けば、彼女はかならず能力の発動を起こす。しかし、現在の涼宮ハルヒには、あのウィルスを取り除くだけの力がない。かといって、残った力が精神不安から暴走すると、それも非常にやっかい」
 ようするに、涼宮さんを元気づけてほしいということのようです。わたしはすぐに承諾しました。
 涼宮さんの力は、春の事件以降、かなり大幅に減少しています。そのせいで、古泉くんの機関は規模を縮小していました。わたし自身も、北高卒業のあかつきには、任務の完了と生まれた時代への帰還が予定されていました。
「治療とは、具体的にはどのようなことを? 」 ふたたび、古泉くんが長門さんにたずねました。
「生成ずみの治療用ナノマシンを投与するだけ。ウィルスの解析はすでに完了しており、突然変異にも対応可能」
 思わず、ほっと安堵の息をつきました。ところが、そのあとに長門さんが口にした言葉は、わたしの安心をあとかたもなく吹き飛ばしてしまいました。
「ただし、条件がかなり厳しい。いまから約七十二時間のあいだに計四百三十二回、つまりおよそ六百秒ごとにナノマシンを投与しつづけなければ、彼は絶命する。許される時間的誤差は、十二秒が限度」
 気がつくと、わたしは両手で口をおおっていました。
 三日三晩ものあいだ休みなく、しかも正確に十分おきのナノマシン投与だなんて、そんなのいくら長門さんでも、負担がおおきすぎます。 失敗という言葉が、わたしの脳裏をかすめました。
「ほかのインターフェースのかたがたは、どうされるのでしょう」
 ほとんど蒼白といっていいような顔色で、古泉くんが問いをかさねました。ああ、そうです。ほかのインターフェースさんと協力しあえば。
「喜緑江美里は、天蓋領域・周防九曜の監視任務がある。そのほかのインターフェースについても、わたしのバックアップに回されるというような連絡はうけていない」
 へたりこみそうになるのを、わたしは懸命にこらえました。
 いっぽう、その回答を予想していたのか、古泉くんはちいさくうなずいただけで、取り乱した様子は見せませんでした。
 でも、一呼吸おいたあとに、古泉くんは決定的な質問をしたのです。
「情報統合思念体は、彼を見捨てるということですか? 」
 それは、考えたくもないことでした。
 だけど、涼宮さんの力が収束にむかっている以上、相対的にキョンくんの利用価値――そんな言いかたはしたくありませんが――はちいさくなっているのです。
 価値のないものは、やがて切り捨てられてしまいます。そうでなくとも、重要度がさがれば、保護の対象からはずれてしまうかもしれません。わたしたちが組織に属するものである以上、しかたのないことなのです。
 そして、一般人であるキョンくんが、そういう後ろ盾をうしなった状態で、異次元のウィルスという脅威にさらされたなら、結果がどうなるかなんて、わかりきったことでした。
 けれど、長門さんは力強くいいました。「だいじょうぶ。たしかに情報統合思念体は、彼を以前ほど重視していない。だが、これはもとから、わたしという個体の能力と裁量だけで充分に対応できる事象であると確信している」
「わかりました。……しかし、長門さん。その期間にその頻度でナノマシンを投与するということは、ずっと彼につきっきりでいるということでしょうか? 」
 かすかに確認できるていどのうごきで、長門さんが首肯しました。
「では、そのあいだ、長門さん不在の状況を、涼宮さんにどう伝えればよろしいのでしょうか? 」
「それなら問題はない」
 すると突然、長門さんのよこに、光を放つなにかがあらわれました。 見るまに形をとり、その『なにか』はもうひとりの長門さんになりました。
「これは……」
 すこし目をほそめて、古泉くんがあたらしい長門さんを眺めました。
「ダミー・インターフェース。わたしの通常行動をトレースするだけの、いわば人形のようなもの。普段の涼宮ハルヒなら、ひと目で区別が可能だと思われるが、この緊急事態であれば、露見の危険は少ないと判断できる。あなたたちには、このダミーのフォローもお願いしたい。そうしてもらえれば、彼の治療に専念することができる」
 たしかに、ダミーの長門さんは、本物の長門さんにもまして表情がとぼしく、ほんとうに人形のようでした。
 天蓋領域の、周防さんにすこし雰囲気が似ていると思いました。
「もう時間がない。ただちに治療にかかる。彼を病室へ移送して」
 そのあとは、あっというまでした。
 まず、本物の長門さんが遮蔽フィールドを展開して、姿を消しました。つづいて、キョンくんが病室にはこばれていきました。
 遮蔽フィールドのせいでわかりませんでしたが、たぶん長門さんも、そのときに、つきそって病室に入っていったのだと思います。
 ほどなく、涼宮さんが病院にやってきました。車で送ってくれたらしく、鶴屋さんもいっしょでした。
 激昂して叫び、いきなり近くの看護師さんに食ってかかった涼宮さんを、鶴屋さんとふたりでなだめました。多少おちついたところで、かいつまんで状況を説明しました。もちろん、ダミーの長門さんもその場にいました。
 鶴屋さんはダミーの長門さんの様子を不審に思ったようですが、なにもいいませんでした。涼宮さんは、それどころではないようで、だまって下唇を噛んでいました。
「おまたせいたしました、涼宮さん」
 お医者さんに様子を聞いてくるという名目で、おそらくは機関のお仲間さんたちと相談していたのだろう古泉くんが、やっともどってきました。
「で? 」
「極めて危険な状態だそうです。その……いま、彼のご家族に連絡を入れたところなのですが」
 機関のかたがたは、長門さんの治療の成功を、完全に信じたわけではないようでした。むしろ、失敗したときのために、涼宮さんに最悪の場合の覚悟をしてもらうことを選択したみたいでした。古泉くんが、かなり詳細にキョンくんの容態を説明しはじめたのです。
 希望はあるけれど、確実ではない。だから、無事を祈りましょう。そのような説明でした。
 はじめ、古泉くんの言葉に無反応だった涼宮さんでしたが、表情はそのままに、だんだんと顔色が青くなっていきました。
 噛みしめた唇から、血が出ているのが見えました。
 その血を拭ってあげようと、ハンカチを取りだしたところで、涼宮さんが古泉くんに飛びかかりました。
 背の高い古泉くんの胸倉をつかんで引きよせ、涼宮さんが、なにかわめきちらしはじめました。声が、しだいに涙声に変わっていきました。
 いつのまにか、わたしは鶴屋さんに抱きしめられていました。体が震えていて、ひとりでは立っていることもできませんでした。



 涼宮さんには、鶴屋さんやダミーの長門さんといっしょに帰宅していただきました。
 こういうとき、男である僕が涼宮さんをお送りするのが正しいのでしょうけど、朝比奈さんと、こんごの相談をしなければなりませんからね。 さいわいなことに、朝比奈さんはいくぶん落ちつきを取りもどしていらっしゃる様子でした。
 長門さんは、ああいっておられましたが、朝比奈さんや鶴屋さんでは、涼宮さんの精神を完全に安定化させるのは不可能なのです。もちろん、それは僕でもおなじことですが。
 そう、彼でなければならないのです。正直、力不足に悲しみを感じるほどでした。
「……朝比奈さん。未来のほうでは、なんと? 」
 僕の質問に、朝比奈さんは溜息をまじらせて答えました。
「とくに、なにも。仮にキョンくんがここで……その、治療がうまくいかなくても、わたしの未来には影響がないみたい」
 それから、朝比奈さんは伏し目がちにつづけました。
「アルバイトは、いいんですか? 古泉くん」
 朝比奈さんも、閉鎖空間が発生していることは感知しているはずです。彼女が聞きたいのは、僕がそこにいかなくていいのかということでしょう。
「残念ながら……というべきではないのでしょうが、僕がむかう必要はありません。現在発生している例の空間は、非常に小規模で、能力者がひとりいれば充分ですから。涼宮ハルヒは、もうそこまで力をうしなってしまっているんです」
 もし、涼宮さんが全盛期の力をもっていたら、その能力で彼をたやすく救えたはずでした。
 皮肉なものでした。世界に安定をもたらしたはずの彼が、その安定のせいで、命の危機におちいっているのです。
 もちろん、長門さんの説明によれば、単純に巡りあわせが悪かったわけで、だれのせいだとはいえません。
 それでも、僕はありていにいえば運命のようなものを、恨めしいと感じずにはいられませんでした。
「とにかく、三日間です。われわれも、やれるだけのことをしましょう。長門さんが、彼の治療を成功させることを信じて。たとえ組織に属するものであっても、友人の無事を願うことはできるのですから」
 すでに、機関は彼の死後を想定して動きはじめています。だから、超能力者としての僕も、その覚悟はもう決めていました。
 とはいえ、SOS団副団長としての僕は、希望を捨てるつもりは毛頭ありませんでした。



 システム稼働率90.61パーセント。
 治療を開始して以来、断続的にエラーが発生している。原因は不明だが、いまのところ、ミッションに支障をきたすほどではない。
 エラーを凍結。引き続き、彼の容態の観察を続行。
 現在、治療開始から九時間五十九分四十五秒が経過。四十六秒……ナノマシン投与の準備を開始。
 彼の手首に歯をあてた。静脈に、ナノマシンの注入。
 問題ない。彼はいちどの注入ごとに、わずかでも、健康なもとの肉体に近づいている。
 じっと、彼の寝顔を見つめてみた。やすらかな表情。苦悶の様子など、微塵もない。当然だ。彼に苦痛をあたえるなど、わたしがさせない。
 ふたたび、エラーの発生を確認。なぜ? 凍結。システム稼働率、89.99パーセント。だいじょうぶ。問題はない。
 インターフェースの物理的構成情報に、軽度の異常発生。これは、有機生命体における疲労に該当すると思われる。短期的には問題ないが、七十二時間におよぶ今回のミッションにおいては、障害となりうる可能性がある。できる限りの休養の必要性を確認。
 治療の遂行と、休養の確保の両立を検討。彼のベッドにて、ともに仰臥しつつ時間をまつのが最適と判断。
 ベッドへの進入を開始。エラー。エラー。エラー。なぜ? 凍結。システム稼働率、85.44パーセント。
 発病から十時間九分五十秒が経過。ナノマシン投与の準備を開始。
 手首を……距離は、頚部のほうが近い。彼の喉元に歯をあてた。静脈に、ナノマシンの注入を開始。エラー。エラー。エラー。エラー。なぜ? 凍結。システム稼働率79.09パーセント。
 このエラー発生状況は異常。ただちにシステムメンテナンスDをおこない、原因を特定する。 ……メンテナンスDの終了。結果の照会。
 原因不明。なぜ? 
 情報統合思念体より通信。エラーの発生状況が異常との指摘。いわれなくてもわかっている。すみやかにシステムメンテナンスB以上の処置をすべきとの提案。
 却下。それでは、自律行動が一時的に不能になり、彼の治療が続行できなくなる。
 さらに、情報統合思念体よりの通信。ならば、システムメンテナンスCでの処置をとの提案。
 受諾。ただし、メンテナンスは治療のあいまに、毎回九分間ていどだけおこなうことを条件として付加。
 ただちにメンテナンスCを開始。



 そのご、懸命の治療のかいもあり、彼の命は救われた。
「長門、助けてくれてありがとうな」
 彼が、わたしの頭に手を置いて、ほほえんでくれた。そうして、すこし乱暴に髪をなでてくれた。
 心地よいという感覚を、わたしは味わっていた。
 ヒューマノイドインターフェースとして生みだされたわたしに、ほんとうにそのような感覚があるのかは、よくわからない。
 しかし、どう検索しても、好ましいとか、気持ちいいとか、そういった言葉で形容する意外の適切な表現を、見つけることができなかった。
「なあ、いまから図書館にいかないか」
 そういうと、彼はわたしの手をとった。
 笑顔で、力強くわたしを導いてくれた。
 うれしい。この感覚も、かつてのわたしが知らないものだった。
 有機生命体たちが持つという感情。それは、こんなにもすばらしいものだったのだろうか。
 すると、なぜかわたしの頬の筋肉が不可思議な挙動をはじめた。
 どうしたのだろう。顔面の筋肉の制御が効かない。なにか、深刻なエラーが発生しているのだろうか。
「なんだ、笑った顔もかわいいじゃないか」
 笑った顔? わたしは、笑っているのか? 
 朝倉涼子や喜緑江美里がたやすくやってのけ、しかしこのインターフェースにはその機能がないため、けっしてできないと思っていた表情。それを、わたしもやったというのか。
「その笑顔、いいわよ。有希、あんた、やっぱりかわいいじゃない。あたしが見こんだとおりだったわ」
 いつのまにか、涼宮ハルヒがわたしのよこを歩いていた。花の咲いたような笑みをうかべ、彼と反対のほうの手を握ってきた。
「うふふ、長門さんかわいい」
「ほんとうに。さすがは涼宮さんの選んだ団員ですね」
 気がつくと、朝比奈みくると古泉一樹が目のまえにいた。みんな、笑っていた。わたしも、覚えたばかりの笑顔をうかべてみた。
 世界はやさしくて、光とぬくもりに満ちている気がした。



 システム稼動率60.22パーセント。
 現在、治療開始から二十五時間四十九分五十二秒経過。
 メンテナンスCを実施中に、現実に似た不可思議な映像と音声を体験するようになった。今回は、彼の治療を完遂してのち、SOS団の団員とともに、図書館へとむかう状況のもの。
 おそらく、メンテナンスにともない、このインターフェースの固有記憶領域がいちぶ混乱したことが原因と思われる。有機生命体がレム睡眠下で見る『夢』とよばれる現象に近いものと推察。
 情報統合思念体より通信。当該現象は、インターフェースの本来の機能にはなく、われわれは強い興味をいだいている。調査のため、思念体への一時回帰を提案。
 却下。なにを考えているのか。それでは彼の治療ができなくなる。
 所定の時間になったので、治療を開始。彼の首筋にくちづけをし、ナノマシンを注入。エラー。エラー。なぜ? 凍結。システム稼働率58.63パーセント。メンテナンスCの実施により、いくぶんペースは落ちているものの、やはりこのエラー発生状況は異常。
 だが、問題はない。必要とあらば、いくつかの機能を凍結してでも、彼の治療は続行する。それによって、充分なリソースが確保できるはず。
 このインターフェースの肉体と、彼の肉体が接触する部分から、やわらかな温度が伝わってきている。エラー。エラー。エラー。なぜ? 凍結。システム稼動率、54.00パーセント。
 彼の体を抱きしめてみた。エラー。エラー。エラー。エラー。エラー。



「大食い大会に出るわよ! 」
 部室にて、涼宮ハルヒが高らかに宣言した。
「おいおい、大食いってなんだよ」「カレーよ、カレー。駅前にあたらしく開店したカレー屋さんが、大食い大会を企画してるの。これを、あたしはSOS団への挑戦と受けとったわ」
 それのどこが挑戦なんだと、彼が涼宮ハルヒに言葉をかけた。
 否定のニュアンスもある言葉だが、これは有機生命体のコミュニケーションにおけるツッコミであろうと判断。
「大会と銘打ったことが挑戦なのよ! なぜなら、大会と名のつくものは、すべからくあたしたちSOS団が優勝するべきだからよ! 」
 古泉一樹が追従の意をのべ、朝比奈みくるが狼狽し、彼があきらめたように机につっぷした。
「さあ、ぼやぼやしていないで出発よ! みんな、準備して」
「ちょっとまて、いまからかよ」
 彼が、なかばうんざりしたような、それでいてほんとうは楽しんでいるような声でいった。
 きっと、涼宮ハルヒは彼のこういう声が好きなのだろうとわたしは思った。
 ひとまず、全員で学校をでることになった。
 今回、みなで食すことになったカレーと呼称される料理は、味・香り・栄養ともに極めて優れたものである。このインターフェースの平常時の補給に、わたしもよく利用していた。
 以前、彼がわたしの部屋をおとなったときに、キャベツのちぎりとともにふるまったこともあった。
「こらあ! キョン、待ちなさい! 」 さきほどから、取るにたらないささいな口論をしていた涼宮ハルヒと彼が、路上にもかかわらず、じゃれあいをはじめた。鬼ごっことよばれ、この国では子供がおこなう遊戯に似ていた。
 それを見て、朝比奈みくるがほほえみをうかべていた。古泉一樹も同様だった。
 追いかけっこのすえ、転んだ彼に、涼宮ハルヒが手を差しのべた。
「へっへーん、つかまえたぁ。さあて、あんたにはどんな罰ゲームをあたえてあげようかしら」
「わかったわかった。勘弁してくれよ、ハルヒ」
 苦笑めいた表情をうかべ、彼は片手を地面についた。立ちあがるつもりなのだろう。もう片方の手で、涼宮ハルヒの手を握っていた。
 ふいに、彼の表情が一変した。
「あぶない、ハルヒ。はなれろ! 」
 いきなり、彼が涼宮ハルヒを突き飛ばした。
 なにがおこったのか。そう思うまもなく、つぎの瞬間、彼のいる場所に車が。
 破裂音。
 赤い水溜まり。
 だれかの悲鳴。
 情報操作。不可。なぜ。エラー。
 エラー。エラー。エラー。エラー。エラー。エラー。エラー。エラー。エラー。エラー。エラー。エラー。エラー。エラー。エラー。エラー。エラー。エラー。エラー。エラー。エラー。



 システム稼働率、32.67パーセント。
 現在、治療開始から五十二時間三十分二秒経過。
 予定時間を二秒ほど超過してしまったが、許容される誤差の範囲内。
 警告。ミッションに必要なシステムリソースが不足している。
 リソースを確保するため、音声および視覚情報遮蔽フィールドを解除。病室の面会謝絶がやぶられた場合のリスクはあるが、SOS団団員として、ここは古泉一樹と朝比奈みくるを信頼することにする。
 現状の確認。より緊急性の低い機能から順次凍結し、空き領域を確保しているので、数値上のエラー侵食状況は比較的ゆるやかなものになっている。ただし、その絶対量自体は加速度的に増加しているため、予断はゆるされない。
 このミッションはかならず完遂するが、そのごの復帰に相当の時間がかかる可能性がある。
 情報統合思念体より通信。メンテナンス中に見た『夢』について、報告の要請。
 受諾。今回見たのは、涼宮ハルヒの提案によるイベントで、移動中に彼が交通事故にあうというものだった。
 当然のことながら、わたしはこれまでに、そのような場面に遭遇したことはない。記憶領域の混乱により、架空の状況を創作したものと推察。
 さらに、情報統合思念体より通信。われわれは、架空の状況を創作しうる『夢』とよばれる現象に、重大な興味をいだいている。調査のため、思念体への一時回帰の要請。
 しつこい。わたしには、現在のミッションを放りだして思念体に回帰する意思はない。拒否。
 以降に強制力をともなう指令を出される懸念があるので、情報統合思念体との接続を一時的に切断した。
 これで、時間が稼げる。あとでなんらかの処分はくだされるかもしれないが、彼を治療できるなら、わたしは削除されてもかまわない。
 彼の体を抱きしめ、その頬からナノマシンを注入した。
 あたたかい体。この温度をまもるためなら、どんなことでもしよう。
 エラー。エラー。エラー。エラー。エラー。エラー。エラー。エラー。



「……長門? 俺は、いったい」
 ようやく、彼の目が開いた。治療をはじめてから、七十二時間ぶりのことだった。
 途中、謎のシステムエラーが頻発したり、情報統合思念体によるくだらない要求などもあったが、無事ミッションは完遂した。
「あなたはウィルス性の疾病に罹患し、いままでわたしの治療を受けていた。でも、もうだいじょうぶ。安心して」
「そうか。ありがとうな、長門」
 にこりと、彼がほほえんだ。わたしの好きな笑顔だった。
 そう、わたしは、彼が好きなのだ。
 ノックの音が、病室にひびいた。
「長門さん、そろそろ時間ですが……。首尾はいかがですか? 」「だいじょうぶ。彼は回復した。入ってきてもいい」
 わたしが返事をしたのとほとんど同時に、古泉一樹が、そして朝比奈みくるが病室に飛びこんできた。
「キョンくん」
 朝比奈みくるが、彼にすがりついて泣きはじめた。
 それを見て、すこしざらついた気持ちになった。
 いまならば、かつて涼宮ハルヒが、彼と朝比奈みくるとの仲を邪推して、世界を変えようとしたことが、実感として理解できる。
 もちろん、朝比奈みくるはSOS団の仲間であり、敵意までは感じない。それに、そもそも彼のほうにそういう意思がないことも、わたしはよく知っていた。
 彼の思い人は、涼宮ハルヒなのだ。
 病室に、涼宮ハルヒがあらわれたのは、それから三十分ほどあとのことだった。
 パーソナルネーム佐々木、そしてSOS団名誉顧問をともなっている。
 涼宮ハルヒは彼を抱きよせると、その唇にくちづけをした。
 突然のことにおどろいたのか、彼は目を白黒させて固まった。朝比奈みくるが両手で顔をおおい、しかし指の隙間からふたりを眺めていた。
 名誉顧問が快活に笑い、パーソナルネーム佐々木はすこしさびしそうに自身の唇を指でなぞっていた。
 やがて、涼宮ハルヒは彼から唇をはなすと、しばしのあいだ頬を赤らめて黙りこんだ。それから『こんなにあたしを心配させたんだから、責任とりなさい』と言いはなつと、病室を飛びだしてしまった。
 古泉一樹が肩をすくめ、苦笑めいた表情をうかべた。
 検査の結果、つぎの日には、彼は退院できることになった。治療用ナノマシンの効果である。体力を、必要以上に失わせずにすんだのだ。
 その日はマンションにもどって休息をとり、翌日、わたしはふたたび彼の病室を訪れた。
 病室に、彼はいなかった。
 かわりに、昨日まで彼だったものが、ベッドに横たわっていた。
 冷たくなった体。頭部はなくなっていて、あたり一面がおびただしい黒褐色で彩られていた。
 固まった血の色だった。
「ねえ、どんな気持ち? せっかく助けた彼を殺されて、いまどんな気持ち? 」
 朝倉涼子が、楽しそうに笑っていた。腕に、なにか丸くて毛髪のはえたものを抱えていた。彼の、頭部。
「あなたが悪いのよ、長門さん。情報統合思念体にたてつくから」
 ケラケラと、真っ赤な唇をゆがめて笑う朝倉涼子の顔を見つめながら、わたしは絶叫した。

10

 システム稼働率、8.92パーセント。
 いま見たのが『夢』であったことに、わたしは心底安堵していた。 現在、治療開始から六十八時間十分八秒が経過。予定時間を八秒も超過している。うかつ。あと四秒で、ミッションに失敗するところだった。
 いそいで、わたしは彼の唇にナノマシンを注入した。
 すこしまえから、そうするようになった。
 ”sleeping beauty”
 かつて、涼宮ハルヒがこの世界を捨てようとしたとき、わたしが彼にあたえたヒント。死の眠りについた姫が、蘇生するきっかけとなったくちづけ。
 性別は逆だが、こうすれば彼が目を覚ますような気がしたのだ。
 またしても、エラーの発生を確認。
 このエラーを食い止めるため、メンテナンスをおこなわなければならない。しかし、憂鬱と形容すべき気分である。また、いやな『夢』を見るかもしれないから。
 しかたない。ここでメンテナンスを怠れば、肝心の治療のタイミングでシステムフリーズを起こす可能性がある。
 もういちど、わたしは彼の唇にくちづけた。治療のためではない。たんに、そうしたかったから。
 エラー。エラー。エラー。エラー。エラー。エラー。エラー。エラー。エラー。エラー。

11

 わたしはうんざりしていた。
 こんども『夢』である。情報統合思念体は、なにが楽しくてこのような不快な現象に興味を持っているのだろうか。
 場所は、病院の待合室だった。涼宮ハルヒが、虚脱したような、呆然としたような顔をしていた。朝比奈みくるは、名誉顧問に抱きしめられ、嗚咽をもらしていた。
 古泉一樹は、うつむいて、歯を食いしばるような表情をうかべていた。
 夢の中の登場人物とはいえ、彼らは実際の本人たちと、じつによく似ていた。わたしの記憶領域が作り出した虚像だが、そうと説明されなければ本物と誤認してしまいそうになる。
 それでも、これは夢なのだ。絶対に、まちがいなく。
「きょん、しんじゃったの? 」
 ない。なぜなら、これは夢だから。ほんとうの彼は、現在わたしが治療中である。だから、死んではいない。そのようなことは、けっしてあってはならない。
「ねえ、うそだよね? こいずみくん、うそだっていってよ」
「残念ながら……」
 沈痛な面持ちで、古泉一樹がおかしなことをいった。ふざけないで。そんなことはありえない。
 もう、我慢できなかった。
「だいじょうぶ。彼は死んでいない」
 そうわたしが断言すると、その場の視線がこちらに集中した。
 いくつかのぎょっとしたような視線にまじって、いままで濁った目をしていた涼宮ハルヒのそれだけはちがっていた。
 ギラギラと、光を放っていた。どこかしら狂気をはらんだ視線だった。
「これは、わたしが見ている夢。だから、彼は死んでいない。あなたたちは安心していい」
「ゆめ? ゆめ……。そっか、ゆきのゆめなんだ。よかったぁ」
 涼宮ハルヒが、ケラケラと笑いはじめた。赤い唇がゆがんでいた。その表情に、わたしはさきに夢で見た朝倉涼子の嘲笑を思い出して、いやな気持ちになった。
「長門さん」
 いきなり、うしろからだれかに抱きすくめられた。
 やわらかな感触。これは、朝比奈みくる?
「だれも……だれもあなたを責めたりしません。だから、現実を認めてください」
 なにをいっているの? 朝比奈みくる、これは現実ではない。ただの夢。あなたのほうこそ、はやくそれを認めるべき。
 名誉顧問も、そのようにおびえた顔をしていないで、いっしょに朝比奈みくるを説得してほしい。
 そこに、古泉一樹までもがくわわってきた。
「落ちついて、聞いてください。しかたのないことなんです。長門さん、彼は死んでしまったんです。失われてしまった命は、もう戻らないんです」
 くだらないことをいわないで、古泉一樹。それよりも、あなたはいますぐ涼宮ハルヒをこそ落ちつかせてほしい。笑い声が、笑い声が耳障りでしかたない。
「お願いですから、正気にもどってください。長門さんがそんなじゃ、わ、わたしたち、もうどうしたらいいか……」
 ちがう。朝比奈みくる、ちがう。信じて。わたしは狂ってなどいない。再三いっているが、これはほんとうに、ほんとうに夢なのだ。彼がし、死ぬはずがない。死んではならない。死なせたりしない。夢。夢。夢。
 エラー。エラー。エラー。エラー。エラー。エラー。エラー。エラー。エラー。エラー。エラー。エラー。エラー。エラー。エラー。エラー。エラー。エラー。エラー。エラー。エラー。エラー。エラー。エラー。エラー。エラー。エラー。エラー。エラー。エラー。エラー。エラー。エラー。エラー。エラー。エラー。エラー。エラー。エラー。エラー。エラー。エラー。

12

 システム稼働率、0.0015パーセント――。

13

 夢から覚めたとき、わたしの全身は、汗腺および涙腺から分泌された大量の体液で濡れていた。
 エラーの発生により、このインターフェースの機能が極限まで落ちこんでいる。その結果、ふだんなら抑えられているはずの、通常の有機生命体とおなじような生理現象が起こっているようだ。
 ともかく、治療をおこなわなければならない。現在時間の確認。
 治療開始から、七十二時間三分三十……。
 三分? 
 ……さん、ふん? 
 超過時間、三分三十九秒。
 超過時間、三分四十秒。
 超過時間、三分四十一秒。
 超過時間、三分四十二秒。
 ありえない。
 超過時間、三分四十三秒。
 なぜ、こうなった。
 超過時間、三分四十四秒。
 夢。そう、これは夢。
 超過時間、三分四十五秒。
 彼の唇にナノマシンを注入する。
 超過時間、三分四十六秒。
 ゆめ。これはゆめ。
 超過時間、三分四十七秒。
 くちびるに、なのましん。
 超過時間、三分四十八秒。
 だめ。こんなの、だめ。
 超過時間、三分四十九秒。
 しなないで。しんじゃやだ。
 超過時間、三分五十秒。
 そのとき、彼の手がうごいた。
 わたしの頭を、すこし乱暴になでている。
 彼がほほえんでいることに、わたしは気づいた。

エピローグ

 というわけで、ここからは復活した俺による後日談ということになる。
 おっと、そのまえにいっておくが、べつにどたん場になってハルヒパワーが発動したとか、長門の親玉みたいなやつらの介入があったとか、そういう奇跡のような都合のいいことが起こったわけじゃないぞ。現実は、安っぽいデウスエクスマキナとはちがうんだ。
 もっとも、俺も直後には状況がつかめなかったんで、あとで長門本人やほかのやつらに聞いたことを総合して、やっとわかったことなんだけどな。
 つまり、長門はとっくに俺の治療を終えていたのさ。七十二時間ちょうどの時点でな。
 ところが、ものすごい量のエラーに侵食されていたせいで、最後のナノマシン注入がすんだあとに、システムフリーズをおこしちまった。意識といっしょに直前までの記憶がすっぱり飛んじまったってわけだ。
 なにしろ、情報統合なんとかと接続を切っていたもんだから、行動記録の照合もできなかった。それで、再起動したときに、長門は自分の記憶の齟齬から時間を超過したんだと勘違いして、まあなんだ。俺にああいうことをやっちまったらしい。
 ようするに、長門はボロボロになって判断力を失うまで、俺を助けるために、自分のできる最善をつくしてくれたってことだ。
 もちろん、長門だけじゃない。古泉は機関をうごかして病室の面会謝絶を守ってくれたし、朝比奈さんも鶴屋さんといっしょに、ギリギリまでハルヒをなぐさめてくれていた。あいつの無意識パワーがおかしな暴走をしないようにな。
 実際に治療をしてくれた長門ほど目立たなくても、それぞれやれることを最大限にやってくれていたんだ。
 そのおかげで、いまの俺がある。これは、奇跡とか不思議パワーとか、そんなつまらんもののおかげでは、断じてないんだ。
 ……ちっと熱くなりすぎだな。はやいはなし、みんなに世話になったってわけだ。この場で、ありがとうといいたかったのさ。
 よし、そろそろ本題に入ろう。エピローグの本題ってのもへんな表現だがな。
 あのあと、しばらく長門は行動不能状態だった。さすがに、エラーがひどすぎたらしい。俺も、病気のあとで動けなかったんで、ふたり仲よくベッドのなかで、その、抱きあって寝ていたわけだ。
 そこに、朝比奈さんと古泉がやってきた。
 さきに、古泉と目があった。それで、あいつは俺が無事なのと、長門の治療が成功したことをさとったんだそうだ。そうとわかったとたんに、あの野郎、余裕をかまして『おやおや、これは僕たち、お邪魔だったようですね』などとぬかしやがった。
 見るみるうちに、朝比奈さんの顔が赤くなって、あれは綺麗だったな。
 ハルヒたちが来たのは、さらに三十分ほどあとだった。長門は、いっしょに寝ているわけにもいかないから、古泉が別室に連れていった。お姫様だっこをしてな。まったく、腹立たしいぜ。
 で、そのあといろいろあって――ハルヒの反応? 勘弁してくれ、照れくさい――俺の体もすっかり回復し、いまでは元気に学校にもかよえている。
 結局、あのあと長門に『情報統合思念体を無視した咎で処分』なんて話は出なかったし、古泉や朝比奈さん、もちろんハルヒについても、とくに問題はおこらなかった。今日も世界はおおむね平和ってことだ。
 最後に、もうひとついっておくべきことがある。俺に彼女ができた。以上。相手はだれかって? だれでもいいだろ、そんなの。<了>

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最終更新:2020年03月12日 01:31