第十一章




 その日は平行世界であり、夜のイベントだった。
 内容は隣町の花火大会の観賞。場所は長門のマンションの屋上。つまりは夜空の華を五人で見ましょうよということであって、ハルヒにしたら会場まで行って花火を二、三発ぶっ放すと言い出さなかっただけでも僥倖というものである。
 はたして、我々は長門のマンションの屋上で待ちぼうけだった。
 打ち上げ花火は午後八時からの予定だから、したがってあと十分もしたら最初のやつが夜空に瞬くはずである。どういうわけか、屋上には俺たち以外の見物客の影は見あたらなかった。
「古泉くん、そこのせんべい取ってちょうだい」
 我々は花火の打ち上げられる瞬間を待ちわびて待機モードに入っていた。コンクリートの壁には五人が横一列でもたれて座っている。夏のいいところは夜が冷え込まないところで、ひんやりとするコンクリートは肌に心地よかった。
 俺たちの前にはコンビニで買い込んできた大量の菓子類と飲みもの類が無造作に放り置かれており、花火がなかなか打ち上げられないせいで、先程から喰って飲んでの宴会状態であった。

「それにしても、遅いわねえ。花火」
 古泉に手渡されたせんべいをバリバリ噛み砕きながらハルヒが不満を漏らす。
「古泉くん、いま何時なの?」
「ええと……七時五十五分です」
「じゃあ、あと五分ね……。あ、みくるちゃんそこのサイダー取ってくんない?」
 人使いの荒いハルヒに、朝比奈さんは「はい」と小間使いのように返事をした。ハルヒのコップにサイダーをつぐ朝比奈さんの隣には、夜に隠れてひっそりと無表情娘が鎮座している。手当たりしだい菓子を食べまくる長門のコップには、味も素っ気もない天然水が入っていた。
「しかし、いい加減腹もいっぱいになってきたな」
 喰ってばかりいる女子団員(朝比奈さんを除く)を眺めているとそれだけで満腹になっちまい、俺はもとの目的を思い出して夜空に視点移動を行った。両手をコンクリの地面に投げ出して思いっきり頭上を見上げてみる。嘘みたいにどこまでも広がる夏の夜空が大パノラマで展開していて、暗黒の中に点々と光っている星には手を伸ばしたら届きそうだった。 
「天体観測もついでにやっちゃおうかしら」
 そんな俺につられたのか、サイダーをごくごくと飲み干したハルヒもコップ片手に夜空を見上げた。俺は特に反対する理由も思い浮かばず、
「やればいいじゃねえか」
 夜空に目を向けたまま言った。
「うーん。そうなんだけどさ、でも望遠鏡がないのよね」
「そんなもん、なくたって空はいくらでも見れるだろ」
 昔は望遠鏡なんかなかったんだ。それでも平安時代の人は夜空に浮かぶ月を見て風情を感じたもんだし、俺の持論としては大切なのは風景だと思うね。見渡す限り真っ暗の空に一点、こうこうと光る月、とかそういうのがさ。平安時代の人々は月だけを見てたんじゃなくて夜空の中の月を見てたんだろう。少なくとも月のクレーターを隅々まで観察して喜んでいたわけではあるまい。
「まあ、そうなのかもね」
 ハルヒは俺の力説を受け流して、ふとどきにも朝比奈さんの膝枕に頭を載せた。ハルヒはそのまま、朝比奈さんがしどもどするのも構わずに、頭上を支配する天へと視線を投げる。夜空は花火が舞うのを待っているように静まっていた。 
「なんだか、くだびれちゃった」
「いろいろやりすぎたせいだろ。夏休み始まってからずっと、ほとんど休みなしでぶっ飛ばしたからな」
 俺は実質的にハルヒの二倍くらい疲れてることになるのだがね。いつもだったらとっくに夏休みが終わってる頃だ。もちろん口には出さないが。
 ハルヒは「疲れた」と誰にともなく呟くと、そのままゆっくり目を閉じた。喰うだけ喰ったら眠くなったらしい。
 そんなわけで騒ぎ立てる奴がいなくなったマンションの屋上では、しばらく長門だけが黙々と菓子をついばむ光景が続いた。ハルヒはやがて朝比奈さんの膝の上で寝入っちまいやがり、すうすうと幸せそうな寝息をたて始めた。まったく、どこまでも好き放題やりまくる奴である。いい加減にしろと言ってやりたい。
「朝比奈さん、そんな丁寧に枕役なんかやらなくてもいいですよ」
 両手を所在なげに空中に漂わせる朝比奈さんは、 
「そうですか……?」
「そうです」
 なにより、朝比奈さんの膝枕に誰かが横たわっているような場面は世界の約半分の人間の反感を買いますからね。暴動が起きかねません。
 俺はハルヒの頭を起こすと、よほどそのままコンクリートに落としてやろうかと思ったがやめて、俺のジャケットを丸めてその上に下ろしてやった。夏物だから枕代わりになるにはちと薄いが、でも何もないよりはマシだろ。ハルヒは終始気持ちよさそうに眠っていた。もうすぐ花火が始まるってのに眠っちまいやがって。何のために来たんだろうな。
「花火のため、とあなたはおっしゃるんですか?」
 俺の独り言にしなくてもいいのに古泉が反応した。大方、こいつも暇を持て余してるんだろう。せっかくだから答えてやる。  
「他に思い当たる理由がないんだが」 
「本当ですか? あなたは、ここに来たのは花火を見るためだとおっしゃるんですか?」
 面倒くさい奴だ。付き合ってやるから早く言え。
「花火というのは媒体に過ぎないんですよ。大切なのはそれを通して人と関わること、一番の目的は仲間との親交を深めることにあるのです。あなただってそうでしょう、一人で花火を見てもそれほど面白くはありませんよね。もちろん僕や、そして涼宮さんだって同じです。以前の涼宮さんは仲間よりも花火そのものに価値を求めるような人でしたけど、今は違いますよ」
「仲間と一緒にいることこそが大切だ、ってか?」
 古泉は答えず、ただ微笑を浮かべた。その微笑の意味するところを瞬時に悟っちまった俺は、どうもげんなりと憂鬱な気分であった。そういう類の話に飽き飽きしていた頃合いだったからかもしれない。
 このところ、ずっとそのことについて考えていたのだ。
 ハルヒの大切にしているものの変化。宇宙人やその他の不思議探しから、友達と一緒にフツーに遊ぶことへ。仲間とともに遊んでいるうちに、いつの間にかハルヒは仲間といることの大切さを認めるようになったのだ。宇宙人から友達へ。古泉はそれを、ハルヒの価値観の変容と言った。
 仕方ないのかもしれんな、と思う。
 ハルヒの幸せそうな寝顔を見ていたら、そんな気がした。このままだったら間違いなく元の世界が消えて、この平行世界が残る。ハルヒが、何の変哲もない代わりにずっと一緒にいられる仲間――俺たちと一緒にいたいと願う以上は。
 俺はハルヒの寝顔から視線をスライドさせて、天を仰ぐ小柄なショートカット娘を眺めた。いい加減に食欲も満たされたようで、長門は夜風に短い髪をそよがせていた。
「なあ長門」
 俺はセーラー服の後ろ姿に歩み寄ると、隣に腰を降ろした。
「なに」
「いきなり変なことを尋ねるが、何も訊かずに答えてくれ。お前は宇宙人がこの地球上、いや、この世界にいると思うか?」
 なぜこんなことを訊いたんだろうとは思うね。この時の俺は焦りと戸惑いのせいで頭がおかしくなっていたのかもしれん。長門は俺の顔をちらりと見て思案するように口を閉ざした後、静かに答えた。
「いるかもしれない。でも、いたとしてもわたしにはその存在が解らない」
 長門のその回答に満足しなかったわけではなかったが、俺は特に言うべき言葉を持ち合わせず、ただ眼下に広がる街の夜景を見渡していた。
「あなたはどう思う」
 風が二、三度、身体をなでた後に長門はそんなことを言った。俺は思わず長門をまじまじと眺めてしまった。長門が俺に意見を求めているらしいということに驚いたからである。  
 俺が少なからず驚いたような雰囲気を出していたんだろう、長門は夜空に視線を固定したまま言い訳するように言った。
「あなたの表情が、宇宙人がいるのを望んでいるように見えたから」



 花火が始まっても、ハルヒは寝入ったままだった。
 俺は俺でなんだか花火を楽しむような気分になれず、ハルヒの横で壁にもたれたまま、夜空に舞う華を皮肉な思いで眺めていた。
 そういうことなのだ、と思う。
 花火がひとつ、またひとつと夜空へ弾けるにつれて俺は冷静になり、そのうち妙に納得した気分になってしまった。たとえば元の世界がなくなることとか、ハルヒの価値観の変化とかが、静かなあきらめとともに俺の胸の奥へ入り込んできたのである。世界は絶えず動いている。ハルヒの興味がだんだん移り変わっていくのと同じように。
 そして二つの世界は、遠からずひとつになる。
 予感、と言うべきものかどうかは解らん。俺の気まぐれが当たらんことは小学生の間までにはっきりしている。しかし、今回はどうもそういうのとは違うのだ。
 確信みたいなものがあった。生まれる前から遺伝子に組み込まれてることのように、とにかく解ってしまうのだ。それはハルヒのそばに一年以上いるからこそ気づくことなのかもしれないし、あるいは別の理由があるのかもしれない。とにかく、近日中に――それもかなり近い未来に――分裂した世界はひとつに戻るのだ。俺がいくら眠っても世界を切り替えられなくなるときが、もう目前に迫っている。どちらの世界が残って、どちらの世界が消えてしまうかは別として。
 俺はそんなふうに不健康なことを考えながら花火を眺めていて、おかげでちっとも楽しくなかった。しかも隣で寝ていたハルヒがそのうち目を覚ましやがり、俺は真っ先に罵声を浴びせられた。
「なんで起こしてくれなかったのよ! せっかく何十分も待ったのに肝心の花火やってるときに寝てるなんてもう、大失態よ大失態。後で反省会開くからね」
「お前があんまり気持ちよさそうに眠ってたから、そのままにしておいてやったんだよ」  
 そんなことを言いながら、俺はなんだか安心していた。今、目の前にいて俺と話しているハルヒが、俺の知っているハルヒそのものだったからかもしれない。
 花火は俺たちがいい加減飽きてくる頃までずっと続いた。
 ハルヒに強要されて俺も立ち上がらされ、五人は横一列になって首が痛くなるほどひたすら夜空を見上げていた。朝比奈さんは疲れてしまったらしく、そのうち転落防止柵にもたれたまますやすやと眠り始めてしまったが、運のいいことにハルヒには気づかれなかったようだ。奴なら直立する長門を話し相手に花火を見ながらはしゃぎまくっていたからな。長門の目には花火は大気汚染を進行させる要因ぐらいにしか映ってなかったっぽいが。俺はもっぱらそんな女子部員の様子を観察しつつ、気が向いたら花火についての雑学を披露する古泉にリアクションをとってやっていた。
「生き急いでいる、と言うんでしょうかねえ」
 そんなふうに古泉が呟いたのを、俺は覚えている。
「なんだ?」
「涼宮さんですよ」
 古泉は俺の隣ではしゃぎまくるハルヒに目を向けた。俺もなんとなく、目の端でハルヒを見やる。一点の曇りもない笑顔だ。
「なんというかね、やはり生き急いでいるように見えるんですね。僕の目には。必死でこう何というか、退屈さ、をもみ消そうとしている、と言いますか」
「解らなくもないが」
 確かにこのごろのハルヒにはそんな様子があった。まるで退屈だと死ぬ病気にでもかかっているみたいに、とにかくはしゃぐ。そのエネルギーはどっから出て来るんだと聞きたくなるくらいに。楽しむためには手を抜かない人なんですよ、涼宮さんは。という古泉のセリフが頭に去来した。
「まあ、夏だしな。エネルギーもあり余ってるんだろ」
 俺はそんな言葉でごまかした。もちろんハルヒがはしゃいでいる理由がそんなんではないということぐらい、俺にだって解ってる。ただし、もやもやと頭にある想像を口に出すのは、なんとなくためらわれたのだ。ハルヒの心の領域を踏みにじってしまうような気がした、のかもしれない。
 そのことに気づいたのか気づかなかったのか、古泉はまだ何か言いたげだったが、結局何も言わずに夜空へと目を戻した。 




 花火は終焉を迎えたのは、いよいよ俺にも眠気のビッグウェーブがやってきたかという頃であった。単調な爆発音のせいで催眠作用を食らい、おかげで最後の方の花火はまったく覚えていない。
 花火が終わったからといって、じゃあさようならというわけにもいかなかった。
 食い散らかした菓子類の残骸が屋上を占拠していたからである。ゴミを片っ端からコンビニ袋に詰め込む作業に従事しながら、ハルヒは誰にともなく言った。
「明日は肝試しね」
 はあ。
 と思わずため息が出る。あきれたね。ホント、思いつきだけで生きてる奴である。
 他の三人は反応する気もなさそうだったが、ただ一人、朝比奈さんだけが、
「怖いのは嫌ですよう」
 と言って身体を震わせていた。
「大丈夫よ、みくるちゃん。幽霊が出てきたって挨拶すればいいの。そうしたら向こうもきっと喜んで、あの世の観光案内とかしてくれるはずよ。大丈夫、みくるちゃんなら男の幽霊はすぐに手なずけられるわ」
「す、涼宮さん、それって乗り移られるってことじゃ……?」
「まあ、そうかもねえ」
「ひいぃ」
 朝比奈さんには申し訳ありませんが、俺が幽霊だったら真っ先に朝比奈さんに取り憑きますよ。間違ってハルヒに取り憑きでもしたら逆に支配されそうだしな。あるいは長門あたりなら意志疎通ができるかもしれんが。  
「とにかく、集合は明日というか明後日の午前一時半。場所は現地集合にするから、街のはずれの墓地ね。みんな、絶対に遅れないようにね。遅れたらみんなで呪ってあげるから」
 死刑よりそっちの方が怖いと思うのは俺だけか。
「じゃ、今日はここで解散!」
 そんなふうにして俺は長門のマンションを離れ、順当に帰宅したのだった。俺の後に小学校の友達と一緒に会場まで行ったという妹が帰ってきて、二人で軽めの夜食をとった。それから風呂に入ったらなかなか上がれなくて浴槽でボーっとしたまま長風呂しちまい、風呂上がりに扇風機を浴びながらベッドに横たわっているうちに寝た。
 寝た。
 そして――。



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