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【時のパズル~迷いこんだ少女~】
第7章 『悲劇の土曜』


有希の予想通りあたしの翌日は『土曜日』だった。
「さすがね……」
階下に降り、この現象が始まってからの習慣となった新聞での日付確認を終わらせ呟いた。
キョンと有希……きっとあの二人は、タイムリープしているあたし自身よりもこの現象を理解しているのだろう。

そして……
「今日で片を付ける……か……」
そのキョンが、昨日宣言した。きっと、なにか対策があるんだろう。でも……。
「本当に大丈夫なのかしら?」
あたしには多少なりとも不安があった。確かに、二人は今まで約束を守ってきた。それはわかっている。
でも、『時間を再構成させない』。その為には、『予備知識』による制約がとても大きいものとなっている。
それを守りながら、なおかつ、この現象を『終わらせる』手立てが果たしてあるんだろうか? あたしには全く思いつかない。
二人が何を考え行動しているのかはわからない。でも、あたしに出来る事は二人の行動を妨げないように指示に従うだけだ。
二人が、あたしの為に一生懸命に動いてくれてるんだから。あたしは二人の負担を少しでも減らさなきゃね。

「あ、そういえば……」
あたしは朝刊を手にして台所へ行き、朝食の支度をしている母さんの横に立った。
「あら、おはようハルヒ。今日は早いのね? どうしたの?」
お母さんが、挨拶と共に聞いてくる。
「うん。今日はお昼ご飯が必要だから、お弁当を作ろうと思って……」
「お弁当? 今日は、午前中で終わりでしょ? 部活をするの?」
「うん。だから、用意しなくちゃ」
本当は『訓練』なんだけど、あたしは部活だとごまかしておいた。そう、『訓練』の為にお昼ご飯を用意しておけとキョンが言っていた。
あたしが利用している学食は、土曜日だから閉まっている。別に、コンビニとかで済ませてもいいんだけど……。
「もう、そういう事は昨日のうちに言っておきなさい。すぐ用意できるものじゃないのよ?」
母さんがそう言ってくる。でも、大丈夫。
「大丈夫よ母さん、あたしが作るから。気にしないでいいよ」
そう言って、あたしはお弁当作りを始めた。しばらく黙ってそれを見ていた母さんだけど、急に何かに気付いたように、笑い出した。
「うん……そっかそっか♪じゃあ、ハルヒに任せるわね」
母さんはそう言ってあたしの肩を叩き、自分は朝食の支度を再開した。
まったく……にやにやしてなんなのよ。
「キョン君、喜んでくれるといいわね♪」
…………。
そうして、あたしは、あたしとキョンと有希の『三人分』のお弁当を用意した。

「おはよう、ハルヒ」
「おはよう」
「おはよ。キョン、有希」
あたしが玄関を出ると、二人が昨日と同じように出迎えてくれた。あたしを『護る』ためだ。
「悪いわね……二人とも」
「どうしたんだそんな事言って? お前らしくないぞ?」
「うるさいわね……さあ、行きましょ!」
あたしたちは揃って歩き始めた。

「ハルヒ、ところで今日は金曜日から来たんだろうな?」
「ええ、そうよ。予想通りにね」
「そうか……。ジャージは持ってきたか?」
「うん。……お弁当もね。……ねえ二人とも?」
「なんだ?」
「?」
「今日、お弁当持ってきた?」
「いや、コンビニで済ませようと思って」
そう言ってキョンは、金曜日のようにコンビニの袋を上げて見せた。
「……あ」
「それがどうしたんだ?」
「あ……うん。お弁当作ってきたのよ」
「俺たちの分もか?」
「そうよ。いつも迷惑かけて悪いと思ったから。でも、必要なさそうね」
「いや、喜んでもらうさ。味気ないコンビニの弁当より、ハルヒの手作りの方が美味そうだしな。長門もそれでいいだろ?」
「いい」
あたしはその言葉が嬉しかったけど、つい恥ずかしくなって言い訳した。
「べ、別にそんな大したもんじゃないわよ。ただ、キョンには……そう金曜日に食べ物をもらった借りがあるじゃない? それを返そうと思って……」
しどろもどろになって言い訳するあたしを二人は、なんとも言えない目で見ていた。ああっ! もう恥ずかしいわね!!

無言で歩く事数十秒。あたしは気になっていた事を二人に聞くことにした。
「……ねえ? 今日で終わらせるって言ってたけど、なにをするつもりなの?」
「鶴屋さんに稽古をつけてもらう」
「そうじゃないわよ。それは今日の日程でしょ? あたしは―――」
「とりあえず、今はそれだけでいいんだ」
はぁ……相変わらず厳しいわね。あたしは、相変わらずの情報管制の厳しさを疎ましく思いながらも、なんとか納得した。

二人の推理からすると、『犯人』は学校に自由に出入り出来る人物である。また、それでいて怪しまれない人物だ。
それを考えるとあたしは不安で仕方がない。ひょっとしたら、その『敵』はあたしが授業を受けているその時ですら、狙ってきてるかもしれないのだ。
でも、その不安を消してくれる存在が、あたしにはあった。いえ、いるわ、キョンだ。あたしが授業中でも前を向けば、そこにはキョンがいる。
それだけで、なにが起きてもなんとかなってしまう気がする。それに、キョンはどうやら今日あたしからなるべく目を離さないつもりらしい。
事件を『終わらせる』と、言ってくれたキョンの為にも、不遇の出来事を起こさないようにしなくちゃね。

そのキョンの『警護』の甲斐があってか、その日の授業は滞りなく終了してくれた。
その間の授業の休み時間に鶴屋さんが、武道場の使用許可を貰ってきたという旨を伝えてきたので、『訓練』は今から一時間後という事になった。
あたしたちはその間にお昼ご飯を取ることにし、部室に行った。有希もそこで待っていてくれた。

「いただきます」
「いただく」
「どうぞ」
三人であたしが、作った弁当を突きあう。あたしは、二人の様子が気になりながらも、お弁当を消化していった。

「ごちそうさま」
「満腹」
「ええ、どうだった?」
正直、二人の感想が気になってあたしは全然味を愉しめなかったのだ。大きな失敗は、していない筈だけど、やはり不安が残る。
「うまかったぞ。また食べたいぐらいだ」
「ほんと?」
「本当だ」
「そう……」
よかった。こんな事で心配するのはなんだか少しおかしいけど、やっぱり美味しいと言ってもらえる方が嬉しかった。

「まだ三十分以上あるな……」
「ただ待つの?」
「そうだな……特にする事もないし……」
「ね、だったらこれしない?」
「これ?」
そう言って、あたしは古泉君が部室に持ち込んだボードゲームを入れた箱を指差した。
「……なるほどな、これならいい時間潰しになるな。三人で出来るやつがいいな……」
キョンはゲームを漁って、そこから一つのボードゲームを取り出した。
「よし、これをやろう」
キョンが選んだゲームは人生ゲームだった。三人では少々面白みに欠けるゲームだが、あたしたちはしばらくの間ゲームに没頭した。

「遅いよっ! そっちから言い出したのに、遅れるなんて」
鶴屋さんが、声を張り上げた。
「「「……ごめんなさい」」」
ついつい、人生ゲームに夢中になってしまったあたしたちは、時が過ぎるのも忘れゲームに熱中してしまった。
ふと時計を見たら、既に約束の時間になっていて、あたしたちは慌てて武道場に行った。それで、今鶴屋さんに謝っているとこだ。
「本当にすいません。鶴屋さん」
キョンがもう一度頭を下げる。しかし、鶴屋さんはすぐに頬を緩ませて言った。
「いいよ。ちょっと心配してただけだから、それよりもなにもなかったかい?」
「ええ、それはなんとも……」
「そっか、そっか! ならもういいっさっ!」
鶴屋さんはそう言ってくれる。10分以上遅刻したのに寛容な人だ。あたしも少しは見習わないといけないかしらね?
「じゃあ、ハルにゃんは更衣室で着替えてきなよ」
鶴屋さんが、そう言って、武道場奥の更衣室を指差した。見れば、鶴屋さんもすっかりジャージ姿に着替えている。
これ以上待たせてはいけないと思い、着替えを持ってあたしはすぐに更衣室に入った。
着替えている最中、話し声が聞こえてきた。恐らくキョンたちが話しているのだろう。……随分壁が薄いのね。

「お待たせ」
あたしは着替え終え、髪の毛を後ろで括って現れた。キョンがぽかんとしてあたしを見てるけど、どうしたのかしら?
「待ってたよ、さあ始めようか」
しかし、その疑問も鶴屋さんの一言で、打ち消された。そうね、あたしはあたしの役目をこなさなくちゃね。

「で、キョン君?」
「はい、なんですか?」
だが、始めると言っておきながら、鶴屋さんはキョンと会話し始めた。
「えーっとさ……護身術といっても色々あるんだよ。それでさ、どういった場合を想定した対処法を教えればいいんだい?」
なるほど、鶴屋さんの疑問も最もだ。短い時間しかないのだから、しっかり状況を選択して学ばないと、すぐに終わってしまう。
しかし、キョンは―――――
「組み付かれた場合は、どうなんですか?」
「それは、前からかい? 後ろからかい?」
「ひと通りお願いできますか? どれぐらいかかりますか?」
「ひと通りってキョン君……一時間かそこらで出来るような事じゃないよ?」
「そこをなんとかお願いします。昨日言った通り、闘って勝つというものではないんです。ただ、逃げることさえ出来れば――」
鶴屋さんは、しばらく考えていたようだけど、やがて息を吐いて顔を上げた。
「わかったよ。急いでるんだよね? そうだね……三時までにはなんとかしてみせるよ」
三時まで……つまりあと一時間半足らずだ。それまでに覚えないといけない。これは気合を入れないとね。
「三時ですか……分かりました。お願いします。――――長門」
「なに」
「俺は話した通り、少し出てくるから、お前はここに残っててくれ」
「わかった」
そう言って、キョンはもう一度鶴屋さんに「お願いします」と言って、武道場から出て行った。
有希は残るようだけど、話した通りということは、前もって決めていた事なんだろう。

「さあ、ハルにゃん、余所見してる暇はないよ! 時間がないからね。飛ばしていくよ!」
「あ、わかったわっ!」
鶴屋さんの言葉に従って向き直った。そうだ。キョンがなにをしているとしても、それは今のあたしが気にすることではない。
今のあたしに必要な事は、無事『訓練』を終わらせる事なんだから。
「お願いします!」
あたしは、鶴屋さんに頭を下げ敬礼した。

「まずは、受身からだね」
「受身? 攻撃じゃなくて?」
「そうだよ。襲う人がいるってことは、急にくるかも知れないでしょ? でも、防御を知らないと、それに対処できないからさ」
……あ。
「……そっか。いきなり気を失ったりしたら、反撃どころじゃないもんね」
「そっ、だからまずは受身からだね」
そう言って、鶴屋さんは何回か見本を見せてくれた。
「ようするにさ、上手に転ぶってことなのさ。後頭部から落ちたり、背中を打ったり、間接から落ちないようにね」
「結構難しそうね……」
「そうでもないよ。要するに体に余計な力を入れないようにするのさ。顎を引くようにね。さ、あたしが見せた通りにやってご覧」
そう言われ、あたしは見よう見真似で、何度も何度も受身を繰り返した。途中途中で鶴屋さんがアドバイスを入れたりしながら。
そうして、十分程同じ事を繰り返しただろう。
「うん、さすがだね。呑み込みが早いよ。もうちょい時間をかければ、もっと上手に出来るだろうけど、時間がないから、受身はここまでにしとくよ」
鶴屋さんが、そう言った時、丁度キョンが戻ってきた。出て行ってから二十分ぐらい経ってるかしらね。

「あれ? キョン君おかえりー早かったね? もう用事は済んだのかい?」
「ええ、お陰さまで。ハルヒはどうですか?」
「うん、呑み込みが早いよ。これならなんとかなると思うよ」
「そうですか助かります。あ、続けてもらって構いませんよ」
そう言って、キョンは有希の横に移動した。なにか話しているようだけど、小声だからあたしたちの方には聞こえてこない。

「ほら、ハルにゃん。前向いて」
「え? ええ」
「次は、組み付かれた場合の対処を教えるよ。えっと、後ろから組み付いてもいいかい?」
「いいわよ」
「じゃあ……」
そう言って、鶴屋さんはあたしの後ろから手を回して、組み付いてきた。
「外せるかい?」
腕を揺すってみるけど、がっちりホールドされていてびくともしない。こんな細腕のどこにこんな力があるのよ?
「いえ……出来ないわ」
「そっか、じゃあこの状態から逃げるにはどうしたらいいと思う?」
「……えっと、足を踏んづけるとか?」
「そうだね、ヒールでも履いてたら更に効果が上がるよ。それと、あと二つはこの状態から出来る事があるんだ」
「二つも?」
「そ、まずは頭だね。がっちり腕を組まれていても頭は動くでしょ? 頭突きをしてやるってわけさ。そして、これが極めつけ、金的蹴りだね」
「き……金的」
「そ、金的。男の人ならまず誰が相手でも、そこに一撃喰らえばただじゃ済まないよ。膝を折り曲げて、蹴り上げるのさ。さ、やってご覧」
そうして、あたしはその動きを覚えるため再び反復練習を繰り返した。追加として金的を封じられた際の肘の使い方も教わった。
キョンたちが見守る中、繰り返し反復練習をしているその時、武道場に誰かが入ってきた。

「……あ……あのぉ……」
……みくるちゃんだ。一体どうしたのかしら?
鶴屋さんもみくるちゃんに気付いて、あたしの腰に回していた腕を外した。
「どうしたんだいみくる? あたしになにか用かい? 悪いけど……ちょっと今は忙しくてさ―――」
「……あっ! 違うんです、違うんです! えっとぉ………わたしは、キョン君に用があって……」
「? 俺にですか?」
「はい……ちょっと来てもらえますか? 時間は取らせませんから……」
キョンは隣にいる有希を窺った。行っても構わないか、確認しているようだ。
「まだ、大丈夫」
「わかった。それじゃあ行きましょう。ハルヒはしっかりやっておくんだぞ」
有希のその言葉に頷き、キョンはみくるちゃんと一緒に出て行った。……余計な一言まで付けて。わかってるわよ。

そうして再び練習を繰り返した。十五分程経ち、キョンとみくるちゃんの二人も帰ってきた。そちらに目を向けると、キョンの顔はなぜか真っ青になっていた。
「……長門来てくれ」
「でも」
「頼む」
キョンの異常を感じたのだろう。有希も迷っているようだった。
「大丈夫だ。少し武道場から出るだけだ。学校から出るわけじゃない」
その言葉にようやく有希が腰を上げた。立ち去る際に、あたしの方を向いた。あたしから今日は目を離さない。そのことを気にしているのだろう。
だから、あたしは言ってあげた。
「大丈夫よ、ちょっとだけでしょ?気にしないで行ってきなさい」
あたしも正直、不安だったが、それ以上にキョンの様子がおかしい。きっと何かが、あったのだろう。だから、あたしは、自分の不安を隠して二人に言ってあげた。
それじゃあ……と言い、キョンたちは武道場を出て行った。

そして、再び二十分程経ってだろう。キョン一人だけ帰ってきた。
「おかえりキョン。有希は?」
「ああ、やらないといけない事が出来たんでな、先に帰ってもらったんだ。大丈夫、俺はもう終わりまで出て行かないから」
……やらないといけない事。それはなんだろうか?あたしは気になった。
「ねえ、キョ…」
「ハルにゃん!! いい加減にしなよ! 二人が気になるのは分かるけどさ。時間がないんだよ。ハルにゃんはこれを覚えなきゃいけないんでしょ?」
鶴屋さんの声に、あたしはキョンを見る。キョンは黙って頷いた。
「……わかったわ。ごめんね鶴屋さん、もう余所見しないわ」
「その意気だよ! さっ、一気にいくよ」
そうして、あたしは三度『訓練』に戻った。その後、押し倒された場合の攻撃の仕方とその打ち込む場所、使用部位など、短い時間の中に凝縮して、文字通り『訓練』を行った。

「うんっ。こんなとこかな、お疲れ様ハルにゃん」
鶴屋さんが言った。あたしはようやく息を付けた。時刻は二時四十分をもう少しで回るとこだった。
「ご苦労だったな、ハルヒ。鶴屋さんもお疲れ様です」
キョンも労ってくれた。
「構わないさ。どんどん上達して、あたしも楽しかったからさ。予定より、早く終われたよ」
「そうですか。それでだハルヒ。最終確認をしたいんだ。もう一度繰り返し成果を見せてくれないか?」
「え? あんたもさっきまで見てたんじゃないの?」
「悪い、ちょっと考え事していてな」
「もう……しっかりしてよ」
そう言いながらも、あたしは仕方なくひと通りの成果をキョンに発表した。
「よし、それでいいな。上手いもんだ」
「……でもね、ハルにゃん?」
そこでキョンの言葉に、鶴屋さんが付け加えてきた。
「なに?」
「確かに、あたしはハルにゃんに対処の仕方を教えた。でも、それはあくまで付け焼刃なんだ。あんまりこれをあてにしちゃいけないよ?」
鶴屋さんがそう言う。なら……。
「なら、なんで教えてくれたの?」
そうあたしが返すと、鶴屋さんが苦笑して言った。
「万が一の事が起きた時さ、こうして稽古したっていう実績があれば、いざという時、落ち着けるからだよ。
 いいかい? パニックにさえならなければ、対処の仕方は沢山あるんだよ。例え、両手両足を封じられても、声を挙げて助けを呼ぶことも出来るしね」
そう鶴屋さんが言ってきた。ようするに過信するな、頼りすぎるなと伝えたいのだろう。
「それに……」
どうしたのかしら? 急に黙ってしまったわね。
「どうしたの?」
「ううん……なんでもないっさ。これ以上不安にさせても仕方ないしね。取りあえず、ここで終わり!
 これからも家に帰ったら腕立てや腹筋を、少しでもやるといいよ。地味だけど、じわじわと効果が出るからね」
「ええ」
そう答えながらも、あたしはきっとその『効果』が出るまでには、間に合わないだろうなと考えていた。

「それじゃあ終わりだな。ハルヒは着替えて来てくれ。すぐに帰ろう、家まで送るから。鶴屋さんも今日はありがとうございました」
そのキョンの声で、あたしは再び更衣室に戻って行った。
あたしはようやく、この二時間足らずの『訓練』から解放された。もう、くたくただ。
でも、その成果はあっただろう。鶴屋さんは、ああ言ってたけど、きっと何かの役に立ってくれるはずだ。

そうしてあたしは更衣室で着替えを始めた。髪を縛っていたゴムを解き、上着を脱いだ時、更衣室の薄い壁から『それ』は聞こえてきた。
「なんだって!?」
鶴屋さんの声だ。なにか驚いているようだ。耳を澄ましてみると、キョンと話しているようだ。
鶴屋さんが、キョンを詰問しているような声が聞こえてくる。しかし、声がくぐもっていて、肝心の内容が聞こえてこない。
『危ない』、『やめた方がいい』。そんな断片的な単語が聞こえてくるだけである。そうして、しばらくして話し声が止んだ。会話が終わったようだ。
いけない! あたしもすぐ着替えなきゃ。あたしは素早くジャージを脱ぎすて、鞄に詰めておいた制服に着替えた。

「着替えたわよ」
「わかった。じゃあ帰るか」
どうやら、少し遅れた事は怪しまれなかったようだ。あたしのいない時に話したという事は、あたしには聞かせられない話なんだろう。
ならば、盗み聞きしていたなんてばれてはいけない。あたしは黙っておく事にした。
「それじゃあ鶴屋さん……今日はほんとにありがとね」
鶴屋さんはさっきから俯いたままだったが、ようやく顔を上げてくれた。
「うん、大した事出来なかったけどね。……頑張ってね?」
「……ええ?」
最後の部分はよく聞こえなかった。
そうして、あたしたちは鶴屋さんと別れを告げ、家路へと着いた。

そうして、帰路に着いたあたしたちは、あっという間に家に着いてしまった。いや、帰ってきたんだから家に着くのは当然なんだけど……。
「……ねえキョン? 家に帰って来てよかったの? 今日は片をつけるんじゃなかったの?」
あたしの疑問にキョンは答える。
「終わらせるさ」
「でも、もう着いちゃったわよ? 家に居るだけでいいの?」
「いや……少し準備する事があるんだ。だから、少しの間、ハルヒは自分の部屋で待機していてくれ」
「少しの間ってどれぐらいよ?」
「そうだな……一時間。一時間経ったら、もう一度お前の家に迎えに行くよ。今が、三時半だから、四時半に来る」
「それは分かったけど……有希が途中で帰ったのも、その準備のせいなの?」
「そうだ、長門には長門で、やってもらう事があったからな。そう言う訳で、悪いがもう行かせてもらうぞ。時間があまりない」
「……わかったわ」
そう言って、あたしは門を潜り玄関を開いた。それを確認して、キョンは走り去っていった。

あたしは訳が分からないながらも、キョンの指示通り自分の部屋で待機していた。いつでも出られるよう、制服も脱がないで、ただじっとして待っていた。
キョンは準備があると言っていた。有希もだ。それが一体なにを指すのかはわからないけど、タイムリープ現象を終わらせるには必要な事なんだろう。
それに、迎えに来るという事はどこかに出かけるつもりだろう。それが、『どこ』で、『いつ』の時間かはわからないけど、あたしはもう二人を信じるだけだ。

そうして、ベッドに腰掛けたまましばらくぼうっとしていると、チャイムが鳴った。枕元の時計を確認すると四時二十五分だった。恐らく、キョンが迎えに来たんだ。
あたしは階下に降り、念のため鍵穴から外を窺ってみたが、やはりキョンが待っていた。

「悪い、少し手間取ってな。待たせたな遅くなった」
キョンが言う。準備があると言っていたが、特に変わった様子はない。制服姿もそのままだ。だが、鞄は置いてきたようで手ぶらだった。
「いいわよ時間はまだあるし、それで……あたしは手ぶらでいいの?」
キョンの格好を見て、気になった事を訊いてみる。
「ああ、そのままで構わない、行こう」
そう言ってキョンはあたしを促して歩き始めた。

少し歩きあたしは、ようやく気付いた。
「ねえ、有希は来ないの?」
ここにいるのはキョン一人だけだった。有希も準備があるらしいが、終わっていないのだろうか?
「ああ、長門とは別行動だ」
キョン答える。内容が気になりはしたが、どうせ教えてくれないだろう。
「それよりも行こう」
「どこに行くのよ?」
「森林公園だ」
短く答える。
「急ぐぞ、時間までもう余りないからな。遅れるわけにはいかない」
「遅れるって、なにによ?」
キョンは、あたしをじっと見つめた。
「決着にだ」

最後は軽く小走りになりながら、森林公園に着いたのは、四時三十五分を過ぎた所だった。そろそろ太陽が落ち始めていた。
「それでキョン。ここになにがあるのよ?」
キョンは、れは無視し、周囲を素早く見回してあたしに言った。
「こっちだ」
あたしたちは公園の奥の雑木林のような場所まで移動した。周りには誰もいない。
あたしは周りを見回しながらも、ここはなにか嫌な感じがすると。思っていた。
「どうした?」
あたしの変化に気付いたのだろうキョンが訊いてくる。
「わからない……でも、なにか嫌な感じがするの……」
「そうか。やっぱりどこかに記憶が残っているんだな」
「……どういう事よ?」

「説明するよ。でも、ここはまずいんだ。……入り口があそこだから、こっちだ」
キョンはあたしの腕を取り、公園の更に奥へと入った。そこは周りに木がないぽっかりと空間があいた広場のようなとこだった。
「こっちだ」
更に、キョンはそのまま、その広場から少しだけ離れた茂みの影へと入っていった。
「ちょっと……なんなのよ?」
「いいから早くするんだ」
キョンが急いでる事がわかったから、しょうがなくあたしも茂みの中に入っていった。……もう、木が当たってちくちくするわね……。
「で、こんなとこに入って隠れんぼでもするつもり?」
あたしは、茶化したつもりで訊いてみた。しかし、
「隠れるか……当たらずも遠からずだ」
そう言ってキョンは、茂みの中でしゃがみこんだ。あたしもキョンに倣って、しゃがみこんだ。

「それでなにを待っているのよ?」
キョンは入り口の方を絶え間なく窺いながら答えた。
「犯人だ」
「え?」
「ハルヒを……俺たちをこんな目に遭わせてくれた張本人を待ってるんだ」
「で……でも……なんで、ここに来るって分かるの?」
「俺が呼び出したからだ」
キョンはとんでもないことを、なんでもないように答えた。
「な……なんですって!?」
キョンが呼び出した『犯人』とは、これまで二度…いや、三度かもしれないが……あたしを殺そうとした人物だ。
そんな人物をキョンはここに呼び出したという。あたしは、武道場でのキョンと鶴屋さんとの断片的な会話を思い出していた。
あれはこのことを指していたんだ! いくらなんでも無茶苦茶だ! 鶴屋さんが止めようとしたのも当然である。
「少し静かにしろ。……ここで、決着を付ける」
キョンは宣言した。

「……それで、誰が……誰が犯人だったのよ?」
あたしが最重要項目を問い詰めると、キョンはポケットから小さな機械を取り出した。
「なによそれ?」
「ICレコーダーだ」
キョンは胸元にささっているペンを指差した。
「ここがマイク代わりになっているんだ。ここから入った音が、これに録音される」
「……ようするに盗聴器ってことね」
キョンは苦笑しながら言った。
「まあ、そんなもんだ。長門に頼んでな、作ってもらったんだ」
「……さすが有希ね」
ほんとに有希は多種多芸の持ち主である。
「ちょっと待ってろよ」
そうしてキョンは手元のレコーダーを操作して、それにイヤホンを差し込んで耳にはめた。
「……ここだな」
そして、イヤホンの片方を外し、あたしにかけるように言ってきた。わけが分からないままだったが、それを耳にさした。
「流すぞ……いいな? なにが聞こえようと取り乱さないと約束しろ。分かったか?」
なんでこんな事を言うのかわからなかったけれど、あたしはコクコクと頷いた。
「俺が武道場から出て行った一回目に録音したものだ。電話での会話が入っている」
そして、雑音まじりだが音が聞こえてきた。

『……そういう訳だ』
キョンの声だ。少し声が遠いのは、電話越しの声だからだろう。
『あなたは、なにを言っているんですかね?』
もう一人別の声が聞こえてきた。どこかで聞き覚えがあると思うが、勘違いだろうか?
『とぼけるのは構わない。だが、お前は知っている筈だ。ハルヒになにが起きているのかをな』
『…………』
『今度は黙まりか?』
『なんであなたがそんな事を知っているのですか?』
『それは秘密だ。……だが、訳を聞かせて欲しくてな。こうしてわざわざ電話してるんだ』
『なにをするつもりですか?』
『なにもしないさ。ただ知りたいだけだ。今なら気付いてるのは俺だけだ。だから、俺だけに理由を話して欲しいんだよ』
『…………』
『分かっている。勿論電話でなんて話せないんだろ?だから、誰にも見つからない場所で聞かせてくれ』
『………………』
相手は中々喋りださない。
『……そっちがその気ならこっちは、他の奴に話してもいいんだぞ? それでは困る奴がいるだろ?』
キョンが脅しをかけている。もし、応じないのなら、警察に公表するぞ。そのような意味なのだろう。
『…………わかりました。応じましょう……。それで―――――』

そこでキョンはスイッチを切った。
「ここから先は、この場所と時間を指定したものだ。指定した時間は五時だ。時間もないし、聞く価値はない」
そう言って、イヤホンを外した。時計を見る、後十分足らずだ。

「それで……誰なのよこれ?」
「分からないか?」
「……ええ、聞き覚えがある気もするんだけど……」
「わかった教える。でも、さっき言ったように絶対に取り乱すなよ? いいな?」
「……わかったわ。それで誰なの?」
「古泉一樹」
「……え?」
「古泉一樹、SOS団の副団長だ」
あたしは、目の前が真っ暗になったような感覚に襲われていた。

「ま……まさか……嘘……よね?」
「あの手紙……例の三通の手紙に古泉の名前があった」
キョンは学生服の内ポケットから、一通の封筒を取り出した。そして、そこから一枚の便箋を取り出して、あたしに手渡した。
それは汚い字だった。屋上と書いてあるから、谷口が書いたものだろう。

『報告書。屋上への出入りについて。
 十二時四十六分、古泉一樹。立入り禁止の筈の屋上の施錠を破り、入る。
 十二時五十二分、再び、施錠して出る
 その後、昼休み終了一分前まで俺は観測したが、古泉以外、屋上に出た奴も、入った奴もいなかったぞ。これでいいのか? 涼宮?』

あたしは、便箋から顔をあげる。

「でも……これだけじゃ……それに他の二枚はどうしたのよ?」
「音楽室は、その日の三時間目から部屋の改装を行っていたそうで、中には誰も入れなかったそうだ。勿論業者も入っていない。確認済みだ。
 美術部は国木田が見張っていたようだが、美術部には誰も入らなかった。と手紙に書いてある。間違いなく国木田の筆跡だ」
「……でも」
「他にも判断材料はあるんだ。古泉が俺の呼び出しに応じた事自体が、裏付けているし。
 大体この一週間、俺たちにほとんど会わなかった古泉が何故ハルヒの事を知ってるんだ?」
「でも……でも、どうして古泉君があたしを殺そうとするのよ?」
「日曜日の事だろうな……そこで、恐らく古泉はお前に危害をくわえようとしたんだろう。しかし、なんらかの理由により、それは失敗したんだ。
 それで、お前に知られたと思ったんだろう。それで、月曜日・火曜日と休んだ。けれど、騒ぎにはなっていない。
 おかしいと思った奴は、水曜日に学校に出向いたら昼休みに俺たちは会った。覚えてるな? そこで俺達は奴に向かう場所を告げた筈だ」
あたしは水曜日の昼休みを思い出す。あたしは確かに古泉君と出会い、これからキョンと部室に行くと告げた。
それなら待ち伏せするという手段も出来る。確かに筋は通っている。
「だが、植木鉢による殺害は失敗した。古泉は次の機会を待った。それが金曜日のバイクだ」
「……確かに筋は通るわ……でも、なんで古泉君があたしを殺そうとなんてするのよ?」
「それはわからない。だが、日曜日に本を買って帰るハルヒを古泉は尾けて帰り、この公園でお前を襲ったんだ」
「…………」
「それが始まりだったんだ。ハルヒは古泉に襲われたんだ。後頭部のたんこぶも恐らくその時、出来た筈だ。
 そして、その衝撃と恐怖から逃げるためにお前は、タイムリープ現象を引き起こしたんだ」
「嘘よ……そんな事信じない……」
そんな事を言いながら、あたしは血の気はすっかり引いていた。
殺す? 古泉君が? ……あたしを? あたしは震える体を抱きしめた。

「落ち着けハルヒ」
「……落ち着けですって?」
「日曜日にハルヒが襲われた事は確かだ。だが、その結果は『まだ』分からないんだ。ハルヒにとっては『これから』の事だからだ。
 日曜日のその瞬間に戻った時、それは決まる。殺されたか無事に逃げたかは、お前次第なんだ」
「…………」
「行って来いハルヒ。行って、自分の体を護るんだ」
そうか、だからだ。だから、キョンはあたしに護身術なんて習わせたんだ。
「でも……」
「ハルヒは一度逃げ出した。時を跳び越えてだ。だが、今度は逃げるわけには行かないんだ。ハルヒが逃げ続ける限り、ハルヒの時間はいつまでも戻らないんだ!」
「……でも……いやよ……無理よ」
「なぜだ?」
キョンの言っている事はわかる。その通りだとも思う。でも、日曜日のあたしは『殺されかけている』のである。
その『時点』に戻るなんて、怖くて出来ない。しかもそれが、自分が信じていた人物によるものなら尚更だ。
付け焼刃程度の護身術なんて、『立ち向かう』自信になんてなりえない。
「あんたは……あんたは他人事だから、そんな事が言えるのよ! なにが待っているのかもわかっているのに……そこでなにをされるかもわかっているのに……なのに行けなんて! 気軽に言うんじゃないわよ!」
「……他人事?」
キョンの口調が震えている。怒りに震えてるのがわかる。そうしてキョンは言った。
「確かに他人事だよ。ハルヒが逃げる事を選んでも俺にはどうこう言う権利はないさ。問題を解決できるのも、お前だけだ。
 逃げるなら好きにしろ。困るのはお前であって俺じゃない」
そのあたしを切り捨てるような発言に、あたしは言葉を失う。

「…………」
「お前がなにをしようと、俺はこれから古泉と対峙する。自首させるか、とっ捕まえるか、いずれにせよここで終わらせる。
 これ以上お前に手を出させるような事はさせない。俺に出来るのはそこまでだ」
「…………」
「いいかハルヒ? 日曜日の俺は、お前を助けられない。お前が自分の力で、どうにかしなければいけないんだ」
それだけ言うと、キョンは目を逸らしてしまった。
「…………」
キョンが怒るのも当然だ。これまでキョンは知恵を絞り、体を張って、それこそ全身全霊であたしを助けてくれた。
そして、犯人と対峙するというとても危険な事まで引き受けてくれた。本来は、すべてあたしが一人でやらなければならない事なのにだ。
それをキョンはほとんど引き受けてくれた。なのに、そのあたし本人が、あたしにしか出来ない事から逃げようとしている。これは矛盾している。
……でも、それでも……あたしは対峙する勇気が持てなかった。
「来たぞ」
キョンが低く言った。
茜色に染まった空を背景に、SOS団の副団長である古泉君が現れた。

「ハルヒ」
キョンは、手にしていたICレコーダーをあたしに差し出してきた。
「これを預かっていてくれ。これから起こる事を『すべて』録音するんだ」
録音する……つまり、これを証拠品として出すつもりなんだろう。あたしは頷いてレコーダーを受け取った。
「分かったわ……でも、大丈夫なの?」
「うまくやるよ……じゃあ行くぞ」
キョンは最後にあたしに笑いかけ、広場の方に向かった。
古泉君は近づいてくる人影に気付いたのか、警戒しているようだった。
キョンは古泉君のいる近くまで近づいて行った。ここから、広場までは多少の距離があり、話し声は聞こえてこなかった。
でも、キョンに渡された有希特製改造ICレコーダーから音が聞こえていたので、問題はない。
『よく来たな古泉。待ってたぞ』
キョンの声がイヤホンから聞こえてくる。掠れてはいるが一応聞き取れる。
『お待たせしてしまいましたかね?』
『構わないさ』
『……一人ですか?』
古泉君が周囲を窺いながら聞いた。
『ああ、約束は守るさ。じゃないと、こんな所を選んで呼び出したりなんかしないさ』
『…………』
『信用できないか?』
『…………わかりました。信用しましょう』
『それじゃあ、早速ハルヒにした事の理由を訊かせてもらおうか?』
『待ってください』
『なんだ?』
『その前に証拠を提示してもらえませんか? 出なければ、僕がお話しする理由がありません』
『…………』
証拠ですって!? そんな物があるわけがない。どうするつもりなのよキョン?
『そうだな……実は、こんな証拠があるんだよ』
キョンが一枚の紙切れのようなものを出した。
『証拠写真さ、決定的瞬間を収めたってやつだ……』
『見せてもらえますか?』
『駄目だね。これを見せた途端、話さないなんて事になったら困るからな』
『…………』
これは賭けだ。キョンははったりを言っているんだ。出なければ、そんな写真があるわけがない。つまり、キョンは古泉君を頷かせて話を…いえ、証拠を聞きだそうとしているんだ。
『どうする? 別に話してくれなくても構わないんだぜ? これを然るべき所に出されてもいいってのならな』
しばらく無言の時が続いた。古泉君も考えているのだろう。お願い……うまくいって! あたしは目を閉じて一心に祈った。
『……わかりました。お話しましょう。ですが、手渡さなくてもいいので、その写真を僕に見せてくれませんか? 近いづいてくれるだけで構いません。勿論出来ますよね?』
そんな!? 古泉君はキョンがはったりを言ってる事に気付いてるんだ! このままじゃ証拠なんてないことがばれちゃう!?
『……わかったよ』
そう言ってキョンは肩を竦めて、古泉君に近づいた。

その時、あたしは見てしまった。重く鈍い光を放つ凶器に、日本では普通に生きていれば、まず目にする事はない凶器、それは『銃』だった。
そして、あたしが声を上げようとした、その瞬間、

『ズドォンッ!』

情け容赦なく銃身から弾は放たれ、キョンの体に命中した。
「がっ!」
キョンは呻き声を上げ、地面にゆっくりと崩れていく。その声はイヤホン越しでなくても、直接あたしの鼓膜を叩くほど大きなものだった。

「キョンッ!!」
思わず茂みから飛び出したあたしの目には、銃身から立ち上る硝煙と地面に倒れこんだまま、ぴくりともしないキョンの姿が映った。

「い……い、いいやあああぁあぁぁあぁああああ!!!!!!!!!」

日が落ちかけた公園の奥深くに、あたしの悲鳴が木霊した。


第7章 了。