『ポケットの中』


困った。
宿題が、数学の問題がわからない。
週明けの授業では確実に当たる上に、小テストも実施するとか言ってやがったし、あの数学教師の野郎……。
昨日のうちに国木田にいろいろと聞いておけばよかったが、今日は家族とどこかに出かけるといっていたから教えてもらうこともできないし、谷口は俺と同じレベルのはずだからアテにはできん。
ハルヒに頼ると、宿題や勉強のことなどそっちのけで大騒ぎを始めるに決まっている。朝比奈さんは一学年上ではあるが、文系科目ならまだしも、数学は触れてはならない禁則事項の一つみたいだし、古泉に聞けば普通に教えてくれるだろうがなんとなく癪だ。ふん。
そう、こういうときはとてつもなく頼りになる上に安全・安心・人畜無害なスーパーアンドロイドの宇宙人にお願いするのが一番だ。ポイントを絞って、とい うか、必要最小限の言葉の範囲で教えてくれるので、俺としても覚えるところが少ないのは助かる。その上、うまく運べば例の呪文でなんとかしてくれるかもし れないからな。

今日は不思議探索もない土曜日なので、長門はきっと一人で家にいるはずだが、念のために電話して確かめておくか……。

プルルルル、プルルルル……、
『……』
「あ、俺だ。えっと、すまんが頼みがあるんだが……」
『……?』
おそらく僅かに右に首をかしげているな。表情だけでなくて三点リーダの専門家としての俺の五感がそう訴えている。
「ちょっと数学の課題について助けて欲しいんだが、今からそっち、行ってもいいかな?」
『……いい』
「うん、すまん。じゃあ、えっと、今から出るから……」
『待ってる』
ぷつん、ぷー、ぷー、ぷー…………。
切れた。なんかいつも以上にそっけない感じだったが、ま、こんなものか。
とりあえず、問題集とノートをかばんに放り込んで、俺は長門のマンションへと自転車を飛ばした。

すっかりとなじみになった七〇八号室の扉の前で、俺は鍵が開けられるのを待っている。そういえば、エレベータにしろ共用廊下にしろ、あんまり住民に会う ことがないし、最近は管理人の爺さんの姿を見ることもほとんどなくなった。ひょっとして、このマンションの住民は、実は全て宇宙人の手先ってことはないだ ろうな。
なんてことを考えていると、ドアが開けられた。
「よお、いつもすま、ん? ん?」
玄関先で俺のことを見上げている大きな黒い瞳のセーラー服の少女は確かに長門だ。だが、俺を見上げる角度がいつもより大きい。
な、なんだ?
「……お前、背が低くなったのか?」
「ちょっと違う」
確かに、単に背が縮んだだけではない。体全体が小さくなっている。顔の大きさや骨格自身が縮小されている感じだ。元の八割ぐらいのサイズに縮小されている感じだろうか?
「……こっち」

促されるまま俺は小さくなった長門の後について廊下を通り抜け、扉の先のリビングに足を踏み入れた。やはりいつも通りの殺風景なリビングに置かれたコタツ机のところにも見たことのあるセーラー服の少女が一人座っている。
「な、長門?」
そう、そこにいたのも小型化した長門だった。
「おい、どういうことだ? なぜ二人いるんだ、それに……」
「とにかく座って。わたしはお茶を入れてくる」
それだけ言うと、玄関に迎えに来てくれていたほうの長門はキッチンに引っ込んだ。

俺は、恐る恐るコタツ机に近づくと、無表情のまま俺のことを見つめているもう一人の長門の正面に座った。
「あの……、やっぱり、長門、なのか?」
「そう」
「ほんとに?」
「本当」
コタツ机の向こうに、文字通りちょこんと座っている長門は、間違いなく長門だ。すっと結んだ口元も、涼しげに輝く黒曜石の瞳も、短くカットされた髪型も、長門だった、ただ小型化された以外は……。

しばらくして、もう一人の長門が運んできてくれたお茶を飲んで一息つくことができた。おかげで、並んで座っている二人の小さな長門を目の前にしても、心の平静を保つことができている。

もうどっちが玄関に迎えに来た方かわからなくなったが、とにかく向かって右側の長門が口を開いた。
「俗にいう夏風邪」
「なに?」
「有機生命体に対する夏風邪のウィルスに感染した。その防御作用のため、分裂しただけ。心配ない」
「いや、あの、心配も何も、なぜ分裂するのか、まずはそれが知りたい」
「知ってどうする?」
「……いや、うん……、どうしようもないけど……」
「大丈夫、情報統合思念体が根本的な解決策を探している。それ以前でも、もう少し分裂したら影響は排除できるはず」
「そ、そうか、それならすぐに解決するな って、おい、ちょっと待てよ、お前、まだ分裂するのか?」
「そう」
何だ、何だ。いったいこの有機アンドロイドはどういう造りになっているというんだ? ウィルスからの防御反応で分裂するというのはどういう仕組みなんだ?
「分裂しても、質量……有機情報因子の総量は保存されるため、分裂するごとにわたしは小さくなっていく」
「はぁ?」
今度は左側の長門が言葉を続けた。
「体が二つに分かれると、いわゆる体重は半分に、身長は約一・二六分の一になる」
な、なんだって? どんな計算が必要なのかわからんが、とにかく分裂するごとに小さくなった長門がたくさんできるということだ。
「「そういうこと」」
二人の長門は声をそろえてそう言った。

えっと、そういえば俺は何のためにここに来たんだっけ? あまりにも分裂長門による話のインパクトが強すぎたため、すっかり当初の目的を見失ってしまったが、俺は、数学の課題について長門に教えを請うためにここを訪問したんだった。
「えっと、長門……」
と、やっと本題に入ろうとすると、二人の長門は、ほぼ同時に右手をこめかみに当てて軽くうつむきながら、左手を軽く前に出すと、
「「……ぶ、分裂、するから、ちょっと……待って……」」
「え、えっ?」

つきたてのお餅とかスライムみたいに、みよーんと伸びて二つに分かれるのかと思ったが、さすがに我らが有機アンドロイドはそんな原始的な見た目をもって分裂することはなかった。
右側の長門は、はじめに両目の間あたりがキラリと光ると、すぐにその光が縦にするすると伸びて、体を左右に分ける一本の光の線となった。
その光の線は左右に広がりつつ光の帯になり、やがて二本の縦帯に分かれると、長門の体をスキャンするかの様に左と右へそれぞれにゆっくり進んで行った。そしてその光の帯が通り過ぎた部分からは、一回り小さくなった長門の姿が、左右それぞれに現れていく。
それに対して左側に座っていた長門は、まるで後光が射すかのように体の周囲が光り始めていた。どうやらこっちは光の板が前後に移動してスキャンしていくことで、前半分と後半分に分裂するらしい。

最終的に光の帯のスキャンが元の長門の体の左右と前後のそれぞれの端まで進み、光の輝きが消えた時、俺の正面右側には左右に並んだ二人の長門が、左側には前後に並んだ二人の長門、あわせて四人のさらに小型化した長門が現れた。

「「「「……おまたせ」」」」
「……う、うん」
微妙にエコーがかかった重なり合う四人分の長門の声に、俺はそれ以上の言葉を発することができなかった。いったいどうなるんだ、こいつは?
「「「「今後、分裂速度が早くなるが心配は無い」」」」
「そ、そうか……」
「「「「ちなみに制服は体の分裂のタイミング合わせてわたし自身で情報改変している」」」」
「……う、うん。そうなんだ……」
別に聞いたわけではないが、長門は自ら説明してくれた。確かに見慣れた制服も、分裂して小さくなった体の大きさにフィットするようになっている。

 

 その後、もう俺なんかが心配とか言っていられる状況ではなくなった。
四人になった長門は、ものの数分でさらに分裂して八人になり、その後はリビングのあちこちでピカピカと光を放ちながら、小さくなった長門の数だけが増えていった。

しばらくして光の点滅の速度が遅くなり、やがてリビングが静かになった。
あらためて見渡すと、コタツ机しかなかったリビングは、床一面に五百ミリリットルのペットボトルサイズの背丈になった長門の集団で満たされており、床に収まりきらなかった一部の長門は、コタツ机の上に座っていたり、俺の膝や肩の上にも乗っているやつもいる。
その小さくなった長門という長門が全員でじっと俺の方を見つめている。それも、いつもどおりの無表情で…………。

こんな光景を目の当たりにして、じっと座っていられるのも、高校入学以来、いろいろな非日常な体験を積んできたおかげだな。いいんだか、悪いんだか――。

お約束のように、ふぅ、と、ひとつ溜息をついた俺は、適当にリビングの真ん中あたりに向かって、
「終わったのか?」
と、問いかけた。
「分裂は終わった」
俺の右肩に腰掛けている長門が、全員を代表して答えてくれた。
「で、何人になったんだ?」
「五百十二人」
「ご、ごひゃく、だって?」
「そう。九回分裂した。ウィルスの影響の拡大はこれでほぼ排除可能」
「よ、よかったな」
「よかった」
今度は膝の上の長門が俺のことを見上げながら答えてくれた。
「それで、これからどうなるんだ? 元に戻れるのか?」
「有機情報因子の再融合を行えば元に戻れるが、今、行っても再分裂を繰り返すだけ」
「ということは、しばらくはこのままなのか」
「そう」
膝の上の長門は、小さくなった頭をほんのわずかに傾けてそう言った。と、同時にリビングいっぱいのほぼ五百人の長門の頭がぴくんと動いた気がした。

しばらくすると、コタツ机の上の長門が立ち上がると、置かれたままだったお茶の湯のみを覗き込み、
「すっかり冷めてしまったが、今のわたしには淹れ直すことはできない」
「いいよ、別に。すまないな」
「それより、あなたの当初の訪問の目的である数学の課題について取り組みたいと思う」
そうだった。数学だ。その時、俺を中心にリビングに配置された小型長門の包囲網が少し縮められたような気がした。
俺は、五百十二人の小さな長門に囲まれて、数学の課題の特訓を受けている自分自身の姿を想像して、少しばかり背中に冷たいものが流れていく気分だった。
「もう、いいよ、なんかそれどころではなくなったから」
「「そう?」」
右肩と膝の上の長門が少し残念そうにそう言った。と、同時にリビング中に落胆の空気が満たされたように感じたのでは俺の気のせいなのか……。

「とりあえず今日は帰る。早くもとに戻れるといいな」
俺は、膝の上にいた長門を左手に乗せてコタツ机の上に降ろした後、その手を右肩に持っていって、右肩の長門も下に降ろしてやろうとすると、
「では、わたしがあなたの家に行って数学の課題解決に関してお手伝いする」
そういって、俺の左手の手のひらの上にすっくと立った長門は、両手を体の後ろで組みながら俺のことをやや上目遣いでじっと見上げている。
「え、なんだって? お前がうちに来るつもりなのか?」
「そう。いい?」
小さく首をかしげる。
「い、いや、それはまずいんじゃないか? もし、お前のことを誰かに、そう、妹にでも見られたら……」
「大丈夫、そのときは何か人形のまねをすればいい」
「いやいや、そんなことをしても……」
長門の格好をしたフィギュアなんて、それだけで妹にとっては好奇の的ではないか。
「……いざとなったら机の引き出しでもいい。小さくなっているからどこでも隠れることは可能」
「うん、まぁ、それはそうだが……」

長門と論戦を交わして俺が勝てるわけは無い。たとえそれが第三者が見たらどうでもいいような内容であっても、だ。
結局、右肩に座っていた長門は、五百十二人の全ての長門を代表して俺の家に数学の家庭教師として派遣されることになった。
俺はシャツの胸ポケットにその小型長門をそっと忍ばせて、チャリを飛ばし我が家へ向かってペダルを踏み続けた。胸ポケットの長門は、ポケットの端を両手でつかんで頭だけポケットから出し、気持ちよさそうに短い髪を風になびかせている。
「長門、お前、なんか楽しそうだな」
くるっと振り向いた長門は俺を見上げて、
「そう? 気のせい」
と、だけ言うとまた前を向いた。
「まぁ、いいけどな」
赤く染まる遠くの夕焼け空の下、誰にも会いませんようにとお願いしながら、俺は自宅へと急いだ。

 幸い、家に帰りつくまで、知り合いに会うことは無かった。
玄関先にチャリを置いた俺は、誰にも見つからないようにポケットに入れたままの長門を俺の部屋まで運び込んだ。長門に自由に行動してもらうのは、家族が 寝静まってからのほうがいいと判断した俺は、とりあえず長門には本棚の隅っこに隠れておいてもらうことにした。妹のやつはいきなり俺の机の引き出しを開け ることもあるからな。
「しばらく不便をかけるが、ちょっと我慢してくれよな」
「いい。ここでじっとしている」
「うん、すまん」

その夜遅く、俺は小さくなった長門から数学の課題についての講義を受けた。大きさにかかわらず長門は長門であるわけで、簡単かつ的確なコーチングは俺の小さな理解力のキャパシティにはぴったりだった。
もちろん、それでも俺には荷が重い問題もあったわけだが。
「……ということ、ポイントはその一点にしぼられる」
「うーん、ちょっとよくわからないけど……」
「だから……」
俺の机の上で開いたノートの横に立った長門は、ちょっとあきれたように、でも淡々と説明を続けようとした。俺は、その説明をさえぎるように、
「なぁ、長門……」
「なに?」
「いっそ、数学の時間にさ、また胸のポケットにでも隠れておいて俺に答えを教えてくれよ。そのほうが楽だし……」
「だめ。それではあなたのためにはならない」
ぎゅっと腕組みした長門は、体が小さくなっても大きな黒い瞳を輝かせながら机の上から俺のこと睨みつけている。
「じょ、冗談だよ、そんなことをして、お前のことがクラスのやつにばれたら一大事だ」
そう、ハルヒにでも気づかれたら大事だ。たとえ長門がフィギュアのようにじっとしていてくれても、俺がそんなものをポケットに忍ばせていることがハルヒの知るところになれば……。

その時、長門は少し遠い目をしながら何かをつぶやいた。
「……遮蔽シールドは可能……」
「え、なんだって?」
「なんでもない。次!」
「厳しいなぁ……」

結局、午前二時ごろまで長門の特訓は続いたが、さすがにもう限界だ。
「長門、今日はこれぐらいでいいだろう。もう眠いし、勘弁してくれよ」
長門はふっと息を吐くと、
「……了解した」
といってノートの上にぺたんと座り込んだ。そういえば、こいつも立ちっぱなしだったな。
「お前も疲れただろ、お茶でも飲むか?」
といってから、初めて気づいたが、そもそも小さくなった長門はお茶とか飲めるのか?
「大丈夫。特に食物を摂取することは必須ではなく、このままでも活動することは可能」
「食べなくても平気なのか」
「そう、平気。もちろん食べることも可能。その場合、摂取した食物は適度にエネルギーに変換されるだけ」
「そ、そうか、便利なもんだな」
「便利」
俺は食べる楽しみが必要ないことを便利とは言いたくは無いが、ま、いいか。
もし、このサイズの長門が何か食べないといけないとしたら、おれはおままごとサイズの食器に本物の食べのもを用意してやらないといけなくなるところだったしな。

「お前、どこで寝る?」
ベッドの布団をセットしながら振り返って、机の上で俺が持っていた文庫本を読んでいる長門に話しかけた。まさか、長門とベッドで一緒に寝るわけにはいかないからな、たとえ小さくても……。
俺は部屋の中を見渡して、なにかよさそうな寝床がないか探してみた。
「そうだな、たんすの引き出しにタオルとか入っているからそこでもいいか?」
「そこでいい、ありがとう」
机のそばに行って両手で受け皿を作ってやると、長門はその上にぴょんと飛び乗って立て膝をついた。俺はその長門を落とさないように気をつけて、たんすの一番上の引き出しのタオルの上にそっと運んだ。
「よかったらさっきの文庫本もとって欲しい」
「ん、わかった」
俺が机の上に残された文庫本を取り上げて振り返ると、タオルの布団の上の長門は薄いグリーンで縦横にストライプが入ったパジャマに着替えていた。
「あれ? お前、いつの間に着替えたんだ? 制服はどうした」
「パジャマに改変した」
「……便利、だな……」
「便利」

文庫本もタオルの上においてやると、長門は「ありがとう」と、ひとこと答え、よいしょという感じでページをめくり、さっきの読みかけのページを開いた。二十センチほどの長門の身長からすると、文庫本のページをめくるのも大変そうに見えるのだが……。
俺はたんすの上に電気スタンドをセットすると、
「照明はつけたままでもいいから、お前も適当に寝てくれ」
とだけ言い残してベッドにもぐりこんだ。
しばらく、文庫のページをめくる音だけが響いていた。俺はベッドの中で天井を見つめながら、たんすの引き出しで文庫本を読みふける有機アンドロイドの不思議な生態に思いを馳せていたが、予想通りあっという間に眠りに落ちた。

「……はよう」
「……ん、……んん?」
「……おはよう」
変な夢を見ていた。小さくなった長門の群れに襲われて、むりやり勉強をさせられている夢だ。そんな夢から現実世界に引き戻してくれたのは誰だ?
ぼんやりと目を開けると、だんだん視界がはっきりしてきた。
俺の胸の上に立って俺のことを見下ろすように覗き込んでいる小さなセーラー服の人形がいる。驚いた俺は、その小さなフィギュアをおもわず跳ねのけそうになったが、なんとか完全に目覚めることができた。
「な、長門ぉ?」
「おはよう」
ベッドの上に体を起こそうと動き出すと、長門はぴょんぴょんと飛び跳ねるようにして俺の膝のあたりまで降りてきて、
「今日もいい天気」
といって俺のことを見上げている。
「お前、どうやってここまで来たんだ? 確か向うのたんすの引き出しに……」
「乗り越えてきた。特に困難はなかった」
そこで長門はわずかに首をかしげると、
「もうすぐお昼。だから起こそうとした。もう少し寝ていたほうがよかった?」
「いや、ありがとう……。お前もよく寝られたか?」
「柔軟剤の香りが気持ちのよいタオルだった」
「そ、そうか」
機会があったらお袋に伝えておこうか。

 

 昼間まで寝ていたおかげで、両親も妹も俺のことをほっといて出かけてしまったようだ。まぁ、ある意味助かった。
俺は長門を手のひらに乗せて一階のリビングに降り、テーブルの上に長門をそっと降ろしてやった。
「ちょっと食いもん探してくる。しばらくここで待っててくれ」
「了解」

キッチンの戸棚にあったメロンパンと、冷蔵庫から牛乳とフルーツの入ったヨーグルトを取り出してリビングに戻ると、長門はリモコンを操作して、テレビのチャンネルを変えていた。
「何か面白い番組やってるか? 日曜の昼はたいした番組はやってないと思うけどな」
テーブルにパンと牛乳を置きながら、ほぼ身長と同じサイズのリモコンと格闘している長門に話しかけると、
「わたしの家にはテレビがないから」
といって、リモコンの上に座り込んだ。
「だからテレビぐらい買えって。その程度のものなら、お前の親玉がなんとかしてくれるだろ?」
「……今度、要請してみる」
「それより、パン食うか?」
昨日の夜、小型長門は特に食べる必要は無いようなことを言っていたが、俺はメロンパンの端っこをちょっとちぎって長門に手渡してやった。
「ありがとう」
その小さな切れ端は、小型化長門にとっては、食パン一斤ぐらいのサイズに感じられた。長門はその切れ端をさらに小さくちぎって口に入れると、
「おいしい」
といって、小さく微笑んだように見えた。

テレビでは再放送らしきバラエティ番組をやっている。俺はそんな番組をぼんやりと眺めつつパンをかじりながら、
「長門、これからどうする? マンションまで送ろうか。もうお前の親玉が事態を解決してくれているんじゃないのか?」
リモコンを椅子代わりにして同じようにパンをつまみながらテレビを見ていた長門は、
「まだ、解決策は見つかっていない。今、マンションに帰ってもどうしようもない。それより昨夜の続き。もう少し課題に取り組んでおくことをお奨めする」
「えええー、まだやるのかよ」
さっきのは正夢だったのか……。

月曜日。
長門の特訓のおかげで、数学の課題は難なくクリアすることができた。谷口が信じられないという目で俺を睨みつけていたのが気持ちよかったね。
昼休み、その谷口と国木田にさっきの数学の件を問い詰められたが、
「たまには俺も勉強するんだよ」
「うそつけ、たまたまヤマがあたっただけだろうが」
「運も実力のうちさ」
「けっ」
悔しそうにウインナーを頬張っている谷口を尻目に、あっという間に弁当をかき込んだ俺は、それ以上突っ込まれないうちに教室を飛び出して部室へと逃亡した。

たぶん朝比奈さんはいないはずだが、ついいつもの習慣でノックしてしまった。当然のように返事が無いことを確認した後、一呼吸おいてドアを開けて部室に足を踏み入れた。
部室の奥、いつもの窓辺の席に座って分厚い本を読んでいる小柄なセーラー服姿を視界の中に認識した俺は、
「よお、無事に復活したんだな」
といって、俺もいつものパイプ椅子に腰を下ろした。
「いつ元通りになったんだ?」
「今朝早く、やっと抗ウィルス対策が完了し、有機情報因子の再結合が行われ、ほぼ元に戻ることができた」
「よかったな」
本を閉じた長門は、小さく頭を下げた。
「しかし、お前の親玉にしては仕事が遅かったんじゃないか」
「そう。でもそのおかげであなたも助かったのでは?」
「うん、そうだな。確かにいろいろと世話になった。おかげで数学の課題も何とかなったし、ありがとうな、長門」
ほぼ復活した長門は瞬きをぱちりとすると、
「その礼なら、そちらにいるわたしにして欲しい」
「う、うん」

俺は、視線を落として、胸のポケットを覗き込んだ。
すっと幕が開くように微妙な影が動くと、ポケットの中から俺のことを見上げている小さな長門が現れた。
「運よくヤマが当たったのではなく、わたしの特訓と遮蔽シールドのおかげ」
「……すまん」

そう、俺の専属家庭教師だったミニチュア版の長門は、実はまだ俺のポケットの中にいるのだった。

Fin.

 

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最終更新:2020年09月12日 10:47