「うーん、いい天気ね」
日曜日の昼、外は快晴、不思議探索にはもってこいよ。
こういう時にはまずキョンに電話ね。今ちょうど12時か。2時集合にしよう。
うーん、なかなか出ないわね。たるんでるわよ、キョン!
「遅ーい、何やっているのよ、キョン!」
「……ハルにゃん?」
あれ、妹ちゃんだわ。
「そうよ、こんちは。キョンは?」
「今、病院に行っているの」
「病院? 何かあったの?」
「ウン、お母さんが倒れちゃって……」
「エッ、どうしたの? 病気?」
「ウウン、今日朝比奈さんがお父さんと一緒に来たの」
なんで、みくるちゃんのお父さんがキョンの家へ……
「あのね、お兄ちゃんが朝比奈さんをニンシンさせちゃったんだって」
……キョンがみくるちゃんを妊娠させた……何よ、それ……
「それで朝比奈さんのお父さんが

 『娘はまだ高校生なんだから子供は堕ろさせる、いいね』って言ったの。
 お兄ちゃんが『……ハイ』って小さな声で答えた途端にお母さんが倒れちゃって……」
……子供を堕ろす……
「ねえ、ハルにゃん、『子供を堕ろす』ってどういう意味? 赤ちゃんは大丈夫なの? ねえ、ハルにゃん?」
あたしは妹ちゃんの問いかけに答えることもなく携帯を切った。

 

 

そ、そんな、バカな……
キョンがみくるちゃんを妊娠させただなんて……
そんなの信じられない!

でも、キョンはいつもみくるちゃんのことを見ていた……
今年初めだって、ハカセくんが二人がデートしているのを見かけたのよね。
きっと、それ以外でも頻繁に会っていても別に不思議ないわ。

 

キョンはあたしのことなんか全然気にしてくれなかった。
いつも、キョンはみくるちゃんのことをかばっていた。
あたし、そのたびにどんどん嫌われていったのかな。

そう言えば、みくるちゃんは今週落ち着かなかった。
あたしとキョンの方をチラチラみていたわよね。
あれは妊娠がわかったから?
でも、なぜあたしのことも見ていたの?
みくるちゃんはあたしの気持ちに気付いていたのかしら。
あたしがキョンのことを好きなことを知っていたのにキョンと……
バレンタインデーの頃にはもう付き合っていたの?
あたしが一生懸命プレゼントを作っても無駄なことだってわかっていたの?
ひどい!
みくるちゃん、ひどすぎるよ!

 

みくるちゃん!
なんで、キョンなのよ!
みくるちゃんなら他にいくらでもいい相手がいるでしょう。
……あたしにはキョンしかいないの。
キョンなんかどこが良かったのよ。
バカでスケベでいつも文句ばかり言って……
でもいつもあたしのそばにいてくれた……
キョンといるとそれだけで楽しかった……

 

どうすれば、キョンはあたしのことが好きになってくれたのだろう。
もしやり直せるのなら、あたし、キョンが望む女の子になる……
……
でも無理よね。あたしがみくるちゃんになれるわけなんかない。
それに、もう遅いわよね。
もう、みくるちゃんのおなかの中にはキョンの子供までいるんですもの。
今さらどうにもならない……
そんなことわかっているはずなのに……涙が止まらない……


もし、みくるちゃんさえいなければ……
……
嫌! 自分がこんなに嫌な醜い人間だったなんて……
……
それに、たとえ、みくるちゃんがいなくても、キョンはあたしのことなんか見てくれないよね……
有希、それとも佐々木さん……鶴屋さんとも仲がいいし……
あたしのことなんか……

 

あの時みたいにキョンと二人だけの世界に行けたら……
二人だけの世界なら、あたしを選んでくれるよね。
……やっぱ、ダメ。
あの時だって、キョンは二人だけの世界から元の世界へ帰りたがっていた。

 

あたしとキョンの間には結局何も無かった。
あったことと言えば、あの夢だけ?
まるで小学生みたいよね。
夢の中のキスだけしかなかったなんて、キョンから見れば何も無かったということだものね。
一度だけでいいから抱き締めてもらいたかった……
……
ウウン、一度だけでもいいなんて嘘よね。
一度でも抱き締められたら、きっとずっとそばにいて欲しくなるに決まっているわ。

 

キョンはもう、みくるちゃんだけのものになってしまった。
もう遅いのよね。
キョン、キョン、ずっとそばにいて欲しかったのに。

 

みくるちゃんとキョンの赤ちゃん、きっと可愛いだろうなあ。
みくるちゃんが赤ちゃんを抱いている姿が頭に浮かんでくるわ。
その傍らにはキョンが、優しくてあたたかい視線で二人を見守っているの。
その姿があたしの頭から離れない。
……あたし、キョンと結ばれて、キョンの子供を産みたかった。
キョンならきっと優しくしてくれたはず。
キョンがみくるちゃんを好きでもいい。あたしもキョンに抱かれたい!
……
ウウン、やっぱり違う。キョンに愛されなきゃ嫌!
体だけの繋がりなんて嫌!
……でも、もう遅いのよね。

 

キョン、赤ちゃんを堕ろすって本当なの?
キョンの子供なんでしょう。
絶対に命を奪うようなことをしてはダメよ!
もし、キョンとみくるちゃんが育てられないのなら、あたしが育てたっていい!
一生結婚なんかしない。
キョンの子供なら絶対に絶対に大切にする。
もうあたしにできることなんてそんなことしかないのだから……
だから産んで、お願いだから……

 

 

 

結局、一睡もできないまま朝を迎えてしまった……
顔を洗いに洗面台に行き自分の顔を鏡で見た。
泣き腫らした眼、目の下にできたクマ、乱れた髪……
最悪の朝ね……

 

 

 

ハー、いつかのハルヒの言い草じゃないが、今日ほど休みたいと思った事は無いね。
ただでさえ月曜の朝は気だるいのに、昨日の騒ぎは肉体的にも精神的にもこたえたぜ。
教室に着いてハルヒの様子をうかがうと、不機嫌MAXだ。
妹の話ではハルヒから電話があったそうだが、どうせ不思議探しの招集だろう。
俺が行かなかったせいでゴキゲンナナメというわけか。
俺にだってよんどころのない用事があったわけだが、ここは大人の対応といくか。
俺は精一杯の作り笑いを浮かべながら、
「よお、ハルヒ、おはよう」
ハルヒは俺の方を振り返ると、スクッと立ち上がり、
「キョン! あんた、ニヤニヤしていられるような立場なの!」
ウン?
ハルヒは俺のネクタイをつかみながら、
「あんたが妊娠させたんでしょう! きちんと責任を取りなさいよ!」
ハルヒの両方の目から大粒の涙がこぼれおちている。
く、苦しい、ネクタイを引っ張るな、息ができない。
「おなかの子に何の罪も無いのよ。 それを堕ろそうだなんて、あんた、それでも人間なの!」
このままだと、まもなく元・人間になってしまいそうだ。
いつの間にか、担任の岡部が教室に来ていた。
「お、おい、涼宮」
「うるさい!」
ハルヒは岡部を一喝すると、ネクタイをつかんだまま、俺を部室へと引きずっていった。
もし北高が阿房宮並みの広さだったら、俺は絶命していたに違いない。
部室に着いて、やっと解放された。
「キョン! あんた、どうするつもりよ!」
ゼーゼー。
「みくるちゃんを妊娠させて、しかも堕ろさせるなんて、絶対に許さないから!」
俺が朝比奈さんを妊娠させた? そんな夢みたいな……いや、信じられない話があるわけないだろう。
「シラをきるんじゃないわよ。昨日、妹ちゃんから聞いたんだからね。
 『お兄ちゃんが朝比奈さんをニンシンさせちゃった』ってはっきり言っていたわよ!」
……ああ、なんだ、そういうことか。
ハルヒ、うちの妹はおまえと同じで、俺のことを「キョンくん」、朝比奈さんのことを「みくるちゃん」と呼ぶだろ。
「それがどうしたのよ!」
妹が言っていた「お兄ちゃん」というのは俺のことじゃない。そう呼んで欲しいのはやまやまだがな。
「嘘! あんたは妹ちゃんと二人兄妹じゃない!」
去年の夏休みに田舎で従兄妹や甥や姪の相手をしたと言っただろう。
俺には、妹の他に、二人の子持ちの姉貴と大学生の兄貴の二人の兄姉がいる。
「……じゃ、じゃあ、妊娠させたのは……」
大学生の兄貴だ。東京の大学に通っている。
二人とも普段は地元を離れているからハルヒとは会った事がないはずだ。
ついでに言っておくと、朝比奈さんというのは東京の女子高生で兄貴の恋人だよ。
こっちの朝比奈さんと偶然苗字が同じだからまぎらわしいけどな。
以前、一度ウチに遊びに来たこともある。そういえば、ふわふわした雰囲気は似ているかな。
うん、どうしたハルヒ?
どうやら誤解は解けた……ようなのだが……
ハルヒはペタンとその場に座り込んで泣きじゃくっていた。
こいつ、まさか、俺と朝比奈さんのことを嫉妬して、あんな暴走を……
そういえば、忘れもしない、あの閉鎖空間ができた時も……
「ハルヒ、俺にとって朝比奈さんはアイドルみたいなものだ。 憧れてはいるが、恋愛対象じゃない」
「……だったら、キョンは誰が好きなの?」
ハルヒが真顔で正面から俺を見つめている。
お、おい、待て。
「あたし、つらかった。
 キョンがもうあたしのそばからいなくなってしまう、そう思うと一睡もできなかった。
 キョン、あたし、キョンのことが……好き……
 ずっと、そばにいて欲しい……」
最後の方は完全に涙声になっていた。
俺はハルヒの思わぬ告白に言葉を失った。
ハルヒはそんな俺の沈黙を拒絶と受け取ったのか、顔をうつむかせ肩を小刻みに震わせた。
断言しよう。
100人の男がいれば95人は俺と同じ行動を取るはずだ。
残りの5人? そいつらはゲイだ。 ハルヒが言うんだから間違いない。
俺はハルヒの前にひざまづき、ハルヒをギュッと抱き締めた。
ハルヒは一瞬体を硬くしたが、すぐにその柔らかい体を俺に委ねてきた。
俺はハルヒと唇を重ねた。
ずっとこのままでいたい……
ハルヒも同じ気持ちだったのかもしれない。
いったいどれだけの時間俺たちはキスをしていたのだろう。
やがて、唇が離れた。
「……バカキョン、あたしのことが好きなら最初からそう言いなさいよね」
多少はいつものハルヒらしさが戻ってきたようだ。
でも、真っ赤な顔で涙を拭きながら言われてもなあ。
「ねえ、キョン、一つ聞いてもいい?」
なんだ?
「もし、あたしたちもお兄さんたちのようになったら、キョンならどうする?」
もう妊娠の心配か?
俺なら、ハルヒとおなかの赤ん坊と俺の三人が何とかして幸せになる方法を必死で考えるよ。
「考えるだけ?」
行動力なら、ハルヒの方があるだろう。
ハルヒがふき出した。
「……バカキョン」
今日初めてハルヒの笑顔を見たような気がするな。
「ねえ、そう言えば、お兄さんたちの話はどうなったの?」
えーと、オヤジがオフクロを病院に迎えに行って……もうすぐ昨日の話し合いの続きが始まる頃だな。
「キョン! 行くわよ!」
どこに?
「あんたの家に決まっているでしょう!」

 

ハルヒが何を考えているのか俺には当然わかる。
それが兄貴たちや周囲の者にとって最善の選択なのかどうか、俺にはわからない。
だが、ハルヒの考えに俺も賛成だ。
ハルヒと俺は坂道を駆け下りて行った。
ハルヒは走りながら携帯でどこかに電話をかけている。
俺の前にいるからどこにかけているかわからないが、器用な奴だ。
駅前の駐輪場に着くと、ハルヒは荷台に飛び乗った。
俺は我が家に向けて全速力で駆けて行った。
おい、ハルヒ、そんなにくっつかれると、その柔らかいものが……
「エロキョン、そんなこと気にしている場合じゃないでしょ!
 それにキョンになら……」
語尾が聞き取れなかったのだが。
「早く行けって言ったのよ!」
やれやれ。

 

ウチにつくと応接間から、朝比奈さんのお父さんの声が聞こえる。
「私の考えは変わりません。娘はまだ高校生です。子供は堕ろします。いいですね」
バーン
ハルヒは応接間のドアを力一杯開けた。部室のドアじゃないんだから、もう少し静かに開けてくれ。
「ちょっと待った!」
「ハ、ハルヒちゃん?」
オフクロが驚いている。まあ、当然だ。
「君は誰だね?」
朝比奈さんのお父さんも突然の闖入者に驚いている。
ハルヒは初対面のはずの兄貴を指さし、
「あたしは彼の弟が入っているSOS団の団長よ」
「……何だか知らんが、今は双方の家族にとって重要な話し合いをしているんだ。部外者は出て行きたまえ」
ごもっとも。
「あたしは部外者なんかじゃないわよ。このキョンの婚約者なんだから家族の一員といえるでしょう」
ハルヒは俺の腕に抱きつきながら、理解不能な発言をした。
ハルヒ、いつ、おまえが俺の婚約者になったんだ。小一時間ほど問い詰めたいね。
見ろ、オヤジもオフクロも口をアングリとしているぞ。
朝比奈さんのお父さんはハルヒの傍若無人なパワーにあてられたようで、
「わかった。座りたまえ」
「もちろん、座らせてもらうわ」
ハルヒは俺の腕をつかんだまま、ソファに腰を下ろした。
そして兄貴の恋人である朝比奈さんの方を向くと、ニッコリと天使の笑みを浮かべながら、
「赤ちゃんは産みましょうね」
それまで言葉を失っていたオヤジがあわてて、
「ハルヒちゃん、話はそんな簡単ではないんだよ」
そうだよな。もし俺に高校生の娘がいて妊娠したら悩むに決まっている。
俺とハルヒの娘か。ハルヒ似なら、とんでもない美少女だろうな。
「キョン、何をにやけているのよ」
いや、父親の気持ちになっていた。
ハルヒがあきれはてたような顔で何かを言いかけた時に、
「ただいまー」
と大声をあげて妹が帰ってきた。
アレ? 今日は六時間授業だろう。何をやっているんだ、アイツは。
俺たちも人のことは言えないが。
「あたしが呼んだのよ」
さっきの携帯か。
ハルヒは応接間に妹を呼び込むと、朝比奈さんのお父さんの方を向かせた。
「ねえ見て、妹ちゃん、可愛いでしょう。
 今おなかの中にいる子もこの妹ちゃんと血が繋がっているのよ。
 あと何年かしたら、こんな可愛い子に育つのよ」
少なくともあと12年はかかるぞ。
「お願い、命を奪うようなことはしないで」
真剣な表情のハルヒ、そして今一つ事情が呑み込めないままじっと見つめる妹。
沈黙の時間が流れた。
そして兄貴が、土下座をしながら、
「お願いします、産ませて下さい」
その場にいた全員が笑顔で静かにうなずいた。

 

深刻な家族会議の場は一転して、婚約パーティーと化してしまった。
兄貴と恋人の朝比奈さん(面倒なので以下では朝比奈さん(義姉))の婚約はわかるが……
なぜか、俺とハルヒの分も合わせてだ。
誰か俺とハルヒの婚約なんていう与太話、疑う奴はいないのか。
ハルヒは朝比奈さん(義姉)のお父さんと意気投合し、ビールで乾杯していた。
だが、昨夜一睡もしなかったのは事実らしく、珍しいことにすぐに酔いつぶれてしまった。
上機嫌のオフクロが、
「キョン、ハルヒちゃんをあんたのベッドで寝かせてあげなさい」
ハイハイ。
「お嫁さんは大事にしなければダメよ」
なんだよ、みんな、ニヤニヤしてこっちを見るんじゃねえ。
俺はハルヒをお姫様だっこして二階の俺の部屋に連れて行った。
背中に妙に生温かい視線を感じたのは気のせいだろうか。

俺は熟睡しているハルヒの傍らにずっといた。
こうして寝ている姿は朝比奈さん(SOS団)にも勝るとも劣らない最高級の美少女なんだよな。
「ハルヒ、愛してるよ」
こういう時でないと、こんなセリフ言えないな。
俺はハルヒのきれいな黒髪を撫でた。
一度触れてみたかったのだが、いつもなら「エロキョン!」と言われぶん殴られるところだ。
だが、今はいいよな。俺はハルヒの婚約者なんだからな。たとえ、それが出まかせでもな。
「出まかせ?」
ハルヒはむっくりと起き上がった。
お、おまえ、起きていたのかよ。
「キョン、あたしと結婚したくないの?」
だ、だから、その上目遣いはやめろ、それは禁じ手だ。雷電のさば折り並みの破壊力だからな。
「そんなことはないさ」
おい、俺のバカ、後先考えてものを言え。
バカ、キ、キスなんかするな。
俺の中で慎重派が必死で叫ぶが、多勢に無勢であっさりと瞬殺されたようだ。
再び長い長いキスだった。
誰に教わったわけでもないのに、互いに自然に舌を絡めあっていた。
制服の上からハルヒの豊かな胸の膨らみに触れた。ハルヒは拒もうとしない。
俺はこのまま押し倒してしまいたい衝動にかられた。
「キョンくん、ハルにゃんはもう起きた?」
妹よ、頼むからノックの習慣を身につけてくれないか。
「あー、キョンくん、ハルにゃん、キスなんかして大丈夫? 赤ちゃんできちゃうよ」
おーい、誰か妹に正しい性教育をしてやってくれ。ただし実技抜きでな。

 

兄貴は子供を産むことを前提に今後のことを話し合うために朝比奈さん(義姉)たちが泊っているホテルに行った。
ウチでは、会社をさぼったオヤジと、学校をさぼった俺・妹・ハルヒが揃い、賑やかな夕食の時間になった。
昨日倒れたオフクロに代わり、ハルヒが既に嫁入りしたが如く料理を作っていた。
制服にエプロン姿で甲斐甲斐しく料理をしているハルヒもいいものだ。
「ねえ、キョン、ちょっと味見して」
あ、ああ、いいんじゃないか。
「もー、キョンたら」
ハルヒは得意のアヒル口をしながらも楽しげだ。
オヤジとオフクロと妹の意味ありげな視線さえ無ければ、俺ももっと楽しいんだがなあ……
「ハルヒちゃん、キョンのことよろしくね。見捨てないでやってね」
「ハルにゃん、本当のお姉ちゃんになってくれるんだね」
「キョンにハルヒちゃんみたいに美人の嫁さんが来るとは思わなかったよ」
おい、オヤジ、俺にはあんたがつけた立派な名前があるだろう。ハルヒに合わせてキョンなんて呼ぶんじゃねえ。
俺以外のメンバーがなぜかみんな極めてハイテンションである夕食を終え、俺はハルヒを送って行った。
もうハルヒはいつもの調子を取り戻していた。
いつもと違うのは別れ際にまた長いキスを交わしたことぐらいだろうか。
その晩遅くには、涼宮家との電話会議の結果、満場一致で俺とハルヒの婚約は承認された。
やれやれ。

 

翌朝、俺は前日ハルヒに約束させられた通り、家まで迎えに行った。
呼び鈴を鳴らすと、ハルヒではなく、お母さんが出てきた。
「おはようございます」
「おはよう、キョンくん。
 ありがとうね。ウチのバカ娘をもらってくれるのなんて、キョンくんだけだものね」
あのー、そのバカ娘が後ろで睨んでいるのですが……
「はい、キョン、これ持って」
なんだ?
「二人分のお弁当よ」
ソッポを向いてはいるが、耳まで赤いぞ。
「ハルヒ、そんなにツンツンしているとキョンくんに嫌われちゃうわよ」
ハルヒは不安げな顔でチラチラと俺の方に視線を向けてくる。
おいおい。
ハルヒを自転車の荷台に乗せ駅まで行き、そこからは歩きだ。
駅から学校までの坂道、ハルヒは人目もはばからず、ずっと俺の手を握っていた。
周囲の連中が俺たちのことを見てヒソヒソと話をしているのも気にはなったが、それ以上にハルヒの様子が気になった。
100ワットの笑顔を見せたかと思うと、寂しげな表情を見せたり、落ち着かない。
しょせんはハルヒの独り相撲だったとはいえ、妊娠騒動はハルヒにトラウマを与えたようだ。
こんなふうに不安そうな顔をするハルヒも悪くは無いがちょっと違うな。
「ハルヒ、何があってもずっとそばにいるからな、心配するな」
「な、何を、こ、こんなところで言っているのよ、バカキョン」
そう言って真っ赤な顔になりはしたが、ハルヒは俺の手を強く握り締め、教室に着くまでずっと笑顔のままだった。

 

ハルヒにとってはどうだか知らんが、俺にとってはいつもよりずっと早い登校時間だった。
ハルヒが手を放してくれないので、手を繋いだまま教室に入っていくと、クラスの連中がほとんど登校していた。
あれ、今日は何かイベントでもあったか。
俺たちが「おはよう」と挨拶をして席に着くとみんなに取り囲まれた。
おいおい、なんだよ。手を繋いでいたのがそんなに大事件か。
谷口が口火を切った。
「おい、キョン、結局、産むことになったのか?」
ウン? そういえばハルヒのことばかり気にしていたから忘れていたが、昨朝大騒ぎしたんだっけ。
「ああ、産むことになった」
クラス中で大歓声が沸いた。地元の野球チームが二十年ぶりに優勝したような騒ぎだ。
俺の兄貴のことで喜んでくれるのはありがたいが、少々大袈裟じゃないか。
阪中が目を輝かせながら、
「それで、涼宮さん、お母さんになる気持ちはどんな感じなのね?」
「は?」
ハルヒはキョトンとしている。それは俺も一緒だ。
谷口があきれ顔で、
「おいおい、みんな昨日の朝のやり取りを聞いて心配していたんだぜ。
 涼宮、キョンの子供を産むことになったのなら、今の気持ちくらい教えてくれてもいいだろう」
……えっ、ちょ、ちょっと待て……
俺は昨朝ハルヒが泣きながら叫んだ言葉を思い出していた。

 

  「キョン! あんた、ニヤニヤしていられるような立場なの!」
  「あんたが妊娠させたんでしょう! きちんと責任を取りなさいよ!」
  「おなかの子に何の罪も無いのよ。 それを堕ろそうだなんて、あんた、それでも人間なの!」

 

これではまるで俺がハルヒを妊娠させて堕ろさせようとしていたみたいじゃないか!
ハルヒも同じことに気付いたようだ。二人とも真っ赤になった。
「ち、違うのよ。あれはキョンのお兄さんの話なのよ。それをあたしが勘違いして」
「なーんだ、涼宮さんたちの話じゃなかったのね」
「そ、そうよ、あたしたちはまだそんなことは」
ハ、ハルヒ!
阪中はニッコリすると、
「ふーん、じゃあまだキョンくんはフリーなのね。キョンくん、今度デートするのね」
「ダ、ダメよ! キョンはあたしの婚約者なんだから!」
ハルヒさん、今、自分が何を口走っているか、わかっていますか。
それから、みんなが見ている前で俺の腕に抱きつくのは勘弁願えませんか。
「こ、婚約者?」
谷口が思考回路をショートさせたらしい。代わって国木田が、
「水臭いな、涼宮さんもキョンも。婚約したことをずっと伏せていたのかい」
「そ、そんなこと無いわよ。婚約したのは昨日だもん」
ハルヒ……
誰か、助けてくれ!
「おーい、ホームルームを始めるぞ」
岡部か! 救いの神だ!
「キョン、涼宮、放課後、職員室に来い、いいな」
どうやらそうでもなかったようだ。
やれやれ。

 

休み時間のたびに、国木田・阪中両レポーターによる緊急記者会見が行われた。
舞い上がり気味のハルヒは言わなくてもいいことまで口走っていた。
しかし、俺が泣きながら告白をしハルヒがしぶしぶ受け入れた、というのはあまりにもひどい歴史の捏造ではないのかね。
大本営でもそこまではやらなかったと思うが。
ハルヒに恥をかかせるのもかわいそうだから、この場は黙っていてやる。
どうせ誰も信用していないようだしな。
その代わり、後で二人きりになったら、たっぷり説教してやるぞ。
昼休みには、他のクラスからも見に来る奴らもいて、せっかくハルヒが作ってくれた弁当もゆっくり味わえなかった。
放課後、職員室に出頭すると、既に事情は伝わっていたようだ。
一通りの注意を受けた後、教師一同から「おめでとう」という祝福の言葉と拍手をもらった。
ハルヒは珍しく神妙な顔で深々とお辞儀をすると「ありがとうございます」と礼を言った。
教師たちには、これで少しはハルヒがおとなしくなってくれればという雰囲気があったが、あまり俺に期待しないでくれよ。

 

俺たちはその足で部室に向かった。
ドアを開けるとクラッカーが鳴り響き、SOS団の3人と鶴屋さんが口々に「おめでとう」「おめでとうございます」と言ってくれた。
テーブルの上には飲み物やお菓子が満載で、ホワイトボードには祝いの言葉が書かれていた。
短い時間の間にパーティーの準備を整えてくれたようだ。
みんな、本当にありがとう。
ところで、古泉、情報は正しく伝わっているんだろうな。
「ええ、あなた方ができちゃった婚をするという話なら」
……殴るぞ。
「冗談です。一部では情報の混乱が見られますが、大多数には正確な情報が伝わっています」
「昨日はキョンくんが涼宮さんを妊娠させたという噂が流れて大騒ぎだったんですからぁ」
朝比奈さん(SOS団)、俺もハルヒに誤解されて大変だったんですから。
ハルヒの方を振り返ると、珍しく複雑な表情で朝比奈さん(SOS団)を見ていた。
一晩中、俺と朝比奈さん(SOS団)のことを誤解していたのだから、いろいろあるのだろう。
「みくるちゃん、ごめんね」
「どうして謝るんですかぁ、涼宮さん?」
朝比奈さん(SOS団)が小首を傾げている。
お互いのために、それ以上は追求しない方がいいような気がしますよ。
「いきなり婚約とは、めがっさ驚いたにょろよ。 さあ、全部白状してもらうにょろよ」
鶴屋さんのハルヒへの追求が始まった。
それを横目で見ながら古泉が近づいてきた。
顔が近いぞ。
「妹さんが携帯を預かっていたので連絡が取れませんでしたが、日曜の昼12時から月曜の朝8時にかけて世界は崩壊寸前でした」
そうだろうな。
「ひとごとのように言わないで下さい。
 瞬く間に、地球の表面積の99.9999999%が閉鎖空間に覆い尽くされました」
9がいくつあるんだ?
「9つです。
 突然一気に閉鎖空間が世界中に広がったので『機関』は最悪の状況を覚悟しました。
 しかし、あなたの家の周囲1平方キロ弱だけがずっと残されたのです。
 その後20時間にわたり我々は強力な神人と不眠不休の戦いを余儀なくされました」
迷惑をかけたな。
「何があったのか、教えていただけませんか」
俺は一連の出来事を手短に語った。
俺の家の周辺が残されたのはハルヒが赤ん坊を救いたいという気持ちを持っていたからかな。
「驚きましたね。 勘違いが原因であわや世界崩壊とは。 しかも、一転して婚約ですからね」
俺の方が驚いているさ。二日前には赤の他人だったのにな。
「フフフ、表面上はそうだったかもしれませんが」
なんだよ、その表面上というのは。
その時、俺の携帯が鳴った。
「もしもし……ハルヒ? ああ、いるよ……わかった」
兄貴からの電話だった。
ハルヒは鶴屋さんからプロポーズの言葉を追及され答えに窮していた。
さすがのハルヒもあの時のやり取りは話しにくいらしい。
ハルヒ、兄貴から電話だ。
ハルヒは、助かった、という表情で俺の携帯をひったくった。
「もしもし……あたしが名付け親に? もちろんOKよ!」
兄貴も朝比奈さん(義姉)も無茶するな。
ウン? こちらの朝比奈さん(SOS団)はなぜか喜色満面だ。こういう話が好きなのかな?
「苗字との兼ね合いもあるからね……えっ、朝比奈の苗字を名乗るの?
 そうね、男の子なら、キョンにちなんで『キョウ』はどう?
 『朝比奈キョウ』、かっこいいでしょう」
ハルヒ、俺の本名を覚えているか。
「女の子なら『みくる』よ。朝比奈といえば『みくる』だわ」
そちらは異論が無い。兄貴たちには意味不明だろうが。
あれ、待てよ。
俺は長門の方を振り返った。
まさか、朝比奈さん(義姉)のおなかの子が朝比奈さん(SOS団)じゃないだろうな。
「…朝比奈みくるの異時間同位体はこの時間平面には存在しない。それに胎児は男」
そうだろうな。あと十数年後に時間移動が可能になるとは思えない。
「…しかし、胎児と朝比奈みくるの遺伝子情報は類似点がある。父娘と考えるのが妥当」
……兄貴の孫娘が朝比奈さん(SOS団)だっていうのか……
このところ朝比奈さん(SOS団)が落ち着かなかったのは、もしかすると、このことを知っていたからか。
「キョン、どうしたの? みくるちゃんを見ながらポカンとしたりして」
いや、兄貴の娘がこっちの朝比奈さんに似るのかなと思ってさ。
「似るに決まっているじゃない。妹ちゃんとみくるちゃんはそっくりなんだから」
へっ、そうなのか?
朝比奈さん(SOS団)があわてている。
「笑顔なんか瓜二つよ。
 赤ちゃんと妹ちゃんのDNAは共通しているのだから、みくるちゃんに似ても不思議は無いわよ」
遺伝というのは凄いものだな。
「キョンはみくるちゃんの胸ばかりみていたから、妹ちゃんと顔が似ていることに気付かなかったんでしょ」
ハルヒが小悪魔の笑みを浮かべている。
コイツめ……
ハルヒ、せっかく婚約したんだから、これからはおまえの胸だけ見るようにするよ。
ハルヒの胸もなかなかのものだからな。
「……エロキョン……」
バ、バカ、赤くなって小声で言うなよ、誤解されるだろうが!

 

古泉がいつも以上のニヤケ面で、
「今回は僕が言わせていただきますよ……やれやれ」

 

【「疑惑のファーストキス」へ続きます】

 


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