第六章  
 


  
 翌朝。
 やはり妹のボディアタックによって強烈な目覚めを演じた俺は、さえない気分で朝食を食べ終えたあと自分の部屋で何をするでもなくセミの合唱に耳を傾けていた。
 怠惰な姿勢から身体を少し動かすと、ベッドの枕元に放置されている携帯電話が目につく。こいつは朝起きたときからここにあり、したがって昨日の夜からここにあったということになる。夜のうちに誰かが動かしたという可能性は無視していいだろう。そんなことをしても何の利益も生まれない。
 ようするに、と俺は身体を起こした。
 ここはパラレルワールド、ハルヒが創り出した平行世界である。
 そういう単語だけ聞くと恐ろしい思いになっちまうが、実際は全然そんなことないということを、俺は起きてからの一時間弱で悟っていた。指摘されなければ気づかない程度にいつもと同じ朝である。事実、俺は長門に指摘されるまで平行世界にいたということに気づかなかった。
 それはいいとして、となると、この世界は昨夜ハルヒから電話のあった世界である。その内容はプールがどうのという話であったから、すなわち本日はSOS団でプールに行く予定の日なのだ。
 そういうわけで手元には海パン等が入ったプールバッグが用意されており、サイフには千円札を何枚かしのばせてあって時計は午前八時三十分を示している。駅前集合は九時だったが、やたらに早く行くのもシャクなのでこうして何をするでもなく時間を潰しているのである。
 枕元の携帯電話が着信音を奏で始めたのは、いい加減セミの鳴き声にも飽きてそろそろ駅前に向かうことにしようかと考え始めた頃だった。電子文字が表示している名前は涼宮ハルヒである。
「なんだよ」
 何気なく通話ボタンを押すとすぐさま怒鳴り声が飛んできた。
『遅っいわよバカキョン! 早くしないとプール混んじゃうでしょ! あんた今どこで何やってんの!?』
「あー……」
 家にいるなどと言えるような雰囲気ではない。
「自転車に乗ってそっちに向かう最中だ」
『ふーん、自転車乗りながら電話に出るとはいい度胸ね。今すぐ警察に通報して現行犯逮捕してもらうから、覚悟しなさい』
「お前は俺に早く来て欲しいのか遅れて欲しいのか、どっちなんだ」
『なに言ってるの、それとこれとは話が別よ。いくら急いでるからって市民の掟を破るような団員には、あたしから永遠に活動停止を言い渡してやるわ。だって法律を守れないようなヤツに団の規則なんか守れるわけがないもの』
「……すぐ向かうよ」
 そうとだけ告げると、ハルヒ声がまだ騒ぎ立てていたが無視して電話を切った。脇に準備してあったプールバッグをつかんで、俺はすぐさま部屋を出る。
 今日はプール。
 さしあたり駅までママチャリでぶっ飛ばさなければならんだろう。




 とはいえ、ハルヒの言うように交通法規を遵守していたら駅前までのタイムはいつもとあまり変わらないものとなってしまった。
 集合場所には当然のように他の四人のメンツが揃っており、ママチャリを有料駐輪場に置いて小走りでやって来る俺を真っ先に見つけたのはハルヒだった。
 夏らしい薄着をして、水着入りのビニールバッグを肩にかけているハルヒは、
「警察につかまらなかった?」
 怪しげな笑いを浮かべて訊いてきた。
「ああ、つかまったね。つかまったとも。おかげで遅くなったんだ」
「バカなこと言うんじゃないの。どうせあんた、あたしが電話をかけたときにはまだ家にいたんでしょう」  
 別に見抜かれても構わないウソなので俺は否定も肯定もせず、ハルヒの横にちょこんと可愛らしく立っている団員に目を向けた。 
 俺はオシャレなプールバッグを両手で握っている朝比奈さんに頭を下げながら、
「すみません。待たせちゃったみたいで」
「いえ」
 朝比奈さんは柔らかく首を振って、 
「全然だいじょうぶですよー。まだ、九時にもなってないし」
 俺に満天の微笑みを返してくれた。荒んでいた心が和んでいくのが解るね。俺も暑さをこらえできる限りのスマイルを返す。 
 もう少し朝比奈さんと談笑していたい欲望に駆られながらも俺は視線をさらに横移動させて、すっかり仏像と化している残りの二人を眺めた。
 まず目に入ったのは古泉の微笑である。奴はこの暑さの中、長袖を羽織ってジーンズを穿いていた。俺はその憎らしいほど整った顔に小声で、
「お前もご苦労さんだよな。ハルヒのご機嫌取りと灰色空間を往復して」
 古泉の顔が怪訝そうに歪んだ。
「灰色空間、ですか?」
 しまった。こっちの世界では長門、朝比奈さん、古泉は普通の人間なんだっけ。
「いや、なんでもない。今の会話は取り消しだ」
「SFか何かの用語でしょうか。異空間の一種ですかね?」
「なんでもねえって」
 それでも古泉はしつこく食い下がってきたが、俺が無視しているとそのうちお決まりの苦笑で肩をすくめて見せた。ところで、こいつはこの世界では素でこの性格なのだろうかね。だったら相当イヤな奴である。
 古泉からさらに視点移動を行うと、真昼の月のごとき希薄な存在感を誇る長門の姿が目に入った。汗一つかかずモニュメントか何かと見まごうくらい微動だにしないその光景は目に馴染んだものだったが、長門は今日、珍しく私服だった。白のノースリーブワンピースに麦わら帽子。大方ハルヒに買わされたんだろうが、私服姿の長門というのもそれはそれで映えるものである。一見は地味でパッとしない服だが、長門が着ると妙にマッチングするような気がする。
 そんなことを考えながら無表情娘を観察していると、長門がちらっと俺を見上げた拍子に目が合っちまった。  
「あ……元気か?」
 長門は物珍しそうな目で俺を見てから、やはり三センチくらい頭を傾けるだけだった。
「ほらキョン、有希も、早く来なさい! 急がないと電車に乗り遅れちゃうわよ」
 盛夏のセミにも負けないよく通る声でハルヒが怒鳴る。振り返ると、ハルヒはプールバッグを振り回して駅の構内に入っていくところだった。
 俺は長門を促し、走ってハルヒの背中を追いかけながら、
「なんだよ、市民プールじゃないのか?」
「うん。それでもいいんだけど、あそこは小っちゃすぎるのよね」
 ハルヒは朝比奈さんの手を引きながら言う。
「やっぱりね、高校生のあり余るエネルギーを発散するには、もっとデカイとこじゃないとダメだと思うのよ。ビニールプールで水遊びするより海で泳ぐ方が思いっきり楽しめるでしょ? だから今年は隣町のオープンしたばかりのプールに行くことにしたってわけ」
 お前のそのあり余るエネルギーがどこから来ているのか知りたいもんだ。俺はこの間の夏合宿で一夏分のエネルギーを発散し尽くしちまって、プールにくれてやるエネルギーはもはやどこにも残っていないぜ。おそらく朝比奈さんと古泉も同じだろうが、この二人は既に諦めの境地に達してしまったらしく苦笑を浮かべるだけであり、長門にはもとよりエネルギーを発散する気がない。かくいう俺も真夏の太陽なみに目を輝かせたハルヒに反論を唱える気にもなれず、おかげで今やSOS団は団長の独壇場、まるでファシズムである。もちろん、その一党独裁の時代にははたして恐怖しかなかったかと言われれば、それは違うと答えるだろうけどさ。
 俺は渋々という言葉を体現しつつも、大股で堂々と歩くハルヒに続いて改札を抜けた。




 ハルヒにせかされるまま走りに走るとホームには既に電車が到着しており、身体からぶつかるようにしてハルヒが真っ先に飛び込み、最後尾の長門がひっそりと乗り込んだところでドアが閉まった。発車時刻は九時前であり、だったら九時集合では明らかに間に合わんだろうと俺は憮然。息せき切って目を白黒させている朝比奈さんをなんとなく眺めながら電車に揺られること数分、目的駅の名前を告げるアナウンスがして一行はロクに休む間もなく電車を降りた。 駅を出ると確かにそこには地元駅とは違う駅前風景が展開していた。空気もなんとなく新鮮に感じられるね。どっちかというと田舎の部類に入る我が町と比べれば、大きな街だけあって見受けられる駅ビルの数も多い。
「プールまではバスで行くからね」
 いつの間に調べ上げてきたのか、ハルヒはバスの到着時刻までも頭に入れていやがった。時間通り駅前のバス停にやって来たバスに乗り込むと車内は冷房がヌルヌルだったが、歩くよりははるかにマシなのでいいとしよう。 
 二十分ほどののち、ハルヒは目的バス停の一個手前で降車ボタンを押した。
 間違えたのかと思ったが、そう言ってもハルヒはここで正しいと言い張る。わけが解らないまま、そのうちバス停に着くとハルヒ一人でずんずん降りていってしまうので、俺らも後に続かざるを得ない。
 全員がバスから吐き出されてきたのを確認するとハルヒは不敵な笑みを浮かべつつ宣言した。
「みんないい? こっからプールまでは思いっきり走るわよ。それも全速力で!」
「何のために」
 とすかさず俺。
「汗をかくためよ」
 とハルヒは即答する。なんだそれは。この炎天下で汗をかいて何が楽しいんだろう。
「わかってないわねえ、あんたは。せっかく今からプールに入るってのに、ずっと涼しいところにいたら冷たい水に入った瞬間の喜びが激減するでしょうが。いい? 暑いからこそプールに入るの。つまり暑いのは前提なわけ。だから、暑くなるために走るのよ。そうよね、みくるちゃん」
「え、ふぇえ?」
 急に話を振られて朝比奈さんは困惑していらっしゃるが、ハルヒはそれにも構わず背後から朝比奈さんに抱きついた。わかった。わかったから今すぐその役を俺と代われ。   
 ハルヒは朝比奈さんに抱きついたまま、建物の影と調和している長門に指を突きつけて、
「有希、勝負よ! どっちが先にプールまでたどり着けるか」
 そう言うやいなやハルヒは朝比奈さんを突き放してプールに向かって走り出した、が残りの団員にはここは走るなという暗黙の了解的雰囲気が漂っていたらしく誰も走り出さない。当然と言えば当然だがハルヒは気に入らなかったらしく、後ろを振り向いてツカツカと戻ってくると声を張り上げて宣言した。
「ビリの人は、飛び込み台から突き落としの刑に処すわよ!」  
 そう言うハルヒの顔は、これ以上ないほど楽しそうなのだった。




 はたして、ビリは俺であった。
 少し言い訳をさせてもらおうか。
 まず長門はこういう競技がもともと得意である。ハルヒに続いてさっさと行ってしまった長門を追う気にはなれず、俺は朝比奈さんか古泉あたりと休戦協定を結ぼうと考えていた。ほら、全員一緒にゴールで同着とか、そんな感じのやつだ。ところがいざ談合を持ちかけようとしたところで古泉が俺らを出し抜きやがってダッシュ、残ったのは俺と朝比奈さんだった。無論、真剣勝負となれば俺が朝比奈さんに勝つのはたやすいことである。あるがしかし、そこは俺である。人道的にこういう状況で朝比奈さんをビリにすることなどできるわけがなく、したがって俺は危なっかしいフォームでよたよた走る朝比奈さんの後ろをストーカーのごとくついていったのだった。
 さっさと着替えに行けばいいものを、トップでゴールしたハルヒは俺たちをしっかり待っていた。奴は腰に手を当て策略通りと言わんばかりに勝ち誇った笑みをたたえながら、最後にやって来た俺に飛び込み台から突き落としの刑を求刑したのだった。
 嫌だとは言わなかったけどさ。仲間内のプールなんてのはそういうのを楽しむために来るようなもんだろう。




 かくして、いったん男性更衣室と女性更衣室に別れたSOS団の面々は、着替えを済ませてから激しい太陽光の下で合流した。
「朝比奈さん、こっちこっち」
 とっくにシャワーを浴びて手持ちぶさたに突っ立っていた俺は、ワンピース姿でバスケットを抱えた朝比奈さんを見つけると、必要もないのに大げさに手を振ってやった。
 なにしろどこに行っても一際目立って可愛らしい(誇張ではない)朝比奈さんである。当然、彼女に手を振っている俺にも好奇の眼差し向けられるわけで、それがむず痒くも愉快である。二人きりのデートではないところが残念だったが、普段は損ばかりしている俺だからせめてこんな時ぐらいはいい思いをさせてくれたっていいだろう。
「あれ? 古泉くんは?」
 朝比奈さんの後に続いて小洒落たセパレートを身につけているハルヒが現れた。その傍らにはやはり飾り気のない水着を着た長門が伴われている。朝比奈さんだけでは抱えきれなかったのか、長門も小さなバスケットを持っていた。今日の昼飯は期待できそうだ。
「荷物の場所取りに行ったよ」
 と俺は答えた。
「へえ、感心ねえ。さすが副団長だわ」
「まったくだ」
 団長がこれじゃあ副団長もさぞかし大変だろうよ。
「まあいいわ。じゃあ古泉くんに感謝して、あたしたちは先に水に入っちゃいましょ」
 言うなりハルヒはキョロキョロすると、手近なプールにいきなり飛び込んだ。舞い散る水しぶきを頭から被って俺もとっとと水浴びしたい衝動に駆られ、ハルヒに続いて水に入る。ちょうどいい感じに冷たくて気持ちいいぜ。
「みくるちゃーん、有希も! 早く飛び込んじゃいなさい!」
 雲一つない青空にハルヒの声が響く。もちろん朝比奈さんも長門も命令通りに飛び込んだりせず、おっかなびっくり足から水に浸かっていく。
「へいっ、キョンこっち!」    
 無防備にハルヒを振り向いた俺に、大量の水がぶっかけられた。 




 夏休みだけあって、プールは盛況であった。
 もちろん暇を持て余した子供とその親も大量発生していたが、さすが巨大プール施設だけあって中高生やカップルの姿もふんだんに見受けられた。みな一様に楽しそうな笑顔を張り付かせており、俺らもそんな中高生のうちの一グループなんだと思うと妙に落ち着かない気分になるね。なにしろ今の俺たちは何の能力も持ち合わせておらず、客観的にも主観的にも普通の高校生グループなのだ。
 飛び込み台は敷地内のわりと隅っこの方にあった。
 そのせいかどうかは知らないがまったく人気がなく閑散としていたため、実質SOS団が貸し切りの状態となってしまった。
 そこで取り行われた俺の公開処刑は、両手を掲げている俺にハルヒが後ろから体当たりするという謎の儀式の様相を呈していた。もちろん監視員の目の前でそんなことやらかしたら利用禁止になること請け合いなので、監視の隙をついて行わなければならない。真っ黒に日焼けしたグラサンの兄ちゃんが一瞬、飛び込み台から目を離したのをハルヒは見逃さなかった。俺はハルヒに身体をぶつけられて吹っ飛ばされ、水面でしたたかに腹を打って動けなくなり即刻退場した。
「よくやりますよ、あいつら」
 しばらく陸に上がってもがいた後、俺は飛び込みプールを囲む柵の外にいる朝比奈さんに歩み寄って言った。朝比奈さんの瞳には、三人の団員が餌を見つけたペンギンのように次々と水中に飛び込む姿が映っている。
「ええ。涼宮さん、すごく楽しそうです」
 柔らかな微笑みをたたえたまま朝比奈さんが言う。
「やっぱりあいつ、入学当初とは違いますかね?」
「え?」
 朝比奈さんはなんでそんなことを訊くのか考えるような間を空けてから、
「それは……ぜんぜん違いますよ。前はもっと、なんていうか、普通じゃないことばかりやってたような気がするし」
「宇宙人とか未来人ってさんざん騒いでましたからね。まだ見つかってないらしいですけど」
 俺の頭には夜のグラウンドの巨大紋様が自動再生される。
「そうですねえ。すべての体力をそういうものを探すために費やしてましたよね、あの頃の涼宮さん」
 遠い目をする朝比奈さんを見て、ああやっぱりハルヒは変わったんだろうなとか思った。
 今まで謎にばかり向かっていたハルヒのエネルギーが、友人と遊ぶことにも向けられるようになったのだ。なぜかって? そんなん、ハルヒのあの抜群の笑顔を見ればすぐ解る。ハルヒにとっては友人と遊ぶことはが放っておけないくらい楽しいことで、ハルヒは自分の気持ちにウソをつくことができなかったからだ。やっぱり、なんといっても一番の楽しみは仲間と一緒に遊ぶことにあるのさ。それはハルヒじゃなくたって、誰だって同じだと俺は思うね。
 そういうことである。たぶんそれ以上でも、それ以下でもない。 
「まあ別に、悪いことじゃないっすけどね」 
 いつの間にやら、柵の周りには人が集まりだしていた。
 それもそのはず、プールを占領して次々に頭から飛び込んでいく奇妙な団体が見えれば誰だって好奇心をそそられるだろう。しかもそのうち二人は(客観的に見れば)かなり可愛い部類に属する少女なのだから、これはもう水着姿を鑑賞するだけでも見る価値があると言っていい。ちなみに俺は女子部員の水着姿なら合宿でいらんほど拝ませてもらったので、今さら食い入るように見るようなもんでもないということを付け加えておこう。
「そういえば朝比奈さん、なんか喉乾きませんか?」
 俺の使命はハルヒのヘソなんぞを見つめることではなくて、もっぱら朝比奈さんを気遣うことの方にあった。長く太陽光にさらされたせいか朝比奈さんの白い肌は赤っぽく上気している。
「そうです、ねえ」
「ならちょうどよかった、俺も何か飲み物を買ってこようと思ってたんですよ。朝比奈さんのもついでに買ってきますけど、何がいいですかね」
「あ……じゃあウーロン茶か何かをお願いします。……えっと、お金は」
「いえいえ」
 気にしなくてけっこうですよ。俺のサイフに入った現金は罰金の支払い用としてではなく、本来はこういうふうにして使われるべきなんですから。あいつらもそっちの方が払われがいがあるってもんです。
「じゃあちょっと行って来ます」
 俺は屋台の飲み物メニューにウーロン茶があったかどうか考えながら、小走りにサイフの置いてある更衣室まで戻っていった。




 夏もいよいよ盛りの陽差しは強く、ベタ塗りみたいな青空からはさんさんと太陽光線が降り注いでいた。開場から二時間も経つと人がどんどん増えてきて、流れるプールなどはほとんど小学生以下の子供によって埋め尽くされてしまった。
 もちろんそんなことを蚊ほどにも気にしないのがハルヒであり、   
「ねえねえ、流れるプールで鬼ごっこやりましょうよ。わざわざ電車乗って来たんだもの、全プール制覇しないともったいないわ」
 と言い出したのもハルヒである。夏の光が反射してハルヒの笑顔はいやにまぶしく輝いて見え、そのためだったかどうかは知らないが俺はそのハルヒの提案に賛成してやった。
 イルカやらシャチやらに乗ったガキどもが漂流するプールに乗り込んだ俺たちは、我ながら恥ずかしくなるくらい大いにはしゃいだ。最後の方はもはや鬼ごっこではなくなっていたが、それでも楽しかったからいいさ。
 一時間近くが経過して休憩時間を告げる放送が入ったところで、我々はようやく陸に上がった。俺はまともにスポーツした後くらいに疲れており、時間内の半分くらいずっと鬼役をやっていた朝比奈さんは息も絶え絶えで古泉さえも微笑が崩れていたが、長門だけは平然と直立していた。俺が追いかけてるときも長門は人外的な速度で泳いでいたし、こいつは本当に普通の人間なんだろうな。あまりにも宇宙人バージョンと変わりばえがしないので怪しくなってくるぜ。 




 昼も近くなっていたので、俺らはそこの休憩で昼飯を食べることにした。いやいや、昼飯というのは下品で失礼だな。ランチ。そんな感じか。
「去年と同じで申し訳ないんですけど……またサンドイッチを作ってみました」
 なにしろ朝比奈さん手作りの昼ご飯である。おずおずとバスケットを差し出す朝比奈さんもメチャクチャ可愛い。そこらへんの屋台ではフランクフルトや焼きそばを売っていたりもしたが、ちっとも買う気にならんね。二つのバスケットにサンドイッチばかり大量に詰まっているのも全然問題になりません。食い物ならハルヒが何でも食べますし、長門なら喰ってろと命令すれば日が暮れるまで食べ続けていそうな気がしますからね。
 昼食休憩の後も、まだまだ水遊びは続いた。
 午後の部はどうやらウォータースライダーから始めるようであり、階段と水の滑り台を三往復したあたりで俺は古泉とともに観客側に回った。朝比奈さんもすっかりくたびれていらっしゃる様子だったが、哀れにもハルヒにワンピースの首根っこをつかまれて階段を引きずられていった。
「…………」
 長門はというと、意外にもこういうアトラクション好きなのか無言で滑り落ちてきては無言で階段を上っていくのを繰り返していた。時々、短い髪から水を滴らせたまま何か確認を取るようにちらっと俺を見るのがいかにも長門らしい。
「気が済むまで何度でも行って来いよ。時間ならいらんほどあるからさ」
 そう言われると長門は首を少し傾げてまた階段をすたすたと上っていく。その小柄な水着姿があまり楽しいと感じているようには見えんのだがな。俺には。  
「まあ、長門さんですから。楽しそうでなくても本人が楽しければいいんですよ」
 俺の隣で薄笑いの古泉が言った。
「夏だしな。ちっとはハイになってるのかもな、あいつも」
「だといいんですが」
 俺は階段を上る長門の後ろ姿に去年のそれを重ね合わせる。一万何千回も夏休みをループしてきた長門の、わずかに退屈そうな表情を。 
「なあ古泉よ。これは例えばの話なんだが、例えば、あの長門が宇宙人だったとしよう。火星とか水星とかの出身じゃなくて、もっとはるかに遠い望遠鏡でも見えないような宇宙出身のやつだ。で、もしそうだったとしたら、お前は長門に対してどんな感情を抱くんだろうな」
「それはまた、やけに難解な質問ですね。長門さんの性格や外見は変わらないものとするんですか?」
「ああ。ただ単に、今の長門に宇宙人っていう肩書きがついただけだ」
 おそらく意味の解らんだろう俺の愚問に古泉は眉をひそめ、数学Ⅲの応用問題に挑戦するような雰囲気を漂わせていたが、
「たいして何も感じないでしょうね。ええ、それ以外にありません」
 また普段の微笑に戻って言った。
 スライダーから次々と吐き出されてくる連中をなんとなく眺める俺に古泉は続けて、
「意味のない肩書きなら存在しないも同然です。馴染んでしまえば関係ないんですよ、宇宙人だろうと人間だろうとね。……そうですね、こんなのはどうでしょう。本当のことを申し上げると、僕はなんと超能力者なんですよ。さて、あなたはどう感じますか?」
「冗談だよな」
「ええ、冗談ですけど」
 冗談ならもっと解りやすいやつにしてくれ。そのたとえは俺にとっては非常に解りづらいし、しかも心臓に悪い。背筋に嫌な汗をかくところだったぜ。
 俺が古泉に何事か文句をつけてやろうと思ったとき、目の前で派手なスプラッシュが上がった。俺も古泉もまともに水を食らっちまい、誰だよ非常識だなと思って見たらハルヒだった。すぐ後に朝比奈さんと長門も続いて着水する。
 ハルヒは水をたらしながら俺に向かってずかずか歩いてきて、
「本当はもう十回くらいやりたいけど、あんたたちがサボってるからやめておくわ。次はあのでっかいプールで遊びましょ。今度はサボらせたりなんかしないから覚悟しなさい」
 と言って施設の中央にあるメインプールを指差した。勝手にしてくれ。その代わり明日、筋肉痛で動けなくなってても俺は知らんぞ。
 俺は陽光ですっかり火照ってしまった身体を冷やすため、ハルヒの後に続いて水に入った。




 結局、その日は太陽が傾いてプールが夕陽に染まるまで遊び倒した。
 というのも、古泉があきれたことに浮き輪とビーチボールまで持参してきやがったからである。たった一つのボールだけで三時間以上も遊び続けられるもんだということをよく思い知らされたね。
 我々が着替えを済ませてプール施設を出る頃には客の姿もまばらになっており、帰りのバスはガラガラであった。朝比奈さんはもちろん、ハルヒもさすがに疲れ果てたのかすーすーと寝息を立て始め、駅に着いたところで二人とも長門に揺り起こされていた。
 それから先はどうなったのかよく覚えていない。プールの輪郭ばかりがいやにはっきりと思い出され、その後は記憶からすっかり抜け落ちちまった。
 ただ、自町の駅前に戻ってきて、帰り際にハルヒが、
「とりあえず明日は休みにするわ。またやることが決まったら電話するから、よろしくね」
 と言ったのはなんとなく覚えている。 
 その後は解散の流れとなって、俺はそのまま自転車こいで家に帰り着いて、確かその頃には辺りは暗くなっていた。そんで晩飯喰って風呂に入って、携帯を忘れずに枕元に置いて、そのまま死んだように眠りに落ちた。 



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