【時のパズル~迷いこんだ少女~】
第4章 『不審の金曜、結託の木曜』


翌朝
ベッドから起きたあたしは制服に着替えて、階下に下りた。
最初の行動は決まっている。まずは『今日』がいつなのかを確かめなければならない。

台所に入ると母さんがいつものように料理をしており、いつもならもう仕事に出ている筈の親父もまだいた。
「おはよう」
朝の挨拶をしながら、あたしは親父の肩越しに朝刊を覗き込んだ。
金曜日だった。
また一日『跳んだ』わけね……。
自分でも意外だったが驚きは少なかった。こんな異常事態も三度目になれば少しは慣れてくるものらしい。

「ハルヒ、体はもう大丈夫なの?」
母さんが聞いてくる。昨日の朝のことがあったからだろう。見れば親父も新聞の隙間から気遣うような視線で覗いてくる。
「ええ。もう大丈夫よ」
腕を捲くって心配ないとアピールしてみる。何故か親父が憮然そうな視線を向け、また新聞に目を移した。なんなのよ?

あたしは、母さんの用意してくれた朝ご飯を食べる。そして味噌汁を啜っている時に不意に母さんが言った。
「ところでキョン君って素敵よね」
「ぶっ!?」
いきなり変な事を言われたので、むせてしまったではないか。
「な、なんで母さんがキョンのこと知ってんのよ!?」
気管に逆流した味噌汁にむせているあたしに、母さんは妙な目を向けた。
「なんでって……昨日ハルヒが家に連れてきたんじゃない。キョン君ともう一人女の子連れて」
なによそれ?と口から出てしまいそうになったその言葉をすんでの所で抑えこんだ。
『昨日』、つまり木曜日を放課後からあたしは体験していない。その間にそういう事があったのだと気付いたからだ。
「あ、そうね。そうだったわね」
慌てて言い繕うあたしを母さんは不審そうに見詰めた。
「ハルヒ……あなた本当にこの頃おかしいわよ。貧血やら頭痛やら……」
「ごめん……でも、大丈夫だから。心配しないで」
まさか娘がタイムトラベラーになったとは口が裂けても言えない。
言ったところで信じてはもらえないだろうし、却って別の意味での心配させることになるだけだ。
「それとも」
母さんはからかう様な顔を作り続けた。
「それもキョン君のせいなのかしら?」

「コーヒーお替り」
親父が不機嫌そうな口を出す。
母さんは「はいはい」と言いながら、あたしに囁いた。
「ハルヒがボーイフレンド連れてきたもんだから動揺してるのよ」
「…………」
「安心なさい、母さんはハルヒの味方だから」

「まったく、なに変な気まわしてるのかしら」
舌打ちをして、あたしは玄関を出た。
確かに、キョンはあたしと仲がいいわよ。その辺の男なんかよりずっとましだと思うし……。
でも……って! あたしはなに考えてんのよ!?
などと考えながら、門を出たあたしは、
「おはよう、ハルヒ」
突然のキョンの声に、文字通り飛び上がってしまった。

「キキキキキキョンッ!! なななんで!ここにいんのよっ!」
「なぜって……」
キョンはあたしの狼狽っぷりを面白そうに眺めている。
「この事件が終わるまでは、俺たちはお前のそばを離れないって決めたからさ」
「……俺たち?」
そうしてよく見てみると、キョンの影に隠れて気が付かなかったが有希もいる。
「なんで有希が……」
「協力者だ」
キョンがなんでもないように言う。……確かに有希なら頼りになるけど。
「教えても大丈夫なの?」
あたしは不安になった。あの日記には相談していいのはキョンだけだと指定してあったからだ。
「大丈夫だ」
キョンは言う。
「相談したのは、お前からじゃない。俺が長門に相談したんだからな」
キョンはそう言うけど、そんなものなのかしら……?まあ、いいわ。ようするに二人は……。
「ボディーガードってこと?」
「それもあるしデータ収集の意味もある。タイム・リープはなるべく俺達が見てるとこで起きて欲しいからな。じゃあ、行くぞ」
キョンはあたしを促せて先を歩いた。

「今日はいつから来たか訊かないの?」
二人に追いついて、あたしは訊ねてみた。
「水曜日からだろ」
キョンが答えた。あたしは目を丸くした。
「なんで知ってるのよ?」
「昨日訊いた。あなたから」
有希が答える。
「昨日のあたしに……?」
「そう。これからあなたは金曜を過ごした後、木曜の放課後に戻る」
「放課後……あの渡り廊下の時?」
「そうだ」
キョンが頷いた。
「心配しなくてもいいぞ。ちゃんと助けてやったからな」
「キョンが……?だって……」
「ハルヒが木曜の放課後に渡り廊下の外でなにかあったってのは、水曜の昼休みに聞いてたからな。一応待機してたんだ。怪我なんてしてないだろ?」
「……ありがと」
あたしは一応礼を言ったが、これから起こることに対して礼を言うのも妙な気分である。
「それで……あんたたち昨日の放課後よね? あたしの家に来た?」
「ああ。落ち着いて話したかったし、調べたいものもあったからな」
「どんな話をしたの?」
「それを訊いてどうするの?」
有希が不思議そうに呟いた後、あたしを見た。
「だって……気になるじゃない」
「今聞かなくても明日のあなには分かる事。ここで繰り返すのは私たちにとってもあなたにとっても二度手間」
「でも……」
「必要でない時に必要でない情報を耳にするのは、有害と判断した。聞かないほうがいい」
あたしは納得できなかったが、有希がそこまで言うならと納得する事にした。

「ああ、ハルヒそっちじゃない。こっちに回ってくれ」、とキョンは道を指示した。
「何言ってんの。学校はどうするのよ?」
あたしは首を傾げた。学校まではもうこの長い坂を登るだけだ。登校する生徒もちらほらといる。
「知り合いに会うとまずいからな」
「なんでよ? 学校に行くんだから会ってもいいんじゃないの?」
「そうじゃない。俺たちとハルヒは午前の授業はさぼるからさ」
「……どういう事?」
「いいからこっちだ。裏から登るぞ」

その後、あたしたちは裏道から登り旧校舎側のほとんど使われていない裏門から校内に侵入し、今は部室棟の前にいた。
「授業……さぼるつもりなの?」
あたしは人目を避けながら移動する二人に気になって訊いてみた。
「そう」
「まあ、俺もさぼりたくはないけどな。仕方ないってやつだ。時間もないしな」
「時間がないって?」
「静かに」
有希が制止する。見れば見回りの教師が外を歩いていた。
「ねえ……」
あたしは隠れながら小声で言った。
「何かは知らないけどやる事があるなら別に学校じゃなくてもいいんじゃないの? 他の場所でも」
「制服着たままでどこでやるってんだ? それに今日は学校にいないとまずいんでね」
「なんでよ?」
「後でわかるさ」
そして教師が出て行った後、あたしたちは素早く文芸部室、つまりSOS団の部室に滑り込んだ。

文芸部室に着いたもの、あたしはなにをするのかさっぱりわからない。
ただ、二人が事態を把握していてそれに対処しようとしている事はわかる。でも、どうして説明してくれないのかしら?
あたしにはそれが不審であり、また不満でもあった。

「それで? 一体なにすんのよ?」
「勉強」
有希が極めて短く答えた。
「はぁ?」
「あなたの勉強。数学のテスト勉強をするため」
「……テスト?」
「はあ……忘れてるようだから思い出させてやるけど、今週の月曜に数学のテストがあったことは知ってるな?」
「……覚えてるわよ」
「なら分かるだろ。ハルヒはまだ月曜をやっていない。ハルヒはこれから数学のテストを受ける事になるんだ」
「でも……こんな事までしてテスト勉強しなくても……」
「分かってないようだな。お前はこのテストで満点を取らないといけないんだぞ?」
「取れなかったらどうなるのよ?」
「ハルヒの『予言』が外れた事になる。従って俺は、ハルヒに協力しないことになる」
「でも……今、キョンはここに居るじゃない」
「だから、俺達がここに居られるようにしてくれよ」
あたしは。首を傾げた。
「わけがわからないわ。もし満点が取れなかったらどうなるって言うのよ?『居られなくなる』ってどういう意味なのよ?」
「詳しい事は昨日言った。今は余計なことは考えないで勉強に集中してくれ」
「そんな事言われたって、こんな分からない事ばかりじゃ集中なんて出来ないわよ」
あたしが膨れっ面をしていると、キョンは一つ溜息を吐いて言った。
「意地悪で言ってるんじゃないんだハルヒ。知らなければいけない事と知ってはいけない事があるんだ」
「でも……」
「ハルヒの約束どおり、俺たちは全力でお前を助けるために行動している。頼むから俺たちを信じて、その通りにしてくれないか?」
そこまで真剣にお願いされては何も言い返せない。
「……分かったわよ」
あたしは渋々ながらも了承した。その時、校舎からは始業を告げるチャイムが鳴った。

「じゃあ、次のチャイムがなるまでにこれを解いて」
有希が鞄からプリントを一枚取り出し、長机の上に置いた。
「わかったわ、やればいいんでしょ…」
あたしは目の前の問題に取り掛かった。

「そこまで」
一時間目終了のベルが鳴ると、有希はあたしが答案の代わりにしていたルーズリーフを手元に寄せた。右手には赤ペンが握られている。
有希が採点した結果は……

「八十二点」

「大したもんだ。これなら何とかなりそうだな」
キョンが安心したように言った。

「えっと……」
あたしはおずおずと提案してみた。
「その……カンニングは駄目なのかしら? 今は……その……非常事態なんだし」
有希は冷ややかな目であたしを見た。
「どうやって? このテストで最高点を取るのはあなた。誰の答案を覗くつもり?」
「だから、そうじゃなくってカンニングペーパーでも作ってさ……」
数学は数式などもあり他の科目よりカンペ作成が難しいが、今のあたしは問題を知っているのだから問題ない。
「そのカンニングペーパーを月曜日にどうやって使うつもり?」
「え……?」
「これからカンニングペーパーを作っても、そのカンニングペーパーは『金曜日』以降にしか存在しない」
「だから……持っていけばいいじゃない」
「持っていけると思うの?」
「え……だってさ」
「あなたがそう思うのは自由。でも、私たちがそんな真似はさせない」
「だけど、満点を取らないといけないんでしょ?なら万全を期して……」
「だから、これからあなたを教育する。、問題は分かっている。あなたになら不可能じゃない。
 大丈夫、あなたに出来る事がわたしたちにはわかっている」
そう言って、有希は胸を張った。
「そんな預言者みたいな事言って……」
「この件に関してはそうかもしれないな。それにさ」
キョンは、意味ありげにあたしを見詰めた。
「昔から言うだろ。『今日できる事を明日に延ばすな』。これ以上、今のハルヒにふさわしい言葉はないと思うぞ」
確かにその通りだった。今のあたしにとって、明日が明日である保証はどこにもないのだ。
月曜日がいつ来るのかも分からない。まだ時間があると高を括っていて、もしすぐに月曜日に跳んだら、準備不足のままテストを受けなくてはならない。
「もう一度言うぞ。月曜日のテストで満点を取らない限り、俺はハルヒの味方にはならない。長門もだ。そうなったらお前は一人で闘わないといけなくなる」
『闘う』とは少々大げさだが、キョンの言わんとしている事はわかった。
「……分かったわよ。あんたたちの言うとおりにするわ。すればいいんでしょ」

なぜそれが必要な事なのか、いま一つ納得が出来ないけど、キョンに協力を頼んだのはあたしだ。そのキョンが判断した事なら従うべきだろう。
キョンは頷き、そして微笑んだ。
「でも、大丈夫だ。お前は頭もいいし、幸いまだ時間もある。長門頼んだぞ」
「わかった」
そうして、有希はあたしの隣に腰掛けた。
「まず、一問目から―――――」

その後、有希があたしを解放してくれるまで午前中いっぱいかかった。
『答えだけではない。解法そのものから理解するべき』
と言って、有希が基本から徹底的に教えてきたからだ。正直すごいわかりやすかった……。この子ったらこんなことも出来るのね。
この状態で点数を引かれるとするならば、それは単純なケアレスミスをした時ぐらいのものだろう。それも許されないが。
「じゃあこれをもう一度」
そう言って、有希は先ほどと同じ数学のプリントをもう一度取り出して差し出してきた。
「やってやろうじゃない」
あたしはもう一度プリントと格闘を始めた。

「満点。ご苦労様」

採点を終えた有希は点数を告げ、一言だけ労ってくれた。
「はあ……やっと終わったわね……」
「でも……油断してはだめ。ケアレスミスは許されない」
「わかってるわよ。気をつけるわ」
あたしが頷いた時、ちょうど午前中の授業終了を告げるチャイムが鳴った。この後は昼休みだ。

「せっかくだから、ここで昼飯を食べるか」
とキョンは鞄を引き寄せて、鞄から弁当箱とビニール袋を取り出した。
「ちょっと!? あたしはどうすんのよ!」
あたしは学食派だ。弁当の持ち合わせなど当然ない。
「分かってるよ。ほれ」
そう言って、キョンはビニール袋をあたしに寄越した。中を覗いてみるとお茶とおにぎりやサンドイッチといった食料が入っている。
「それで間に合わせろ」
「いいの?」
あたしはキョンの用意のよさに驚きながらも確認した。
「ああ」
「……ありがと」
あたしはそう言って座りなおし、キョンから貰った食べ物を食べ始めた。

食事を終えると、キョンは言った。
「今からなら、午後の授業には間に合うな。ハルヒは行ってくれ」
「ハルヒはって……あんたたちは?」
「俺たちはまだ用事がある」
「だったら、あたしも付き合うわよ」
「いや、それじゃ困るんだよ」
「なんでよ?」
キョンが少し困ったような顔をしたので、あたしは次のセリフが予測できた。
「それも教えられないのね?」
「悪いな」
あたしの事なのに、あたしに教えられないとはどういう事なんだろう。気になりはしたが、それなりの理由があってだろう。
納得は出来ないが、受け入れる事にした。

「分かったわ。その用事っていつ終わるの? 終わるまで待ってるわよ」
しかし、それは有希が否定した。
「それは駄目、授業が終わったらあなたは一人で帰って」
「え? だって、あたしの登下校には付き合うんでしょ? それに部活はどうすんのよ?」
「何事にも例外はある。今日は駄目。部活はこの件が片付くまで休部にする事と昨日のうちに決まっている」
「だけど……あんたたちがいない間にまた『跳んだ』らどうすんのよ?」
「心配はいらない。なにかあったらすぐに駆けつける」
キョンが胸を叩いて宣言する。
「……ほんとかしら?」
「嘘は付かない。……信じて」
キョンと有希は、はっきりと頷いた。

「それじゃあ、あんたたち二人っきりだからって変な事すんじゃないわよ!」
そう二人に警告してあたしは素早く部室から出て、下駄箱に迂回して校舎に入った。
まだ、昼休みだ。通り過ぎる生徒は鞄を持ったままのあたしを見て変な顔をしているが、すべて無視した。
ところが、上靴を履き替え教室に向かおうとしたあたしは、そこで古泉君と出会った。

「おや、涼宮さんじゃないですか。今日はお休みだと聞いていたのですが……」
古泉君がそう聞いてくる。クラスメートにでも聞いたのだろうか。
だが、ここで正直に本当のことを言うわけにもいかない。あたしは適当にごまかす事にした。
「ええ。朝ちょっと体調がわるかったのよ。でも、どうやら持ち直したようだから午後から登校することにしたのよ」
「そうだったんですか。もしかして部活を休部にしたのもそのせいですか?」
休部とそのこととはまるっきり関係ないのだが、ちょうどいいネタだ。折角だし利用させてもらうとしよう。
「ええ悪いけど、もう少しは休みになる事になると思うわ」
「わかりました。それではどうかお体にお気をつけ下さい」
「ええ、ありがと。古泉君ももう治ったようね」
「え?」
「風邪治ったんでしょ? 鼻の色も戻ってるわよ」
あたしは自分の鼻を摘まむジェスチャーをしながら訊いた。
「え……ええ、お陰様で。それでは涼宮さん、僕は用事がありますのでこれで」
「ええ、また会いましょう」
そう言って、古泉君は生徒たちの中に紛れていった。はぁ……仕方ないとはいえ、団員に嘘を付くのは気が引けるわね……。
古泉君との会話を終えて、あたしはその場を後にした。

教室に入ると、お弁当を食べている生徒や教室に残ったままの生徒が、あたしの方を見てきた。まあ、遅刻してきたし当然ね。
「涼宮さんどうしたの? お休みかと思ったのね」
阪中さんがそう聞いてきたので、あたしは古泉君に話した内容をそのまま伝えておいた。
そうして席についたところで、アホの谷口が話しかけてきた。
「なあ涼宮。キョン知らないか? あいつもまだ来てないんだよ」
「知らないわ」
あたしは谷口の方も見ずに言った。
「ホントか? 俺はてっきりお前ら二人でさぼってるもんだと思ってたんだがな」
谷口の癖にするどいわね……。
「なに言ってるんだか……」
「まあ、いいか。もしかしてまだあれやってるのか?」
谷口がわけの分からない事を言う。『あれ』ってなによ?
「ほら谷口君。まだ続いてるのね、きっと」
そう言って阪中さんが谷口を連れて行った。その口にしたセリフがまた意味がわからない。
「でもよお、こんな複雑なもんなのか?」
「そっちの方が、効果的なのね。きっと」
『一体なんの話してんのよ、あんたたち!』 あたしはそう口から出そうになるのを、なんとか我慢した。

掃除を終わらせて校舎を出ると五時を回っていた。
キョンたちはやはり姿を見せないし。授業にも結局来なかった。
「まったく、どこでなにしてんのかしらね……」
軽く溜息をつきながら、あたしは帰路についた。

坂を下り終え、あたしは細い土手沿いの道を通って帰る。ここを抜ければ、そこはもうすぐ我が家だ。
なんか不気味ね……。
あたしはふと思った。この道には街灯がないので真っ暗だ。明かりとゆえば近くの民家から漏れる照明と星明りだけだ。
女子高生が一人で通るには少々危険な道ではあるが、あたしは気にしていなかった。痴漢や暴漢の類ならいくらでも撃退する自信があったからだ。
しかし、最近の事件により度重なる不安があたしにのしかかっていたので、あたしは少々弱気になっていた。
通い慣れた道も、いつもより不気味さが増して見える。
やっぱりキョンたちに頼りきっていたからだろうか……。
駄目よ、駄目! 涼宮ハルヒ! あんたはこんな頼りなくなかったでしょうっ! もっと毅然としていなさいっ!

と自分を叱り付けてみても、一向に不安は取り除けなかった。却って不安はどんどん膨らんでいった。
あたしの気のせいか、誰か後をつけてきている気さえする。あたしは後ろを振り返って目を凝らしてみたが、よく分からない。
……やっぱり気のせいかしらね。
そう思い再び歩き出したがしばらくして、今度こそ微かにだが、確かに足跡を感じた。
「誰!」
あたしは振り返って声を上げた。返答は……ない。
「……ひょっとしてキョン?」
返答はない、だけど確かに存在を感じる。あたしをつけている者が確かにいるのだ。
あたしは身を翻して、一目散に駆け出した。すると背後の足音も走る音へと変わった。
間違いない! あたしを追いかけてきているんだ。
もう! なにが『なにかあったらすぐに駆けつける』よっ! ボディーガード失格ね!
肝心なとこで役に立たないキョンをののしりながら、あたしは走り続けた。
その時、ふと前から何かが現れた。姿は確認できない。だが、前方から確かにこっちに向かってきている。
オートバイだった。
助かった……。そうあたしが思った時、バイクのスピードが上がった。
「……え?」
事態が把握できないあたしに、バイクは更に速度を上げ突進してきた。

轢かれる!
そう思った瞬間、あたしは体に何かがぶつかった強い衝撃を感じた。




「まさかとは思ったけど、ホントだったな……」
振り向くとキョンの顔があった。横には有希もいる。
からかい、面白がるような、呆れて、諦めたような複雑な表情をしている。
「キョン!」
あたしはキョンの胸にしがみ付いた。体がぶるぶると震えている。
「どうした?」
あたしの様子に気付いたキョンは、真面目な顔をして訊いてきた。
「バ、バイクが……」
「バイク?」
「駄目よ……轢かれちゃう!」
「ハルヒ」
キョンが力強く確かな声で、あたしに言い聞かせた。
「大丈夫だハルヒ。ここは校舎の中だ。バイクなんて来やしない、しっかりするんだ!」
「そうじゃない……そうじゃないのよぉ!」
激しく狼狽して叫ぶあたしの肩を掴みキョンはあたしをしっかりと抱き寄せ、囁いた。
「分かってる、ハルヒ。また未来を見てきたんだな。だが、『今』は大丈夫だ。落ち着け大丈夫だから」
力強い言葉だった。
そう。『今』なら大丈夫だ。キョンがそばにいてくれる『今』なら。

「キョン…」
だが、その安心感が却ってあたしを気弱にさせた。
「お願いキョン……もう……もう…一人にしないでよ……」
あたしはキョンに抱きついたまま懇願した。
その時、傍らに居る誰かの視線を感じ顔を上げた。有希と目が合った。
あたしは驚いて、キョンから飛び離れた。

「大丈夫か?」
そんなあたしを気にもせず、キョンは声をかけてきた。そんなキョンが今はひどく頼もしく思えた。
「うん……でもここは……? 『今は』?」
「今は木曜日、放課後だ。ハルヒに掛かりそうになった水を避けるために引き寄せたところだ」
水……?
外を見ると、用務員なのだろう……おじさんが水を撒いている。あたしは、あれに当たりそうになっていたのか。
いや、それよりも。今は木曜日……。するとあたしは一日遡った事になる。そういえば金曜日のキョンが言っていた。
『ちゃんと助けてやったからな』と。
「よかったな」
「うん……」
キョンの声を受けてあたしは返事した。
だが、今のあたしには何ともなかったとしても金曜日のあたしは……。
再び震えだしたあたしに、キョンがもう一度言った。
「落ち着け」
「……うん、大丈夫よ」
あたしは襲い掛かる恐怖をなんとか振り払い、キョンに頷いた。

さっ帰るか。キョンの言葉に従って移動する。あたしたちは昇降口で靴を履き替えているところだ。
「で、お前はいつから来たんだ?」
「金曜日の放課後……家に帰る途中よ」
「てことは……明日か。明日の俺ともなにか話したのか?」
「ええ」
「なんて言ってたんだ?」
「それがよくわからないのよ。あんたたちなにを訊いても『お前は知らない方がいい』って、そればっかりよ」
「なんでだ?ハルヒの事なんだろう? ハルヒに黙っている意味がないだろう」
あたしは思わず立ち止まって、二人を見た。
「あんたが、あたしにそう言ったのよ」
キョンと有希は、目を合わせ首を傾げた。
「分からないな。なんでだろ? わかるか長門?」
キョンが有希に訊ねている。どうやら本気で不思議がっているようだ。
金曜日のキョンと木曜日のキョンで、なんでこんなに違いが出るのかしら。たった一日違うだけなのに。
「『三日会わざれば刮目して見よ』」
「「え?」」
突然の有希のセリフに、あたしとキョンの声がはもった。
「人は日々進歩する。きっと今のあなたより、明日のあなたの方が賢い」

「今日の放課後、何か用事があるか?」
あたしが靴を履き替えるのを待っていたキョンが訊ねてくる。
「あたしの家に来るのね」
先回りして言うあたしにキョンは驚いたような顔をしたが(有希は変わらなかった)、すぐににやりと笑った。
「なるほど……明日から来たんなら知ってて当然なわけか」


第4章 了。