6月17日
 またお偉いさんが研究結果を出せと催促してきた。
 まったく…我々が事を成すのは何もあの機関の為じゃないんだ。
 元々、数十年前から生物研究はしていたし今に始まった事じゃない。
 それをお偉い連中は、何があったか知らないがやけに機関を敵視している。俺は別に研究が出来れば良いんだがね。
 …そういえば、もうそろそろ十七年経つのか…。我が娘を親友に預けて。
 彼ならばきっと何事もなく育ててくれる筈だ。そうすればアレが顕現することもないのだ。永久に。
 なるべくなら関係しないように祈りたい。普通に生活していれば、我々とは関係することはないはずだ。
 彼女は成功にして失敗なのだ。可愛い我が子になんてことをしたのだろうとずっと後悔している。
 しかし、きっと彼女は特別な意味を孕んでいるのだろう。そう思えてならない。
 何故かは解らないが確信しているのだ。いつかは我々の我々に関係するのだと。
 なるべくなら悪い方向ではないことを祈る。
 
 ………。
 
 6月25日
 ヘンゼルとグレーテルを私は脱走させた。きっと娘の姿を重ねたのだろう。
 彼らには普通に生きて欲しい。まだ人間として生きられるだけの能力はあるだろう。
 逃げてくれ。パンを辿る子供のように。魔女に捕まっても君らならば逃げられるだろう。
 敷地の外へ逃げているのを上層部の連中は知るまい。
 
 ………。
 
 6月29日
 フリアエが完成した。これから調整すれば何とかなるだろう。
 ただ、それでもかなり不安定だ。この被験体以上に強めて安定した私の娘は相当適合していたのだろう。
 娘でなければ研究対象として全力を投じれたのだが…残念なものだ。
 しかしこの被験体は、我が娘と同じ名前であり、預けた親友の苗字を持つ娘と知り合いだという。
 その知り合いは機関の連中が鍵と呼ぶ少女らしいのだが、苗字、名前のみならず年齢まで同じだという。
 これはもしかすると…嫌な予感がする。せめて悪夢であると願いたい。
 
 ………。
 
 6月30日
 町にハンターを放したという話を聞いた。本格的にフリアエを使うつもりらしい。
 あの町には娘が居るというのに。ただ…記録上は焼却処分という事になっているのだ。
 私には何も言えない。出来ない…。逃がした二人も無事だろうか。
 過程で実験中のフリアエの様子がおかしいという話を聞いた。
 大丈夫なのだろうか。これは後日に上に報告しよう。
 
 ………。
 
 7月1日
 私は嫌な夢を見た。この世界も何もかも空想の世界だという夢。
 一人の少女が作った世界。現実に反する世界。ここにある過去ですら何もかも。
 我々の記憶も全て一人の神と呼ばれる少女が作った世界だという。
 本当の世界では、私はこんな研究をしていない。
 私の娘は存在せず、それに対応するのがこの世界には存在しない親友の息子。
 それはそれで良い気すらする。こんな都合の良い悪夢が本当ならばどれだけ幸せだろうか。
 何故なら、私が実の娘で実験していたという事実がこの世から霧散するのだ。
 泡沫のような世界。そこへ逃げられたら私は自分の娘だった青年にこう言うのだろう。
 すまない、と。
 
 ………。
 
 7月2日 
 今度は、起こったことを私に話してくれ。そして私を不確実なことで悩ませないで欲しい。
 裏切られた愛のために君が長い間人生で落胆する必要はないのだ。
 さようなら。愛する我が娘―――へ。
 
 
 
 ―――これはもしものお話。だけど現実のお話。
 
 ―――これは彼のお話。だけど彼女のお話。
 
 ―――決して交錯しないもしもの現実世界のお話。
 
 
 『朔』-Distorted pain-
 
 第五話 <イノ血ノミズ『「-」』GLASS SKIN>
  
  
 割れたガラスがきらりと光る薄暗い廊下。その中を私と古泉君が歩いている。
 誰も居ない。誰の気配もない。
「ねぇ、本当にここって大丈夫なのかな?」
 周りを見渡すと血があちらこちらにあって、滴って出来たであろう血痕もあれば、引きずられたような形もある。
「…ここですね」
 ふと古泉君がある場所で立ち止まった。
 よく見ると壁のある一箇所だけ不自然なような気もしないわけではないというレベルの何かがある。
 こんな解り難い違いをよく見分けられるなぁ…。何回か来た事があるのかな。
 胸元のポケットからカードのようなものを取り出して、古泉君がその扉に翳す。
 
 ピー。
 
「ひぅっ!?」
 いきなりなった電子音に思わず変な声を上げてビクッとしてしまった。
 今の音どこから鳴ったんだろう。どこを見たってなりそうなものはないし。
「大丈夫ですか?」
「だ、大丈夫よ…これぐらい」
 古泉君がくすくすと肩を震わせて笑っている。何もそこまで笑う事ないと思うけどなぁ…。
 あ~、なるべく声を上げないようにしよう。うん、頑張って声をあげ
 
 プシュー。
 
「ひゃぁ!?」
 壁の一部からいきなり上がった空気が漏れる音にまた声を上げてしまった。
 私はあと何回声を上げるのか。それは私にも解らない。
 ともかく目の前の壁がシャッターのように上がりその奥に階段が現れた。秘密基地みたいだ。
 いや、多分そういう目的で作った、本当の秘密基地なんだろうけどね。
「さぁ、行きましょう」
 古泉君の後をついていくようにその中へ入っていく。背後の開いた壁から入り込む光でギリギリ見えるような暗さ。
 ふとその光が段々と狭くなっていく。後ろを見ると壁がまたシャッターのように下りていくのが見えた。
「え? 勝手に閉まって…」
 怖くなった。このまま真っ暗になったら、見えなくなるし、足元とか何とかどうしよう…。
「あぁ、自動的に降りるようになっているんですよ。扉が完璧に下までいったら電灯が灯されるので安心して下さい」
 そういう事は早く言ってよ。
 やがて真っ暗になってからすぐに明るく照らされる。この階段はかなり奥まで続いているようだった。
 『機関』っていうのはこういうところにも手を出せるんだから相当大きな組織なんだな、と思い知らされる。
 これもお金の力なのかな…。というよりスポンサーに警察があるのか。あぁ、私には考える事自体が難しくて解らない…。
 ある程度降りると部屋が広がっていた。沢山のモニターが並んでいる。
 私には難しくて解らない物とカメラの映像だと解る物。署内の映像と他にも色々あるみたい。
 更に扉がいくつかあって、色々な部屋がまだあるようで、何というか地下王国と名付けると良いかも。
「凄いね…」
「宿泊する為の個室、飲食料、ライフラインもここには揃ってます。空調設備等のような細かいところまでハイテクですよ」
 そう解説する古泉君は早速モニターの前に座って手元にあるキーボードのようなものに何かを入力している。
 何をしているのかは分からないけど、外界との連絡か、現状の調査をしているんだろうとは思う。
「ここで森さん達を待つの?」
「そうです。僕はここでモニターを見て森さんが来るのを待ちますので、貴女は個室で休んで下さっても良いですよ」
 そう言われて私はすることもない、というか出来ることがないから遠慮なく個室に入ることにした。
 個室の中はそれなりに綺麗だった。地下にあるから窓はないけど、狭苦しいとは思わないぐらい広い。
 AV機器も揃っているし、浴室やトイレだって備えられている。冷蔵庫もある。
 正直、私の部屋よりも快適な環境だと思う。
「よっこいしょ、と」
 まるでおっさんみたいな掛け声と共に私は個室のベッドに身を預けた。
 ボフッと心地よい感触で受け止められる。睡魔を誘う特有のフカフカ感だ。
 ゴロン、と転がる。一応手入れはしているのか、埃っぽい感じはしない。
 そもそも、外界と遮断しているようだし、空調設備もハイテクと言っているから埃すら舞う事がないのかもしれない。
 天井をじっと見つめて思う。
 こうしてみると改めて機関という物の凄さ、それ以上にハルヒの凄さを思い知る。
 ここまでの組織が必死になるんだから、よっぽど神なんだと思う。この組織にとって。
 それは古泉くんにとってもそうなのだろうか? 私には分からない。若いのに命がけで働いている。
 でも、私たちと同年代、もしくはそれより幼く見える森さんも同じ。
 神として守っているのか、それとも別存在として守っているのか。私には分からない。
 もし神として守っているのなら、私は神の付属品として守られているのかな。そんな事を考える。
「はぁ…」
 ふと視線をずらすと冷蔵庫が目に入った。私は立ち上がってその扉を開け、中がどうなっているかを見た。
 そこにはいくつかの飲み物と食べ物がおいてあった。冷蔵庫の横にはレンジがあり、おそらくこれで暖めて食べるのだろう。
 賞味期限を確認するが、切れているという事は無い。ちゃんとどれもまだ食べられるし飲める。
 その中から何となく目に止まったビールを未成年だけど手に取ってみた。
 決して子供の背伸びではない。お酒を飲んで嫌な事を忘れるとはよく言うけど本当に忘れられるのかな、と。
 プシュッ、という良い音を立てて開いたそれを飲む。
「苦い…」
 が、飲めないということはない。ビールは苦味が旨味だというし、このまま苦味を楽しむ気持ちで飲むのがいいかもしれない。
「ごくっ…ごくっ…ふぅー」
 そうやって缶一本をゆっくりと飲み下した。お酒なんて飲んだことないにも関わらず飲み干してしまった。
 当然という具合に、やがて時と共に朦朧としてくる意識。
 あぁ、何となくボーッとしてきた。どうせベッドがあるんだから、このまま寝ても良いよね。
 私はそうしてベッドにバタンと倒れると目を閉じた。
 
 
 
 ………。
 
 ………………。
 
 夢を見た。
 
 そこはSOS団の部室でハルヒと朝比奈さんと有希ちゃんと、そして古泉くん。
 私は、いない。代わりに男の子がそこにいる。あれは誰?
 
 ううん、私は知っている。
 
 ブレ始める視界。空に皹が入っていく。汚染されていくかのように何もかもが汚れていく。
 全てがこの世界にばら撒かれていく。あぁ、知っているのに。何でこんなに客観的なんだろう。他人事ではないのに。
 景色が流れていくメリーゴーランド。
 周りは目を背けるけど、小さなところで何かが叫んでいる。きっと私だ。
 ガラスの翼を広げて飛ぶかのように不確かな世界。だから行かないでと願ってしまうけど、それは違う。
 
 私は知っていたんだ。それを無意識で思い出したんだ。
 
 現実を知らなかった体は今まで何とも無かったけど、思い出した瞬間に自分が知っている世界との違いで歪んだ。
 だから私は山根くんに呼び出された日、耐え切れずに倒れた。
 まだ暗い朝に窓を額に見立ててこの世界を見るような。
 私は行かないで欲しかったんだ。何もかも忘れて覚えていなかったから。
 ガラスの翼のように脆い場所で、自らを守る形で愛を望んで。
 この世界を見下ろせるような観覧車があればきっと今なら気づける。
 ただ崩れ行くことさえ甘く綺麗で、怖い。そんなこの世界の事を。
 いつか、深淵から現実の鐘が鳴って、風と共に私たちは滅びるのかもしれない。
 
 そんな脆い…。
 作られた世界だって、私は知っている。
 
 私はそんな夢を見た。
 
 ………………。
 
 ………。
 
 
 
 ―――さん…ください、キョンさん、起きてくださいってば。
 
 何か夢を見ていたような気がするけど、思い出せない。
 気づいた時、ただ聞こえるのは古泉くんの声だった。
「んぅ…あぁ、古泉くん…」
「お酒なんて飲んで何をしているんですか? この現状から逃げ出そうとしてもお酒では逃げられはしませんよ?」
 あぁ、そうだ。私、お酒飲んで眠くなって、寝ちゃったんだっけ?
 ちょっと気分が悪い。そういえば飲んだことないお酒を缶で一本丸々飲んだだもんね。
 それは確かに気持ち悪くなっても仕方ないと思う。まさに自業自得という奴だろう。
「はい、どうぞ」
「んー、ありがとう」
 コップ一杯に注がれた水をぐびっと飲み干す。水かと思ったら白湯だった。
 そういえば二日酔いには白湯が良いっていうしね。それにしても白湯は美味しいなー。
 なんか沸騰させるとカルキとかが抜けるっていうけど本当なのかもしれない。
「えっと、それで何か用かな?」
 微妙にぐぁんぐぁんする頭を必死に動かして尋ねる。
「食事の用意が出来たので呼びに来たんです。冷蔵庫の中のをレンジでチンでも出来ますが、体にあまり良いとは言えませんし」
「え? 古泉くん、料理出来るの?」
 私はベッドから立ち上がると、それと同時に歩き出した古泉くんの後を追って部屋の外へ出た。
「まぁ、多少ですがね?」
 モニターばかりの部屋。その部屋に普通に出されているテーブルと椅子。
 そこには何となく無難だが、綺麗な料理が並んでいる。
 定番たるハンバーグとライス、それとしっかりと野菜が取れそうなサラダ。
「どうぞ」
 古泉くんが椅子を引いて座らせる。私が座ると古泉くんは反対側の椅子に着席した。
「いただきます」
「いただきます」
 二人で手を合わせて食事を取る。
 なんだろう。そういえば家族の食事ってそういえばこんな感じなんだっけ。二人しかいないけど。
 いろいろありすぎて忘れていた。早いところ家族に合流して、全て解決したら団欒の時を過ごしたいものだ。
 私の妹、母、父は何をしているんだろう、今。
「お、このハンバーグ美味しいね。このソースは良い。私、これ好きだ」
「だいたい、みりんと醤油で作ってます。あとは砂糖や胡椒で味を調整ですかね」
 意外だ。こんなに美味しいものを作るなんて。古泉くんが婿だったら苦労しないだろうなー。
 格好良いし、料理出来るし、絶対良い夫になるだろう。うん、絶対になる。
 私、嫁に名乗り出ちゃおうかな。…なんてね。私らしくない。
「おぉ、このサラダのドレッシングも美味しい」
「恐れ入ります」
 そんな感じで食べ進んでいき、テーブル上には空いた皿だけとなっていた。
 古泉くんはそれを手に何処かへと持っていった。
 てっきり皿洗いかと思っていたら、あっさりとすぐに戻ってきた。
「食器はどうしたんだ?」
「全自動食器洗い機に入れてきました。向こうがキッチンになってるんですよ」
「どこまでもハイテクだねー。流石は機関」
 あらゆる意味で手抜きだ。でも緊急時には食器を洗う時間なんて気にしてられないだろうし、正しいのかもしれない。
 日ごろ家事の手伝いとして食器洗いをたまにしている私には羨ましいけど。
「はい、デザートです」
 そう言って出されたのはハーゲンダッツのバニラと使い捨て型の木製スプーンだった。
 かの有名な高級アイスのふたを早速開ける。と、不意に疑問が浮かんだ。
「そういえば、古泉くん。森さんたちは?」
 気になって声を掛ける。モニターを見るとあれから時間が経ち、夜になっていた。
 時間から考えると森さん達も到着していておかしくはない。少なくとも数時間は経過しているはずだし。
「あぁ、それなんですがね。連絡は取れたんですよ。ただ、森さん達の方に妨害が入ったらしくて」
 席に着席しながらそう言って一口を頬張る。
「妨害?」
 私も一言で尋ねて一口アイスを頬張る。うむ、上品な甘さだな。
 そこらへんの甘いだけのアイスとは違う。
「えぇ。あの化け物達が偶然か人為的かは分かりませんが大量にいたそうです。暗いうちは民家に身を潜めて様子見だそうです」
「あぁ、暗いと飛び出したりしてこないと限らないもんね。そりゃ移動できないか」
「そういうことです」
 モグモグと食べ進むハーゲンダッツ。デザートはあっという間に空になった。
「じゃあ、私と古泉くんはここに二人きりで待つってこと?」
「そういうことになりますかね」
 酔っ払って寝ていた私が思うのも難だが、不安だなー。
 多分安全には違いない。だけど、不安なものは不安だ。万が一にでも何かあったらどうしようか、って。
 今頼れるのは古泉くんだけだ。例えば個室に一人きりの時に何かあったらどうしよう。
 あー、まずそんなことはないんだ。落ち着け、私。
「じゃあ、これから朝まで何もしないの?」
「明るくなってから森さんが動くならモニターを見る理由はないですしね。まぁ、僕も休みますかね、今日は」
 そう言って古泉はゆっくりと立ち上がる。
「やっぱりそうなるか」
 空になったハーゲンダッツと木製スプーンを私の分も手にとり、近くにあるゴミ箱らしいところに放り込む。
 その足で数ある個室の中から、そのまま私が使ってない個室へと向かう。
「しばらくは起きてますので、何かあれば僕の部屋に来てくださってかまいませんからね?」
 古泉はいつものにこやかスマイルを浮かべると部屋の中へと消えていった。
 …私はどうするかな。
 なんて考えながら自室として使っている個室へと戻る。
 寝るかななんてことも考える。でも、食べたあとすぐ寝るのはなんだかなー。
 そして、ポツンと一人で部屋のベッドに座る。
 することもないけど、いまだに不安は残っていた。気分を紛らわせる為にテレビを見るのも良いかもしれない。
 電源を入れると、テレビ画面に集中する。私たちの町については何一つどのニュース番組を見ても報道されていない。
 多分、『機関』の圧力なんだろう。そうやってテレビを見ていて、あるチャンネルでパニック映画らしいものが映った。
 主人公らしい女性が一人で家を回る。家の中には追跡者がいて、女性を追い掛け回している。
 もしこれと同じ上雷になったらどうしよう。
 今この状況下で、私は一人でいる。安全性があるとは分かっているけど、でも、この部屋では一人なんだと。
 そう思った瞬間に不安が私を塗りつぶした。怖くなった。
 ただひたすらに一人でいるという事実が怖かった。
 すぐに部屋を飛び出して古泉くんがいる個室へと向かう。
「どうしたんです?」
 扉を開けると古泉くんは本を読んでいた。その視線をこちらに向けていつも通りに微笑む。
 あぁ、これだけでなんでこんなに安心できるんだろう。きっと今の私はそれだけ追い込まれているのだろう。
「一人じゃ怖くて…ここが安全だと分かっていても怖くて…」
 まさか古泉くんに頼る日が来ようとは…。いや、今までも結構頼ってたけどね?
 ただ、ここまで頼る日が来るなんて、って意味で。
「あぁ、なるほど。良いですよ。怖くなくなるまでこの部屋にいます?」
「…うん」
 恥ずかしいとは思わなかった。それ以上に、せっかくだから甘えたかった。そもそも恥ずかしさを感じる余裕がなかった。
 ささっと古泉くんの傍に寄り、古泉くんに密着するように座る。
「ち、近いですね?」
「…怖いから、こうしていたいの。古泉くんにくっつきたいわけじゃないんだからね?」
 そう言いつつ接している肩が暖かい。生きている人が隣にいるということ。ただそれだけを感じる。
 何となくそれが嬉しくて、
「キョンさん? どうしたんですか?」
「え?」
 古泉くんが驚いた顔でこちらを見つめていた。
「だって、泣いてますし…そんなに怖かったんですか?」
 手のこうで目のあたりを拭う。拭った手がぬれていた。色々我慢していたせいか、知らないうちに涙が流れていたらしい。
 その涙を指摘された途端に、こみ上げてくる何か。それは自分では抑えられなかった。
「ひっく…ぐすぅ…っ…あ……」
 ただただ、子供のように私は泣き出してしまった。
 ふと、古泉くんがそんな私を優しく抱きしめてくれた。
「僕の胸を貸します。思いっきり泣いていいんですからね? 僕が傍にいますから」
 優しいぬくもりに安心する。今はその言葉がすごくありがたかった。
 頭をそっと撫でてくれる手も、日ごろ気に入らない古泉くんに抱きしめられているのも嫌じゃなかった。
 そして、私はそのまま泣き続けて、いつの間にか眠りに落ちていた。


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