あの後結局ハルヒはダウナーなオーラを放ったままで、俺との会話は一度も無かった。朝比奈さんにまでちょっかいを出したと知ったらどうなるだろうか。考えるだけでも恐ろしい。
 そんな一抹の不安を残しつつ一旦家に帰ると、私服に着替えしばらくゆっくりしてから駅前へ向かおうと思っていたのだが、いてもたってもいられなくなった俺はまだ空が暗くならないうちに家を出た。こうして着いたのが指定された時刻の一時間ほど前。いくらなんでも早く来すぎたかなと思いつつも、入口に寄り掛かって忙しく駅に出入りする人々をぼんやりと眺めている俺だった。
 流石に中へ入ることはしない。また昨日のあの光景を思い出すからだ。なんだか、高校へ入ってから俺のトラウマは増えるばかりだな。沈む夕焼けを眺めながらなんとなくそう思う。
『プログラム起動条件・鍵をそろえよ。最終期限・二日後』
 あの冬、改変が起こってから見つけた長門のヒントがこれ。今回のケースで考えれば、今日がその二日後だ。最終期限。これを過ぎれば二度と世界が元に戻ることはない。あの時はハルヒの行動力に助けられたというほかなかった。なら今は。
 今回栞は見つからなかったし、あれは長門が世界改変をし、なおかつ俺に判断を委ねたいがための緊急脱出プログラムだったはずだ。だから今回長門のヒントが存在しなくてもおかしくはない。おかしくはないのだが、俺は内心焦らずにはいられなかった。今日を過ぎれば、もう元の世界には戻れないかもしれないのに。俺の周りにヒントは何一つない。湧き立つもどかしさ。
「……焦ったって仕方ねえか」
 深く息を吸って、ゆっくりと吐き出す。そうだ。まだ全ての希望が潰えた訳じゃない。
 地面に視線を落とすと、視界の端に紺ソックスを履いた華奢な脚が見えた。顔を上げる。
「……よう、長門」
 足音も気配も無かったことに関しては突っ込まないでおこう。軽く手を挙げて挨拶をする。ノーリアクション。ちなみに今はまだ指定された時刻の三十分前だ。
「きて」
 一言だけ言い放ってくるりと背中を向ける。……ついていくしかないか。何か手掛かりが見つかるかもしれないしな。駅を行きかう人々に紛れた長門を見失わないように、俺は歩き出した。



 マンションまでの道を辿る間、会話はなかった。周囲はもうすっかり暗くなっている。
 妙に蛍光灯が煌々と光る生活感の無い部屋。コタツ机を挟んで長門が向かい側に座っている。目の前にはほうじ茶の淹れてある大きめの湯飲み。その向こうにいる長門は眼鏡をかけているわけでもないしおどおどしているわけでもない。
「それで……何の用だ」
 この沈黙に耐えきれずにまず口を開いたのは俺だった。こいつの家にまで来たって長門がはいヒントはこれですと提示してくれるわけでもない。とりあえずなにか手掛かりをみつけようとホイホイと着いてきただけだ。何だかどうしようもないな俺。
「あなたは、何者」
 無表情のまま長門がそこらへんの少年漫画でありがちな台詞を吐いた。
 何者って言われても……ごく一般的な男子高校生であるとしか言いようがない。この場合は私は異世界人ですと答えた方がいいのだろうか?
「今日、朝比奈みくるがあなたが教室にやってきたと言っていた」
 ハルヒの前でか。
「そう」
 あちゃあ、やっぱり怪しさがどうなんて考えずに口止めをしておいた方が良かったか。翌日ハルヒに会ったら烈火のごとく俺を怒鳴りつけるさまが目に浮かぶようだ。
「ハルヒは怒ってたか?」
 長門がわずかに顎を引く。「でも」長門は続けた。
「でも朝比奈みくるは、同時に奇妙なことを言っていたと」
 ああ、そりゃそうだろうな。一学年上の先輩に生まれ年はいつですか、だ。鶴屋さんは遠慮してそう問うたと解釈したようだが、傍から見ればそりゃ奇妙に思えるだろうさ。
「そうじゃない。あなたは部室内の様子を知っていた」
 部室内の? ……ああ、古泉のボードゲームの相手がどうって話か。ただの興味本位というか、世間話のつもりで言っただけなんだがな。それがどうした。
「一昨日のあの一瞬では、関知し得ないこと」
 確かにそうかもしれない。あの時朝比奈さんはお盆を持っていただけだし、古泉はその朝比奈さんの淹れたお茶を啜っていて、ゲームボードなんてテーブルの上には置いてなかった。ああ、そういえばここ最近朝比奈さんの緑茶を飲んでいない。この長門の淹れたお茶に文句がある訳ではないが、朝比奈さんの手ずから淹れてくれる玉露を男子の中で一人占めしている古泉が妙に憎らしく思えた。
「古泉一樹が、時々向かいの校舎から覗いていたんじゃないかと言っていたが、いままでにそんな人間は見えなかった」
 覗いただと? なんて失礼な野郎だ。俺はそこまで変態じゃない。
「……ってちょっと待て。今までにそんな人間は見えなかったって、お前がいつも向かいの校舎を監視してたってことか?」
「監視していたわけではない。だが、覗いている人間がいれば窓際にいるわたしが気付く」
 俺は閉口した。そうか、お前は活字の海にいながらそんなことも出来るのか。お前の目は一体どこにあるんだ。というか今のお前は本当に人間か。って何度目の質問だよこれ?
「何故、あなたは部室内の様子を知っているのか。答えて」
 長門の視線が俺を射抜いた。それきり流れる沈黙。何故知っているのかと言われたって、俺がSOS団の団員だからとしか答えようがない。だがそれを言ってしまうとこれまであったことを全て話さなくてはいけなくなる。いや、いっそ全部ゲロしちまった方がいいのか?
 だが俺はそこで一つの疑問に行き当たった。
「長門が俺をここに呼び出したのは昼休みだが、お前がその話を聞いたのは放課後だろ? なんでそれを知る前に俺を呼び出そうと思ったんだ」
 長門は俺から目線を外さない。
「その事実がなくても、あなたが特異な存在に思えたから」
 そう言ったきり、長門は黙った。なんなんだろう。こいつには異人センサーか何かでも付いているのだろうか。
 俺が考えあぐねていると、部屋に呼び鈴の音が響き渡り、思わず俺は固まった。
この状況、呼び鈴を押した奴の正体が一人しか思い浮かばない。長門が立ち上がる。やめろ。出るな。思わずそう引き留めたくなる。いや、本当に引き留めた方が良かっただろうか。長門があの時と同じく呼び鈴を鳴らした相手に断りの言葉らしきものを話している。
 しかし長門が悔しくも押し負けたらしく戸口の鍵を開けた。嫌な予感しかしないが、逃げ場もない。この間のように大人しくしていれば問題ないはず。なんだか銀行強盗に押し入られた銀行員のような気分だ。
「あら」
 以前と全く同じ格好で鍋を掲げ持ちつつ靴を脱いだのは朝倉涼子。だが、その後ろにさらにもう一人。
「あれ? あなたは……」
 なんでこの人がここにとも思ったが、こいつらの共通属性を考えればいるのも当たり前なのかもしれない。セミロングの髪を揺らし、柔らかそうな雰囲気を放つのは、俺が出会ったインターフェース最後の一人であるところの喜緑江美里さんだった。
「なぜ、あなたがここにいるの? 不思議ね。長門さんが男の子を連れてくるなんて」
 あの時と一字一句違わない台詞を吐くのはやめてくれ。
「あの、この人は?」
「あら、そういえば喜緑さんは知らないわよね。彼、あたしのクラスメイト。長門さんとお友達だったなんて知らなかったけど。
 こちら、喜緑江美里さん。あたしたちより一つ年上よ。実は、あたし達三人みんなこのマンションに住んでるの。みんな違う階なんだけどね。それで、同じマンションのよしみで仲良くさせてもらってるわけ」
 喜緑さんがあの生徒会長の脇にいる時のような穏やかの微笑みを湛えて会釈した。反射的に会釈を返す。予想外の来訪者だったが、初対面らしいリアクションからして恐らくこの人も普通の人間なんだろうな。
「それで、なんであなたがここにいるのかしら? もしかしてストーカー?」
 断じて違う。俺が長門に誘われただけだ。
「それは」
 長門が鍋を指差して言う。
「ああこれ? 肉じゃがよ。ジャガイモが安かったから、沢山作って喜緑さんと一緒に食べようかと思って持ってきたの。どうせ碌なもの食べてないんでしょう。ご飯ぐらいは炊いてあるわよね?」
 朝倉がそう言いながら台所へ向かい、どかりとその大きな鍋をコンロの上に置いた。
「長門さん、食器を出してもいいですか」
「いい」
 喜緑さんの事務的な問いに、長門が即答する。喜緑さんがにこりと微笑むと食器の棚を開けて深皿をとりだした。非常に居づらい。帰るしかないのか。
「あなたはここにいて」
 俺の心の中を読み取ったかのように長門が言う。そんなことを言われましても。
 マンションの一室に美少女が三人と俺一人。それはもう居づらい状況だ。そういえば今のSOS団も似たような状況なんだよな。古泉はあんな環境にいて周囲の男子から嫌がらせをされたりしないんだろうか? 映画撮影の時朝比奈さんにキスをしようとする場面があったというのに文化祭の後も平気な顔をしていたから、特に何事もなかったみたいだし今も大丈夫なんだろうな。畜生あのハンサム顔が今ばかりは羨ましい。俺だったら多分殺されてる。
 長門が肉じゃがの皿を運びに台所へ向かう。
「遠慮すること無いわ。三人で食べるにしてもちょっと多すぎる量になっちゃったんだもの。ただしあなたがここにいる理由はちゃんと答えてもらわなきゃいけなくなるけどね」
 台所の向こうで皿に肉じゃがをよそいながら朝倉が言った。どうせ言いたくないので帰ります、じゃ通じないんだろうな。
 何もせずここに座ってるわけにもいかないので、運ぶのを手伝いに俺も台所に移動した。



 湯気を立てる白飯やら肉じゃがやらが並んでいる食卓を囲んでいるのは元宇宙人が三人と冴えない男子高校生が一人。遂に宇宙人三人娘が揃い踏みか。あまりにもシュールな光景だ。
 ここでもやはり明るく話すのは朝倉だけで、喜緑さんはそれにときたま相槌をうち、俺は話を振られたときに生返事をするだけ。長門は黙々と飯を口の中に運び入れる作業を繰り返している。
 あの冬の時ほどまでとは言わんがなかなかに重苦しいようななんだか訳の分からん食事風景だ。
「おかわり」
 ようやく長門が口を開いたと思ったら出て来た言葉がそれだった。はいはいと言いつつ何故かその空になった茶碗を受け取り台所に向かう朝倉。なんだか親子みたいだなとは感じたが微笑ましく思うところなのかどうかは分からない。喜緑さんは何故肉じゃがぐらいでと思えるくらい流麗な手つきで食事をしていらっしゃる。
 そんな風景を眺めつつも俺は目の前にある飯をただ腹に詰め込むだけだった。確かに朝倉の作った飯はうまいような気がしたが、飲み込む瞬間にはもはやどんな味だったのか分からなくなっていた。
 そんな苦行のような食事がこれまた一時間続き、ようやく朝倉が腰を上げる頃には俺の胃が鉛のように重くなっていた。
 長門は俺の倍近くの量を食べているはずなのにけろりとしている。四人で食うには多すぎると思った鍋の中身はほとんど無くなっていた。本当にこいつが普段ろくな食事を摂っていないというのは事実なのだろうか?
「じゃあ、あたし達はもう帰るわね。余った肉じゃがは朝ごはんにでもしてちょうだい。鍋は今度取りに来るから」
 喜緑さんもそれに倣って席を立つ。俺も帰らせてもらおう。恐らくここにいても、もう何も掴めない。
「じゃあな、長門」
 朝倉と喜緑さんが戸口を出るのに続こうとすると、
「待って」
 振り返ると、直立不動で俺を見上げる長門。流石に袖は掴まれないか。って俺は何を期待しているんだ。
「今度、ちゃんと返事を聞かせて」
 相変わらずな無表情の長門の言葉は、本当に愛の告白みたいだった。



「何? まさかあなた、長門さんに告白でもされたの?」
 マンションの部屋を出ると朝倉がくすくすと笑っていた。盗み聞きとは、あまり感心しないな。
「同じマンションに住んでるんだもの。気にかけて当然だわ。長門さんに男なんて出来たら、それこそ天変地異の前触れと考えてもおかしくないんじゃないかしら?」
 確かにそう思う気持ちは分かる。だがな、あいつは感情の無い人形なんかじゃないんだ。それこそ誰かを好きになったりすることだってあるだろう。長門は長門でSOS団に愛着があるみたいなふうだったしな。その相手が俺かというと疑問しか残らないが。
「羨ましいですね。異性だとか、告白だとか」
 喜緑さんがふふ、と笑う。なんだかこの人の人間らしい笑みを見たのは初めてのような気がする。だから、愛の告白とかそんなんじゃないですって。
「何言ってるのよ。喜緑さんだって彼氏がいるじゃない。コンピ研の部長さんなんだっけ?」
「それは昔の話です。あの人とはずいぶん昔にお別れしました。今は、そうですね。良き友人としてお付き合いさせてもらっています」
 なるほど、そういうことになっているのか。ところで、喜緑さんというのは素でこれほど丁寧な人なのだろうか。本音が全く読めん。
「それじゃ、おやすみなさい。朝倉さん、晩御飯ごちそうさま」
 そう言ってエレベーターで喜緑さんが降りたのは六階だった。ちょうど長門と朝倉の間か。この配置に意味はあるのだろうか? 深く考えてもどうせ無駄にしかならないが。
「うん。それじゃあね」
 朝倉が手を振る。俺が軽く会釈をすると、喜緑さんは薄く微笑んで、エレベーターの扉の向こうに消えた。
「良い人よね、喜緑さん。彼女、生徒会の書記もやってるのよ」
 それは知ってる。何度も生徒会長の隣に佇んでいるあの人を見たことがあるからな。
「あたしも生徒会入ろっかなあ。なんか、あたしの頑張りでみんなが笑ってくれると、とっても嬉しくなるのよね。あなたは、みんなを引っ張っていきたいとか思ったこと無いの?」
 無いな。俺はクラスの構成員の一人と言うだけで充分だ。というか、すぐ近くに人を引っ張るどころか振り回しまくる人間がいるから、そういう立場になりたいと思ったことも無い。
「へえ、もったいないなあ。まあ人には向き不向きってものがあるものね」
 そりゃどういう意味だよ。
 気がつけば、エレベーターは一階までたどり着いていた。もうすっかり遅くなっちまったな。晩飯を食べてきたと言ったら相当親に怒られそうな気がするが……。
 そこまで考えて俺はようやく気付いた。隣にいるのは朝倉。
「……どうしてお前がここにいる」
 お前の部屋は五階だろう。そう問うても、朝倉は微笑むだけだった。
「まあいいじゃない。ちょっとあなたと話したいことがあるの。途中まで送ってくわ。
 それとも、男女が逆なのが気になるかしら?」
 そう言って朝倉は、ふざけたように笑った。



 街灯によって点々と照らされているだけの道を歩く。初夏だというのに随分な冷え込みだ。
「なんだよ、話ってのは」
 朝倉と暗い夜道で二人きり。身の危険を感じずにはいられなかった。これも男女逆か?
「あのさ、長門さんの事どう思ってる?」
 朝倉は街灯の光に集まる虫に視線を眺めながら言った。
「どうって……」
 文芸部の部長にしてSOS団のメンバーでもある情報生命体製アンドロイド。SOS団で最も頼りになる存在であり、二度もお前が向けた刃から俺を守ってくれた。真っ先に思いついたのはそれだったが、こいつを目の前にしてそんなことは言えなかった。
「あの娘さ、ちょっと表情が乏しいところがあるじゃない? そのせいか他人に誤解されやすかったりするんだけど、根はいい子なの」
 ああ、それは身に沁みるほどよく分かってるともさ。
「でもさ、時々寂しくなるわけ。だって、いっつも無表情なんだもの。長門さんにも長門さんなりの考え方とか、感情があるのは分かってるんだけどね。あなたは、どう思う?」
 そんなこと言われたって、長門は長門だ。どうもこうも無いだろう。
 朝倉は考え込むようにうーん、と唸ると、長い髪を夜風になびかせながら言った。
「じゃあさ、あなたはどの長門さんが好き?」
 どの、とは?
「だからさ、あなたは情報統合思念体によって生み出されたインターフェースの長門さんと、冬のあの感情豊かな長門さん、それと以前の性格をそのまま残して人間になった今の長門さんのどれが好き?って聞いてるの」
 しばらく朝倉の言葉の意味が理解できなかった。というか脳が処理することを拒否したという方が近い。
 朝倉は先ほどと全く変わりない笑みを浮かべている。何言ってんだこいつ? 今なんて言ったんだ?
 その意味を理解した瞬間、俺は反射的にその場から飛びすさっていた。
「もう、鈍いなあ」
「てめっ……いつから!」
「いつって? 最初からよ。この世界の情報が書き換えられた瞬間から、あたしは存在を許されここにいるの」
 朝倉が飛びのいた俺に当たり前の顔をして歩み寄ってくる。
「く、来るな!」
「ふふ、安心していいわよ。この世界に情報統合思念体は存在しない。だからあたしも今は普通の人間。あなたが想像するような宇宙的な力はなんにも使えないわ。もちろん、あの二人もね」
 だからといって懐からナイフを取り出してこないとは限らないだろ!
「あら、そんなことを心配してるの? 言っておくけどあたしは何も武器を持ってないわよ。別にあなたを殺すためにこの世界に存在してるわけじゃないの。勘違いしないで」
 朝倉が両手をあげて溜め息を吐いた。やれやれ、とでも言わんばかりに。
 ふざけんな。だからと言ってはいそうですかとぽんぽん受け入れられる訳が無い。なんでお前がここにいる? 存在を許可されただと? 一体誰に。
「ねえ、そんなに怯えるのやめてよ。あたしにあなたを殺す意思なんて無いんだから、誰かに見られたら厄介だわ」
 気付けば朝倉が目の前に迫ってきていた。北高のセーラー服にはあんなゴツいものをしまえるようなポケットは付属していないし、宇宙パワーが使えないのなら目の前でナイフを生成することもかなわないだろう。長門や喜緑さんの様子を見ても思念体が存在しない世界であることは確実だ。
 本当に今のこいつには殺意が無いのか?
「ほら、歩こ。ま、殺意が無いというより、手出しが出来ないと言った方が正しいわね。おまけに長門さんはあんなだし。あたしはただのクラスの委員長で長門さんのお友達。本当に退屈だわ」
 手出しが出来ない? 改変した奴から強制力でも行使されてると言うのか。
「んー、平たく言えばそうね」
「一体どこのどいつが世界を改変した? 答えろ」
 朝倉はパソコンの使い方を分かってないジャングル奥地の原住民を見るような顔でくすりと笑うと、
「そんなことあたしが知るわけ無いでしょう。あたしはただ再構成されただけ。何も関知してないわ」
 と髪をかき上げながら言った。
 それだけ分かれば十分だ。お前はもうマンションに戻ってくれ。いくら何も持っていない、丸腰と言えど俺は二度も殺されかけた奴と仲良く人気の無い夜道を歩くつもりは毛頭無い。
「あら、もういいの? 全くヒントが見当たらない今、元の世界を取り戻す手掛かりになり得そうなものはあたししかいない。違う?」
 からかうような笑みを浮かべる朝倉。畜生。全て見透かされている。俺は舌打ちするのを我慢しなかった。
「……お前は、誰だ?」
 俺は一番に沸いた疑問をぶつけた。
 情報統合思念体の急進派から派遣されたヒューマノイド・インターフェースなのか。それともあの時と同じく長門の影役か。それ以外か。
 朝倉は目を軽く見開いた。
「何それ? とっても興味深い質問ね。流石、涼宮ハルヒが新たに世界を創造しようとした時、唯一存在を許された人間ってとこかしら。
 そうね、あえて言うなら、その全てがあたしであってあたしじゃ無いってとこかしら? どのあたしも、この広大な宇宙をたゆたう情報統合思念体を構成する一部の情報が切り取られ、肉体という器を与えられて地球上に構成された。再構成される際に、一人の人間、朝倉涼子として成り立たせるために記憶等の情報が与えられたの。違う有機生命体ではあるけれど、記憶も考え方も一致しているわ。ちゃんと情報としてあたしの中にあるの。長門さんに情報連結を解除された記憶も、あなたのお腹に穴をあけた記憶もね?」
 朝倉はクラスの女子と談笑するのと変わらない調子で答えた。途端にあの時の記憶がフィードバックして腹が痛んだ。悪趣味も大概にしろ。
 よく分からんが、とにかく今までに出会った朝倉は全て同一人物と考えるのが妥当なのか。
「でも、そう考えるとだんだん犯人が絞り込めてくるんじゃないかしら。ここには情報統合思念体が存在しないからまず除外。残る候補は誰? ――あなたの頭に、二人の女の子が浮かんできたんじゃないかしら」
 俺はまた舌打ちをした。朝倉の全く言った通りになったからだ。
 朝倉は顎に細い指をあてた。まるで放課後どこで遊ぶかを考える女子高生みたいに。
「まずは涼宮ハルヒね。動機や改変後の状況から察するに、あなたより古泉くんの方が良くなって邪魔なあなたをSOS団から追放した。古泉くんと話している時間が一番長いのはあなただものね。どうかしら?」
 俺はそれを鼻で笑った。それこそあり得ない。前述した通り、ハルヒがそんなことを考えていれば改変が起こる以前に俺が気付く。
「まあそうよね。もしそうなら涼宮さんはあなたを他校に転校させるぐらいやりそうだから。同じクラスにあなたを置くはずがないわ。
 じゃあ残る一人は?」
「……長門はこんなことしない。それは俺が一番よく分かってるさ」
 そうだ。長門はもう、そんなことはしない。そう確信できる。
 朝倉はテレビ番組でも見てるみたいに笑うと、
「涙ぐましい友情ね。ならこう考えたらどうかしら。
 長門さんはあなたが好きなのよ。でも同じSOS団にいるっていうのに、あなたは朝比奈みくるばかり見ている。それに涼宮ハルヒも邪魔。だからいっそ、あなたをSOS団のメンバーじゃないということにしてしまった。必然的にあなたはメンバーとコンタクトを取ろうとするけど、涼宮さん達のあなたとの記憶は消し去ったからあなたは簡単にあしらわれ、挙句の果てに異常者扱いをされてしまうの。そこに現れたのが宇宙人なんかじゃない、人間の長門さん。涼宮さんに敵意を向けられ、傷ついたあなたを癒すために長門さんは自分のマンションへ呼んだの。
 つまり、これはあなたを籠絡するための巨大な装置なのよ。そしてあたしはそのために必要な駒。あたしは、あなたと長門さんの間を取り持つために再構成されたの。一見馬鹿馬鹿しく思えるけど、実に長門さんらしい行動ね。あの娘、ああ見えて一途だから」
 ああ。実に馬鹿馬鹿しいな。あり得ないにもほどがある。もし、万に一つとしてあり得ないとしてもだ。もし長門が俺に好意を寄せていたとしたら、それこそハルヒと俺を引き離しそうなもんだろ。あの冬みたいにな。それをしないってんなら、長門だってこの改変の犯人候補から外すことができる。
 朝倉がくすりと笑う。先ほどから笑ってばかりだが、何がそんなにおかしいんだ?
「分からないの? 長門さんはあなたをものにしたいという気持ちがあったけど、同時にあなたを世界改変に巻き込みたくないっていう気持ちも存在してたのよ。だから、涼宮さんをこの学校から追放することが出来なかった。あなたの気持ちを尊重したいけど、同時にあなたを手にしたいという気持ちもあった。
 ふふ、なんていじらしい長門さん。そんな長門さんの気持ちを無下にしようとするなんて、あなたの良心は痛まないの?」
 そんなこと、有機生命体の死の概念が理解できない奴に言われたくないね。
 大体お前はどこまで知ってるんだ。一年前、ハルヒが世界を造り変えようとした事件の数日前にお前は消滅したし、その後の再会も改変世界における数日間だけで終了したはずだ。
「それが不思議なの。何故かあたしが再構成された時、この一年であなた達に起こった出来事があたしに情報として与えられていたの。どうしてなのかしら。情報を与えたのは一体誰だと思う?」
 ……そんなまさか。
 長門が再び世界を造り変えようとするなんて有り得ない。あの時俺は決意したんだ。もう長門に負担をかけまいと。長門ばかりを頼りにするのはもうやめようってな。
「手掛かりの無いこの状況で、『有り得ない』の一言で一つの可能性を勝手に潰してしまうのは、あまり賢い選択には思えないけど」
 朝倉は相も変わらず笑っている。
 違う。騙されるな。大体朝倉はなんでこんな話を俺にしているんだ? 恐らくこの改変が修正されれば朝倉はまた消滅する。俺を真実に近づけてしまえば、自分の寿命を縮める事にしかならないんじゃないか……?
 いや、こいつらに寿命なんて概念あるはずがない。じゃあ何のために? 分からん。こいつの真意はなんだ。錯乱か、裏切りか。
「あ、涼宮さんに古泉くんだ」
 気付けば、もう駅前に差し掛かっていた。店の看板やら、駅の照明やらが光っている。朝倉の視線を追うと、駅の入り口に言葉通りの二人がいた。
 朝倉がおーい、と手を振る。正直、余計なことをしやがって、と思った俺を誰が責められるだろうか。
「あら、朝倉? 偶然ね。それに……」
 ハルヒの視線が一気に険しくなる。
 目が合う前に、この場から逃げ出しちまえばよかったんだ。
「あんた、みくるちゃんにまでちょっかい出したって本当?」
「……ああ」
「そういえば、有希にも変なことを聞いてたみたいね」
 ああ、何も言い返せないな。
「何が目的なの? うちの団員をどうこうして何をするつもりなのよ!」
 ハルヒがきっと俺を睨んだ。周囲の視線が痛い。
「涼宮さん、落ち着いて」
 傍らにいた古泉がハルヒをなだめる。
「確かに変なことを聞かれはしましたが、何も変なことはされてませんから。僕も朝比奈さんも、長門さんも」
「あら、あなた古泉くんにセクハラでもするつもりだったの?」
 朝倉が茶化すようにそう言った。てめえ、その空気の読めなさはわざとなのか?
 朝倉は笑みを絶やさず続けた。
「それにあなた達、こんな遅くまで遊んでたの? 明日が土曜日だからって、あんまりはめを外しすぎたら駄目よ。補導なんかされたらおおごとだわ」
「あんた達だって他人のこと言えないでしょ。こんな時間まで何してたのよ」
「んー、まあ色々と相談事を受けてたのよ。色々と……ね?」
 そう言って朝倉は俺に視線を寄越した。色々ってなんだよ。
 ハルヒはそれを聞いて一層視線をきつくした。古泉は呆れたような目で俺を見ている。何だその目は?
「もういい。こんな奴に構うことないわ。行きましょ古泉くん」
 ハルヒが怒り顔で背中を向けて歩き出す。それにつき従う古泉。
 だが、それを見て何かが頭に引っ掛かった。
 既視感が頭をかすめる。以前にも、似たような光景を見たことがある気がした。
「おい、待ってくれ」
 反射的にそんな台詞が口をついて出た。だがハルヒは振り返らない。
 なんだ。妙な切迫感が俺を襲う。前にもあった、この状況。
 ……そうだ、目の前の二人は北高の制服こそ来ているが……あの時と、冬の時と同じだ。二人が一緒にいて、ハルヒは俺を睨んでいて、古泉が呆れたように笑っている。
 そうだ、あの時俺は何をした?
 俺は長門のヒントを探そうとして、三人とコンタクトを取ろうとして……そうだ。まだやってないことがまだあるじゃないか。なんでこんなことを忘れていたんだ?
 まだ何も話してない。
 ハルヒに、俺の……ジョン・スミスの事を話していない。
 二人の背中がだんだんと小さくなっていく。
「ま、夜遊びもほどほどにね。あたしも帰るわ。じゃあね」
 朝倉が俺に手を振った。長い髪がそれに合わせてなびいた。
 そうか、もしかして……もしかしてお前こそが、長門の用意した緊急脱出装置そのものだったのか?
「ハルヒ!」
 精一杯の俺の叫びが構内に響く。
 駅中の雑踏に紛れそうになったその瞬間、ハルヒが嫌そうに振り返ったのは、いわゆる神様の御慈悲ってやつだったのだろうか。
「お前に……話したいことがあるんだ」
 とても重要な。世界にかかわる話。
 きっと俺は怖かったんだ。ハルヒが、これ以上俺に対して厳しい視線を送るのが。『団員を守ろうとする団長』という立場を見せつけられるのが。だからハルヒに話すことを拒否していた。
 朝倉はくすりと笑って背を向けた。今だけなら言ってやってもいい。
「ありがとよ……朝倉」
 誰にも聞こえない程の音量で、俺はそう呟いた。





第五章へ

タグ:

+ タグ編集
  • タグ:

このサイトはreCAPTCHAによって保護されており、Googleの プライバシーポリシー利用規約 が適用されます。

最終更新:2020年07月07日 10:32