俺がこの県立北校に入学してから二回目の春が訪れた。

 俺はまたこの一年も前年度と変わりなく、また色々と面倒くさい事態に出くわし巻き込まれることになるんだろうなとうすぼんやりと予測していた矢先に、変な集団プラス旧友が俺の目の前に現れた。そしてなんやかんや、まあなんやかんやとあった末に、事態は新たな勢力のせめぎあいを巻き起こしながらもなんとか現状維持へとこぎつけた訳だ。
 そんなどたばたがあった一方、高校の方はそんなこと関係なしに平常営業を続けており、その後の中間テストは散々なものだった。俺は来年はもう受験だという事実を胸になんとか期末で取り戻そうと決意するまでは良かったのだが、中間テストの終了を待ちかまえていたと言わんばかりにまた面倒くさい事態が、主に団長によってこれでもかと降り注がれてしまい、台風過ぎ去る季節の期末試験はそれはもう酷いものだった。
 親が予備校のパンフレットをさもどこぞの印籠か何かのごとくいよいよ俺に突きつけ入学を迫ってきそうな予感のする、この現状をどうにか打開できないかと思案する一方、俺はテストを終えて後は夏休みを待つだけという何となく浮かれた教室の雰囲気に抗うことは到底出来ずにいた、そんな七月頭の出来事だった。


 過ごしやすかったはずの教室内の温度はじわりじわりと上昇を続け、今年もまたうだるほどに暑い夏になりそうだななどと考えつつ窓の外をぼんやりと眺めていると、季節問わず一年中真夏の太陽のようなテンションで周囲を振り回しまくっているSOS団団長こと涼宮ハルヒが、それこそ太陽のような笑顔で俺の椅子を叩いて話しかけてきた。
「ねえキョン、最近みんなで出かけたりはしてるけど部費って全然使ってなかったじゃない? でさ、その予算をどう有意義に使うか考えたのよ」
 俺は成績の事で頭を悩ませているという時に、お前はそんなことを考えてたのかよ。
「そりゃご苦労なこったな。で、一体どんな使い道を考えついたんだ? 俺としてはこれからのために扇風機なんかじゃなくクーラーとかを設置してくれるとありがたいんだが」
 確かに、ここ最近は春に映画の予告編のような訳の分からない映像を撮ったり妙な新団員オーディションを開催する以外は特に金を使うようなことも無く、適当に遊びまわったりイベントに参加してみたりという程度で、SOS団はもはや本当のお遊び団体となりつつあった。以前は違ったのかと聞かれると答えに詰まるが、イベントに必要なものがあれば適当に持ち寄ったり古泉が用意してくれたりで、なんにも変わり映えしない数ヵ月であったことは自明だ。
 ハルヒは笑顔のままため息をひとつつくと、
「バカね、学校なんてあと三週間もたたずに終わるのよ? そしたら少なくとも夏休み中は部室には来ないでしょ。設置するだけ無駄。第一クーラーなんて教師に見つからないように設置するのだって無理に決まってるじゃない」
 隠れて設置するの前提かよ。申請とかして許可を取ろうとは思わんのか?
 だが、確かにその通りだな。一学期も残すところあと三週間無いのだから、せっかく置いても使わないのなら無用の長物にしかならん。
「じゃあ、何に使うって言うんだ。団長様の私腹を肥やすようなもんに使われるのは御免被るぞ」
「そんなことに使うわけ無いじゃない」
 ハルヒはふふんと笑うと、
「やっぱりコスプレよ! もちろんみくるちゃんの!」
 と自慢気に言い切った。なるほど有意義な使い道ではある。もう大分種類が増えてしまったから、新たに買うような機会も無かったからな。
 しかし、朝比奈さんももう三年生、いわゆる受験生だ。あの方が卒業後未来に帰ってしまうのか、それともこのまま今の時代に残り大学に行かれるのかもしくはそれ以外なのかは分からんが、多少はそこら辺を気遣うべきだと思うんだが。
「もちろんあたしもみくるちゃんが受験生だって事ぐらい分かってるわよ。でも、だからこそ今の内にみくるちゃんに色々な事をさせてみたいの。じゃないと、夏休みが過ぎてからじゃもう遅いかも知れないじゃない!」
 と、ハルヒはどこぞの政治家の演説のごとく両手で軽く机を叩いて言った。むう、確かに一理あるかもしれん。
「しかし、朝比奈さんにはどんなコスプレを着せるつもりだ? あんまり変な物だと俺が許さんぞ」
「それを相談するためにこうしてキョンに話してるんじゃないの」
 そう言ってハルヒはなんとも偉そうに腕を組んだ。ならそれ相応の態度を見せて欲しいものだが。
「最初にバニーをやって、メイド、それからナースにチア、カエルにウェイトレスに巫女さん……その他諸々やったわね。こないだのチャイナドレスも着せてあげたし、いい加減もう思いつかないのよ。で、いつもみくるちゃんに鼻の下伸ばしてるキョンなら何か思いつかないかなーって」
 何言ってるんだ。俺は朝比奈さんに対しては紳士的な態度を貫いているつもりだし、そもそもコスプレするにも衣装が思いつかないんじゃ意味ないだろ。他にもっと有用な使い道があるんじゃないか?
「んー、まあそうなんだけどね……」
 そしてハルヒは俺を半目でねめつけたまま考えこんでしまった。もっとも、朝比奈さんに着せるコスプレ以上に有用な使い道が思いつかないというのは口に出さないでおく。
「あ、光陽園の女子制服なんてどう? あのブレザーかわいいわよね」
 嫌だ。絶対に断る。
「なんでよ? みくるちゃんにも似合いそうだし、前からあたしも着てみたいなーって思ってたんだけど」
 冬のあの時に出くわしたハルヒを思い出し、俺は思わず顔をしかめた。
「……そもそも、どうやって手に入れるってんだ。そこら辺のコスプレショップに売ってるわけないだろ」
「あぁ、それもそっか。じゃあ一体何がいいのかしら? あー、もうネタ切れよネタ切れ」
 そう言ってハルヒは頭を抱えてばたりと机に突っ伏してしまった。なんとか光陽園の制服コスプレを回避出来たのはいいが、いつ佐々木辺りから制服を借りようとか何とか言い出すかも分からん。さっさと別の案を出してやらねば。
 そう思っても頭には何も浮かんでこない。日ごとに青みを増しているような気のする空を見上げながら考えていると、
「………そう言えば、もうすぐ七夕だな」
 見上げる青空に星が出ていたわけではないが、何となくふと思い出した。
 初めての時間跳躍を体験させられ、中学生ハルヒと出会いジョン・スミスと名乗ったあの日。そうか、あれからもう一年も経っているのか。ハルヒから見ればもう四年前の出来事。時間ってのはなんだかんだであっという間に過ぎちまうものだ。
 そうしみじみとしていると、その聞こえるか聞こえないかの音量だったはずの言葉を、どうやって聞きつけたのかハルヒがぴくりと反応した。
「……そうよ、七夕よ」
 ハルヒはそう呟いて、はっと顔を上げた。
「は?」
「分からないのキョン? 今日は七月一日、そう、もうすぐ七夕なのよ!」
 そう言うハルヒの顔は先ほどまでのテンションが嘘のように爛々と輝いている。ああそうだな、それは俺が今言ったさ。まったく感情の起伏が激しい奴だな、今に始まったことじゃないが。
「あー、とどのつまり、織姫のコスプレを朝比奈さんにさせるってことか?」
「そうよ! 今の時期にぴったりじゃない! あ、そうしたら彦星の役も必要ね。順当に行けば古泉君だけど、予算がきついわね……
 あ、キョンは二人の架け橋になるカササギかしら。それとも彦星の飼う牛?」
 俺の役は動物限定かよ。そもそもいつから劇をやることになったんだ。
「そうね、そういうのは文化祭とか後々のためにとっておく事にして……みくるちゃんの衣装だけあれば充分よね。そもそも織姫の衣装ってどんな感じかしら。羽衣とかしてたっけ? それと……着物でいいのかしら」
「よく分からんが、チャイナドレスでない事だけは確かだな」
「うーん……ま、通販のサイト見れば分かるでしょ。無かったら安物の浴衣を買って切るなりなんなりすればいいのよ」
 その一言に俺は目を剥いた。おいおい、一体誰がそんなことやるって言うんだ?
「あたしだってその位は出来るわ。何よ、意外だっていうの?」
「いや、別にそんなことは……」
 普段の態度からは想像がつかないが、そう言えばこいつはどんなことだってそつなくこなしちまうような奴だった。裁縫ぐらいお手の物であったって不思議はない。しかし、扇風機やらクーラーよりも意味をなす期間が短すぎるような気がするが……ま、いいか。
「じゃ、あたしがネットで探すだけだから特に前もって準備することはないわね。それとも、去年は短冊に願い事書くだけで終わっちゃったし、七夕パーティでもやってみんなでパーっと盛り上がろうかしら?」
「ああ、そりゃいいな。でもハルヒ……いいのか?」
「? 何がよ?」
「あ、いや……やっぱ何でもない」
「あっそ。あ、岡部来たわよ」
 その言葉を聞いて前に向き直る。去年の七夕にハルヒがメランコリックになった理由を知っているだけに、ハルヒの態度を何となく気にかけてしまう俺だった。



 そのまま帰りのHRは滞りなく終了し、部室に向ってみると他の三人は既に部室に揃っていた。
「キョンくん、こんにちは。今お茶入れますね」
「こんにちは、朝比奈さん」
 メイド姿で俺に天使のような微笑みを向けた朝比奈さんに挨拶を返す。最近は参考書を開いたりしていることが多い朝比奈さんだが、こうしてSOS団にい続けてくれているのは非常にありがたい。だからこそハルヒはいつこの空間から団員が欠けてしまうのかが心配なんだろう。その気持ちは俺にもよく理解できる。
 窓際では長門が俺には到底理解できそうにない、妙に分厚いハードカバーを広げている。一年中変わらない風景。それが今日も特に異常が無いことを知らせてくれていた。
「どうも。涼宮さんはご一緒では無いのですか?」
 鞄を定位置になっている椅子の脇に置き、すぐに目に入るのはSOS団副団長こと古泉一樹だ。テーブルの上には見たことも無い妙な形のボードゲームらしきものが置いてある。また持ってきたのかよ、飽きないなこいつも。
「ああ。HRが終わったと同時にどっかへ走って行っちまったよ」
 大方七夕に何をするかを考えているうちに色々と思いついちまったんだろう。こうなるとハルヒは止まらないから、後は面倒なことにならないよう祈るばかりだ。主に俺と朝比奈さんに被害が及ぶからな。
「ああ、そう言えばもうすぐ七夕ですか。また短冊に願い事を書いて終わるんでしょうか? 涼宮さんが去年の夏に今度の七夕には浴衣を着たいとかおっしゃっていましたが」
 よく覚えてるなお前も。浴衣を着る予定なのかどうかは知らんが、今年は去年とは違って色々と賑やかになりそうだぞ。パーティなんかもやるつもりらしい。
「おや、それではまたあなたの芸が見られるのでしょうか?」
「…………」
 俺はしかめ面をして古泉を見た。
「……お前もだんだんハルヒに似てきたな」
 しかし古泉は表情一つ変えず、
「褒め言葉として受け取っておきましょう」
 とそつのない笑みを俺に返してきた。長門やハルヒ程ではないが、こいつも少しは変わったもんだ。
「はい、お茶どうぞ」
「あ、ありがとうございます」
 朝比奈さんが目の前に濁りの無い緑茶を差し出してくれた。一口すすってみる。うん、今日もうまい。
 そういえば、去年はあっさり終わったと思ったら朝比奈さんに部室に残るように言われて、初の時間跳躍を体験させられたりした訳だが……また未来からの指令に巻き込まれたりすることがあるのだろうか?
 俺の意味ありげな視線に、朝比奈さんは首をかしげて微笑みを返すだけだった。
 ま、いいか。巻き込まれたらその時はその時だ。危ない目に遭ってもそれは朝比奈さんのせいではないし、命の危険にさらされることももう無いだろう。それに、春以来、俺の周りには平和が続いている。長門は本を読んでいるだけだし、古泉もいつも通りのニヤケスマイルを保っているし、朝比奈さんの淹れてくれるお茶は今日もうまい。ハルヒはまた何か企んでいるようだが。

 要するに俺はいわゆるこの時平和ボケってやつに陥っていたんだろうと思う。気がかりなのは朝比奈さんの今後と、せいぜい予備校に通わされるかどうかの瀬戸際であることぐらいだった。佐々木団のこともあるが、あいつらもいい加減懲りただろうし、しばらくは手を出してこないはずだ。
 ハルヒはあの後遅れてやってきたと思ったらその次はネットでのコスプレ衣装探しに没頭していて、今日の団活も特に変わったこともなく終了した。
 いつも通りの日々だ。また明日も今日のように平和な日々が続けばいい。いや、続くんだろう。俺はなんとなくそう確信していた。
 だがそんな俺の思いは、翌日、何の前触れもなく崩壊した。





第一章へ

タグ:

+ タグ編集
  • タグ:

このサイトはreCAPTCHAによって保護されており、Googleの プライバシーポリシー利用規約 が適用されます。

最終更新:2020年07月07日 10:31