~ the third person ~

 

  


 

「ほら、一緒に行こうぜ」
「……ありがとう」
 彼女を胸に抱いていた腕を降ろすと、彼はその頬をそっと撫でるように触れた。
「ったく、いつまで泣いてんだ?」
 お前に泣き顔は似合わないぜ、と彼は昔何度となく思っていた言葉を飲み込んだ。
「俺は笑ってるお前が好きなんだよ」
 涼宮ハルヒは彼の顔を見つめ返すと、優しく微笑んだ。
 ――I still love you――
「これは罰よ、私を泣かせた罪のね!」
 彼女は眼に溢れた最後の涙を拭いきると、堪えた笑顔で指を彼に突きつけた。
「さぁ! 私について来なさい! 失った時間は二度と取り戻せないのよ!」
「あぁ、分かってるさ。その前に……」
 彼は身体を低くして、もう一度軽くその唇に触れた。
 ――I'm waiting forever――
「大好きだ、ハルヒ」

 

 

 

 二人は彼らを見守り続けた北校を背にすると、並んで山道を街のほうへと降りて行った。
 途中、色々な話をしながら。
 彼らの共通の思い出を。
 彼らが互いに話せなかったことを。
 彼らが伝えたかったことを。
 優しい足取りで歩く二人に宙が優しく雪を降らせ、二人のまわりを舞っていた。
 世界が白い。
 宙を覆う雲の色から雪ももうそろそろだということを告げていた。
 やがて、この街は再び音を取り戻すだろう。
 ひび割れた天井から光が差し込み、この世界には待ち望んだ未来が訪れる。
 そして、神の我儘も終わる――。
「どうやら、お話はハッピーエンドでしたか」
 突然、声がする。
 雪を踏みしめながら彼は――徒歩で道を降りてきた。
「まぁ、お二人にはそれが一番でしょう。――いえ、それ以外はあってもらっては困ります」
 カジュアルな身のこなしで現れた古泉一樹はコートのポケットに手を入れると、閉ざされた門の前までやってきた。
 彼の突然の来訪に少し舞台が――雪がどよめいたように見えた。
「脚本を用意したにも拘らず最後をアドリブ、と書いてしまったことは――非常に残念でした。まぁ、それもよしとしましょうか」
 あぁ、でもお二人の会話はぜひとも拝聴したかったです――そういうと彼は暫く宙を見上げた。
 雪が彼の解答を待つように静寂のなか舞う。
「貴方は何を望まれていたのでしょうか」
 彼は空高く見上げたまま呟いた。
「ハッピーエンドですか、それとも――」
 そして彼はくるりと振り返って、
「ねぇ、長門さん」
 に微笑みかけた。
「エピローグ、というものをご存知ですか? 得てして物語のクライマックスと終焉は同じではないのですよ。しかしどうやら私が用意した二つの結末は両方とも仕組まれた結末のようです」
 黒い革の手袋をはめた右手を彼が私に差し伸べる。
「さぁ、貴方にもこの舞台の光の中央へ――」
 ――You are star――
 彼がまるで私を待っているかのように笑いかける。
 どうすれば……。
「さあ」
 そしてその手に私の手を重ね合わせた瞬間――
 世界が色を、音を、時を取り戻した。
 古泉一樹が嬉しそうに笑う。
「良かった――お久しぶりです、有希さん」
 ――I was snow――
「てっきり、出てこないかと思っていましたよ」
 ――え?
「長門さん、まだ寝ぼけてますか?」
 半目の私の前で手を横に振らす。
 ――起きている。
「くくっ、変わりませんね」
 ――貴方のその笑い方も変わらない。
「そうでしょうか。でも貴方にはもっと変わっていないことがありますよ」
 ――?
「……貴方は私の記憶、そのままです」
 ――!
 突然彼が私を優しく抱きしめる。
 なぜ――。
 彼のことを古泉一樹と呼べないの?
「長門――有希さん。帰ってきてくれたのですね。私を、もう一度嘘つきにしないために」
 ――いつから?
「いつから?」
 ――いつから、私の存在に気づいてた?
 確かに私は誰の眼にも映っていなかったはず。
 見えないはずなのに。
「貴方も面白いことを訊かれますね。この脚本を書いたのは私なんですよ? それとも――いつから私が貴方を好きだったか、ですか?」
 ――今、何て……
「貴方が言ったことを聞き逃すなんて考えられませんよ?」
 それから彼は私をじっと見てから吹きだした。
 私の身体をほどくと、身を翻してから一歩離れた。
「いつから、気づいていたのでしょうね。勘、でしょうか。とにかく私は空から振る白い雪の中に貴方の姿を見つけ引き戻したかったのです」
 彼はまたしても手を振り動かした
「これは――そう、賭けでした。貴方が私の差し伸べる手に答えてくれなければ終わりだったのです」
 ――私はここにいる。
「ええ、貴方は私の眼の前にいます。貴方がここにいるのは貴方の意思なんです。さぁ、」
 そして私の手を取った。
「何をお望みですか?」
 ――……分からない。
「だったら、二人で探しましょう」
 ――どうして?
「さぁ、そう思うのだから仕方がありません。とにかく探しましょう」
 ――……探す必要は……ない。
「どうしてですか?」
 ――それは……それより、古泉一樹。貴方は彼女、涼宮ハルヒに……好意を持っていた?
 少なくとも私の算段では彼の表情が険しくなるものと思い込んでいた。
「では、長門有希さん。貴方は彼に――言わなくとも分かるでしょう――好意を持っていましたか?」
 微笑んだままの表情で私に訊ねた。
 ――先に私の質問に答えるべき。
「くっくっ、そうですね」
 ――何がそんなに面白い?
「いえいえ、お答えしますよ。私は涼宮さんに好意を……かつて持っていました。それが私の答えです」
 ――え?
「しかし私はそれをとうの昔に捨てています。彼の存在に気づいてからは」
 私が沈黙しているのを一度見てから、彼は独白を続けた。
「本当は今日もあのまま帰るつもりだったのです。彼女と彼に私が仕組んだハッピーエンド――私自身がその稀薄さを揶揄していたにも拘らず――最後の舞台を作り上げて」
 ――……そう。
「けれど、私は雪の中に隠れた貴方に気がついた。……私の推理を言いましょうか、長門さん?」
 ――……構わない。
 多分今から彼は全てを告げる。
 私はそう確信した。
「ありがとうございます。率直に、御二方に舞台を用意したのは貴方ですね? 貴方はこの日、かつて貴方が消失した日と同じ日に大雪を降らせた。それは、貴方が二人に授けた最後のチャンスなんじゃないですか?
「そして貴方は自らの姿を雪の中に暗ました。しかし貴方にとって全ては視えていた。何故なら貴方の眼はこの地域全体にあったから。……そう、雪です。
「貴方の計画に我々三人は見事に引っかかりました。私に至っては貴方の手助けさえしました。そして貴方は本当は消えるつもりだった。
 ――分からない。
「しかし貴方の脚本は勝手に上書きされてしまった。そう、私の手によって。私は貴方の手助けを無意識に行ったのではありません。私は貴方に気づいた。そして貴方を救うことに決めたのです。
「長門さん」
 そこまで言って彼は再び私を抱きしめた。
「私は貴方のことが好きなんです。世界中の誰よりも。涼宮ハルヒよりも。貴方が一番好きなんです」
 ――違う。貴方は彼女に好意を持っていたはず。
「だったら、貴方は私の見事な演技に引っかかってしまったのです。そう――貴方は無意識に私の心を読まなかった」
 ――そんなはずは……。彼女に未練を持っていたことに間違いはない。
「ええ私は貴方にそうミスディレクションしてもらうためにわざとそう思いながら演技をしたのです。役者は演じる人物になりきらなければいけないのですよ。その舞台を見ている観客に騙されてもらうために」
 ――どういうこと?
「舞台とは虚構そのものです。しかしそれをいかに真実であるかのように魅せるかが演者の腕の見せ所なのです。よい舞台とは、気持ちよく観客と役者がそのキャラクターの心を理解したという『つもり』があるかないかです」
 ――そしてそれには、役者の上手な演技が必要。
「ええつまりそういうことです。貴方はもしかしたら監督のつもりだったのかもしれません。ですが私にとっては貴方は唯一の観客だったんです。私は彼らではなく貴方に向かって演技を魅せていたのです」
 そこで彼は満面の笑みを見せた。
「だから私を巧く騙さないといけなかったのです。どうやら、それは大成功のようですね」
 彼はそういって肩に回していた腕を背中まで降ろして私を優しく抱擁し、そして暫くそうしていた。
「さぁ、私の想いは伝えました。あとは貴方のお答えを待つのみです。一緒に、見つかるまで探し続けますか。」
 いつまでも私は待ちますよ――、そう言って彼は抱きしめたまま時間を私に委ねた。
 私も彼に身体を委ねていた。
 そして時間だけが過ぎて行った。
 どのくらい時間が経ったのだろうか。
 遙か悠久の如く時は刻まれ、悠久に任せ雪が降り続けた。
 添うだけで彼の温かさが私に伝わってきた。
「まだ、時間はあります」
 ふと耳元で彼がそう呟いた。
 そしてまた刻が流れて行った。
 ――空か白いものが落ちてきた。たくさんの、小さな、不安定な、水の結晶。それらは地表に落ちて消えてゆく――
 すでに彼の服にも私の服にも真っ白な雪が積もっていた。
 彼は待っている。
 多分いつまでもこうして。
 ――時間の経過は意味をなさなくなっていた――
 だったら、それに応えなければ。
 私の本心を。
 長門有希としての私の真実の願いを。
「時間はあるのです」
 彼の信実に応えるために。
 ――その必要はない。
 彼は私が喋りきるまで黙って待つつもりのようだった。
 ――私の想いは決まっている。
 彼が私を抱く腕にほんの少し力を込めた。
「待ちましょう。あなたが思い出すまで」
 ――綿を連ねるような奇蹟は後から後から降り続く――
 宙から降る自分の分身がまるで私の背中を押すように振舞う。
 ――これを私の名前としよう――
 私の想いは。
 ――私は……
 ――そう思い、思ったことで私は幽霊でなくなった――
「古泉一樹。……貴方が、好き」
 そして白い輝きとともに粒子となってユキが掻き消え去って行った。

 

 

 

 宙から舞い降り続けていた結晶は瞬く間に粒子となり、世界を覆っていた灰色の雲はまるで裂かれたように散り散りとなり小さくなって消えていった。
 天空がひび割れ、世界は覆われていた呪縛から解き放たれたかのように輝きはじめた。
 世界は、未来は――あるべき姿を取り戻した。
 そして――
 その晴空のもとを長身の青年と真っ白のワンピースを身に纏った少女が、ともに手を繋ぎながらしっかりと雪を踏みしめて歩んで行った。
 そう、それは。
 ――アル晴レタ日ノ事――
 ……ですよね、キョン君?

 



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