「ねぇ。カシスオレンジ」
 みんな。いきなりですまない。しかしこいつに空気を読むなんてことは出来ないから仕方がないんだ。
「空気嫁」なんて言った日には「空気は読む物じゃなくて吸うものよ」と返されるに違いないくらいに空気が読めないやつなんだ。こいつは。
 高校。大学。社会人となぜか全く同じ道を歩んでいる女。涼宮ハルヒ。今日も仕事帰りにいつもの店で飲んでいるわけだ。
「早く頼みなさいよ。今日は飲みたい気分なの」
 この台詞は店に来たときに言う台詞のはずだ。もうこの店には数時間滞在している。きっと店を出る頃には俺の財布は高校時代の姿に戻っているに違いないだろう。
 なぁハルヒ。お前それで15杯目だぞ。飲みすぎじゃないか?
「うっさいわね。今日は飲みたい気分だって言ってるじゃない」
 ちなみにこの言葉を朝からずっと俺は聞いている。仕事中も、休憩中も。きっと睡眠時か朝に何かこいつを苛つかせるようなことがあったのだろう。
 そんな余計なことをした奴がいるなら俺の前に来い。この5桁の書かれた伝票をプレゼントしてやる。

 そんなことを考えながら顔馴染みになった店員に注文を伝える。何往復もさせてすまないな。
「……やーな夢見たのよ」
 梅酒を片手にアルコール中毒女はいきなり呟いた。唐突だな。
「高校時代の夢。SOS団の」
 SOS団。それは部活の一つの名称であり、俺の黒歴史の一つ。同時に最も充実していた時期の一つだ。いろんな意味で。これ以上の説明は割愛させて頂く。
「あたしは毎日楽しかったんだけどね。いきなりみんないなくなったじゃない。ショックだったわ」
 俺たちが高校3年に上がる時だった。その部活……いや、集団は唐突に解散した。上級生の朝比奈さんの卒業。そして長門、古泉の転校。
 奴らは何を思ったのか理由も告げずに消えやがった。さらに未だに音信不通。
 あの直後からハルヒは抜け殻のような高校、大学生活を送り、俺は常にその抜け殻を引っぱり回っていた。
 しかしだ。こいつのとんでも能力は消えていない。何故なら時折ハルヒの関係者を見かけるからだ。機関とか言われる胡散臭い連中を。
「まだムカつくわ。今度みんなに会ったら絶対に奢らせる。貯金使い切るまで罰金よ」

 きっと貯金が無くなるのは俺になると思うけどな。
 まあこれは本心では無いだろう。人間味の増してきたこいつの事だ。センチメンタルな感情に駆られてあの3人に会いたくなったのだろう。そうに違いない。
 頭の中で都合の良い想像に変換しつつ、運ばれてきた米焼酎を手に取る。よく冷えていて気持ちいい。
 ハルヒ。ほら、乾杯。
「何に乾杯すんのよ。あんたほんとにバカね。……乾杯」
 軽くグラスを合わせる。15回目の乾杯。こいつも大した酒豪だがそれに付き合える俺もどうなんだろうな。
「ねぇ、キョン。そういえばあんたさ……」
 キョン。この単語を聞くのは高校で終わるものだと思っていた。
 しかし大学に入り会社に就職したがどちらでもハルヒから呼ばれることで定着してしまったわけだ。終いには上司からもキョンと呼ばれる始末だ。俺たちの会社はどれだけフリーダムなんだ。
「……聞いてる?」
 すまん。聞いていたがモノローグに夢中で入って来なかった。もう一回頼む。
「それを世間一般では聞いてないって言うのよ。バカキョン!」
 ん、久しぶりに聞いたな。バカキョンって。高校ぶりか。少しは元気になって来ている証拠なんだろうな。

「仕方ないからもう一回だけ言ってあげるわ。……なんであんただけいなくならなかったのよ」
 おいおい。それはひどくないか。いない方がよかったのか。そーかそーか。
「ち、違……」
 冗談だ。言いたいことはわかってるよ。
「……生意気」
 痛いから箸で鼻を摘むな。お前は箸で蠅を捕まえるどこぞの剣客か。
 何故いなくならなかったのか。と言われても困る。転校する理由も無かった。大学は行ける学力で近い所。会社も近い所で受かった所。
 地元指向の俺に文句を言われても困るんだがな。
「う……でも別にあたしと一緒にいなくても良かったでしょ? あたしはあの時から引きずり回すのやめたし」
 確かにそうだ。しかし気付いたらハルヒが傍にいるのが当たり前になっていたな。んー……空気?
「誰が空気よ!」
 いてぇ! 箸を凶器に使うな箸を!
「身近に在る物は有効利用する主義なの」
 まったく。いいかハルヒ。お前は空気と同じように居て当たり前の存在なんだよ。俺にとってはな。
「えっ……」
 だから今更いなくなるのも無し。今更離れるのも無しだ。わかったか。
「あー……えー……」

 言語障害か? 風邪か? 顔赤いぞ。
「う、うるさい」
 何なんだこいつは。あ、また一気しやがった。さらばだ。カシスオレンジ。そしてさらば。米焼酎。
 ハルヒの一気に合わせて俺もグラスの中身を飲み干す。開いた15杯目の酒。なにやってるんだ。俺達は。
 居て当たり前の存在。そのように感じている俺はこいつに惹かれているのだろう。その理由は簡単だ。
 これまで数人の奴らと恋愛と呼ばれる感じの雰囲気になったが俺はその全てを断った。理由は物足りない、だ。
 非日常という物を一度体験してしまったら日常には戻れないらしい。つまらない日常。ただただ過ごす日々。
 そんな中でハルヒと過ごす時間だけが非日常でいられる時間だ。俺にはこっちの方が気が休まっていい。
 数人居ないのが少し、ほんの少しだけ寂しいけどな。
「んー……あんたあたしと付き合う?」
 ……すまない店員さん。おしぼりを3つほど持ってきてくれ。
 新たに頼んだ16杯目の酒の3分の1を机に飲ませてしまった。まったく何を言い出すんだ。唐突に。
「汚いわね。それとあたしが唐突に言い出さなかったことがある?」

 確かにその通りなんだがな。自覚してるのが質が悪いぞ。そもそも何故いきなりそんなことを思い立った。
「だってずっと一緒に居るじゃない。あたしの優秀な血筋は残さなきゃいけないでしょ? ってことは誰かと結婚しなきゃいけないじゃない」
 そういうことじゃなくてな……。
「別にすぐ結婚でもいいわよ? あんた的には恋人気分を味わいたいんじゃないかと思ったからそう言ったまでだから」
 話を聞け。なんで俺なんだよ。いきなりすぎるだろ。
「あら。あたしはあんたのこと割と好きよ」
 いや。俺も割と好きだが。
「ならいいじゃない。あたしと付き合うなんて光栄と思いなさい。一応大学時代のミスコン取ったんだから」
 そういえばそうだったな。賞品が欲しくて半ば強制的に参加させたミスコンで優勝したんだよな。
 結局賞品は貰ったものの、それと同じくらいの値段をおごったから意味は無いんだが。
「もっともあんたに拒否権はないんだけどね」
 ……おい。
「当たり前じゃない。ただの雑用が団長に逆らえるとでも思ってんの?」
 なんかこう……可愛げのかけらもないな。今さら可愛いキャラなんて見せられても困惑するだけだが。

 しかし俺も大層天の邪鬼な性格をしてるんだろうな。別に構わないという気持ちを持ちながら、簡単には認めたくないというちょっとしたS心にかられてしまう。
「なに不服そうな顔してんのよ。あたしじゃ不満なわけ?」
 ああ。不満だね。
「なっ……!」
 ハルヒの少し驚いた表情。俺の中のちょっとした気持ちが小躍りする。
 そうじゃないだろ? ハッキリと言うなら俺も素直に要求を承れるんだがな。
 そんな言葉をハルヒの頭を軽く叩きながら伝えてみると顔を真っ赤に染め、わなわなと震えだしやがった。
「くっ……キョンのくせに……」
 何故だろうか。俺にはわかる。世の中でよく言われるツンデレ。その中のデレが今ここで来る気がしてならない。
 これはハルヒとの付き合いの長さから来る未来予知かもしれないな。
「……あんたが好きよ。キョン」
 ほらな。しかし俺は酒に酔ってるのか調子に乗っているらしい。まだまだコイツから有り得ない台詞を聞いてみたいから黙っていることを選択した。
「な、なによ。まだ足りないっての? あ、あたしと付き合いなさ……付き合ってください……」

 酒のせいなのか。それとも恥じらいからなのか。おそらく前者であるだろうが知る術は無い。頬を朱に染めたハルヒは俺の欲望を満足させる程の表情でそこに居た。
「もちろんだ。お前と一緒に居れるのは俺くらいのもんだからな」
 これくらいは言わせてもらおうか。数年間待った言葉を貰ったんだ。
「ほんとにあんたってやつは……」
 良い表情してたぞ? そうだな。お前の性格を知ってから初めてかわいいと思った。
 今ならいくらでも調子づいたことを言えるな。全て酒のせいに出来る。……それはお互い様みたいだが。
 おい。何を目をつむってやがる。らしくないぞ。
「いーのよ。あたし酔ってるから」
 いわゆるアレだ。キスを求めてる感じの体勢をコイツはとっている。しかも酒のせいにしようとして。
 ここまで来たら乗り掛かった船だ。全部酒のせいにして何だってしてやろうじゃないか。
「ん、早く」
 うるさい。動くな、目開くな、もう少し可愛げを見せろ。
「注文多い、ムードが無い、顔悪い」
 うるせぇ。知ってるよ。余計なお世話だ。

 軽く口づける。こんなに悪態をつきながらキスするのは俺達くらいのものだろう。別にそれで良い。今さら余計な馴れ合いなんて必要無い。
 心で通じてたものが少し形で現れただけだ。
「キョン。あんた酒くさい……」
 お前もな。
「うっさい。レディーに何てこと言うのよ」
 レディーだとさ。これは笑うとこか? キリがなくなりそうだから言わないけどな。
「どーせあんた出世出来そうにないしあたしが養ってあげるから」
 そーはいかん。俺にもプライドがあるからな。
「む……わかったわ! どっちが先に出世するか賭けるわよ! 負けたら婚約指輪ね!」
 話が飛んだ上に負けた時は大きいな。まあ勝とうが負けようがそれは俺が買うことになるはずだ。
 なんたってこれからも団長様には逆らえないだろうからな。こんなにキラキラした顔を見せられたら逆らう気もしない。……やれやれだ。


おわり

 

タグ:

◆mtod1dSyOc
+ タグ編集
  • タグ:
  • ◆mtod1dSyOc

このサイトはreCAPTCHAによって保護されており、Googleの プライバシーポリシー利用規約 が適用されます。

最終更新:2020年07月03日 06:08