水曜日。授業が変更になって体育から始まる予定だった午後。実際今はその時間で、本来ならばマラソンと冠の付く只の長距離走を走っているはずだったのだが……いや、実際にあたしは今こうして走っているのだが……。格好と言えば制服。コースと言えば国道の歩道。目的地と言えば……。




朝、私が教室に入るなり目に飛び込んできたのは、昨日クレープ屋の前で別れた二人組だった。二人とも私の席の側に立っていて、こちらには背を向けている。わざわざ朝一でマスコットの容体報告にでも来てくれたのだろうか?そう考察しているとまず副団長が、それに続いて名誉顧問が、それぞれこちらを振り向いた。

……先に言ってしまおう。私は動揺を通り越してまず恐怖を覚えてしまった。後に知る原因が故とはいえ、本当に失礼な人間だ。

「ハル…にゃん……」

話し掛けてくる名誉顧問。その身体を支えるよう肩に手を置く副団長。
その二人の目の下にはとても一晩で出来たとは思えない巨大な隈が居座っていたのだ。


「つ、鶴屋……さん? 古泉君…?」

思わず後退しそうになる身体を無理矢理制御し、二人に駆け寄った。

「どうしたの…?何があったの?!」

思わずボリュームが大きくなってしまう。震えてもいたかもしれない。だが、そんな事にはこの二人は全く反応しなかった。

「みくるが……」

絞り出すように言葉を紡ぎ出す名誉顧問。本当に苦しそうだ。こんな表情は今まで出会った全ての人間の全ての表情の中でさえ見たことが無い。

「みくるがぁあああぁ…………」

そう言うのと同時に崩れ落ちる身体。副団長が後ろから抱き締めるようにそれを支える。

「つ、鶴屋さん!しっかりして!」

気絶している。目は開いたまま、口もパクパクと動いてはいるが、確実に意識は無い。異常事態と言っても何ら差し支えのない状況が目の前で発生した。


「鶴屋さん!」

その名前の主の身体を副団長が必死に揺さぶる。しかし、数瞬でそれが無駄だと判断したのか、気付けば名誉顧問の身体は副団長の両手によりしっかりと抱え上げられていた。

「涼宮さん!」

そう言われ、副団長の取ろうとした行動が手に取るように理解できた。

「どいて!」

振り返りざまに叫ぶ。教室の入り口付近には事の顛末を見に野次馬が集まりだしていた。

「どけっつってんでしょ!!さっさとしなさい!!」

しかし、野次馬達はなかなか離散しない。気付けばそれだけの人数が集まっていたという事か。が、次の瞬間


―――バリイイイイイイイイン!!!!


と響いた音と共に野次馬達は一斉に飛び退いた。いや、これで飛び退かない人間がいたら教えてほしい。一年前のあたしなら間違いなくSOS団に歓迎している。

「どけよ」

そんなドスの利いた声を一体何処に隠し持っていたというのだろうか。自身が蹴り飛ばした椅子。それが廊下側のガラスを粉砕したのを見届けたセンターフォワード副団長が野次馬共に向かって睨みを利かせる。そのあまりの形相に男子は呻き声を、女子は悲鳴を上げながらたちどころに離散していった。

「ほ、保健室!」

あたしは副団長の前に現れるであろう障害物を除ける役目を自主的に負った。道中で唯一突き飛ばしたのがアホの谷口のであった事は、正しく不幸中の幸いであったと言っていいだろう。

 




「昨日……あれから朝比奈さんの家に行ったんです。朝比奈さん……無断欠席だったみたいで……」

昼休みの部室、あたしとその他少々の弁明により停学処分を免れた副団長はぐったりと項垂れながら話しだした。笑顔など欠片も無い、混じりっ気なしの憔悴顔で。

「鶴屋さんが家を知ってて……」

小さいが至って普通のアパートだったという。あたしはその時、マスコットが一人暮らしだったという事を初めて知った。

「呼び鈴を鳴らしても朝比奈さんは出てきませんでした。僕が電話を掛けたのですが……」

その番号は使われていなかった。何かの間違いと思って名誉顧問が掛けてみても結果は同じ。

「おかしいと思って何度もドアを叩いたのですが……反応は……」

無い。無かった。

「鶴屋さんが冗談を言いながらドアノブを捻ったんです」

開いた。鍵は掛かっていなかった。

「…………」

そこで言葉を詰まらせ、頭を抱える副団長。微かに震えているのが分かる。

「……にも」

……。

「何も………何も無かったんです」

靴、調理器具、テレビ、ステレオ、机、寝具、洗面用具、制服、……本人。人一人が生活していくのに必要な物が、生活する為に物を必要とする人間が、何一つとして無かったんです……と続いた。

 

「鶴屋さんは……取り乱しました……」



みくる…?



間を置いて、



みくるっ?!!



容易に想像できた。だが、あたし自身がその光景を否定している。副団長の言っている事を、身体が拒む。

「小さいアパートだし、管理人の連絡先なんて分からなくて……」

それでも何かしなくては、という焦燥感だけが募っていく二人が出した答え。

「一緒に……街中を探しました」

鶴屋家に仕える人間や個人的な知り合いも数人協力してくれたそうだ。

「時間が経つごとに鶴屋さんが混乱していって……結局………」

真夜中の学校に辿り着いた所で子供のように泣き出したそうだ。副団長に縋りつき、みくるはどこ?と何度も尋ねながら。

「僕は……僕はっ………!」

ずっと堪えていたのであろう。頭を抱えて叫ぶように嗚咽を漏らし出す副団長。

「あ……」

こんな時に何も言ってあげられない自分が嫌だ。無駄だと分かっていても何か声を掛けるのが団長のはずなのに。だが、あたしも正直頭の中がぐっちゃぐちゃだった。それはもう、比喩も形容も出来ない程。殺伐とした言いようのない負の感情がギリギリと音を立てて胸を締め上げている。ただそれだけが辛うじてあたしを冷静にしていた。この悶々とした苦しいにも程がある葛藤は、結局副団長の泣き止む昼休み終了三分前まで続く事となる。

 

そして、私は今こうして走っている。昼下がりの秋風は意外にも涼しくなく、温い逆風を浴びて思うように進まない身体に苛立ちが募る。噴きだす汗、流れ出る思い出。つい二日前まで一緒に不思議を探していた大親友を襲った不思議。
取り戻す、何があっても。我が団のメイド兼マスコットは朝比奈みくるでなければ成り立たないのだ。もうすぐ撮影を始める予定の映画も、密かに計画していた現三年生の為のサプライズ卒業ライブも、それから……それから………!



副団長に聞いたアパートはここだ、間違いない。風情も何もない小さめのコンクリート・ブロック・ハウス。二棟が対となって並んでいるその建造物のB棟三階。あたしは一気に階段を駆け上がる。一階、階段踊り場、二階、階段踊り場、……三階…!
ザッ!という音と共に流れそうになる靴を必死で止め、目的の階の入り口側通路へ到着した事を確認する。誰の住居とも分からない部屋のネームプレートの上に申し訳程度の大きさで書かれている部屋番号を見ると、ここは間違いなくB棟の三階のようだ。

「あれ……?」

息切れを抑えられずに肩で息をしていると、目的の部屋の前に何処かで見たことのある凛とした顔つきの美女が立っているのに気付いた。その人物もこちらに気付いたらしく、軽く礼をして来る。


「(何処だっけ……?)」
出逢ったのは。
「(誰だっけ……?)」
引き合わせてくれたのは。



「………あ、」



そうだ、思い出した。一昨日のマスコットに持った印象と何となく同じ匂いを感じた所で、クルーザーやキッチンに居たこの人の名前がすっと頭に浮かんだ。

「メイド服じゃないと分かりませんでしたか?」

いえ、ちゃんと分かりましたよ。その笑顔で。

「お久しぶりです………森さん」
「ええ、お久しぶりですね。涼宮さん」

蚊も殺さない様なその笑顔に、私は気付けばいつもの副団長を重ねていた。




赤色エピローグ 4章-2


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