とてとてと歩き回る足音も、ページを捲る微かな摩擦音も、面倒臭そうな溜息が空気に混じる音もしない部室。あまりにも静かなこの場所に本来ならば一秒でも居る必要などない。しかし、携帯も見つかっていないこの状況で副団長に本日の活動中止を告げる手段など書き置きを残す以外に思いつかなかった。それに些かの背徳感を覚え、あたしは今こうして団長机でパソコンをいじっている。
窓のほんの隙間から入り込む風が冷たい。服に潜り込むそれは、去年の忌まわしい二学期末の出来事を思い出させた。言い方は悪いかもしれないが、本当に衝突実験で使われる人形のように無機質な階段をきりもみ状態で転がり落ち、衝突という名の惨劇で頭から地面と再会したキョン。それから数瞬の間を置いて動き出したあたしの脳にはもう冷静さなど微塵も残っていなかった。取り乱す、とは正しくああいう状態の事を指すのであろう。副団長と読書少女の冷静な判断と対処が無ければあの場面で一体自分は何をしていたか。と、そこまで考えていた時だった。

 

カチャ、という小気味のいい音と共に姿を見せる副団ちょ………あれ?


「またまたおっ邪魔するよ~っ!」


昼休みを共に過ごした名誉顧問が副団長を引き連れて一緒に入って来た。意外にも程がある組み合わせだ。


「そこで一樹君を見かけてね、暇だから付いてきちゃったにょろ!」


暇……って、あなた受験生じゃないんですか?


「大丈夫大丈夫! 鶴屋さんが行く大学の理事長さんはおやっさんの知り合いだからっさ!」


う、裏口?!


「まあそんな所……って、そんなわけないっさ! たまたま今日が暇なだけ。狙うは一流の国立・公立・私立っさ~!」


だから、その器用な舞は一体何処で体得したのだろうか? 師匠が居るとも思えないが……。


「今日は朝比奈さんも休みだそうですね。長門さんもクラスにいらっしゃいませんでしたし、彼は……」


自身の指定席の反対側をチラ見して言うまでもありませんねといった感じで首を横に振る副団長。その通りだ。

 

「古泉君、あたしの携帯見なかった?昨日から見当たらないのよね」


携帯ですか?と尋ね返される所を見ると見事に当てが外れたようだ。もうこうなったらお手上げだ。


「ああ……もう何処に行ったのよ~……」


団長机に突っ伏して嘆く。探せる所は探したし、仮に昨日の下校中に落としたのならもう見つかる可能性はほぼ皆無だ。近くに交番も無いし、警察の問い合わせ先を調べるのも億劫でならない。本来なら一秒でも早く確認したい事があるのに、だ。


「まぁまぁハルにゃん、おまわりに届けるなら早い方がいいよっ。悪用されたりしたら堪らないからねっ」
「鶴屋さんの言う通りですね。それと、電話会社に申請して電波の供給を止めてもらった方がよろしいかと。法外な通話料金が来てからでは遅いですしね」


確かに。警察はともかく、そちらは優先させるべきだ。料金を自分で払っているわけでもないし、事が起こってからでは遅い。この際業務連絡ができなる事には目を瞑ろう。


「……そうね。どっちみち団活にもならないし、素直に携帯ショップに行く事にするわ。今日はもう解散ね」
そこで響く「えぇ~~~!!?」という抗議の声。


「じゃああたしもついて行くっさ! せっかくのリフレッシュデーなのにこんなに早く帰ってもしょうがないしねっ!」
でも鶴屋さんの家ってショップと反対方向じゃ…。


「いいのいいのっ!携帯ショップって坂の下にあるやつにょろ?実は近くに美味しいクレープ屋さんがあるのさっ!そこまで付き添いだよっ!」


そんな店があるとは初耳だ。ぜひ覗いてみるとしよう。今後の参考にもなる。


「一樹君も来るよねっ?よし、一緒に行こう!上限ありで鶴屋さんが奢ってあげるっさ!」


では是非御馳走になりますと微笑んだ副団長の一言により、昨日よりも珍しい三人組での下校が決定した。SOS団、本日は数分で活動終了。ここから先の行動は業務外となる。

 

 

 

 

「ひょっとして……バレバレだったの…かな?」


甘い香りのする紙袋を通学カバンとは反対の手に抱え、十分程前のやりとりを思い出す。

 

「はいコレっ! ハルにゃん達の分ねっ!」


携帯ショップで簡単な手続きを取った後、待ち合わせ場所の店の前に行くなり名誉顧問が先述の言葉と共に良い匂いのする紙袋を差し出してきた。


「えっ? 『達』…って?」
「行くんでしょ?」


お見舞いっ!と続く威勢のいい言葉。


「あ……ぅ……」


否応なしに私の手に乗せられる紙袋。店のヘンテコマスコットキャラがクレープを手にしているという、何とも過剰包装気味なオリジナルの袋だった。


「ハルにゃんと妹ちゃんの分がチョコで、キョン君の分がハムチーズ二つねっ!でも寝込んでたらハルにゃんが食べていいにょろよっ!」
「鶴屋さん達の分は?」
「もう胃の中です。味は保証しますよ」


副団長がはにかむ。随分と満足気な顔だ。


「でも悪いですね。先輩とはいえ女性に奢って頂くというのは些か申し訳ない気がします」
「あはっ!こんな美男子が一女性として扱ってくれるとは嬉しいねぇ!明日から一樹君のファンにいやがらせされないにょろか?」


そのような物好きな女性がいたらもう涼宮さんがSOS団に引っ張って来ていますよ、などと返す副団長。少しは自分の学校内の人気に敏感になるべきだ。本当にそうなったら恐らくとんでもない人数をスカウトしなければならない。それに、SOS団が増員する事は……恐らくもう無い。それはきっと冗談を飛ばす副団長を含め、全員の共答のはずだ。

 

「あははっ!一樹君も随分と謙遜家だねえっ!じゃあ奢った代わり言っちゃあなんだけど、ちょっと付き合ってくれるかいっ?今からみくるん家行くからさっ!」


そう言ってクレープ屋の方へすっ飛んで行く名誉顧問。そしてピカピカの自動ドアが開いた所でこちらを向く。
「ハルにゃん!早く行ってあげなよっ!愛しのダーリンが名前を呼びながら魘されてるかもよっ!」
そう言い残し、名誉顧問は瞬間移動の如く店内へ消えた。……鶴屋さん、この店流行ってるわね。何だか人目が痛いわよ。


「古泉君、鶴屋さんにこれのお礼言っといて。あと、鶴屋さんを家までちゃんとエスコートするのよ!」


クレープ入りの紙袋を揺らしてそう告げる。エスコートという言葉には些かの語弊を感じたのかもしれないが、苦笑しつつ、しかししっかりと頷く副団長。


「じゃあまた明日!」と元来た道へ歩き出す。失礼しますという声を最後まで聞きとってからあたしは振り返り、歩速を上げた。

 

 

 

 

何だかんだ言いながらも久しぶりな家の門が見える。どこからか漂ってくる匂いは手にしている袋のそれとは毛並みが違い、自然と唾液を口に溜まらせる物だった。焼き魚だろうか?そういえばこの季節の風物詩だ。


「平平凡凡なのが大好きな人間の好みそうな言葉ね」


皮肉交じりなのか何なのかよく分からない言葉を虚空へ放り出し、すこしばかり苦笑してみる。


『秋刀魚・舞茸・栗ごはん。それだけありゃ~何も言わねぇよ。ただ味噌汁が付いてきたら俺はきっとその一日を最良の日と呼ぶだろうな。そういうのが本当の幸せって奴なのさ。だからなハルヒ、お前はもう少し俺を見習うべきだ。何だってステーキ丼とカツカレーとエビピラフなんて巨人打線も真っ青なクリーンナップを同時に食える?』


いつぞやの不思議探索の終わり、体育祭の打ち上げと称した食事会inファミレスの時に勝手にサンプリングしていた声をこれまた勝手に脳内再生。思ったよりいい音質で空耳が聞こえた。運動して消費した分はその日の内に補給しないといけないのよキョン。知ってた?

 

インターホンを鳴らそうとしたまさにその時、不可解な物が目に入る。新聞受けからはみ出たその束が何を意味するかは明確ではない。が、思考を巡らせるのは割と早かった。

 

家族で旅行もしくは不幸事で帰省? ―――いや、そんな話は聞いていないし、大体学校に連絡が入っていない。
ただの取り忘れ? ―――もっとあり得ない。家族が一日何回この門を往復すると思っているのか。
家族が家から出られない? ―――……。

 

そう考えた瞬間、あたしは通学カバンを先に放り投げ、直後に門をよじ登っていた。副団長と名誉顧問顔が浮かんではいたが、よく考えれば携帯が無い。相談できない。だったらすぐにでもこの目で状況を確認するべきだ。ほんの少しの可能性でも看過する事など出来ない。たとえそれが悪い方の可能性だとしても。


「キョン!キョン!! 居るの?! 居なくても返事しなさいっ!!」


門を越えた数瞬の後、拳で扉を叩きながら声の限り叫んだ。


「キョン!! キョンってば……って、アレ……?」


目に入ったのは軒先に程近い柱に括りつけられていたチェーン式の自転車の鍵だった。そうだ、去年の夏はここに自転車を止めていたはずだ。それが意味する事は一つ。


「キョン……出掛けてんの……?」

 

 

 

 

結局クレープは一人で食べてしまった。それも帰り道で全部、だ。星の位置が十五度程ずれるくらいの時間を待っても帰って来なかった方が悪い。そんな事を思いながらあたしは実に都合のいい解釈を練り上げた。
キョンを除く家族が皆で帰省。キョンは学校があるので一人残る。だが土曜日の疲れが原因で風邪を拗らせるキョン。魘されるキョンは延々寝続け、今日、今さっきになってようやくベッドを抜け出すまでに回復し、病院もしくは買い出しへ出た。
うん、これならギリギリ納得できる。キョンがどこまで出掛けたかも分からないし、待ち過ぎてあたしが風邪をひいたらそれこそ本末転倒だ。ミイラ獲りがミイラになる、ではないが、同じようなものだろう。辺りもすっかり暗闇と星空が支配している。


「うう……アホキョンバカキョン…アホキョンバカキョン…アホキョンバカキョン……」


身体を温める為に出来るだけ早く繰り返す。何か羽織る物でも用意しておけばよかった。そういえば昨日マスコットが言っていたではないか……。今は風邪をひきやすい時期の真っ只中だと。
名誉顧問と副団長は今頃マスコットの家だろうか?いや、もうお暇しているかもしれない。そういえばマスコットが何で休んだか名誉顧問から聞くのを忘れていた。まあ大方風邪に決まっているが。自分で言っていた風邪への注意を自分が守れないとは、何というドジっ娘。何という萌え要素の塊。……偉い。ある意味偉いわみくるちゃん。何事に対しても遵守する事に忠実なのね、色んな意味で。責任感が強いのかしら。
そんな事を思いながら歩く実に平坦な家路。口の中には最後に齧り付いたチョコクレープの甘い味がまだ残っている。だが、一番最後に喉を通ったはずの小さな胡桃の欠片の味は、何故かもう何処にも無かった。




赤色エピローグ 4章


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