10, それぞれの最善
 
 部室でのいつもの光景。
 
 正面には古泉の姿があり、俺と二人でバックギャモンをしている。
 横を見れば、ハルヒが団長席でパソコン画面とにらめっこをしている。
 朝比奈さんはメイド姿でお茶を淹れている。
 長門はその横で椅子に座って本を呼んでいる。
 そして新たにSOS団に加わった杉浦の姿もある。俺たちのゲームにちょっかいを出したり、ハルヒや朝比奈さんに話しかけたりと動き回っていた。
 新しく入ったばかりだというのにすっかりなじんでいた。まあ、彼女が以前いた世界でもSOS団にはいたのだが。
 
 その光景が夢であったことはその直後の衝撃と苦しみが教えてくれた。
 
「ぐふぉっ……」
 
 
 なかなか目覚めない俺に対して妹が行ったボディプレスを受け、まことに心臓に優しくない目覚めをしたのであった。
 
「あれ?」
 
 しかも当たり所が悪かったらしく、俺はしばらくの間起き上がることが出来なかった。
 この呼吸をすることさえ苦しい痛みを与えた当事者は、逃げた。
「待て、こら……」
 とはいえ一目散に逃げる妹を追いかけることすら出来ず、腹部が押しつぶされたかのような痛みから解放されるまでは動くことが出来なかった。
 痛みがおさまるまでの長い長い十数秒が経過した後、ようやく起き上がると、携帯に未読メールがあった。
 
 
 古泉からか、一体何だ?
 
 
『口頭では話しにくいことなので、メールという形をとらせていただきました。
 杉浦さんは貴方にそっくりだと長門さんからは聞いていましたが、決定的な違いが見受けられました。
 
 貴方と違って、結構素直な方ですよ。』
 
 
 眉間にしわが寄るのが分かる。
「なんだこれは」
 思わず口に出して言ってしまったではないか。この野郎。
 朝から何が言いたいんだお前は。
 古泉からの意味不明なメールのお陰で朝っぱらから機嫌はあまり良くなかったのである。
 
 
 ボディプレスをくれた妹にはきっちりとお返し(詳細は言いたくないが別にやましいことなど無い)をしてから学校へ向かった。
 道中、頭の中に浮かんでいたのはあの夢の光景だった。果たしてメアリーがSOS団に入るということがあるのだろうか。
 本人はそれを希望している。が、長門はハルヒへの影響を警戒してそれは推奨しない。
 
 とうやったら、あいつが入団することが出来るのだろうか。脳内の会議室で様々な意見が飛び交っているうちに、学校に到着していた。
 
 教室へ行くと、俺の後ろはまだ空席。ハルヒはまだ来ていないようだった。
 とりあえず鞄を置いて席に座る。
 
 前方では、朝倉が珍しく机に伏していた。
 朝倉も、俺達とは違った形でメアリーの件について関わっているから、それのことで忙しいのかもしれない。
 どういった立場かは明確ではないにしても、完全に反対ではないようであるのは今までのことからして分かる。ちょっとした襲撃未遂はあったようだが、機械的に従っただけで本人の意思が伴っていなかったということを長門から聞いている。
 あいつも味方に取り込むことが出来たら、状況は変わるのではないか。
 
 
 その時、ハルヒが何やら苦悶の表情をこれでもかという程に見せつけながらやってきた。
 そしてどかっという音とともに、崩れるようにして椅子に座りそのままの勢いで机に額を打ち付けた。痛そうな音だ。
「朝からどうした」
「ああダメ、全然ダメ」
 いきなり完全否定とはこれいかに。
「一体何がどうダメなんだ」
「杉浦さんを入団させるための決定打が無いのよ」
 決定打? 決定打も何も、いっつも通りに無理矢理にでも引っ張ってくればいいじゃないか。
 そう言った途端、瞬間的に頭を上げてこちらを睨んできた。
「その言い方何よ、まるであたしが傍若無人みたいじゃない。言っとくけどね、あたしはこの団のために必死になって動いているよ? 」
 そして最後に、次回おごり決定ね、というお言葉をいただいた。何故だ。
 
 
「今までとは都合が違うのよ。だって最初に会ったのがあれよ?」
 実際に見たわけではないので詳細は分からんが、杉浦が朝比奈さんに絡んでたと言ってたな。
「そうよ、その時、あたしが何をされたか知らないでしょ?」
 さっきまでの崩れた砂山のようになっていたテンションはどこへやら。今ではもう立ちあがっていた。
「頭を撫で回されたのよ!」
 ……メアリー、お前は一体どうしてそのような行為に及んだ。
 というかハルヒは落ち着け。寝ていた朝倉もいつの間にか起きていてこっちを見ていた。何だその顔は、ニヤニヤするな。
「ちょっと聞いてるの!?」
 聞いてるから落ち着いてくれ。
 
 
 残念なことに、しばらくのハルヒの熱弁はチャイムとともに中断された。
 それからのハルヒはずっと考え込んでしまっていた。授業もそっちのけでメモ帳を何度も見返しながら書き込みを繰り返していた。休み時間の間もその様子は変わらなかった。
 流石に昼食はとっていたが。その間もメモを見ていたし食べ終えるや否や教室を飛び出して行った。
 
 昼の授業開始直前に戻ってきたが、メアリーに交渉をしに行って失敗したらしく、「まだダメだった……」という言葉とともに今朝教室にやって来た時と同じ調子で机に額をぶつけた。
 それからはずっとテンションはそのままで、ピクリとも動かなかったが 放課になってすぐに突然エンジンがかかったようだった。
 ハルヒは俺が何か言う前に鞄を掴むと教室を飛び出して行った。またメアリーに入団するよう交渉しに行ったのだろう。
 ハルヒはなかなか諦めないようだが、ハルヒの希望は簡単には叶わないだろう。
 先述のとおりだが、本人には入団したいという思いはあるだろう。しかし、それがハルヒに対してどう影響を与えるか分からない。
 失敗した、では許されない事態になる可能性だってないとは言えないのだ。だから接触自体出来るだけ避けるべきと長門は主張していたのだろう。
 入りたいと思っている上に、ハルヒから直々に誘いが来ている。にもかかわらずそれを断らなければいけないというのは辛いことなのだろうな。
 
 
 教室においてけぼりになった俺はまた一人で部室に向かっていた。その道中、古泉に出会った。
「おや、ちょうど僕も部室へ向かっていたところです」
「今日はハルヒは来るのが遅くなるぞ」
「おや、伝言ですか」
「いや、鞄を持って真っ先に飛び出していったから、メアリーの説得にでも向かったんだろう」
「そうですか」
「おい、朝のメールは一体どういうつもりだ」
 
「どういうと言われましても」
 何だその深い事情が無い方がおかしい言い方は。
「まあ、忘れてくださっても結構です」
 ますます怪しいな。
「何が怪しいのですか。言いたいことはあの内容そのものがはっきりとあらわしていると思うのですが」
 ……そうか。
 
 
 その話題は、部室に入った瞬間に頭の中から吹き飛ばされてしまった。
 部室に入って真っ先に目に入った光景は、
「どういうつもり」
 長門が朝比奈さんに詰め寄っているというものであった。
「こうするのが最善なんです」
「ちょっとどうしたんですか二人とも」
 念のために二人の間に入って距離を離した。
 しかしその間にも、朝比奈さんは反論を続けた。どうしてこんな激しいにらみ合いになっているんだ。
「涼宮さんが杉浦さんに興味を持つことは避けられません。それに、まだまだ表面化していない問題が山積しています。それらを少しでも早く解決していくことが必要なんです」
 俺は朝比奈さんの言葉を遮ることが出来なかった。その視線がとても強かったせいだと思う。
 俺には睨みあう二人の間でもみ合いになるのを防ぐことしか出来ていなかった。
「だから、今は杉浦さんにとっては辛くなってしまうんですが、それをしなければならないんです」
 一方で古泉が長門をなだめている。その間も朝比奈さんは意見を述べ続けるので、古泉も詰め寄ろうとする長門を止められずにいた。
「私は、貴方達の予測を信用できない」
 長門の鋭くなった視線にも負けじと主張を続けていた。
「だから、秘密裏にしたかったんです。でも、長門さんにも協力してもらわないといけなかったんです」
 その時、古泉が驚いたような口調で割って入った。
「朝比奈さん。まさか、『あれ』が重要なことなのですか?」
 それまで言い合いが続いていた部室を一瞬にして静寂が包み込んだ。
 朝比奈さんは一つ大きく呼吸すると、
「ああいうことも重要なんですよ?」
 天使の笑顔で答える。だが何のことを言っているのか俺にはさっぱり分からない。
 すると、俺の心情を読み取ったのか、長門がこう言った。
「そう、知らないのは貴方だけ」
 俺だけが知らないってどういうことなんだ……?
 古泉は何か取りみだしているようにも見えるし、朝比奈さんが笑顔になっているというのも気になる。
 だが、それについて問いただそうとしたその時、古泉が「ところで」という話題提議の接続詞を使って話を切った。
「杉浦さんのことに関して、僕から報告したいことがありまして」
 ……これはオレが割り込むわけにはいかないか。古泉、後で覚悟してろよ。
「どうしたんだ、お前のところも黙ってはいられなくなったのか」
「ええ、杉浦さんと涼宮さんとの距離が急激に縮まってしまった訳ですから」
 続けて「それに」と言ったがそこで首を横に振って何でもありませんと言った。やっぱり何か隠してるだろ。
「未来人組織の人員がこの時間平面に増員されたのを確認しました。涼宮さんと杉浦さんの周囲を監視しているようですね」
 朝比奈さんは明らかに慌てていた。
「な、何で知ってるんですか、まだ私もさっき連絡が来たばかりなのに」
「まあ、それが分かったからと言って我々が動くことはありませんし、ちょっとした軽い話なので以上として、ですね」
 表情がきっと引き締まった。
「朝比奈さん、その、まだ表面化していない問題というのはどのようなものなのでしょうか」
 朝比奈さんの表情も、締まっていた。今この瞬間の朝比奈さんはSOS団のお茶係ではなく、未来人組織の一員としての顔だった。
「まだ教えることはできません。でも、少しづつ分かっていきます」
 禁則事項か、口には出さずに心の中で呟いていた。が、朝比奈さんはこう付け足した。
「今から数日間が山場です」
 
 今から……?
 
「だー!」
 威勢よくハルヒが現れた。
 勢いよく扉を蹴飛ばすので、耳が痛い。
「まーた失敗した!」
 今日だけで3回くらいは失敗してないか?
「うるさいわね! だったらアンタも協力したらどうなのよ!」
 そうはいってもだな、あまりにしつこいと向こうも断るばかりになっちまうんじゃないのか?
「あのねえ、これは一刻を争う問題なの! さっさといい方法を考えなさいよ!」
「そういうのはハルヒの方が得意じゃないのか?」
「それでも駄目だからアンタにも協力を要請してるんじゃないのー! 古泉君!」
「僕も出来る範囲で協力いたしますよ」
「ほら見なさい! さっすが古泉君ね、アンタと違って優秀なんだから」
 
 そんな痴話げんかのようなやり取りの間にも、朝比奈さんの表情は緩んではいなかった。
 
 
 朝比奈さん。
 今この瞬間から、何が起こっているんですか。
 
 
11, 許されぬ継承
 
 
 あいつがオレに語りかけている。
 
 はっきりと聞こえている。
 
 だがそれは幻。
 
 自分が勝手に生み出している幻聴。
 
 だから、オレの問いには一切答えてはくれない。
 
 一体何のために生きるというのか。
 
 家族も、友人も、世界さえも失っているというのに。
 
 どうして『神』はオレをここ導いたんだ。
 
 どうして俺は生きているんだ?
 
 どうして一人なんだ?
 
「ハルヒ!! 答えたらどうなんだ!! オレをこのままほっとくつもりなのかお前は!!」
 
 答えなど、帰ってこない。
 
 もう、あいつはいないんだ。
 
 …………
 
「……」
 まあ、いつも通りの、悪い夢だとは途中から気付いていたつもりだったんだがな。
 全く、どうしてこの脳は変な夢ばっかりを見せてくれるのか。
 いつの間にか、机に伏して眠りこけていた。
 一度黒板に向けた視線を下に向け、再び顔をうずめるとそのまま魂まで抜けてしまいそうなくらいのため息をついた。
 酷く不快な目覚めだった。レム睡眠のノンレム睡眠の周期何座知った事では無いが、とにかく気持ちの良い目覚めはまだ手に入りそうになかった。オークションで売りに出されていたら1万円までは粘るかもしれない。
 
「なんだよこれ、糞すぎるだろ、こんなんじゃよ」
 
 折角ハルヒが与えた新たな生活の場。
 今でも安息の時を得ることが出来ていない。だから、今くらいは少々の汚い愚痴も許可してくれ。
 
 安心してくれ、この愚痴は昼休みの喧騒にまぎれて自分意外に聞き取れる人物なんかいないさ。
 もし場にお前がいてはっきりと聞き取れていたのなら、たらそれはもう烈火のごとく怒って持っている鞄かノートかそこらへんのものでオレの頭をひっぱたいてくれるんだろうか。
 
『――――――』
 
 想像するのは止めておこう、余計に悲しくなる。
「ん?」
 まて、オレが寝たのは昼休みだったはずだ。
 たとえ授業が始まってもほったらかしにされてずっと寝ていたとしても、陽が沈んだら外には街灯の明かりが見えるはずだというのに。
 真っ暗、というよりは、灰色、か。
 
 この色は、まさかな
 
 
―――
 
 くたびれた、この一言に尽きる。なにせ日が沈むまでずっと転校生勧誘作戦の会議とやらをすることになったのだからな。
 今後も続くであろうその作戦のために、今日は生活における最低限のこと(食事とか風呂とか)をすませて寝てしまうつもりだった。
 着信だ。画面を見て、眉間にしわが寄ってしまった。
「古泉か」
 また今朝みたいな意味不明な内容だったら本当にぶちのめしてもかまわないか?
 そう呟きながら通話ボタンを押す。
「夜分遅く済みません」
 
 その時、誰かの声が聞こえた。朝比奈さんの「こんばんは」という声だ。
「なんだ、そっちに朝比奈さんもいるのか?」
 すると、思わぬ方向からこんな返事が返ってきた。
「え、あれ? キョン君が古泉君と一緒にいるんじゃないんですか?」
 ?
「古泉と朝比奈さんの声が聞こえるんですが」
「でも、そっちから古泉君とキョン君の声が聞こえてきて……」
 ?
 どういうことだ? 疲労のため低速回転しか出来ない頭では状況がつかめず、混乱していた。
「長門さんに協力いただき、複数人と同時通話できるネットワークを構築してもらいました」
 なるほど。確かに、古泉のその声が聞こえているさなかにも朝比奈さんの感心する声がはっきりと聞こえていた。
「そこまでする必要があるということは……」
「ええ、皆さんにお知らせがあります」
 朝比奈さんが言っていた、山場か。
「閉鎖空間の発生が確認されました」
 閉鎖空間? それはハルヒ絡みじゃないのか。
「発生場所、及び時間は」
 うお、長門もこの通話に参加していたのか。
「発生場所は学校内です。時間は午後の授業開始直前と推測されます。その構造は異質なもので、発見および観測が遅れたとのことです」
 すると、長門はこんなことを言った。
「……その空間は、杉浦桔梗、彼女の空間」
 俺がそんなまさか、と言おうとしたのを、古泉の「そう思われます」という言葉が遮った。
「だが、どうしてそんなことになるんだ」
「つまり、彼女の世界の涼宮さんから、その力を僅かながらに受け継いでいるということです」
 
 後に分かるという問題とかいうものは、思った以上に大きなものだった。
 
「本心ではSOS団に入りたいにもかかわらず、涼宮さんからのたび重なる誘いを断り続けた結果でしょう。精神的にはかなりの負担だったのでしょう」
 長門は黙ったままである。もしかしたら責任を感じているのかもしれない。そう考えたのは俺だけではなかった。
「長門さん、貴方を責めているのではありません。」
「分かっている」
「では、報告を続けます。観測によりますと、規模は教室一部屋だけという非常に小規模なものです。それ以上の拡大もしていませんし、内部で何も異変はないとのことです」
「で、その中に杉浦がいると」
「その通りです。その先は言う必要もないですか」
「ああ」
「じゃ、行きますよ」
 そう言ったのは、朝比奈さんだった。突然仕切り役が変わったことに驚いたのか、古泉は黙ってしまった。
「これから閉鎖空間が発生した時間に戻るんですよ」
 朝比奈さんの協力で時間をさかのぼり、その時間に閉鎖空間に入ると。つまり
「今話している全員が参加ですね」
 
―――
 
 どうしたものか。教室からは一歩も出られないらしい。
 オレがいた世界とこの世界とでは事情が違うのだろうか。こんな狭い所に閉じ込められた経験はない。
 脱出の手がかりはこの中にしかない、そう判断して教室をひっくり返す勢いでヒントになりそうなものを探したものの、それらしいものは見つからない。
「参ったな」と呟いたその時、オレ以外の声がこの箱の中に響いていた。
 
「やはり、長門さんがいて助かりました」
「見つかったらまずいってのに、人通りの多い廊下を行かなきゃならないんだからな。あの光学……何だった」
「光学迷彩、簡潔に表現するとこの単語に該当」
「それだ、それが無かったらもうここには来れなかっただろうな」
「やはり全員参加で良かったですね」
「じゃあ、俺にも重要な役割はあるんだな」
「さあどうでしょうね」
「おいどういうことだ」
 ……騒がしい。
 
 さっきまでオレがぶち当たっても通れなかった扉の向こうから入ってきたのは、この世界のSOS団の構成員達だった。
「よう」
 ようジョン、状況に見合わない軽い挨拶してくれるじゃねえか。 
「オレ、何かまずいことやっちまったのか」
 それを軽く流して、訊いた。すると一樹はあの微笑を見せた。
「それにYesかNoで答えるのならばNoだと思うのですが、違ったでしょうか」
「大丈夫です。私が保証します」
 朝比奈さんも頷きながら言った。
 
 ここは閉鎖空間だからな、クラスの皆には聞きとられる心配はない。
 オレはこの世界のSOS団のメンバーとの雑談を楽しんでいた。今まで長門にしか言えなかったことも、直接伝えることが出来た。
 
「なあ、お前と古泉は、そういう仲なのか」
「そうですよ」
 空気が固まった。
「俺だけが知らないことってこれだったのか……」
「こんなので悪かったな」
「あの時は面白かっ」
 その瞬間、思い出したくない光景がよみがえってきた。
「おい馬鹿それ以上言うな一樹」
「ほう、そう言う呼び方なのか」
「ジョンも黙れ」
 
 そのような少々乱暴なやり取りもあったが、様々な話に花が咲いていたころ、突如として世界に色が戻った。
「あ、あれ?」
「どうやら元の教室に戻ったようですね」
「ってことは、俺達は見つかったらまずいんじゃ」
「そうですね、急ぎましょう」
 SOS団の面々が椅子から立ち上がり、慌ただしく元の場所に戻した
 中断してしまったことは残念だが、皆と話が出来て本当に良かった。
「杉浦さんには申し訳ないんですけど、私達は夜の6時からやってきたので、それまでは帰らないようにしてください。お願いします」
「え、は、はい」
「では、そろそろ失礼しますね」
「また、こんな感じでいろいろと話がしたいな」
「そうですね」
 古泉がそう言った次には、長門が何か呪文を唱えて瞬間移動でもしたらしく姿はなくなっていた。
 
 そのような少々乱暴なやり取りもあったが、様々な話に花が咲いていたころ、突如として世界に色が戻った。
「あ、あれ?」
「どうやら元の教室に戻ったようですね」
「ってことは、俺達は見つかったらまずいんじゃ」
「そうですね、急ぎましょう」
 SOS団の面々が椅子から立ち上がり、慌ただしく元の場所に戻した
 中断してしまったことは残念だが、皆と話が出来て本当に良かった。
「杉浦さんには申し訳ないんですけど、私達は夜の6時からやってきたので、それまでは帰らないようにしてください。お願いします」
「え、は、はい」
「では、そろそろ失礼しますね」
「また、こんな感じでいろいろと話がしたいな」
「そうですね」
 古泉がそう言った次には、長門が何か呪文を唱えて瞬間移動でもしたらしく姿はなくなっていた。
 
 そして、空間が完全に元に戻り、昼の教室の喧騒の中に再び放り込まれた。
 とりあえず、あの閉鎖空間にいたことが何か大きな問題にならなければと思いつつ、とあることについて悩んでいた。
「暇つぶしか……」
 どうやって6時まで空白の時間を潰そうかと考えることに午後の授業時間を潰してしまったが、仕方ないということにしてもらいたい。
 
 数時間を費やして至った結論は、思い切って寄り道をするということであった。
 ちょうど、二つの世界というとてつもない規模の間違い探しが出来るから、暇つぶしになるどころが時間が足りなくなりそうだ。
 寄り道でも散歩でもない、平行世界の調査だ、なんていったらハルヒみたいだな。
 一通り見たところ、あまり大きな違いはないようであった。
 確かにちょっとした違いならきりが無いほどに列挙できるのだが、この道なんて無かったとか、そういう感じの明らかな違いというものは見当たらなかった。
 
 そうやって色々探すのに夢中になった結果、案の定途中で切り上げることになってしまったのであった。
 
 午後6時、約束の時間ちょうどにオレは帰宅していた。
 通路を歩いていると、扉を開けようとしていた長門の姿が見えた。
 長門はドアを開ける動作を止め、ドアノブを握ったままこちらを見ている。
「……」
 まさか、時間逆行する前の長門に会っちまったか?
「大丈夫。私は貴方に会ったばかり」
 じゃなかったか。長門には聞こえなくても分かってしまうから参ったものだ。
 オレは一安心して、この場で使うべき挨拶をした。
「ただいま」
「おかえり」
 
 
12, その旗の色は
 
 
 なんとなく分かっていた。
 昨日のあの件で、オレはそう簡単には許してくれないような状況になったことくらい、分かっていた。
 
 とはいえ、眠ったと思ったらこの状況だ。目覚めると真っ白な空間にいた。
 これは夢なのか、それとも現実なのか、はたまた夢から覚めたという夢なのか
 
 ここはどこわたしはだれ、なんて抜けた台詞を発するつもりはない。少なくとも自分が誰かは分かっている。
 
 杉浦桔梗。
 
 もうオレは、『キョン』ではない。
 最初は、その事実を身をもって知る度にテンションは自由落下並に降下していったが、今はもうだいぶ馴染んできた。
 新し名前を貰って、新しい世界で暮らしていけるんだ。それがハルヒの望みだ。
 
 この何もない無の空間(物理的には『無』と呼ぶことは出来ないのだろうけど)をあちこち見まわしてから一呼吸。
「さて」
 これから何が起こるのやら。自信が発する音以外聞こえないような無音は嵐の前の静けさとかいうものなのだろうか。
 ここに呼び出された目的はだいたい分かる。問題は、誰が呼んだのかだ。
 
「ご無礼をお許しください」
 心の中で呟いたそれが聞こえたのか、オレに話しかける人物がいる。
 声のした方向を向くと、喜緑さんがいた。なんとなく予想通りと言えば予想通りだ。こんな空間に招待してくれるのは宇宙人くらいしかオレは知らない。
「諸事情により、貴方を隔離させて頂きました」
 隔離か。誰も手出しできない状態にしたということは、あまり期待してはいられないようだ。
「二人共優秀だと思っていたのですが……。少々単独行動に走りがちなのが難点ですね」
 なるほど、長門だけでなく朝倉もパトロンを無視した行動をしていたのか。
 確かにあの夜の襲撃未遂も、最後の最後まで迷っていたしな、なにかしら裏で協力してくれていたのかもしれない。後で感謝しなければいけないな。
「統合思念体は貴方の純粋な意思の表明を待っています」
 
 つまり、誰の意見も参考にしたりせずにってことか。オレを隔離した目的がこれだけだったら有り難い。
 
「消えるか、残るか」
 
 どっちの意見でも、許されるのか。
 
 だったら、答えはもう決まってる。
 
「オレは、この世界で生きる」
 
 その回答に対し、喜緑さんは笑顔で答えた。
 
「分かりました」
 
 長門や朝倉が独断で行動するくらいなのに、パトロンがそんなに簡単に許すものだろうかという疑問もあるといえばあるのだが、
 
「それならば」
 
 やぱりか、
 
「処置が必要になります」
 
 ため息をついちゃいけないか。
 やっぱりタダでは済まないよな。世の中そんなにうまい話はない。それがたとえ一般常識では考えられないほどにぶっ飛んだ場合でも同じなのだ。
「貴方はここの世界の人間ではありません。情報操作による補助が欠かせません」
 まあそれくらいはオレも知っている。
「ですので、大規模の情報操作を行うことで、貴方には正式にこの世界の人間になってもらいます」
 正式に、という表現はどうかと思ったが、それらをいちいち気にしてられん。
「簡潔に言ってくれませんか」
 
「貴方が涼宮さんから受け継いだ能力を削除します」
 
「は?」
 
 オレは二重の驚きをすることとなった。
 
 受け継いだ、とはこれいかに。
 昨日の閉鎖空間は、この世界のハルヒではなくてオレ自身が作り出したものだったのか。
 ハルヒはオレの記憶を消して異世界に飛ばしただけでなく自分の痕跡も残したのか。
 しかし、それは存在が知られて間もなく削除されようとしている。
「ご安心ください、長門さんとルームシェアしているという現状は維持されます」
「オレが言いたいのはそこじゃない、やっぱりオレはハルヒの力を持ってるのか」
「はい。ですからこの世界の涼宮さんに悪影響が生じることを未然に」
「やだね」
 これだけは、拒否したい。
「ハルヒを殺させるもんか」
 あの時、守ってやれなかったんだ。
「今度こそ、守ってやるんだ」
 突然態度を変えたオレを見て、喜緑さんは呆れるばかりであった。
「どうしてですか。人格に関する情報は全く含まれていません。理解出来ません」
「出来ないならしなくて構いません。とにかく、その条件は受け入れられるものではないです」
 
 オレは睨んでいるつもりだったが、喜緑さんは相変わらず柔らかな笑顔のままだ。
 
 向こうも強行することはなく、膠着状態が続いていた。
 互いの呼吸しか聞こえない中、昨日のように、また騒がしさがノックも無しに訪れた。
 
「杉浦さん!」
「間に合ったか」
 
 ジョン、じゃなくて『キョン』達がいた。
 
 
―――
 
 
 ゆっくりと、体が揺さぶられている。地震ではなさそうだ。
 
「起きて」
 
 ん? 随分と穏やかな起こし方だな、ようやくわが妹も理解してくれたのか、これからもこんな感じで心臓に優しい目覚めを提供して
 
「ぉお!?」
 
 目覚めると、目の前にいたのは妹ではなく長門であった。
 結局は心臓に優しくない目覚めをしたわけだが、更に直後には長門の部屋で眠っていたという衝撃の事実を知ったのであった。しかも俺だけでなく古泉も朝比奈さんもだ。
「こ、これはどういうことですか」
「ええと確かに私は自分の……うう」
「皆をここに移動させたのは私」
 皆が皆、寝起きであるせいで頭の回転が遅いため、長門がそういったところで数秒して「ああ、そうなんですか」という程度のリアクションしか出来なかった。
 それでも、長門が俺達を呼び出した理由は大体分かる。
「何かあったのか」
 
「杉浦桔梗が隔離された」
 
 早朝、杉浦が部屋から姿を消し、直後に隔離されたことを知ったそうだ。それで俺たちに応援を求めたのだ。
 
「……」
 朝比奈さんは黙ったままだ。杉浦の件に関しては長門とは衝突してばかりだったが、それも杉浦のためを思ってのことだ。
 隔離されている空間への侵入を前に、古泉は表情を引き締めていた。
「最終決戦、ですか」
「それほど大袈裟なことにはならない。しかし、彼女の今後に関わるのは確か」
 長門も、覚悟を決めたような強い視線だった。
 
***
 
 俺達が喜緑さんと対峙しても、その表情は全くと言っていいほど変わらなかった。
 
「朝比奈みくるさん、貴方が行った行動は見事でした」
 この状況で、対立関係にある相手を褒める。それの意図は何だ?
「涼宮さんに対して悪影響を与えることなく、適度に興味を持たせることで、切り離すことが容易でなくなりました」
 失礼な言い方かもしれないが、まさかと思った。そこまで計算の上で今まで行動していたのですか……?
「我々が杉浦さんの存在を消そうとしたところで、未来からの情報伝達まで完全に遮断するのは困難だと推測されますから」
 
「しかし、杉浦さんが以前暮らしていた世界の涼宮さんから継承したその力は、今後間違いなく悪影響を与える要因となります」
 
「その力の発動は無意識下でも起こるため、記憶操作では解決できません」
 
 そう言い終えた次には、喜緑さんはこちらに歩いてきた。当然のことながら身構えた。
 
「長門さん」
 3メートル手前で立ち止まった。
「いい加減、折れてくれませんか」
 下を向きながらそう言った時の表情は、酷く不安げであった。先程とはまるで違う、独り言のような声量で、自信も感じられない。
「私としても、出来るだけのことはしました」
 俺の全く知らないところで、もしくは他の人達も全く知らないところで、喜緑さんも協力してくれていたのか?
「しかしながら、限界です。これ以上の勝手な行動は個々の存続にかかわります」
 
 長門はしばらくの間、俯く喜緑さんを見た後、その視線を沈黙している杉浦に向け、最後に朝比奈さんを見て止まった。
 
「朝比奈みくる」
 朝比奈さんも、なにやら覚悟しているような、引き締まった表情だった。
「こうなることも、分かっていた?」
 ゆっくりと、頷いた。
 杉浦が、驚愕の表情を見せていた。
「どういうことですか……? そこまでオレを……」
 杉浦がそのような言い方をするのも仕方ないだろう。しかし、朝比奈さんはその髪をくしゃくしゃにしてしまうほど大きく首を横にふった。
「いくら手段を変えても、これ以上の結果は出ませんでした」
 朝比奈さんが震えていた。
「でも、それでも、その中で最善の結果になるようにしてきたつもりでした」
 こぼれそうになっている涙を袖でこすり取る音だけが聞こえていた。
「ごめんなさい。他人の人生を勝手に操作したみたいで……」
 もう泣きそうな朝比奈さんの肩に手を添えたのは杉浦だった。
「朝比奈さんを責めちゃいけませんよね、オレがこの世界で暮らしていけるようにしてくれていたのに」
 
 それからの長い沈黙は、とても重たかった。重すぎるせいだろう、頭が下に下がってしまう。
 
「杉浦さん、貴方がこの世界で存在し続ける意思がある以上、この処置は避けて通れないことです。怠ればこの処置だけでは済まなくなります」
 喜緑さんが再度言う。これは最終通告か。
 この場でうろうろするものがいないのは勿論だが、長門は全くもって動いていなかった。抵抗することもないようだった。
「負けを認めざるを得ない……?」
 不意にこぼしてしまったような言い方であった。
 長門にとっては、悔しい終わり方だ。最も悲しい結末を避けるためにはこうするしかないとはいえ、最善ではない以上は納得いかないのだろう。
「いや、負けじゃないさ」
 杉浦自身もそうだが、毎日生活を共にし守り続けた長門も、朝倉も、古泉も、朝比奈さんも、これまで精神を削って尽力してきたのだろう。
 あまりにも役に立っていない自分に、途方もない怒りを感じていた。
「確かに、一番いい結果には、なってないのかもしれないけど」
 杉浦の言葉は途切れ途切れになっていた。
 いろんなものがこみ上げているのだろう。
「よく頑張ったさ。な」
 長門の目から、透き通った水が流れていった。
 それを見た瞬間、思いきり抱きしめていた。
「これからも、よろしくな」
 
 頷いた長門が、杉浦の額に手を当てた。
 杉浦は、ゆっくりと目を閉じ、地面(すべて真っ白なのでそう表現するのが最も適していると判断した)に横たわった。
 しかし、長門は杉浦を眠らせたところから何もすることが出来ず、朝倉と喜緑さんが力の削除を行った。その様子を、長門は黙って見届けていた。
 
 その『作業』は、淡々と進められた。
 
 首尾よく、なんのトラブルもなく、『無事』に終わった。
 
 削除しようとした瞬間に、消えてしまったはずの杉浦の世界のハルヒが現れるとか、そんな『奇跡』なんてものは起こらなかった。
 
 
 喜緑さんは無言でこちらに礼をすると姿を消した。
 長門は、眠っている杉浦の髪をそっと撫でていた。
 
「もしかしたら、俺たちが杉浦をSOS団に入れようとしていたのは、杉浦が入りたいと願っていたからだった、とか」
「無いとは言い切れませんね」
 俺達は真っ白な空間を見上げていた。
「朝比奈みくる」
 呼びかけられた朝比奈さんの表情は、依然として締まっていた。
「これで、終わり?」
「はい」
 朝比奈さんが長門に笑顔を見せたのは、数日ぶりのことだった。

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最終更新:2010年03月22日 10:46