「その、余りそう凝視しないで頂けませんか」
そうは言われてもな。俺は腕組みをしながら唸らざるを得ず、数歩離れた位置に立つ相手の方は苦笑を深めるばかりだ。
しかし――こんな奇異な状況下に置かれたんじゃ、どうしたってまじまじと見てしまう。
髪は長い。背筋に届くような、癖のないストレートだ。
背もかなり高い。SOS団の三人娘以上、恐らくは平均的な女子の身長も上回っているだろう。
胸は朝比奈さんやハルヒには劣るが、それなりに豊かな山を形成している。
雰囲気は、……元、のこいつを知っているだけに胡散臭さは拭えないが、一見は爽やかな優等生タイプというところだろうか。
 
うーむ、実に惜しい。
 
「何がです?」
小首を傾げる相手に、俺は言ってやった。
「お前が元男で、それもよりにもよって古泉一樹だってところがだ」
 
おかげで、朝比奈さんやハルヒや長門とはタイプの違った新生美少女のご登場だというのに、素直に鑑賞できん。
言い掛かりだと言われそうだが、大体の人間は賛同してくれるはずだ。
原形を知らなきゃもっと喜べたのだろうが――。
 
「酷い言い草ですね。女性となった僕もなかなかのものだと思うのですが」
北高の女子制服を身に纏った古泉は、スカートをぴらりと摘み上げた。
たくし上げられた下衣の中からは生々しい白い太ももが覗――かない。
ぴったりと覆われた黒いスパッツが防御壁になっていた。
思わず視線を送っちまったのは男の性というものなので、お天道様もエロスの神様も俺に赦免状を書いてくれることだろう。
 

「しかし困りました」
俺の目線を追うように自分の足を見、視線を返して「このムッツリが」とでも言いたげに笑顔を浮かべる古泉――被害妄想も入っているかもしれんが――は、
ちっとも困った様子なく、掌を上にしたジェスチャーをしてみせた。
 
「どうすれば涼宮さんに身体を戻して頂けるんでしょうか」
「知らん。……というか、原因は分かっているのか?」
ハルヒが突発的に理不尽な能力を発現させるのは今に始まったことじゃないが……それにしたって、何かしらきっかけはあるはずである。
古泉を女にしたことにも、それがハルヒ的な突飛な論理に基づいており俺たちに納得がいくようなものでなくても、何かあるはずなのだ。理由が。
 
「実は、心当たりはないこともないのです」
俺は古泉の、少し柔和になった輪郭線に意識的に眼を遣る。放っておくと谷間にシフトしそうだ。
「ほう。なんだ」
「昨日は『ポロリもあるよ!☆朝比奈みくる!脱ぎます!~乱痴気騒ぎの3P大作戦~』PVの撮影会でしたね」
「……ああ」
俺は遠い目をした。
この、考えた人間の趣味と精神年齢を疑うようなタイトルはハルヒがつけたものである。もうちょっと何とかならなかったのか?
如何わしいタイトルではあるが、中身はいつもの朝比奈さんの健全なコスプレビデオ集だ。
勿論朝比奈さんの芳しい二つの山のポロリもない。
俺が全力で阻止したので、代わりに某N○K番組『にこに○ぷん』キャラクターが一瞬画面に映し出されるという案が採用された。これで看板に偽りない。
朝比奈さんの恒例バニーガール、ナース服、クラシックメイド服、フレンチメイド姿、カエル姿はもちろん、
水着姿、浴衣姿、女医さん風白衣姿、SM女王、巫女服、猫耳装備の着ぐるみまでバラエティに富んだ一本だ。
何度も衣装替えを強いられていた朝比奈さんには気の毒だったが、大変な眼の保養になった。
撮影を終えたハルヒも、満足そうな顔つきであったと思うが――
 
「撮影の際に、涼宮さんが漏らしていたのですよ」
曰く、『こういう巫女服とか浴衣姿とかSM女王系は、本当はもうちょっと背の高い娘がいいんだけど――』
『中性的美人っていうか、ヤマトナデシコ系ね!みくるちゃんは可愛いけどロリ系だもの』
古泉の口真似がハルヒの声で脳内再生された。ついでに、続きの予想も容易についた。
「『そうねえ……、古泉くんが女の子だったら良かったのに!』――か?」
「さすが。一字一句違わず正解です」
褒められても嬉しくないが、いやはや。
 
「それでお前、何て応じたんだ?」
「そうですね。女性からの視点という体感に、興味がないといえば嘘になりますね……と言ったようなことを」
「おいおい」
そりゃ、馬の鼻先に人参をぶら下げるようなもんだぞ。
ハルヒの力の行使に正当性を与えて、お膳立てしてどうする。お前らしくもない。
「ええ、あの受け答えは不味かったですね。咄嗟に返してしまったのですが、まさか次の日には女性化してしまっているとは…。
涼宮さんのバイタリティーと行動力の速さには感嘆を禁じ得ません」
「……しかしだな、それでいくと――ハルヒを満足させるためにはお前、着なきゃいけないんじゃないのか」
その、つまりは、巫女服とか浴衣とかSM女王――
「皆まで言わないでください」
古泉の笑みが引き攣っている。
そりゃまあ、着たくないだろう。いかに美少女に変貌したとて、心は男子高校生のままなのだ。
見物する側であるならまだしも、俺なら敵前逃亡するところである。
 
「古泉。お前の心中は察して余りあるが……ハルヒがそれを願ってお前を女にしたんなら、イコールそれを果たさないと男には戻れないってことだろ?」
逆に言えば、その古泉にとっての苦行を乗り越えれば、古泉は無事に男古泉へと回帰できるはずだ。
ハルヒといえども人様の性別を勝手に反転させて、それを永遠に維持するような鬼畜な真似はしないだろう。
「あなた、他人事だと思って好き勝手なことを……」
「実際俺にとってみれば他人事だ」
それにこの女古泉の巫女服なら、俺も興味がないこともない。
 
古泉は幾らか悄然として肩を落とし、「そうですね……」と溜息をつく。
掻き揚げた髪からフローラルな香りが飛んでくる。香水も女物になってるのか、芸の細かいことだ。
 
「それ以外の方法があればと思ったのですが。あなたの仰る通り、確かに涼宮さんの欲求を満たす以外にはないのかもしれませんね」
古泉としては別に解決策が見出せれば別の案を起用して、コスプレさせられるのは回避したかったようだ。
まあ諦めろ古泉。こういうこともあるさ。
お前さえ我慢すればハルヒは満足、お前は男古泉に戻ってエンドマークがつけられるのだ。
たまには振り回される側になって朝比奈さんの苦労を労っておけ。な?
 
「なんだか丸め込もうとしているような雰囲気ですね」
「そんなことは――」
ないさ、と言おうとした瞬間に、蹴破られたような勢いで部室の戸が開いた。
 
「お待たせーっ!」
燦然と輝く笑顔を浮かべて、踏み込んできたのは噂の涼宮ハルヒ。
 
その後ろから、小動物のように身を縮こませた朝比奈さんが、「こんにちはぁ…」と続き、最後尾には無言の長門。
古泉といえば、「こんにちは、皆さん」と即座に笑顔を被りなおして返していたが、表情はみるからに青褪めている。
なにせ、ハルヒの腕章が昨日から引き続いて「超監督」になってたんだからな。
要するに、今日も撮るということだ。……昨日のアレを。
 
ハルヒは登場してすぐさま部室を見渡し、笑顔のまま俺に怒鳴るような声を向けた。
「ちょっとキョン!全然準備出来てないじゃない!今日は一樹さんの撮影会なんだから、早くレフ板借りてきなさいよ!」
 
ハルヒの中でもはや古泉のコスプレ撮影会は確定事項のようで、さっそく衣装の検分を始めている。
古泉は救いを求める子犬のような眼を俺に向けてくるが、背中でスルー。
お前が元に戻るために必要なのだから仕方ない。腹を括れ古泉。お前の勇姿は俺がとくと眼に焼き付けておいてやるから。
 
「ふふ。それじゃあ一樹さん、最初は巫女さんでいきましょう!」
「あ、あの、涼宮さん、一人で着られます、着られますから……!」
「駄目よ、こういうのは着付けちゃんとしないと。みくるちゃんも手伝って!」
「は、はぁい……」
朝比奈さんはいいのかな、いいのかな、とあからさまに狼狽しながら、それでも強制するハルヒの声には逆らわずに古泉の制服に手をかける。

俺は古泉の女性らしい声での小さな悲鳴、原形を想像すると気持ち悪いだけの声からエアー耳栓で鼓膜を防護しつつ、レフ板を取りに部室を出た。
 

……だがそこで、予想外のことが起こる。
長門がついてきたのだ。
 
 
「なんだ、長門。どうした?」
感情が読みにくいが、最近はそれでも喜怒哀楽の判別のし易くなった両瞳が俺に向けられる。
「……古泉一樹」
「ああ、見ての通り女になっちまってるな。だが、原因ははっきりしてるようだから、今回の撮影でハルヒを満足させさえすれば――」
「戻らない」
 
長門の断言に、俺は足を止めた。長門のジョーク……じゃ、ないよな?
 
「それは……どういうことだ?」
「言葉通りのこと。古泉一樹は、恐らく涼宮ハルヒが撮影を終了させ、その内容が十分に満足のいく出来であったとしても、男性には戻れない」
「な……どうしてだ!」
 
性別が反転するなんて珍事、もっと深刻に受け止めてもよかったかもしれないが、それでも大してシリアスに考えられなかったのは、古泉が女になった経緯が明確だったからだ。
通例から考えれば、ハルヒを満足させれば終わる事態と判断したからこそ、俺もお笑いの種として語ることが出来ていたのである。
それが、簡単には戻れないだって?
何故だ?
ハルヒが女古泉を気に入っちまって、戻したくないと考える……とかか?
 
「その理由もあるが、原因としては微々たるもの」
「じゃあ何が――」
「根源的な理由は、古泉一樹がそれを望んでいるから」
俺はこめかみを押さえた。
 
「すまん、長門。意味がわからない。古泉はさぶイボを立てそうなぐらいの拒否反応を示してたように見えたし、どう見ても女になることを望んでいるようには見えなかったんだが」
「表層では。だが、深層では絶対ではない」
長門はクールな口調を僅かに哀れむようなものに、……それこそ俺の錯覚かもしれないが、やわらかくした。
「あなたに働きかけてほしい」
古泉一樹が元に戻るように、と。
 
「そりゃあ、俺も古泉にずっと女でいられるのは困るが……。どうすればいいんだ?」
「撮影会が終わったら、古泉一樹の話を聞いて」
「………それだけか?」
こくり、と長門が小さく首肯する。
「それだけで構わない」
「そうか。……わかった」
 
煮え切らないところも多いが、長門はそこまで語ると、自分の用件は済んだとばかりに引き返していく。
俺はレフ板を取りに行くために歩みを再開させながら、悩んだ。
古泉が女になることを望む理由……?
んなものが、あるのだろうか。
 

部室に戻るまで考えに耽っていた俺だったが、放送部から借り受けたレフ板を抱えて扉を潜った瞬間に、色々なものが思考から塵芥のごとく弾け飛んで散っていった。
 
「どうキョン!やっぱりこのくらい背筋が伸びてると、巫女装束もはまるわね!」
あたしの眼に狂いなしと古泉の背に抱きつくハルヒ。
古泉は顔を諦め顔に赤らめた頬をして、ハルヒにされるがままになっている。
 
俺はううむ、と本日二度目の唸り声を発した。
緋色の袴を履き、長い髪を白いリボンで一纏めにし、何処からどう見ても清楚な巫女さんにしか見えない古泉がそこにいた。
壮観な眺めだ。巫女属性のない男でも、思わず足を止めて鑑賞したくなるだろう。
この巫女古泉が神社で御守売り場のバイトをやれば、長蛇の列が出来るに違いない。
箒を持って境内を掃いていたら押しかけで隠し撮りをされまくるんじゃないか……
と、色々な想像を掻き立てるくらいには、似合っていた。似合いすぎる。
 
お前、神社に将来就職する気はないか?
 
「遠慮しておきましょう」
優等生の笑顔でばっさりと俺の妄言を切り捨てると、「涼宮さん」と古泉は頬をうっすら染めたままで俯いた。
「その……撮影を行うんですよね?それなら……」
ちゃっちゃと終わらせましょうと言おうとして言えないイエスマン古泉だったが、ハルヒは意を汲んだようだ。
「そうね、キョンも戻ってきたところだし、撮影会を始めましょうか!」
 



かくして――古泉にとっては頭が痛いであろう撮影会は開始された。
ひとまず配役を説明しよう。レフ板持ち、俺。監督兼カメラ係、ハルヒ。女優、古泉。以上。
昨日は古泉がレフ板持ちでカメラ係が俺だったのだが、朝比奈さんにいずれかの役を振ることの無謀さはハルヒもよく分かっていたようだ。
長門は端から我関せずといった風情で、読書に耽っていた。これはいつもの風景であるから特に問題はない。
 
「んっふっふ。じゃあ一樹さん、ちょっとポーズつけてみましょうか!こう、枝垂桜の似合う薄倖の娘ーって感じで!」
相変わらず無茶振りである。そしてそのコンセプトは一体なんだ。
 
「は、はぁ……。こんな感じでしょうか?」
ハルヒの思いつくままを述べているとしか思えん要望に応えようと、健気にもポーズを取ってみせる古泉。
俺なら恥ずかしさで埋まるところだが、そこはハルヒに追従せずには居られない古泉といったところだろうか。
顔を俯かせ、指先を顎に添えて……おおおお。
括った後ろ髪がしな垂れて、頬にかかる。ちょっとアンニュイ風味な巫女さんだが、これはこれで味があるな。
ハルヒは古泉の乗りっぷりに大喜びし、カメラを停めて一樹に抱き着きにいった。
「いいじゃない!さすが一樹さんね。モデルとしてのセンスがあるわっ!」
これでもかというくらいの大絶賛だ。
 
ちなみに朝比奈さんは「ほんと素敵ですぅ~」とにこにこ笑いながら、隅の椅子に座って事を見守っている。
今回の撮影は自分に被害が及ばないので、朝比奈さんとしても心休まる一時のようだ。結構なことである。
 
古泉はハルヒに抱き締められて、顔を赤くしたり青くしたり、男のときではとても見せないような百面相だった。
が、満更でもなさそうだ。
俺はレフ板持って突っ立っているだけなのだが、こういう古泉の顔を見るのも悪くはないと思えてくる。
古泉の奴、ハルヒにこんなに構われるのは初めてなんじゃないだろうか。いつも弄られ役からは上手く回避していた奴であるし。
ハルヒが一方的に構い倒しているだけだが、女同士と思えば腹も立たん。
――そう、もしこれで、古泉が男だったら……。
想像してみようかと思ったが、途中で思考を遮断した。
楽しくないことは、考えない方がいいのさ。それが生きてく上での処世術ってもんだ。
 
 
それからもハルヒは古泉にあれこれと細かな指示を出し、古泉は律儀にその指示を守ってポーズを取っていく。
巫女さんだけで何十パターンと撮影した後、やっと別のコスプレを行うべく着替えタイムに突入した。
 
この分だと日が暮れるまで終わりそうにないなと思った俺の勘は正しく、
その後はハルヒに薦められるまま、愚直に浅葱色の浴衣姿でうなじ美人を追求したり、恒例のバニーガール姿で揺れる胸を強調したり、
SM女王様の際どいラインが浮き彫りになるコスチュームで鞭をビシバシと床に叩きつけて「女王様とお呼び!」を言わされたり、
スリットの入ったチャイナドレスを身に纏って踊らされたり……と、
古泉の心労がそろそろ限界線を飛び越えそうなくらいに至って、ようやく撮影は終了した。

 
 
くたくたになった古泉や俺を尻目に、超監督涼宮ハルヒはご満悦である。
「素晴らしい出来だわ!この内容なら、どんな性癖の男も思わず手を伸ばさずにはいられないAVに編集できるわね!」
「ハルヒ。分かってると思うが――」
思わず口を挟んだ俺に、ハルヒは唇を尖らせて言う。
「あんたに言われなくたって、一樹さんの秘蔵コスプレ集をおいそれと衆目に晒したりはしないから安心しなさい。
なにせ一樹さんのコスプレ集なんだから、相場の百倍くらいのプレミア価値があるわ。毟り取る相手を選ばなくちゃね」
と、捕らぬ狸も何とやらのハルヒの言である。
今はすぐさま何処かに公開したりはしないことを確認しておけばいいだろう。
後は機関なりに証拠隠滅を頼むしかあるまい。女古泉が映った映像作品なんて、どう考えても残すのはマズいだろうしな。
 
ハルヒはそれから俺に映像の場面編集係を言い付けると、「あんたは一樹さんを送ってあげなさいよ」と残して、長門と朝比奈さんを伴って早々と帰って行った。
後片付けくらいしていけよという突っ込みも虚しい。
 
 
元の北高制服に着替えた古泉は、魂が抜けたように椅子に座り込み、動く気力もないようだ。無理もない。
疲労困憊の古泉に部屋の片付けを手伝わせるわけにもいかず、俺は衣装が散らばった室内を一人で大掃除するはめになった。
脚立を仕舞い込み、レフ板を持ち主に返却し、帰り際にコーヒーを二人分買って文芸部室へと戻る。
 
夕闇に沈んだ空を窓越しに、ぼんやりと眺めている女古泉の姿は、普通に見れば――心動かされる、良い絵面なんだがな。
 
「お疲れさん」
差し出したコーヒーを、古泉は疲れた笑みで受け取った。
「ありがとうございます」
「……で、どうだった?着せ替え人形になった気分は」
意地の悪い質問を敢えて投げ掛けると、古泉は片目でウインクをしてみせた。そういう無駄な茶目っ気は変わらんな。
「新鮮な体験でしたよ。かなり疲れましたから、二度目はないように願いたいものですが。朝比奈さんの偉大さを思い知りましたね」
「これに懲りたら、今度朝比奈さんが無体を働かれてたら助けに入れ」
「考えておきます」
 
コーヒーを啜り、大きく息を吐き出して、古泉は微笑んだ。
 
「あなたはどうでしたか?女版の僕の振る舞いに、何か感じるところは?」
 
感じるところ、ね。何を意図しての質問なんだか。
俺は素直に答えた。
 
「感動的ではあったが、元のお前を想像するとあんまり楽しめなかったな」
巫女装束の似合いっぷりは別だ。あれは後世にまで残しておきたい清く正しい巫女のあり方である。
 
「そうですか。……ふふ」
唇を綻ばせ、潜め切れなかった笑い声が漏れる。古泉は楽しげに笑っていた。
「何だ、何かおかしいか?」
「いえ。――実を言いますと、少し心配していたんです。僕が女性となったことで、涼宮さんに何らかのストレスが生じることはないだろうかと。
あなたと接触したり会話をしたりすることで、あなたが……女となった僕への対応を変化させた場合、の話ですが」
回りくどく繋げると、古泉はふっと安心したように肩を竦めた。
 
「無用な心配でしたね。あなたの眼中に、女性の『古泉一樹』はない。逆も然りです。
涼宮さんは女性となっている僕を、あろうことかあなたと二人きりの状態に置いて帰りました。
それはつまり、涼宮さんにとって僕は彼女の恋路を脅かす女性という確たる認識をもたれていないということ。
あるいは……あなたの僕に対する対応に、異性に対しての意識がないことを、彼女は無意識下に見取っていたのでしょう」
悟ったような物言いをする古泉は、何処か寂しげにも見えた。
 
 
俺は長門の言葉を思い出す。
……古泉には、女であることを望む理由がある。
 
女古泉の普段らしからぬ表情の描き方に、俺は一つの答えを見つけたような気がした。
例えばハルヒの心底楽しそうな笑顔だとか、ハルヒの認可が出るたびに緩められる古泉のほっとしたような口元だとか。
そういうものを見ていて、何となく靄めいたものを感じていた。
その答えは恐らく、
 
「古泉。お前さ」
 
言ってもいいものか――一瞬迷ったが、このままじゃこいつは変わらないだろう。
難儀な立ち位置だよな、超能力者ってのは。
 
「人の事ばかり構ってないで、偶には正直になってみろよ」
「……?」
古泉がきょとんとして眼を瞬かせる。ちょっと可愛いと思っちまったのは気の迷いだ。
 
「押し隠してもどうにもならないからって、諦めるために性別を変えるんじゃ、本末転倒だろ」
「―――あ……」
古泉の顔から、血の気が引いていった。
慌てたように頭を振る。長い髪が交互に揺れて、憂いを帯びた眼が伏せられる。
「……違うんです、僕は、そんなつもりでは……」
弁解しようとする古泉の声は尻すぼむ。
 
『女性からの視点という体感に、興味がないといえば嘘になりますね』
 
その言葉の意味は、きっと額面どおりのものではないのだ。
俺は思い返していた。十二月、世界改変が起きた世界で、別の高校に通っていたハルヒと古泉の姿。
似合わない学ラン姿の古泉は、俺にはっきりと告げた。
 
僕は、涼宮さんが好きなんですよ。
 
 
「……そうですね。そうだったかもしれません。ちらりと、考えました。『僕が女性だったら、神に対して、こんな想いをもてあますこともなかっただろう』と」
 

――認めた。
俺は息をついた。誘導したとはいえ、俺にこんな風に古泉が心情を打ち明けるのは、初めてのことだ。

 
「僕が女性だったら――涼宮さんへの叶わぬ想いに胸を焼かれることもないでしょう。仮に同じ想いを抱いたとしても、同姓という間柄ならば、己の中で踏ん切りがつけられる。
その上で気の良い友人くらいになら、なれるかもしれなかった」
 
古泉自身、本気でそれを願ったわけではないのだろう。
もしかしたら、もしも。
数え上げれば切りのないifの話だ。
ほんの僅かに芽生えた、「もし自分が女性であったら」という想いを、ハルヒの能力は掬い取った。
 

「僕が女性になったのは、そんな僕の思考も影響してのこと、だったんですね」
自身に眠っていたその感情に向き合った古泉は、たおやかに笑う。
 
「こんな馬鹿みたいな、……本当にくだらない……」
 

――たおやかに笑った後は。
もう我慢し切れなかったのだろう、声を震わせて。
掌で両目を覆い隠し、か細い搾り出すような嗚咽が漏れ出す。
 
俺は泣くなとは言えず、かといって胸を貸してやるような気障ったらしいフォローもできず。
ただ、男の時よりも涙脆くなっているらしい古泉が落ち着くのを、じっと待つことしかできなかった。
 



 
時計の長針が15度ほど傾き、夕闇の空が、とっぷりと一面の漆黒に染まる。
待って待って待ち続けた。
……やがて、顔を上げた古泉は、何時もの調子を取り戻していた。
 
 
「……すみません。もう、大丈夫です」
涙を拭い、気丈に微笑む。声だけ聞けば普段と変わりない。
だが、顔には泣き腫らした痕跡が残っている。今は少女の顔であるからか、尚更に痛々しい。
こんな時まで、無理して笑うことはないだろうに。
 
「お見苦しい姿を晒してしまいました」
「それこそ、今更だろ。変な気遣いはするな」
 
さっきあれだけコスプレ姿で立ち回っていたのだ。この上の泣き顔くらいどうということはないさ。
俺が軽口を叩くと、それもそうですねと、古泉は肩の力を抜いたようだった。
「……多分、明日には元に戻れると思います。吐き出すだけ吐き出して、清清しい気分ですよ」
「そうか」
そいつはよかった。これは、全く心からの本音だ。
部室に入れば美少女がずらり。両手に花の毎日というのも悪くはないが、古泉が女になっちまったら、ただでさえ少ない男手が更に足りなくなる。
今でも薄破れした布を重ね重ね酷使されているような労働状況だというのに、男手が減った分のツケが此方に回ってくることは確定的である。
ハルヒの引き起こす超常現象の数々の尻拭いを、一般人の男一人に任せてもらっちゃ困るのだ。
連帯責任で、男の古泉一樹にはまだまだ頑張って貰わないとな。
 
 
俺の言葉に古泉は破顔した。
 
「それは――男の僕を、信頼して下さっていると受け取ってよろしいのですか?」
 
……さあな。
勝手に言ってろ。
 
 
否定はせずに、俺は「帰ろうぜ」と声を掛ける。
女古泉は「はい」、と弾んだ声を響かせて、ふわりと綺麗に笑った。
誰もが見惚れるような、鮮やかな笑顔だった。
 
 



・ ・ ・
 



 
「……もしもし、一樹さん?こんな夜更けにどうしたの?」
「すみません。おやすみ中でしたか」
「大丈夫よ、今寝るところだったから」
「よかった。実は、今夜が終わる前に、少しお話させて頂けないかと思いまして」
「いいけど。……一樹さんがこんな時間に電話なんて珍しいじゃない。まさか、バカキョンにエッチいことでもされたとか!」
「い、いいえ!ただ、急に思い立って。お伝えしたいことがあっただけなんです」
「ん…。一樹さんがそう言うなら、信じるけど。で、言いたいことって?」
「……その……これからも、『古泉一樹』を、よろしくお願いします、と」
 
「……」
「……」
「それだけ?」
「え、ええ。それだけ、です」
「畏まっちゃって、やっぱり変よ一樹さん。大体、そんなこと言われるまでもないわ。あなたはあたしの大切な副団長なんだから!よろしくされるまでもないわ」
「……はい」
「で、用件はそれだけなの?」
「そ、そうですね。それじゃあ、最後にもう一言だけ」
「なあに?」
「ぼ……私は、………涼宮さんが、好きです。大好きですから」
「………」
「あの……」
「一樹さん、今日は本当に変ね。熱でもあるんじゃないの?」
「……いえ、すみません、急におかしなことを言って」
「……あたしもよ、一樹さん」
「え」
「あたしも、一樹さんが大好き」
「………あ、ありがとう、ございます」
 
「おやすみなさい、涼宮さん」
「おやすみ、一樹さん」
 
 

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最終更新:2010年03月12日 00:50