注意:Desire where it doesn't disappear (長門視点)の後日談の話になります。

 

 

 

 

 頬に熱い物が流れ落ちるのを感じた。
 一筋の雫が地面に零れ落ちていく。

 

「ちょっと古泉くんっ?!」
「ふえぇぇぇ~?!」
「おいおい」
 

 彼らの絶句する気配。

 

「僕は……?」

 

 どうしてこうなったのか思い出せない。
 記憶が曖昧だ。
 そしてこの胸を締め付けるような切なさは?
 ……落ち着け、古泉一樹。
 まずは冷静にならなければ。
 腹底に溜まった熱を追い出すように深呼吸をしながら、僕は経緯を振り返っていた。

 

 

 
 放課後の文芸室に、パチリと音が響いた。

 

「王手。これで詰みだな」
「三敗一勝。今日は良い勝負ができましたね」
「負け越しているのに何で自慢げなんだ、お前は」
 

 彼はよく分からんと頭を振りながら溜息をついています。
 別に勝ち負けではなく、その時楽しめれば僕としては問題ないのですけどね。わざわざ放課後に集まって無言で過ごすよりは有意義な時間の使い方ですよ。

 

「否定はせんがね。ただそれは俺らみたいな奴だけ限定で、あいつは納得してないみたいだぜ」
 

 声を潜め、視線だけを違う場所に飛ばす彼。
 示された先を確認した僕は微苦笑を浮かべながら同意した。

 

「そうですね。ついこの前に貴方と仲直りした際には収まっていましたが、また徐々にイライラが溜まってきているのは重々承知しています。最近はイベントというイベントもありませんでしたし」
 

 仲直り、という言葉に彼は苦味を潰した表情になる。あまり掘り起こされたくない過去であるようですね。なぜ嫌そうにするか僕には理解できないのですが。


「どうです? いっそ仲直りした時みたいに、もう一歩関係を進めてみるのは?」
 

 悪ふざけに聞こえそうだが、割りと本気な提案だ。
 涼宮さんの機嫌を好調させるという点だけを考えるのなら、これ以上のイベントはどこを探しても見つからないのは自明の理。彼の意見は度外視しての結果ですけど。
 案の定、僕の発言に機嫌を損なった彼は睨みつけてきた。


「お前のその戯言は聞き飽きた。なんだったらご期待に添えて今から一歩踏み込んできてやろうか? 進む方向は前じゃなくて後ろの方向かもしれんがな」
「それはご勘弁を。当分はバイトに行きたいとは思いませんので」
 

 声を潜めているとは言え、同室されている涼宮さんに万が一漏れては誤魔化しも通用しないので、バイトと表現しておく。
 まぁ聞こえてはいなさそうですが。
 団長席を盗み見ると、詰らなさそうな表情でネットサーフィンをしている姿が見える。そろそろまたガス抜きを企画しないと行けない頃合だろう。


「また彼に動いて貰うとしましょうか。最近はサボリ気味でしたし、恋愛にうつつを抜かしてもらってばかりではね……」
 口の中で転がすように呟く。
「何か言ったか?」
「いえ、気にしないでください」
 

 貴方が知ったら、またメンドそうに顔を顰められそうですから、実行前日までは秘密にしておきたいのですよ。それにサプライズってのも乙なものでしょう?
 そのまま彼に誤魔化すようにもう一極どうですか、と申したが拒否された僕は、手持ち無沙汰で時間を消費することになってしまった。
 申し出を拒否した彼は疲れていたのか船を漕ぎながら夢の世界へ旅立ち、朝比奈さんは提出されたのだろう課題の処理、涼宮さんは相変わらずPCと向かい合い、長門さんは活字の世界に没頭している。
 

 各々が作業に没頭しているのをいいことに、僕は気付かれないように注意を払いながら長門さんに視線を集中させた。
 全身を形づくる柔らかな曲線、伸びる四肢には染み一つすら視認できず、個人の趣旨嗜好を除いてみても、一つ一つの細部に至るまで完璧と評するのもおこがましいほどに精巧に整いすぎている。自分たち俗物とは一線を画く、神が創り出した人形を彷彿させる――事実、彼女は人間ではなくTFEI端末なのだが。それを意識させないのは自分達と同じ北高の制服などを着用しているからだろうか。
 

 まぁそんな事は僕にとっては些細な事だと断言できる。
 配属当時は緊張しなかったと言えば嘘になるが、今になっては頼れる仲間だと友情も感じている。重要なのは……僕が彼女を思うと、ふと体の奥底から抑圧できない衝動に駆られる事があることだ。
 先日の長門さんから強引な膝枕なんていうアプローチからその衝動は発症している。まるで幼い頃に失ってしまった懐古の想いが、雁字搦めの鎖を引きちぎって浮上してくる感覚。


「……恋煩いだとでも?」
 

 自問の呟きを一笑に付す。
 これはそんな感覚では決して無い。
 そこまで現実が見えない子供ではないし、中学時代にまで遡らないといけないが恋愛経験も何度かあった。その経験からも違うと僕に教えてくれている。
 ならば、この感覚はなんだと云うのだろうか?
 その時だった。
 自問自答の答えが出ない不毛な行いを遮断したのは、大きな声だった。


「あーっ! 暇だわ! よく考えたら最近イベントってイベントをやってないじゃない、これじゃぁ人生の無駄遣いだわっ! ってことでこれよりSOS団緊急会議を行ないたいと思います。内容は団長である私を楽しませなさい、いいわね!? そしてバカキョン、寝てるんじゃないわよ団長であるあたしの言葉が聞こえてなかったの?!」
 

 部屋全体を揺るがすような大声に、この場に居合わせた人物はビクッと肩を震わせた。唯一の例外は長門さんだけで、静かに本から視線を外したのみだったが。


「突然大声を出すな。ビックリするだろうが」
 

 惰眠を邪魔されたのが不服なのか不機嫌な調子で彼が口を開く。


「うたた寝漕いでる馬鹿には言われたくないわ。それよりも聞いてたのかしら? あたしは暇だから楽しませろって言ったのよ。そんな詰まらない言葉を聞きたいわけじゃないわ」
「暇ってなぁ。お前だけだろう、暇なのは。長門や朝比奈さんを見てみろ。自分の遣りたい事をしているじゃないか。お前も偶には人様に迷惑かけずに自己解決しろってんだ」
「だから自己解決してるじゃない。あたしは暇だから楽しませて欲しいのよ。それに有希やみくるちゃんも迷惑だなんて思ってないわよ。勝手に決め付けるのは良くないんだからね」
「お前はな……」
 

 そのまま二人して口論を開始していく。
 相変わらずな二人の遣り取りに僕は微笑ましい笑みを浮かべながら静観の姿勢。別に涼宮さんも本気で怒っているわけではないし(暇なのは本当だが)彼にだってその言葉は当て嵌まる。これは二人なりのコミュニケーションなのであろう、と僕は解釈し、温かく見守っていた。


「あー、キョンに期待するのは止めるはっ! 本来こういうのは雑用係りの仕事だけど、この際誰でもいいから、あたしを楽しませてくれないかしら。副団長の古泉くんだったら何か思い浮かばない?」
 

 彼との口論に飽きたのか、火の粉がこちらに飛び火してきた。


「そうですね……」
 
 さて、どうしますか。演芸の一発芸ぐらいならば披露できる手段はあるが、在り来たりな物ではお茶も濁すことは出来ないのは分かっている。ここは言葉巧みに違う話題に振ってしまうのが無難な選択士だろうか。
 様々な可能性を余地しながら行動に移そうとした時に、驚くべき人から挙手があった。


「……有希?」
「長門?」
「長門さん?」
 

 僕も声にこそ出さなかったものの同じ気持ちだ。


「……」
 
 長門さんは無言で涼宮さんに視線を向けている。
 無表情なのは変わらないが、どこか不安そうにも見えるのは気のせいだろうか?


「え~と、有希が暇つぶしを提供してくれるの?」
 
 発案者としての代表として、涼宮さんが対応してくれる。僕たちも固唾を呑んで、事の成り行きを見守った。


「……そう」
「そ、そうなんだ、うん。有希がねぇ、ビックリしたというか、なんていうか」
「……だめだった?」
「そそんなことないわよ、うんっ! じゃあ有希は何を披露してくれるのかしら?」
「……試してみたいことがある」
「へぇ~」
 

 驚きから回復した涼宮さんは、ニンマリと唇を歪める。普段から沈黙を保ち、決して自ら接触してこなかった長門さんが“試したいこと”と言っているのだ。無類の面白い事好きの彼女じゃなくても興味を惹くのは無理もない。僕だって興味がある。


「……いい?」
「もちろん! じゃあ早速やって頂戴っ!」
 

 はやる気持ちを抑えつつ承認ボタンを連打する涼宮さん。
 長門さんは物音すら立てず静かに立ち上がると、ある人物を呼び寄せた。


「……俺?」
 

 呼ばれた彼が疑問の声を上げる。その疑問に誰も答えられるわけもなく、涼宮さんや朝比奈さんも不思議そうに眺めている。
 彼は立ち上がると、長門さんの前で立ち止まる。


「で、どうするんだ長門?」
「……」
「黙ってたらなにもてぇぇぇえ?!」
 

 彼の言葉を遮り、長門さんが突拍子もない行動に打って出た。


「ななな、長門っ?!」
「……」
 

 彼の上擦った悲鳴が部屋を駆け抜けていく。
 同時に、ピシッ! と部屋の空気が完全に凍結された感覚に陥った。
 
 こ、これは……ははっ。
 間違いなく、いま、僕の表情は引き攣っている。今までで一番の引き攣りを見せているかもしれない。微笑みを保とうと努力するが、顔面神経痛を患った患者みたいに筋肉が不規則な動きを見せる。
 長門さんが彼を抱き締めていた。
 比喩でもなんでも無く、見たままの表現。
 彼の頭に両手を絡め合わせ包み込んでいる。すっぽりと包まれた彼の頭部は座っていた位置関係から、彼女の胸付近に押し付けられていた。頬の形が変わるほどの密着度。見事なまでの抱擁です。
 ……冷静に描写しているが、事態は急を要する場面だ。
 世界から隔絶された空間なのか、物音一つすらない静寂の中、刻だけが過ぎていく。
 

 ……長門さんがこのような行動に出ようとは。
 彼に好意を抱いていたのは誰の目から見ても一目瞭然だったが、まさか涼宮さんを挑発するような過激な行為に出るとは予想もしなかった。長門さんに詮索し、返答によっては……今の問題は彼女でなく、涼宮さんの方だ。
 ギリッと奥歯を噛み締める。このままでは世界の危機に繋がる可能性があるのに僕は動けない。身動ぎ一つすら何かの爆破スイッチを押してしまうような緊張感に。
 

 ……どれくらい時間が経過したのか。
 

 五分はなかったと思う。だが、三十秒や一分ということはなかったはずだ。
 悠久に続くかと思ったそれを打ち破ったのは、般若の表情を貼り付けた涼宮さんの怒声だった。


「あ、あんた達、何をやってるのよっ!!」
 

 何に対して怒りの表情を浮かべているのか自分でも分かっていないのだろう。いや本音の部分では理解しているのかもしれないが、きっと認めたくないというべきなの、か。嫉妬だと。
 僕に分かるのは彼女の心が酷く乱れている事実と、事と成り行きでは世界崩壊、もしくは世界改変の恐れがあることだけだ。ほとんど決まったようなものだが……。


「……」
 

 長門さんは既に彼から身を離していた。その表情からは何も読み取れなかった。


「――っこの!」

 涼宮さんは長門さんに向って歩き出す。僕は目聡く怒りに震えている涼宮さんの握り拳を見逃さなかった。
 行けない、止めなくては。
 事の発端は長門さんに非があるとは言え、殴られる様なんて見たくも無いし、涼宮さんも一時の怒りで長門さんに手を出したとなれば後に自己嫌悪に蝕まれてしまうだろう。
 僕は立ち上がった。彼も混乱しながらも動き出しているし、朝比奈さんは涙目になっている。


「待ってくださいっ!」
 

 僕は声を張り上げ制止を呼びかけるが、涼宮さんには届かなかった。
 彼女達の間に割って入ろうと立ち上がるが、致命的な時間ロスが発生している。頭の片隅部分で間に合わないと冷静に達観している自分に嫌気が差す。
 唯一の希望は距離が近かった彼が長門さんを守るように背後に追い遣ったことだが、安心できない。長門さんに甘い彼の事だ、涼宮さんと真正面から対峙すると、火に油を注ぐ言葉を吐きかねない。
 案の条だった。


「ハルヒ、何もそこまで怒る事じゃないだろう」
 

 他の方にとってはそうでも、彼女にとっては一大事なのですよ。前に貴方たちの為ならば閉鎖空間なんのそのと言ったのは前言撤回したい気分に駆られる。


「――っ」
 

 拙い、涼宮さんは怒りで周りが見えていない。障害物と認識して彼を薙ぎ倒して先に進みそうだ。
 だが時間に猶予ができた、僕がフォローに入る時間が。


「っておい、長門!」
 

 だってのに、何で貴女は涼宮さんに近づこうとしているんでしょうか長門さんっ!


「……いい」
「待て待て。何がいいんだ、なにが」
「……」
「ちょっ――」
 

 素無視して通り過ぎていく長門さん。あまりにも自然な動作に、彼は唖然とし止める事すらできなかった。
 彼を責める事はできないのは僕も同じだ。突発的に重なる事態に動けなくなった僕も同罪であり、機関のエージェントとしてあるまじき失態を晒しているのだから。


「なによ、やる気? だったら相手になるんだから」
 

 両の眼に闘志を宿しながら、身構える涼宮さん。
 長門さんは首を僅かに傾げる動作をした後、無造作に涼宮さんに急接近した。
 虚しく空に手を突き出す彼と、馬鹿みたいに突っ立っている僕、両手で顔を覆う朝比奈さん。
 僕たち三人は間違いなく血の雨が降ると顔を背けたが、


「……へ?」
 

 涼宮さんの気の抜けた声。


「ちょっと、有希? え? え?」
「……」
「うぇ? ちょっ待って。ええぇぇぇぇっぇ?!」
 

 視線を涼宮さん達に戻すと、


「………………ふむ」
 

 人間、理解不能な現象に遭遇するとパニックになるか、妙に冷静になるが、僕の場合は後者みたいだ。


「……頭が痛いぞ俺は」
「ふぇぇえぇぇぇ~?!」
 

 彼も後者。朝比奈さんは前者みたいだ。これは経験の差という奴なのですかね?


「して、なぜ長門さんは涼宮さんに抱きついているのでしょうか?」
「俺に意味深な視線を向けながら話しかけてくるな。問いかける人物を間違ってるだろうが」
「これは失礼しました」
「意味が解らん」
 

 意味なんて物はなく、彼も知っていて付き合っている。下らない会話の中に、常の僕たちを見つけだす儀式めいたものだ。


「意味がわかんないのはあたしの方よ……」
 

 僕たちの会話を聞いていた涼宮さんがボソリと零した。


「いつまで抱き付かれてたらいいわけあたしは?」

 抱きつかれたためか、自分の暴走に対する恥ずかしさなのか、頬を染めた涼宮さんは照れを隠すように疲れた溜息をついている。


「長門さん離さないですねぇ~」
「梃子でも動かなさそうだな」
 

 緊迫していた雰囲気は拡散し、緩やかな傾斜を描くように落ち着いていく。


「……」
 

 たっぷりと時間を掛けて抱擁していた長門さんが身を離した。


「長門さんよろしいでしょうか?」

 
 機を見計らっていた僕はすかさず質問をする。


「あたしも聞きたいわね」
 

 解放された涼宮さんも加わり、彼と朝比奈さんも頷いている。


「何故、このようなことを?」
 

 言外に涼宮さんを挑発したのか、と長門さんと真っ直ぐ視線を合わせて訊ねた。
 長門さんは言葉を選んでいるのか、暫し無言になると口を開いた。


「わたしが読んだ文献によれば、抱擁とは親愛や感謝の表現と記されていた。わたしという固体はあなた達に対して親愛や感謝の念を深く感じている。だけど、私は言葉にするのが苦手。そこで思いついたのが、以前朝比奈みくるに抱擁された際に、わたしが感じた温かさをあなた達に伝えようと思った。……何か誤解を与えていた?」
 

 その証言を聞いた僕たちは、


『はぁ……』
 

 揃って肩を落としていた。


 ●


「……ごめんなさい」
「謝って貰う必要はありませんよ。全てはタイミングの悪さと僕たちの誤解が招いた結果だったんですから、長門さんは悪くありません」
「……」
「涼宮さんからもそう仰られたのではないですか?」
 

 長門さんの言葉がよっぽど嬉しかったのか、感極まった涼宮さんは自分から再度長門さんを抱擁していた。その際に耳元で長門さんに何かを囁いていたのを確認している。残念ながら僕たちには聞き取る事ができなかったが。


「彼や朝比奈さんも喜んでいたではないですか」
 

 無表情なので判りづらいが、雰囲気から落ち込んでいると推測される長門さんを必死にフォローしようとする僕。最近は少しだが長門さんの感情の動きが見抜けるようになってきている、というよりは長門さんが判りやすくなったというべきだが。
 そして、本来こういった役割は彼の役割のはずなのだが……チラリと視線を向けた先では、


「エロキョン! あんたが有希に抱きつかれてエロい目してるのが元はと言えば悪いのよっ!?」
「俺は変態か。仮に俺がそんな目をしてたとしてもお前には関係ないし、お前が長門に掴みかかろうとしていた事実とは一切関係ないからな」
「だからそれはっ――」
 

 珍しく立場を逆転している彼と涼宮さんの口論に終わりは見えなかった。その横で困り顔でどうしようかオロオロしている朝比奈さん。


「困ったものです」
 

 苦笑を漏らす。


「……わたしのせい」
「もうそれは止めにしませんか? 自分を自分で傷つけても良い事などありませんよ」
「……あなたは?」
「は?」
「あなたはわたしの言葉にどう感じた? 涼宮ハルヒや彼、朝比奈みくるは喜んでくれたと言ったが、あなたの名前はその中に出てこなかった」

 
 聞きたい、と視線で語りかけてくる。
 僕は迷わず言い切った。


「僕も嬉しかったです。お得意の嘘ではありませんからね?」
「……そう」
「ですが」
「……?」
「次からは一言、事前に説明してから行動に移してください。正直、ストレスで胃に穴が開くかと思いました」
「次からは考慮する」
 

 微かに頷く長門さんはそのまま平常時に戻ったように窺える。どうやらフォローは十分に行渡ったようだ。


「では僕は彼らのフォローに行ってきますね」
「……待って」
 

 立ち上がった僕は呼び止められた。
 まだ彼女との会話は終わっていなかったらしい。


「古泉一樹」
「……まだ何かご用件がおありでしょうか?」
「わたしはまだあなたにお礼をしていない」
 

 何か幻聴が聞こえた気がする。


「すみません、もう一度お願いしてもよろしいですか?」
「わたしはまだあなたにお礼をしていない」
 

 律儀にワンリピートしてくれる長門さん。
 どうやら幻聴の類ではなかったらしい。


「……お礼ですか?」
「そう」
「僕は長門さんに感謝されることをした覚えはありませんが……それにお礼なら先程の言葉だけで十分ですよ」
「わたしはそう思っていない」
「……ちなみにどのようなお礼の仕方でしょうか?」
「彼や涼宮ハルヒに試した行為。人間でいうところ抱擁やハグとも言う」
 

 ああ、やはりですか……。


「いえ、それはご遠慮しておきますよ。なんといいますか……ね?」
 

 僕が演じる古泉一樹像的な意味で。


「お気持ちだけ有り難く頂戴します。ありがとうございました」
 

 お得意のスマイルを顔に貼り付けながら、彼女の心に傷がつかないように僕は断りを入れた。不躾にならないように、それでいて有無を言わさない態度で。
 長門さんは僕の意を汲んでくれたのか声を発しようとはしなかった。その瞳に翳りがあったのを僕は気付こうとせず、自身でも理解できない安堵を含む息を漏らしているばかりで。
 
 だが、そうは問屋が卸さなかったようで。
 

 気紛れな僕達の女神様は、いつのまにこちらに注視していたのか割って入ってきた。


「ちょっと古泉くん、副団長なんだからもっと団員に気遣わなくちゃいけないでしょう! 有希が珍しく体を張ってまでお礼をしたいて言ってるのに、それを断るなんてのは副団長として――いいえ男としても度し難いわっ!」
 

 弱った事態になった。
 僕は助けを求めようと周囲に目を走らせると彼と目が合う。


「長門に対して怒っていたのは俺みたいな女を騙す犯罪者に、自分から美味しそうな獲物をぶら下げて行くとは何事だぁーって説教しようと思ったらしいぜ? 誰が犯罪者だ誰が」
「そうですか」 
 

 ご愁傷様です。ですが今はそんな報告は必要ありませんし、むしろ報告して欲しい時に天邪鬼な態度を取ろうとするのに、こんな場合に何故報告しようとしますか、空気を読んでください。それともお気付きだからこその対応ですが、だったら僕にも考えが……。


「微笑みながら睨むなんて器用な事するな薄気味悪い。言っておくが俺は異性愛好者だからな」
 

 頬の肉が上向きに吊りあがる。
 つまり長門さんみたいな美少女からの素敵なご提案――真正面からのゼロ距離接触を断るお前は同姓愛好者なんだな、と彼は言いたいわけだ。


「面白い冗談ですね。僕の立場を理解してくれていると思っていたのは僕の驕りでしょうか」
「だからこそさ。お前がハルヒに絡まれるなんて、そうそうあるような事じゃない。それを見逃せるかよ、なぁ古泉?」
 

 まるで表裏の無い友人に対する軽口の叩き合い。
 嬉しくない筈が無いのに、素直に喜べないのは僕の心が偏屈だからだろか?
 だけど僕だってやられっぱなしで引き下がるほど腐ってはいない。出来るか出来ないかは別として、反撃手段はあるのだ。


「なら僕が長門さんと抱き合ってもよろしいと?」
「――」


 父親が娘に彼氏を紹介された時に浮かべそうな表情。遥か未来、彼に娘が生まれることがあれば、娘さんは難儀な父親を持つことを示唆した一面を垣間見せる。


「冗談ですよ……と言いたいとこですが、それで済みそうにないですね」
 

 コソコソと男二人で話していた僕たちを見て涼宮さんは益々、視線を強めているし、朝比奈さんも不満気に僕を見ていた。女性人は前面一致で長門さんを支援するべく立ち上がっている。
 どうするべきだと貴方は思いですか?


「ふんっ。別にお前が長門の提案を受け入れようが俺の知った事じゃねぇよ。そもそも長門が望んだことなら俺が邪魔する道理はないだろうが」
 

 俺の個人的感情は抜きにしてな、と彼は付け足す。


「そうですか」


 逃げ道は全て塞がれた。
 ここまでお膳立てされているのだ、僕にも断る道理は無いはず、なのに躊躇しているのは何故なのか。
 それはきっと、ここ最近続く衝動のせいなのだろう。
 僕は恐れている。
 長門さんと関わっていくことで目覚めたこの衝動が、更に深く関わる事で解き放ってしまうのではないかと。


「そろそろ覚悟は決まったかしら、古泉くん」
 

 急かす涼宮さん。疑問系ではなかったのは最後通告のつもりなのだろう。
 息を鋭く吸い込み腹に力を籠めなおしながら、僕は覚悟を決めた。


「僕としたことが失礼致しました。長門さんの提案、心からお受けしたいと思います」
「そうこなくっちゃねっ! 良かったわね有希も!」
 

 ノーという返答は有り得ない。僕は彼女のご機嫌取りのイエスマンなのだから。
 それに、


「……この正体を見極めたいと思う自分もいる」
「何か言った?」
「いえ何も。気にしないでください」
「そぅ? まぁいいけど、ほら有希も早く来なさいよっ!」
 

 長門さんが近寄ってき、涼宮さんが場所を明け渡すように距離を離した。
 向かい合う僕と長門さん。


「……いいの?」
「もちろんです。むしろ長門さんと抱き合う事ができるなんて光栄だと僕は感じています」
「そう」
「ええ」
 

 見詰め合う僕たち。
 今更ながらに緊張してきた。思春期の男性ならば誰もが持ちえる異性との接触がこれから行なわれようとしているのだ。僕だって例外で無く心臓が鼓動を早める。
 同時に、また懐かしい感覚が襲い掛かってきた。
 この感覚は一体?
 その正体を見極める間もなく、長門さんが踏み込んでくる。
 

 一歩に満たない距離が狭まり――。
「……」
 ――衝撃はほとんど無かった。
 

 丁寧に両腕を僕の背中に回して密着してくる長門さん。背丈の関係で、僕の胸付近の彼女の頭が有り、頂上の旋毛部分も確認できた。


「……」
 

 重なり合う肌と肌。
 重なり合う二つの鼓動。
 重なり混じり合う二つの吐息。


「……僕は」
 

 知っている。
 この光景を知っている。
 知らないはずの光景を。
 知っていたらおかしいはずの光景を。


「有り得ない……」
 

 そう、有り得ない。
 僕にこんな経験は無い。
 なのに、僕は。
 どうして、僕は。
 こんなにも涙を堪えようとしているのか?


「震えている……大丈夫?」
 

 長門さんが心配してくれている。
 回された背中の手が、僕の震えを鎮めようと上下に摩られていた。
 その心配りが、気遣う眼差しが、触れ合った場所から伝わる体温が、僕の衝動を呼び覚ましていく。
 重たい鉄の塊が軋みを上げ、束縛されたモノが這いずりだそう、と。


「泣く必要はない。あなたは……」
 

 知っている。
 彼女が続けようとしている台詞を。
 いつかの日にも、彼女はこうして僕を慰めてくれていて。
 知らないはずの続きは――


『我慢できる人だから』
 

 知っている声と知らない声が重音した。
 重たい鉄が引き千切られ、解き放たれたモノの歓喜の産声が脳裏に木霊するのと同時、僕の意識は何かに乗っ取られたように、眼前のきゃしゃな体躯を強引に抱きとめた。
 機関のエージェントとしての体裁、古泉一樹としてのキャラクター性、SOS団副団長としての体裁すらも忘れ、欲するが儘に身を任せて。
 後になって振り返れば、僕はどうしてこんな事を仕出かしたのか首を傾げざる負えないわけだが、その時は冷静に思考することは不可能だったのだ。
 

 そして僕は――。

 

 ●


 

 夕暮れが真っ赤に染め上げる街道を僕達は歩いていた。
 部活も終了し、家路へと向っている最中です。
 先頭には涼宮さんと朝比奈さん。
 その少し後ろに長門さんが文庫本を片手に開きながら。
 最後尾には僕と、


「っでさっきの与太話はどこまでが真実なんだ?」
 

 胡散臭そうに僕を見てくる彼が隣に背を並べていた。


「……真実とは?」
「あれで誤魔化せたと思ってるのか?」
「ふむ、全てが嘘というわけでもないのですけどね」
 

 得意の笑顔に少しだけ苦いものが混じる。


「巧妙な嘘ってのは真実も織り交ぜると言うが、幾らなんでも苦しい言い訳だったと俺は思うがね」
 

 だってな、と彼は続けた。


「お前の泣いてる面なんて初めて見たぜ? いつも胡散臭い笑顔を顔に貼り付けてる奴の涙なんて見せられた日に、あんな即席の誤魔化しが効くかってんだ」
 

 別に見たくなったけどなお前の泣き面なんて、と彼は吐き捨てている。


「見苦しい姿を晒してしまいました。でも僕だって人の子なんですから、感傷に浸って涙しても不思議ではないと思うのですけどね」
「どんなタイミングで感傷に浸ってるんだよ」
 

 痛いところを突いてきます。
 それも見越して作り話を説明してフォローしたのだが、彼には通用しなかったようですね。

 

 『僕が一人暮らしなのはご存知ですよね? 仕事の関係で両親とは幼い頃から疎遠で、最後に顔を合わせたのも四年前になるのですが……その際に初めて母親から抱き締められたのですよ。当分会うことは出来なくなるけど一樹なら大丈夫だから、と言われまして。当時の光景がフラッシュバックしてしまいました。驚かせてしまいましたね、申し訳ございません。特に長門さんにはとんだ粗相を……痛みはありませんか? 自覚はないのですが、相当な負担を与えてしまったと後悔しています』
 
 涙を零した僕を見て絶句した涼宮さん達に、場を取り繕う為に披露した作り話の内容。あの状況を矛盾なくアジャストするのに咄嗟の機転で編み上げたのだが、


「そんなに無理がありましたか?」
「俺以外の奴は信じたかもな。ハルヒはお前の裏事情を知らんし、朝比奈さんは疑うなんていう醜い心の持ち主じゃないんだ。長門は……検討つかんな、正直」
「ふふっ。それだけ距離が近いということですよね、僕達の関係は」
 

 流し目を送ると、彼は顔を歪めると心底嫌そうに言い放った。


「嬉しそうにするな。顔が近いんだよ」
「これは失礼しました」
 

 両の掌を前に示しながらおどける僕。
 言葉が途切れ、間が空いた。
 夕焼けに接触した物全てが赤に染め上げられる中、伸びた人影だけが唯一の色を主張しながら一定のテンポで上下に揺れていく。
 曲がり角を曲がり、横断歩道を渡り、それぞれの家路が別れる分岐点まで近づいてきたときに、一つの影が形を少し崩す。


「はぁ~。……っで?」
「溜息を付いたかと思えば、っで? と来ましたか」
「俺はお前が話すのを待ってたんだがな」
「僕は終わったものだとばかり考えていましたが」
「そりゃ勘違いだろ。俺はお前からまだ答えを貰ってなかったはずだが」
 

 珍しいですね。面倒事に自分から首を突っ込もうとしようなんて、それも長門さんや朝比奈さんに対してでは無く僕になんて。言うべき相手を間違えているか、ここに来て趣旨変えでもされたので?


「そんなんじゃねぇよ。しいて言うなら自己保身の為さ。不幸にも何処かの一般人の周囲に居る奴らは、揃いも揃って性根の部分で他人に頼るってのを知らない連中ばかりでな、特に宇宙人とかは頂けない。溜め込むだけ溜め込んだ挙句に爆発させちまったしな」
 

 言葉だけだと非難してるように受け取れるが、彼は見守るように先を歩く小柄な背中に優しげな視線を投げていた。


「そういうのに飛ばっ散りを喰らうのはいつだってその一般人だったりするんだ。……話を戻すが」
 

 彼は一転してジロリとした半眼を僕に向けてきた。


「これまた何処かの地域限定なんて愉快な超能力者が、二の舞を踏みそうになってやがるんだ。後々に巻き込まれる事が決定している哀れな一般人が気にしたとしても罰は当たらないと思うが、俺の気のせいだったりするか?」
「なかなか大変な日常を過ごしていますね、その哀れを自称する一般人さんは」
「俺も心の底から賛同するね。その一般人みたいにもっと他人に頼ることを覚えろよ、ってな。俺から言わせればその一般人も不甲斐無い事に頼りすぎだと罵ってやりたくなる時があるのが玉に傷だが」
「そんな事はないですよ、と愉快な超能力者さんの代わりに否定しておきましょう。きっと頼られることに喜びと誇りを見出しているはずですから。もっとも、もう少し素直になった方がお味はよろしいとも助言しておきますが」
「その超能力者はよっぽど回りくどい奴だな」
「一般人さんも相当に回りくどいですけどね」
 

 素直に心配している、と言葉にしないのですから。
 僕は込み上げてくる笑いが噴出しないように押し殺し、彼はやれやれと肩を竦めていた。
 春から夏を匂わせる湿気を含んだ風が、僕達の間を吹き抜けていく。


「さて、と。じゃあ回りくどいのは抜きだ」
 

 真剣な色を宿した視線が僕を射抜いてきた。


「ハルヒや朝比奈さんはお前の件のインパクトが大きすぎて見落としてるが、長門もどこか調子がおかしい。見た目に変化はないが、心ここに有らず状態だ。お前にお礼と評して抱き合った後からな」
 

 気付いてないとは言わせない、と彼は睨み据えてくる。夕日の紅に染まった瞳は中々に壮絶な印象を植え付けてくれる。


「否定はしません。僕が作り話を披露した際に、長門さんにも念を入れて謝罪しましたが無反応でしたしね。僕も余裕があったわけではないので追求せずに、その無反応に甘えてしまいましたが」
「ああ。昔ならいざ知らず、最近はなんらかのアクションを返してくれたのに、これじゃ元の木阿弥だ」
 

 悔しそうに唇を噛むと、彼は少しだけ躊躇するように続けてきた。


「個人のプライベートを詮索するのは俺の趣味じゃないんだが、お前ら――俺の知らない所で何かあったんじゃないのか?」
 

 彼がそう睨むのを納得できる。
 同時期に変調を迎えた僕と長門さん。
 そして僕には一つだけ、心当たりがあった。
 知らないはずの光景と知らない声。だが知っている光景と知っている声。
 あの時の、不確かな現実感を伴わない感覚は、現在も腹底で燻り続けている。


「それとも俺には相談できない理由でもあるのか?」
 

 理由なら星の数ほど……は言い過ぎだがあるにはある。自分の事で負担を与えたくないや、羞恥心からくる逃避など様々だが、全ては些細な理由で彼の厚意を無碍にする理由にはならない。
 なのに僕は不思議と相談する気が起きず、大切な宝物を守るように自分だけの胸に秘めておこうとしている。まるで子供だ。……説明不能な衝動が、言葉を奪い去っていくのを僕は見送るしか出来なかった。


「…………」
 

 帰路の分岐点が近づいてくる。もう目視できるほどに。
 このまま黙っていれば答えずにいられるだろうか、と考え一笑に付す。きっと僕が黙秘権を貫けば無理に問い質しはしないだろうが、一つの物を失うことになる。嘘でまかせを並べても結果は同じだろう。
 失うのは、これまで築き上げてきた彼からの信用。
 それは避けたい。
 ならば答えは決まっている。
 内心で彼に頭を下げながら、僕は固く閉ざしていた口を開いた。


「お待たせしました。言葉を纏めるのに時間がかかりまして」
「まったくだ。安売りスマイル貼り付けたまま、寝てるのかと思ったぜ。もう少しで蹴り飛ばすとこだった」
「ふふっ酷いですね。この通り、目は開いていたはずですが?」
「笑みで細目になってるから分かりづらいんだよ」
「それでは僕にはどうしようもありませんね」
「その笑みを取っ払ちまえば、解決するだろうが。それよりも……」
「解っていますよ」
 

 彼の望む返答ではないかもしれないですが。


「僕と長門さんの――」
「少しストップだ、古泉」
 

 語りだした僕に停止サインを送ってくる彼。
 僕が不思議に首を捻るのを確認した彼は頷くと、


「先に言っておく。誰にだって触れられなく出来事ってのはあるもんだし、それは俺やお前も例外じゃないはずだ。それに、さっきも言ったが俺はプライベートにまで首を突っ込むつもりはない。仮にお前が長門と……何かあったとしても、それは当人同士で蹴りをつければ良いだけの話だしな。納得はできないがもしれんが理解は示してやるさ」
 

 だから、と立ち止まり、彼は言葉を繋げた。


「言い難いなら無理に話す必要はねぇ。それでお前の事を嫌ったりするほど、俺の心は狭苦しくなるほど餓鬼じゃないさ。言い忘れてたが、お前は約束を果たしてくれたし感謝してるんだぜ? その分の貸しをこれで相殺にしとこうぜ副団長殿。もっとも、お前ら機関に取っては俺のプライベートなんて丸裸同然だし、ハルヒが分裂した際は、俺に皆勤賞を与えてやっても罰は当たらないぐらい奮闘したとは思うけどな」
 

 ……ああ、本当に。
 どこまで卑怯なのですか貴方は。
 こんなタイミングで僕が欲していた言葉をくれなくてもいいだろうに。話さずにいられなくなってしまうではないですか。全部分かっていて、やっているんだとしたら――


「貴方には敵いませんね」
「なんの話だよ」
「何の話でしょう? ……そんな怒った顔をしないでください。感謝しているんですから」
 

 それよりも、


「もう涼宮さん達は着いちゃったみたいですね。早くしないと貴方が殴られてしまいますので、話を戻しましょう」
 

 俺かよ、と毒付く彼に当然でしょう、と僕は笑いかけておいた。
 躊躇う必要のなくなった僕はリラックスして語り出す。


「先に断っておきますが、僕と長門さんの間には何もありませんでしたよ。あの一件から多少は距離が縮まりましたが、それだけです。ご安心を」
「何の安心だ」
 

 他意はありません、と含み笑いを零す。


「そして僕と長門さんの急変ですが――」
 

 貴方のお言葉に甘えますね。別に貸し借りなんてしたつもりはなかったですが、貰える恩は素直に頂いておきます。


「――今はお答えすることができません。おっと、勘違いなさらぬように? ちゃんとした正当性はありますから。おそらく、と前振りが必要になりますが、僕と長門さんは何かしら共通の関係性があると思われます」
 

 ですが、


「ハッキリとした確証を得られてないんです。憶測で物を語るのは簡単ですが、悪戯に事を荒立てて貴方達に心配を掛けたくはありません。僕だけでなく長門さんも関わっているのなら尚更です」
「それで?」
「ええ。ですので“貴方”には確証を得た僕から、追々説明させて頂けないでしょうか?」
 

 暗に強調する僕の真意を、彼は正しく受け取ってくれた。


「つまり俺から長門に詮索するなって事だろう?」
「察しが良くて助かります」
「お前に褒められても嬉しくねぇよ。……お前の言い分として、前半部分は筋が通ってる気がするが、後半部分には解せんな」
 

 彼は気難しい思案顔になると、


「はぁ……俺の考えた結論はこうだ。そこから先はお前ら二人のプライベートに関わるかもしれんから、部外者は引っ込んでろって言いたいわけだな?」
「そこまでストレートな物言いはしませんが、概ね間違ってもいません。僕からのお願いと思ってください」
 

 そう。
 これはお願い。僕に彼の行動に制限をかける権利はないのだから。
 気難しい顔を続けていた彼は、僕をジッと見ていた視線を違う場所に移した。

「分かったよ」
 

 まさかの肯定。


「俺は蚊帳の外でお呼びじゃないみたいだしな。今回はお前に任せることにするさ。ただ、必ず事後報告しろ。あとな」
「は、はい」
「お前から言ってきたのに、何で驚いてるんだよ? あと、お前の笑みには何種類のバリエーションが揃ってるんだ? 微笑ながら驚いたり、睨みつけてきたり、器用なのは分かったから、もう少しまともな表情をしやがれ」
「はははっ……」
 

 僕は苦笑いを返すしかない。
 もはや微笑みは癖になってしまっているのか、意識しなくても顔に張り付いてしまっているから。


「……ありがとうございます。お約束致しますよ」
「礼はいらん。それよりお前に頼みがある」
 

 あれをどうにかしろ、と彼は顎をしゃくる。
 しゃくられた先には……僕には少々厳しい事態が待ち受けていた。


「怒っていますね」
「どうやら俺ら待ちだったみたいだな」
「そこまで長話をしていたでしょうか僕達?」
「少なくとも、あいつは待たされるのは許せない気性の持ち主なのは知っていたはずだが?」
「……あれをどうにかしろと仰りますか、この僕に?」
「元はと言えばお前が言い渋っていたせいだろうが」
 

 それを言われると反論できませんが、僕の立場上の問題もありましてね? もしこれで彼女のご機嫌を損なってしまったら、森さんからお叱りを受けてしまうじゃないですか。

 


「知らん。お前のお願いばっかり通って、俺のお願いは通らないってのは無いよな? 世の中、等価交換なんだぜ?」
 

 予想していなかったわけではないが、浅はかだったかもしれない。
 早速、自ら提供してしまった弱みをこんな形で使われてしまうとは。


「貸し一ですからね?」
「お前のお願い聞いてやるんだからチャラだろう」
「お待ちを。僕が長門さんを助けた云々でそれはチャラだったはずでは? 鳥でも三歩進むまでは覚えているのですから、忘れたとは言わせませんよ」
「それなんだが――あ、ハルヒの奴、走ってきやがった。こりゃ俺目掛けて飛び蹴り確定だな。すまんが、ゆっくり説明している暇はなさそうだ」
「ちょっ――」
「頑張れ、イエスマン」
 

 ポン、と肩に触れたかと思うと、何食わぬ顔で位置を調整する彼。
 調整された位置は――僕の背後だった。
 夕日をバックに背負い突進してくる涼宮さん、僕の背後で悠々と構えている彼、そして僕はと言えば、


「……やれやれ」
 

 彼の持ち台詞を呟いた。
 一難去っては、もう一難。
 人生は重要な選択士の連続と言うが、今日一日を振り返るだけでも多すぎだと愚痴りたくなる。
 その中でも最優先事項は、燻る衝動の調査。
 僕と長門さんに一体なにがあったのか。このまま捨て置く事はできはしない。
 新たな決意を握り締め、僕は前を向いた。
 兎に角も。
 ……まずは目の前に迫る難関から対処しましょうか。
 遠目で見た夕日は変わらず僕達を真っ赤に染め上げていた。


 

 

 

 補足。
 初めて彼女から暴力行為を受けたが(彼を身を挺して庇ったため)、これを頻繁に受けても懲りない彼にはやはり敵わないと思わされました。

 


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