この作品は Desire where it doesn't disappear (古泉視点)を長門視点から綴った物語になりますのでご注意ください。

では↓から本編開始です。

 

 

 

 

 

 

 

地球時間に換算して、午後五時三十七分二十六秒時点で閉鎖空間の発生を観測。昨日の始まりから今に至るまで通算で四十五回目の観測である。

 原因は放課後に始まるSOS団での活動の際による、涼宮ハルヒと彼による口論によるところだと判断する。
 いつものように涼宮ハルヒが朝比奈みくるをオモチャのように苛めているところを、彼が溜息を付きながらも間に入ったのだが、涼宮ハルヒはそれが気に入らなかったのか、彼に矛先を変え噛み付き始めたのだ。噛み付かれた彼も初めは子供をあやす様に諭していたのだが、涼宮ハルヒの一言――その際の会話ログを呼び出す。

 

『あんたはみくるちゃんにデレデレしすぎなのよ、このエロキョン!』

 

 この言葉により、彼は渋い表情になると口調にも熱が篭りだしていた。二人の口論は際限なくヒートアップしていく。最終的には理を排した水掛け論にまで発展し、涼宮ハルヒが部室から飛び出した事により一時的な終結を迎えた。

 周囲で見守っていたわたし達――朝比奈みくるは涙目で怯え、古泉一樹は微笑で事態を静観し、わたしは己の役目――涼宮ハルヒの観測――に徹していた。
 その後、彼は憮然とした表情で、先に帰るとだけ残すと席を立った。彼が出て行った部室に重たい沈黙が横たわる中、有機生命体が長距離の際に使用する情報伝達端末であるケイタイと呼ばれる物の音が鳴り響く。所有者は内面を読ませない微笑を浮かべた古泉一樹あてであり、予期していたのだろう古泉一樹は戸惑うことなく情報伝達を終えると、「バイトが入りました。お先に失礼しますね」と彼の後を追うように退室。
残されたわたしと朝比奈みくる。彼女も崩れそうになる頼りない身体を持ち上げるようにして、わたしに向って精一杯の笑顔で挨拶だけをすると退室していった。

 

そして今に至る。

 

 必要最低限の生活用品だけで構成されたマンションの自室で、わたしはただ涼宮ハルヒの閉鎖空間と発生と同時に観測される情報フレアのデーターを観測、収集、分析、報告のためだけに創り出された対有機生命体コンタクト用ヒューマノイド・インターフェイス。基盤の基礎は人間を模して製作されているため、食欲や睡眠も必要とされるが、こういった夜通しの場合には情報操作を使用することにより、それすらも不必要に調整することも可能だ。

 人間と似ていて人間とは非なる物……エラーが発生する。除去できない理解不能なエラーを圧縮し凍結。

エラーが発生する傾向は独りで思考する際に良く発生するように思われる。

あまりよくない兆候だ。任務に障害を来たす。

 

……四十六回目の閉鎖空間を観測。情報フレアの収集を開始する。

 

能力を最大限に行使しながらも、頭の片隅では思考を続けてしまうわたし。

わたしが涼宮ハルヒと彼の喧嘩を仲裁していたらどうだったろうか? 
朝比奈みくるを励ませば彼女はあそこまで意気消沈することはなかったのではないか?
彼らの喧嘩を仲裁することに成功していれば、古泉一樹は閉鎖空間に赴く必要もなく危険に合うこともなかったのではないか?
エラーが増大していくのを理解しつつも、その思考を捨て着ることができないわたし。
それは答えのない答えを求める探求。
そもそも過ぎ去りし過去の選択士に思いを馳せるなど愚考であり、今回のわたしの選択は与えられた役目としては正しい。それを逸脱する選択は間違っているのではないか? 
答えは出ている。
ならば何故、わたしは未練というものを胸に占めているのだろうか? 

 

……理解不能。

 

彼ならば分かりやすく噛み砕いて説明してくれるかもしれない。そう、今は無きいつかの世界で、退屈というものを感じていたわたしに手を差し伸べてくれたように。

 

 ……夜が明けていく。

 

 次元断裂発生の予兆は確認できない。今日はこれでお仕舞いみたいだ。

 学校が始まるまでまだ時間はある。それまでスリープモードに移行しよう。
 カーテンの隙間からは、登り始めた朝日の存在を知らせてくれていた。
 
 
 ●
 
 
 学校の授業は終了し放課後になった。
 わたしは定期通りに文芸室に向かい、いつも通りに持ち込んだ本を読んでいる。
 涼宮ハルヒと彼が仲違いをしてから四日が経過しているが、以前として状況に変化は見られない。 
 閉鎖空間の発生は収まらず、規模は小規模ながらも数が乱立している。通算して二百三十七回を計測。この調子では今日を持って三百は超えるだろうと推測。……エラーの発生を確認、処理。

 

 ……創造主である情報統合思念体はどう考えているのだろうか?

 

 自律進化の閉塞状態を打開するために、涼宮ハルヒの観測を一任されているわたしに疑問が頭をもたげる。決して反逆心やたくらみからではなく、純粋に疑問が付き纏うのだ。

 涼宮ハルヒの情報を入手し、それらを逐一整理し、分析を行い、報告をしているが、その情報は決して自律進化の閉塞状態を打開する結果を齎すとは到底思えない。
 そう考えた根拠の一つが現状の状況だ。
わたしが入手した情報を自ら分析した結果、多彩な波形パターンがあるように見えて、その実、ほとんどのパターンは解析が進むにつれて決まった波形パターンに重なるのだ。わたしにはその結果は理解することができなかった為に、そのまま情報統合思念体に報告している。わたしには理解できなくとも、創造主である情報統合思念体には理解できるものだろうか、と当初は判断していた。
 だけど現状に変化は見受けられない。
 この場合、考えられる選択士は二つある。
 情報統合思念体はこの解析結果を有効と認め、事態を静観している。もしくは情報統合思念体もわたしと同じく、解析結果を理解できず、判断材料の不足として情報収集を続けているか。

 

 ……後者だと判断する。

 

 エラーが発生する。ズキリと胸に棘が刺さる感覚。

また愚考な考えが、思考を埋めていく。
 
――わたしが涼宮ハルヒと彼の喧嘩を仲裁していたらどうだったろうか? 
――朝比奈みくるを励ませば彼女はあそこまで意気消沈することはなかったのではないか?
――彼らの喧嘩を仲裁することに成功していれば、古泉一樹は閉鎖空間に赴く必要もなく危険に合うこともなかったのではないか?
 
 もし観測結果に意味が無い物なのなら、この選択士を選び取る事もできたのではないか、と。
 そんなことは有りえない。わたしの役目は涼宮ハルヒと周囲の動向の観測。観測者が当人達に自ら影響を与えてしまっては、それは観測とは言えなくなってしまう。

 

 ……違う派閥に所属していた対有機生命体コンタクト用ヒューマノイド・インターフェイスの朝倉涼子を思い出す。

 

 以前は彼女の行動は理解できなかったが、今ならば少しは理解できるかもしれない。彼女が言っていた「やらないで後悔するより、やって後悔した方がいい」という言葉を。

 

 ……この思考は危険。

 

 わたしは何を考えているのだろうか。去年の十二月に暴走した際に、首の皮一枚で繋がった立場であるわたしに次はない。今度こそ……完全に消去されてしまうだろう。彼女と同じように。

 増大していくエラーを処理しながら、内部に溜まった不可思議な熱を冷却しようと、少しだけ長く息を吐き出し廃熱する。
 冷静さが戻ったわたしは気付く。この場所に近づいてくる存在を。
 情報操作で感知した存在は扉の前で停止した後に、控えめに扉を開けてくる。

 

「こんにちわぁ~」

 

 朝比奈みくるだった。

 大人しそうな外見と同じく、一つ一つの動作にもそれが表れている。

 

「長門さんだけですかぁ……」

「……」

 

 目線を少しだけ合わせ、頷く。

 

「……やっぱり涼宮さんは来てないんですね」

 

 なんて伝えたらいいか分からないため、わたしは無言で待つ。

 

「ごめんなさい、長門さん。今日は私もSOS団をおやすみしようと思います。鶴屋さんが心配してくれて相談に乗ってくれるっていうから。だから、もし涼宮さんやキョンくん、古泉くんが顔を出したら伝えておいてください」

「わかった」
「ありがとうございますぅ。お願いしますね、長門さん」

 

 そう言って、背を向けて退室しようとする朝比奈みくる。見るからに覇気が無く、意気消沈している姿を見ていると、また胸にズキリと痛みが走った。

 

 ……彼女は悪くないのに。

 

 何かを伝えたい、とわたしは思うのだが言葉に出力することが出来ない。プログラム時のコミュニケーション能力の欠如と云えば聞こえは良いが、言い換えればそれは自分の言葉で話すのが苦手なだけだと、今までの学んだ経験から知ることができた。

 失態。うかつ。穴があったら入りたい、とはこういった体たらくを指すのだろう。これでは過去の選択を悔やむ以前の問題ではないか。
 どうしたら伝えられる? もう朝比奈みくるは扉のノブに手を掛けようとしている。時間がない。急増するエラーを処理するのもままならないまま、わたしは必死に考える。
 
 ――人間ってのは不思議な生き物でしてね。稚拙な言葉だろうと、それが真剣な物ならば気持ちは伝わるものなのですよ。
 
 焦るわたしに、優しげな語り口調で教えてくれた台詞が脳裏を過ぎる。

 

「朝比奈みくる」

 

 自然と、口から言葉を発していた。

 

「はぁい?!」

 

 文芸室と廊下の境界線上を跨ぐ形で振り返った彼女は、必要以上にビクつきながら訝しむように表情を変えていた。瞳には驚きと困惑の光りが。

 

「どうかしましたか、長門さん?」

「……」

 

 言葉に詰まるわたしを後押ししてくれたのは、脳裏を過ぎたあの台詞。それに身を任せるように、わたしは伝えたかった言葉を口にする。

 

「……気を落とす必要はない」

 

 伝わってくれただろうか? 

 口を開け、微動だにせず佇んだままの彼女を見ていると、やはり慣れないことはしない方が良かったのではないか……と不安を抱いてしまう。

 

「…………ふぇっ、ひくっ……うぇ~ん」

 

 ……困った事態になった。

 

 高速演算プログラムデバイスを展開、実行――

朝比奈みくるが泣いている。完全無欠にどこからどう見ても泣いている。何故泣く? わたしが泣かした? 彼女に害を及ぶ事をしてしまったろうか? わたしはただ励ましの言葉を送りたかっただけなのに。ひょっとしてわたしが慣れぬ事をしてしまったばかりに、彼女の気分を損なって怒りのあまり涙を流している? もし気持ちが伝わったのなら、標準的な有機生命体なら笑顔を浮かべるはずだと情報を得ている。彼も古泉一樹もそうだったはずだ。やはりわたしが怒らせてしまったとしか……どうしたらいい? 謝ったほうがいいのだろうか。朝倉涼子や黄緑絵美里が羨ましい。同時期に作られた同端末の筈なのに、こうも差異が明らかなのは、やはりわたしはコミュニケーション能力が大幅に欠如している失敗作なのだ。
 ――ニ,ニ三秒経過。プログラム展開終了。

 

 様々な可能性を突き詰めた結果の証明により、自然とわたしは俯く姿勢になってしまった。朝比奈みくるを直視できない。

 揺らぐ空気の気配。
廊下側から吹き込む冷たい風を促すように、軽い音が近づいてくる。
俯くわたしに映るのは己の構成物である前髪だけだが、視覚が効かなくても何の音か分かる。朝比奈みくるの足音だ。啜り泣きながらも真っ直ぐにこちらを目指している。

 

……ぶたれるのだろうか? 

 

興味本位に読んだ少女コミックと呼ばれる媒介物に、今の状況と酷似したシーンがあった気がする。肉体的損傷などわたしに取っては意も介さないことだけど、朝比奈みくるに、SOS団に所属する仲間に怒られるのは……嫌だ。

 

「――」

 

 朝比奈みくるが立ち止まった。

 わたしは咄嗟にあやまることも出来ずに、殻に閉じ篭もるようにして覚悟を決める。
 高鳴る心拍数と緊張感を貫く衝撃が襲った。
 ドンッ、と振動が全身に伝播していく。

 

「ふぇぇ~ん。長門さんが……長門さんがぁ~……」

 

 しゃくり上げながらも、必死で紡ぐ朝比奈みくるの声が耳元に木霊する。両肩には彼女の細く華奢な両腕が回され、胸部部分には自分には持ち得ない柔らかな膨らみが押し付けられていた。

 朝比奈みくるがわたしに縋るように抱きついている。
 何故? ぶたれるのではなかったのか?

 

「朝比奈みくる……説明を求める」

「だってっ、長門さんが慰めてくれるなんっ……おもっ……でしたから。役立たずで鈍臭い私は足手纏いで、長門さんに嫌われてると思っててそれでっ――」
「……落ち着いて。説明になっていない」
「……ふぐっ……ごめんなさっ……」
「いい。それより聞きたいことがある。あなたがわたしに抱きつくのは何故? 有機生命体の中で抱きつくという行為は親愛の表れと認識していたがそれは間違いで、怒ったときにでも適用されるもの?」
「っへ?」

 

 朝比奈みくるの呆けた声。

……情報伝達に齟齬が発生している可能性がある。

 

「確認する。あなたはわたしの言葉のせいで怒っていたのではなかったのか?」

「ち、ちちち違いますぅ!」
「ならば何故、あなたは涙を流した?」
「そそそれは長門さんの言葉が嬉しかったからですっ……!!」
「……嬉しかった?」
「はい」
「……」

 

 黙ったわたしに対して朝比奈みくるはポツリと恥ずかしげに言葉を続けてくる。

 

「さっきも言いましたけど、私は鈍臭くて役立たずだから長門さんに嫌われてるんじゃないかなって思っていて……だから励まされて思わず涙を流しちゃって、それで……」

 

 抱きついちゃいました、と微かな笑みを含みながら耳元で囁かれる。

 

「……あなたの事を嫌ってはいない」

「はい。私の勘違いでした。ごめんなさい」
「……わたしの方が嫌われていると思っていた。あなたはわたしに対して怯えている節があったから」
「え、えーっと、ごめん、なさい。それには色々と禁則事項がありまして。で、でも最近はそうでもなかったんですよっ!」
「……本当?」
「もちろんですぅ。わたしも長門さんのことが大好きです」

 

 そのまま無言になるわたし達。

 どうやら朝比奈みくるは怒っていたわけでも嫌ってもいなかったらしい。
 その事実に安堵と安らぎを感じつつ、若干の不満も持ってしまった。彼女の行動は判りづらい。彼や古泉一樹からサンプリングした知識ならば笑顔で受け答えしてくれたろうに、泣かれるのは予想外だ。お蔭で余計な精神負担を担いでしまった気がする。また一つ有機生命体の特徴を学べたので得がたい体験だったが、やはり納得できず不満が残る。

 

「有機生命体であるあなた達の反応には驚かされる」

 

 だからだろうか。

普段ならば口にしない、愚痴めいた物を吐き出してしまったのは。

 

「……長門さんにも驚かされてばかりですけどねぇ」

 

 いつの間にか落ち着いていた朝比奈みくるに聞かれていた。

 

「……うかつ」

「うふふ……なんだが今日の長門さん、普段より可愛く見えちゃいます。も、もちろん普段から可愛いらしいですけど、今の長門さんは妹みたい、な感じで親しみを感じるんですよぉ。私は一人っ子だから妹のような存在に憧れを感じてまして。あ、でも私がお姉ちゃんだったら、長門さんに失礼ですよね……」
「そう。別にいい……」
「え?」
「姉妹という概念は理解できないが、あなたがそれで良いのならわたしもそれでいい、と云う意味」
「長門さん……」

 

 抱き締められる力が強くなる。

 人を抱き締めるのには不適切だと判断するほどに強烈な締め付けを、わたしは何も言わず甘受しながら、違うことを考えていた。
 胸にほのかな温もりを感じる。

 

 ……これは何?

 

 エラー? だけど不快感はなく、好ましくすら思う。頻繁に発生するエラーと似ていて異なる何か。

 

 ……これが感情と呼ばれる物?

 

 分からない。感情と呼ばれる概念の理論数値が定まって無い故に、比較の使用がない。

 更に深く深く、思考の海に身を投じようとしたわたしを連れ戻したのは、微弱な振動音だった。

 

「あっ、ああぁっ、鶴屋さんを待たせているのを忘れていましたぁ~~!!」

 

 振動音に驚き、蛙が跳ねるように飛びのきながら振動音――ケイタイを覗いた朝比奈みくるの金切り声。

 

「すすすみましぇ~ん、急いで行かなくちゃいけないのでお先に失礼しますねっ!」

 

慌しくケイタイに配置されたボタンを何度も押す行為を繰り返しつつ、朝比奈みくるは身嗜みを整えると一礼する。

 わたしが返事をする前に小走りで掛けてようとする彼女。邪魔をしないように黙って見送ろうとしたわたしに、彼女の背中が翻ると、

 

「長門さん、本当にありがとうござました。勝手なお願いで恐縮なんですが、長門さんが嫌じゃなかったら、もっと今日みたいな姿を見せてくれると私は嬉しいですぅ。私だけじゃなくて涼宮さんも、キョンくんも古泉くんも喜ぶはずですよぉ。で、でも無理はしないでくださいねぇ。今のままの長門さんも素敵ですからぁっ!」

 

そう言い残し、やはり返事を待たずして駆け去っていく。

 扉が閉められる音。
 さっきまでの慌しさが嘘のように、静かな文芸室に残されたわたし。
「……そう」
 わたしは誰も聞いてないだろう返答を呟いた。

 胸に生まれた温かさに思いを馳せながら。

 

 

    ●

 

 

 本の内容が頭に入ってこない。
 それでも目線を本からは逸らせず、かといって意識を読書に集中できないでいる。
 朝比奈みくるとの会話時に芽生えた謎の現象にばかり意識が向き、読書に集中できていないのだ。
 今までにも、アレに似た温かさを何度か確認していたが、最近は顕著に感じることが多くなってきた。
 その原因も特定は済んでいる。
 涼宮ハルヒが分裂した事件の際に、天蓋領域の策略により危機に陥ったところを、古泉一樹に助けられた当たりからだったはず。そしてもう一つは、
 
 ――わたしは覚えている。この時間軸のことを忘れずに。
 
 古泉一樹に救出された際に、圧縮され凍結されていた記憶データーが解凍され読み込みが可能になってしまった事によることだろう。
 この記録データーは自分自身の手で深層部分にまで隔離されていたのはアクセスログから判明している。不可解なのは、全ての記録データーが掘り起こされたわけでもなく重要な部分が抜け落ちている点。そして何故、自分自身の手で隔離したかだ。
 推測するにも、情報が不足しすぎている。
 袋小路に囚われ堕ちていく感覚。
 そんな非効率的な思索を斬り捨ててくれたのは、この場所に接近する存在だった。

 

「……」

 

 扉の向こうに立ち止まる気配。

 一拍の間を置くと、扉を丁寧に叩くノック音が響く。
 わたしは視線すら動かさず、ノックをした人物は入室してくるのを迎えた。

 

「おや。長門さんだけですか?」

 

 入室してきたのは古泉一樹。

 情報操作を使わなくとも、予想はついていた。扉の開け方一つで、それぞれが個性を主張しているから。

 

「……」

 

 本から顔を上げ、少しだけ視線を合わせると下げる。伝われば問題はないはず。

 そのまま視線を本に走らせると、先ほどまでのもやもやとした感覚はなく、不思議と本の内容が頭に入ってくる。

 

「ふふっ」

 

 それをどう解釈したのだろうか。

 古泉一樹がこちらを見つめながら含み笑いを漏らしていた。実際には見えていないが、彼の視線を感じるので間違いないだろう。
 少しだけ気になったが、わたしは黙して読書を続ける。
 古泉一樹もわたしから視線を外すと、彼の定位置に歩きパイプ椅子を広げる。
 ギシッと軋む音。
 どうやら相当の疲れが溜まっているらしい。普段の彼ならば優雅に腰掛けるだろうに、実際は重たい身体を引き摺るような動作だった。
 古泉一樹は肺から搾り出すように息を付くと、そのまま目を瞑る。
 無言の間。
 本を捲るページの音と、彼の浅い呼吸音だけが周囲に漂う。
 わたしは意識しないレベルで古泉一樹のことを気にしつつ、本を読み続けた。
 
 
 ●
 
 
 古泉一樹が入室してから三十一分三十七秒が経過した頃に、目を開け、姿勢を正した古泉一樹の呟きが耳に届いた。

 

「……遅いですね」

 

 推測するに、他のSOS団のメンバーの事を言っているのだろう。

 

「朝比奈さんも彼も今日は来ないのでしょうか?」

 

 彼の情報網は他のメンバーの行動を把握してないのだろうか? 否、少なくとも涼宮ハルヒには監視はつけているはずだし、彼や朝比奈みくるにも護衛するための人員は動員されているはずだ。

 

……重要なのはそこではない。

 

重要なのは彼が問いかけるように言葉を続けた事。この場に居るのは彼とわたしだけ。ならばわたしに対する問いかけと判断しても間違いではない……はず。

 

「涼宮ハルヒは授業の終了と同時に帰宅している」

 

そう判断したわたしは朝比奈みくるの時と同じように、また自然と言葉を発していた。

 

「な、長門さん?」

 

彼の上擦った動揺を滲み出す声。

 

「朝比奈みくるは親友と評している同級生と帰宅。彼は学校に残っている。今は先生と補習している模様」

 

問いかけていた内容に応え終わるわたし。

古泉一樹は目を見開き、口をポカンと空洞にしたまま固まっている。そのまま口をモゴモゴとさせたり、首を小刻みに振ったりとユニークな行動を取ったかと思うと意を決したのか、

 

「ありがとうございます、長門さん」

 

お礼の言葉を伝えてくれた。

 

「いい」

「そうですか」
「そう」

 

 頷きで応える。

 会話が途切れ、また静けさが舞い戻ってくる。
 ……無言の間が少しだけ居心地悪くなる。
いつもなら気にもならないのに、何故か残念に感じる。
……残念?
ふと浮かび上がった思考に、わたしは内心で激しい動揺を覚えてしまった。
どうして残念と感じたのだろう……わからない。エラーが発生する。

 

「でも珍しいですよね。長門さんがまさか僕の独り言にも似た問いかけに答えてくれるなんて」

「……」

 

 彼の視線とわたしの視線が絡み合う。

どこか懐かしさ覚えならが、どう答えようか悩む。
言葉では詳細しにくい。情報伝達に齟齬が発生する確率が高い。
 しいて言うのなら、人間が言うところの気紛れであり、黙っているのがいやだったから。

 

「……ここにはわたしとあなたしかいない。だからわたしに問いかけているものだと判断した」

 

わたしは応える至った理由を素直に説明する。

これ以外に言い様もなかったから。
返答を聞いた古泉一樹はわたしを見据えながらも、どこか空虚な焦点の定まっていない瞳で見詰めたまま身動ぎもしない。
ひょっとしてわたしに対しての問いかけていたのではなかったのか?
今更ながらの疑問に、不安が這いずりだしてくる。

 

「……違った?」

 

 早とちりだっただろうか、と確認の問いかけを投げる。

 

「いいえ、そんなことはありません。本当にありがとうございます」

「そう。……良かった」

 

 本当に良かった。不規則に鼓動が高鳴っていたのが落ち着いていく。

 

「ええ。僕も良かったですよ」

「良かったとは?」
「それはですね――」

 

 古泉一樹の微笑が深めながら、軽やかに口ずさみながら告げてくる。

 

「――長門さんとこんなふうに会話が出来てです」

 

 落ち着き始めていた鼓動の高鳴りがまた大きく乱れていく。

 今日一番の、もしかすると過去最大と思われるほどまでに。ドクドクと周囲に漏れていないか心配になるほど脈動を繰り返す鼓動音。
 内側が熱い……。
 翻弄されながらも、心中に浮かんだ思いを吐露する。

 

「あなたの事を嫌っていたわけではない」

「おや、嬉しい事を言ってくれますね」
「あなたはわたし達の仲間であり……わたしの命の恩人でもある」

 

 そう……恩人。

 彼が助けてくれなかったら、ここにわたしはいなかったはず。

 

「長門さんには日頃から助けられてばかりでしたから、丁度いい機会だと思ってましたので、どうかお気になさらないでください」

「そう」

 

頷くも、少しだけ不平があるのを古泉一樹は気付いているだろうか?

彼に皆を守る、と宣言しておきながら、守られる立場になってしまったわたしの屈辱感を。
 彼は、解説役ばかりで楽してるんだから偶にはいいだろう、と笑っていたけどわたしは納得していない。
言葉だけで礼を示すのではなく、何か別の物で示したかったと思っていた、のだけど。助けられた当時も今も、柔らかそうな物腰でいながら、強固な意志にその提案を阻まれてしまっている。古泉一樹は隙がありそうで、隙がないのだ。
 そんな時だった。

 

「ふぁ……」

 

 古泉一樹が欠伸をしていた。

 数瞬後には噛み殺していたが、目尻には涙が確認できる。
 直ぐに取り繕った笑みを浮かべるが、その表情には失態の二文字が張り付いていた。

 

「……あなたは疲れている」

「大丈夫です。少し気が抜けていただけですよ」
「四日前から涼宮ハルヒが発生させている閉鎖空間は、通算して二百三十七回。その内の五十七回をあなたは一人で処理をしている。発生時間帯は不規則ながらも、夜から明け方に乱立されている。他は学校が終わる時間帯――つまりはSOS団の部活が始まる際にも集中傾向が見られる」 

 

 それが意味するところは、

 

「よってあなたの睡眠時間は、通常の有機生命体が必要とされる睡眠時間を考慮すると、大幅に足りていないと断定できる」

 

 でなければ、古泉一樹が人前で滅多な隙を見せるとは思えない。

 だから、

 

「あなたは休むべき」

 

 余計なお世話かもしれない。

 でも彼の仕事は危険が多い。間違いがあれば、死んでしまうかもしれない。それは……嫌。

 

「それは出来ません。これが僕の役目であり、よっては世界平和にも繋がるのですから。僕以外の超能力者も、頑張っているわけですから、僕だけ泣き言は言えませんよ。お気持ちだけ頂いておきます」

 

 やはり受け入れらはせず却下された。

 

 ……これ以上の干渉は不愉快な気持ちを与える可能性がある。

 

 諦めるべき。冷静な思考はそう自分を諭してくるが、内側の深い深い部分はそれを拒否していた。

 どれもが正解で、どれもが間違いの問題用紙に望んでいるようだ。

 

 ……迷ったわたしは学んだ経験からやりたい事をすることにした。

 

わたしはわたしの意志で物事を決定すると誓っているのだから。もちろん、命令違反にならない中での采配になってしまうが。

 

……いこう。

 

実行するに当たって確かな恐れも湧き上がるが、朝比奈みくるの言葉が背中を押してくれた。親友の同級生宅に上がりこんでいるだろう彼女に感謝を送る。

 立ち上がる。
 座っていたパイプ椅子を引き摺りながら、わたしは古泉一樹に急接近した。

 

「あのー、長門さん?」

「……」

 

 困惑した様子の古泉一樹。

 構わず、引き摺っていたパイプ椅子を彼の真横に設置すると着席。
 彼の肩がわたしの肩と接触し、体温が伝わってくる。

 

「……寝て」

「へ?」
「だから寝て。あなたは休むべき」
「仰る意味が――っ?!」

 

 焦れたわたしは強引な手段を実行。

 左右の手を彼の頭部に固定すると、まだ何か喋っていた言葉を遮断するように引っ張り込む。
 崩れる古泉一樹を支えるように、自分の身体でキャッチする。
 狙い通り、彼の頭部が自分のふとももに着地した。

 

「な、なななな――っ!?」

 

 何かの呪文だろうか……?

 繰り返し同じ文字を連呼する彼を観察していると、急激な体温の上昇と心拍数が跳ね上がったのを情報から入手した。
 やはり疲れているのだろう。
 そう判断したわたしは寝て、と進言した。

 

「寝れませんっ!」

 

 心配事は理解している。

 閉鎖空間が発生したら起こす。

 

「人の話に耳を傾けてください。お願いします」

 

 耳なら傾けている。

寝てしまっては過度の寝不足から閉鎖空間時に困るのはわたしの提案で解決済み。
なら、なに? 瞬時に疑問から解答が算出された。
寝れない原因は彼の不規則に乱れている心音などによるものだ、と。
わたしは的確な答えを古泉一樹に与えた。
……まずは目を閉じる。そして心を落ち着かせれば寝れるはず。

 

「……」

 

 古泉一樹は暫し言葉を詰まらしていると、

 

「……はぁ。長門さんは思ったより強引なんですね」

「そうでもない」

 

 こうするまでに、普段にないほどの緊張感と覚悟が必要だった。強引ではない。

……それに貴方も悪い。こうでもしないと、素直に休んでくれないから。

 

「閉鎖空間が発生したら必ず起こしてくださいよ?」

「任せて」
「それとこの光景を他人に見られたら誤解を与えてしまうので、補習を受けている彼や――彼に限らず誰かが入ってくる場合も起こしてください」
「……わかった」
「あっもう一つ」
「注文が多い」
「遮らないでください。もう一つは、少しだけ距離を開けてください。腰が曲がりきらずに窮屈でして」
「……こう?」
「ええ。大分ましになりました」

 

 スカートから伸びる素肌の部分が、彼の頬の圧力により迎えるように形状を変化させている。

 

「おやすみなさい」

 

 彼の右耳に囁きかける。

 

「ええ、おやすみなさい……」

 

 強張っていた彼の体から、力が抜けていく。

 呼吸も落ち着き、鼓動音も一定のテンポでリズムを刻んでいる。
 わたしは自然体になった古泉一樹の身体を落とさないように、両手でしっかりと抱きしめながら、彼の寝顔を見詰めた。
 彼が常に絶やさない微笑も消えた素顔。成人男性を思わせる顔付きも、今は年齢相応の顔付きに変わっている。どこか得した気持ちになる。
 ……これで恩返しになるだろうか?
 彼の気持ちはやはり判りはしない。でも自分自身が納得できたのなら良いとしよう。

 

「……ありがとう」

 

 閉鎖空間が発生しなければいいと思いつつ、古泉一樹の寝顔をわたしは見守った。

 
 
  ●
 
 
「……」

 

 古泉一樹が睡眠を始めてから二十二分十秒が過ぎた頃に、情報操作により張り巡らせていたレーダーが反応したのをわたしは確認した。

 ――次元断裂現象発生の予兆。
 情報フレアの回収準備をしながら、懸念事項をどうするか迷う。
 膝枕で寝ている古泉一樹の事を。
 彼からは閉鎖空間が発生した場合は起こす、と約束している。
 まだ発生にまでは至っていないが、時間の問題だろう。
 ――次元断裂発生。
 言っているそばから始まった。

 

「……」

 

 起こすべきなのだが、躊躇われる。

 二十分程度の仮眠では休息にはならず、むしろ蓄積した疲労の具合を意識させてしまうばかりである。欲を言えば、最低でも一時間は欲しい。
 彼のケイタイは鳴っていない。
 今頃、彼を除く超能力者達は動いているはずだが、彼に呼び出しがないのは、まだ大丈夫だと向こうの組織が判断しているのではないだろか?
 どちらにせよ、ここで起こすのは良くない。
 やるならば徹底的にやらなければいけない、と涼宮ハルヒが言っていた気がする。
 古泉一樹をそのままにして、情報フレアの回収を進めていく。
 始めは一個だったものが、二個になり、三個になり、続々と数を増やしていくのを確認する。それら全てを並列作業でロックしながら回収作業をしていく。
 乱立しながら収まる気配がない。
 古泉一樹に呼び出しが掛かるのも、このままでは必然。

 

「……」

 

 古泉一樹は起きる様子もなく、安心しきった素顔を晒したまま、膝元に収まっている。

 

 ……まだ寝かせていたい。

 

 わたしは即断した。

 本来はあまり勧められた行為ではないが致し方ないものとする。
 作業を続けながら、片手間で体内にナノマシンを生成し、口内から対象物に対して干渉できるように設定していく。
 準備完了。
 狙うのは古泉一樹の首元。
 ナノマシンにより、彼の体内に蓄積した疲労成分を分解する。
 寝かせていられる時間がないのなら、目的を達成するために別手段を用いるだけである。

 

「……」

 

 体勢的に彼を起こさず身を動かすのは辛いが、屈むようにして首を伸ばせば届く。

 大丈夫、問題なく届く。
 わたしは彼の首筋に唇を持っていく。勢いよく噛み付いては彼が起きてしまう可能性があるので、気遣いながら進行する。
 唇を開くと、冷たい空気が口内に入り込んでくる。
ゆっくり、ゆっくり触れさせるように噛み付こうとした時に、ドクンッ、と心臓が跳ねた。
それが静止の合図となり、歯が彼の首筋に触れるか触れないかで停止してしまっている。

 

……いい加減にして欲しい。

 

今日はこんな事ばかりだ。わたしが未熟なのは事実だが、何か特別な事をしようとするたびにエラーが発生するのは勘弁だ、と本気で思う。

そもそもこれは治療行為であり、朝比奈みくるにも同じ行為をしたことがある。それと同じなのに何故、こうなる?
嫌気が差すが、頬の妙な火照りや小刻みに震える身体が制御できない。
時間がない。エラーの原因追求は後にして、今は古泉一樹の疲労の分解作業を優先する。

 

「……」

 

 噛み付き、ナノマシン注入実行。……終了。

 ――エラーが爆発。

 頭の中に真っ白な閃光が迸った。

 

 

   ●

 

 

「起きて」
 

 わたしは呼びかける。

 

「起きて、古泉一樹」
 

 目蓋がピクピクと動く彼。
 先ほどよりも強めに促す。

 

「起きて、古泉一樹」
「ん――、うわっ?!」

 

 覚醒した彼は驚きに声を上げながら、視線だけを周囲に飛ばしている。そして現状を認識したのか言葉をかけてきた。

 

「……おはようございます、長門さん」
「おはよう」
 

 挨拶を返す。

 

「どれくらい時間は経過しましたか?」
「あなたが眠りについてから四十四分三十七秒が経過している」
 

 確認と報告の遣り取り。

 

「閉鎖空間ですか?」
「予兆を確認。そろそろ――」
 

 言い終わる前に古泉一樹のケイタイに着信が入る。

 

「起きます。手を頭から離してください」
「……」
 

 言われたとおり、落ちないように抱えていた手を離すと、ふとももに圧し掛かっていた重さが消失していく。
 起き上がった彼は組織の上司になるのだろう相手と情報交換をする中、わたしは黙ってそれを眺める。

 

「了解しました。では後ほど」
 

 遣り取りが終わりケイタイをポケットに仕舞いこんだ彼はこちらに振り向いてくる。

 

「では長門さん。僕は行きますので」
「そう」
「もし彼がここに来るようならよろしく伝えておいてください」
「……(コクリ)」
「では失礼します」
 

 学生鞄を持ち、背を向ける古泉一樹。
 わたしはその背に、

 

「古泉一樹」
「はい、なんでしょうか?」
「……気をつけて」
「――ふふっ、了解しましたっ」
 

 彼は笑みで受け取ると、駆け去っていく。
 その挙動からは不安定要素はない。ナノマシンは成果を発揮したようだ。
 また独りの文芸室の残されるわたし。

 ……実は古泉一樹にナノマシンを注入してから記憶障害が発生していた。
 爆発的に発生したエラーにより負荷処理が間に合わなかったと推測され、おかげでここ数十分の記憶が飛んでしまっていた。
 緊急プログラムが咄嗟に働いたのか、情報フレアの回収作業に被害はなかったが、危険なのは変わりない。これからは慎重に行動しようと改める。

 

「……」
 

 今日は色々な出来事があった。
 観測者としては失格の烙印を刻まれても、言い逃れできない選択を選び取ったりもしたが、同時に得がたい経験も勝ち得た。
 それに現場の実動員という意味では、わたしの身分は最高責任者に値する。もし咎められるようなら適当な報告をでっち上げてしまえばいい。
 ……おそらく情報統合思念体は重要視しないだろうが。
 最重要観察対象である涼宮ハルヒと鍵である彼にさえ干渉しなければ、些細な事柄だと判断するだろうから。大体、ほとんど支援も施さない情報統合思念体にも問題があるのは事実。
 たぶんに希望的観測を含んだ自己分析と愚痴を交えながら、今も尚拡散し続けている閉鎖空間の付属物である、情報フレアを回収していくわたししか居ない空間に、また近づく存在を感知した。
 予測するまでもなく誰かは把握できる。ここに用があるのは所属するメンバーで残り一人しか居ないから。
 彼が近づいてくるのを実感した時に、手を伸ばしてはいけない選択士が浮上してくる。
 魔が差す、と表すのだろう。
 だけど、それは出来ない。
 朝比奈みくるや古泉一樹とは比較にならないほどの綱渡り。
 矛盾を孕んだ二重螺旋に翻弄される。
 螺旋ループに陥っている間に、扉が開いた。

 

「……よぉ、長門だけか」

 

 文芸室を見渡してから、彼は気疲れするように嘆息する。

 

「今日もハルヒはこなかったようだな。古泉や朝比奈さんはどうしてた?」
「……涼宮ハルヒは来なかった。二人は所用のために先に退室している」
「そうか。……何かあったか長門?」
「……なぜ?」
「いや、お前の表情がそう見えただけだ」
「……」
「言いにくいことだったら無理しなくて良い。だけどな、俺に協力できることなら助けになるし、不本意だがあのニヤケ野郎もまた走るだろうし、朝比奈さんは言うまでもなく、ハルヒに至っては問答無用で先陣切って引っ張っていくだろうぜ」

「……」
「だから言いたいことがあるなら言え。それによってお前の親玉が激怒するようだったら、それこそ俺の出番だ。核兵器をも凌駕する鉄砲玉をけしかけてやるさ」
 

 安心させるように笑みを浮かべてくる。彼はどうしてこうも的確にわたしの心情を見抜いてくるのだろうか。不思議でならない。
 揺さ振られる心。
 

 

 わたしは――。


   ●

 

 

 放課後の文芸室。
 いつものように集まったメンバーの会話が、本を読むわたしの耳に流れ込んでくる。

「僕は嬉しいですよ。どちらから素直になられたかは把握していませんが。でも意外でしたよ? 昨日は希望はないだろうと悲観していたのですが、まさか仲直りしていただけるとは。お陰で僕も久々にゆっくりと睡眠を取れたというものです。ありがとうございました」
 

 弾むような声音と僅かな含みを笑みとして表現する古泉一樹。

 

「っでどちらから仲直りしたのです?」
「俺からだ」
「ほほぉ。何度も言って申し訳ないですが、本当に意外でした。貴方は意固地ですから、僕たちからフォローもなしに仲直りして頂けるとは僕も嬉しいですよ」
「あ……あぁ、そう……だな」
 

 チラチラと彼がこちらを覗き見てくるが、わたしは視線を本からずらしはしなかった。

 

「そのだ、古泉」
「はい。どうかしましたか?」
 

 大きく嘆息した彼は、

 

「苦労をかけてすまんかったな。閉鎖空間の処理……大変だったんだろう?」
 

 ぶっきらぼうを装いながらも、本音の部分では気遣っているのが隠しきれていないのが彼の良いところ。

 

「次がないとは言い切れんが、可能な限りは善処するから許してくれ。そうだ、帰りにでもジュースを奢るさ。だから今回の件はこれで不問にしてくれ」
 

 古泉一樹もそれを理解しつつも、彼の豹変とも言うべき態度に驚いたのか、目を瞬かせている。

 

「お前な。俺が素直に謝ってるのに、まるで異性人に出会った時に浮かべそうな表情は止めやがれ」
「これは失礼しました。まさか面と向って貴方からこれほど真摯な謝罪を頂けるとは思いませんでしたので……」
 

 俺だってこんなことは言いたくなかったさ。
 隠す気もなかったのだろうと思える愚痴めいた独り言をわたしの耳が拾い上げる。
 彼らの話し声を拾い続けながら、わたしは昨日のことを回想する。
 ……彼が涼宮ハルヒと仲直りをしたのは、昨日の放課後の文芸室でわたしが頼んだから。彼がなんでも相談してくれて良いと言ったから、わたしは彼にお願いをした。
 そう。
 わたしは統合情報思念体から命じられた観測者としての任務を放棄し、観測対象に影響を与えてしまった。
 命を背き、魔の誘惑に靡いてしまったわたし。
 ……だが、わたしはここに存在している。
 もちろん、情報統合思念体からの意図を問うメッセージはあった。
 何故、観測対象である“鍵”に影響を与えたのか。付属として古泉一樹や朝比奈みくるについても問われている。
 
 その問いかけに対しわたしは、

 

 ――このパターンでの情報フレアをこれ以上に回収し続けても結果は変わらないはず。よって新たなパターンが見込めると検討し、“鍵”と涼宮ハルヒの仲を取り持った。古泉一樹や朝比奈みくるに関しては良好な関係を保つ事で任務に支障が出ることを減少させることができる。現場からの判断である。
 

 常々抱えていた疑心をも含んだ答えを進言していた。
 創造主に対する反逆は、どの時代でも粛清の名を持って行使される。
 情報統合思念体の特性上、彼らは全にして個、個にして全のために、各派閥の総意を得なければ行動に移せないデメリットを持つために、即座に情報連結を解除されることは無いと判断していたが、それでも自立行動の選択を縛られる可能性はあった。
 そして総意が得られ次第、情報連結を解除されていたのは想像に難くない。
 彼の切り札も切り札に成り得ない。
 情報統合思念体が本気を出せば、情報改竄された世界には、そんな事実がなかったことになるのだから。
 だけど、わたしはわたしの選択に後悔はしない。それだけはしたくないから。
 終焉の宣告を待つわたしに、創造主である情報統合思念体は告げた。

 

『了承した。――引き続き任務を全うせよ』

 

 それだけだった。
 咎めもなく忠告すらも一切ない。
 そうして、情報統合思念体との遣り取りはあっけなく幕を閉める。

 

「先生からの呼び出しで遅れちゃいましたぁ。ぁっ、涼宮さんはまだ来てないんですねぇ」
 

 朝比奈みくるが笑顔を携えながらやってくる。
 彼と古泉一樹は彼女が着衣を変更するのを気遣って、何も言わず席から立ち上がる。彼らが出て行き扉が閉まると、彼女は急いで制服を脱いでいく。

 

「よいしょっとぉ」

 

 着替えを終えた朝比奈みくるの一声。

 

「そういえば長門さん。昨日はありがとうございましたぁ」
「……」
「ふふっ」
 

 わたしは目線を上げ頷いたのみなのに、朝比奈みくるは上機嫌で微笑んでいる。そして少し声を張り上げるようにして、外で待つ彼らに呼びかけていた。
 その後は平凡とも言える日常だった。
 朝比奈みくるはお茶を淹れ、彼と古泉一樹はボードゲームを楽しみつつ、わたしは読書をする。
 そうして時間を過ごしていると、

 

「みんな、久しぶりっ!! ちょっとSOS団に顔を出さなくてごめんねっ! まったくバカキョンのせいなんだからねっ! それはそうと、今日は面白い企画を見つけてきたは。まずはこれを確認して頂戴――!」
 

 扉の耐久テストでも兼ねているのか、扉を蹴り飛ばしながら入室してきた涼宮ハルヒ。彼との仲直りが嬉しかったのがよく分かる。
 彼女にはやはりこういった表情が似合うのだと思う。彼を促してよかったとも。
 突き出された企画表を見て、彼は嫌々な態度を示し、朝比奈みくるは怯え、古泉一樹は変わらない微笑を浮かべていた。
 彼らを見て、わたしは命じられた任務という目的とは違う、自分なりの目的を確かめようと決意する。目的は二つ。
 ……彼らと交流を交わすたびに生まれる謎のエラー――おそらくは感情と呼ばれる物をもっと識っていこう。
 流されて関わるのではなく、これからは自ら彼らに関わっていき、より積極的に。
 もう一つは隔離されていた謎のメモリーログの追及。
 情報統合思念体は関係ない、自分だけの命題。
 未熟なわたしだが、これは違えない。

 

 

 

 ――わたしはわたしの意志で、そう望むのだから。

 

 

     

 


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