闇
「あなたのみ、オケから引退しなさい」
ハルヒはクラリネットを佐々木に突きつける。行為と意味が反転する。
「で、予定通りこの場所に残りなさい。
あなた一人のために、オケを壊すわけにはいかない」
この場所…すなわち病院。
「わたしたちには佐々木さんが必要なんです」
九曜は無表情にフルートをハルヒに突きつける。
…もう音楽はできない、という意味。
混乱する、佐々木団を作るはずだった面々に、
ハルヒはしっかりとした声で言い放った。
旧約聖書・詩編22から
(十字架にかけられた断末魔のキリストの絶望)
わたしの神、わたしの神よ。
なぜわたしをお見捨てになるのか。
なぜわたしを遠く離れ、救おうとせず
呻きも言葉も聞いてくださらないのか。
助けを求めてあなたに叫び、救い出され
あなたに依り頼んで、裏切られたことはない。
…
犬どもがわたしを取り囲み
さいなむ者が群がりわたしを取り囲み
獅子のようにわたしの手足を砕く。
骨が数えられる程になったわたしのからだを
彼らはさらしものにして眺め
わたしの着物を分け、衣を取ろうとしてくじを引く。
神よ、あなただけは
わたしを遠く離れないでください。
わたしの力となる神よ
今すぐにわたしを助けてください。
あなたと遠く離れたままにしないでください。
苦しみは直ぐ近くに、誰も助ける者はない。
INRI(十字架の罪)
闇・終
常識
「え?橘さん、※もう夕方だけどおはよう。フランスどう…え?今日本?辞めた?オケは?
え、もう募集かけたの?公募で?…え?違う?内部募集?コンマス無しで、四月から有希をバンドマスターに?
そこ、ジャズオケじゃないわよね?機関もとうとう急進派が政権を取った?
抗議でジロンドからボルドーワインが無くなっても知らないわよ。じゃあ室内楽団…へ?違うって?え?ねえ、あなたさっきから何言ってるの?」
※プロに近い音楽業界内では挨拶はいつでもグッドモーニングが決まり事。生活が不規則だかららしい。
SOS団結成
病院。点滴。独立十字。うつろな目。微かに聞こえる、奇妙な残語。
二度とは戻らないかも知れない、その目。
「神は必ず復活します。音楽が残っている限り」
橘さんが、ベッドの横のクラリネットを取る。
「わたしたち、全てを失うかも知れない。でも彼女には賭けるだけの価値があるんです」
あの2人も、しっかりと侍っていた。一人は嫌そうに、一人は無表情で。
「ふん、全く愚かだな。どうせキリストに準(なずら)えなくても復活する。
時期なんて僕にはどうでもいい」
「―――時間が…退屈」
…佐々木さんを迎え入れるため、オケから人連れてジャズバンド結成…
この執念深さにはあきれるところがある。
まあ、あたしだって、そちらの方がいい。
ずっとあの深い音を聞いていたい。でも。
「でも、それじゃあこの人が苦しむの。そんなの、あたしが許さない」
皆に出会ってから、あたしは変わってしまった。あたしはもう、唯我独尊を押し通せない。
その証拠に、あたしはキョンに負けるようになった。常識的で人間的な、ただの揺れる女の子。
三人の反抗の視線をひし、と感じる。
「わたしたちから、音楽を取り上げるのですか?何回も?」
「…ハルヒ」
親友兼ね次期バンマスがわたしの肩を叩く。一言。
「あなたが代わり、やったら」
みくるちゃんが言葉を続ける。
「涼宮さん中心のビッグジャズバンド、とってもたのしそうですよぉ」
にこっと笑って
「それで、みんなで待てばいいと思いますぅ。涼宮さんは、佐々木さんに認められたんですから、ええと、きっと大丈夫だと思いますぅ…ええと、みなくる~みなくる~」
おそらくジャズソングらしい、とっても下手な歌を歌う。皆が笑い、空気が明るくなる。床に付している神童でさえ、笑んでいるようにみえる。
「やる?」
え?ええと…もちろんやるわよ!
『今が、幸せ』
あなた、もう満足しちゃったの?本当にバカね。もっともっと、楽しいことしない?
わたしは満足しない。ずっとずっと音で遊んでいこう。だって、そっちのほうが断然面白いじゃないの。
暗闇が無ければ輝きは存在しない。
きっと、あなたが復活したら、もっともっとすばらしい音になるはず。
神の復活を、みんなで待つ。そしてそのとき、あたしが、あなたを迎え入れましょう。
じゃあ、あたしは活動内容未定で名称不明のバンド、色々ちゃんとやらなきゃ…?
ええと、何も決まってないけど、名前ぐらい決めたいわね。
「名前ならある」
有無も言わさず、この親友は言葉を続ける。
「『発表会』のもくじに既に書いてある…Suzumiya Orch Session(涼宮のオケセッション)…SOS団」
数人がずっこける。有希らしく、何のひねりもない。
神なしに、神の前に、神とともに
いつもの風景
曲目:『ブルグミュラー25の練習曲』
オルガンの上に置かれた、先生との面談予定。
進路は理系に決めたらしい。
こいつは国木田と一緒に猛勉強している。
息抜きにオルガン。新しい、いつもの風景。
「こら、だから指揮棒使うな!」
幸せな愛、それは本当に確かなことなのか。
理性的で、肯定的なことなのか。
「べ、別に殴りたくて殴ってるんじゃないんだからねっ!」
この世界が二人だけのものになり、他のものは存在しないのも同然、なんてことは。
とても理性的で、肯定的なこと。
「って、最初ッから殴ってるつもりなのかよ!」
幸せな愛など知らないという人には、幸せな愛などないと言わせておけばいいわ。
「まあ、これもアベックの水の掛け合いよ。練習再開!」
一時の気の迷いなんて言うなら、今のキョンのピアノの腕を見ればいい。一度身に付いた技能は、すぐには消えないはず。
「そこでド叩いて…って、どこ叩いてるのっ!そこはレっ!ちゃんとやりなさいっバカキョン!」
例え、あたしがキョンの元を去っても、このピアノの腕は、死ぬまでこいつの腕に刻みつけられる。
「ほらここよここ。何やってるのよ!あぁ、もう、いらいらするわね…もっかい!次間違えたら鞭打ちの上死刑なんだからっ!」
あたしの全てを、こいつに注ぎ込む。
刻みつけるのは、永遠の気の迷い。
「♪~」
そして『ジョン・スミス』が、『ブルグミュラー25の練習曲・アラベスク』をノーミスで弾き終わる。
あたしの望むあの、弱っちい、希望の音で。
終止。それを合図に、あたしは後ろから抱きつく。
そして、少し迷惑そうなキョンの、その耳元でささやく。
「おつかれさま、キョン」
常識・終