姉妹編『長門の湯鶴屋の湯』『一樹の湯』もあります。

 

 

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『みくるの湯』


台風の季節が過ぎ、本格的な秋を迎えると、さすがに朝夕の寒さが身にしみるようになってきた。怒涛の文化祭やらコンピ研とのインチキ宇宙艦隊対戦でドタバタした去年に比べて、今年の秋は至って平和だ。
放課後の部室も、すっかりやわらかくなった秋の日差しが差し込んでいるが、あと一ヶ月もすると、ハルヒが大森電器店からせしめてきたストーブが活躍することになるだろう。
そんな部室にいるのは、朝比奈さんと長門、そして俺の三人、ハルヒは掃除当番であり、古泉はホームルームでも長引いているのかも知れない。また今日もまったりとした午後のひと時の始まりである。

「お茶です、どうぞ」
「ありがとうございます」
熱いお茶が美味しい季節を迎えたわけだが、朝比奈さんのお茶は季節に関わらず美味しいわけで、俺は、そんな至福の時を堪能することができる幸せをしみじみと感じている。
「すっかり秋になりましたね」
読書中の長門の前にも湯飲みを置いた後、俺の隣の席に腰を下ろした小柄なメイドさんは、俺の目を覗き込むように話しかけてくれる。いやぁ、いつも見ても愛らしい上級生です。
「ええ、今日のように昼間は暖かい日でも、夜は結構寒くなってきましたから」
両手で包み込んでいる湯のみの暖かさが手のひらいっぱいに感じられる。
「朝比奈さん、一人暮らしですよね。風邪とか、大丈夫ですか」
「ええ、大丈夫です。ありがとう、キョンくん」
にっこり笑って、小さく肯いてくれる朝比奈さん。やっぱりかわいい!
もし本当に風邪でもお召しになったら、看病に馳せ参じますよ。

 

「そろそろ温泉とか恋しい季節ですよねー」
「朝比奈さん、温泉好きなんですか?」
「えぇ、あんまり行く機会はないのですけど。テレビとかで見ていると、すっごく気持ちよさそうなので、また一度、ゆっくりと行ってみたいなって」
「温泉ですか、いいですね」
朝比奈さんと一緒に湯船に入ることができたらどれほどいいだろうか。せめて足湯だけでも……。そうか、うん、そうだな……。
「行きましょうか、どこかの温泉……」
「えっ?」
「一緒に……」 足湯でも、と言おうとすると、朝比奈さんは急に真っ赤になって、
「い、いっしょはダメです、そ、そんな、男の人と一緒に温泉に入るなんて……」
「は?」
えっと、俺は別に、そんなつもりは……、確かに少しはありますが……。
朝比奈さん、そんなに真っ赤になって俯かれると、俺、なんかとてつもなく悪いことをしたみたいで……。
「別に混浴でなくていいですよ、朝比奈さん」
朝比奈さんは少し顔を上げた。
「普通に温泉へ、SOS団のみんなでね、行こうかって。で、足湯ぐらいなら一緒に入れますけど」
「あ、あたし……」
結局、早とちりに気づいた朝比奈さんは、また赤くなって俯いてしまった。
うーん、どんな表情でも絵になる人だ。
「ハルヒが来たら、話してみましょうか、今度、温泉イベントでもやろうぜ、って」
「はい」
「長門も行くか? 温泉」
窓辺の寡黙なアンドロイドは、いつものように小さくうなずいた。


「へぇー、温泉ね、いいんじゃない? キョン、あんたもたまにはいい提案するのね」
「いや、俺じゃない。朝比奈さんが行ってみたいそうだ」
「みくるちゃん? そうなの?」
団長席のハルヒが、急須のお茶っぱを入れ替えている朝比奈さんの後姿に話しかけると、
「はい、そうなんです。テレビで見て行ってみたいなぁって。足湯だけでもいいですし」
振り返った朝比奈さんは、俺のほうをチラッと見てから答えた。
「うん、面白そうね。じゃあ早速、今度の土曜日にでも行こうか。いいわね、キョン」
「ん、俺は別に構わないぜ」
俺と朝比奈さんはもちろんOKだし、長門と古泉が拒否するはずもない。
「ホントは一泊ぐらいしたいところだけど、足湯程度なら日帰りでも行けるしね」
カチューシャを揺らしたハルヒは、満足げにうなずいている。
「適当なところを探しておきましょうか?」
「そうね、古泉くん、お願いね」


そして週末になった。俺たちは電車を乗り継いで山の向こう側にある温泉街にやって来た。ここは大きな旅館やホテルなどが立ち並ぶ有名な温泉地だが、古泉のリサーチによると、最近の流行として足湯場なども整備されているらしい。
ありもしない不思議を求めて街中を彷徨っているより、目的を持ってこうしてお出かけするほうが何倍もマシだ。また今度も何かお出かけネタを用意しておくとするか。

「じゃ、入るわよー」
ハルヒの号令のもと、俺たちSOS団ご一行は足湯場に近づいていった。
温泉街の真ん中辺り、四本柱に支えられたちょっと古風な瓦屋根の下、十人ぐらいが腰をおろせそうな場所に、先客のおばちゃん達が三人ほど足を暖めていた。ヒノキで作られた足湯用の湯船からは湯気がふんわりと漂っている。
そのおばちゃん達の反対側には誰もいなかったので、俺たちが入るスペースは十分にあった。混んでなくてよかった。
早速、ショートブーツとニーハイソックスを脱ぎかけているハルヒは、朝比奈さんに向かって、
「みくるちゃん、あんたその格好でどうするつもりなの?」
「え、あ、あっ?」
あらためて朝比奈さんの姿を見てみると、暖かそうなニットのワンピに、これまた暖かそうな黒いタイツをはいている。どう見ても足湯に適した格好とは言え ない。ついでに言うと、長門はいつもの制服に紺のソックス姿なので、すでに素足になって足湯に入ろうとしているところだった。
「あたし、明日は足湯に行くからね、って言っといたわよね、みくるちゃん」
「は、はい。涼宮さん」
朝比奈さんは、胸の前に両手を合わせて、ハルヒの次の言葉を待っている。
「そもそも、みくるちゃんが行きたいって言ってたから来たのに、もう、仕方ないわねー」
そこでニヤッと笑みを浮かべたハルヒは、
「ほら脱がしてあげるから、こっち来なさい」
と、言うや否や朝比奈さんの膝元にまきつくと、スカートの中に手を突っ込み、タイツを脱がそうとしはじめた。
「い、いや、涼宮さん、ちょ、ちょっとここでは、やめてくださぁぃ」
「何いってんの、あたしが手伝ってあげるから、ほら、ほら、ほら!」
小悪魔ハルヒに取り付かれた朝比奈さんは必死でスカートのすそを押さえている。それでも黒いタイツの上のほうまでチラチラ見えてしまうのをついつい注視していたが、やっと我に返って、俺はハルヒと朝比奈さんの間に割り込んだ。
「こら、ハルヒ、もうやめとけって」
「なによ、キョン、足湯を楽しむならタイツ脱がないと……」
「ここで脱がなくても、ほら、あっちに脱衣場みたいなのがあるから、そこに行けばいいだろ」
やっとのことでハルヒを引き剥がした俺は、朝比奈さんに振り返って、
「朝比奈さん、ほら、今のうちにあっちへ行ってください」
「す、すみません、キョンくん、涼宮さん」
そう言って駆け出した朝比奈さんは、途中で一回振り返ると、小さくペコリとお辞儀をして脱衣所らしき建物に消えていった。
「ほんと、みくるちゃん、ドジっ娘なんだから」
俺と並んで朝比奈さんを見送ったハルヒは、そう言いながら、すでに足湯を堪能しながら文庫本を読んでいる長門の隣に座って、とぽんと両足をお湯につけた。
「うーん、気持ちいいわねー。あったまるわぁ」

やれやれ、と一つ溜息をついて、俺も靴と靴下を脱ぎ、ズボンをひざの上までたくし上げた。何かをする前には必ずひと騒動起こさないと気がすまないらしい、あの爆弾女は……。
「涼宮さんにとっては、朝比奈さんはまさに理想のドジっ娘さんなんですね」
同じように足湯準備を整えた古泉の言葉を聴きながら、俺はハルヒや長門と少し離れた場所に古泉と並んで腰を下ろした。朝比奈さんの持つさまざまな属性の ひとつに、ドジっ娘があることは、俺も認めざるを得ない。それは、ハルヒが望んだものであることも、おそらくは確かなんだろう。
「それはそうかも知れないが、さっきのはやりすぎだぜ」
「ええ、そうですね。でも、それも涼宮さんらしいじゃないですか」
「なんでもかんでも、『涼宮さんらしい』で片付けるんじゃない」
「あははは、すみません」

そうこうしているうちに素足になった朝比奈さんが脱衣所から戻って来た。さっきのタイツ姿と比べると白い生足が寒そうに見える。
「ほらほら、みくるちゃん、こっちこっち、早く来て温まりなさい。見ているだけで寒そうだわ、その足」
ハルヒも俺と同じ感想を持ったらしく、手招きして朝比奈さんを迎え入れた。
朝比奈さんは、「すみません」とひとこと言うと、ハルヒの隣にゆっくりを腰を下ろし、
「ふわぁー、やっぱり気持ちいいですぅ」
そろえた膝の上に両手を乗せて、少し遠くの空を見上げながら、朝比奈さんは、ふぅーっと大きく息を吐いた。
「でしょ? 足湯はね、冷え性にもいいのよ。みくるちゃんはどう?」
「えっ、ひえしょう!? 何ですかそれ?」
「ん?」
パタパタさせていた足をふと止めるハルヒ。
「冷え性。冷えやすい体質。血液の循環のよくない身体。特に足・腰などの冷える女性の体質」
突然長門の声が聞こえてきた。こいつは電子辞書か? いや、まぁ、確かにそうかもしれないが。
再び読書に戻った有機アンドロイドによる定義を聞いた朝比奈さんは少し慌てた様に二・三回うなずいて、
「あ、その冷え性ですか、そうですね、たぶんそうです」
「じゃあ、ゆっくりと温まりましょ」
「はい」
朝比奈さん、そんなに冷え性でお困りなら俺が温めてあげますよ。いや、それより、未来には冷え性って言葉はないんでしょうか、
なんてことを思い浮かべながら朝比奈さんたちの会話を聞いていたが、すぐにハルヒに突っ込まれてしまった。
「ちょっとキョン、また顔がエロくなってるわよ」
「くっ、ほっとけ」


しばらくの間足湯を堪能させてもらったが、ハルヒは、
「うーん、やっぱりここまできたら露天風呂にも入りたいわね」
といって、古泉を連れてロケハンに行ってしまった。
このロケハン、最初は俺が指名されたのだが、俺がごねていると古泉が、
「僕の知り合いが経営している旅館が少し向こうにありますので、そこをあたってみましょうか」
と申し出てくれたので、俺はハルヒのお供を免除された。それにしても、どこへ行っても機関の関係する施設があるんだな。おかげで俺は、朝比奈さんと長門とともに、今しばらくの間、足湯でほっこりさせてもらうことができたわけだ。ありがとう、機関よ。

「足だけなんですけど、全身がぽかぽかする感じがしますね」
ハルヒの抜けたあとに席を移して、俺は隣に座っている素足のマイエンジェルに話しかけた。
「え、ええ、そうですね」
にっこり微笑む朝比奈さんは相変わらず天使そのものだ。だが、その笑みに中にほんの少しの曇りがあるのがわかった。おや、どうしたのだろう。
ふぅ、と肩で大きく息をした朝比奈さんは、お湯の中の足先を見つめるようにゆっくりと話し出した。
「今日は、ちょっと息抜きができてよかったんですけど、明日からまた受験勉強を……」
そうだ、そうなんだ、朝比奈さんは三年生、受験生だったんだ。すっかり忘れていた、というか、毎日のように放課後の部室でメイド姿でいらっしゃるものだから、俺は朝比奈さんが受験生であることをまったく意識することもなかった。
「だ、大丈夫なんですか、あ、いや、すみません」
何か、少し失礼なことを言ってしまったような気がして、俺はすぐに取りつくろうとした。
「いいんです、本当にあんまり大丈夫じゃないから……」
ますます力なく微笑む朝比奈さん。
「上のほうからの指令で、受験する大学を二つ三つほど指定されているんですけど、どこも、あの、ちょっとレベルが、少し足りないようで……もっと勉強しないといけないんですけど」
「は、はぁ」
そんなことまで指定されているのか。朝比奈さんも大変だ。

たぶん、上のほう、というのは朝比奈さん(大)のことだろう。朝比奈さん(大)も自分自身のことなんだから、この先どうなるかはわかっているはず……、いや、ということは、指定された受験校のどこかに滑り込むことは既定事項なのかもしれない。
「でも、朝比奈さん、その指令に従うと、指定された大学に合格するってことではないんですか。大学合格は既定事項とか」
「それが、一概には言えないそうなんです。わたしの出来次第で合否はどうにでも変化するそうです。だから、未来の流れを守るためには、とにかく努力して合格しないといけないのです」
「そ、そんな……」
「時間の流れはさまざまな要素が絡み合って、決して一本道ではないんです。だからこそ、わたしがこの時間に派遣されているわけで……」
「そうなのか、長門?」
俺は不安で一杯の未来人さん越しに、万能宇宙人に尋ねてみた。
文庫本から顔を上げた長門は、背筋をピシッと延ばしまっすぐ前を見つめたまま、淡々と答えた。
「時間流の制御は非常に難しいもの。ある一時点でのわずかな揺らぎが後に大きな影響の遠因となることも考えられる」

バタフライ効果か。
確かにどこか地の果ての蝶の羽ばたきひとつと比べると、朝比奈さんの受験結果がハルヒを含む時間の流れに対して与える影響は大きくなりそうだ。そのためには、こんなところでぬくぬくしている暇はないのかも知れない。

それにしても未来人組織も酷な事をする。
その気になれば、問題と解答が印刷された冊子を、未来の朝比奈さん(大)が届けてくれることも可能だろうに、あえて試練を目の前にいるいたいけな一連絡員に与えるとは。

「でも、わたしがんばります。だからきっと、どこか合格できますよね」
「朝比奈さんなら大丈夫ですよ」
「ありがとう、キョンくん」
けなげに微笑む朝比奈さんに俺はそう言って励ますしかなかった。
「今日はこうやってリフレッシュもできましたから……」
朝比奈さんは少し後ろに手をついて体をそらすと、目を細めて遠くの空を見上げた。

そうですよ、努力家の朝比奈さんならきっと合格できます。ハルヒや俺達の未来を間違いのないように導いてくれるはずです。

「ちょっと、何をいつまでまったりしてるのよ、露天風呂、行くわよー」
その時、遠くからハルヒの声が響いてきた。どうやら機関直営高級旅館の露天風呂に案内してもらえることを確約してきたらしい。
ということで、朝比奈さんの息抜きは、少なくとも今日一日は続くことが確定した。

とにかくがんばってください、朝比奈さん。


Fin.

 


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