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12月18日。日本、神戸市。

「やあ『キョン』」

 


佐々木がどっきりに成功した仕掛け人のようなスマイルで
「また、会ったね。非常に喜ばしいことだよ。キミにとってはそうではないかもしれないが、あいにく僕はこの状況に少しばかり楽しみを見いだしている」

俺は朽ち木のように立ちつくす。佐々木は一人ではなかった。両脇にあわせて二人の少女を随伴している。

「さあ、喫茶店に行こう。藤原氏が喫茶店で待っている…こんな雨の中を待ちぼうけで待ってられるか、ましてや男をや―――と言ってね。雨宿りを兼ねて先に席を確保してもらっている」
…藤原か…初めて会うようだが、そんな事を言い出すということはおそらく男だろう。

「どんなひと…?」
長門がほん少しだけ期待するような声で言った。微笑えんで佐々木が

「あなたと彼とは親睦を深められると思うわ。そう、無関心よりは上等な間柄ぐらいにはね」
長門が無表情に戻る。どうやら、かなりむかつく奴らしい。佐々木は低く笑い続けつつ

「むかつく奴と言えば、この場所にいる男もそのうちに入るのだが…そうそう、彼に本当に悪意はない。少し…」
長門が無表情のままこちらを見る。その視線に込められた意味を理解しようと努力してみたが、何故か頭が拒否してしまう。

 


「みなさん」


バイオリンをもった金髪のツインテールがひょっこり俺と佐々木の中に飛び込んできた。傘が当たらないよう目一杯手を上に上げて、 
「四方山話は二人の時にでもしてください。今日あなた達を呼んだのはね」 

えへんと咳払いして、見た目美人のツインテールは俺と佐々木に計二回のウインクを飛ばし
「積もる話があるからです。とっても重要なのよ、これって。佐々木さんも、ちゃんと話したはずです」 
「ごめん」と佐々木はツインテールにほほえみかける。
「忘れていた訳じゃない。そのふりをしていただけ。正直言って、あまり気の進むはなしではないの、橘さん」

向こうに座っているフルートは1/1フィギュアのように静かに黙って立っている。雨と一体化し、死にそうだ。 はたして、橘が、
「早く行きましょうよ。チェロ弾きの藤原さんが店に居づらくなってる予感がします。そろそろそんな時間。さあ、九曜さん」
九曜はうなずきもせずに動きだし、米俵を背負って雪道を進む傘地蔵よりも少しだけ素早い歩調でついてくる。



 曲目:ハルヒの想い アニメ『涼宮ハルヒの憂鬱/サムデイ・イン・ザ・レイン』中曲

喫茶店。ピアノを弾く誰か。静かな曲調。
ふてくされたような表情でカップを傾ける男が見える、そいつは顔を上げて俺たちを認めると、面白くもなさそうに唇をゆがめた。

 孤独を示すような、静かな単音。フォルテの旋律が一つ。ゆっくりと、強く、強く叩かれる。

ウェイトレスがお冷やを配り終えてからも、俺を含めて六つの口はひらこうとしない。

 ゆっくりと重なるもう一つの音。引っ張られるような、しかし調和している簡易な副旋律。

重々しさの中、佐々木が口を開く。
「『キョン』、そう恐い顔をせずにさ、聞くだけ聞いてくれないか。僕はキミの判断を仰ぎたい、僕はそれほど直感と解析力に優れていないので、もっぱら判例や経験則を重んじる人間なんだ、だから」
長門のほうを見やる。
「大切な友人である、あなたに判断を仰ぎたいの」
気になる言葉があったが、俺は無視を決め込む。

 二つの音が、ゆっくりと調和し展開していく。

「手短に願おう」
「ええ」と橘。「ここからが本題です」と佐々木。

こほん、とわざとらしい咳払いを落とし、クラリネットのケースを長門に向けると、一言。
「引退します」

 

いきなり爆弾を落とした。押しつけられたクラリネットのケースは、長門の手の中で固まっている。
「何だって?」
「いや、言葉通りの意味だよ。日本語、間違ってなかった?」
引退。それこそが、押しつけられたクラリネットの意味するもの。このクラリネットを返すか、受け取るかの二択。

「そう、僕は引退するんだ。この不自然な神様を辞めるんだ」
佐々木はひたすら晴れやかに、安堵の息をついた。

「やっと言えた。ずっと伝えたかったんだ。なかなか機会がなくて、長い間悶々(もんもん)としてたわ」
橘が言葉を引き継ぐ。
「キョンくんさえいればね、良かったんですけど。いっそこの春に転入させようかって、
オケ・ナチョナル・ド・ジロンド(ジロンド県国立オーケストラ)の人達始め計画していて、移籍してコンマス(コンサートマスター)になったばかりのあたしもそう考えたのだけど、でも」
くすり、と笑う佐々木の満足げな顔は、普通の女子高生のものだった。

 ピアノが歌う。沢山の音を引き連れて、でも旋律は切なげで。

「アイデンティティの崩壊を食い止めるには、こうするしかないの。長門さんにはあなたや涼宮さんがいますけど、佐々木さんには誰もいないので違う人達が必要だったの。やっと、そろったのです」
闇雲(やみくも)に信じられるものではない。それでは、心と身体をこわしてまで佐々木がやってきたことは何だったんだって話になる。

「佐々木」と、俺。「お前、本心なのか」
メニューの裏表を繰り返し眺めていた佐々木は、くいと頭を上げ、
「うん、そうなんだ。僕は自分自身にあまり興味がないし、もともとたいていの欲望が希薄なタチだし、御輿にのったり担ぎ上げられたりなんてごめんこうむりたい。
騎馬戦だって後ろの下の方の役が好ましい。僕がもっとも嫌っているのは顕示するだけの指揮棒と、精神を病んでしまった自分の心だ」
佐々木はウェイトレスの目を引くように手をひらりと振って、

「キミはどう思う、長門さんも」
悪戯(いたずら)っぽい微笑みは、中学の教室で浮かべていたものと同じだった。俺は固まるしかない。

 

「あなたが音楽をやめるなら…」
長門が震える声で言う。戸惑いと、少しの怒りを込めた声が佐々木の方角へ向かう。
「…わたしも音楽をやめる」

言い終わると、俺にすがりつく。制服から伝わる温かみが今は辛い。管弦楽部の誇るエースの震える肩を支えつつ、俺は考える。頭が痛くなってきた。
佐々木が真剣かつ真摯に言っているのは分かる。言わんとしていることも、ああ、解りすぎるほど解るさちくしょうめ。
だが、それでも。何故だ。何故ゆえに音楽を辞めなきゃならん。バッハやベートーベンと共に、『ササキ』の絵が音楽室に飾られる日は遠からず来るのだ。
その友人でいられることの、どれだけ誇らしいことか。そう、俺自身の希望、俺自身のためにも、引退なんて。

 再び主旋律と副旋律へ。二つの音は近づいていき、調和する。訪れる、一瞬の幸せな瞬間。
 この時間が、ずっとずっと、続いて欲しい。ずっと。

「長門さん、あなたが特に思い悩む必要はないわ。あなたはそのままで、何も意識せず暮らしていたらいいだけ。あたしには解るわ。あなたこそが世界に上りつめる。それができる人だって、私は知っているの」
必死さを感じさせる説得の視線は俺にも向く。
「キミは…どうか解ってくれないか。最初からうまくいかないことは明らかだった。試してみただけだ。成功するつもりもなかった。ただ、それでも無駄じゃなかったと思う。『あなた』に会えたから」

嫌だ。そんなの、嫌だ。
引退なんて、俺は認めない。佐々木の将来のためにも、長門の心の支えのためにも。

 

「ちょっと待て」
俺がハッキリその旨を伝えようと、前段階として大きく息を吸ったとき、


「お待たせしました」


出鼻をくじくタイミングで、ウェイトレスがトレイに五つのカップを載せてテーブルに近づいてきた。
気詰まりな沈黙が覆いかぶさる中、カップとソーサーが立てる立てる陶器の触れ合う音が明瞭に聞こえる。
一つは佐々木の前に、次に俺、長門、橘の順にホットコーヒーが置かれ、最後に九曜が…

驚きの展開が目の前で起こっていた。それまでピクリともしなかった九曜が、ウェイトレスの手首を片手でつかんでいる。
いつ腕を動かしたのか、全く目に留まらなかった。しかし、九曜はしっかりと女性店員の腕、それもテーブルにカップを置こうとして受け皿を持った手を握り締めている。

やんわりと微笑むウェイトレスは、気を悪くした風でも戸惑ってもなかった。他人からすれば何のことはない笑みだろう。
しかし俺の背筋にツララのような悪寒が滑り落ちたのは別の理由がある。その人の顔を、俺は良く知っていたのだ。

「涼宮…せんぱい…」
我ながらうめくような声だ。
「……何やってるんですか、こんなところで」
「こんにちわ」

前掛けエプロンをその身におびた涼宮ハルヒは、まるで高校の上級生が偶然顔見知りの下級生に出くわしたような――要するに今の状況そのもの――何気ない表情で会釈した。
九曜はその黒い瞳を涼宮ハルヒに向ける。
「あなたは………間違えない―――あなたが……………それ」

先ほどまで物言わぬ物体となっていた九曜が、涼宮ハルヒにクラリネットを突きつけた。
「―――持つ………べき」

涼宮ハルヒはすこし驚いた表情をし、佐々木を見て、橘を、俺と俺にすがる長門を見、最後に九曜を見ると…
意味を悟ったように微笑んだ。

「ありがとうございます」
コーヒーカップを支えたまま、涼宮ハルヒは丁寧なお辞儀を見せると、改め九曜の目の前に皿を置いた。

「何してるんですか、涼宮…せんぱい?」
「アルバイトです」
見れば分かる。店員でもない者がエプロンつけてコーヒー運んでくるわけがないからな。
なぜアルバイトなんぞいきなり始めているのかを、ビートルズの曲の解析不可能らしいコードの正体以上に今聞きたい。
しかして涼宮ハルヒは、何食わぬ顔で伝票をそっとテーブルに置きながら俺に囁(ささや)いた。

 


「あたしを信じて、『ジョン・スミス』」


応対がかみ合わないまま、涼宮ハルヒはトレイを下げて引っ込んだ。黒い棺桶のような、佐々木のクラリネットのケースと共に。

「誰だったんですか?」
橘の問いには、
「学校の、先輩」
そう答えるしかない。

 


 「またな、佐々木」
「うん」
佐々木はしんみりと二人を見上げる。

「『発表会』にはサックスで出ることになると思う。迷惑なのは承知してるよ。でも『キョン』、涼宮さんがどう判断するにしろ、僕としては全力で取り組ませてもらうよ」

藤原は最初のふてぶてしい面構えに戻って俺たちの会話を聞いていたが、最後は何も言わず、いたずらに俺の気を損ねはしなかった。
俺をびっくりさせた突然の涼宮ハルヒの出現は、どうやら佐々木から話を聞いた九曜が呼んだらしい。

「で、そこにあったピアノがいいピアノだったから即興で曲をひいてたのよ。使わせてもらったお礼がてら、なんか手伝おうと思ってウェイトレスやったらあなたたちが座ってた、って訳」
お前でよかったよ。涼宮ハルヒ。確かにお前なら間違えはなさそうだ。

こうして俺は喫茶店を出たため、残った奴らが何を話したかは知らない。知りたいとも思わなかった。このときには。

 


12月20日 日本・西宮市


シラソ#ラドー(トルコ行進曲の出だし)



ハルヒの教え方は信じられないほどにすばらしかった。事実、俺は1回目と2回目でバイエルを卒業してしまっている。
『本物』のピアニストでも、ど素人をたかだか十日でつっかえつつでもトルコ行進曲が弾けるレベルに指導することは難しいだろう。

 


「黄緑の犬が空とんでる…キョン今日は犬食いよ」

 


まあ、たまにこんな意味不明なちゃちゃがはいるんだが、それは抜いておく。多分このボケが素なんだろう。俺としてはもう少し元気でクールな文武両道少女のイメージを残しておきたかったが…


パシパシっ


満足げに楽譜を指揮棒(特大)で叩くハルヒ。

昨日はこの楽譜みたく、指揮棒で頭を殴られたわけだが…小型の鞭(ムチ)みたいなモノで、結構痛いんだこれが。ただ痛いだけじゃなく、線形脱毛症になる可能性だってあるわけで。
昨日は初心者としては良くできたと思ったのだが…どちらにしろ、今日は殴られないことを願うばかりだ。
「殴ってないわよ!撫(な)でてあげてるの。良くできたって、うれしくてやってるのっ!」

…色々とつっこみたい。まず最初に、撫でるのに何で指揮棒で、なんでしょうか。
「は、恥ずかしいからに決まってるじゃない!」

なら最初からするな!照れ隠しにたたくな!すねるな!開き直って頭なでるな!
「うわぁ、最近のすぐキレる若者怖ぁ」

ええー!?ええと…ね、俺からしたらお前のほうがよっぽどこわいぞ、なあ、ハルヒちゃん…?
「あ、あれは噂のマジでキレる五秒前、MK5…」

そんなことをつぶやくや否や、グランドピアノの下に隠れる。ピアニストなのかサディストなのか、電波なのか怖がりなのか分かりやしない。
…まあ、こんな時間も楽しい、と思う。

「奇襲かっ!?」
結論はもう出ていたじゃないか。それは音楽みたいなものなのだ。
良いとか悪いとか、好きとか嫌いとかが問題じゃないんだ。やってて楽しいか楽しくないかが問題なんだ。

「耳にトランペットが!」
俺はハルヒと一緒にいることが、楽しい。単にそれだけだ。

「はっはっは、マウントを取られたら動けないでしょ、こしょこしょこしょ」
ハルヒのこういうところが好きだ嫌いだ、良いんだ悪いんだなんて考えるほうがばかげている。

「ぎゃはははは、おまっ…ちょ…くすぐりはひきょっ」
逆また然り。この可愛らしい上級生は、こんなにも楽しそうじゃないか。
女の子に馬乗りにされてくすぐられている、情けない状況だってどちらでもいい。

「ここか~ここがええのんか~」
…実はこんなどうでもいい会話をしている場合では無かったのである。後々まで俺はとことん悔やむことになる。
ちゃんとピアノの練習をしていれば…

 


 

「ういーっす」
ガサツに戸を開けて誰かが入ってくる。

「WAWAWA忘れ~もの」
自作の歌を歌いながらやってきたそいつは、よりにもよって谷口だった。音楽室にバチでも忘れてきたのか、まあそれはどうでもいい。
俺たちがいるのに気づいてぎくりと立ち止まり、しかる後に口をアホみたいにパカンと開けた。

次の瞬間、谷口は俺を指さしたかと思うと、聞いたことのない冷たい声で、

「まさかこんな所で、ってえぇぇ、ごゆっくり…ぃぃぃ!」

ザリガニのように後ろへさがり、戸も閉めないで走り去った。顔を見合わせる、俺とハルヒ。
ええと、この体勢は…

「ぎゃぁ~」

校内に、二人分の叫び声がfff(フォルテッシシモ)で響く。


C minor


遠くで何か声が聞こえる。
この声は、とくに考えなくても、彼と涼宮ハルヒだろう。

寒々しい部室。机の上にちりばめられた楽譜。
わたしには考えなければならないことがあった。

人が恐くて、フルートの練習をしてた。もう舞台には立てない、と思ってた。
わたしの唯一の武器、フルートを見る。荒れ果てた手を眺める。

ここに来てまだ、わたしは迷っているのだ。前に進むときに感じる大きな恐怖。
一人で、こんなにも繊細で情緒不安定な心で、小さな楽器だけを武器に、世界に立ち向かわなければならない。
その最初の跳躍が『発表会』。

そう、『発表会』。
喫茶店での引退宣言をするために、佐々木さんは彼らを連れてきたのではない。

指揮者、新川さん。
 コンサートのリーダーであり、彼によって音が作られる。

第一バイオリン、橘さん。
 管弦楽構成時のコンサートマスターとして、指揮者と独立し、必要に応じて指示を出す。

第一クラリネット、佐々木さん。
 吹奏楽構成では彼女がコンサートマスターとなり、立場としては橘さんと変わらない。

トゥッティ(一般楽団員)とは違う人選で選ばれる、実力のある上層部がここにほぼ全員集まっている。 そして、その彼らが、『発表会』に参加する。

『発表会』こそ、わたしがフランス国立オケに選抜されるための試験なのだ。
涼宮ハルヒは最初からそのつもりで復活コンサートではなく『復活リサイタル』と言った。

「恐い」

まだ怖がっている。
いつだってわたしは震えてばかりだ。

 


 

 D minor

 


「おい古泉よぉ」
部室に入る谷口くん。

「聞いてくれよぉ、キョンの奴が音楽室でピー…」
彼も『発表会』に出演する。古泉一樹は今とても忙しい。ゲ ストの技能は採点対象外だけど、あなたも。

「…で、俺が見ちまった後、叫んで○キあがった。あの野郎、制服プ○イで激しくあえぎまくってたぜ。学校で何やってる んだか、ってかリア充○ね!」
あの…何の話…?

 


D major

寒々しい風。暖かな太陽の光。
光を受け輝くフルート、机の上に散らばる楽譜。

 


「何言ってやがる、安心しろ。誰だって恐いものなんだぜ」
谷口くんは口を開いた。意地の悪そうな笑顔。

「どんなにわかってるつもりでも、恐いモノは恐い。別に音楽に限った事じゃないぜ。例えば」
彼は指を天井に向け、

「初めてのナンパ、初めての高校生、初めての合コンとかな 。無論、失敗することだってあるさ、でも」
次にその指をわたしに向けた。…あんまり決まってない。

 

…でも、もし、失敗したら。成功できなかったら。

きっと、今を後悔するのではないか。

 

それを聞いて、彼は笑う。

「俺、一回音楽をやめてんだ」
ドラムのスティックをバトンのように回しながら、彼は遠くの景色を見る。

「俺はな、中学時代、女が多いって理由で吹奏楽部に入ったんだ。
パーカス(打楽器)を選んだのは、叩くだけでものすごく楽そうに見えたからだ。おいそこ、笑っていいぞ。

だが、吹奏楽部で俺は浮きまくった。ほらよ、どうしてこう 、俺は普通に可愛げのある女と無縁なんだろうな。ほんと、嫌みな奴ばっかりだった。 誰も俺のドラムに合わせようとしない。悪いことは全部パー カスのせいにされた。 俺は練習しまくった。人が恐かったからだ。だが、変態のレッテルが貼られた俺を誰も彼も認めねぇ」

孤独なドラム。リズムキープを一人で、淡々と。決して認め
られることのない、音。

 

「練習しまくった挙げ句、俺は吹奏楽部を辞めたよ。もう、パーカスなんかやってやるかと決意してな」
スティックを投げる。それは双曲線を描いて、床に転がった 。

「……だが、俺は音楽をやりたかった。ドラムを叩きたかった。叩かなきゃ、生きていけなかった」
谷口くんはスティックを拾う。そしてその棒を机に置く。

「俺は言い尽くせないほど苦しかった。失敗しても、俺には音楽が残っちまった。音楽を放棄したことを後悔した。 それで、いつの間にか俺は街でダチの国木田と、たまたま通りすがった会った鶴屋って人とブルースをセッションするようになっていた」
暗がりでよく見えなかったが、わたしを誘う指は彼、わたしに合わせたスティックさばきも彼。

「俺は、だから後悔してない。例えナンパのためだろうと、音楽を始めたことは正しかったんだ。 俺は例え女がいなくても、ドラムを叩いて、ただの言葉じゃ
伝えられない興奮を叫べるんだぜ。
男の中の男である、俺のためにリベンジという言葉がある。 これは規定事項だ」 
彼はスティックをわたしに突きつける。
「やっと人のための音楽ができんだ。俺はお前に笑って一歩を進んで欲しい」
彼は時計を見る。そろそろ練習に戻らなければならない。
彼はわたしに電話番号とメールアドレスを書いた紙を押しつける。

「応援してるからな。俺のAランク、長門有希」
そして走って、ドアを押す…部屋から見て、引き戸、なのだが。

激突。

「あべし~っ」
絶叫が響く。

「おもしろい人」
本当に、面白い人。 

 E major



「ひゃっほー、有希ぃ~」
「…」

部室に入ったとたん、いつも通り、からみついてくる。

普段なら何も言わずされるがままとなるが、今回はちょっと聞きたいことがある。

「涼宮ハルヒ」
「なになに有希」
「初めてって、恐い?」


E minor

 


屋上。考え込むバイオリン弾きに、俺は再び声をかける。
「佐々木は辞めるべきか、それとも辞めざるべきか。どっちが正解だと思う?」
「あるいは、佐々木さんが本当に神様みたいな力を持っているのであれば、その彼らは第三の答えを用意しているのかも知 れません」
あれだけの人物をいきなり辞めさせるなんて普通ありえないからな。しかしまあ、あれだけ長門との共演を望んでいて、『今辞める』と言い出すなんてよっぽど切迫した事情でもあるんだろう。
ハルヒはどんな答えを出すのだろうか…

ところで今回の『発表会』には長門の要請で朝比奈さんとお前も出演するんだよな。
…朝比奈さんは分かる。師匠と呼んでたぐらいだしな。ただ、自分で言うのも何だが、長門が俺やハルヒ以上に古泉に執着を持っていたとは思えない。これも長門の実力眼なのだろうか。
ちなみに俺とハルヒは演奏者として呼ばれてないが、だからと言って長門の『発表会』に自分で出演志願をするほど、俺は自意識過剰ではなかった。


「谷口さんや国木田さんを『発表会』に呼び込んだあなたもあなたですが…まあ、おそらく選ばれて光栄、と言うべきですね」
古泉はくっくとわらって

 


「なぜなら僕は……そうですね。僕は長門さんが好きなんですよ」

「え?」
冗談だろう?

「いてくれるだけで安心できる、魅力的な人だと思いますが」
本気で驚いた。寝ているハルヒのポニーテールを引っぱろうとか変な事言うあたり、てっきりハルヒではないかと思ってたが。
「あなたもノリノリだったじゃないですか」と古泉は笑って
「涼宮さんは三年前に会ったときからあなたの人ですよ。あなたは彼女にとって、長門さん以上に希望をもたらしてくれる存在ですから」
古泉はまじめな口調に戻り、
「でもね、長門さんは僕の音にしか興味がないのです。バイオリンができるという、ただそれだけの理由で会話ができるだけなんです」
…確かに。だが、そもそもあいつはそんなに多弁な方じゃない。アタックすればまだまだチャンスはあるだろう。
「涼宮さんから聞きました。もしも彼女が、オケ・ナチョナル・ド・ジドンドの一員になってしまえば、彼女はフランスへ旅立ちます」

古泉の悲しそうな顔。
「初恋はいつも叶わないものです。僕は思いを伝えられずに彼女に別れを言うことになるでしょう。彼女がフランスへ旅立つとした仮定ですけどね」

ハルヒが部活連の窓から顔を出して実に黒い笑顔で怒鳴った。
「キョン、ちょっと谷口呼んで来なさい!」

そして俺は外界から、学校の内部へと第一歩を踏み出す。



12月20日 日本、西宮市

暇なので、棚にあった『明日へ向かう方程式・5』というノートを開く。

 

ハルヒのノートに書いてあった積分計算はとんでもなく難しかった。
解こうと努力しても、頭の回路が壊れる音がするだけだ。俺はでたらめな数式をノートに書いていく。

そんなことをしている内に激しい眠気を感じた。まぶたに鉛がくくりつけられる。俺は目を閉じる。
…そして、このことでまた、俺は後々後悔する事になる。

関係ないが、ここで余談だ。大きな笑い声ってカ行で表されることが多くないだろうか。例えば


「カッカッカ」
「吃吃(きつきつ)」
「くっくっ」
「ケケケケケ」


え、怪物系の笑い声ばかりだって?いや違う、全部どっかのリスの鳴き声だ。
…ああ、話がそれたな。こんなことはどうだっていいんだ。少し現実から逃げたくなっただけだ。問題は俺がでたらめに書いた数式が…

 

 

バシッ!

 

 

頭部に鋭い痛みを感じて起き上がる。あっ、ハルヒのやつ、また指揮棒使いあがった。
「ってえな」
目を開けると、目の前にハルヒの字でいろいろ付加された俺の落書きが突きつけられる。
「キョン、これあなた書いたの?」
…ああ、ノート汚してすまん。悪かったなでたらめで。
「…いまちょっと確かめ算したんだけど…これよ!」
これって何が?
「これなのよ!」
へえ?
「これこそ『明日へ向かう方程式』の全貌とその完全解法よ!よくやったわ!そうね、とっとと学会に提出しなきゃ!」
俺が突っ込む暇もなく、ハルヒは「日本物理学会宛」とかかれた封筒に落書きを突っ込み、風のように部室から消えた。

………

「明日へ向かう方程式」という恥ずかしいタイトルの論文が俺の名前で発表されるのは、この出来事の大体一ヶ月を過ぎた後くらいである。


 

12月22日 日本、西宮市

 


誰もいない楽器準備室。

静かだと思って、窓を見る。

「雪」

無音は、ある意味ではすばらしい音楽。
その音楽に包まれて、わたしはゆっくり眠りにつく。

………

………

……

わたしが、わたしには理解できない思考をしていた。
それでも、はっきりと分かったのは、わたしには誇りがあるということ。

わたしはここにいられて良かった。こんなわたしだからでこそ、仲間と認めてくれる。
自分がなにものであろうと、こんなにも大切な友人が一緒だ。

その意識と呼ぶべきものが、焦点を作った。

「わたしはここにいる」

事実を述べた後で、わたしはわたしの決意と呼ぶべきものを口にする。

「ほかの誰の好きにもさせない」

彼を見る。わたしはここにいる。これからもずっと、わたしの居場所にいる。
だから、わたしは世界と立ち向かおう。

言い終わると再び、理解できない思考の渦がわたしを包む…

……

……

………

曲目:いつもの風景 アニメ『涼宮ハルヒの憂鬱』中BGM

耳に涼しい音が届いている。
闇の中、浮上しつつある意識の端で、わたしはぼんやり考えていた。

音楽は素晴らしい。

確かに、音楽は人を苦しめ、悲しめ、貶める。
でも、音楽は伝えることができる。

伝えることで、音楽は人間を自由にする。

ハルヒの答え

 


キョンがトランペットを構える。それに合わせて、あたしもチェンバロ音のキーボードを叩く。
ドラムがおそるおそるあたしについてくる。練習中の遊びのセッション。

あたしは伝えたい。
この瞬間を。ときめいている、この瞬間を。

『あんたって、本当に不自由ね。なら、あたしが自由にしてあげる』
あたしは、いつだって、自由。

あの時の戸惑いも、困惑も、怒りも全部まるめて。
キーボードをたたく。


キョンの答え


俺は伝えたい。

『音楽に自由はない。音楽は決して人を救わない』

…何も伝えようとしないから、そう見える。聞こうとしないから、そう思ってしまうんだ。
問題はそこじゃあない。断じてない。

俺の心の揺れを、伝えたい。
それだけだ。

国木田がベースを弾く。
古泉と息を合わせ、入る。


音楽は伝えることができる。

心の怒りを、悲しみを。
そして、喜びを、美しさを。

だから、伝えよう。
それが、僕たちの、答えだ。


第十二章〆


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