姉妹編『長門の湯鶴屋の湯』もあります。

 

 

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『一樹の湯』


『おはようございます、今お目覚めですか』
ん、いや、昼前には起きてたよ。
『それは失礼いたしました。それで昨夜はよく眠れましたか?』
ふん。余計なお世話だ
『どうも、重ね重ねすみません』

日曜日の昼過ぎ、一時間ほど前にベッドを抜け出した俺が、ちょうど昼飯を食い終わった時に、古泉から携帯に電話が入った。
なぜ昼前まで寝ていたかというと、夕べの寝つきが悪くて結局空が白み始める頃になってやっと眠りに落ちることができたわけで、なぜそこまで寝つきが悪かったかというと、昨日の不思議探索のおかげだ。
『いやぁ、僕も昨夜は疲れましたよ……』
閉鎖空間か……。
『えぇ、長らく閉鎖空間も発生していなかった上に、かなり手ごわい閉鎖空間でしたので……』
電話の向こう側の古泉が、大きく溜息ついている様子が伝わってくる。

そう、そのすべての原因はハルヒにある。

昨日は、久々の不思議探索だった。
そのためなのかハルヒは朝の集合時間からやたらとテンションが高かった。しかも、午前も午後も運悪く俺はそんなハルヒと二人だけの組み分けになってしまった。
なんだかさらにテンションうなぎ上りのハルヒは、探索もせずに俺を引き連れてショッピングセンターの中をうろついて、服や小物を見て回ったりするだけだった。
言行不一致とはまさにこのこと言うのだな、
と、俺も仕方なく付き合っていたわけだが、止まらぬハルヒの暴走に、俺の堪忍袋の尾が切れたのは午後の探索も終盤に差し掛かった頃だった。われながらよくその時点まで我慢できたものだと感心していたわけだが、
『いい加減しろ! これのどこが探索だ!』
『なによ、馬鹿キョン!!』
とのやり取りとともに、富士山の山頂まで高揚しつくしたテンションが一気にマリアナ海溝の奥底まで滑り落ちたハルヒは、そのまま集合場所に戻ることなく帰ってしまった。
その後、一人で集合場所に戻ってみると、すでに古泉はバイトに招集されていなかった。すこしばかりうろたえる朝比奈さんを慰めることもできず、長門の絶 対零度の視線が、身も心も冷え切った俺の体を貫いて、結局、俺もマリアナ海溝の底に叩き落される思いを味わってしまった。当然、その夜は安眠できるはずも なかった。

そんな昨日の出来事を思い浮かべながら、俺は電話の向こうの古泉に言ってやった。

 文句があるならハルヒに言ってくれ。
『悪いのは涼宮さんだけではないと思いますが。なんと言いますか、相変わらず女心の機微にもう少し気を回していただけばと、常日頃より……』
なにをわけの分からんことをごちゃごちゃ言ってんだ?
と、古泉の戯言を遮った俺はたたみ掛けた。
それで、何の用があって電話してきたんだ、要件を言え、要件を!
『あははは、そうですね』
古泉が肩をすくめている様子が目に浮かぶ。
『実は、ちょっと付き合って欲しいところがあります』

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「それでどこに連れて行かれるんだ?」
電話のあと、すぐに家の玄関先に到着したタクシーの後部座席に乗り込んだ俺は、皮のシートにのけぞるように浅く座り、窓の外を流れていく景色を眺めながら隣で微笑んでいるはずの古泉に問いかけた。
「すぐに着きますよ」
「ふん」
ゆっくりと視線を正面に向けると、運転席の新川さんのロマンスグレーな後頭部が目に入る。
新川さんの運転は非常に安定していて安心して乗っていられるわけだが、もちろん、これで何か起こったときには、究極のドライビングテクニックを発揮してくれることはもはや指摘するまでもないわけだ。

古泉の言葉どおり、その後すぐに俺たち二人を乗せた新川タクシーは、少し山手の高台に新しくできた、いわゆるスーパー銭湯の玄関前に滑り込んでいった。
『いつきの湯』
白木の板に筆文字でかかれた看板にはそう書かれていた。
「おい古泉、ここって……」
「いやぁ、別に僕専用というわけではないですよ。このあたりは古くは『五つ木』(いつき)と呼ばれた土地らしいので、それでこの名がつけられたと聞いています」
少しばかり照れくさそうに言い訳をする古泉の後では、新川タクシーが走り去るところだった。たぶん、俺たちが帰る頃にはちゃんとこの場所に迎えに来てくれるはずだな。
「名前はともかく、結局は機関の息のかかった施設なわけだろ、どうせ」
「はい、鋭いご指摘です。おっしゃるとおり、ここの設立には機関が関わっていることは確かです。もっとも現状の運営なり、従業員の方々がすべて機関の関係者というわけでもありませんけどね」
相変わらずいつもの微笑みを携えながら振り返った古泉は、
「さ、さ、とにかく中へどうぞ」
そういいながら俺を自動ドアの中へと招いてくれた。

玄関ホール脇に下駄箱と入湯料のチケット券売機があったり、正面のフロントカウンターなど、別にどこでも見かけるような造りである。奥のほうには、普通に銭湯を楽しみに来ているらしい家族連れやお年寄りなどの姿も見られ、別段怪しいところは何一つない。
なんだよ、普通じゃねぇか、つまらん。
機関の構成員向けの秘密の施設といったような、何か特別な場所を少しばかり期待していた俺は、わずかばかり落胆の表情を浮かべていたらしい。
「おや、もっと怪しげなところを期待されていましたか?」
下足札をニヤケ顔の横で小さく振りながら、古泉は続けた。
「ここは一般向けのごく普通の温泉施設ですよ、ただ一部を除いては、ですが」
「ん、なに?」
一瞬の虚を突かれた俺の前を通り過ぎた古泉は、カウンターの女性に小さく会釈をすると、左手奥の
『STAFF ONLY』
とかかれたドアの前に立ち止まって、いっそう怪しげな笑みを浮かべた。
「さぁ、どうぞ、こちらに」

扉の向こうは単なる物置の様相を呈していた。壁に立てかけられたモップに、円形のフチに沿って雑巾が乾されているバケツが二つほど部屋の片隅に置いてある。そしてそのバケツの向こう側には、さらに奥に通じているドアがその存在をさりげなく主張している。
古泉に誘われるままその扉を通りぬけると、そこはさっきの物置とは対照的なこざっぱりした空間で、今度はエレベータの扉が俺たちを迎え入れようとしていた。
俺に続いてエレベータに乗り込んだ古泉がドアの横手の行き先ボタンを少し長めに押すと、扉が閉まってカゴが上昇を始めた。
「こちらのボタンは生体認証機能も持っていましてね、ここから先は、機関の関係者のみが利用を許されている領域ということです」
「そこに俺を招待してくれるというのか」
「ええ。きっと気に入っていただけるもの思います」

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「うーん、いい眺めだ、なんとも気持ちがいい」
「どうですか、眼下に広がる街並みと遠くに見える海、特にこの後、夕暮れから宵の口にかけての街の眺めは最高です」
「だろうな」

専用エレベータを降りた先にあったのは、機関専用のプライベート露天風呂を完備した湯治場だった。単なるスーパー銭湯と見せかけて、最上階にこんな保養施設を秘密裏に用意していたとは、さすがは機関、というか、よくやるよ、まったく、というところか。
それにしても、だ。いったい機関とは何ものなのだろうか。ハルヒの持つわけのわからない神の力や閉鎖空間をコントロールするためだけに、どれ程の人と金を懸けているのだろう。本気で閉鎖空間による世界崩壊を防いでいるつもりなんだろうか。

ま、そんなことはどうでもいいや。

そんなわけで、俺はなぜかその眺望最高の露天風呂を古泉と二人っきりで堪能しているというわけだ。この隣にいるのがニヤケた野郎ではなく、マイエンジェル朝比奈さんであったなら、俺はもう魂でも何でも遠慮なく悪魔にささげるんだがな。

しばらくの間、眼下の町並みを眺めながら露天風呂を堪能させてもらったが、このあたりで気になっていたことを切り出さなければならないだろう。
「なぁ、古泉、なぜ俺をここに招待してくれたんだ?」
「別に、特に理由はありません。たまにはよろしいじゃありませんか、このようにゆったりとした時を過ごすのも」
軽く振り向いた古泉は、もう一度正面を見据えたまま続けた。
「一度、あなたとじっくりとお話しするものよろしいかと」
「なんのことやらさっぱりわからんな」
「昨夜の閉鎖空間は大変でした」
「だからそれはハルヒに言ってくれ」
「最近はめっきり閉鎖空間が発生することも少なくなったもので、僕たち神人と戦うものたちも、体がすっかりなまっていたようです。おかげで、今日はもうぼろぼろです」
ゆっくりと首を回し、トントンと肩を軽くたたく仕草をする古泉。
「ここは、そんな疲れた超能力者たちが一時の憩いと保養のために訪れる場所です」
「そうか、至れり尽くせりだな」
「昔はそれはそれは良く通ったものです。特にSOS団が創設されるまでは」
少し目を細め、意味ありげに感傷にふける表情を浮かべている。
そういえば脱衣場にはマッサージ椅子もいくつか置いてあったな。風呂上りには俺も使わせてもらうとしよう。

「しかし、SOS団が立ち上がり、そこでの活動が本格化するにつれて、僕たちの苦労はめっきり少なくなりました。なぜだかわかりますか?」
再び俺のほうに振り向いた古泉は、右手の人差し指を突き出して、挑むような視線を俺に向けた。
「さぁな。理由なんかどうでもいいだろう、苦労が減ったんなら悩むことはない」
「あなたのおかげですよ」
「俺?」
「そうです。涼宮さんがSOS団を創設したのも、そのSOS団の活動を嬉々として邁進していくのも、すべてあなたのおかげです」
古泉は両手で軽く髪をかき上げた。背後で、ちゃぷん、と水音がしている。
「だから、ぜひあなたと涼宮さんとはいい関係を続けていって欲しいと考えています。これは、僕たち超能力者、機関の関係者だけでなく、おそらくは長門さんや朝比奈さんの関係者も同じ思いでしょう」
「いい関係だと?」
「昨日、不思議探索の時に何がありました?」
「あったもなにも、ハルヒのやつ探索なんてそっちのけで、まるでデートまがいに俺を……」
「そこです」
俺にすべてを語らせることなく、再び古泉は俺に向かって人差し指を突きつけた。
「『まがい』ではなくて、まさしく『デート』だったのですよ、涼宮さんにとっては」
「なに?」
「あなたがその辺りの雰囲気と涼宮さんの想いを巧に感じ取ってそれなりに行動していただければ、昨日のような事態に至ることはなかったかと」
「だから、それは……」
「わかっています、わかっています、あなたのご苦労は。しかしそれは涼宮さんにとっての鍵であるあなたの宿命です」
「勝手に宿命にするな」
「涼宮さんに対するあなたのちょっとした一挙手一足動で、すべてはうまく行くことなのですから」
「なんで俺がそこまで気を使う必要があるんだよ、ハルヒの機嫌を損ねないためにか、ふん。そんなもん俺には関係のない話だ」
「もちろん、機関としても、可能な限りあなたの支援はさせていただきます。これまでも涼宮さんの機嫌を損ねないために、そして、涼宮さんを退屈させないために、いろいろとしてきましたからね」
「勝手にするがいいさ」

俺は腕組みをしながら夕焼けが広がりつつある空を見上げて昨日のことを思い起こしてみた。
確かに、俺がもう少し忍耐強ければよかったのか? いや、別に付き合っているわけでもないのに、ハルヒのわがままにとことん振り回される理由はない。それどころか、結構俺もがんばってハルヒの無理難題に付き合ってきてやったほうだと思うぜ。

古泉の言うように、何かにつけてハルヒの機嫌を損ねないように機関の連中が暗躍してきたことも事実だ。直接的にしろ、間接的にしろ、SOS団、特に俺が世話になったことはある。ただし、いつも好い方に転んだわけではないことも事実ではあるが。

じゃあ古泉自身はどうだ? 

くそっ、何で古泉と二人で露天風呂に入りながら、こんなことを考えさせられなければならない? いったい俺にどうしろと言うつもりだ?
時折流れていく涼しげな風がなければ、とっくの昔にのぼせてぶっ倒れていたことだろう。風呂上りには何か冷たい飲み物をリクエストさせてもらうか。

今までにあったあれやこれやの出来事をしばらく脳裏で反芻した後、ゆっくりと古泉の方に振り向いて、俺の中で固まりつつある一つの結論を言ってやった。
「俺は今でも機関を無制限に信用しているわけではない。ただ……」
「ただ?」
「お前のことは信用してやる、安心しろ」
「……」
「ハルヒといい関係が続くかどうかは知らん、あいつ次第だからな。ただ、お前にはなるべく迷惑がかからないようには気を遣ってやる、同級生として、団員として、親友としてな」
古泉は珍しく驚いた様子で俺の方に振り向くと、少しの間そのままの表情で固まっていたが、ふと何かに気づいたかのようにあわてて両手でお湯をすくうとバシャバシャと顔をこすり始めた。
「なんだ、急に。どうした?」
「あ、あなたこそ急にそのようなことを……」
お湯のしずくを滴らせながら、古泉は少しうつむいて湯船の縁の岩組みのあたりを見つめている。

やがてゆっくりと顔を上げた古泉は、いつもの笑顔に戻っていた。
「もう少しばかりお互いに歳を重ねて酒が飲める頃を迎えたら、杯を酌み交わしつつ今日のようにゆっくりと語り明かしたいですね」
「……」
「きっとその頃には、ちょっとやそっとでは語り尽くせないほどの様々な出来事を経験していることでしょう」
「そうだな、その時にはまた新川さんと一緒に迎えに来てくれ」
「わかりました。是非あなたと涼宮さんのお二人を……」
「まだ言うか、この野郎!」
俺は、両手でお湯をすくって思いっきり古泉にぶっ掛けて、さわやかな笑顔を浮かべている優男を黙らせた。

フン、と鼻を鳴らしてあらためて正面に向き直ると、西の空に沈み行く夕日を受けて赤くぼんやりと浮かんでいる暮れなずむ街並みが視界一杯に広がっている。古泉が言っていた、この露天風呂を最も楽しむことができる時が訪れたようだ。

帰ったらハルヒに電話でも入れてフォローしておくか。古泉のためにも……。

Fin.

 

 


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