「おはようございます。こちらが昨日の夕方、凄惨な殺人事件が起きた現場です。一体、被害者に何が起きたのでしょうか」
 TVカメラの前で、女性レポーターが機械的な代名詞で我が家を報道している。
 その周囲には、朝だというのにかなりの人だかりができており、「お前ら他にやることないのか?」という気分になるのはなぜなんだろうね。
 学校なり会社なり行けよ。もしくは自宅でTVでも見てろ。
 本来なら人ゴミはそれほど苦手ではないが、今回ばかりはここの奴らへムカっ腹が立ってしょうがない。

 


 本日の明け方、古泉一樹のクローゼットから剥ぎ取ったジャケットを羽織り、彼の家を出て行った。何て言ったって俺はプチ逃亡者だからな。これ以上長居はできない。
 それに古泉一樹の家に入り浸ったとしても、母親を殺したクソ野朗を捕まえられるわけがない。自分の手で決着をつけないと気が済まねーんだよ。
 殺人鬼の手がかりが見つかるかもしれず、虎穴にいらずんばな精神で自宅の様子を見に来た。危険は承知だ。
 そしてこの人ゴミだ。
「勘弁してくれ」
 そりゃ家に入れるとは思ってなかった。もう一度言おう。お前ら他にやることないのか?
「なお、被害者の一人息子である少年は現在も行方不明です。警察は少年を事件の重要参考人として、現在捜索中の様です。以上、現場からでした。スタジオにお返しします」
 灯台下暗しって言葉を知ってるか?ま、知らないようだから助かっているんだが。
「……っち。まるっきりゼロから探すしかねーみたいだな」
 小気味の良い舌打ちが放たれ、溜息が漏れた。
 これ以上はまずいな。リポーターが俺の事を行方不明と言った以上、世間は俺の存在に注意を向ける。そうなったら色々めんどくさいことになるだろう。
 踵を返し、ヒマな野次馬集団から離れようとした時だった。
「……あの女……なんでここにいるんだ?」
 野次馬の端で、昨日俺が轢き殺しかけた美人女子高生が静かに佇んでいた。
 妙だな。北高の始業時間なんか知らないが、光陽園とそんなに大差は無いはずだ。
 ウチの始業時間ならあと一時間以上もある。早起きにしては少々苦しくないか?
 彼女の長い髪の毛で表情の細部までは伺いしれないが、何だろう。すごく楽しそうにしている気がする。
 気にいらねぇ。何が面白いんだよ。
 彼女の後を追ってみるか。多分あいつは、この事件の関係者だ。

 

 

 着かず離れず、彼女を見失わない程度に歩を進めている。だが、間違いなく俺の尾行には気づいているだろう。
 少しずつだが、確実に人気がない場所に誘導されている。
 住宅街を離れ、今や、郊外にある空きビルがひしめく様に乱立しているエセ心霊スポットにまで足を踏み入れてしまった。
「ねぇ。ちょっと良いかな?」
 彼女が背後を振り返らずに語りかけてきた。ちょうど廃材だらけの広い空き地に出たあたりだ。
「なんだよ」
 気づかれてることに確信を持てた以上、姿形を隠すのもバカバカしい。身を隠していた廃材から身を乗り出す。
「あなた、自分が何者かわかってて私を追ってるの?」
 自分が何者かだって?さあな。母親を惨殺され、その上犯人にされかかってる悲劇の少年Aじゃねーの。
「なぁにそれ」
 そこで初めて彼女がこちらを向いた。
 その表情は微笑みに歪んでいた。それは今までに見たことないほどの不気味な微笑である。ショーウィンドウのマネキンが無理矢理笑わせられているみたいだ。
「私は自分の役割を実行するだけ」
 鈍い煌めきが彼女の手の平で踊る。
「あなたを殺して改変世界を防衛する。じゃあ死んで!」
 煌めきが閃光となって襲いかかる。
 反射神経だけを頼りに斬撃をバックステップで回避することができた。日頃の行いに感謝しておこう。
「どういうつもりだ」
 叫び声を無視するかわりに、返した刃がこめかみに振り下ろされた。
 ナイフの軌跡を手の甲で受け止め、
「ちっ!勘弁しろよ!」
 利き腕である左腕で、彼女の細い腹にフックを叩き込む。
 苦痛に身をよじる彼女の姿に多少の罪悪感を感じたが、ナイフ持って襲いかかる女に同情できるか。
「はぁっ!」
 頬に裏拳を繰り出し、何とか距離を取れた。が、
「……いってぇな」
 吹っ飛ぶ寸前、彼女は俺の腕に小振りのナイフを突き刺した。古泉一樹には心の中で謝罪しておくとして、この血はどうやって止めておこうか。
「有機生命体の体って本当に脆いなぁ。このくらいで損傷するなんて」
 親指で唇の血をぬぐいながら捨てゼリフを吐く彼女に、不覚にも笑いをこぼしかけてしまった。まるで人間じゃないみたいな口振りだな。
 現在進行ing形で殺されかけているのに、頭だけは異様に冴え渡っている。何となくだが、こうやって襲われるのが当たり前な気がする。デジャヴって奴か?
「俺の母親を殺したのはお前だろ?どういうつもりだ」
 俺の母は、こんな女子高生に恨みを買うようなことをしたとでも言うのか?
「そんなことどうだっていいじゃない。この世界のために死んで」
 わけがわからない。なんだこの電波女。
「世界のために死ね?そこまでするほど好きな世界じゃねーよ!」
 捨てゼリフと共に、腕に突き刺さったナイフを彼女に投げつける。
 彼女はいとも簡単に、それを右手のゴツいサバイバル叩き落とした。だが、
「殺人鬼がぁ!くたばれ!」
 ナイフはただの布石。本命は突進と共に繰り出された飛び蹴りだ。うるぁぁぁぁぁぁぁぁ!
 靴底が喉元を貫き、彼女のセーラー服が泥まみれとなる。
 背中を撃ち、苦痛に顔を歪めている殺人鬼の手に握られたナイフを蹴り飛ばし、エロさの欠片も無い馬乗りポジションを取る。
 左腕を振り上げ、一撃。頬を捉える。
 母親を殺されたことによる恨みを一撃一撃にブチコミ続ける。

 

 こいつだけは許さない。

 

 女だろうと容赦しない。

 

 自分の行いを、死ぬほど後悔させてやるよ!

 

「あぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁ!」

 確かな殺意が芽生えているのは分かっていた。だけど拳は止められない。
「それが殺意っていうの?いい顔ね」
 殺意に我を忘れ、殴ることに夢中になりすぎて重心を前に傾けてしまったのは失敗だった。
 顔面を闇に覆われる。その細い腕からは想像もできないほどの握力で、俺の顔の皮膚がめり込んでいく。
 強烈なアイアンクローにより、全身から力が抜け、ついには彼女の上から引き剥がされてしまった。
「でも残念。素敵な顔だけど、もう見れないんだもの」
 無様に倒れた俺のへその上に、彼女の尻が覆いかぶさる。この形の良く柔らかい感触は、神様の最後の慈悲だろうか。
「防衛プログラム朝倉涼子。当該既定に基き、プログラムを実行する。じゃあ死んで!」
 スカートの裾から取り出されたサバイバルナイフの切っ先が、心臓めがけて振り下ろされる。
「がっ!」
 間一髪で間に合った。剣閃を手の平で防いだ弊害で、鮮血が顔にかかり、激痛が全身を駆け巡ったが、何とか生きている。
 痛みを堪え、無傷な利き手で土を握りしめる。土でも喰ってろ!
「きゃ!もう!なにするのよ!」
 口腔内の土を吐き出そうとしている間にマウントを解くことに成功した。っち!ここは退くべきか。


 止まらない出血に気を取られながらも、俺の頭では、この町の地図が開かれており、間違いなく北高を指し示していた。

 


 朝倉涼子とか名乗った殺人鬼から辛くも逃げおおせ、ようやく繁華街付近まで戻ってこれた。
「くっそ、いてぇな」
 コンビニで買った包帯で右手の平を縛りつけ、出血だけは抑えたが、鈍い痛みだけは先ほどから一向に引かない。破傷風にならなきゃいいんだが。
「……街が騒がしいな」
 大通りまで歩いたあたりで、ある違和感を覚えた。そう、街が騒がしいのだ。
 普通だろ。西宮市は地下で探鉱火災が続くゴーストタウンでもなければ、灰が舞い散る古びたリゾート地ってわけでもないんだ。昼前のこの時間帯で、静かなわけが無い。
 だがな、この騒がしさは異質なんだ。例えるなら、中世ヨーロッパで行なわれた魔女裁判による魔女容疑者の公開処刑を見物するような……ん?なんだありゃ?
「こちらは、昨夜から続いている連続殺人事件の事件現場です。見て下さい、もの凄い人だかりです。あ、たった今、救急車が被害者の遺体らしき物を搬送を開始したようです」
 ここでも殺人事件だって?おいおい。あの女、一体何人殺したんだ?
 テレビリポーターと撮影クルーと思われるグループは、そのまま警察官の群れまで突撃していくのを見ながら、俺はあることを考えていた。
 あの女……朝倉涼子の目的はなんだ?
 人なんか殺したこともないから分からんが、殺人がマズイってことぐらい俺だってわかるさ。
 それに殺人なんて物は冷静に考えれば分かる通り、リスクがでかい上にデメリットしかない。
 一番の理由として死体の処理だ。あんなかさばる物は、どうやったって隠せるわけが無い。燃やそうが埋めようがすり潰そうが、痕跡をゼロにするなんて不可能だ。実際隠してないしな。
 だが朝倉涼子は、何の躊躇いもなく殺人を行なっているようだ。何故だ?切り裂きジャックにでもなったつもりか?
 殺人鬼が殺人をする理由など知りたくないが、知らなければならないような気がする。あーあ、気持ち悪い。
「動くな」
 研ぎ澄まされた日本刀のように鋭い声。肩に置かれた熱原。それらが俺の逃亡を阻止させようとしている。
「私から逃げるとはいい度胸だな。ええ?少年A」
 できれば二度と聞きたくなかった声ベスト5には入る人物が、俺の息の根を笑顔で止めるかのように睨みつけている。
「これでわかったでしょう?俺は連続殺人なんか知らない。だから母を殺したのも俺じゃない」
 相手が顔見知りなら動機なんかいくらでもこじつけられるだろう。
 だが相手を知らないなら殺す動機などあるか。だから手を離してください。母の殺害と、そこの某さんの殺害が繋がっているなら俺は無実だ。
「疑われる行動をした君にも問題があると思うけど?取調べ中の逃走とか」
 まだ根に持っていやがる。
「俺は俺の手で決着をつけたいだけです」
 そこまで言うと、若い女刑事は俺の肩から手を離してくれた。
「なら改めて捜査協力を要請する。少し時間をよろしいかしら?」
「何なりと。森警視」

 

 

 森園生に連行された場所は、客足のピークが徐々に始まりそうになっている小さなカフェであった。あ、すいません。アイスコーヒーと、このベーコンレタスサンドイッチお願いします。
 ウェイトレスのお姉さんに遅めの朝食を頼み、煙草に火を点ける。
「おいこら」
「え?ここって禁煙席でしたっけ?」
「そうじゃなくて。君はまだ……いや、その件に関しては後にしよう」
 一体なんだ?森園生も喫煙者なのだろうか?そうなら意外だ。あまりイメージがわかない。
「それでは話に入ろう。昨夜から起きている一連の連続殺人事件について、君はどこまで知っているんだ?」
 どこまで知っていると言われてもな。ついさっき容疑者に殺されかけたが、殺人動機も殺害方法も、何にも知らないんだが。
「……これを見てください」
 くわえていた煙草を灰皿に戻し、包帯を巻き巻きである右手の平を彼女に見せた。
 包帯を解いて新品同様の傷口を見せた。しかし慣れているためか、眉を一瞬潜めただけで、動揺することなく注視している。
「ついさっき、街外れの廃材置き場で襲われました。加害者の名前は朝倉涼子。北高のセーラー服を着た女子高生です」
 適切な処置を行えたおかげで破傷風にはならないだろうが、痛みだけはどうにもならない。平静を装っているが、痛い物は痛いんだよ。
「北高か。あんな何の変哲もない県立高校に、そんな暴漢……と言っても女性だが、居るとわね」
 森園生の放った「暴漢」と言う言葉に、少しだが後ろめたさを感じた。尾行して襲ったなんて、良く考えた俺のほうが暴漢じゃねえか。
 しかも返り討ちだし。本当に情けない男だな。何やってんだか。
 すると森園生はジャケットの胸ポケットから携帯電話を取り出した。
「こちら森園生だ。新川、今すく調べてほしい人物がいる。名前は朝倉涼子。歳は16歳から18歳。北高の女生徒だ」
 要件だけを伝え、あっさりと電源を落とした。仕事の要件を伝えるだけなら良いだろうが、これでは新川警部さんが少しだけかわいそうになってくる。
「俺を解放してくれるのですか?」
 期待なんかしてないさ。
 当然、彼女は否定の動作を示した。ほらね。
 なぜなら今まで俺が森園生に証言したことは、全て俺の一方的な言葉だ。優秀な刑事である森園生が、それを鵜呑みにするわけが無い。警官としてできないのだ。
 かと言って俺が加害者では無い可能性が出ている以上、それを真っ向から否定するわけにもいかない。証人としてなら「生き残った被害者」と言う最高の証拠なのだからだ。
 さあ、サイコロの目はどう出る?今ならルーレットの前に居座るギャンブラーの気持ちがよくわかる。相手の挙動に全神経を預けている気分だ。
「今すぐ朝倉涼子の住所を割り出すから、君も着いて来なさい。このまま現場を荒らされるくらいなら、私の目が届く場所にいてもらう」
 この提案には乗っておくべきだろうか?こうは言ってるが、一応は任意同行である。断ろうと思えば断れるはずだ。
 だが、理由はどうあれ、朝倉涼子を見失ったのも事実である。
 一匹狼気取りで北高に張り込んでもいいが、それでは襲われた時にどうなるかわからない。
 次は手の傷だけで済まないかもしれないしな。それなら国家暴力もとい国家権力に守ってもらった方が良い。警官なら目の前で起きた障害事件を見逃すなんてことはしないはずだ。
 他人の力を当てにするとは男として情けないが、殺されるくらいなら地べたを舐めようが生き延びてやる。

 ウェィトレスが運んで来たサンドイッチをコーヒーで流し込み、席を立つ。
 会計時、森園生の手に渡されたレシート代わりの領収書には、『兵庫県警様』と書かれていた。

 


 黒塗りスモークなタクシーでたどり着いたのは、正午過ぎの高級分譲マンションだった。
「このマンションの七階に朝倉涼子が住んでいるらしいわ」
 付近の土地勘が薄い俺でも知っている程の高級マンションだが、にわかには信じがたい。こんな場所に殺人鬼が住んでいるのか?
 戦争をギリギリ知っていそうなじいさん管理人にロビーを開けてもらい、エレベーターに乗り込む。
「君はどう思う?」
 多分、捜査中の退屈しのぎだ。じゃなきゃ、一般人である俺なんかに意見を求めるわけない。
「殺人事件にタダもクソも無いでしょうが、普通の事件じゃないでしょう 」
 この事件で最も不可解なのが「被害者の関連性」である。
 森園生が言うには俺の母親は第一の被害者だったようだ。その後、日が変わるまでに二人、深夜未明に五人、明け方に二人、合計で十人が凶刃によって殺害された。
 その被害者についてだが、これまた無差別に近いらしく、主婦、サラリーマン、高校生、ショップ定員などバラバラ。
 最初の数人ならば逃亡中に止むなく……なんて考えられなくもないが、ここまで来ると、狂ってるとしか思えない。

『あなた、自分が何者かわかってて私を追ってるの?』

 ならあの言葉……あれはなんだ?朝倉涼子は俺のことをわかってるのか?
 じゃあ、俺は一体なんなんだ?
「もしかしたら、殺害が目的では無いのか?」
 自問自答に終止符を打ったのは、森園生だった。
「一連の事件は全て脈絡が無い。その上関連性も無い。いや、正確にはわからないと言った方が正しいか。ならば、「殺人を主観において考える」のではなく、「殺人は副産物」ととらえたら……」
 それは盲点だった。つまり殺すことが目的ではなく、目的を達成するために、殺人を行なっていたというわけか。
 殺人事件はあくまでオプション。本当の目的はもっと別に、
「到着したようだわ。着いてきなさい」
 まぁいい。それは時期にわかることだ。あんまり気乗りはしないがな。


 七階というわけで、結構な眺めの良さである。この眺めも高級分譲マンションたらしめる所以だろうか。
「鍵は……かかっているわね。えーとカードキーカードキー」
 森園生は豊満な胸を覆っているジャケットの内ポケットに手を滑らした。だが、
「鍵なんか必要ないですよ」
 一撃。スニーカーの裏が分厚い扉へ叩き込まれる。おー、かってぇなー。
「器物破損は確か何年の懲役だったかしら」
 殺人鬼に礼儀なんかいるか。
 ちょうつがいとキーロックが跳ね飛んだドアを跨ぐ。
 すると意外なほどキレイに片付けられた普通のリビングが顔を見せた。うちの居間より畳二枚くらい広いかな。
「新川の報告によると、朝倉涼子は北高に通うために親元を離れて一人暮らしをしているらしい」
「一人暮らしですか?北高に?」
 妙な話だ。親元を離れて高校に進学するのは別段珍しくないだろう。光陽園にも一学年に一人くらいの割合でいるしな。
 だが北高だぞ?どこにでもある普通の県立校に、わざわざ親元を離れて通学なんかするか?
「……ちょっとストップ。あそこの部屋から、なにか聞こえないか」
 彼女の指が隣の和室を指し示す。
 俺も片手を耳元に添え、より多くの音を拾えるように構えた。
「これは……電子音ですかね」
 耳を澄ますと、微かに電子と電子が共鳴するような耳につく音が流れてきている。ゲーム機か、もしくはパソコンか?
 タイトスカート裏にエロくくくりつけられた拳銃を握り締め、森園生は一歩一歩静かに和室に進んでいく。
 勢い良く襖がスライドされ、和室が開け放たれた。
「パソコンか。電源点けっぱなしなんてだらしないわね」
 質素な和室には、最新機種より三世代くらい型遅れのノートパソコンが開いたままテーブルに置かれていた。
 おかしい。パソコンに繋がっている電源アダプターは冷たい。
「……これ、起動したのは数分前ですよ。アダプターに熱がたまって無いです」
 これがもしも朝から点けっぱなしだったら、アダプターは熱いはずだ。
 それなのに俺が握っているそれは、プラスチックの常温のままである。つまり、
「つまり、誰かが使おうとした」
「もしくは、俺たちが来ることがわかっていたのかもしれません」
 考えられるのは二つ。一つは森園生が言うように、誰かが直前までここにいた。
 その場合、立ち上げた直後に俺たちが来たので、一目散に逃げた場合が考えられる。
 ならどこに逃げた?ここは七階だぜ?俺でさえ三階のが限界なんだ。いくら身体能力が高くても、倍以上ある高さから逃げるなんて無理だろう。人間には。
 かと言って隠れているとは思えない。気配がまったくしない上、玄関以外に逃げ場の無いマンションの一室の、どこに隠れると言うんだ。すぐに見つかる。
 もう一つは、俺たちの登場にあわせてタイマーが作動したことだ。しかしそれは俺たちがここに来ることを正確な時間で予測してなければできない芸当だ。
「どっちにしろ、こいつに手がかりがあることには変わりないでしょう」
 パスワードによるロックがかかっているわけでもなければ、特殊な仕掛けで爆発する気配もない。
「調べてみましょう。きっと、なにかわかるはずです」
 森園生はピストルを股の裏に返し、パソコンの前で女の子座りをした。
 俺、あんまりパソコン詳しくないからな。お願いします。
「別に変わったデータはなさそうね。変にいじくっているわけでもなく……あら?」
 デフォルトの壁紙の上に表示されているアイコン達。その中で、マウスのカーソルが「ワードパッド」に合わせられた。
「それがどうかしたのですか?」
「いや、単なる個人的趣味だ。こう見えて私は生粋の活字屋でね。どんな文章が書いてあるか読んでみたい」
 そう断りを入れてからアイコンをダブルクリックする。あなた結構楽しんでるでしょう。
「なんだつまらん。保存データは一つだけか」
 やっぱり。絶対楽しんでる。とは言えなかった。
「……なっ!」
 保存されていたデータの名前を読んだ瞬間、心臓が大きく脈打った。なんだこれ。どうなってやがる。

 

 

『涼宮ハルヒの憂鬱』

 

 

 涼宮ハルヒ。俺の数少ない友人の一人の名前が何故?涼宮ハルヒと朝倉涼子は知り合いなのか?
「森さん。それ、読ませてください」
 俺の空気を察したのか、森園生はあっさりとタイトルをクリックしてくれた。
「涼宮ハルヒの憂鬱」の内容は、主人公である男子高校生が、新学期にたまたま後ろの席に座っていたヒロインである涼宮ハルヒに目をつけられたのが始まりだ。
 その後、彼は涼宮ハルヒが発足した同好会に無理矢理入会させられ、面倒だと悪態をつきながらも生活をしていく平凡な話だ。
 分類的には青春ラブストーリーになるのか?いや、この手のラブストーリーはそんなに読んだことないからよくわからんが、どこにでもありえる話だと思う。
 だが、この物語の登場人物に注目してみよう。俺が知ってる奴らが何人もいるのは何故だ?
 涼宮ハルヒは物語のヒロインだし、古泉一樹は主人公の親友であり恋敵で、朝倉涼子にいたってはヤンデレ要素を持ち、主人公に襲いかかってくる。
「執筆者は長門有希と言う名前らしいわね」
 その筆者である長門有希も、この作品には登場してくる。役柄は主人公に恋をしている無口な文芸少女だ。
 それにしてもこの主人公はモテモテである。この他にも、同じ同好会員である朝比奈みくるにも惚れられ、なんと中学時代にも恋人がいたらしい。
 どんだけやりチンなんだよ。実在してたら絶対ボコッてやる。この女の敵が。
「……ん?なんだこの不自然な改行は?」
 物語終盤、主人公と涼宮ハルヒが学校に閉じ込められたあたりで、真っ白い行が数十個も続いている。
 ここから先はまだ執筆途中かと思ったが、下にスクロールしていけば続きが読める。
 この学校に閉じ込められる展開だけが、ポッカリと抜け落ちているのだ。思いつかなかったのだろうか?
「あぁ、これは反転文字ね」
「反転文字?」
「ゲームの攻略サイトとかでネタバレを防ぐためによくやる方法よ。こうやって文字の色を背景と同じ色にすることで、文字を読めなくするのよ」
 よくもまぁ面倒なことを思いつくもんだ。どうやって読むのですか?
「こうやってマウスで文全体をドラッグすれば……あら?」
 白抜きの文章に青い色が塗られていくと、ある物が浮んだ。
「……何ですか?コレ」
 それは文字と記号だけで表現された謎のマークだった。顔文字の高度な奴と言えばわかるだろうか?これ一個つくるのに、何時間かかるんだ?
「これはアスキーアートよ。君も見たことくらいはあるでしょ?インターネットとかでよく見かける記号の羅列によるイラストよ」
 あのgj!とかって奴ですか?
「……まぁそれでいいわ」
 しかし、こういうのを作るのって、どんだけ時間がかかるんだ?すごいとは思うけど。
 ところでこれはなんて書いてあるんだ?キレイなうずまきの中に、SOSと書かれているようだが、救難信号のつもりか?
「クソ……何だか目眩が……」
 頭の中で、うずまきがぐねぐねと襲いかかってくる。気持ち悪い……いつから俺の目はトンボの目になったんだ。
「大丈夫?」
「……早くここを出ましょう。少し気分が悪くなってきました」
 クソ。気持ち悪い。

 

 

「あーあ、誰かさんがドアを蹴破ったせいで玄関が歩きにくいんですけど」
 文句言わないでもらいたい。フラストレーションがたまってたのでガス抜きしただけです。森さんだってたまっているでしょうが。さっきから顔怖いですよ?
 だがその質問は森園生の鼓膜が通過を拒否したようで、何も答えなかった。
 あの後、一通り部屋を調べたものの、事件が好転するような証拠品及び手がかりは何もでなかった。つまり無駄足。機嫌が悪くなっても無理は無い。
「……あれ?」
 壊れた玄関を踏み分け、敷居から一歩抜け出た瞬間に違和感を感じた。
「変ね。誰もいないのかしら?」
 静寂。静かすぎるのだ。
 高級分譲マンションとは言え、今は昼だぞ?もう少し喧騒と言うかざわめき見たいな物があってもいいはずなのだが。静かすぎることで耳が痛くなるなんて初めて知ったぞ。俺は。
「森さん。何だか嫌な予感が……森さん?!」
 隣を歩いていた森園生が、一歩前に出た。いや、出たのではなく……
「森さん!?しっかりしてください!森さん!」
 彼女の背中に突き立てられていたのは、銀のサバイバルナイフ。それが森園生の血を吸って、赤黒く輝いていた。
「酷いなー。私の家を壊さないでよ」
「朝倉ぁっ!」
 意識するよりも早く、拳が朝倉涼子の頬を歪ませた。
「ん、はぁっ!」
 カウンター気味に繰り出されたナイフが、かろうじで空を切る。
 まずい。さっきこそ何とかかわすことができたが、こんな狭い廊下じゃ、じきに直撃する。そしてそれが心臓の可能性だってあるんだ。
 斬撃の檻に囲まれている中、汗だけが妙に冷たい。チクショウ!
「あぁぁぁぁぁぁ!」
 意を決して、右手でナイフを掴んだ。くそ!いってぇな!
「痛くないの?そんなわけないわね。呼吸が荒いわよ」
 包帯を伝い、ジャケットの袖口にこぼれた血が熱い。
「黙れ!」
 激昂し、爪先を端正な顔面に叩きつける。
「残念。外れぇ~」
 朝倉涼子が愉快に微笑んだ瞬間、俺の足がコンクリートにナイフで貼り付けられた。
「ぐがぁぁ!」
「いい声で鳴いて」
 足の甲に突き刺さったナイフの柄をグリグリと踏みつけられた。このクソ女ぁ!
 だが、罵声を絞り出そうとも、悲鳴が勝手に放たれてしまう口がもどかしい。
「ほ~ら、うずくまった。さよなら!」
 切っ先が頭上に振り下ろされる。
 クソ!なんで俺がこんな目に合わなならん!俺の物語は、ここで終わるのか!?
 ちくしょう……俺はなんて無力なんだ。親の敵が目の前にいるって言うのに、何にもできないなんて……


「さよならは、あんたよ!」


 銃声が、静かすぎるマンションの時を動かした。
「武器を捨てなさい!朝倉涼子!」
 森園生は生きていた。そして片手で銃を構えるその姿は、一流映画スターにも引けを取らないほどに決まっている。
「そのまま死んでれば良かったのにな」
 弾は朝倉涼子のナイフを持っていた肩に着弾したので、俺に突き刺さることなく吹っ飛んでくれた。しかしなんでこいつはこんなに平然としていられるんだ?
「今のは威嚇射撃だ。次は外さない!」
「やってみれば」
 警告を無視し、朝倉涼子は剣閃を煌かせた。
 さらにもう一発、銃声がリピートされる。
「なっ!?」
 だが、弾丸は朝倉涼子には当たらなかった。なぜなら、
「無駄よ。そんなおもちゃ」
 着弾の直前、ナイフの腹が弾丸を受け止めているからだ。って!どこのハリウッド映画だよ!
「くそ!くそ!くそ!くそ!」
 森園生の悪態と共に放たれる弾丸だが、それらは全て、ナイフの腹で阻まれ、コンクリートに落とされていく。ちっ!こうなったら!
 足の甲に刺さったナイフを引き抜く。途端、全身に激痛が走り、勢い良く血しぶきが舞ったが、痛みは生きてる証拠だ。
「うるぁぁぁぁぁぁ!」
 コンクリートの廊下と平行して飛翔するナイフが、朝倉涼子に向かっていく。
「邪魔よ」
 当然、俺の投げたナイフは朝倉涼子によって、いとも容易く叩き落された。だが、
「でかした!」
 歓喜の声が放たれ、同時に、弾丸が朝倉涼子に着弾した。
 朝倉涼子の身体能力がどんなに優れていようと、彼女はナイフを一本しか握っていなかった。
 ならば、一瞬でもナイフさえ使えなくしてしまえば、絶対に当たるはずだ。
「ここは逃げましょう!」
 森園生の手を引き、背後のエレベーターまで一気に駆け出す。あのバケモノが、こんな楽にくたばるとは思えない。
 残り五歩。
 残り四歩。
 三歩。
 二歩。
 一歩。
「このポンコツ!早く来いよ!」
 パネルをどんなに乱打しても、エレベーターが到達するスピードは変わらないが、この数秒の間がもどかしい。
 早く来い早く来い早く来い!バケモノがすぐそこにいるんだよ!
「来た!森さんも早く乗ってください!」
 転がり込むように七階に到達してくれたエレベーターに乗り込み、握っている手を中に引き摺りこんだ。
「くはぁぁぁぁ!」
 森園生の端正な唇から悲鳴が漏れた。
「だーめ。だってあなたはここで死ぬんだからね」
 視界の奥で、朝倉涼子は野球部のエースピッチャーみたいな投球モーションをしていた。
 森園生の上着の背中には赤色が滲みすぎて、もはや何色だったのか判別すらできない。
 彼女が乗り込めば閉るはずだったドアが、無情にもぽっかりと口を開いている。
「……大丈夫よ……私が絶対に……助けてあげるからね……」
 息も絶え絶えに、彼女は力なく呟いたが、瞳だけは強い光を放っていた。
 なんでここまでしてくれるんだよ。そう思ったが、彼女は警官だ。警官である以上、正義の味方でなければならない。彼女にとって、これは当たり前の事なのだ。
「だからって!そんなに傷だらけになってまで身体張ることなのかよ!?逃げ出せばいいじゃないか!俺なんかほっといて命乞いしろよ!自分が一番可愛いと思えばいいだろ!?死んだって何も残らない!違うか!?」
 だが俺の叫びは、森園生の繰り出した強力な張り手が胸を強打し、背中壁に打ち付けて阻まれた。
 傷の痛みと咄嗟に起きた出来事のため、立ち上がるのに時間がかかった。待ってくれ!まだ乗って無い客がいるんだ! 
「じゃあね。悪ガキ君」
 目の前で閉ざされた鉄ドアは、穏やかで暖かい微笑みと対比され、異様に冷たかった。

 


「森さぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁん!」

 


 狭いエレベーターの中で響く情けない男の声が、無性に腹が立った。

 

第三章へ続く


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