地球をアイスピックでつついたとしたら、ちょうど良い感じにカチ割れるんじゃないかと言うくらいにに冷え切った朝だった。いっそのこと、むしろ率先してカチ割りたいほどだ。
 自宅のベッドから発せられている甘美な誘惑を全力で振り切り、通学のための身支度を済ませようと、一階の洗面台に向かった。
 鏡の前に立ち、鏡面世界の自分に対面を果たす。うっし。本日も男前だ。朝の光で自慢の金髪が輝いていやがる。
 そして真冬の水道水を顔面にかけた。
「くはあ!冷てー!」
 身震いするほど凍てつく冷水のおかげで、眠気覚ましの効果は抜群だ。
「さてと。お母さんが起きる前に朝飯を作んねーとな」
 確か冷蔵庫に卵が大量にあったから、オムレツでも作るか。

 


「いただきます」
 俺特性であるフワとろオムレツと目玉焼きをテーブルの上に配膳をし、母親と共に手合わせる。
「わるいね。本当なら私が作るべきなんだろうが」
「いいさ。お母さんは昨日遅かったわけだし。早起きくらいどうってことねーよ」
 我が家は母親と俺の二人暮らしなので、母親が仕事で遅いときは、こうやって俺が朝飯を作ってやっている。
 父親はどうしたって?俺が中坊の時に死んじまったよ。
「よしよし。本当に良い子だね、お前は。見た目ヤンキーなのに」
 ヤンキーは関係ないだろ。これでも進学校に通っている、れっきとした真面目高校生だ。

 朝食を終え、俺にとって大切な日課である紫煙を堪能していた時、微かな機械音が居間に流れているのを感じた。
 携帯電話を手に取り、ディスプレイに目を通す。一体誰だよ。こんな朝っぱらから。

 

『着信 ハル』

 

 あの女が人の迷惑を顧みないのは、いつものこんだが、勘弁して欲しいものだ。他にイタ電相手がいないのか?俺もだが。
『出るのが遅い。せっかくこのあたしがかけてやってるんだから、1コールで出なさい』
「おかけになった電話番号は、現在、電波の届かない所にございます」
 とりあえず切っておいた。理由?なんかイラッときたからだよ。
『……なにしてんのよ?あんまりふざけると死刑にするわよ』
「で、こんな朝からなんのようだ?涼宮ハルヒさん」
 電話口に現れたのは、朝から不機嫌エンジン全開な涼宮ハルヒである。

 彼女との出会いは、桜がとっくに散り、映画業界陰謀短期集中型一過性休日集合週間なる別名「ゴールデンウィーク」が過ぎたあたりの、日本晴れの日だった。
 その日、俺は退屈な学業を終え、早々と帰宅に勤しんでいると、駅前の大通りにて、涼宮ハルヒが頭の悪そうなアホヤンキーにからまれていたのだ。
 今思い返せば退屈なだけだったと思う。
 暇つぶしと下心が7:3くらいの心境で、躊躇うことなくそのアホヤンキーをぶっ飛ばしていた。
「なに?正義の味方きどり?寒いわ」
 この言葉が彼女の第一声である。恩着せがましく聞こえるだろうが言わせてくれ。それは無いだろ。
「別に。ただの暇つぶし。他意は……ちょっとしかない」
 それだけ聞くと、涼宮ハルヒは長髪を翻し、まるで俺の事など記憶からデリートしたかのように、その場を去っていた。お互い第一印象は良い方ではなかったと思う。
 だが、話はここで終わりではない。
 その後も、俺達は幾度となく様々な場所でこいつと顔を会わせるようになった。ある時は学校の学食で。ある時は、たまたま入ったコンビニで。
 まあ、お互い目立つからな。顔を覚えちまうと、どうも目に付くようだ。
 最初こそ無視しあっていたが、そんな偶然を一ヶ月も共用していると、何だかバカらしくなり、気がついたら話しかけてた。
 多分、お互い退屈してたんだろ。街で出会った同級生。俺と涼宮ハルヒの関係を言葉で表すとこんな物だろ。

『ちょっと、聞いてるの?返事くらいしなさいよ』
「聞いてるよ。今日学校サボるから足になれだろ?勘弁してくれ。こう見えて、俺はヘタレでビビリの小心者なんだ。学校サボるなんて恐れ多いことできるか」
『そのツラで何を今さら。どうせ便所で煙草フカしながら話してんでしょ?だからあんたは背が低いのよ。古泉君みたいに健康的に生きなさい』
「お前は俺の母親か」
『は?ふざけてんの?』
 この女はなんでこんなケンカ腰なんだ?もう少しフレンドリーに話せよ。ツラはいいのに。もったいない。
『いーい!?あたしは光陽園駅にいるから、つべこべ言わずにとっとと来なさい!』
 勘弁してくれと言いたい。しかしこの状況では、かけ直しても出ないだろう。なにより電話代の無駄である。どうせ無料通話分だろうが。
 しかしどうもしっくり来ない。涼宮ハルヒがワガママで自己中心的な言動を取るのはいつもの事だが、いままで相手の状態を考慮せずに突っ走ることはなかった。
 涼宮ハルヒが無理難題を言うときは「今ならあたしの言う事を聞いてくれる」と、考えてないようで考えているのだ。俺と古泉一樹くらいしかわからんだろうが。
 煙草を携帯灰皿に捨てて、深ーく深呼吸。やれやれ、気にならんわけじゃないしな。冬休みが近い今日ぐらい、サボっても問題ないだろう。表向きはそれなりに品行方正な学園生活を送っていたわけだし。
 襲撃みたいに唐突な電話を切り、煙草を吸い終えると、父親の眠る仏壇に手を合わせた。あー、とりあえずいってきまーす。お父さん、サボることは内緒にしといてくれよ。

 

 

 光陽園駅前は朝の通勤ラッシュでごった返していたが、その美しい黒髪は見る者全てを魅了してやまなかった。これでもうちょっと素直ならな。
 乗ってきた中型バイクを光陽園駅の入り口で仁王立ちをする涼宮ハルヒの前に横付けに停車した。
「遅い」
 いや、ロボットみたく言われたことしかできないような美人は魅力的ではない。涼宮ハルヒはこのくらいでちょうど良いのかも。
「道が混んでいたんだよ」
 その上、バイクってのは構造から言って、風を全身に受けなきゃならないから、冬はあまり走りたくない。
 しかし、カエルを捕食する蛇のように睨みつける涼宮ハルヒの目は、いつもより陰りが見える。寝不足か?
「だったらもっと早起きしなさい」
「お前の予定を予言して早起きしろってか?俺は超能力者じゃねーぞ」
「あたりまえじゃない。超能力者なんか、そう簡単に現れるわけないでしょ」
 だろうね。「実は僕は超能力を使用できまして、世界平和のために日夜戦っています」なんてことがいきなりおこるか。
 大体、そんな世界平和組織が、一般人に話を持ってくるわけが無い。仮面を被った昆虫人間が所属する組織よろしく、内部で秘密厳守な命令でも下っているさ。多分。
「で、俺は制服姿のお前を、どこに連れて行けばいいんだ?」
 サボるならもっと目立たない格好で来いよ。まぁ、こいつの場合は目立つから制服脱いでもあんまり変わらんだろうが。
「あんたも制服じゃない」
 俺は母親を悲しませたくないだけだ。結構無理して進学校に通わせてくれている母親に「学校サボる」なんて言えなかった。これでも罪悪感は感じているんだよ。
「あたしも家からそのまんま出てきたから、仕方ないのよ」
 急な思いつきか。急なのは今に始まったことじゃないが、考えずな行き当たりばったり行動なんて珍しい。
 周りにはそう思えるだろうが、彼女は頭の回転と行動力が異様に早いだけ。早すぎて常人には着いていけないのが現状である。
「別に今さら見つかってもいいわよ。成績は良いから、学校側は黙認するだろうし」
 そうでしたね。一学期の期末試験は学年トップでしたね。俺は……まぁ中盤より上くらいだ。
「それじゃあとっとと行くわよ」
「どこへ?」
 男性のように豪快に股を開いてシートに跨る涼宮ハルヒに聞いてみた。
「あんたはあたしの指示通り走行すればいいの」
 涼宮ハルヒに予備のヘルメットを渡し、グリップを回す。
 メタル色のマフラーから排ガスが漏れる。それでは交通法規を守って出発進行。

 


 バイクを走らせること数時間。ダラダラと寄り道しながら着いた場所は、西宮南部に面した大阪湾が一望できる丘だった。
「で、ここに何の用だ?まさか寒中水泳でもしたくなったとか言うなよ」
「そんなわけないでしょ」
 シートから降りて、減らず口と共にヘルメットを投げ返してきた。
 すると、彼女はその場にしゃがみこんでジッと海を見始めた。一体なにがしたいのか。
「……理由なんかないわよ。ただ、なんとなく海が見たかっただけ」
 俺のほうを見ずに、抑揚無い言葉で話し始めた。
「いや、無いわけじゃないわ。知ってるでしょ?あたしん家が、あんまり上手くいってないことくらい」
 前に聞いたことがある。涼宮ハルヒの両親は、ここ数年ほど、離婚の話で盛り上がっているとかな。
「原因は……まぁあたしなんだけどね。小学生の時くらいまでは優等生で通ってたあたしが、中学に上がった途端、奇妙奇天烈な行動ばかり起こしたから。
 そのせいで二人とも責任のなすりつけ合いになって……バカよね。別に二人のせいなんかじゃないのに」
 なんでこんなにいたたまれない気分になるのだろうか?とりあえずポケットから煙草を取り出し、場繋ぎのためにも火を灯すことにした。
「あたしは別に後悔なんかしてない。あたしの人生だもん。好きに生きるわ」
「……してない「つもり」だった?」
「……うん。今朝、起きたらママと親父がケンカしてたのよ。しかも、察する限り一晩中寝ないで。どんだけ言い足りないのよ。
 それ見てたら、「このまま自分のやりたいように好き勝手生きてもいいの?」って思っちゃって……」
 なるほどね。なぜ俺「だけ」が彼女の思いつきに付き合わされた理由がわかった。なぜなら涼宮ハルヒの狭い交友関係の中で、俺だけが片親だからだ。
 十代後半くらいの子供だったら、大多数は両親揃っているはずだ。
 でも俺は違う。俺は母親と二人暮らしってことに関しちゃ嫌気はさしていないが、困っていないわけでもない。
 そして涼宮ハルヒは、家庭に問題を抱えている。それも自分のせいで。
 お互い特殊な家庭を持つ身の上であり、俺なら黙って話を聞くぐらいはしてくれると思ったんだろう。
「ハル。俺は聖人君子なんかじゃない。だから「お前の気持ちはよくわかる」なんてことは言わない。つーか言えない」
 だって俺は「涼宮ハルヒ」じゃないからな。
「だから理解できる努力をする。話したいことが他にもあるんだろ?」
 話してもらうだけでいい。
 聞くだけでいい。
 今の俺の役割は、彼女を理解すること。それだけだ。
 理解した上で、どうにかするのは俺の役目じゃない。誰の役目かって?さぁな。こいつを無償の愛で愛せるような聖人君子くんだろ。

 

 

 その後は日が暮れるまで、涼宮ハルヒの一人話が繰り広げられた。内容は……特に思い出すほど重要な事柄ではなかった。他愛もなさすぎて語る必要も無いね。
 俺と涼宮ハルヒが光陽園駅に戻ってきた頃には、肌寒い冬の夜空が頭上に広がっていた。おぉおぉ。みんな寒そうに歩いてやがる。
「はい、到着」
「寒い。あんた、あたしに風引かせるつもり?」
 自分で命令しといてめちゃくちゃ言ってやがる。そんな短いスカートでバイクに跨る君が悪い。ついでに言うとバックミラーには何度か写ったぞ。君の下着が。あぁ、はしたない。
「死ね」
 結構な言い草である。
「それじゃあ俺は帰るぞ。じゃあな」
「ふん。じゃあね」
 涼宮ハルヒから受け取ったヘルメットをシート下のトランクにしまい、エンジンキーを回す。グッドバーイ涼宮ハルヒ。

 


「ずいぶんと遅くなっちまった」
 バイクを法廷速度を時速五キロメートルほどオーバーで、気持ーち早めに走らせ、月が支配する世界を疾走していた。今日の晩飯は何かな~と。
 呑気な事を考えていたせいか失念した。交通法規の大原則は、歩行者優先であると言うことを。

「なっ!?」

 眼前の十字路を横切る人影にフラッシュライトが当たり、その顔が、一瞬だけ驚愕に目を見開いた。
 アスファルトをこするタイヤの音。
 摩擦熱のせいで焦げ臭い。
 道路に投げ出せれた長い黒髪。

「……ハァ……ハァ……」
 咄嗟の出来事のわりに、上手く反応できたのは神の気まぐれかもしれない。謎の人影に衝突する瞬間に片足でブロック塀を蹴り飛ばし、なんとかバイクの軌跡を逸らすことができた。
「てめぇ!こんな夜道でいきなり飛び出してくんじゃねーよ!もう少しで潰れたガマガエルみてーにするところだったじゃねーか!」
 バイクから降り、飛び出した人影の襟首を吊るし上げる。この制服は北高のセーラー服だな。小学生じゃねーんだから、いきなり飛び出すんじゃねーよ!
 と、ここでその人物の顔が月明かりに照らし出された。
「ごめんなさいね。ちょっとボーっとしてたわ」
 かなりの美人がそこにいた。それこそ涼宮ハルヒとタメを張れるくらいの超絶美人女子高生のな。
「……ったく、勘弁してくれ」
 こんだけの美人が謝っているんだ。怒る気も失せた。少々名残惜しいが、彼女の襟から手を離すことにした。
 すると手を離した瞬間、この轢きそこなった彼女は、マジマジと俺の顔を覗き込んできた。なんのつもりだ?生憎俺は君の幼馴染でも生き別れた兄貴でもねーぞ。多分。
「ん……なんでもないわ。お構いなく」
 いや、構うわ。はっきり言って良い気分はしない。
「ふーん……そう、それじゃあね」
 満足したのかどうかは知らんが、彼女は手の平をヒラヒラと振りながら、眼前の宵闇へと溶けていった。
 もしもこれが月曜九時の恋愛ドラマなら、今頃バックコーラスが大音量で流れているだろう。そしてここから恋が始まかもな。
 だけど彼女の微笑は、そんな恋愛ドラマには似つかわしくない程に酷く不気味で、それこそ生気の無い、能面やマネキンが口元を無理矢理歪めたようだった。
「……っくそ。なんなんだ、この寒気は」
 体中の血管が根こそぎ吹雪に晒されたような欝感覚。もしかしたら背後に雪女かなんかがいて、耳元に氷の息吹でも吹きかけているのかもしれない。もちろんただの比喩だが。

 


 交通事故未遂と寒波のせいで、中も外も冷やしてしまった俺だが、慣れ親しんだ自宅の玄関を開き、なんとか安堵の吐息を漏らせた。
「ただいまぁ~、なぁ聞いてくれよ。実はさっきそこで交つ……お母さん?」
 唯一の家族である母からの返事が返ってこない。
 おかしいな。今日は仕事が休みだから家にいるはずなのに。昼寝でもしてるのか?つっても、もう夜だが。
「……お母さん?出かけてるのか?」
 今にも幽霊が飛び出てきそうなほどに静かで不気味な狭い廊下を歩き、リビングの扉を開く。
「なんだよ。いるじゃないか。「おかえり」くらい言ってくれよ」
 母は電灯も点けずに、リビングの食卓の上でうつ伏せで突っ伏していた。
 その姿を見て、こんなに寒いのに何故か汗がダラダラと流れ落ちる。
 しかも俺の足が母に一歩一歩近付くことに、体内の発達した直感力と、卓越した危機察知能力がレッドアラートで警鐘を鳴らしている。そう、その姿はまるで……。
「……おい!?お母さん!?」

 


 そこにあったのは、ナイフではらわたを抉り出された母の遺体だった。

 

 

「つまり自宅に帰って来た時には、既に母親が亡くなっていたと」
「……はい」
 俺よりいくらか歳を取ったくらいの若い女性刑事が、凛とした言葉で遺体の状況を聞いてきた。
 現在の時刻は22時15分。本格的に胃が給料の支給を求めている。
 だが残念ながら口が食物を受け入れてくれそうも無いため、胃袋にはもう少し我慢してもらおう。
 リビングにて母の遺体を発見した俺だが、なぜか頭だけは恐ろしいほどに冴え渡っていた。
 誰がどう見ても死んでいるのがわかる。よって119番ではなく、速攻で110番。10分後には制服警官数人に、若い女性刑事と初老の男性刑事が家にいた。
 母の死因は腹部を鋭利なナイフで切り裂かれたことによる失血死らしい。即死ではなく、数分間は意識があったようで、惨い殺しだったと警官が語るのを聞いた。
 そして今は「簡単な取調べ」を受けるために、火サスではお馴染みの取調室にて、半軟禁みたいなことをされている。
「オーケー。それではもう一度聞くわね。君は母親の死亡推定時刻、どこで何をしていたのかしら?」
 女性刑事の瞳が、探る様に鈍く煌いた。
「何度も言わせないでください。光陽園学院には行かず、サボって遊んでいました」
 女性刑事は手元の紙にボールペンを走らせた。
 まさか俺が母親を殺したと疑っているのだろうか?
 ……無理も無いよな。気分は悪いが、アリバイだって「サボって遊んでいた」なんて曖昧だし、最近は真面目に学校に通っていた。
 それを今日いきなり学校を休み、その日にこんな事件が起きたんだ。俺が警官なら絶対疑う。
「それではそのアリバイを証明することはできるかしら?」
「……はい。その時一緒に遊んだ友達が」
 そこまで発言した瞬間、取調室の扉が勢い良く蹴り飛ばされた。

「ちょっと!あんたのママが死んだって本当なの!?」

 取調室の扉に暴行を働いた少女こそ、俺のアリバイを証明する人物です。もう少しおしとやかに登場できないのか?パンツ見えそうだぞ。
「うっさい!それより本当なの!?」
 涼宮ハルヒの瞳が、驚くほどに無の光を放った。どんな顔をしていいのか分からないのだろう。
「ご覧の通りだ。母親は殺されて、俺は取調べを受けている」
 つーかよく来てくれたな。確かに証言のために呼んだが、正直あまり期待はしてなかったよ。
「あたしだってこのくらいの分別はつくわよ」
 そうかそうか。これで俺はこの取調べから解放されるな。そう思ってありふれたパイプ椅子に腰を下ろし、涼宮ハルヒが口を開くのを待ち望んだ。
 だが、
「ハルヒ!」
 またも取調べ室に突撃してくる人物がいた。それも二人。取調べ室ってのは、こんなにも騒々しい物なのか?
「親父にママ!?なんでここにいるのよ!?面倒だから黙って出てきたのに!」
 そう言えば前に一度だけ涼宮ハルヒの家にお邪魔した時、この二人を見たことがあった。どこかで見たと思ったが、両親だったか。
 父親は呼吸を荒くしながら涼宮ハルヒの方を睨みつけている。だが対照的に、母親の方は目元をハンカチで拭いながらメソメソと泣いている。
 おいおばさん。なんであなたが泣いてるんだよ。泣きたいのはこっちだ。
「まさかお前が警察にご厄介になるなんて……恥ずかしくないのか!?」
「ちょっと親父!なに勘違いしてるのよ!?あたしじゃなくてこっちの」
「言い訳は聞きたくない!」
 めちゃくちゃなオヤジだな。聞きたいのか聞きたくないのかどっちだよ。混乱してんじゃねーよ。
「まったく!お前はいつからこんな子に育った!こんなガラの悪そうな少年と仲良くなったり、最近は帰りも遅いじゃないか!」
「そんなの関係ないでしょ!あたしが誰と連もうかあたしの勝手よ!」
「大体ハルヒがそうなったのも、お前の育て方が悪かったからだ!だから市立じゃなくて光陽園にしかいけないんだ!」
「わ、私のせいだって言うのですか!?あなたが家庭を顧みることができたらこんな」

 

 

「うるせぇっ!」

 

 

 怒号と共に、目の前の無機質なアルミ机が吹き飛び、室内にいた全ての人間が俺を注視する。
「こんな警官に見られた場所でワーワー喚きやがって!恥ずかしくねーのかよ!?」
 ふざけた抜かしてんじゃねーよ!子供が大切だと思うなら、こんな場所で口喧嘩なんかするな。
「おら、もう結構だ。とっとと家に帰って家族会議でも離婚調停でも何でもしてくれ。ハッキリ言って迷惑だ。消えろ」
 ここに警察がいなかったら、絶対にこのクソオヤジに飛び蹴りの一つでもかましていたはずだ。友人の親?知るかよ。
「あんたらは親ですらない。親だったら子供の気持ちを汲んでやれよ」
 もううんざりだ。どうにでもなれ。
「彼女を帰していいのか?君のアリバイを証言する人物だろ?」
 女刑事は「何考えてるんだこいつ」と怪訝な表情で俺を見据えている。
 どうでもいいよ。だって俺は無実だし。アリバイ証明なんか必要ないね。
「そうか。ではもう一度初めから聞かせてもらえないか」
「なんでもどーぞ……と言いたい所ですが、そろそろトイレに行かせてくれませんか?本気で漏らしそうなので」
 プチ軟禁状態にされて数時間もイスから動いてねーんだ。そろそろ水分抜かな、恥ずかしい事態になりそうだ。
「それもそうだな。ここで小休止を取ろう。新川、彼をトイレまで案内してやってくれ」
「かしこまりました。森警視」
 監視付きかよ。勘弁してくれ。

 


 トイレ内部はそれなりに清潔さを保たれており、これなら落ち着いて用を足せる。
「って、見られて喜ぶ性癖は無いのですが」
 見られて無けりゃな。
「それは失礼。だが、取調べ中の人間から視線を外すわけにはいけませんので」
 勘弁してくれ。そんな風に放尿シーンをジッと見られては出せるもんも出せない。この初老刑事は、何故こんなにも実直なのだろうか。
「逃げたりしませんよ。つーか逃げられません。だってここは三階ですよ?」
 トイレの窓の外には月が世界を照らしており、十二月らしい寒風が吹き荒れている。こんなところからどうやって逃げろって言うんだよ。
 うんざりな取調べとは言え、逃げてなんになる。そりゃ拘束緊迫軟禁プレイなんて勘弁して欲しいが、大体逃げたりしたら俺が加害者として断定されそうでだ。
 ここはうんざりな取調べに、うんざりするほど付き合うくらいしか逃げ道はないのさ。
「新川警部、鑑識から報告がありました」
 トイレの外で、三十代前後くらいの男性が声を張ってきた。
 この声は多分、俺の家にやって来た制服警官の一人だ。胸元に名札があって、田丸(裕)とかって書いてあったな。
「失礼、少しここを離れますので、用が済みましたら呼んでください」
 へいへい。と軽い口調で返事をしておいた。
 こんなトイレから脱出困難なことくらい新川警部にもわかっているのだろう。じゃなきゃこうも簡単に目を離してくれるはずがない。
「……悪いな新川警部。俺にはここでノンビリしてる時間なんかないんだ」
 トイレの窓を全開にし、寒波を顔面に浴びる。っへぷし!
 鼻をすすって窓の下を見ると、一つ下層のトイレの窓が視認できる。さらに目を凝らせば、同じく最下層の窓も。
「さすがに窓は閉ってるな……あ~仕方ない」
 制服のシャツの袖を二つに破る。これを簡易式バンテージにして……
「一つ間違えたら重傷。間違えなくても軽傷。勘弁してくれ」
 溜息を漏らしながらも、窓から外へと身を乗り出し、柔い手すりを掴む。そういやなんかの映画で、こうやって懸垂トレーニングをしてる筋肉マンがいたっけ。
「さぁて、男をみせろ。頼むから間違っても笑いを見せるんじゃねーぞ。絶対に笑えない事態になる」
 呼吸を整え、自分なりにタイミングを計り……アン、デゥ、トゥルワ!
 手すりから一思いに手を離し、飛び下り自殺まがいの荒芸をした。

 

 

「うるぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁ!」

 

 

 最下層のトイレの窓を握り拳が捕える。
 窓ガラスが飛び散り、腕に小さなガラスが突き刺さったが、何とかトイレ内部の壁を掴むことができた。
 ギリギリ成功である。あと一瞬遅かったら、鉄筋コンクリート相手に正拳突きをブチ込むところだった。
 ハードなスタントモノマネのせいでガラスが突き刺さった箇所から血が流れ出ているが、今はそんなことどうだっていい。
 手すりから手を離し、無事とは言い難いが警察署の敷地内に脚を踏ん張ることができた。
 署内から騒がしい空気が感じられたため、一目散にその場から駆け出すべきである。
 出血箇所を手で押さえながら、全力疾走。とにかくここから離れないと。

 

 

 繁華街のビルに、パトカーのサイレンがやかましく反響している。
「バーカ。そんな小回りの効かないパトカーで、俺が捕まるかよ」
 裏路地と裏道を渡り歩き、廃ビルと工事現場を抜け続けたおかげで、今のところはこちらに追いつく気配は無い。
 あのまま警察に任せて取調べを受けてるべきだったかもしれない。
 だけどな、殺されたのは俺の母親なんだぜ?それなのにそのまま丸投げなんかできるか。
「警察なんかに任せられるか。俺が絶対に母親を殺した野郎を捕まえる」
 学ランの裏ポケットからタバコを取りだし、火を灯す。
「覚悟しろよ殺人鬼。世の中には絶対に喧嘩売っちゃならない相手がいるってことを教えてやるよ」
 煙を吐き、気分が高揚してから携帯電話のダイヤルをプッシュしていく。
「もしもし、俺だ。ちょっといいか?」
 受話器の奥で、電話相手の溜息が聞こえてきた。こんな夜分遅くに電話かけてスマンとは思ってるよ。だがな、お前しか頼れる奴がいないんだよ。

 

 

「やれやれ。と言うべきですかね」
「だから悪かったと言ってんだろうが。古泉」
 笑顔が癖の男には珍しく、厄介なことに巻き込まれたと言わんばかりにウンザリしているのは古泉一樹である。
 涼宮ハルヒと僅かに交流を持てた頃、古泉一樹と出会った。五月と言う中途半端な時期に転校してきたことから、彼女に「謎の転校生」と呼ばれている。一体どこの国基準で謎なんだか。涼宮王国か?ハルキングダムか?
 それ以来涼宮ハルヒは事あるごとに古泉一樹を財布にし、色々場所や施設へと連れまわした。それって世間一般的にはカツアゲと言う行為なんだぜ?
 いや、カツアゲとは言わんか。なぜならこいつは涼宮ハルヒにベタ惚れしているからな。言うならば、双方合意の上のデートもどきである。両方困ってなければいいか。
「今、とても失礼なこと考えていますよね?」
 さぁ?なんのことだか。
「まったく。いくら取り調べが嫌だからと言って、三階から飛び降りるなんて馬鹿ですよ。見てくださいよ。この血だらけの包帯」
 ああ、血も滴るいい男だな。って、ごめんなさいごめんなさい。シリアスパートに戻すので、110番を押さないでください。
「僕の両親がカナダに出張していたから良い物を……もう少し自分の身を大事にしてください。死ぬ気ですか?」
「死ぬ気なわけねーだろ。死ぬ気でなんかしようとする奴は死ぬだけだ」
 ああでもしなきゃ逃げられなかったからな。
 すると古泉一樹は「ああこの馬鹿には何を言ってもダメだ」と悟ったのか、無言のまま包帯や消毒薬を片していった。
「……なぁ、ところでお前の両親は元気してるか?」
 古泉一樹が救急箱を片す所を見ながら、なんとなく聞いてみた。いや、聞かずにはいられなかったと言うべきか。
「……えぇ。先日カナダから電話がありましたので。正月には一時帰国をすると」
 そうか。と答え、古泉一樹から借りた毛布を被り、上質なソファーに身体を休める。
「家に入れてくれてありがとな。明け方には出てくから、それまで辛抱してくれよ」
 この寒空で野宿なんかしたら死んでしまう。かと言ってホテルに泊まる金も無い。だからこうやって信頼できる奴の家に転がり込むぐらいしかできなかった。
 古泉一樹は良い奴さ。容疑者であり逃亡者である俺を「友人だから」と言う理由だけで上げてくれた。
 だからこそ甘えるのは一晩だけだ。彼にも迷惑がかかるし、俺が気にする。
「それでは僕は自室に戻ります。おやすみなさい」
 一人暮らしにはもったいないくらい広いリビングの灯りが落ち、青白い月の光が俺の身体を照らす。

「……畜生……お母さん……なんで死んじまったんだよ……」

 毛布と暗闇が顔を隠してくれるからいいが、嗚咽だけはどうにもならない。ひょっとしたら、自室で寝ている古泉一樹にも聞かれているかもしれない。
 でも、今まで必死に我慢してきた涙が、ここに来てダダ漏れだしてしまった。
 人間である以上、死は避けられない。
 だけど……こんな終わり方、唐突すぎるだろう!
 俺はまだ母親に甘えたいんだ!生んでくれてありがとうって言ってないんだ!
 ちくしょう。畜生。チクショウ。
 止まらない。どうやら俺は自分が思っている以上にヘタレでカッコ悪いガキのようだ。

 

 

 毛布の中で母親と歩んできた記憶の逆流に呑まれ、結局一睡もできなかった。

 

 

 

第二章へ続く


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