第四章


 
 学校を休もうと思っていた。
 あの文章を読んで、わたしが独立した存在ではないと悟ってしまったとき、本当に立ち上がれなかった。茫然自失としていた。どんなことを思い、考えたのかも記憶にない。ただ気がつくと窓の外の空が明るくなっていて、わたしの部屋もかすかながら太陽に照らされていたのだった。パソコンはカーソルを物語の最後の文字で点滅させたまま、何十分も前と同じ状態の画面を表示していた。
 涙は止まっていた。枯れてしまったのかもしれない。頬を伝った部分には少しだけ違和感があった。
 でも確かに、涙に浄化作用はあったらしい。カタルシス。わたしは黙って泣いているうちに、いったい何が哀しいのか解らなくなってしまったのだ。一人暮らししていることなのか、あの物語が『わたし』のものだったことなのか、わたしは存在的に独立した人間ではなかったということなのか、あるいはその全部か。
 悲しさも涙と一緒に身体の外に押し流されたのかもしれない。雨が泥を洗うように。そうだったらいい。
 朝食を食べているうちに、やっぱり学校は行こうと思い直した。彼の顔を脳裏に思い浮かべると、家にいるよりもいい気がした。
 とはいえ、わたしには、今日学校に行ったら何かしらよくないことが起こるだろうことは予測がついていた。
 最終期限・二日後。
 昨日、彼が部室で見つけた文章にはそう書いてあったのだ。だとしたら明日か、最悪今日、何かが起こる。あのプログラムとやらが起動するのだ。日常の輪郭までもが崩れ去る可能性もあった。
 『わたし』は言った。もしプログラムが起動すれば、わたしの世界は彼女の世界に上書きされてしまう、と。
 上書き。それがどういう意味を持つのかは解らない。コンピュータ的な考え方をするならば、わたしの世界は消えてなくなってしまうのかもしれない。上書きされれば、元あったデータはなくなる。
 でも、それならそれで構わないと思った。どうせこの世界は唯一のものではない。代わりがあるし、わたしの世界はもしかしたらその世界に従属する立場なのかもしれない。わたしだってそうだ。まったく同じ世界があって、そこにはわたしと同じかもっと優秀な『わたし』がいる。ダミーが消えたとしても彼女にとっては痛くもかゆくもない。
 もう開き直ってしまった。
 やる気はないけれど、今なら世界中を震撼させる大犯罪のひとつやふたつはできそうな気がした。なにしろ、世界はこんなにちっぽけなのだ。
 学校に出かける前、朝からずっとそのままだったパソコンを見て、わたしはあの物語のデータを処分した。スクロールしてバックスペースキーを一度押すだけで大量の文章が消えてなくなった。その様子を見ながら、わたしの世界も、もしかしたらこういう扱いを受けているのかもしれないと思った。上書きされ消えゆくデータ群。延々と横たわる砂浜のような真っ白の画面で上書きされ、二度と元に戻らない文章。そして同じように、上書きされて消えてしまう世界。それがわたしたちの世界なのだというのか。
 鞄を持って玄関を開けると、目の前に朝倉涼子が立っていた。ぎょっとした。
 彼女はすがすがしい微笑みを浮かべていた。わたしが玄関を開けると、彼女は必ずこの顔で出迎える。わたしも、それで少しは日々に希望を持てる気がしていた。穏やかな日常。
 でもそれも、今朝は空虚なものに感じられた。
「あら、長門さん。おはよう。ちょうどいいタイミングだったわね。今、ベルを鳴らそうとしていたところ」
「そう」
 わたしも小さな声でおはよう、と返した。
「あのさ、悪いんだけど昨日の鍋、今よかったら返してもらえるかな。帰りは時間が違うし、夕方はお互い忙しいかもしれないし」
「わかった」
 わたしは一度家に引っ込み、鍋を手にして戻ってきた。それから一緒に五階にある彼女の部屋まで行って彼女が鍋を置いてくるのを待ち、マンションを出た。
 いつもと変わらないこと。この生活をわたしは一年近くやってきたのに、たった二日や三日でその日常は崩壊してしまった。
 歩きながら彼女と話していると、やがて昨日のことに話題が移った。
「ねえ、昨日の彼とはどんな関係なの?」
 彼。あの『わたし』の世界の彼のことだ。確かに家にいるところを目撃されれば誰でも興味は持つかもしれない。
 ところでまったく関係ないけれど、彼女は話が本当にうまいと思う。最初は学校のたわいもない話だったのに、それがいつの間にか昨日の彼のことになっている。そこまでにどんな話があって、どんな話のつなぎ方をしたのだろう。とてもそんな話術がないわたしは素直に感心した。
「彼、本当に文芸部に来たの? 入部か何かするつもりで」
 また尋ねてくる。わたしは事実なので「来た」と答えた。彼女は少し不愉快そうな顔になった。
「ふうん。でも、たとえそうだとしても、彼はあなたの家に来る必要なんかなかったんじゃない?」
「え……?」
  彼女はしごく真面目な表情をしていた。幼い子供にものを教えるように。
「気をつけなさいって言ってるのよ。あなたが。昨日はたまたまあたしが来たからよかったけど、高校生の女の子と男の子がふたりだけになったらどんなことになるかわかったもんじゃないわ。いい? 高校生にもなって、一人暮らしの女の子の家に男の子が入ってきたら、ただご飯を食べるだけじゃ済まないのよ。イヤって言っても無理やり何かされることだってあるんだから」
 わたしは驚いた。まさか彼がそんな汚らしい野獣のように思われているとは心外だった。
 そんなことはありえないのに。彼はわたしにそんなことをできる人ではないのだ。わたしを見る優しい目が、そんなことを考えるわけがないだろう。
 それに――とわたしは思う。
 もし仮にそうだったとしても、彼なら、彼が相手なら怖がる必要などないような気もした。
 どうせ今日か明日、あの栞に刻まれていた期限というものが来てしまえば、彼かこの世界か、そのどちらかにまず間違いなく変化が起こる。彼が消えるか、この世界が『わたし』の世界に上書きされて消えるかだ。どちらを取っても彼と二度と会えなくなるのなら、ダミーでしかない役立たずのわたしはどうにでもなってよかった。いわばすべての権利が自由という形になってわたしに与えられたのだ。
 自暴自棄というならそれでもいい。だから別にわたしの何が壊されても構わなかった。そんなのは彼に近づくための手段でしかないのだ。
 抱きしめて欲しい。
 またあの感覚がやって来た。ぎゅっと抱きしめて離さないで。そして、わたしはここにいると言って欲しい。
 そうでなければ。
 わたしの目の裏が急速に熱を持った。視界がぼやけそうになったが、必死でこらえた。横を歩く彼女に気取られないように、眼鏡のつるを押さえた。
 今すぐにでも、消えてしまいそうだった。わたしがいなくても世界は何の問題もなしに回るような気がした。
 そう。いる必要がないのにいなければならないということほどつらいことはないのだ。存在を誰にも認めてもらえないのに、いないも同然なのに、いなければならない。
 本当の孤独は集団の中で生まれる。わたしはそのことを知っていた。
 でも、彼ならわたしを抱きしめてくれるかもしれないし、わたしの存在を認めてくれるのかもしれなかった。
 今まで誰にもしてもらえなかったこと。親なんか最初からいなくて、学校では誰にも求められないのに存在し続け、隣を歩く女子すらも優しさの仮面をつけているに過ぎない。
 けれど、そんな虚しい現実の中で、彼がもしわたしを認めてくれるのなら、わたしは彼と一緒にいたかった。そう。もしわたしにすべての自由が与えられたのなら。
 激しい想い。恐怖と希望がぶつかり合って葛藤し、混沌とした感情が渦巻く。何かにここまで心を揺さぶられることなんか今まで一度もなかった。もちろんそれは日常の崩壊を意味していたけれど、はたしてそのことが悪いのかどうかはもう解らなくなっていた。  
「あ……!」
 突然、彼女がわたしを見て驚いたように口を開けた。
「長門さん、女の子の顔してるみたい」
「…………?」
 彼女は何も言わずクスクスと笑って坂を歩くまわりの北高生を見回した。そこらへんに格好いい男子生徒がいるとでも思ったのかもしれない。
 でもそれは違う。わたしが考えていたのは彼のことだった。
 女の子の顔。
 それは、わたしが今までずっと考えまいとしていたことをとうとう露わにした一言だった。この熱い感情。火照る身体。暴走してしまうそうな精神。
 わたしはその時、初めて自分が恋をしていることに気づいた。



  物質と物質は引きつけ会う。それは正しいこと。私が引き寄せられたのも、それがカタチを持っていたからだ――。
 引力の理論を使って恋を説く。個人を個人と認識して、相手と交わるという程度の無機的で原始的な恋。それでも、わたしが頼ってもいいかもしれない希望のカタチ。
 恋なんてものははるか遠くにあるものだと思っていた。そもそも、そんなものがこの世界にあるとは知らなかった。お互いの策略がうまいこと合致し、あるいは失敗してどうしようもなくもつれこむような罠のことだと思っていた。科学に支配された空想世界を旅するわたしにとっては、恋は不確実な変数で、意味のないものだった。教室で、誰と誰が付き合っているなんて話を異世界のできごとのように聞いていた。
 それが今は、わたしの目の前にあった。
 恥ずかしくて誰にも言えない。文章にすらできない。世界の終わりが近いというのに、わたしはいったい何をやっているのだろうか。恋することで何が救われるのだろう。わたしか? それとも彼か、世界か?  世界の終末の恐怖から逃れる気休めにしかならないと、あるいは気休めにすらならないと解っていながらも、わたしには彼を想うことが必要なのだろうか。
 教室にいる間中、ずっとそんなことを考えていた。始業のチャイムが鳴ったのでわたしは読んでいた本を机にしまったが、その時に初めて、その本は昨日読み終えたものだと気づいた。神様によって破滅がもたらされた世界のSFだ。内容は一文字たりとも頭に入ってきていなかった。
 ぼうっとして身体に熱を持ったような感覚。薄っぺらで遠い世界。その中で妙に立体感のあるわたし。
 陶酔、しているのかもしれない。
 でも何に。
 初恋というのは恋に恋することらしいけれど、わたしもそうなのだろうか。彼なんかではなく、恋している自分に陶酔しているのだろうか。
 しかしわたしの場合は違うと思った。きっとこれは恋と呼べるような代物ではない。世の中の女子高生がしているような恋と、わたしのする恋が同じはずがないだろう。わたしが恋しているのは、わたしを認めてくれるかもしれない彼なのだ。恋に恋するなんて、自分のことだけで手一杯なのに、そんな余裕があるわけない。わたしはそんなに甘くはなく、ロマンチストでもない。
 いや、やめよう。
  こんなのはわたしには似合わない。ヘンテコな服を身につけてしまったみたいだ。この違和感。わたしには恋よりも、宇宙の神秘とか、世界の始まりと終わりとかについて考えるほうが似合っている。
 いっそのこと、サイエンスフィクションにどっぷりと浸かって妄想しかできない病気にでもかかれば楽だったかもしれない。そうすれば恋もありえなかった。空想と現実の間をさまようのは大変すぎるということを今、知った。
  授業の時間はあっという間に過ぎた。もとより短縮日課だ。黒板と時計とを交互に眺めているうちに授業が終わった。しかし短かったわりに、それはいつになくもどかしい時間だった。
 放課後になると、わたしはまっすぐ部室に向かった。いつもそうだけれど今日は特に足を速めた。
 明日も部室に行っていいか?
 彼の言葉が耳の奥で淡く甦る。優しい声。そして微笑。もしそうならば、わたしは部室で待ち続けなければならない。
 ――待ち続ける私に、奇蹟は降りかかるだろうか。
 ふと、あの物語の文章が頭に浮かんで、わたしはひとりで気分を悪くした。そして、今のわたしが置かれている状況は彼女の置かれている状況とまるで同じだということに気づいた。部室で彼を待つ。
 わたしの人生は『わたし』の人生が反映されるようにできているのかもしれない。そう思った。『わたし』の人生の出来事はわたしの人生にも何かしらの形になって反映されている。過去が謎であることも彼を待っていることも、そして彼に恋をしていることさえも。
 だとしたら、わたしの人生は既成のレールを往っているに過ぎなかった。あらかじめ決定されていた未来を淡々とこなす日々。逆らいがたい権力。しかし、そんな思考をどこまで広げても、それはもう悲しさを帯びてはいなかった。ただ、どこまでも広がる茫漠とした砂漠のような途方もなさを感じるだけだ。
 しかし、身体も思想もわたしのものではないのならわたしの自我はどこにあるのだろう、と思った。わたしのオリジナルのもの。あの物語はもうオリジナルではない。だったらわたしの自我はどこにある。彼のところにあるのか。この恋い焦れるような感情。
 部室では遠くから照らしてくる薄い太陽の影が、物理的に冷たいパソコンや本やパイプ椅子の輪郭をなぞっていた。昨日のままの状態。パイプ椅子が二個広げられているのを見てわたしは急に恥ずかしくなり、一個を畳んで壁際に戻した。なぜ恥ずかしかったのかは解らない。
 本を読むか文章を書くかしばらく迷ってから、文章を書くことを選び、わたしはパソコンを立ち上げた。もちろん彼が来るまでには電源を切っておかなければならない。
 パソコンがデスクトップを表示すると、わたしはカーディガンの中で温めていた手を出してマウスを操作し、書きかけのSFをごみ箱から取り出して保存してから、『わたし』の物語を表示させた。部室のパソコンには、家にあるパソコンとは違い、物語の最後の部分が少しだけ欠けている。書いている途中で彼がやって来てしまったからだ。しかし、それは幸運かもしれなかった。
 そう。わたしは今、ようやく決心した。この物語の続きを書こう。書きかけの、まだ完結していない『わたし』の物語を。いや違う。『わたし』ではない。今度こそわたし自身の物語を創るのだ。あるいは失敗するかもしれない。わたしのありとあらゆるもの――身体であったり精神であったり――が『わたし』に依存してしか存在し得ないなら、自分自身の物語を書くなんて狂言だ。でも、それを綴ることが少なくともわたしの感情の昇華になるのだったら躊躇うことはない。恋というものは不思議だ。わたしに勇気を与えてくれた。しかもそれは、以前はありえなかった、とても積極的な勇気だったのだ。
 わたしはディスプレイを見つめた。ここから先は思うように文章が進まないかもしれない。糸を紡ぐような作業かもしれない。でもそれでいい。嘘のようにすらすらとあっという間にできた物語は、やはり嘘でしかなかったのだから。  
   


 その部屋には黒い棺桶が置いてあった。他には何もない。
 暗い部屋の真ん中にある棺桶の上に、一人の男が座っていた。
「こんにちは」
 男は私に言う。笑っていた。
 こんにちは。私も彼に言う。私の表情はわからない。
 私が立ち続けていると、男の後ろに白い布が舞い降りた。闇の中、その布は淡い光に包まれていた。
「遅れてしまいました」
 白い布が言った。それは、白く大きな布を被った人間だった。目にあたるところが丸く切り取られ、黒い瞳が私を見ている。
 中にいるのは少女のようだった。声で解った。


  
 ここまでが昨日にわたしが書いた、『わたし』の物語だった。この後、本筋通りならば『私』は棺桶に入れずに物語が終わる。男が棺桶の上に座っていたからだ。
 わたしはそこを崩してみようと思い立った。わたしならきっと、棺桶に入れるだろう。苦しみながら文字を連ねる。自分自身の文章を。



 男が低い声で笑った。しかし表情は真剣だった。
「時間がありません。あなたの番が近いのです」
 私の番。
 そうか、思い出した。私は発表会に参加しなければならなかったのだ。だから、そのために私はここへ戻ってきた。しかし、わたしが男にそう言うと男は首を振った。
「いいえ、残念ながらそれは違います」
 どうして。
「あなたには発表会に参加する資格がないのです。あなたは発表会を通り過ぎて、速やかに還元されなくてはなりません」
「あなたは還元されるためにここへやってきたのです」
 白い少女のオバケも楽しそうに言う。還元。どういうこと。私はどうなってしまうのだろう。
 男が柔らかく微笑んだ。
「粒子になるのです。還元されたあなた方はしばらくの間、氷のように固まらなくてはなりません。しかし、氷は溶け水になり、やがて蒸気になります。そうして時が過ぎれば、あなたはまたこの場所に戻ってくるのです」 
 時。それがどれほど膨大な量なのか私には見当がつかない。しかし、わかる必要もなかった。時間は無意味。ここは偽りの世界なのだから。
 男の姿が弾けるように舞い散った。少女のオバケの姿も薄れ、空気に溶け込んだ。棺桶と私だけが部屋に取り残された。
  私は棺桶の蓋をずらして中に入る。たったひとりで、還元されるために。底は暗くて見えなかった。
  長く横たわっているうちに私はなくなった。そう。なくなった。顔も。記憶も。名前も。すべてが水の結晶のようにはかなく消えていった。これが還元されることなのだ。そう思ったことさえも、すぐに消えた。綿を連ねるような奇蹟が、私からどんどん剥がれ落ちる。
 奇蹟が、私から剥がれ落ちていく。

 

  わたしはキーボードを叩く手を止めた。これ以上はもう、書けそうになかった。なにしろ語り手がなくなってしまったのだから。彼女は粒子に還元された。彼女のすべては消滅して彼女は無になったのだ。ちょうどわたしの世界が消滅するときのように。世界も上書きされれば、元あった世界は無になるに違いない。ゼロに還元され、なくなる。そしてまたわたしという個体も、その時は『わたし』に上書きされて無になるに違いなかった。
 ただし、それは還元ではなく消滅だ。わたしの意識も身体も、どこにも存在しなくなるのだ。この世界にも彼女の世界にも。ゼロではなく、無なのだ。概念すら消えてしまう。上書きされてしまえば、わたしが存在したという痕跡すらどこにも残らない。それが少し、寂しいような気もした。
 わたしはその文章を前の物語とは別に保存した。それからパソコンの電源を切った。おそらく、もうこの文章を読み直すことはないだろう。パソコンを触るかどうかすら解らない。もし今日、世界に異変が起こるのだったら。 
 時計を見ると、とうに一時を過ぎていた。
 彼は来ない。どうしたのだろう。わたしはにわかに不安になった。嫌な予感が頭をよぎった。それは世界が終わってしまうという実質的な予感と共に、彼と二度と会えなくなるのではないかという感覚的な予感もはらんでいた。
 わたしはその予感を打ち消すために鞄からパンを取り出した。きっと、考えることをやめれば恐怖も収まる。海がなければ波は立たないし、プレートがなければ地震も起こらない。根本的原因と結果。世界だってひとつしかなかったら上書きされることもなかった。
 わたしはパンの袋を開けてひとりでそれを食べた。部室の窓から見える空には厚く灰色の雲がかかっていて、空気は湿り気を帯び、パンはしっとりとした味をしていた。わたしはパンを食べながら、天気のことや、読みかけのハードカバーのことや、推敲したSFのことを考えた。ああ、そういえばあのSFもパソコンの中に取り残してしまった、と思った。実に奇妙なSFだった。まともに読んでいればSFとは気づかないかもしれない。トリックは巧妙に、しかし確実に仕込まれている。同じようで何かが違う世界。原因と結果。日常に変化をもたらす犯人。構成も文章もうまくいっていた。流れは順調だった。そのSFももう、二度と読まないのかもしれない。
 とはいえ、わたしに未練はなかった。どうせあのSFを完成させることは不可能だ。少なくとも今日明日でできる仕事ではないし、そして世界の変化という期限は今日明日中にまず間違いなくやってくる。書き上げて文学賞に応募しても選考の結果が解らないまま世界は終了するのだろう。世界の終わりなんてまるでサイエンスフィクションだけれど、現実は冷徹にわたしの前にある。わたしの書いたSFとは違い、この世界の日常と非日常は、今や境がはっきりと解るほどかけ離れてしまった。領土を分割したふたつの国のように。あるいは中世、近代という年号のように。
 わたしはいつか彼が来るまで、読書をすることにした。窓辺のパイプ椅子に身をゆだねて風の息づかいを感じながら。それはあと十分の話かもしれない。もしかするとあと三時間待つ可能性だってあるし、今日は来ないこともあり得る。でもわたしは、来るべきその時に備えて本を読んでおくことにした。知的な生の営み。
 わたしが読もうと思って手にしたのは、SFの分厚いハードカバーでもミステリでもファンタジーでもなく、薄っぺらな恋愛小説だった。なぜこんなものがこの部室にあるのだろう、と訝ってしまうほど部室の雰囲気と合致しない本だった。
 その本はフィクションではあるけれど、ファンタジー性は皆無だった。異世界でもないし特殊な設定があるわけでもない。未来でも過去でもない。でもそれでまったく構わなかった。わたしにはもう、そんな重い小説は読めない。ファンタジックなのは現実だけで充分だ。
 わたしは椅子に座って本の表紙をめくった。
 もともとたいした期待はしていなかったが、その恋愛小説は読んでみると本当に内容の乏しいものだった。そう。薄っぺら、なのだ。世界観も価値観も人間性も恋自体も。何もかもがはりぼてのように手抜きでつくられていた。意識の上っ面だけをすくい取って書かれた甘すぎるストーリー。登場人物は誰もが感情というものが感じられない、まったく奥深さのない性格をしている。それはまるで、作者の内面を浮き彫りにしたような醜さだ。登場人物は誰ひとりとしてその物語の中で生きておらず、わたしには彼らが感情という概念を与えられた機械に見えた。でも彼らは所詮は機械だから感情を数学的にコントロールしている。だから物事の本質的なところは何ひとつ語られていやしない。肉の臭いも血なまぐささもまったくない。ひたすら爽快で、砂糖を入れすぎたコーヒーのように甘ったるいだけだ。
 伏線とそれの回収作業を延々と繰り返すだけの退屈な小説だった。でもわたしは黙ってそれを読み続けた。投げ出すことも、文字から目を離すこともしなかった。確かにそれはまともに評価できるような内容ではなかったけれど、わたしに書けと言われてもとても書けないだろうと思った。なにしろ恋とは何なのか、わたしはまだ理解していないのだから。
 恋とは何なのか。そう。それを知るためにこの本を開いたのに、最後まで読んでもこの本は何の回答例も提示してくれなかった。
 ようするに、と本を閉じてわたしは思う。
 この世界に恋なんてものは本当は存在していないのではないだろうか。確かに、誰かを好きになるということはあるかもしれない。格好いいとか憧れとかあんな風になりたいとか。人を好きになることはある。でもそれがはたして恋や愛と呼べるほどの深い意味合いを持っているのかどうかといわれれば微妙だった。いったいこの世の誰が恋愛をしているのだろうか。鏡の中の自分ではなくて本当に相手のことを思える人がどれほどいるのだろう。その数は数えられるほどしかいないのかもしれない。
 少なくともこの本の作者は恋愛などしたことがないに違いなかった。だからこの物語は、はりぼてみたいな見え見えの虚構にしかならないのだ。こんな本があるから読者は愛にだまされる。きれいすぎる恋がこの世にあると信じ込む。
――あなたにすべての自由が与えられたとき、誰と一緒にいたいか。一緒にいたい相手がいるのだったら、あなたはその人のことを愛しているといってもいいのかもしれない。
 それは、わたしが『わたし』に言った言葉だった。しかし今はその言葉さえも意味が霞んで見える。砂漠のはるか彼方に揺れる蜃気楼のように。近づけば消え、手にしようと思ってもクモの糸のようにするりと逃げてしまう、つかみどころのない言葉だった。そんなのはあの人と一緒にいたい、と思いこんでいるだけなのだ。でも、わたしはどうかと訊かれたら、そうではないと信じたかった。
 わたしは本を手に立ち上がった。そして丁寧な手つきで本棚に戻し、代わりにハードカバーを出してテーブルに置いた。身体も頭も熱っぽい空間を漂っていた。お風呂のお湯の中にずっと浸かっているように、のぼせた感覚がある。こんな毒気は早く抜かなければならない。世界が終わるときもこんな調子では、わたしは大切な何かをし損じてしまう気がした。
 わたしはハードカバーに目を落とす。

 

 時計の短針が二を過ぎた頃、扉にノックがあった。コンコン、と二回。その音は弾んでいるように聞こえた。
 わたしは小さく飛び跳ねた。心臓の鼓動が激しくなるのを感じた。
 ついにその時が来たと身体を身構え、身震いして深呼吸をする。その深呼吸はかつてないほど用心深いものだった。肩の力を抜くように大きく、深く、そして念入りに。全身を脱力させてから、またエネルギーを取り込むようにゆっくりと空気を吸収していく。 
  扉が開く。彼が顔をのぞかせる。
「よう、長門」
「あ……」
 わたしは彼を見てもう一度息を吐いたが、どうもそれだけでは済まないらしかった。入ってきた彼の後ろにはさらに三人の人間が隠れていた。それを見てわたしは、とうとう来るべき時が来たと思った。予感は確信に変わった。
 彼らには奇妙な印象を受けた。十年来の友達のような感覚を。そう。わたしはずっと前から彼らを知っていた。
 彼らはただ者ではなかった。そんな気配がした。
 三人のうち、ふたりが女子でひとりが男子だった。彼の真後ろにいたのは、頭にリボン付きのカチューシャをした女子だった。彼女の瞳は丹念に磨かれたガラスのようによく澄み、なおかつ活気に満ちていた。無垢で、底なしの好奇心のようなものがその瞳にはあった。
 もうひとりの女子はカチューシャの女子に抱き込まれるようにされて困惑の表情を浮かべていた。亜麻色の髪をしていて小動物を思わせる可愛らしい女子だった。
 男子の方は整った顔立ちで微苦笑を浮かべていた。長身で、その様子はわたしにホストなんて言葉を想像させた。カチューシャをした方の女子と微苦笑の男子は体操服を着ていた。 
 三人の顔を見回してわたしは、直感に似た何かが背筋を、腕を、指の先まで体中のすべての組織を通過するのを感じた。冷たい風が身体を芯まで凍てつかせるように。それは本能だった。あの知らず知らず湧き出てくる文章と同じ感覚があった。おぞましい、ともいえるのかもしれない。彼女たちに、とても強く何かを感じる。月に影響されて満ち引きする潮の流れのような、根本的な何かを。でもそれが何なのか、わたしには解らない。 
「こんにちは」
 カチューシャの女子が笑顔を振りまきながら明るい声で言い、部室のドアを閉めるとがちゃりと鍵をかけた。その様子を見てもうひとりの亜麻色の髪をした女子がビクリと身体を強ばらせた。
「なんなんですかー?」
 半泣きだった。わたしはそれに、頭をバットで殴られるような強い感覚を受ける。記憶を混ぜっ返されているようなこの感覚。
「ここどこですか、何であたし連れてこられたんですか? 何で、かか鍵を閉めるんですか? いったい何を」
「黙りなさい」
 カチューシャの女子がぴしゃりと言ってのけ、亜麻色の髪の女子はいっそう縮こまる。ああ、何だろうこれは。記憶の奔流。脳組織をいったん潰して再構成しているみたいだ。彼女の台詞は確かに聞き覚えがあった。
「そっちの眼鏡っ娘が長門さん? よろしく! あたし涼宮ハルヒ! こっちの体操服が古泉くんで、この胸だけデカい小さい娘が朝比奈さん。で、そいつは知ってるわよね? ジョン・スミスよ」
「ジョン・スミス……?」
 彼を向くと、彼は肩をすくめた。ジョン・スミス。懐かしい響きがある言葉だ。初めて知ったはずなのにずっと前から知っていた気がする。そのことがわたしに、彼もきっと特別な運命を背負った人間のひとりなのだろうと思わせた。そう。情報統合思念体に造られた対有機生命体コンタクト用ヒューマノイド・インターフェースのように。
 そして、彼女。涼宮ハルヒ。
 わたしは大きく息を吸った。そして吐いた。ひんやりした空気が肺をすうっとさせた。
 彼女が。
 彼女が、彼の探し求めていた女子なのか。涼宮ハルヒ。彼の世界ではここの住人だったらしい女子。彼は初めてこの部室に来たとき、彼女のことをひどく気にかけていた。涼宮ハルヒという名前に聞き覚えはないか、と。
 そして、それが見つかったということは、何かしらの崩壊をともなう気配がした。
 新しいものがひとつできれば古いものはひとつ消え去る。ただしそれがわたしなのか、彼なのか、この世界なのかは解らない。
 わたしは改めてカチューシャをした女子を眺めた。薄桃色の肌。澄み渡って意思の強そうな双眸と、それを縁取る長いまつげ。唇はきっと十文字に引き締まり、顔立ちは整っている。目も鼻も口も。あるべきところにあるべきパーツがある。彼女は見れば見るほど美人だった。そして、彼女の特徴ある瞳には、宇宙の始まりであるビッグバンを予感させる激しさと神秘さが一緒に呑み込まれていた。どこまで見ても透き通っていて、しきりに輝いている。
「ふーん、ここがそうなの。SOS団か。何にもないけどいい部屋だわ。いろいろ持ち込み甲斐がありそう」
 彼女は亜麻色の髪の女子――朝比奈さんといったか――から手を離して、興味津々の様子で部室を隅々まで歩き回り、窓の外を覗いたり本棚を眺めたりした。デジャヴ。彼女のこの、窓の外を眺め渡す堂々とした後ろ姿を、わたしはいったい今まで何度見てきたことか。そしてその時は必ず、わたしの手元には本があった。
「でさ、これからどうする?」
 彼女が言うと、彼が「お前、何も考えずにここまで来たのか」とあきれた声を出した。
「この部屋を拠点にするのはあたしとしても賛成だけど、交通が不便だわ。学校が終わってからここに来るには時間がかかるしさ。あたしの学校と北高って全然交流ないしね。そうだ、時間を決めて駅前の喫茶店に集合ってことでどう?」
 駅前の喫茶店。わたしの身体は知らず知らず、その言葉に反応した。顔を上げて彼女を見ていた。店名は言われなくても解る。ドリーム。そんな名前だったはずだ。なぜそんなことがわかってしまうのか。それは疑いようもなく『わたし』の影響だった。『わたし』の記憶は消し去りがたくわたしに染みついている。それがどうしても嫌で、わたしは心の中で顔をしかめた。
 その時――。


 ピポ。


  突然、背後から電子音がした。何だろうと思って振り向くとパソコンが起動した音だった。誰も手を触れていないというのにパソコンが起動している。
 わたしはそのことにはたいして驚かなかった。見越していた、といってもいい。彼ら四人がこの部屋に集まった時点で、きっと何かが起こる、と。
 そう。いよいよ仕上げの時間というわけらしい。
「ひえっ?」
 朝比奈さんが驚いた様子で後ずさりした。それ以外はみんな、いきなり起動したパソコンに目を向けている。特にパソコンを見つめる彼の目には、驚きの色の中に何か祈るような感じさえ受け取れた。
 やがてパソコンのディスプレイは明るくなっていった。
 その様子を見ながら、わたしはこれから何か恐ろしいことが始まってしまうのではないかとにわかに恐ろしくなった。未練なんてものは捨てたはずなのに、この世界がなくなってしまうのが怖かった。
 そしてそれは間違いなく今から起こることだった。おそらくそれは、このパソコンによってもたらされる。
 あまりに怖くて、電源に手を伸ばしそうになったが、ぎりぎりで思いとどまった。どうせ電源を切ったところで意味はない。きっと時間稼ぎにすらならない。この状況は避けがたく、わたしの目の前にあるのだ。回避不可能な地球の滅亡の時のように。それは神様の仕業といってよかった。
「どいてくれ」
 彼が明るくなっていくディスプレイを見て真っ先にパソコンの正面に立った。わたしも彼の横からパソコンのモニタをのぞき込む。
 すると、それを待っていたかのようなタイミングで、モニタに文字が流れ出した。音もなく、雪のように静かに。


 YUKI.N>これをあなたが読んでいる時、わたしはわたしではないだろう。


 長門有希。夢の中で出会った、彼女だ。わたしに対するあらゆる物事の支配主。そしておそらくは、この世界を創り上げた犯人。
「何? スイッチも押してないのに、びっくりするじゃないの」
「タイマーがセットされていたのでしょうか。それにしても、えらく古いパソコンですね。アンティークものですよ」
 背後で涼宮ハルヒと古泉くんが会話をしていたけれど、彼もわたしも聞いていなかった。一字一句見落とすことはできない。瞬きも惜しい。この三日間のありとあらゆる出来事が、この一瞬一瞬に集結しているのだという気がした。


 YUKI.N>このメッセージが表示されたということは、そこにはあなた、わたし、涼宮ハルヒ、朝比奈みくる、古泉一樹が存在しているはずである。 

  
 まるでわたしに読む速度に合わせたようにカーソルは無機質な活字体を紡いでいく。

 
 YUKI.N>それが鍵。あなたは解答を見つけ出した。

 
 鍵。この場合のあなたというのが彼であるということは解っていたが、わたしにもはっきりと意味が解った。プログラム起動条件が揃ってプログラムが起動したのだ。
 そして、世界は上書きされる。
 文書データをデリートして新しい文書を保存するように。ふたつの線路が合流するときに、片方の路線を走っていた電車が脱線するように。

 
 YUKI.N>これは緊急脱出プログラムである。起動させる場合はエンターキーを、そうでない場合はそれ以外のキーを選択せよ。起動させた場合、あなたは時空修正の機会を得る。ただし成功は保証できない。また帰還の保証もできない。

 文字は続く。

 
 YUKI.N>このプログラムが起動するのは一度きりである。実行ののち、消去される。非実行が選択された場合は起動せずに消去される。Ready? 

 
 それで終わりだった。末尾でカーソルが点滅している。
 時空修正。ふたつの世界をひとつにする。
 わたしはその時、どうなってしまうのだろう。彼女に上書きされて消えるのか。何の跡形も痕跡もなしに、抵抗すらできずに。
 わたしにはこの文章があまりに身勝手なことをいっているように思えた。『わたし』は自分でつくったものを自分で消すのは当然の権利だと思っている。著作権のある人が著作をどうするか決めるように。
 そんな馬鹿なことがあってたまるか。とわたしは思った。ここは、この世界は砂のお城ではないのだ。つくって、潰して、そんな自分勝手なことが許されるわけがない。たとえそれが『わたし』であっても。彼女が何の気なくつくってしまったそこには生きている人間がいて、ものを考え、苦しみ、生活しているのだ。しかもそのうちひとりは、世界が変わることを知っている。これから自分自身と世界に何が起こるのか、察しをつけている。
 わたしはしばらく静かに青白い炎を燃えたぎらせていたが、そのうちそれも冷めてしまった。考え詰めれば、わたしの怒りはひどく空虚なものに成り下がった。
 神様がいるのなら、わたしたちはそれに従うよりほかない。そう思った。それがたとえどんなに過酷な運命だったとしても、世界を創った者がそう言っているのなら、わたしたちは受け入れるしかない。あのハードカバーのように、神様が怒って地球が滅亡しても。
 だって、神様がいなかったら、そもそもわたしたちは存在すら許されなかったのだから。 
  わたしは泣きたいのを必死で堪えた。眼鏡を押さえた。それもかなり長い間。
 この世界を創って、わたしを存在させてくれたのは『わたし』だったのだ。この世界がなければ、そもそもわたしという個体は身体も意識も、どこにも存在できなかった。
 だったら、最初から存在しなければよかった。存在しなければ今のような苦しみを味わうことはなかった。
 そんなことを、わたしは言うつもりはない。この世界に存在できてよかったと、今なら、言うことができる。
 あるいは、過去のわたしだったらそう思わなかったかもしれない。最初からいなければよかったと言うかもしれない。
 その違いはどこにあるのか。過去と現在のわたしの、考えの違い。
 言うまでもなく明らかだった。今のわたしは恋をしていた。熱く燃えたぎる感情。それが過去と現在の大きすぎる違いだった。
 彼が近くにいて、こんな感情らしい感情を味わえてよかった。彼はわたしの存在を認めてくれた。この世界にいてひとつだけいいことがあったとするなら、そのことだった。
 そして気づいた。唐突に。
 『わたし』が持ち得なかったものはそれだ。わたしは持っているのに『わたし』は持っていないもの。言い換えるなら、唯一、わたしのオリジナルのもの。
 それはこの感情だった。
 なぜなら、彼女には最初からその機能が与えられていなかったからだ。彼女は恋をすることも理解することもできなかった。
 彼が言う。
「すまない、長門。これは返すよ」
 差し出されたのは白紙の入部届けだった。この瞬間に、わたしは彼の決意を悟った。彼はわたしではなく『わたし』といることを、彼の世界に戻ることを選んだ。
 悲しさはなかった。寂しさもなかった。
 わたしにはするべきことがあったからだ。彼が戻るなら、それでも構わない。それでもわたしにできることは、ひとつだけある。
 夢の中の彼女の言葉が耳の奥に甦る。
「わたしとあなたが同じ一個体だったらよかった」
 わたしは答えた。わたしもそう思う、と。
 今ならできる。この感情を、彼女には機能として与えられなかったこの想いを、彼女に飛ばそう。そんなことが可能なのかどうかは解らない。でも彼が彼の世界に戻るように、わたしの想いもその瞬間、彼女に伝わらないとも限らなかった。
 わたしと彼女は同じ一個体になる。彼女の中で、わたしも生きる。
 彼の指がパソコンに伸びた。彼が何をするかはもう解りきったことだった。
 その指がエンターキーを押し込んだ。


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