―12歳の春。初めて「彼女」に出会った―
―赤き瞳を輝かせて俺を見つめる彼女は、神々しさと麗しさを兼ねそろえた女神に見えた―
『闘う理由』
「はぁ?転校?」
ブラウン管の中で暴れる俺の分身は、その一言で空中から降りられなくなり、無様な血反吐を吐いて地面を舐めた。
「そ。転校」
彼女の分身は現実ではありえそうも無い短いスカートをはためかせながらガッツポーズをしていた。これで今日だけで27連敗である。バグってんじゃねーのか。
「んなわけないでしょ。あんたが下手なだけよ」
ちっ。たかが格ゲーで勝ち誇るな。
「たかが格ゲーでムキにならないでよ。子供か」
「あーあ、悪かったな。どーせ俺は子供ですよ」
握り締めてたコントローラを薄桃色のカーペットに投げ出してふて寝してやりゃ満足か?フンだ。
久しぶりに家に呼んだかと思えば、朝からぶっ通しでゲーム大会である。こっちはいい加減目が爛々としてきてるんだ。少し休憩させてくれ。
「……で、転校って本当か?」
彼女に背中を向けていたのはラッキーだ。絶対に今、笑えるくらい変な顔している。
「聞こえてたんなら返事しなさいよ。その歳でボケたのかと思ったじゃない」
ああ聞こえてたさ。……ボケた方がまだマシだったけどな。とまでは言わないでおいた。
「そうなのよ。涼宮ハルヒが未来人と宇宙人に接触したっては知ってるでしょ?なんかそしたら機関代表であたしが行くことになってさ。あ~あめんどくさい」
だったら断ればいいだろ。
「できると思う?所詮はただのサラリーマンなんだから。あたしら」
それを言うならアルバイトだろ。まぁどっちにしろ無理か。
「いつこっちを離れるんだ?あんまり急じゃなけりゃ、森さんたちと送別会くらいなら開いてやるぞ」
さざなむ俺の心情を察せられない様に細心の注意を払いながら聞けただろうか?正直、彼女の勘の良さには勝てた試しが無いので不安である。
「今週の日曜」
「明後日じゃねーか!」
「相手はあの涼宮ハルヒなのよ?一秒だって安息を与えてくれるわけないでしょ」
いい迷惑だ。なんであんな女に世界の命運が握られてんだよ。
「なーに?あんたひょっとして寂しいの?」
心の内をえぐるような言葉である。寂しいさ。だからこんなに動揺してるんだろうが。絶対に言えるわけがないが。
「あたしは寂しいよ?」
「……え?」
思わず顔を上げた瞬間、目の前に白い光が瞬いた。
「……プ!変な顔!あんたそれ最高のマヌケ面よ!」
手のひらを返して握っていた携帯画面を見ると、確かにバカでマヌケなアホ面をした少年が写っていた。
「消せ!今すぐ消せ!」
手を伸ばして携帯電話を奪おうと試みたが、彼女のプリーツスカートから伸びた白い足がみぞおちを貫く。ぐへっ!
「嫌よ!こいつはあたしが機関にバラまくんだから!」
マジで勘弁してくれ!そんなの森さんとか森さんとか森さんに見られたら一生からかわれるに決まってる!
「消してほしかったらあたしにゲームで勝つことね。ほーら!コントローラーを握りなさい!」
「ぜってぇ負けねぇ!」
男のプライドをかけた戦いだ。絶対に負けてたまるか!来い!持ちキャラ!
「ちなみにタイムリミットは今日中だからね。今夜は徹ゲーよ!」
カーソルが俺と最も付き合いの長いキャラクターに合わさる。きっと神人と殺り合う時より集中力が高まっているはずだ。
しかし俺のやる気満々度とは対照的に、彼女はなかなかカーソルを動かさない。どうした?早く選べよ。
「寂しいって言ったのは本当よ」
その瞬間、彼女の小さな肩が俺の胸に預けられた。え?え?え?
短い電子音が携帯電話から流れ、白い光が瞬いた。
「こうやってあんたと遊べなくなるからね。こっちの写メは流さないでおいてあげるわ」
それだけ言って無表情で画面に向き直った彼女は、今まで見たどの姿よりも可愛かった。
体中を突き刺す雨が痛い。
俺がその「訃報」を機関から聞いた時、自分の頭が狂っていることを願った。
通っている高校から機関の息がかかった総合病院まで全力疾走で走ったおかげで心臓が張り裂けそうになった。
いや、こんな時まで嘘をつくな。心臓どころか全身がとっくに張り裂けてるだろうが。
嘘だ。嘘だ。きっと一月遅れのエイプリルフールなんだろ?それともいつものお茶目に決まってる。
騙されてやるから……生きててくれ!
「森さん!」
病院では静かにするのが礼儀だが、こんな時に冷静でいられるほど魂は腐っちゃいない。俺の上司である年齢不詳の長髪美人に声を荒げた。
「……医者は最善を尽くした。後は、あの子の精神力だけよ」
彼女がいる個人病室には「面会謝絶」と書かれた無機質な札が下げられている。
閉鎖空間での戦闘にはケガがつき物だ。俺自身、慣れるまでは骨折や打撲は日常茶飯事だった。
でも彼女はどんな絶望的な戦闘だって冷静にこなしていた。そんな彼女が、神人が一人でいるカテゴリBクラスの緩い戦場で重傷を負うわけが無い。
「起きろよ!明日の夜には引っ越すんだろ!?俺、お前のために送別祝いまで買ったんだぜ!?」
高校生の買う送別祝いなんてたかが知れているが、あいつのお気に入りの携帯電話に合いそうなストラップを見つけたんだ!
「ま、せっかくだし着けてあげるわ」って照れくさそうに微笑む姿が見たくて買ってきたんだ!
「だからお願いだ!目を覚ましてくれ!お前のいない世界なんか嫌だ!」
白い包装紙に包まれたストラップを握り締め、頑丈なドアを叩き続ける。この音が聞こえるか!?聞こえるならドアを開けてくれ!
「落ち着け!」
背後から羽交い絞めにされても、一心不乱にドアを蹴り続けた。
顔が雨でグシャグシャなのか、それとも涙でグシャグシャなのか、俺にはわからなかった。
「ちくしょぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉ!」
深夜未明。彼女はこの世界から消えた。
白い布が顔に覆われた彼女の遺体と共に、俺はただ一人、病室で一晩中泣いていた。
「作戦当日、彼女の体調はあまり好ましくなかったから、私は出動を止めた。だが「これがあたしの務めだ」と言って聞かなかった。上司失格だよ。私は」
涙を堪えながら入室する森さんの姿が痛い。
違う。俺のせいだ。俺が、たかがゲームでムキにならなきゃ良かったんだ。そうすればあいつは万全の状態で闘えた。
「これは彼女の遺留品の一部だ。本来なら親御さんに全て渡すべきだが、これだけはお前が持っていてくれ」
それは彼女のお気に入りの携帯電話だった。
「これを……俺に?」
涙を拭って画面を開いた瞬間、理由がわかった。
待ち受け画面に設定されていた画像は、俺と彼女が笑顔で並んだ「あの」写メだった。
残っているはずのない涙が、待ち受け画像を滲ませた。
「……森さん、お願いがあります。俺を……北高に連れていってください」
「……復讐か?そんなこと許すわけがないだろ」
「そんなことはしません。俺はただ、彼女の代わりになりたいだけだ」
彼女が守るはずだった世界。代わりに俺が守ってみせる。
それが俺の『闘う理由』だ。
「勘違いするな。たとえどんな人間だろうと、他人の代わりにはなれない」
わかっているさ。それぐらい。
「それでも背負うことはできるはずです。彼女の死を背負い、『僕』はこの世界を守ってみせます」
「了解した。すぐ手配しよう。古泉一樹」
僕の少年時代は、今日、終わったんだ。
「古泉くんの携帯電話って、なんか女の子っぽいよね」
「僕は結構気に入ってるのですが……変ですか?」
「んーん。古泉くんみたいなイケメンが持つと、それはそれでカッコいいわ」
お褒めに預かり光栄です。本日の涼宮さんの私服も、大変お似合いですよ。
「あら、ありがとう」
少しだけ、ほんの少しだけ照れくさそうに前を向いた横顔が、「あいつ」に似ていた。
「もっとも、僕よりは彼に褒めてもらいたいでしょうけど」
「なんでキョンが関係あるのよ」
おや?僕は「彼」とは断定しなかったはずですが……語るのは野暮ですね。止めておきましょう。
「あ!あそこ気になる!古泉くん!着いてきなさい!」
涼宮さんが指差す進路を追いながら、僕は確かな充足感を味わっていた。
なぜなら僕の守っている世界が、目に見えて感じられたから。
完