※上記の広告は60日以上更新のないWIKIに表示されています。更新することで広告が下部へ移動します。

 

 

あれだけ鳴いていた蝉は、どうやら鈴虫にバトンタッチしたらしい。
だからと言ってジージーもリンリンも俺にとっては似たようなもので、茂みの中から巨大カマドウマが姿を表すなら別だが、まぁ風情が出るかなんて思いながら俺はお皿に積まれた月見だんごを一口頬張った。ほんのり甘さは秋の味。
そんな俺をチラリと一瞥し、隣に座る佐々木は笑ってんだか呆れてるんだかイマイチ分からない溜息をついた。
「まさに花より団子だね。キミが本来の目的を認識し間違っているのではないか、僕は些か心配だ」
そんな事ないさ、と俺。そんな言葉も、だんごに手を伸ばしながらじゃ説得力の欠片もない。


なぜ今佐々木とこうしているのかと言えば、思い返す事今日の夕方、俺が教材と睨めっこしながらあくびを五分割していると、佐々木から電話が掛かってきたのだ。その内容を要約するならば「お月見をしないか」というロマンチックなもので、特に用事もなかった俺は筆記用具を放り投げ二つ返事でそれに飛びつき、二人で近くのスーパーで袋分けの月見だんごを購入し、今に至るというわけだ。
節分に並びお月見っていうのもなかなか腹の膨れる行事なんだと再確認しつつ、そろそろ佐々木の視線が痛くなってきた俺は、だんごの皿を少し遠ざけた。余っている分は妹へのお土産にしてやるか。
「ほう、キミの妹さんもいい兄を持ったものだね」
佐々木が薄く笑みを広げる。見上げると、コンパスでかたどったような綺麗な満月。月明かりが佐々木の薄桃色の唇を照らし、反射されたそれはやけに眩しく見えた。


そういや、あいつが生まれた時もこんな満月だった気がする。
その頃の俺はまだ幼稚園も卒園してないような年頃で、その時に何をしただとかはさっぱり覚えていないが、この月だけはあの頃の俺の目を通して今も脳内に焼きついていた。
中年太りだと思っていた母親の腹の中にはいつの間にか妹が入居しており、『もうお兄ちゃんになるんだから』そんな言葉を親戚一同から言われ続け、それでもやっぱり母親をとられたような気がして寂しかったその時の俺。大体この頃と言えば、覚えたての言葉を使いたがるような年頃で、その教科書となったのが火曜サスペンスとかその類だ。
「おれ、きっと捨て子だったんだ! どっかの川の橋の下で拾われた子だったんだ!」
母親の腹がでかくなるにつれそんな思いを胸に抱き、かくして俺の苗字は河川敷、生まれたベットは愛媛みかんのダンボール。
そんな可愛らしい考えも、妹が家に来てからはどこへいったのやら。きっと家族の中で一番妹の事を気にかけていたのは俺だっただろう(おかげで今も子供の扱いだけは得意だ)。
その頃は『お兄ちゃん』と呼んでくれていたアイツも、今や定着してしまった間抜けなあだ名を広めた第一人者であり、どうすればまたあの頃のように『お兄ちゃん』と呼ばせられるのか考えれば考えるほど……
「なるほど。妹さんのあの幼い可愛らしさはキミ譲りなのかもしれない。キミは普段こそストイックで達観的といえるが、随所にモラトリアムさを感じさせるからね。おや、拗ねてくれるなよ。そう言う意味で言ったわけじゃないさ」
佐々木は弁解するように片手をひらひらと振り、
「血縁関係とは素晴らしきものだね。他で代用が効かない分、その重みも増す。神の計らいを受けた素晴らしい絆と言えよう。まるで友愛数のようにね」
少し大仰なレトリックに、はて友愛数って何だっけと考えていると、佐々木は何が笑いの琴線に触れたのかいつものようにくっくっと笑った。そして唐突に顔を持ちあげ、
「綺麗だ」
短く簡潔に呟かれた言葉を夜風が運んだ。
「ああ」
そう答え、だんごに手を伸ばそうとして皿ごと遠ざけた事を思い出す。隣で佐々木がクスリと笑う。俺は手を振られたから振り返したらそれは後ろのやつ宛てだった時のような気恥ずかしさを覚えながら、そのまま中途半端に伸ばした手で空を指し、木に掛かってしまった満月を指でぐるっと囲んだ。
「キミは、月がどのようにして輝いているか知っているかい?」
フェルマーの最終定理を説く大学教授のような口調で、佐々木は俺と同じように月に向かって人差し指を回した。早くも理系の道にシャッターをかけた俺でも、それぐらいは知っているさ。
「そりゃあ、太陽の光だろう」
佐々木が口元を緩める。それから語られた光の波動説に適当に相槌を打ちながら、俺はなぜかハルヒの万面笑顔を思い出していた。その周りを長門、朝比奈さん、古泉が太陽系のようにぐるぐる回る。なかなかシュールな光景だ。俺はどこにいるんだろうか。できればそこら辺の小さな星辺りでいたいもんだね。太陽に近づきすぎればまかり間違って焼き尽くされるかもしれないっていうのは、それこそ鈴虫ほどしかない俺の頭でも分かるのさ。もっとも、もう燃えカスかもしれないが。せめて原型ぐらいは留めていてほしいところだ。

暫く饒舌に話していた佐々木は、ブレーカーが落ちたような唐突さでピタリと言葉を途切れさせ、いざ出撃しようとしたと同時に雨が降ってきた兵士のような面持ちで一息吐き、
「いけないね。キミといるとどうしても喋りすぎてしまう。キミは聞き手としてとても逸材だからね」
「いいや、別にかまわんが」
「美しいものを見るのに言葉はいらないのさ、キョン」
そう言って軽妙に唇を持ち上げる。慈愛に満ちたその笑みは、まるで月が微笑んでいるようだった。

 

 

 


聞こえる音は鈴虫の鳴き声だけで、闇に飲み込まれてしまいそうなこの世界を、ただ月だけが明るく照らしていた。天を仰ぎながら膝から下をぶらぶらと揺らす佐々木の双眼には、揺れる月が写生されている。視線に気づいたのか、佐々木はゆっくりと俺を見据えると、それからとびっきりの冗談を見つけたように瞳を輝かせ、
「キョン」
少し芝居がかった声で、佐々木が微笑む。
「月が綺麗ですね」
この時、俺がどんな顔をしていたかなんていうのは生憎鏡を持ちあわせていないので分かりかねるが、ただ一つ言えるのは、そのあとに俺も佐々木と同じように微笑んでいたってことだ。
「……ああ。俺もそう思うよ」


目の前の少女がいつもより眩しく見えたのは、きっと月明かりのせいだろう。そんな風に自分に言い聞かせながら、俺は再び空を見上げるのだった。
 

 

 

|