カン・カン・カン
朝倉の合図に従い、皆が演奏姿勢に入る。そうね、今よっ!
「スタート」
有希が手を振り上げ、基音となるべき音を作り出す。
有希のベースがしばらく同じ進行をリフレイン(繰り返し)、朝倉のドラムがそれに合わせていく。
『ハルヒ、行こう』
始まる。
ドラム&ベース
ゆっくりとベースの調が変わる。全然変わってないようで、長い目で見ると変わってる。 最初は強力なフォービート、ゆっくりとしたベースの調。そのうち、ドラムは不規則に、ベースは複雑に。
それに合わせ、あたしはアクセントのようにギターを弾く。
『まずは飛ばさないで…』
有希のベースがそんな声を出している気がする。気がするんだけどね…う~ん。
全っ然気にくわないわ。
なんか、渋滞に巻き込まれてる車の中にいるようでいらいらするわね。
もっとちゃっちゃとやっちゃいなさい!ってキョン、何聞き惚れてるのよ!
ピアノ・ブレーク
あたしはギターから手を離すと、ピアノに飛びつき、音を割り込ませた。 高い音をたたきつけてから、すぐに音階を急降下。
今までゆっくりしていた分、激しく行くわよ!四人ともちゃっちゃとついてきなさい! 有希のベースのコードをピアノで叩き、今演奏中の二人をせかす。
ん、よし!だんだんと早くなってるみたい。朝倉のドラムが少しずつ変わっていく。
…強い視線を感じ、横を見ると、有希がこちらを見ていた。
『いきなりはだめ…お願い…』
小声でそんなことを言われる。ん…ごめんね。
『あんま勝手にすると呼び方戻すぞ、ハルヒ』
…それはなんか嫌。
『このままピアノソロに入りましょう』
朝倉が合図。メロディが無くなり、ドラムだけになる。
ピアノ・ソロ
激しく、強く、情熱的に。
あたしの音が響いていく。
『夢がないの?ばっかじゃない?』
え?モンテカルロ法で次元の呪いを何とかしよう(※1)って問題、高校生で解ける訳がない?そんなこと絶対ない! そんなの有希とあたしなら、絶対にできるんだから!全てはあたしが決める。
低音を強く鳴らし、それと同時に高音を出す。音域は、夢は広げるものよ。
『決めつける事なんて絶対に許さないんだから!』
指揮者に、命令されて踊ってるだけの音楽なんて、なんて愚かな。
あなたが雀の落ちる事まで決めてるのと同じ。あたしは嫌いよ、そんなの!
不規則に、乱雑に、自由に。あたしは、自由。
『誰かじゃなくて、あたしがやるの!』
誰かのための努力なんかじゃなくて、あたしのための努力をするのよ、それがたのしいから。
有希みたいに、人が恐くてフルートの練習なんて、このバッカバカ!
そう、この瞬間が楽しいから。踊れ!
ドラムの音が聞こえなくなる。…なんか三人固まってるような気がするけど、気にしない。 左手でリズムを打ち、ドラムの代わりをする。
トランペット・リード
…せっかく良いところなのにキョンがトランペットを構える。全く、しょうがないわね…
あたしはピアノを打楽器のように叩いて、キョンを待つ。
キョンが入ってくる。
キョンの音は、何かおそるおそるだった。スピードが出すぎたテンポに何とか乗ろうとしてる。
あんた自身がリードする気はないの?これじゃあ、あたしがリードなんだか、あんたがリードなんだか分からないじゃない!
『でも、恐いんだ』
壊れかけたおんぼろトランペットがなんか躊躇してる。
ええっと、この音は…あたしについてきてる?
『現状維持が、俺の一番なんだ』
何言ってるんだか…じゃない、吹いてるんだか。
『だめなら、あたしについてきて。でも、あんたがリードするなら、とっととリードしなさい』
佐々木さん、ねぇ…あたしもあの演奏を聴いたわ。
神のように支配する佐々木さんと、その佐々木さんにべったりくっついてってる音楽。 それが、たしか、あんた、だったよね。ただ、支配されるだけの。
あんたって、本当に不自由ね。なら、あたしが自由にしてあげるから。ついてきて!
『現状、打破よ!』
ピアノ&ドラム
結局どっちがリードしてるか分からない調べは終わる。そして、ドラムがなり始めた。
…
……
…………?
さすがに委員長、こっちは結構強引ね。あたしがいること、忘れてない?
『あなたなんかに、じゃまされるものですか』
知ってるわ。定期演奏会の時、キョンを仲間はずれにしたの、あなたでしょ。 あの後、楽屋に殴り込みにいったらきょとんってしてたけど、あそこまであからさまだと誰だってすぐ分かるわ。
朝倉がちらりとこちらを見る。
『わたしの言うことを聞かなきゃ、まとまらないじゃない』
指揮者でもないのに、ここでもなの?あなた、自分の意見ばっかりよ。
みんながいるの、みんなの言うことを聞かなきゃ。全然民主的じゃないわよ。
空気中に火花を散らしたまま、ピアノとドラムは鳴り続ける。
フィニッシュ
終わりの定番のコードを鳴らす。ドラムが鳴りやむ。音が、ホールに反響する。
気持ちよかったわ!楽しかったっ!
そして周りを見る。
沈黙。
…あれ?あたし、なんか間違ったことしたかしら。
一人、小さく拍手が響く。
「すばらしいです、みなさん」
埼玉県松伏町にある音楽ホール、『エローラ』
音楽作曲界の権威、故・芥川 也寸志氏 のアドバイスにより、極限までクラシックの音の響きを追求したホール。万一、芥川也寸志が誰だか分からなかったら…JASRACの理事長だった人だと言えば十分ね。
最高の反射音を求めて敢えて小さめに作られたこのホール、クラシック界の数々の有名人がここでリサイタルをしてる。
そのホールに、佐々木さん、キョン、朝倉、有希、そして…あたしがいる。佐々木さんは客席でにこにこしていて、それ以外は舞台で固まっている。
「特にあなたね。まさか、『神々の楽器』スタインウェイをあんな風に叩いて演奏できるなんて、涼宮さん、思いっきりがありますね」
ここのピアノはスタンウェイの、とびきり上級なピアノ。バカみたいに叩くピアノじゃないけど、どうせこの町の予算でしょ、あたしには関係ないわ。
「へえ、あなたみたいな人、好きよ」
佐々木さんはちょっと変わった笑い方で笑う。フランスではこの笑い方が普通なのかしら。少し間をおく。
「それでだ、文句があるのは…」
視線はキョンを向いていた。すこし怒った感じでむすっとするキョン。
「いや失礼。そういう意味じゃないんだ。ただ、キミとここで『協奏』したことを思い出してね」
非日常・1
『神童 佐々木・凱旋来日コンサート』
わざわざ遠くから学校をさぼってここに来た理由は、あたしが地味にクラシックが好きで、その中でもクラリネットについては、佐々木さんの大ファンだったからだ。 本当は海外での公演も行きたかったんだけど…あたし、パスポート持ってないし、お金もそんなにある訳じゃないし。だから、
あの神とさえ言われた天才クラリネット・佐々木さんが日本にやってくる。あの深い、深い音が、直に聞ける。
それだけで踊り出しそうだった。
神・2(キョン・カットイン)
ええと…確かに得意だと大きな事を言ってしまったが、俺の英語は山奥深くの東北弁より分かりずらいぜ。
そんなんでよいなら、この愚漢、汝に日本語を教授いたそう…
「いいや、そんなたいそうなものじゃないんだ。サボタージの意味がフランス語と日本語で違っていたから、もしやと思ってね」
ササキはこちらを見て笑う。疑問符を付けて、
「『ピアノ』は日本語でどういう意味かい?」
…そのまんまじゃね~か、返答に困る。まあ、とりあえず返事をしよう。
[Piano]
ササキはそれを聞いて首をかしげる。いや…ピアノの英訳はピアノに決まっている。 これに限って、断じて訳が間違ってるわけがない…はずだ。
ササキの質問は続く。
「では、ここに書いてある、『ピアノ演奏・佐々木』とはどんな意味かい?」
言うまでもない、これもそのままに近いだろう。
[Pianist・Sasaki]
言ったとたん、ササキは普通に笑い始めた。いや違う、大爆笑…
しばらくこの笑いは止まりそうにない。
…なんだ、何があった。
「…何故、パンフレッドに『BABY ELEPHANT WALK(子象の行進)』と書いてあるんだろか。しかも、何でピアニストが僕…なんだい?」
ええと、よく分からんが。ここにそう書いてあるなら、この佐々木の専門はピアノだったんだろ?あと、もう一つ気になるのは、このパンフレッドの日付が今日だって事だ。
非日常・2
むんむんとした空気。前にはチューバ、横にはコントラバス。後ろにはバスドラム。
…当たり前のように、沢山の人であふれかえっている。
ウォームダウンのつもりなのだろうか。できるなら、クラリネットでやって欲しかった。
演奏が終わったら、サインもらおうかしら。あたしは舞台へ急ぐとホールから飛び降り、客席に着いた。
…それにしても、このトランペット、本当に下手ね。技術的って意味だけじゃなくて。
ここにいるプロの人達の自信にまみれた雰囲気に比べて、このトランペットが出す音といったら。
トランペットの音に混ざる、ピアノに怯えたような音。このペッター、全っ然自信がない。
まるで突然大統領に呼び出された乞食みたいじゃない。同じ人間だっていうのに、なんでそんなに怯えるの?
第五章 〆
※1:モンテカルロ法~
『次元の呪い』という、積分計算で物理学者をさんざん悩ませる問題を、『さいころ』を使って解く(モンテカルロ法)ということ。